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今日の夕ご飯4杯おかわりしたターシャが「ごちそうさま」とお茶碗を台所に運びながら、「ねえママ。もしもさ、もし死んでもさ・・・・」「(はぁ??死ぬ話ぃ~?)うん、なになに?」「もしも死んでもね、またもう一度この心で生まれたいなぁ。」「へ、へぇ~~。」・・・・・なんですか?ターシャ6歳。謎めいた発言をする幼児です。まさか遺言じゃあないよね(゜_゜;)ご飯がおいしかったのかなぁ。だから単純に生きる気力が死んだ先にまで及んだ、とか?この前の母の日は、紙で作ったカーネーションとママとターシャが並んでる絵に「ままだいすきだよ」と書いたお手紙と、学校の先生が用意してくれた「お手伝い券」10枚くらいをもらいました。ターシャが幼稚園の頃も何かしら毎年くれましたが、私も小学生の頃母に手作りのお手伝い券や肩たたき券をあげていたことを思い出し、もらった後、うるうる涙がでました。ターシャはお手伝い券などなくとも、いつも本当によく私を助けてくれるのに・・・。昨日初めてお手伝い券を使いました。私が夕食後の皿洗いをしている間にお布団をキレイに直して、とお願いしました。(ひいてあったものの、その後兄弟で布団の上で遊び回りぐっちゃぐちゃになっていたので)お手伝い券に「ふとんしき」と書き込んで渡すとターシャは大喜びで布団に向かい、悪ふざけで行く手阻む下のおチビ達と格闘しながら頑張って敷いてくれました。それが終わって券を「これどうすればいい?」と聞くので、「うん。ママ今手が濡れてるから、そこにおいといてー。」と言うと「そうだ!もったいないから、次のふとんしきの時また使おう!」とターシャ。元の封筒に戻してくれました。偉いよ・・・。このチケットは永久パスポートだってよ。大盤振る舞いだよ。。今日も自分から布団敷きを買って出てくれました。いつまで続くのかわからないけど、ターシャにはほんと感謝感謝なのです。もし、また生まれ変わっても、その優しい心はそのままに生まれてきておくれ。ところで、今日私はヨガに行ってきました。ここのところ、家を建てる方のいろんなやらなきゃならないことを手に負えなくなってきたおちびー’Sの育児をしながら、合間合間にやって、体も頭も疲労して、体がガチガチになってました。ヨガを一時間半やり、その最後にみんなで車座になって座ったところで先生が、「最後に自分の体に感謝して ありがとう を言いましょう。 いつも家族の事や人のことばかりで自分の体に感謝することって忘れがちですよね? 人に対してばかりエネルギーを出しています。でも自分に感謝することで またエネルギーが内からあふれてきて、家族がみな満たされ、 上手く循環していくことができます。 幸せの源である自分、一番大事な自分に感謝しましょう」 (うろ覚えの文句ですが、このようなことを言われました。)目を閉じ両手をすり合わせ「自分への感謝の気持ちを両手の間で練るような気持ちで、あたたかくなるまで・・・」片手を胸に、もう一方の手をお腹にあて「声に出しても心の中でもかまいません。自分の名前をフルネームで呼んで、 いつもがんばってる自分の体に ありがとう を言ってください。」私は、むかしから虚弱で、そんな自分の体を恨みこそすれ、ありがとうなんて言ったことはなかった。どうせ弱いのだからと、 疲れたら休む 疲れたら休む なんていうのは当然のことで、ナマケモノ慢性化で。むしろいつもやけっぱちにいじめていたように思えた。気が付いたら涙がどんどんばんばん落ちていた。自分自身に「ありがとう」を感謝の気持ちをこめて言う、なんてなんだかびっくりした。自分以外の家族にはいつもいつも感謝の気持ちを抱いて、時に心の中で、時に声に出してはいるが。そうか、きっと今の私には これがとっても必要だったんだな。ヨガって自分の体に向き合うこと。自分の体に向き合うことはもちろん精神にもつながっていることです。しばらくヨガ通いしたいと思います。
May 14, 2008
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GWに日本のとある城を見に行きました。これから家を建てる身としては、昔の建築の深さ・すごさにうなるばかり。そして古いものが好きな身としても、古い木や壁のにほひにうっとりでした。地の利を活かした城があって、その周りに町ができる、道ができる。歴史には全くうといながらも、その頃の日本に思いをはせてみる。人々の生活のにおいや音に耳を済ませてみる。。。それでも。と、私は思う。もう今は平成の世なんであります。城っていうのは、今や過去の歴史資料館以外のなにかではない・・・ってね。歴史・日本の城LOVEなヨーゼフは、わたしがそういう事を言うと熱く語って説明してくれるのだが(男のロマンですか?笑)わたしにとって「城」はバベルの塔だ。映画「どろろ」で中井貴一が演ずるお殿様が戦いに勝ってゆくたびにおどろおどろしく城を増幅させて行くように。人の能力に違いこそあれ、人を見下すような立派な人間なんて本当にいるのだろうか?って思うよ。見下してる時点でどうなん?建物は時代背景、機能もあるのだけど、その象徴としての役割が大きいのだろうと思う。(確証はないらしいが、戦国時代での話。なんでも城の周りにはもちろん城より高い建物はなかったらしいが、その城は大国主命-オオクニヌシノミコト-がまつられてる出雲大社より高くは建てちゃいけなかったんだって。その昔出雲大社が今よりずっと高く造られていたという説によると、ね。)もう、城 は要らないね。ここで一句。ああかなし 背比べして 勢比べ (オソマツ笑)それから唐突に話題変わるんだけど、大学受験のための勉強、っていうのも もう要らないんじゃないかな。どんな仕事だって立派な仕事なのに、なにかと学歴や職種に優劣を付けたがる人々。もっと本当の意味で、その人、その人、をリスペクトするほうがいい。そういう世の中の方がいい。親が金庫にいくらあるか、とかどこの大学出たから年収がどれぐらい、とかそういうのって本人の「何をどれだけ勉強したいか」に関係ないじゃない。大人がそうだと子供は見失っちゃうよね。思いつくまま、いろいろ書いてみました。
May 9, 2008
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