Laub🍃

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2011.04.23
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カテゴリ: ◎2次表
信仰である。

物語というものは、ある種の信仰により成立している。

身も蓋もないことを言ってしまえば、ある種の善意あるいは悪意あるいは欲望といった執着心により、物語は継続される。

猜疑心が介入しない、あるいは猜疑心に抵抗できる力を備えることこそが物語における性善説だ。

信仰には対抗する物体が必要である。

あるいは対抗する物体があるからこそ信仰が成立する。

ほとんどの対抗する物体とは、物語を造る者、あるいは読み手の自己補完によって創造される。


信仰が消失することで消え失せる自己原因的な悩みには、目を瞑るか、見間違えるか、あるいは信仰を消失するか、何か解を見付けるかの対処法が役に立つ。



さて、ある主人公は人生のありとあらゆる面で信仰を必要とした。
それだけ沢山の試練に主人公は取り囲まれた。
主人公は立ち向かい、あるいは逃げ回ることで年を重ねることができた。


そして主人公はある時、自身の信仰を書き出すことにした。

その中には一人の悪魔が居た。

悪魔は悪魔でなければならない。

主人公の身を映した、我が子のような登場人物達の敵でなければならない。

それなのに主人公には愛着が湧いていた。

これだけ対抗してきた悩みこそが主人公の根幹をなしてもいた。

憎んでも憎み切れず、愛しても愛し切れないその存在を主人公は追放し、それでもその先で幸せになれるかもしれないという物語を付記した。

あるいはそれは願いだった。


信仰ですら救えなかった、信仰ですら排除しかできなかった者を、自らの檻から解き放つ為の船が、悪魔に与えられた。


悪魔は見ている。

画面の外を見ている。

その外には、きっと主人公が描くそれよりも、美しく、無残で、優しく、醜悪で、夢のようで、現実的な明日がある。





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最終更新日  2018.02.28 04:56:33
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