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2020/10/21 私は誰でしょう こまつ座第134回公演 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 作/井上ひさし、演出/栗山民也、 川北京子/朝海ひかる、フランク馬場/吉田栄作、山田太郎?/平埜生成、佐久間岩雄/大鷹明良,高梨勝介/尾上寛之、山本三枝子/枝元萌、脇村圭子/八幡みゆき、ピアノ奏者/朴勝哲 図1 私はだれでしょう チラシ裏面より図2 チケット半券(所有者は多分宿主、もしかしてその相方) なにから話したら良いか判らない、山盛りコンデンスミルクのような本であり舞台である。井上ひさしは多分ノーベル賞選考委員会が希求するタイプの、地域性と時代を踏まえ且つ超えた普遍性を備えた作家だったのだ。遅筆堂と名乗っていた井上ひさし、この多重構造で様々な方向への問題提起が鏤められた楽しく悲しく深く深くえぐってくる緻密な芝居を構築するのは、大事業である。初日に間に合わなくなっても、やむを得ないような大きな作品が陸続と誕生していたのだ。こんなもの誰も創れない。 この作品が出たのが2007年72歳の時、そして74歳の秋に肺がんが見つかり禁煙したことを報告し、2010年4月、75歳で井上ひさしは亡くなった。その前の数年、精力的に力作が残され、結果的にそうなってしまったとは言え、最後の遺言集の一つがこの作品。 今回は2017年に次いで、3シーズン目のこまつ座による公演。 宿主が庭で野良猫に初対面し時の、セピア色の写真が残っている。縁側前の砂の庭でしゃがんだ3歳ぐらいの子供と白地に無彩色の虎斑の大模様が三越の包装紙みたいな感じで散った猫が向き合っている。猫と子供が1mらぐらいの距離を開けて,お話ししている。この瞬間、野良猫で泥棒猫であったミーコの分霊がニャンスケとなって宿主に住み着いた(にちがいない)。 お手伝いのおばさん(竹内さん)が今でいうベビーシッターのような形で時々来て、宿主の親だか祖母だかが帰るまで、ラジオを聴いている。尋ね人の時間。竹内のおばさんは、いつもじっと聴いている。1950 年頃から52年頃までであったろう。the座 60号 私はだれでしょう(2007)【電子書籍】[ こまつ座 ] この芝居は、あの尋ね人の時間を作った人たちの話である。僅か4年間ほどの、日米戦争と東南アジア西太平洋諸島への日本軍の侵攻と、その地域に派遣されていったビジネスマンやその家族たち、大勢の日本人が敗戦によりバラバラになり、辛酸の果てに、漸く生きて帰れたとき、故郷だった街は焼け野原。家族は、親は、親類は、恋人は、尋ね人の時間は毎日複数回放送されていたように記憶する。そして、武内さんみたいに、全国各地、みんなが針仕事や台所仕事、子供の相手などをしながらラジオに耳を澄ましていた。 全体主義化への圧力が顕著になってきた昭和の初めから、走る為政者と分断されてずるずると引きずられる国民、という図式で、大多数のものがこれでは拙いと思いながら、戦争に突入していった大日本帝国。為政者に専横されて神国日本を信じた一部の人間と、拙いという声を押し殺し、耐えることで凌げるかと、忍従し淡い希望にすがっていた大多数の日本人。敗戦で挫折を感じた被洗脳者組と、これで助かったと喜んだ忍従組。アイデンティティはいずれにせよ屈折した。 新憲法の下、漸く言論の自由と軍事からの解放が来たと思った途端、今度はGHQへの忖度と、米国指揮下での再軍備。国のアイデンティティは何処に? そこに現れた,自分は誰でしょう、という山田。みんなで山田のアイデンティティ探しをしていくと、実は彼は南方戦地で全滅した部隊の一員で、怪我のため途中で部隊から脱落し、記憶も失い、現地の人々に救われて日本に送り返されたのだと、。。。 素晴らしいアイデンティティ探求の作品なのだ。またの機会に是非ご覧下さい。 ポクポクとかパラパラでは無くチョットビヤンビヤンいうスカスカピアノのような感じに調律されたピアノ伴奏が戦後雰囲気を一杯にする、そして、30年前の東宝ミュージカルを音楽レベルをクオリティとして絶対に凌いでいる、随所随所での俳優たちによる合唱が、演劇の高い質にバッチリ対応している。
2020.10.29
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データ:演題:Serial Number 05 All My Sons, 劇団:Serial number、劇場:シアタートラム, 原作:アーサー・ミラー、翻訳・演出:詩森ろば 配役:ケイト・ケラー:神野三鈴,ジョー・ケラー:大谷亮介, クリス・ケラー:田島亮、アン・ディーヴァー:瀬戸さおり, ジョージ・ディーヴァー:金井勇太、ドクター・ジム・ベイリス:杉木隆幸、スー・ベイリス:熊坂理恵子, フランク・リュビュイ:酒巻誉洋、リディア・リュビュイ:浦浜アリサ, バート:田中誠人図1 公演のチラシより抜粋 図2 当日のチケット半券 翻訳が多分完璧。原作の配役から台詞回しまで、(原作の本も上演も全く見ないで言うのは無茶苦茶ではあるが)完全に自然に細かいニュアンスまで日本語で表現しきった感じである。快作好演、名舞台となった。コロナ感染防止のため、客席は一つおき、満席だが本来の半分。 公演終了時、温和しく拍手だけとは言われていても、可成りの客はスタンディングオベーション。カーテンコール3回。そこで席が明るくなりもう止めてと劇場側の暗黙の指示。気がつけば時刻は22時の20分前。 洋物芝居のいやらしさが一切無く、翻訳劇のギコチなさが全く無く、。。。要するに、翻訳と演出が良ければ、良いものは良く伝わる。原題そのままで上演したので、変なミスリードも無く。。ただし、チラシに第1次大戦後の米国という文があり、これは間違えでしょう。 第2次大戦の初期1940年代前半にオハイオの航空機戦闘機産業とその下請け企業との間のあった実話を元に書かれた劇であるというのが、Wikipediaから得た話で、劇中に出て来るオハイオ州、コロンバスという地名も、元の話と符合する。 軍から戦闘機メーカーに大漁発注があり、その一部の部品は大メーカーから下請け企業に再発注された。開発要素の多い難しい仕事である。下請けの社長は、良心的な製品を出すべくジックリと取り組もうとするが、元請けからは軍が急いでいると矢の催促。テストはこちらでやるから品物をよこせ、という元請けの言葉に従い、不安の残る部品を出してしまう。 最近、戦闘機事故が多発している。あれは家の部品のせいじゃあ無いのか、と迫る長男に、父は元請けが検査しているから大丈夫だとはねつける。然るに、次男の戦死の報が入り、さらにそれがあの戦闘機に乗っていて起きた事故によると判る。庭で話している皆からフッと離れ、父親が1人家に入り、銃声。。。で舞台は終わる。 観劇から大部時が経ってのメモであるが、筋の基本はこんなものであったと記憶に残っている。Shmoop Literature Guide: All My Sons【電子書籍】[ Shmoop ]All My Sons by Arthur Miller (Book Analysis)Detailed Summary, Analysis and Reading Guide【電子書籍】[ Bright Summaries ]All My Sons【電子書籍】[ Arthur Miller ]All My Sons【電子書籍】[ Arthur Miller ]アーサー・ミラー 3 / 原タイトル:ALL MY SONS 原タイトル:A VIEW FROM THE BRIDGE[本/雑誌] (ハヤカワ演劇文庫) / アーサー・ミラー/著All My SonsMiller Plays: 1All My Sons; Death of a Salesman; The Crucible; A Memory of Two Mondays; A View from the Bridge【電子書籍】[ Arthur Miller ]All My Sons: York Notes Advanced
2020.10.27
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