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2018年08月19日
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 1970年代の話。
 レース・オブ・チャンピオンズが、F1とF5000
の混走で行なわれていた時期があった。
 当時のF1は3L自然吸気エンジン。
 DFV+ヒューランドのミッションの全盛期。
 ホンダは参加していないし、出力が高いと思われる
フェラーリV12(のちにフラット12)は足回りの悪さ
から実力を発揮でききれずにいた。

       ​

 で、F5000とは何か。
 フォーミュラ5000(F5000 )は、タイヤが剥き出し
でシングルシーター(単座)のいわゆる
「フォーミュラカー」形式の車両による自動車であり、
その車両で競われるレース規則。
 F5000のレースは1968年から1982年に世界各地で開催
された。
 低コストのフォーミュラカーによるレースを目指した。
 排気量制限が5000cc以下であることからF5000と名
けられた。
 車両メーカーは、マクラーレン、イーグル、マーチ、
ローラ、ロータス、エルフィン、マチック、シェブロン。

      ​

 量産5リットルOHV・V8のGMシボレー・エンジン
搭載。
 約500馬力/8000rpm (370kW)。
 North America Formula 5000シリーズは後期に、
単座で
はあるがボディがタイヤを覆うルールとなった。

       ​

 米国で1970年代の初めに人気となり、マリオ・アンド
レッ
ティ、アル・アンサー、ボビー・アンサー、
ジェームズ・
ハント、ジョディー・シェクターなどが
参加した。
 オーストラリアとニュージーランドでフォーミュラ・カー
で競われた、タスマン・シリーズ(1964-1975)が開催され
た。
 ジャック・ブラバム、ブルース・マクラーレン、クリス・
エイモン、デニス・ハルムが活躍し、後にヨーロッパに渡っ
た。
       ​
 1970年よりF5000規定が認められ、その後の主流マシンと
った。
 タスマンシリーズではレプコがGM系のホールデンをベース
にしたレプコ-ホールデンV8エンジンを供給した。
 オフシーズンのF1選手のエントリーは減り、地元チーム、
ドライバーが活躍する地域選手権という本来の姿に戻った。
 シリーズはニュージーランド側の独立で終了。

       ​

 オーストラリアではF5000規定のまま1979年まで「ロスマ
ンズ・インターナショナルシリーズ」が開催された。
 IMSAが1981年にIMSA GT選手権のための新しい規格、
GTP
プロトタイプを導入。
 IMSAのGTP設定により、F5000は役割を終えた感があり、
1982年に終了。





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最終更新日  2019年07月02日 22時33分37秒
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