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2020年05月25日
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​​​​​​​ ​​​​​ ラリー・ジャパンは2004年から2010年まで、北海道の十勝帯広を拠点として開催されていた。
​ 景気の後退、日本の自動車メーカーのWRC撤退などから2010年が最後の開催となっていた。
     ​
 国内ラリーの改革や公道を使用するラリーという競技自体への理解の広がりとともに、WRCにトヨタが復帰した流れを受けて、WRC日本招致の声が上がり、「ラリージャパン2020」開催の運びとなった。
 最近のトヨタのモータースポーツ、ガズーレーシングの取組は大いに評価できる。


​​ 全日本ラリー選手権 ​​
出典 Wikipedia
 全日本ラリー選手権(ぜんにほんラリーせんしゅけん、Japanese Rally Championship)とはJAF登録クラブ・団体が主催する国内ラリーのシリーズ戦で、日本最高峰のモータースポーツ選手権の1つである。
概要
 1979年の全日本ラリードライバー選手権を前身として1980年から全日本ラリー選手権となった。
 2000年以降の運営支援は同年に発足したJRCA (Japanese Rally Competition Association) により行われ、JAF公認規定の元で全国各地の主催者により、2012年以降は4月 - 10月の期間に年間9戦が開催されている。
 参戦するドライバー及びコ・ドライバーは、国内B級以上のライセンスが必要となる。
  ― 引用終り ―
     ​
 ラリージャパンの再開は、間違いなくトヨタとヤリスのお陰様。
 武漢肺炎の感染で開催が揺らいでいるが、是非とも開催して欲しい。
 そしてトヨタ・ヤリスにWRCラリージャパン2020で優勝して欲しい。
 と、TE27レビンで綾部選手が活躍していた頃のラリーファンでラリーストではないジイサンは思う。​​
 FISCOで活躍した トムス・スターレット ・KP47DOHC16バルブの活躍だって覚えている。 
 物忘れの悪い年寄りは、WRCでのトヨタの黒歴史も忘れてはいない。
 世界のトヨタに同じようなことを繰返して欲しくないからだ。
     ​
●WRCでの不正
 1995年のWRCにトヨタはセリカGTーFOUR・ST205で参戦。
 トヨタはリストリクターの不正が指摘されて3選手(ユハ・カンクネン、ディディエ・オリオール、アルミン・シュヴァルツ)が獲得ポイントを剥奪された。
 FIAにより1996シーズンの出場が禁じられた。

1995年の世界ラリー選手権
Wikipedia


●その他のあることないこと

トヨタ・モータースポーツ
悪業と顰蹙の遍歴
トヨタの富士スピードウェイF1グダグダ運営  より転載
  …(略)…

837 名前:音速の名無しさん 投稿日:2007/11/08(木) 16:16:10 ID:AlFgc/p20

これはすごい… 
3 名前:音速の名無しさん[age] 投稿日:2007/10/18(木) 21:31:25 ID:MmeURazm0 
トヨタ(笑)赤恥 
ルマンは今年こそ今年こそって大口叩いて、政治的にゴリ押ししてレギュ違反のマシンを強引に投入したけど、 
結局勝てなかったよね? 
WRCではリストリクターの不正が発覚して追放。
CARTではホンダに対するエンジン開発の立ち遅れをチャラにするために、 
金の力に物を言わせてレギュレーション変更は2年の猶予期間を置くと言うルールを捻じ曲げ、 
2.7リッターターボをその年限りで強引に廃止、トヨタが先行して開発していた3.5リッターNAに無理やり変えさせた挙句、 
CART自体の分裂を招いてレース関係者とファンにさんざん迷惑をかけ、 
しかも愛想を付かしたホンダがIRLへ参戦を決めたらトヨタもその後を追ってCARTを撤退。 
F1参戦にあたってはミナルディからなけなしのチーフデザイナー、グスタフ・ブルナーを金の力で強引に引き抜き、 
参戦前から紳士的でないチームというレッテルを貼られ、 
TMG副社長は「F1なんか高度ではない。技術の研鑽を狙うならルマンです」 
「勝てないのは外国人スタッフがやってるから。全部日本人でやればトヨタなんだから勝てるんです」と発言 、 
ファンと関係者をあきれさせ、 
毎年マシン開発をしくじって結果が出ないたびに、献身的にチームのために努力したドライバーにその責任をかぶせて解雇し、 
ミカサロ、A・マクニッシュ、C・ダマッタと3人ものドライバーのF1での選手生命を犠牲にし、 
挙句の果てにフェラーリから設計図を盗んでパクリマシンを設計、 
バレると関係したスタッフと責任者(上述のG・ブルナー、チーム代表オベ・アンダーソン)を解雇、 
トカゲの尻尾切りを図るも、ドイツの裁判所では有罪判決を受けて世界に恥を晒し。 
いや、本当にすごい有言実行ぶりだこと。 
  ― 引用終り ―
​​​​     ​ ​​​
 ジイサンは、スウェーデンが生んだラリーの伝説、オベ・アンダーソンの現役時代の活躍だって覚えている。
​     
 1995年、リストリクタ―不正時のトヨタラリーチームの監督は、オベ・アンダーソン。
 1998年にWRCに復活。
 1999年、3度目のメイクスタイトルを獲得。
 そいて、F1への参戦を決定するとその役割に集中するため、27年間のラリー活動を終了。
 ​2002年、トヨタF1の初代代表に就任。
 2003年、代表を引退。
トヨタなんだから勝てる 」ほど甘くはなかった。
 経営トップも交替し下記の記事から14年たった。
 再び下記のような記事を見ないことをのぞむ。
トヨタは
モータースポーツの何たるかを理解していない
by マイク・ローレンス
2006年03月17日 F1通信





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最終更新日  2020年05月25日 06時00分09秒
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