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2022年02月03日
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テーマ: ホンダ(45)
 国内のどのメーカーとも異なり、歴代ホンダの社長は、2輪・4輪のレースのピットに姿を現し、勝てば喜び、負ければ悔しがる。
 モータースポーツ活動抜きには語れないホンダがF1撤退を発表した年に、F1シリーズチャンピオンのエンジン・メーカーとなった。
 F1エンジン撤退とともに、F1でのホンダ・エンジンの活躍の立役者の一人である山本マネージングディレクターがホンダを退職=撤退。
 想像するにホンダがF1撤退を発表した直後に退職を決意したのだろう。

30年ぶり栄冠の立役者
山本雅史MDがホンダを退社
「全身全霊でやりきった。ホンダ人生に終止符を打ついいタイミング」
2022/1/10 autosport web
 30年ぶりにドライバーズチャンピオンをレッドブル、そしてマックス・フェルスタッペンとともに獲得したホンダ。そのホンダF1でマネージングディレクターを務めてきた山本雅史氏が2022年1月31日をもってホンダを退社することが関係者への取材で明らかになった。
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 山本氏は、1982年に本田技術研究所に入社。和光研究所の試作ブロックで腕を磨いた後、デザイン室へ配属され、36歳でマネージャー(管理職)に抜擢されるなど、若くしてマネージメント業で秀でた才能を発揮してきた。
  
 その後、2011年に栃木研究所に移り、技術広報室で室長を務めた後、2016年に本田技研工業のモータースポーツ部部長に就き、ホンダの国内のモータースポーツ活動を中心に統率してきた。 「3年でスーパーGTの王座を取る」という目標を掲げ、3年目の2018年に見事、GT500クラスでチーム国光の山本尚貴/ジェンソン・バトン組がタイトルを奪還。 2010年以来8年ぶりのスーパーGT王座をホンダにもたらす。
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 ホンダのF1活動においても重要な役割を果たし、マクラーレンとの関係が悪化した2017年は粘り強い交渉を行い、5年間あった契約を違約金を発生させることなく発展的解消に成功。2018年からトロロッソとパートナーを組む新しい道を選択した。
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 また、開発をスピードアップさせつつトラックサイドでの作業効率を向上させるために、2018年にホンダF1体制がそれまでのトップひとりの総責任者体制から、マネジメント(山本)+開発(浅木泰昭/HRD Sakuraセンター長兼パワーユニット開発責任者)+現場(田辺豊治/ホンダF1テクニカルディレクター)のトロイカ体制に変更された以降はマネージングディレクターとして他チームやFIA・FOMとの交渉も綿密に行い、ホンダのステータス向上に大きく貢献。2019年にレッドブルとパートナーを組む足かがりを作った。
 2019年からはF1マネージングディレクターとしてF1プロジェクトに専念し、ホンダF1のラストイヤーとなった2021年はコロナ禍ということもあり、家族との時間を犠牲にしながらも、これまでにないほど全力でホンダF1を強力に牽引。
  ―  引用終り  ―
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 山本雅氏は、2022年1月末にホンダを退社し、新会社を設立する。
 レッドブルと日本、ホンダを繋ぐ架け橋になれるだろうか。
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山本雅史氏、今月末でホンダを退社 ​。
今後は新会社を設立し、
“日本とレッドブルの架け橋”に
田中 健一
2022/01/28 motorsport.com
 ホンダF1のマネージングディレクターを昨年まで務めていた山本雅史氏が、2022年の1月をもってホンダを退社。今後は自身で新たに会社を設立し、レッドブルと日本を繋ぐ架け橋的な役割を担うという。
山本雅史氏、今月末でホンダを退社。今後は新会社を設立し、“日本とレッドブルの架け橋”に
 昨シーズンまでホンダのF1マネージングディレクターを務めていた山本雅史が、今月限りでホンダを退社し、新たにコンサルティングなどを行なう会社を立ち上げるという。
 山本はホンダでモータースポーツ部長などを務めた後、2019年からF1マネージングディレクターとしてF1専任の役職を担い、ホンダのF1活動を取り仕切ってきた。そして同年にはレッドブルとのコンビで第4期初優勝を遂げると、2021年にはマックス・フェルスタッペンの手により悲願のドライバーズタイトルを獲得。それを節目に、山本はホンダを去ることになるという。
「2021年でホンダのF1活動も最後だし、しっかりと勝って区切りをつけて退社しようと、昨年の3月に決めました」
 山本はそう語る。
「2016年にモータースポーツ部長に就任して、最初はスーパーGTのチャンピオンを獲ることが目標で、それを2018年に実現することができました。その後の3年はF1専任となりましたが、その当初からこの仕事こそホンダ人生の集大成だと思っていました。ホンダで経験してきたモノが全て活かすことができると思いました」
「その1年目にはレッドブルと初めて優勝することができて、2年目にはメルセデスと良い戦いができるかなと思ったんですがそうはいかず、そして3年目にフェルスタッペンのドライビング力、レッドブルのチーム力の高さもあって、なんとかチャンピオンを獲ることができました」
 山本は、自身のことを「やると決めたらとことんやってしまう」性格だと分析する。そのため、今後はもう少し自由な時間を持ちたいという気持ちもあったと明かす。
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「僕は本当にホンダが好きなんです。なのでこの6年間、モータースポーツ担当として集中して仕事をしてきました。その一方で、家族との時間をあまり取れなかったということもあります」
「ホンダを引退して自由な時間を持って、家族との時間を過ごしたり、自分の趣味に使ったりと、今風で言うとワークライフバランス的なことも考えなければいけないということを、この数年間考えていました。人生を謳歌したいですからね」
 そしてホンダのことも考えた上での決断だったとも明かす。
「良い意味でも悪い意味でも、ホンダにとって”重し”にはなりたくなかった。僕がいることで、若い人たちが自由にできないということにはならないようにしたかったんです。僕は基本的には放任主義なので、そういうことはなかったと思いますが、伸び伸びやってもらえるようにしたかったんです」
「そういう意味では、攻めるだけじゃなく、引き際も気持ちよく行こうと、そう決めたんです」
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 しかし山本は、モータースポーツの世界、そしてF1の世界から離れるわけではない。
 まずは自身が設立した会社で、レッドブル・パワートレインズのサポートをするという。
「新しく会社を設立しました。そこで人に喜ばれることをしたいと思っています。F1って、僕らが勝てばファンの皆さんがそれを喜んでくれるじゃないですか。期待を大きく超えることができれば、人はさらに喜んでくれる。そういうことを粛々とやっていきたいと思います」
 具体的にはどんなことをするのか? そう尋ねると、山本は次のように説明してくれた。
「その会社と、レッドブル・パワートレインズとで契約を結びました。その会社には僕という存在がいて、レッドブルのクリスチャン・ホーナー代表や、(同社モータースポーツ・アドバイザーの)ヘルムート・マルコの依頼に応じて、サポートをするということです」
「会社同士の契約なので表現の仕方が難しいのですが、レッドブル・パワートレインズのメンバーのひとりとして、彼らのお役に立てるような仕事を請け負うということになります。ホンダの役員にも、それはお伝えしました」
 山本には、レッドブルとホンダの関係を繋ぐ役割も期待されているという。
「例えば、彼らが日本の文化や、ホンダの文化を共有して、よりホンダとの関係を密に、そしてうまくやりたい……そういう依頼があれば、そのサポートもします。また、日本に若い将来有望なドライバーがいれば、それをレッドブルに紹介するということもあるかもしれません」
「契約には、クリスチャンとマルコの指示によって、山本は仕事をすると……そういう漠然としたことが書いてあります。もちろん、その他細かいこともありますけどね。でも基本的には、レッドブルと日本の架け橋ということになると思います」
「F1全戦に帯同するということはありません。ですが、5戦は行かなければならないことになっていますし、それプラス鈴鹿くらいは行きたいなと思っています」
  ―  引用終り  ―
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 2021年限りでホンダはF1活動を終了。
 2022年シーズンは二輪に加えて四輪のレース活動も担うHRC(ホンダ・レーシング)がレッドブル・パワートレインズを支援する。
 山本氏には良好と聞く、レッドブルとホンダの関係を維持して、結果に結びつけて欲しい。





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最終更新日  2022年02月03日 16時00分07秒
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