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上司の女性が手にした大きな紙を嬉しそうに見せるので、広げて見れば、韓国語の新聞だった。<へー、韓国語の勉強ですか>と問えば、<違う、こっちたい、それは包み紙やんね、何もならんたい>と言う。もう一方の大きな紙は、冬のソナタのポスターだった。主役の2人が並んでいる。韓国のおみやげだそうだ。ヨン様が、恋敵のサン何とかよりやっぱり品がいい顔してる、と言う。<にやけとるやん>、と言えば、<あれはにやけとるとじゃなか、品のよかと>との由。<へー、ペー君よりサンちゃんが品のなかとね?><そうよ、ヨン様にかなうもんはおるもんね>と、ポスターを掲げ、ペー、サン談義である。そこへ、もう1人、先輩が来て、ポスターを見て、<かとちゃんペーたい>と言った。
2004年07月30日
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パーマをかけた。1年ぶりである。スタイルは変わらず、こてこてのカーリー。他のスタイルは嫌いである。染めるのも興味がない。そのくせ爪はよく塗る。目が弱いからサングラスは欠かせない。汗っかきだから、夏は人も呆れる露出女と化す。夏、私はけばいらしい。
2004年07月29日
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うちの職場のTさんは見た目は酒飲みに見えるが実は下戸だそうだ。彼には内緒だが、どこの施設や病院にもいるような、アル中だった人が社会復帰して働いているのかと思った。しかしそれは私の大きな勘違いであった。彼はまじめな公務員だったし今でも酒は一滴も呑めないという、見かけとは大違いの男性なのだ。彼はどうも愛妻家らしい。奥さんが、あんまりヨン様は素敵、男はやっぱり足が長くて背が高くなくちゃ、、と言うから、<そんなら俺はどうすりゃよかとね>と僻んで言えば、奥さん、<おとうさんはもう、しょんなかよ>と言い切ったそうである。彼の話はとつとつとしているが面白い。先日はまじめな顔で、<俺って体温が高いかなあ>と質問される。私にわかるはずないが。よく聞くと、その朝、布団を上げた後の畳を奥さんが触って、<あんた、体が熱いねえ>と言ったそうである。色気があるやら、ないやら、、
2004年07月27日
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せっせとパソコン打っていたら、突然何だか得体のしれない声が、、、猫が暴れているのかと思った。じっと耳を澄ますと、それは、お風呂の中で母が歌を歌っているのであった。ああ、びっくりした。でも、びっくりしたことは一生の秘密にしなければ、、、母は叙情歌を習いに行ったり、ママさんコーラスにも所属しているのである。娘が自分の歌を聞いてびっくりしたと聞いたら、今後の余生の幸福感に影響を与えるやもしれないからなあ。
2004年07月26日
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日曜でものんびり出来ないわけがあり、仕事場に出ることにした。看護師時代と違って、時間が来たら終わり、ではない仕事に就いたのだ、としっかり実感した。何しろ、毎日が利用者のおじいさんやおばあさんの訪問に終われ、大事な書類の仕事がはかどらない。絶対に休みに仕事を持ち込まないという主義だった私の意に反して、体は仕事場である居宅介護支援事務所へ、、、しかし、休み返上で仕事をしているのは新米の自分ばかりではない。先輩も遠いところから出てきて仕事する、しかも私を車で迎えにまで来てくれた。ところが、職場に出れば、涼しく、いつもと違って静か、いやな事言うやつもおらず、ルンルン!昼には、冷凍でカチンカチンのご飯をレンジで解凍し、インスタントのカレーをかけて食べた。いやー、休みの日に職場にいるのもいいなあ、涼しいだけじゃない、トイレットペーパーも減らないし、エレクトーンもホールにはあるから、仕事に飽きたら思い切り弾けるし、、、今度から日曜には仕事しようかしら。
2004年07月25日
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今日は私の誕生日である。思えばもう半世紀も生きてきたのであるが、幸せな事に私にはまだ両親がいる。この年になると、両親とも亡くなった人が多い中、自分より元気な両親がいる自分は随分恵まれていると、感謝するこのごろである。今は両親と住んでいるが、昨年までは、私は自分の誕生日には、親に電話を掛け、<今年も無事に誕生日を迎える事ができました、ありがとうございました>と、感謝の意を伝えるのが慣わしであった。そこで初めて、<はい、おめでとう>となるのである。昨夜は、3人揃って外食に出掛け、誕生日を祝ってもらった。呑み放題コースである。人が見ると、とても老人2人と更年期の娘が食べたとは思えないくらいの量の食事をし、飲み放題の元が取れるくらいのビールを呑み挙げた。年々、自分の誕生日は、親が生きていることへの感謝の日となっている。それから、もう1つ、とても嬉しい事があった。仕事から帰ったら、先輩から花束が届いていたのである。びっくりした。慣れない仕事と運転に四苦八苦している私への思いやりはいつも感じているが、こうして誕生日まで祝ってもらえるなんて、感謝以外の言葉が浮かばない。今年の誕生日は最高だった。
2004年07月24日
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利用者のおうちを少なくとも1ヶ月に1度は訪問するのは、ケアマネージャーのお務めである。サウナのような車に、無理にクーラーを効かせ、がーッと走って<御免くださーい>と上品に声を張り上げたら、おなかがクーッと痛くなった。スローモーションのように、ばあちゃんがゆっくり出てきて、ゆーっくり<あらー。暑かったろー、座らんねー>と言われる。上品な声で挨拶し、お話しようとしたが、お腹は容赦なくきりきりと私を苛ます。もうだめ、<あの、あの、お腹が痛くて、、、トイレを、、、>と絞るように言うと、(たぶん顔は真っ青)<あらー、そりゃ、きつかねえ、早よう行かんですか。>とゆっくり案内してくれた。山の中にもかかわらず、ウオッシュレット付きの水洗トイレである、日本はすばらしい国だなあ、と苦しみながら感心した。品もせせらもなく、まさに危機一髪だった。何とか切り抜けたのだが、その後、おばあさんに、健康管理についてだの何だのと話すのが、調子悪かった。
2004年07月23日
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息子の嫁さんのお母さんが沖縄から、福岡に来ておられるため、急遽高速バスに飛び乗り会いに行ってきた。息子の嫁さんと、その息子、つまり私の孫も、半年間沖縄で過ごして、久しぶりに福岡の自分たちのうちに帰ってきたのだが、心配なのは、離れている間に孫が私を忘れていないかと言う事だった。案の定、忘れていた。沖縄のバアバアにはまとわりつくくせに、私には他人のそぶり。顔は息子の小さい頃にうり2つである。段々私にも慣れてきて、くっついてきて、ああ可愛い!でも何だか臭ってくるが、、、本土のバアバアも好きなのね、と喜んでいたらうんこしていたのだった。
2004年07月22日
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先輩とまたまた呑みである。ふふ、楽しいぞー。金は飛ぶけど。
2004年07月21日
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やかましか、せからしか、いちいち文句つけるな、ばかにしとるとか、踏んつけるぞ、いい加減にせーい!!!!!!!!!ああ、言いたい!言いたい、こんな風に言えたらどんなにいいだろう。皆サン、腹が立つ人に、どうやって、自分が不愉快であることを告げていますか。怒鳴るのは、できない、だって、恐がりなあすだから。
2004年07月20日
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随分日記サボってたなあ。考えてみると、何も刺激的な事のない最近の生活、ありがたいことである。私のこれまでを思い起こしてみると、刺激的な事には必ず苦しみがくっついて来ていたような気がする。従って、今は平和ということになる。しかし、平和になると、すぐ退屈するのが私の大きな欠点、今も感じる退屈感、、、以前はそれほど退屈しがり屋ではなかった。第一、本が好きだった。今も好きである。しかし、老眼という障害が私を襲い、今では夜の読み書きは至難の業。従って、編み物が好きだった、ピアノが好きだった、読書も、文章を書くもの好きだった、それのほとんどが視力低下という壁に立ち塞がれ、やりたくてもやれない状態にある。だから、そうよ、退屈なはずよ。好きな事のほとんどが目を使うことばかりだったのだから。なにかそれらに代わるものを見つけよう。目を酷使せず、肩が凝らず、楽しい事、何かあるに違いない。ビール飲用だけは、老眼だの何だのには関わりのない末期までの趣味になるだろうけど。
2004年07月18日
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今日はちょっとむかむかした。冗談もよく言う、よく笑う自分であるが、人が自分の内面まで知り尽くしたような事を云うと、心の中に踏み込まれたような、嫌な気分になってしまう。そんな時、自分の中にある、意外と気難しい一面を自分自身で垣間見て、びっくりする事がある。開放的でフレンドリーな私だが、もしかすると、心の奥底は閉じているのかもしれない。恐いなあす復活か?
2004年07月09日
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午後繁華街の雑踏が恋しくなって、のこのこと出掛けた。バスから電車に乗り換える。どこまで行っても100円の電車である。大丸デパートで、仕事用のバッグを求めた。半額だという。色もデザインもよし。次は全くの衝動買いだった。スカートを見てたら、若い店員さんが、私の気にしているでかいバストを褒め称えてくれる。<私なんか、ほら、板みたいだからうらやましいですよー>と言われ、<そうかしら>と思って、ついニットのセーターまで買った。スカートとセーターは予算外。カード払いとなる。後は100円ショップにまっしぐら。いじましい庶民は贅沢したな、と認識した後、100円ショップに足が向くものなのかもしれないなあ。100円ショップでは、洗濯機のゴミ取りネットだとか、イ草のスリッパだとか、ごちゃごちゃ買っても1000円以内である。嬉しいなあ、、、帰ってから、親に新しい服を着てみせたら、父が、<ほー、そがん乳のボーンと出とるとが良かとかい?>と言った。親までそんな言わんでも、、、
2004年07月08日
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今日は頭痛との戦いの一日だった。肩もパンパンに張っている。内耳の悪い私は、低気圧のやって来た日は、それにあわせてきちーんと頭痛がする。今夜はおかげで好きなビールも呑まなかった。体調が悪い時はビールも苦く感じる。まずく感じるとわかっているのに呑むというのは、無駄というものだ。頭痛と合わせて軽いめまいがあるのが常なので、今日はあまり車で出ることはせず、もっぱらデスクワーク、パソコン業務にいそしんだ。今の職場にケアマネージャーとして就職して、早や3月めである。ケアマネ、運転、どちらも50の手習い、こわごわだった運転も、若葉マークを武器にかなりの場所に行けるようになった。この前は、狭い山道でバスと会ったが、左が深い崖であるにもかかわらず、バスの方が下がってくれた。お礼を言って通り抜ければ、バスの後ろに3台も車がいた。皆黙って下がってくれたのだ、1台1台に深く感謝して走った。大村湾に浮かぶボートやヨット、青い空を見ながら走れば、仕事中であることも忘れ、気分はドライブだ。そんな時、この仕事に就いて得をしたな、と思う。デスクの仕事だけなら、眠くてしょうがないだろう。仕事中にためいきの出る程美しい景色に出会えるなんて、おおもうけである。儲かったといえば、運転がこんなにできるようになったのも、この仕事のおかげである。ペーパードライバーで、もう運転することなんか私の人生の中ではないだろうと思って来たのに、運転が必須の職業に就いてしまった。これまでの事をいろいろ思い起こしてみると、私は何か事が起こる度に、何かをゲットしてきたようだ。俗にいう、転んでも只では起きないというヤツだろう。20年前、離婚したので、自立を目指して看護師になった。この資格のおかげで子供を女手1つで育てる事が出来た。資格は一生物だ、離婚して損はしていない。去年腰をしっかり痛め、ドクターに、もう看護師はやらない方がいいでしょうと言われたので、職業変えを真剣に考え、せかせかと勉強して、ケアマネを取った。どうやらこうやら合格することができたので、長年ペーパーだった運転免許が役に立った。イギリスで四苦八苦して学んだパソコンも今、仕事で陽の目を見ているようだ。腰を痛めても、儲かった。何よりも、感謝するのは、いつもある周囲の協力と情である。これは、何よりも自分の大きな財産だと感じている。
2004年07月07日
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今ウインブルドンでのテニスの試合をNHKでやっている。テニスには興味はないが、テニスの試合を見るたび、不思議に思う事がある。別にテニスに直接関する事ではない。皇室の方々の事である。皇室の皆さんはテニスをなさる。私の大好きな美智子妃も、勿論テニスが得意。時々皇室特集みたいな番組でテニスをされる様子が流される。その時いつも思ってしまうのである。いつもはスーツや着物で上品な方が、テニスの時は下腿丸出しで、足はパーッと開き、スコートがめくれても平気なのだな、不思議だな、と。何とゲスな私ではないか、ごめんなさい。
2004年07月03日
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7年前の7月、留学先のイギリスで私は1人暮らしをしていた。北ロンドンにある、イギリス人とインドネシア人の夫婦が大家だった。女の赤ちゃんがいた。ハウスの店子は私を入れて3人、後の2人は男性だった。隣の部屋に42歳のアイリッシュ、下の階にはマレーシア人、そして、一番下の部屋にはポーランド人のおばあちゃんが住んでいた。みんな国が違っていた。ヨーロッパの夏は日が長く、パブで呑んで帰ってもまだ明るかった。学校の帰り、友人とパブに行き、シャンディやギネスをちょいと引っ掛けたものだった。同じクラスにいるというのに、ポーランド人やブラジル人はぺらぺらと英語が口から出てくる。特にポーランド人は、油を飲んできたように舌がよく回っていた。韓国人は日本人が嫌いのようだったが、個人的にはあなたが好きよ、と言ってくれた。フランス人の男性が同じクラスにいて、鼻からフガフガとしゃべるので、時々鼻をつまんでやりたくなって困った。あの頃は、ロンドンに行って3ヶ月の頃で、外国での1人暮らしにも少し慣れ、皆がほっぺたにチュッとキスをするのにも大分慣れ、後からこっそりハンカチで頬を拭いていたのを止めることができたころだった。日本に帰ってきてもう4年以上がたつ。ロンドンに住んでいた年数より永い時間がたった。あの頃のクラスメートたちはどうしているだろう。懐かしく想い起こされるが、今は世界じゅうがきな臭く、海外に行くのがためらわれる。今は黙って仕事に専念という事かな。
2004年07月01日
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