京極夏彦『今昔続百鬼―雲』
~講談社ノベルス、 2001
年~
『塗仏の宴 宴の支度』
『塗仏の宴 宴の始末』
にも登場する多々良勝五郎先生が活躍(?)する中編集。伝説に興味を持つ、弟子(?)の沼上蓮次さんの一人称で物語は進みます。
それでは、簡単に内容紹介( 2006.07.23
の記事をほぼ再録)と感想を。
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「岸涯小僧」
昭和 25
年初夏。俺は多々良センセイとともに、伝説巡りのために山梨県に訪れていた。夜中に山で遭難しまい、さらには山から滑り落ちてしまうのだが、そこはもう川沿いの村だった。川で、なにやら人間がとっくみあうような音がして、さらに悲鳴、「カッパか」といった声が聞こえた。事件かと思いあたりを探したが、人は見あたらず、センセイは夜遅いというのに大きな農家に宿を請うた。その家の主人―村木作左衛門老人が無類の妖怪好きで、センセイと二人で長々と河童について語った。翌日、昨夜の物音が何だったのか、川に確認しに行くと、そこには死体があった。
「泥田坊」
昭和 26
年2月。俺と多々良センセイは、信州の山奥にいた。やはり迷っていた。やがて村にたどり着いたが、空気が異様だった。あらゆる家が、魔除けのようなものを出し、戸口をかたく閉ざしていた。物忌みをしているようだった。ただし、ひっそりとした村の中で、一人だけ怪しげに動く人物がいた。「タオカエセ」と聞こえる言葉を叫びながら。俺たちは、村中で物忌みをしているのに泊めてくれるところはないと思っていたが、男性がとめてくれた。そこで、村の習俗を聞いたのだが、各家の運勢を知ることができるという占いのために、まさにその男性の父親が出ているというのだった。神社へ行き、その日のうちに帰るはずのその父親は帰ってこず、翌日、死体で見つかった。死体が見つかった神社への足跡は、一人分しかなかった。
「手の目」
昭和 26
年、「泥田坊」事件から東京へ帰る途中、俺たちは、金銭面で困ったところに助けに来てくれた富美さんとともに、上州(群馬県)に立ち寄った。ところが、三人がとまった宿の主人が失踪したという。背景には、村の貧しさと、そこへ訪れた金持ちのばくち好きな座頭の存在があった。村の男たちは、村の財政をたてなおすために、座頭と博打をしていたのである。富美さんの言葉におされ、多々良センセイと俺は村人たちのために、座頭と博打をうつことになる。
「古庫裏婆」
昭和 26
年秋、俺たちは山形へ向かった。東京で開かれた「衛生展覧会」で木乃伊を見て、その出所でもあった山形へ行くこととなったのである。しばらく順調に行っていた旅も、宿で一人の男と相部屋になってから、悲惨な事態へとつながっていった。その男に、荷物一切を盗まれたのである。その男から聞いていた、旅人を無料でとめてくれるという寺のようなところへ行くことにした二人だが、そこはまさに展覧会に木乃伊を「出品」したところであった。また、「出品」された木乃伊に不審な点があったことから、東京から刑事もやってきて…。
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村木老人の養女、富美さんが物語のまとめ役をつとめます。古い文献も読んでいて、妖怪についても的確な指摘をします。多々良先生は妖怪のことしか考えていませんし、沼上さんはツッコミで忙しいので、非常に重要な役回りです。
「泥田坊」は、あえて殺人事件の方に力点をおいて紹介を書きました。いわゆる「雪の密室」の状況が好みということもあり、また泥田坊をめぐる解釈も面白く、好みの物語でした。
どれも、妖怪の謎解明が事件の解明につながるのですが、特に強いリンクを感じるのは「手の目」でした。多々良先生の無茶苦茶な解決も痛快です。
最初の3編は『メフィスト』初出ですが、最終話は書下ろし。こちらには、里村先生や京極堂さんも登場し、嬉しい1編です。
久々の再読ですが、今回も楽しく読みました。
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