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メールを送受信すると、2人乗りヨット世界選手権の速報が入っていました。うがぁ~、次男君と同級生だった当ジュニアクラブOGちゃんが、北京オリンピック代表になれませんでした。アテネに続き残念です。ここまで駒を進めた女子3チームは粒ぞろいで、世界選手権13レースの本日最終日の最終13レース目まで、代表が決まりませんでした。彼女は負けたとはいえ、世界選手権18位です。他の2艇が、12位と17位でした。初日は上々の滑り出しで、トップ5に入っていました。前半戦は他の日本選手に対してリードしましたが、去年の世界選手権で2位だった本命さんが追い上げてきてあせったのか、強風のレースでひっくり返り痛恨のリタイヤして、そのレースはビリの得点を取ってしまい、逆転されてしまいました。それでも全13レース中、最悪の1レースはカウントされないので、もう失敗出来ないけどまだ大丈夫でした。そして次の日、トップを取って息を吹き返し、本命さんにプレッシャーを与えます。そして昨日、本命さん以外の2艇は、スタートをフライングして、再びビリの成績を取ってしまいました。本命さんも、去年から続けてきた本調子に程遠く、今一な成績が続いていましたが、他の2艇がこけてしまって、10点以上差を付けて最終レースになりました。ヨットレースの得点は、1位が1点、2位が2点・・・という単純なもので、全レースの得点を合計して少ない点数の方がより上位になります。結局、最終レースは、10数位の差が付かず、そのままの順位で終わりました。女子のオリンピック代表は、昨年の全日本で男子選手をも凌駕して、史上初めて女子の全日本優勝者になったKさんです。次男君がアセアン選手権に選ばれた時、一緒に選ばれた子のお姉ちゃんです。女・女・男の3兄弟で、我がクラブのメンバー3人で組んで出場したチームレースで、彼女のチームに準決勝で負けた経験があります。家は神奈川県で遠いのですが、お母さんとも親しくお付き合いさせていただいていました。喜んでるでしょう。おめでとう。
2008/01/30
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こないだの日曜日、次の日曜日に弟の義理父の一周忌で、彼女の実家を訪問するので、そのご仏前を買いにデパートに行きました。我が家の分と、母の分です。日持ちのする和風お菓子と、バームクーヘンにしました。デパ地下を家内と一緒にうろうろしていると、御茶屋さんがあり、ついでにその翌週にある父の一周忌のお返しも買いました。「ここのお茶、おいしいのよね」と、私には全然わからない名前のお店の前で止まって。それが包装し終わるまで、少し時間があるので、1Fに上がりました。1月だというのに、ひな祭りのお飾りが並んでいます。女の子のひな壇はかわいらしいです。でも値段を見てビックリ。二十数万円・・・四十・・・、こんなに高いの?横には、ケースに入った日本人形さんもいます。でも、これは、夜中見たら絶対怖いですね。女の子の人形って、なんかそういう雰囲気があります。「女の子を作らないように、言っとかなくっちゃね」って、完全にお婆ちゃんの発言をしています。まあ私自身も、そういう目で見てるんですが。長男君の時は、ケースに入った武者人形を買いました。今でも玄関に飾られて、買ってからずっと5月だけの物ではないです。次男が生まれた時も、同じような人形を買いました。私は同じようなのが2体あっても仕方ないんじゃないの?と思ったのですが、家内が同じようにしてあげなきゃって買いました。それは今、何故か私の部屋に飾ってあります。隣の家には、私と弟が使っていた段になったセットがあるので、わが子君がそれを引き継ぎました。私や弟が5月なると遊んだ人形セットの中の弓矢や刀で、わが子君たちも遊びました。刀には修繕した跡があり、ちょっと曲がっています。これは確か、私が何かに切りつけて折ってしまった跡です。そういえば、もう何年あれを出していないだろう。それから、大きな鯉のぼりも買いました。2Fのベランダから5m以上あるポールを立てて、定番の歌そのままに、屋根より高いところで泳いでいました。近所では一番大きく高く泳いでいました。あれを毎朝ロープで上げるのを、子供達は喜んでいました。幼稚園児の身長の5倍以上はあった大きな鯉だったから、とても大きく感じたはずです。久しぶりのデパートで、素敵な思い出が蘇りました。
2008/01/29
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2人乗りヨットの北京オリンピック日本代表最終選考会で、琵琶湖出身のM君が代表になりました。私も大学時代乗ってたし、次男もこのヨットに乗っていました。今日本のトップレーサーが最も多く集まっているクラス470級。昨年の世界選手権で、オリンピック参加国別枠を男女1つずつ獲得しました。日本人トップになるとオリンピックに出場できます。男子代表になるためには、11月の全日本でトップ20に入り、12月の2次予選の出場権を得る。2次予選でトップ4に入り、最終予選になる世界選手権の出場権を得る。最終予選でオリンピック代表枠を得る。という具合になっています。次男君は、過去2度2次選考会まで残りましたが、昨年11月の全日本では20位に入れず、そこでおしましになりました。でもこのとき、M君も20位に入れませんでした。実力的には、2年連続2位だったから十分でしたが、レース中日に、M君をサポートするコーチボートとぶつかって船を壊してしまいました。M君は、次男が小3でヨットを始めた時、ジュニアのスーパースターでした。同じ近畿地方のジュニアクラブだったので、次男が出るレースではいつもM君が優勝していました。M君は全日本でも優勝したレーサーで、次男君にとっての憧れでした。M君のお父さんは、ジュニアヨット協会の理事長もしているぐらいの人でしたが、とても気さくで、当時弱小もいいとこだったうちのクラブの子や親御さんを琵琶湖に呼んで、合同練習やレースに誘ってくれました。私がジュニアヨットの理事になったのも、M君のお父さんがお辞めになるので、近畿からの理事がいなくなるからと、私を誘ってくれました。M君はヨット部のある大阪の私立高校に進学しました。次男は中学からM君と同じ学校に進学したのですが、M君がいるからというのが強い動機でした。更に大学は別ですが、同じ琵琶湖を本拠地にするようになりました。彼のヨットにとってのスーパースターM君を、ずっと追いかけていたような感じです。そのM君が、まさかの全日本敗退とは、さぞかし残念だろうと思っていました。でも全日本前にあったオリンピックウィークというレースで、2次選考会出場切符を既に獲得していたようで、2次選考会に駒を進めました。2次選考会では、3位で最終選考会である世界選手権へ駒を進めました。2次選考会トップは、アテネで銅メダルを取ったS君です。S君は、M君の前のジュニア界のスーパースターです。このレースで、S君はオリンピック代表への持ち点6点を獲得し、3位にM君は3点です。世界選手権前半の予選でおおむね30位がゴールドフリートに入り、それ以降はゴールドの中だけでのレースになり、予選でシルバーフリートになったら、その中で優勝しても、総合順位はゴールドのビリの次の順位になります。ゴールドフリートに進んだ日本チームの中で、上位から4点・3点・2点・1点と獲得します。さらに最終成績で20位以内だったら、1位より20位までさらに得点を得ます。今までの世界選手権の実績から言えば、S君との3点差を逆転するのはかなりハードルが高いです。オーストラリア・メルボルンで行われている世界選手権前半は中軽風で、日本人得意な風域になりましたが、M君以外あまり走らず、前半終了した時点でゴールドフリートに残ったのはM君だけでした。M君は4点を獲得しましたが、ゴールドに残れなかった他チームは0点で、もう点数を獲得する術がなくなり、M君の合計7点が最高になり、あっけなくオリンピック選手が決まってしまいました。3チームは、ゴールドに残ると思っていたのに、意外な結末でした。メルボルンとは時差が2時間で、前半最終日の土曜日の夜に、世界選手権ウェブサイトに成績が載りました。早速M君のお父さんに「おめでとうメール」を送りました。そして今日、「私も驚いています。またしゃべろう」と返信が届きました。多分土曜の晩から、いろんなところから祝福の連絡が続いたのではないでしょうか。
2008/01/28
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民主党の菅さんが、ガソリンにかかっている暫定課税継続に反対している党の方針に従わない議員に、議員辞職を迫っているとニュースで流れていました。私は、ガソリン暫定課税継続には反対ですが、反対議員に議員辞職まで迫るのはやりすぎだと思いました。小泉さんが、郵政選挙で党の方針(自分の方針)に反対した議員を公認せず、更に刺客まで送りました。人としてとてもひどいことをするものだと人間性を疑いました。そこまでいかないにしても、菅さんはやりすぎだと思います。そこまでするなら、二大政党制を目指さず、少人数のカルト的な政党を目指せばいいと思います。二大政党制を目指すなら、もっと党は様々な意見に寛容でなければ、常に分裂を繰り返し大きくなれないと思う。党方針を決める時、いろんな意見が出て、多数決で党方針が決まり、自分の意見を変えて党方針通り投票する人もいれば、反対投票を通す人もいていいと思う。あえて白票を入れてもいい。税金で政治活動費用をまかなうように変わり、まず受け皿である党に入り、そこから所属議員に配られるようになった。各議員は、政治信条とは別に、資金を握られている党の方針に反対しずらくなった。党籍がなくなると、国からの収入がなくなるという圧力は、大きいと思う。党幹部は、もっと寛容でないと。ほとんどの意見が一致しているからその党に所属していると思う。たった1つの意見の違いで仲間を切り捨てるのは・・・自民党が苦しんでいるが、小泉さんの非常なやり方に批判を持った私のような人がいることも原因だと思う。「政治というものは非常なものです」とご自身で言って、平然と行ったあのやり方は、とても子供達の見本にならないと思う。安倍さん、福田さんが、徐々に小泉さんの非常さを修正しているが、傷は深いようだ。小泉さんのおごりに対する批判で民主党に風が吹いていると思う。菅さんがこんな発言をしては・・・残念です。
2008/01/26
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「きみを想う夜空に」ニコラス・スパークス ★★待望のスパークスさんの新作です。ただ毎日同じ行動をし、郵便配達というルーティング仕事を淡々とこなす父親とずっと暮らしてきた少年ジョンは、大学への進学に意欲が湧かず、地元の落ちこぼれ達とアルバイトで日々の生計を立てながらサーファーをする生活をするようになった。父親の生活ぶりに反発し、会話のない父親との生活から逃れる気持ちもあり、GFとの破局を契機に自分を変えようと軍に志願する。軍の規則正しく厳しい生活は、彼を変えた。1年後の最初の休暇、彼は家に帰ってきた。父親との関係を修復しようと試みるが、うまくいかない。でも以前より父親への感謝の気持ちは大きくなったようだ。久しぶりのサーフィンをしている時、浜辺でサヴァナと運命の出会いをする。彼女は山の方に住んでいる大学生で、今まで会った誰よりも素敵な人だった。彼女も彼を気に入ってくれている。でも2週間後には軍に帰るためにドイツに出発しなければならない。あと兵役は1年。たった1年我慢すればいいだけだった。・・・除隊の日をカウントダウンしているそんな時、あの9.11が起こった。そして・・・ここから、2人の運命をいろいろ想像させながら・・・こういう展開になっていくのか。ティムというもう1人の気の優しい男性をも巻き込みながら、感動のラストに流れていく。スパークスさんの作品は、劇的な展開もハードボイルドもないが、心にじんわり染みてくる。生き方の本質に訴えてくる。男性の本当の変わらぬ優しさを、ピカ一にうまく描くと思います。これも期待に違わぬ作品でした。また来年の新作を待ちましょう。
2008/01/25
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TVで「達人」とかの特集をすると、よく登場するのが空手家です。グーで重ねた瓦を割ったり、チョップで束ねた竹刀を折ったりします。鍛えると筋肉が増し、スピードやパワーが付くのはわかります。それで、常人では割れないような枚数の瓦を割れるのでしょうし、竹刀をいっぺんに何本も折ることが出来るのでしょう。でもね?痛くないの?私は高校でヨット部に入ったとき、砂浜を裸足で走るように言われました。最初は、「イタタ、イタタ」とゆっくり、そっとでしか砂浜を歩けませんでした。先輩は「何やってんねん」と笑って走っていましたが、同期はみんな私と同じで、「あんなん出来っこない」と言ってました。強い日差しになってくると、更に熱いも加わりました。でも毎日それを続けていると、足裏の皮膚が厚くなり平気になりました。走るのも平気で、熱さも感じません。さらに、多少のガラス片なら、刺さらなくなりました。我ながら驚きです。そして、同期みんながそうなりました。そういう経験があるので、インドかどこかでやってる火の上を走るのがありますが、あれはずっと続けていれば私だって出来るだろうと思います。おまじないの性じゃなくって、毎日続ければ誰でも出来ると思っています。でも、空手の瓦割りで痛くないというのは、どうも疑問です。多少は痛くなくなるのかも?とは思うのですが、グーで瓦を割るときの瓦と当たる部分、チョップの部分・・・こんなとこがそれほど分厚くなるようには思えません。痛みを感じる細胞がバカになってしまうのでしょうか?でも密かに思ってるのは、「すごく痛さを我慢してるのでは」ということです。瓦を割る前に、足の位置を決めて、何度かグーを往復させながら、タイミングと気合を入れていますが、それと同時に、「痛いけど我慢せなあかんぞ」とか、「痛そうな表情をしたらあかん」と自分に言い聞かせているのではないかなあ。
2008/01/24
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正月、箱根駅伝でたっぷり感動しましたが、箱根で走るような特別な方ではなくても、素人で楽しめるイベントはあります。私は軟弱なので、ヨットレースという肉体を思いっきり使うというより、道具を使ったレースを1年中楽しんでいますが、もっと肉体の限界を追求しながら、マラソンほど過酷でないものがありました。『スーパーママチャリグランプリ』1月に、寒風が吹き降ろす富士スピードウェイ・F1コースで行われた7時間耐久レースです。ユーチューブで、これを発見して、「すげ~」と思ってしまいました。毎年やってるようです。静岡県在住の方には有名なレースかもしれません。ひょっとしたら、首都圏でも知ってる方は知ってるレースなのかも?ウェブサイトを探したら、今年は、雨というコンディションなのに、参加選手が8000名も集まったそうです。なんというメジャーなレースでしょう。400チーム以上が、雨の中を7時間、完走したようです。脱帽です。もうちょいと近ければ、悪友を誘って思わずエントリーしてしまいそうです。元ヨット部員の知り合いに連絡したら、レースシーズン前のトレーニングにと、乗りで参加しそうです。完走できたら、「自分を褒めてあげたい」ときっと言うでしょう。次回開催まで1年、トレーニング期間と、レース用ママチャリのチューンナップの時間はたっぷりあります。なお、レースクイーンとしての参加も有りだそうです。誰かがレースクイーンとして、うちのチームの応援に、日傘を差しながら、まぶしい姿でやってくるかもしれません。なんて事を考えていると、なにやら楽しい気分になってきました。
2008/01/23
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卓球の全日本選手権が終わったようです。卓球というのは、冬がシーズンなんでしょうか?TVで卓球のニュースが始まると、四元さんが出てこないかなと見ていました。話題の四元さんは、卓球の愛ちゃんには勝ったけど、足の故障だとかで準決勝だったか決勝で棄権してしまいました。残念でしたが、披露する予定だった衣装があるからと、それを披露していました。それが笑顔でいいんですね。ビーチバレーとかもビジュアル先行のペアがいますが、私的には、四元さんがかわいくて、孤軍奮闘がんばってる感じで好きです。とかく根暗のスポーツの代表とされる卓球。卓球の愛ちゃんでちょっとメジャーになりましたが、彼女は勝負に真剣すぎて、今一だなあと思っているところに四元さんが出てきました。いいですね、彼女は。愛ちゃんはすごいけど、幼稚園の頃でもお母さんにバンバン怒られて、泣きわめき、私にはかわいそう過ぎました。ところで、スポーツニュースで、連日卓球選手権の試合の様子が流れていて今回も感じたのですが、いつも卓球の試合を見ながら疑問の思うことがあります。「何で、ショットが決まったら、ラケットを持っていないほうの手でグーを作り、ターとか言うのでしょう?」最初は卓球の愛ちゃんの癖かなあと思っていたのですが、いろんな選手がやります。そして、本当は何て言ってるのだろう?「ター」と聞こえるのですが、「やったー」の「ター」なのだろうか?「ヨッシャー」の「シャー」なのでしょうか?ニュースで流れるたびに、耳を済ませて聞いているのですが、うまく聞き取れません。多分10年ぐらい疑問に思っています。
2008/01/22
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ツマガリの社長の話。関西の食通の間では有名なお店です。甲子園球場のある西宮市の山手、甲陽園にあるお菓子のお店で、数箇所の百貨店にも出店しています。現在、国内最強のブランド力を持っていると言われるお店です。もうすぐバレンタインデーですが、クリスマスとかそういう行事になると、どこからともなくツマガリの名前が漏れ聞こえてきます。誰かの誕生日ケーキにツマガリで・・・なんてのも聞いたような・・・。大手お菓子メーカーの取締役を退職して独立したという経歴から、スマートな紳士を想像していたのですが、白い服を着て、お菓子屋さんの定番である高い白い帽子を被った恰幅のいいおじさんがしゃべり始めて、その想像が間違っていたとすぐに気づきました。全くしゃべり慣れておらず、現場のたたき上げというしゃべり方で、スマートなしゃべり方でも、ストーリーのある講演でもなく、さらに声まで歌手にはなれないなというものでした。でも、多く集まっていた私のように者達は、その話に聞き入っていました。あちこち飛ぶ話から、にじみ出ているエッセンスが、容易に頭に入ってきました。大手メーカーで実現できなかったものをするために独立したのか、独立してからそうなったのかわかりませんが、野菜・砂糖・牛乳・果物・・・本物の食材にとても気を使っています。その原点は、宮崎の田舎で暮らした子供の頃の記憶から出ているものでした。父親が家を出て行き、母親が命を精神的におかしくなり、子供の頃から働かなければ食えなかった。台風は大歓迎で、山ではたくさん食べられる実が落ち、浜でも多く魚が上がった。田んぼに入ってタニシやドジョウを取っていたが、ある時、田んぼに入るのを厳しく叱られた。農薬がまかれるようになったからだ。子供が入らないように紐で囲われた田んぼ。タニシもドジョウもいなくなった。川にいくらでもいたホタルが姿を消した。今は大分マシになったが、当時の日本と同様なものを今中国が大量に作っている。日本に輸出していたが、日本の消費者がそれに気づき、中国の方がそれを消費している。タニシもドジョウも虫さえ食べないような物が体にいい訳がない。それが、何も手入れしなくても育つアルゼンチンのサトウキビから出来る砂糖、牧場内サイクル(牛の糞-土壌-草-牛)をしている北海道の牧場と直接取引している牛乳、玉子・イチゴ・・・、の使用にこだわる姿勢につながっている。食の仕事なので、身体に悪いものを使ったり、作ったりしてしまったらと臆病になってしまうそうです。本物の牛乳には、甘みがあります。本物の玉子は・・・。本物の砂糖は身体を害しません。東京への出店など、全百貨店から出店要請は届くが、自分のできる範囲でしかやらないことが世間様に対する責任だということを話されていました。人の身体は、食物から出来ています。どんなに味付けを工夫しても、素材が大事です。素材で身体が作られます。本物の季節の素材は、実においしいです。シンプルな味付けで十分です。それを聞きながら、取引のあるある中堅メーカーさんのことが頭を横切りました。いい商品を作るメーカーで好きなのですが、平気で売れ筋商品を半年とか品売れにする。その商品に使われている特定のメーカーの原料が手に入らなくなると、代替品に変更して製造を続けることをしない。一番いいものをという、大手メーカーでは出来ないことに、こだわっている。これが、価格ではないファン層を新たに作っていくのだろう。
2008/01/21
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今日の午後浅い時間、お母さんと小学校高学年の子供1人というペアをよく見かけました。関西では、今日が国立・私立中学の統一受験日です。私の母校など数校が、明日と合わせて、2日間受験です。私が受験した頃は、受験は1回だけでしたが、最近は複数回受験が可能になっており、来週末まで毎日のように数校の受験があります。でも、大半の人は、今日第一志望校を受けるのでしょう。私も家内も、1校しか受験できなかったので単純でよかったのですが、14年前の長男の時は、受験システムが変わっており、前受けとか滑り止めとかも含めての複数受験をしたので大変でした。ここはプロに従ってと、塾に勧められるまま5校受けて、3勝2敗でした。前受けで受けた奈良のトップ校の敗戦は、予想通りだったし、合格しても通学に時間がかかりすぎ行く気はなかったので平気でしたが、この統一受験日に受けた兵庫県の本命校の敗戦は痛かったです。塾の志望校別クラスでは、余裕で例年の合格者以上の成績だったので、まさか敗戦とは思っていませんでした。長男の受験の嵐が過ぎ去って、親なりに考えました。受験本番慣れするために、行く気もない奈良の学校を2校前受け受験しましたが、あれで疲れてしまったのではないか?道中というより、「遅れてはいけない」「体調を崩してはいけない」親子で不安な気持ちで学校に向かい、帰ってくる。受験後、合格発表までの不安定な気持ち。精神的にかなりきついです。家内は、もう付き添いはこりごりと、2年後の次男の時はリタイヤしてしまいました。自分の受験ならともかく、子供の受験中、講堂とかで待ってる時間、周りの受験ママ達のひそひそ話が、耳ダンボで聞こえてきて落ち着かないそうです。その会話も、日常会話ではなく、「オタクのお子さんなら大丈夫よ。うちなんて・・・」「あそこ受けるの?」「落ちたらどうしよう」のような、女性特有のものです。家内は理由もなく同姓で話すのが好きではなく、1人で決めて行動する男性タイプの性格なので、平気だと思っていましたが、そうでもなかったようです。結局長男は、第一志望校不合格後に受けた、第二志望校に通うことになりました。長男で学習したので、次男の時は、第一志望と第二志望校だけをシンプルに受けました。前年の震災によって京阪神統一受験日が崩れてしまい、大阪の統一受験日と兵庫の統一受験日に両方受けました。本当は、大阪の第一志望校を2回受ける予定でした。統一受験日では、行きたいクラスの募集人数が若干名で、後期試験の時にそのクラスの生徒全員を取ることになっていました。申し込み前に、若干名とはどういうことか電話で訊きました。「優秀な成績の子がいたら2~3名を上限に、そのクラスの合格を出します。基本は全員後期で取ります」ということでした。つまり一度しか受験機会がない超難関校に落ちた優秀な子を取ろうということでした。数百人受けて、トップの成績なんて無理だろうと、2回分の受験願書と受験費用を持って受験申し込みに行ったのですが、1回目で合格すると無駄になりますよと事務員さんに言われて、受け取ってもらえませんでした。結局、先に大阪の第一志望校の若干名に合格してしまいました。一番上のクラス志望でも、成績に応じて下のクラスの合格をもらえるので、不合格はないだろうと思っていましたが、結果通知を開けた次男の「合格した」が志望クラスだったのには驚きました。偏差値が更に上の兵庫の第二志望校の受験はリラックスして臨め、こっちも合格をもらえました。子供の受験の付き添いをしてわかったのは、付き添いはお父さんの方がいいです。男なので、周りの声も気にならずに、ちゃんと本の内容を読めました。兵庫の時は、前担当だった銀行員さんがおられ、男2人で受験とは全然関係ない話をしていました。でもお母さん方の中には、「ここにはいられない」と喫茶店に行く方や、一旦自宅に帰る方もいました。いかにも「落ち着いていません」という人がいました。父親は、子供とお母さんほど密接なつながりはないし、男同士なので変に気を使ったりしません。「どうせ僕がやらにゃあ」と、子供ながら覚悟を決めて度胸を据えている男の子には、適当に距離があり、気のつかない父親の方がリラックスして集中できるように思います。不安そうな、落ち着いているようないないような、雰囲気ですぐにわかった受験生の母子さん達・・・合格してたらいいね。そして不合格でも、一番子供に合ったところに行くことになると思います。要するに、通うことになった中学で、どうがんばるかが大事だと思います。
2008/01/19
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TVをつけて夕食を食べていると、「鹿男あおによし」のドラマの宣伝をしていました。何かどっかで聞いたような題名だぞ?と考えていたら、思い出しました。万城目学さんの小説です。森見登美彦さんと、私の中では双璧なけったいな、ケッサクな頭の構造を持ってる若手作家です。奇しくも京都の同じ大学出身で、お互いにライバル視しているらしいと、どこかで読みました。昨年の書籍の賞レースでは、万城目さんの「・・ホルモー」に森見さんの「・・歩けよ乙女」が一歩リードというところだったが、映像では万城目さんが先に制したようです。ただ、この人らの小説が映像になるとは、驚きました。しかも「あおによし」は、万城目さんの新しい本で、もう映像化されるなんて、原作発売前から映像化の話が進んでいたのかと思えるスピードです。そんな大物の作家か?吉本新喜劇の長編のような作品を映像化して、視聴者の心に響くものがあるのか?こんな俳優を使っていいのか?世も末だなあ・・・なんて思ってしまいました。当然、本編は見ることもなく風呂に入りましたが、頭のどこかで喜んでいる私がいます。森見さんの新作狸の話を買わなきゃなあと思ってる私がいます。
2008/01/18
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1/17またこの日がやってきました。ここらでは、この日は重要です。明日は・・だなあと思いながら昨日休んだら、5時半に目が覚めてしまいました。あれは、5:45でした。TVを点けてみましたが、東京キー局製作の全国ネットには、もう載らないようです。仕事場から見える市の電光掲示にも、いつもの情報が流れるだけで、一時の震災追悼一色が薄れています。でもまあ、その時間に手を合わせられたからいいかな・・・大変な経験でしたが、家族というものを再認識した出来事でもありました。近所の人との助け合いもありました。長男は中1でしたが、家財がひっくり返り、インフラが止まった自宅を眠れるようにした後、飯の種の仕事場の片付けに駆けつけてきました。午後になると、TVで有名になった場所が目の前なので、見物の方がたくさん来られました。「ここもひどいねえ」「僕、えらいねえ」と覗かれながら、黙々と片付けました。「覗くのなら、少しでも手伝ってくれたらいいのに・・・」とポツリと言った言葉が忘れられません。彼らにとって、きっとプラスの体験になったでしょう。従業員さんは誰も来ません。取引先の方が来られたのも2日後からでした。翌日になると、従業員さんが片付けている間、にわか店員さんとして「ありがとうございました」と手伝ってくれました。私は、神戸の親戚の無事を確認にバイクで・・・「学校は1週間休むわ」と、誰が言うでもなく、家の復興を最優先にし、家が住めなくなり、小学校に避難している人のために、なんか手伝ってくると毎日数時間行ってました。親が思ってる以上に子供は立派になってるものです。命を落とされた多くの方のご冥福を祈ります。
2008/01/17
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昨年夏より低反発マットの敷布団で寝ています。元来ベッドより畳の方が好きで、最近は減りましたが、ホテルのふかふかベッドで寝ると腰が痛くなるので苦手でした。夫婦揃ってせんべい布団が好きでしたが、TVでやってる通販番組に刺激されて、私用にこれを購入しました。「体型・体勢に合わせて適度に沈み、全体で体を支えるから、よく眠れますよ」といううたい文句に誘われました。今までは横を向いて寝ていたのですが、上を向いて寝ても腰の負担が少ないように感じます。家内も寝てみましたが、彼女は気持ち悪いそうです。寒くなり、購入時はわからなかった新たな魅力を発見しました。とても暖かいです。寝始めは同じですが、多分体温が逃げにくいからだと思うのですが、とても暖かいです。昨年までは、電気カーペットの上に布団を敷いていましたが、この冬はカーペットの電源を入れていません。寝ているとき、乾燥して風邪を引いたり、喉を痛めることが心配で、暖房も冷房を使いません。だから、電気カーペットは欠かせませんでした。この調子だと、このまま春まで大丈夫そうです。そのことを家内に話しましたが、やっぱり気持ち悪いから嫌だそうです。この商品、「とてもぬくいですよ」「暖房要らずで喉を痛めません」「CO2削減に・・・」など、別の切り口で宣伝出来そうです。
2008/01/16
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日曜日は、夕方映画を観にいくまで、来月の父の一周忌法要内容を決めるために、家内と一緒にうろうろしました。早いもので、父が亡くなってからもう1年です。2月は、父の1週間前に弟の義理父さんも亡くなったので、そちらの一周忌と、私の義理父さんの13回忌でもあります。バッティングしてはいけないので、随分前から、日曜日を割り振って日程を決めていました。場所も自宅と決めていたのですが、参加者が想定以上に多くなり、仏壇のある部屋ではスペース的に無理になりました。別の部屋を使えばいいのですが、仏壇がないし、母が使っているので掃除が大変ということで、急遽場所を借りることにしました。先週、父の葬儀もお願いした中学の同級生がやってる葬儀会館に仮予約し、食事もそこでするようにしましたが、お寺さんから「お寺でやりますか?」と提案いただき、その方が雰囲気が出るので、変更しようかな?ということになりました。あと1ヶ月なので、日曜日には、法要の場所と食事をする場所を確保しなければなりません。お寺は街中なので、駐車場の確保もあります。まず葬儀会館で、費用や内容の説明を受け、次にお寺でする場合を考え、お寺に近いホテルに向かいました。駐車場に車を入れ、徒歩でお寺に向かいます。生憎お寺さんは留守でしたが、近くの酒造メーカーがやってるレストランに寄ってみました。この1年、身内の法事が続いて、会席料理にはちょっと飽きています。小さな子もいるので、少し砕けた料理の方がいいかもしれません。酒ミュージアムみたいになってるし、ここがいいな。話を聞きながら家内と相談し、法要の時間も駐車場を利用させてくれるようなので、食事はここに決定です。弟、お寺、葬儀会館、ホテルと事後処理でいろいろ電話し、一件落着です。先週から考えていた案内状を完成させなければなりません。定型の文面を参考にしながらの作成ですが、日頃使わない言葉なので、あ~だこ~だ、なかなか大変です。弟の嫁さんの実家と家内の実家には、文面と地図を同封して郵送です。父の実家は北関東で親戚がみんな関東なので、来られないと思うのですが、はがきは出さなければなりません。父の兄弟は来るのかなあ?皆さん恒例なので、葬儀の時のように従兄弟の誰かがお供しなければならないでしょう。母の親戚への連絡をどうするか母に相談すると、あっさり、「来ないからいいよ」だって。来られなくても連絡はしないとだめなんじゃないのかなあ?父の親戚への文面は困りました。実の兄弟の一周忌に連絡をしないなんて出来ないし、無理して来られるのも悪いし・・・失礼のないような言葉を使わなければなりません。本家の跡を取ってる従兄弟とは、メールで連絡し合ってるので、その辺のことを伝え、うまくやってくれるようにお願いしました。本日、みんな発送して一段落しました。
2008/01/15
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日曜日は、来月の父の一周忌の用事であちこち行ってました。自宅に戻り、しばし休憩し、再び出発です。先月から首を長くして待っていた映画『白銀のシーズン』が土曜日から封切りになりました。まだ20代の頃だったと思うが、家内と見に行った『私をスキーに連れてって』以来のスキー場を舞台にした私の感性に引っかかる映画です。『海猿』の映画監督と田中麗奈の出る映画だからいいに決まっています。日曜日の夕方からなので、ひょっとしたら混んでるかもと思いましたが、スキーが下火ということもあるのでしょういつもの地元映画館の入りで、ゆったり観ることが出来ました。11月に観た『三丁目の夕日』は、地元で初体験の大入りで、家内と2人で驚きましたが、大阪などの大都会じゃないんだから、地元映画館はこうでなくっちゃね。一番席が埋まっていたのが、席の幅が広く一番観やすい特別料金席でした。他がゆっくり座ってるのに、そこだけ混んでる感じで滑稽でした。スキーに思いいれのある男の子が、奮発して彼女を連れてきたということなのかな?いい映画でした。最高でした。本編が終わりスクリーンがスタッフのロールをしている時も、誰も席を立とうとしませんでした。皆さんも余韻に浸っていたのでしょう。上映中数度、家内の横顔を盗み見ましたが、スクリーンに見入っていました。TVや映画に見入る家内の横顔を見るのが好きです。ちょっとストーカーが入っているのかもしれません。場内が明るくなり開口一番が「良かったわ」でした。誘った甲斐がありました。物語は、町営スキー場が雪の教会を作り、スキー場での結婚式で収入を増やそうとしました。その申し込み第一号カップルの花嫁が、1人で式の3日前にスキー場にやってきました。スキーが全く初めての花嫁と、元ワールドカップ選手だった今では町の厄介者スキーフリークとの物語です。学生の時知り合った家内を、私がやってたスキーツアーに誘ったのに似ているかも?無理やりこじつけです。そのツアーでは、スタッフからはずれ、私も正規料金を払ってお客さんとして参加しました。他のお客さんとのことや、新たな友達ができればいいなと、家内はツアーの初心者クラスでレッスンを受けました。レッスン後、少し一緒にすべり、疲れすぎないうちにホテルに戻りました。そして3日目、クラスみんなが緩斜面ではなんとか滑ることが出来るようになったということで、そのクラスのスタッフともどもみんなで、もっと空いてる雪質も雰囲気もいいゲレンデにバスで移動しました。みんなとても喜んでくれました。そのシーズンの最後、どうしてももう一度家内とスキーに行きたくて、パンフレットを持って家内の父親に許可を得に行きました。でも、そのツアーのスタッフに裏工作して、別に取った白馬アルプスホテルにペアで行きました。バスではなく、あえて電車にしました。昼間はスキー、ナイターゲレンデを一望しながら雰囲気のいいディナー。そして、フロントの人に勧められて参加した、小さな教会での結婚式。白一色のウェディングを、祝福者として経験しました。結局実現しませんでしたが、ここの教会で結婚式を挙げようと決めました。この映画の大切な脇役、雪で作られた真っ白な教会を観ながら、これを思い出しました。楽しかった数日が終わり、帰りの白馬の駅で電車を待ってる時に見た雪山、駅を吹き渡った一陣の風は、スキーシーズンの終わりを告げていました。映画を観終わり、車で家に向かっている時、家内に「あの時の小さな教会のことを覚えてる?」と訊いてみました。「白馬アルプスホテル覚えてる?」。運転で横を向けませんでしたので、「覚えてるよ」の言葉だけを聞きましたが、with微笑みで私の方に顔を向けてくれたのかもしれません。やっぱり映画はTVじゃなくて映画館ですね。お勧め度二重丸の映画でした。
2008/01/14
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片言の日本語をしゃべるお客さんが3日連続で来られました。最近増えている中国人かな?お嬢さんです。初日は、じっくり話を聞き、用途に合わせて数品目説明させていただきました。「お母さんにあげる」「高い。安くなる?」「一番いいの、どれ?」「う~ん」「・・・」悩んでいるので、「いつでもあるから、今決めなくてもいいんじゃないの?」と言うと、「ごめんなさい。また来る」と言って帰られました。翌日、「2つ買う。安くなる?」他のお店で買われたものを見せ、「これ、いい?一番いい?」と聞いてこられました。いろいろ説明すると、「あさって中国に帰る。明日来る」と帰っていかれました。そして3日目。「2つ買う」と、やってこられました。めでたく購入いただきました。チャリン、毎度あり。ところが数時間後、年配の奥さんが来られ、「あの~これ。私は必要なくなったから・・・この子が買ってくれたのですが・・・」と、後ろで恐縮している購入いただいたお嬢さんを見ながら。「返品ですか?大丈夫ですよ。そんなに恐縮なさらずに。でも、いいお嬢さんですね」と返品処理をしました。後ろで、お嬢さんが申し訳なさそうに何度も頭を下げています。「こんなのもらったら、彼女のアルバイト代より高くなっちゃうわ」「お幸せですね」「ええ、いい子です」と帰っていかれました。彼女が「お母さん」と言ってたので、実のお母さんへの日本土産として購入しようと思っていると思ってました。本当は、中国から来られたお嬢さんが、アルバイト先の奥さんにプレゼントして中国に帰ろうとしたのですね。中国での「お母さん」は日本よりもっと対象が広いようです。帰られてから、私だったらどうするかなあ?と考えていました。もう使わないと思っても、「ありがとう」と笑顔で受け取るように思います。そして後日、何かの機会に本当のお母さんが使うようなものを送るかな。よく遠慮されて「こんなのいただけないわ」と受け取らない方がいますが、私は「悪いねえ」「気を使ってもらわなくてもいいよ」と言いながら、遠慮せずにサンキューと受け取ります。受け取ってもらえなかった時、残った品を見ながらいつもがっかりするからです。遠慮するのは美徳かもしれませんが、それは自分から見た美徳だったり、世間から自分がどう評価されるかを考えていたりするんじゃないかなあと思います。そのプレゼントを用意するまで、その人のことを考えて多くの時間を費やしたはずです。プレゼントを受け取りことが、相手の気持ちを受け取ることになると思います。「気持ちだけ受け取っておくわ」という台詞は、実は贈る側が費やした多くの時間を無にしてしまうことだと思います。まず贈る側はがっかりすると思います。サンキューと受け取って、後日食事をおごったり、何かの機会にお子さんや家族へのプレゼントを返したりすればいいように思います。以前、次男君がヨーロッパ土産として、私でも知ってるブランドのコーヒーカップを家内に買ってきたことがあります。貧乏旅行をしたのを知ってるので、家内は遠慮し、お金がなかったのでお婆ちゃんへのお土産がないのを聞き出し、受け取りを断り、お婆ちゃんへのお土産にするように言いました。次男は、おばあちゃんに渡しにいきましたが、彼が行ってからすぐに家内に意見したことがあります。「あれ、お母さんの顔を浮かべながら、毎朝コーヒーを飲んでるお母さんに使って欲しくて買ってきたんだよ。お母さんにお土産を買う楽しい気持ちを壊してしまったよ。女性は花だから、ミツバチが寄ってきて、花粉を持ってくるの。それで華やかにしてると、ミツバチは喜ぶの。女性でお母さんなんて、プレゼントをもらう対象としては一番強い札だから、特に息子達からのものは笑顔で受け取ったげたら」と言いました。返品処理後、大いに温かいものを感じて、仕事をしていると、1時間ぐらいしてまたあのお嬢さんがやってきました。そして再び、「あれください」「お母さん、困っちゃう。必要なのに」とまた買ってくれました。「1つください。1つなら、お母さん受け取る」お金を払う段になって、「やっぱり2つにする」どれぐらい日本にいたのか不明ですが、好印象を持ったのでしょう。彼女にとって、このお母さんが日本なのでしょう。お母さんにとっても、彼女が中国だと思います。以前、中国人の女学生さんと文通していました。数年後彼女が、日本の国費留学生として日本にやってきた。寮が関東だったので、関東に息子のレースがあるとき、彼女をそこに呼んで、息子を含めて歓談し、プレゼントをあげた。学生を卒業し、彼女との文通は終わりましたが、今どうしているのだろう。
2008/01/12
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新聞を読んでいると、京都大学にiPS細胞研究拠点が出来るそうです。昨年11月だったか新聞に、皮膚幹細胞から卵子由来の胚幹細胞から、様々な体の細胞に分化する万能細胞(ES細胞)と同じ働きをする細胞を作ることに成功したと載りました。長男君が、院生時代その研究をしていたので、我が家ではインパクトのある話題でした。その時、その研究が世界的な科学雑誌にいつ載ったのか調べましたが、たしか9月だったような。それがこの1月に、施設を借りて立ち上げるとのことです。いきなり本年度30億円の予算が付いて、すぐに仮設研究施設を建設するそうです。数年後には、「・・研究所」という施設が出来るのでしょう。日本政府も力が入っています。長男が4回生の時、「あと2年勉強してもいい?」と言ってきました。どうするのかなと思ったら、先生から研究室に誘われているということで、「また入試勉強せなあかんなあ」と言ったら、先生から引っ張られているから、ほぼ無試験で通るねんと言ってました。学部に入学して、彼の成績は全く知りませんでしたが、クラブのHPでの息子の紹介では、「怒涛の如く単位を落としているツワモノ」とか書かれていたので、4年で学部を卒業するのか疑問でした。この話を聞いて真っ先に思ったのは、「ちゃんと単位とってたんだ」ということでした。しかも先生に引っ張られるなんて、勉強の方もようがんばってたんやと思いました。宴会隊長のキャラなので、クラブの紹介はそれに合わせたのかもしれないし、1回生で怒涛の勢いで単位を落としたから、2回生からがんばったのかもしれません。後で教えてもらったのですが、研究室の先生は、日本で初めてES細胞研究のために、人卵細胞の提供を倫理審査会に申請した先生で、この分野の日本トップの先生でした。日本のトップ研究者という番組で紹介され、その中で真剣な眼差しで研究している長男君も写ってました。10人ほどの研究員に息子をひっぱてもらえるなんて、幸せなことだなあと思いました。マウスでは、卵細胞から心臓まで分化させた実績を持った先生ですが、人の卵細胞の研究では、倫理という大きな壁がありました。そこで長男は、肝臓の体細胞からインシュリンを分泌するランゲルハンス島細胞まで分化させる誘導方法を研究していました。海外の最新研究が載るネイチャーなどの雑誌を翻訳し、実証実験もしていましたが、倫理規定がゆるく人卵細胞を他国より楽に使える韓国に抜かれたと言ってました。でも韓国トップ研究者の論文が捏造されていたことがわかり、一気に韓国は信用を落としてしまいました。倫理の足かせがあり、やっと人卵細胞使用許可が取れても、アメリカからの輸入に頼るという不安定な研究環境が、日本の工夫に発展し、今回の快挙に結びついたように思います。息子のやってたのは、内臓の幹細胞からの分化だったけど、京大のは皮膚からだから格段に楽です。患者さんの皮膚細胞からES細胞同様に、いろんな臓器の細胞が作れたら、画期的です。今日の新聞記事を読んで、ちょっと調べてみました。京大のこの先生のグループの長は、長男が入学した時の阪大学長さんでした。今は大学院教授に戻っているようですが、阪大と京大のいくつかの研究室を束ねている感じです。長男君は、こういうグループで研究させていただいていたようです。息子の担当教授さんも、また新聞に載るでしょう。ますますもってありがたい。私のような素人から見ると、青色ダイオード開発者とこの京大の先生は、日本人ノーベル賞候補じゃないかなあと思います。息子君がその中心でちょっと噛んでいたというだけで、無常の喜びです。親ばかですね。
2008/01/11
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日曜日の淡路島からの帰り、S先輩が「正月で3kgも太った」と言ってました。「毎日、運動やらされていたのになあ~」と嘆いていました。よく聞くと、運動というのは、テニスとかマラソンとかではなく、Wiiだそうです。乗っかるとか言ってたので、最近宣伝しているWiiのボードが付いてるやつだと思います。どういう風になってるのかわかりませんが、ボードに乗ると、最初に体重とかが出るそうです。片足バランスが難しいとか、スキージャンプーがどうとか・・・他の先輩が、ボーリングとかフラフープとか、なにやら盛り上がっていました。私以外の3人の先輩方は、みなさんお嬢さんをお持ちで、大学や卒業しててもお嬢さん達から、やらされているのでしょう。なんかいい年したおっちゃんが、娘に頭が上がらない家庭での絵が見えて滑稽でした。男の子しかいない我が家など、Wiiを買おうという発想がありません。ゲーム機は、指でチョコチョコ動かす親の目の敵にされる不健康な物から、学習する物に変化し、Wiiでついにスポーツにまで進化しました。次は、3次元ヘルメットをかぶって、バーチャル体験器具に進化しそうです。居間でアマゾン探検やスカイダイビングが出来るかかもしれません。果たして我が家に、この手のものがやってくることがあるのでしょうか?
2008/01/10
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昨日の続きです。港を出たところで漁船が網を入れています。無風で鏡のような海面です。機走6ノット強で西宮を目指します。往路はGPS指示通りに来ると、淡路島の観音さんより北に着いたようで、それから陸地沿いに南下したそうです。到着後修正したそうです。淡路島の高速道路から見た翼港(何度かお世話になりました)この船のGPSデータは、私がきちんと入れたはずなのですが、どうも毎回ずれます。真方位と磁気方位の差なんでしょう。その辺を勉強する必要があるようです。ホームポートに向けて大体60°方向に進路を取ります。津名からだと、それほど岸から離れず、淡路島の観音さんまでは岸と平行して進んでいます。はるか前方に漁船が数隻操業しています。近づくと回りの海面にかもめが休んでいます。かもめのいるところに魚がいるのか、漁船がいるところにかもめがやってくるのか、網を引き上げている漁船の網にキラキラ魚が光っています。大漁のようです。次に、たくさんの黄色ブイに囲まれた海域が正面に見えてきました。結構大きな海面を囲んでいます。どうも大阪方面に向けて広がっているようなので、淡路島寄りに回避します。あとで調べてわかったのですが、海苔養殖いかだが設置されているようです。明石海峡大橋から、明石-淡路島連絡船明石海峡と大阪の航路に差し掛かると、左右から本船がやってきます。スピードではとてもかなわないので、遠くに相手を視認しながら適当にスピード調節します。航路を渡ると、神戸空港と関西空港を結ぶ連絡船が前方を高速で飛ばしています。このころ、復路の2/3を過ぎて、やっと風が入ってきました。それまでも時々弱いブローが入ってきましたが、北気味の風向なのとすぐに止んでしまうので、ジェノアを展開したりファーリングしたりで今一でした。安定した気圧配置で天気がいいので、きっと海風が入って来るだろうなと予想していましたが、大阪湾の中央を過ぎて、中央から大阪平野に向けた海風が来たようです。機走スピードを落としてスピン展開です。スピンは半年振りです。前回は、8m/sぐらいの風で揚げたのですが、風のパワーに負けて、しっかり展開する前に次のジャイブにビビッてしまい、スピンダウンしていました。今回は、3m/sぐらいのいい感じの風です。スピンソックスがあれば、ピークとタック・クリューにシートをセットして簡単に上がるのでしょうが、ここはセットミスしないように動作を確認しながらスピンアップです。いつもなら私がバウに行って作業ですが、運よくステアリング担当なので、前で作業する先輩方を尻目に楽をしています。でもワイルドを入れちゃうとブームパンチが危ないので、マストトップの風見を見上げてのステアリングです。ホームポートから出てきたクルーザーがかなり前でランニングにしたのですが、スピンに手間取っている間に一気に追い抜きました。先輩達は、結構みなさんご機嫌です。ランニングなので、冬の冷たい風に吹かれないので割合温かいこともあるのでしょう。スターボでスピンアップしたのですが、どうも西宮港の赤灯台の下を通れそうになくジャイブです。ジャイブは、1年ぶりぐらいでしょう。メインを多少絞ってブームをある程度内側に入れ、メインのジャイブ幅を狭めます。ジャイブ後のスピンポール展開もスムーズでした。西宮港内に入り、スピンダウンです。4~5m/sに風は上がっていましたが、スムーズに作業できました。エンジンをかけ、船を回して風位に立てメインダウンです。予備タンクの燃料を入れてしまったので、給油桟橋に着けました。ハーバーの営業はこの日からのようです。予備タンクも含めて46L入りました。2日間で26L。往路は5~6時間、復路は3時間機走してたので、3L/hぐらいのようです。淡路島出艇前バースに回し、船を洗っていると、隣の桟橋のG2に人がいます。他の先輩さん達が新年宴会でもしているようです。G2艇に行くと他の先輩や後輩に加え、他大学OBさんとかが集まって盛り上がっています。「よう来た。まあ食ってけ」「今年も宜しくお願いします」と答えながら、座ったら最後夜まで帰れなくなるなと思い、復路で食べられなかった自宅から持参したカステラを置いて帰りました。エ号のくたびれたソファをハーバー内のお店に持って行き、修理見積もりをお願いしました。そんなこんなで、今年の初乗りがお終いになりました。
2008/01/09
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土日、初セーリングと新年会を兼ねた淡路島津名港行きを誘われました。土曜日は仕事だったので、日曜日のみ参加することにしました。日曜日、朝5時に起床です。カッパ・帽子・サングラス・靴をリュックに詰めてバイクで出発です。6時ごろ駅に着くと、いつもならいない自転車預かり所のおじさんがいます。年始だから張り切っているのでしょうか?電車に乗りJR舞子駅まで読書です。神戸を過ぎ、車窓から海が見え出しました。夜明け前の薄明かりの海です。舞子で下車して、淡路島行き高速バスに乗り換えです。長いエスカレーターに乗り、上空の明石大橋手前のバス停まで上がります。途中で朝のお勤めをこなし、バス停に上がると、ちょうどいい具合に7:15のJRバスがやってきました。この時間帯、目的地の津名港を通るバスが1時間に3本ぐらいあります。このバス停で時間合わせをするのか、5分ぐらい停車していましたが、寒い外で待つ時間がなくて助かりました。バスが出発し、明石大橋を渡り始めました。ちょうど日が昇ったところです。きっと大阪と奈良の県境の山から昇っているのでしょうが、もらっているので海上から日が昇っているように見えます。赤い太陽に照らされた海面に海峡を大阪方面に抜けた本船が2隻、いい感じです。リュックからカメラを出してパチリです。ついでに、明石大橋がかかるまでは淡路島の玄関口だった岩屋港もパチリ。高速バスは、普通のバス同様停留所案内の後押しボタンを押すのですが、降りる方がいなくても高速道路脇の停留所側道に入り、何度も降りる方がいないか確かめるのですね。市街地のようにバス停を過ぎても止まることができないからなんでしょうね。8時前に津名港バス停に着きました。家から2時間です。目の前の港に向かうとすぐにエ号が見えました。もう使っていないかつての定期船発着桟橋にたった1隻係留されています。5mぐらいあるだろう海底が見えています。すぐに、今回の幹事Kさんに電話を入れましたが、出られません。朝食と昼食を確保しようと道路に出て左右を見ましたが、ちょっと歩かなければお店がありません。コンビニも近所にありそうもないので、かつての連絡船待合所に入ると、バス待ちのお客さんが数名おられ、売店もあります。パンを確保しTVを見ながら朝食です。ついでに種類の違うジャムを2ビン購入しました。毎晩のヨーグルトのお供用です。8時半になり、今度はTさんに電話です。朝食を終え、あと15分ほどで船に来られるようです。いい天気で風はなく、温かくなってきそうです。カッパに着替え靴を替えます。と、先輩方皆さん到着です。何となく、一番下っ端の私がステアリング担当で復路出発です。つづく
2008/01/08
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3日は、最初船の初乗りの予定でしたが、風が日に日に弱くなって来たとはいえ、最高気温が9度で、風速も6m/sということだったのでやめにしました。9度の6m/sの海上では、風上に向かうと10m/s以上の体感になります。私はいいとしてもゲストには辛いだけでしょう。朝風呂に入り、食事して、都会に出かける家内を駅まで送るために外に出ると、横の町内掲示板に訃報が貼ってありました。ご近所さんが元旦に亡くなっていました。父の葬儀に、ご夫婦で来ていただいていた父の話し友達さんです。市内の葬儀会館なら必ず行くのですが、場所が大阪市内のキリスト教教会です。母に言っても、なんだかんだ理由をつけて行く訳もなく、「場所を調べて僕が行ってくるわ」と家内に告げ、駅まで送りました。母は、ご近所さんの葬儀に行くことはなく、いつも父が担当でした。父の葬儀のときも、「父が簡素でいい」と言っていたからと、家族だけでいいと言い出しました。ご近所様相手の商売をしている我が家が、人様から隠すような葬儀をしたら、どういううわさが立つか・・・自分の直の損得が物事の判断基準のようです。「親戚も関東で遠いから来ないでしょう」と勝手に決めていましたが、「僕が喪主をするから僕にみんな任せて」と言うと、急に「そうしてくれるかい」とコロッと変わります。自分は配偶者だけど、父の兄弟の気持ちなどを考えたことがあるのだろうかとがっかりです。自分に益のないめんどくさいことは、みんな嫌なようです。町内会長さんに連絡し、ごく普通の葬儀を終えると、「たくさん集まってくれてよかったねえ」と、最初に言っていた言葉をすっかり忘れています。家に戻り、教会の場所を調べて、正月なので大阪市内も空いてるだろうと車で出発しました。再び、携帯カーナビさんの出番です。教会の近所と思われる場所まで来て、駐車場に車を入れ、カーナビさんを持って歩き始めます。歩きながら手に持ったカーナビを見ていると、しっかり現在地が移動し、教会に導いてくれました。キリスト教会での葬儀は初めてです。式次第が配られ、チャペルの席に着き時間になると、牧師さんが式次第に従って、キリスト教式の葬儀の様式を説明してくれます。80歳で亡くなられた旦那さんは、22歳の時洗礼を受け信者になられたそうです。奥さんも結婚してから信者さんになったようです。日曜日ごとに礼拝に来られていたようで、牧師さんから故人の人柄などの話がありました。親戚・友人、私のような一般の人に加えて、信者さんもたくさん来られています。チャペルでの結婚式で聖歌隊の方がおられないと、列席の皆さんが知らない賛美歌が静か過ぎてしまらない時がありますが、これだけ信者さんがいるといい感じの賛美歌です。10月の結婚式以来、3ヶ月ぶりに楽しく賛美歌を歌えました。3曲の賛美歌と、2篇の聖書は、故人が生前選んでいたようです。亡くなる前日、牧師さんが病床の床で最後に故人に語った聖書の言葉も披露されました。キリスト教会や信者さんは、私の感覚では、互助組織という感じです。昔からバザーで不必要になったものを必要な方に譲る催しがあり、困っている信者さんを助ける献金がある。神を父として、信者さんはみんな兄弟。兄弟を助けるのは当たり前、という感覚がここにはあります。中学で親しんだ考え方で、牧師さんの言葉を聞きながら、とても気持ちよくなりました。中央に安置されているご遺体の左右に、クリスマスツリーと真っ赤なクリスマス花飾りがありました。牧師さんによると、クリスマス飾りは新年の七日まで飾れれるそうで、初めて知りました。キリスト教に馴染みのない方に、丁寧に説明する姿、賛美歌を歌うとき、「お体の具合のお悪い方は座ったままでいいですよ」と気遣う言葉が好印象でした。自宅に戻り、いただいたものをテーブルに載せておいたら、帰ってきた家内がそれに気づき、「いやあ、行ってきてくれたの。場所わかった?遠くまでご苦労様でした」と言ってくれました。キリスト教の葬儀の様子を話すと、式次第を見ながら、きちんとこういう風にされていていいねえと言っていました。家内も中学は、カソリック系の学校だったので、中学の時のチャペルや礼拝などの話で、楽しい会話が出来ました。
2008/01/07
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2日は、長男が帰ってくる予定でした。午前中に帰ってくるというので、家内が楽しそうです。私は箱根駅伝を見ながら、建具の修理をしていました。敷居のレールがずれていたり、いろいろで、スムーズに開かないふすまがあります。ほこりで動かなくなっている駒を掃除し、やすりなどで微妙な隙間を広げたりして、普請します。それにしても、箱根駅伝には毎年感動させられます。顔をゆがめてラストスパートする選手には、応援してしまいます。他校との競争に勝ち、クラブ内の競争をしのいで学校の名前を胸に走る。前走者から託された1本の襷を次の走者に託す瞬間は、やりきった充実感でいっぱいなんだろうと思います。次の走者が見えて、最後の力を更に振り絞ってラストスパートしている間は、どんな気持ちなんだろうと思います。走った者だけにしかわからないのでしょうね。昼過ぎ、食事をしていると長男が帰ってきました。TVを見ながら一緒に食べていると、「僕の同期に早稲田で箱根を走ったやつがおるねんで」と言い出しました。「それはすごいなあ」その彼は、母校のサポートに回っているのでしょう。走る選手は10人ですが、その数倍のサポーターが支えているのは容易に想像できます。私も大学のクラブを卒業してから随分経ちますが、いつも出身クラブを気にしていますし、練習やレースに、サポーターをしてきました。正式にコーチをしていた時期もありました。一銭にもならない持ち出しなのに、先輩も後輩もみんな、仕事をなんとか都合付けて、喜んでやってきます。そういう所に来れる自分が嬉しい。結果はどうあれ、充実した時間を過ごせるのは楽しいと思います。去年、4年間のぼり坂で無類の強さを誇った今井君を擁して優勝した順天堂が、今年は往路の最後の区間5区のフィニッシュ直前で、足がおかしくなり襷を繋ぐことが出来ず、失格になってしまった。前半の出遅れを取り戻そうと、区間2位の快走をしていたのに、突然の体調不良。気持ちと体調や実力を冷静に天秤にかけられなかったのでしょう。でも、こういうところがプロではない学生スポーツのいいところです。気持ちが前に前に行く荒削りなところが、観ている者に感動や勇気を与えてくれます。それにしても駅伝というのは面白いです。ランナーが変わると展開がガラッと変わり、順位の変動が多く、マラソンとは随分と違います。オリンピック種目になれば、きっとオリンピックの花形種目になるだろうなと思います。
2008/01/05
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元旦は、家内の実家と我が家、両方の墓参りに行きました。数日前までは、元旦は道路が空いているので、しまなみ海道に行く予定でいましたが、広島方面に雪の予報が出ており、風が強そうなこともあり変更しました。家内はもちろん、次男と母も同乗して出発です。母は、今まで家内の実家のお墓に参ったことがありませんでした。私の感覚では、息子が世話になってる家だから、参ってもいいのになあと思うのですが、誘ってもついて来た事がありませんでした。私の思考がが古すぎるのでしょうか、母のドライさに、あれっと思います。家内の両親が亡くなり、新たにお墓を移動したので、一度ぐらいは参らないとと思い誘いました。最初は行くと言っていたのに、また直前になって家内に「行かない」と言ってきました。うちのと2つはしんどいというのが理由ですが、息子や孫が運転する車に乗ってるだけで、フルフラットにすれば、布団敷いて寝て行けるのに・・・と思いながら、もう一度誘いました。再びOKで車に乗り込み、車内で1人でしゃべっていました。私が運転し、後ろで次男が母の隣に座って話し相手になっています。日頃母の機関銃しゃべりの相手をしてくれている家内は助手席で休憩です。この日は、携帯型カーナビの「ミニゴリラ」というのを買ったので、初めて使用しました。車だけではなく、歩く時にも使えると思って携帯型を買いましたが、しっかり道案内をしてくれました。お墓には、表からではなく裏道からの方が近いのですが、「おまかせ」モードで裏道を指示していたので、ちゃんとしたカーナビに劣らないなと思いました。価格は5万円以下だから、なかなかいい買い物をしたのかもしれません。実家のお墓は、新しく分譲された墓地ですが、多くのお墓に新しい花が添えられ、多くの家が年末に参られたようです。寒かったですが、天気が良く気持ちよくお参りができました。母も「きれいなお墓だねえ」とご機嫌でした。家に戻り、弟の家族が来るのを待っていました。弟は、元々しないといけないことをきちんとする性質で、とんでもない天気でも、きちんとするところがあります。私以上に古風な思考です。お嫁さんの実家がとても信心深く、建前とかもきちんとしているのもあって、毎年元旦には必ず両親に挨拶に来ます。昼過ぎ、弟家族がやってきました。幼稚園の姪が、着物をきています。姪を気に入ってくれている美容院をしているお客さんがいるようで、無料で髪と着付けをしてもらったそうです。それはそれは、きれいなかわいいお嬢さんが出来上がっていて、思わず「いやあ、きれいやなあ」と声を掛けてしまいました。さすがに女の子で、いつもより少しおしとやかに、みんなにきれいな姿を見せてくれます。自分の値打ちを知ってるようです。女の子のいる家庭というのは、こんなに華やかなものなんですね。今度は次男が運転で、私が母の隣で聞き役を引き受けました。うちのお墓に参り、帰りにみんなで食事してお終いです。お墓の中のじいちゃんも、唯一の女の子の孫を見て満足でしょう。
2008/01/04
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