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ある自立支援施設から、定期連絡が送られてきました。ここに書かれている理事長さんはじめスタッフさんの言葉から、毎回日頃経験できないいろんなことを感じます。『「障害者自立支援法」施行後、施設・作業所などの利用料が本人負担となる”応益負担”増しに耐えられず、多くの障害者が”引きこもり”状態に追い込まれ、生きる術を奪われてしまっています。社会的に弱い立場のあらゆる人が、人間的に豊かな生活が保障される社会に、地域にしていきたい・・・と願い、仲間と共に今年もまた、”真の自立・・・を”追求していきたいと思います。』という一文がありました。ココの支援施設、理事長さん以下ほとんどの方が、入所者の親御さんであったりで、障害のあるわが子に、少しでも社会とかかわる喜びを、という感じで運営されています。プロを呼んでのコンサートやバザーを定期開催し、地域の方向けに文化活動もされていますが、ベースはお弁当宅配や様々な製品製作で収入を得ています。僕が時々買ってる駅前のパン屋さん同様、障害者さんが障害の程度に応じて出来る仕事を分担してやってる。パン屋さんで「これ下さい」そして「ありがとう」と言ってそこを後にする時、満面の笑顔をしてくれます。なんか嬉しいんですよね。「生産性」「効率」「費用対効果」を考えれば、多くの人の助けを借りて通勤・勤務して、少ししか稼げないのより、家でじっとしてる方がいいのかもしれませんが、あの満面の笑顔を見ると、「何かを作って、誰かに買ってもらい「ありがとう」と言われることから、大きな満足を得ているのだろうな」と容易に想像できます。ご家族や周りの方の負担は大変なものなので、行政の支援がないとやっていけないと思います。際限なしとは思いませんが、誰でもいつでも陥る可能性がある社会的弱者へのセイフティーネットは、使える形であった方がいいなと思います。家族に1人そういう人がいることで、家族全体がズルズルとその負担から社会経済的活動から後退して行く方が、よっぽど非効率になるのではないだろうか。かつてのイギリスのように、厚い福祉目当のみ生きる生活者が増えて、経済不振に陥るような愚には気をつけなければならないが、運用に気をつけて本当に必要な人には、適切な支援が出来るような社会になって欲しいと思います。
2009/01/31
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最近TV宣伝がよく入ってる映画「誰も守ってくれない」を観にいきました。ウィークデーだったので、仕事後の最終上映、9時を回って始まります。「早寝早起きの家内には負担が大きいかな?」「テーマが重いので観たくないかな?」と思いながら家内を「一緒に行く?」誘うと、あっさり「行くよ」。一目散に帰宅し、車に乗り換えて映画館に急ぎました。開場案内がされて5分ほどして家内と2人で入ったら、なんと劇場内には誰もいません。大都会ではない地元の映画館なので、まあよくあることですが、上映1週目だというのに「僕らだけの貸切?」と思われる状態が、上映時間直前まで続きました。結局、10人ぐらいで映画を観ました。「殺人事件の加害者家族を保護する刑事」が主人公の映画なので、重い映画なのかなと思っていましたが、「面白かった」という表現はこのテーマの映画に合わないのでを、「とても良かった」という表現にしておきます。初めからガンガン映画に引き込まれました。主演の佐藤浩市さんは、前回見た「クライマーズハイ」同様、こういう陰のある役はうまいです。そして木村佳乃さん、綺麗でした。「蝉しぐれ」での綺麗さに圧倒されてからご執心ですが、すこし鼻にかかった話し方といい心をくすぐられます。家内には言わないけどね。帰りの車で、「事件を追いかけ加害者家族にインタビューを迫るマスコミって、あまりいい仕事じゃないねえ」と家内。クラブの後輩に、卒業後朝日新聞に就職し、社会記者をしてて辞めて、大学に入り直し精神科の医者をしてるヤツがいることを話しました。仕事を辞めた経過は聞いてないけど、「いろいろありまして・・・」とだけ言ってたな。安定した収入が定年までまあ安泰な新聞社を辞めて、また長い勉強に戻ったんだから、よっぽどのことがあったのでしょう。映画の中に登場する最初きつい言葉を発していたが、事件が彼の許容する範囲を超え、加害者家族への過度の追い詰めに、何となく自問している風の記者の姿とダブってしまいました。殺人者となってしまう高校生の兄の背景として、親からの過度の勉強の強要が示唆されています。「中学受験の勉強の時、勉強が嫌だった?」と家内に聞くと、「勉強は面白かったよ。全然嫌じゃなかった。よく出来たし」との答えでした。「だよね」、僕も同じです。算数の解けない問題が解けるようになり、理科で地球や植物の理屈がわかり、漢字がたくさん書けるようになり、「それ」が差す言葉がすぐ分かり、文章が何を言いたいか分かるようになっていく。模擬テストに向かうのが嫌になったこともないし、順位が出るのが楽しみでもありました。自分の頭がどんどん賢くなっていくのがかっこいいと思ったし、点数の上下は、なんかゲームみたいだった。でも、親から「あそこの中学を受けろ」「勉強しろ」「もっと勉強しろ」「もっと、もっと」と、際限なく言われるのは、とても嫌でした。結局僕は、6年生後半から中学2年ぐらいまで数年間自傷行為に走ったので、殺人者になる少年の気持ちは、何となく分かる気がする。治りかけのかさぶたを取ると、ちょっと痛くて、また血が出るのが快感なのと一緒。あれがもっと進むと、自分の血でも人の血でも、同じように思うのかもしれない。あるいは、自分の血では満足できなくなるのか・・・こういう事件が起こると、「人の痛みが分からないように甘やかされて育てられたから・・・」なんて真面目にコメントするコメンテイターがいますが、僕には「的外れ」としか聞こえない。家族の軌跡を詳細に調べると、親の過度の期待に応えようと、あり地獄から抜けられない子供の姿が、相当数かなり高い確率で見つかると思う。僕が嫌だったから、子供達には褒めてばかりで接したけど、勉強が出来ない子になんてならなかった。親の「もっと、もっと」からたくさんの重大犯罪青少年が生み出されている。脳科学の研究がもっと進んで、「怒って体罰を与えてでも今いい点数を上げることが、結局子供のためになる」という間違った常識を覆して欲しい。親に叱られた記憶ナシに、結婚後も親と楽しそうにしていた家内がうらやましい。「親に叱られたことがない」と彼女のお母さんと接したことが、結婚の大きなウェイトを占めたし。豪華俳優のわりに映画の入りは今一なのかも?興行的にはどうなのかなと心配になりましたが、観た方からの評価は高得点を得る映画だと思います。
2009/01/30
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久しぶりに読んだ本の紹介です。最近私のマイブームになっている脳科学本です。他の学者さんの本を読んでいるのですが、茂木さんの本は学術的になりすぎずとても分かりやすいので、また茂木さん本の紹介になってしまいました。わが子に、自分がそこに意義が見つからなければ、人に合わすことを由としないマイペースを感じていました。でもそれはむしろ、「おもろいなあ」という感じで、その観察からいろんなことを学びました。その後、もっとすごいマイペースさんに会い、それを全く気にしない親御さんの下で矯正されずにそのまま育ち、私のような凡人には想像できないおもろい生き方をするのに驚きました。「なりほどね」という何かを見つけたような。マイペースさんをお持ちの親御さんには、お勧めの本です。これ、宗教でも思想書でもなく、最新脳医学の本で、いずれ人と同じような「自己学習ロボット」の脳に搭載されるメカニズムです。以下に一部引用しておきます。「脳を活かす勉強法」茂木健一郎 PHP研究所 ★● 変人であることの自由が、「強化学習」の回路を暴走させる僕はかりて、イギリスのケンブリッジ大学にある「トリニティカレッジ」で学んでいました。ケンブリッジ大学はかつてニュートンが学んだところとしても知られています。この大学の中には31のカレッジがあって、僕の通っていたトリニティカレッジはそのひとつです。トリニティカレッジには、ありとあらゆる分野の人が所属しています。食事の際には、ハイ・テーブルに集まった教授たちが、それぞれの専門など気にも留めずに、自由に論議する姿が見られました。そもそも自分と同じ分野の学者などは、近くには座っていません。自分は物理学が専門で、隣は数学の専門家。その隣にはイギリス文学がいるかと思えば、その向こうは政治学、こちらは歴史学、というように「人類の知」という多様で豊かな森の中で、さまざまな活動を行っている。各分野を代表するような研究者たちが、一緒に食事をしながら、大変高度な議論をしているのです。これは、残念ながら日本の大学ではまったく見られない光景です。美しいチャペルのようなダイニングホールで、まったく違う分野の教授たちが、生き生きと、とても自由な論議を繰り広げている光景を見て、「ああ、この環境があるから、ノーベル賞受賞者を81人(うち、卒業生の受賞者は59人。2005年10月現在)も輩出しているのだな」とはっきりと悟りました。トリニティカレッジの雰囲気から伝わってくる思想は、「変人であることの自由」です。そもそも、ケンブリッジでは格好がよくてはだめなのです。パリッとしたスーツを着て歩いている人は、「あいつはどうせ普通の人だろう」とバカにされる。逆に、穴が開いたセーターを着ている人がぼろぼろの自転車に乗って、カレッジの中をキーコキーコと走っていたりすると、みんなが「ああ、あの人はきっと偉い学者に違いない」と敬仰のまなざしを送る。そこに集まってくる人たちは普通の人が少ないというより、変人しかいません。そういう場所なのです。ではいったい、変人とはどういう人のことを差すのでしょう。実は、これも天才と同じことがいえます。変人は変人として生まれてくるのではありません。何かの行動に対してドーパミンが大量に放出され、それによって強化学習が成立する。このサイクルが暴走してしまい、人とは違う方向にどんどんとがってしまう。これが変人の変人たる理由なのです。そしてトリニティカレッジの「変人であることの自由」という思想は、いうなれば「自分の好きなことをとことん追求することが許される自由」と言い換えることができます。自分の好きなことをとことん追求することを許された時、人はどういうふうに発展していくのか。現代史はさわやかな実例に満ちています。たとえば、ipodで有名なアップルコンピュータの創始者スティーブ・ジョブズも、マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツも、いわゆる”変人”であることがよく知られています。● 安全基地からのチャレンジあなたは、人生の中で新しいことに積極的にチャレンジしていますか。十分にチャレンジできないと感じているとか、あるいは自分が直面していることが不安でしかたがない、不確実なことは不安でしかたがないという時には、子どもの時に自分がどうだったかを思い出してみてください。子どもの頃に直面することは、初めてのことばかりです。立つ、歩くから始まり、お金を持って買い物に行く、電車に乗る、やがて思春期を迎えれば、好きな人ができてデートをする・・・。すべてが「初めて」だったはずです。その時、どんな気持ちでしたか。きっと、好奇心とチャレンジする精神にあふれていたと思います。不確実性に立ち向かうことは、新しい可能性を模索することです。ではどうして、子どもの頃は不安を乗り越えることができたのでしょうか。どうして、失敗しても、すぐに次のチャレンジに向かうことができたのでしょうか。それは、「安全基地=セキュアベース」があったからなのです。「安全基地」とは、何かがあった時に逃げ込める場所のことです。外に出てさまざまなことにチャレンジし、もし失敗して傷ついたとしても、安全基地に逃げ込めばそこには自分を温かく守ってくれるものがある。多くの子どもにとって、特に幼少期にこの安全基地となるのは「親」です。つまり、親とは、人生の中で自分ができるかどうか分からない不確実なものにチャレンジする時の基盤を確保してくれる人のこと。逆にいえば、親の役割とは子どもに安全基地を与えることにほかなりません。しかし、注意しなければいけないのは、「安全基地」はいわゆる「過保護」や「過干渉」とは、まったく違うということ。過保護は、子どもが自由にチャレンジすることを認めずに、あれやこれと指図をすることです。また、絶対に失敗しないような環境に置くことです。あれをやると危ない、これをやるとよくないというように、あらかじめ失敗する可能性(つまり不確実性)を封じ込めてしまった閉鎖空間の中では、脳が新しいことを学んでいけるはずがありません。せっかく何かをしたいと思っても、「そっちじゃなくて、こっち」と、親の都合や趣味を押しつける「過干渉」も問題です。『安全基地の役割とは、子どもがあくまでも自主的に挑戦しようとすることを、後ろからそっと支えてあげることです。一書大事なのは、見守ってあげること、見てあげること。見てあげることこそが、安全基地のもっとも大切な要素なのです。』
2009/01/29
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日曜日は、仕事場のマンションの臨時総会でした。集合住宅というのは、いろいろあります。でもまあこの労を惜しんだらあかんからなあ。お昼に喧々諤々の末総会が終了し、すぐにバイクに乗り換えてまた北摂に向かいました。いつものように長尾山トンネルを抜け北摂に入り、先週行けなかった川下川ダムを目指します。先週目星を付けていたr33からの道を入ります。ロードミラーもないカーブをゆっくり進みます。人なんて歩いてなさそうな静かな道です。おっと1台軽トラがやってきました。そして山歩きの装備を整えたお父さんを1人追い抜きます。僕にとっての数ヶ月秘境「川下川ダム」に到着です。冬だからか、貯水量が随分減ってるようで、水位がかなり下がっています。ダムの下流側から見ると、このダムはコンクリートではなくて、石積みダムになっています。どういう構造になってるのでしょう?ダム下流には、JR福知山線の鉄橋が架かっています。着込んでいるのでどこも寒くありませんが、どうもマーキングの欲望が近い。ダムを眺めながら気持ちよくココにやってきた印をつけてから出発しようと、ヘルメットを被ろうとすると、さっき追い抜いたお父さんがやってきました。「何処から来られたのですか?」と話しかけようとしましたが、何か独り言をブツブツ言っておられます。なんかちょっと怪しげなので、話しかけるのをやめときました。急な坂を下り、福知山線沿いの道に入ると、葉が落ちているので不確かですが桜並木のようです。すぐ横を武庫川が流れ、春は結構いい花見ができそうです。道のすぐ横の林に巣があるのか、結構大きな猛禽類がそこを飛び立ち、高く舞い上がりまた下りてきます。トビよりも明らかに大きいのでなんとかワシだと思います。川にかかる橋にバイクを停めて、しばらく見ていました。下の川はこんな感じです。線路に沿って北上し、「道場駅」から「三田駅」を通り、r37を後川方面に曲がり、再び北摂の里山地帯に入ります。数ヶ月ぶりの羽束川沿いのr37です。旧道に入り、前から気になっていた「高売布神社」に寄ります。典型的な里のこじんまりした神社だけど、高木に囲まれ歴史を感じさせます。賽銭箱がある社正面は、能舞台にも使えるような広い板の間が広がり、天井には大分くすんでいるけど平安時代の都人と見えるような羽目板が飾られ、何となく歴史を感じさせます。説明板には神社の歴史と共に、この付近の簡単な地図も載っていました。羽束川の向こう、真東に見えるのが「大船山」だそうです。北摂のあちこちで見かける山名なので形を覚えとかないとね。三田市野外活動センターを過ぎると道は細くなり、羽束川の流れに沿って進みます。前回は紅葉の季節だったから、「きれいだなあ」とキョロキョロしながら楽しんだ道ですが、葉は落ち色も単色で、羽束川の流れの音が寒さを倍化させます。こんな中、ここで2台のロードバイクとすれ違いました。「ロードバイクは運動してるんだから」なんだけど、あの薄着には驚きます。神社から雪が強くなりました。後川でr12を横切り、r308を篭坊温泉方面に入ります。この道に入ると、畑の周りは鹿よけの電流囲いばかりです。回りの動物分布がよくわかります。小さな温泉街を抜け、r601をr12方面に入ります。この道は初めてです。篭坊温泉からr12へのショートカット道なんだけど、地図では曲がりくねっていて今まで敬遠していました。R173方面からやってきた小型4WDが前におり、のぼりですぐに追いつきました。ゆっくり走っています。ちょうど先導役が出来ていい調子でそのスピードに合わせていると、峠に差し掛かりウインカー出して左に寄せて止まりました。抜かして欲しいようなので、左手で「おおきに」の合図をして追い抜くと、今度は下りです。さてちょっとスピード出そうかなと思ったのですが、大阪府と兵庫県の県境があるのか、こちら側は明らかに整備不良で、道がガタガタです。結局ゆっくり走ることになり、いつまで立ってもバックミラーから4WDが消えませんでした。r12に出て、いつものように制限速度プラス10の60km/hにスピードを上げて快調に走り出しました。杉生からr602でR173を横切り、R477まで行くつもりでしたが、前回給油から走行距離が200kmを越えました。まだ100kmは走れるのだろうけど、燃料ゲージがないバイクなので、先にGSを探します。車でもそうですが、燃料が少ない状態で走ると、私にはどうも精神衛生上よくないようです。かつてはいくらでもGSがあったのに、最近少なくなっていて杉生を過ぎてもなかなかありません。やっと見つけて給油しました(256km/9.1L=28km/L)が、また杉生まで戻るのが面倒で、規並集落に入る道を探します。運よく「ここかな?」と入った道が当たりで、峠を越えると規並の田園が眼下に広がりました。規並を北上し、他にr12に抜ける道があるはずだと色気を出して幾筋が横道に入りましたが、人家の庭で行き止まりだったりしました。「ここは行けるだろう」という道もあったのですが、途中で舗装が切れてしまいました。「こりゃあかん」とUターンしようと思ったら運悪くランドクルーザー4WDが後ろから来て、そこではすれ違いが出来そうもないので、少し雪でぬかるんだ泥道を先に進む羽目になってしまいました。確かにオフロード車が本領発揮の道だけど、ランドクルーザーはこの道には大きすぎると思います。4輪車ならジムニーの道です。あとは田舎道最強の軽四トラック。ランドクルーザーは、道路脇の木々を揺らしながら行きましたが、「後知らんで~」。路肩が広がったところでUターンしましたが、バイクが汚れてしまいました。この道、後ろから来たオフロードバイクに2度追い抜かれました。「平気で」というか「勇んで」走ってるオフロード車には太刀打ちできません。南下して屏風岩でr12に合流し、今度は北上し道の駅「いながわ」で休憩です。バイク置き場が分からず車駐車スペースの端に置いてブラブラ。トイレを済ませて駐車場を見るとバイク置き場がありました。遠目に僕のと同じVTRが止まってるような?欲しかった赤色です。「あそこに置いてたら、話が出来たかも」とちょっと残念ですが、指先の感覚を戻すために暖かい室内に向かいます。イタリアンジェラード屋さんの前にいると、店番のお兄さんが「バイクですか?あそこが暖かいですよ」と、エアコンの下の椅子を指差してくれました。「おいしそうだけど、バイクやから芯から冷えてしまいそうや」などと20分ほど話しました。途中2組もアイスを買うお客さんがおられ、「こんなにくそ寒いのに・・・」と。最近冬でもアイスを売る店が増えましたが、日本人の身体はどないなってるんやろ?r68を三田方面に入り、定番のr33から長尾山トンネルを抜け自宅に戻りました。長尾山トンネルを抜けたところにある住宅地から、大阪平野から大阪湾まで見えます。今度夜景を見に来ましょう。バイク装束を着替え、時刻は5時少し前、家内に電話し着信履歴を残しておくと、10分ほどでかかってきました。「今何処?映画の前に食事する?」「うん、今大阪だから1時間ぐらいで行けるかな」ということで、先に映画館に車を置き、駅の改札で出迎えて驚かしてやろうと思いました。時間があるので、先に映画のチケットを買ってから駅の方に向かうと、向こうから家内が手を振って歩いてきました。結構早かったな、作戦失敗です。手を振られるのって、なんか嬉しいです。家内とよく行くオムライスのお店で食事しながら、来週から2周連続の法事の準備を話し、「007慰みの報酬」を観ました。007映画にしてはハードアクションですが、ジェームスボンドはいつもかっこいいです。いかにもCGというのじゃなくて、生アクションはやっぱりいいです。テンポが早かったので、家内は物語の流れについていけたのかわかりませんが、「ありがとう。面白かったわ」と寝る前に言ってくれたから、良しとしましょう。
2009/01/28
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昨夜、家内が「ねえ、Aさんがなかなか眠れないんだって・・・」と、Aさんから相談を受けたことを話し出した。「こないだね、Aさんの旦那さんが、JRの方へのねぎらいの品を買いに来られたよ」Aさんの眠れない原因は、旦那さんとのいさかいにあるようです。あの事故でお嬢さんを亡くし・・・でも気丈にそのまま働き続けた奥さんと、しばらく会社を休んだ旦那さん。会社に復帰して、定年になり自宅にいるようになった旦那さんは、毎週のようにあの場所に出かけているようです。JRが買ったのか、絶えない供養のために職員を常に配置しています。「旦那さん、すごいよ。毎週のように通ってるのに、毎回職員さんへのねぎらいの品を持って行ってるのよ。なかなか出来ないことよね」と家内は言っています。奥さんは、定年までがんばったご主人に、もう少し前向きな気持ちになって欲しいのだろうなあ・・・とても仲がいいご夫婦だったのに、いさかいが絶えないなんて悲しいことです。弟君は、ウチの子と少年野球でバッテリー組んでたので、余計辛いです。でも、お線香をあげる以外、何もしてあげられません。家内のお店にお買い物に来られるもう一人の犠牲者の親御さんBさんの話もしてくれた。「こないだね、Bさんの旦那さんが来られて、事故直後でも、以前と変わらない接し方をしてくれた私に奥さんがとても感謝してるって、言ってくれたの」「わたしね、何も声を掛けられなくて、何も出来なくて、今までと同じようにしかできなかっただけなんだけど・・・」お葬式に行かせてもらいましたが、その後は今までどおり接してきました。お嬢さんは、結納も済ませた結婚直前でした。その後の辛い経過も旦那さんが話してくれたそうです。あれから数年、やっとそういう気持ちになられた方もいるようです。ご近所さんに道で会うと、お悔やみを言われ、ありがたかったけど反対に辛いと奥さんはこぼしていたそうです。今までどおり接した家内が、少しお役に立てたのかもしれません。家内と話しながら、「難しいね・・・ほんとに辛いときは、触れられない方がありがたいからなあ」と話しました。
2009/01/27
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朝日新聞の「重い罪なら私を恨みますか」というタイトルに目が留まりました。以下、朝日新聞記事の要約です。-----刑事裁判に、被害者が参加し、法廷で被告に質問できるようになりました。「被害者参加人の質問を許可します」と裁判官に促されて、検察官の隣の席で熱心にメモを取っていた会社員が立ち上がり、被告の2人に軽く会釈すると、穏やかな声で質問を始める。「夜遅くまで疲れて仕事をしている人からお金を奪うことをどう思いますか」と問うと、被告席にいる茶色の長髪姿の若者が答えた。「・・・卑劣だと思います」男性は路上で、いずれも21歳の2人に言いがかりをつけられて金を奪われそうになり、胸を殴られて肋骨を骨折した。被害者「立派な社会人になって戻ってきてもらいたい。そのために、裁判所に厳しい判断をお願いしようと思っている。私のせいで刑が重くなった時、恨みますか」被告「恨みません」被害者「今日、私の顔を見て覚えたと思うけれど、もし、道で出会ったらどうしますか」被告「謝ります」被害者の男性は2、3回うなずいて着席し、約5分間の質問を終えた。もう1人の被告には窃盗などで少年院に入り、被害者へ謝罪の手紙を送った経験があった。弁護人に問われると、被告は今回との違いを強調した。「初めて被害者と直接会う形になったが、今までは済も見ていなかった。手紙を書くのは簡単だが、自己満足だったと思う」-----幸い、私は刑事事件の被疑者になったことはありませんが、被害者になったことは何度もあります。万引きの被害者多数と1度の傷害被害者です。ある万引き被害、事後報告に来られた担当警察官からの言葉を、不思議な気持ちで聞いたことがあります。「二度とお宅の前に顔を見せないように言っておきましたので・・・。これで不快な思いをせずに済むと思います」「自分に危害を加えた相手の顔を二度と見たくない」「早く忘れたい」にも一理あると思いますが、私は「きちんと謝ってほしい」と思うし、「加害者に赦しの言葉を掛けたい」と思います。だって私の前から、ふてくされた顔をして、警察官に連れられて行ったのが最後なのだから。出来れば、少しは感情を修復してさよならしたい。そこまであって、やっと事件にけじめがつくんじゃないかなと思います。お互いに。犯人さんが後日、親御さんと共に謝りに来られることは1割ぐらいですが、あります。その時、私の中のわだかまりが消えていくのを感じます。そして多分犯人御本人もそうだと思うし、親御さんも同じだと思う。このようなご家庭のお子さんなら心配ないと思いますが、ただ遠ざかるだけの人やご家庭なら、更に犯罪はエスカレートするかもしれない。加害者の方が、事件後被害者と面と向かい頭を下げるのにハードルが高いと思います。でも、被害者からの文句を聞くことになるかもしれないこのハードルを越えると、後ろめたい気持ちからすがすがしい気持ちに切り替わるように思うし、高いハードルを越えた自分を褒めることができるかもしれない。小学生の時、クラス内での喧嘩で怪我をさせてしまったら、先生は当事者を呼んでなんとか握手が出来るまで修復し、再び同じクラスで仲良く暮らせるようにする。そんな光景は誰でもたくさん経験していると思う。でも、被害者が「もう加害者の顔を見たくないだろう」と、先生が握手もさせないまま、別のクラスに替えてしまったら・・・お互いはわだかまりを持ったままになります。再び顔を合わせる時は辛い気持ちが大なり小なりあるけれど、これは越えなければならないことだと思います。たった1度傷害事件の被害者になった時、刑事さんから「物損では罪が軽いので、人身傷害事件で立件しましょう」と強く勧められました。でも幸い軽い打撲とかすり傷だけだったので、被害届けを出しませんでした。物損だけで2日間留置されており、前科はなく、ご家族をお持ちのご主人なので、会社を首にでもなったらあまりに代償が大きいなと思ったからです。事件後すぐに奥さんが謝りに来られ、更に留置を解かれた本人さんも謝りに来られました。この時も、被害者なんだけど、妙にすがすがしい気持ちになりました。顔を見ても、文句を言うことなど頭に浮かばず、「大丈夫ですか?まあいろいろありますから。私は大丈夫ですから」とだけ言いました。加害者さんは、奥さんと共に涙を流されて頭を下げておられました。お子さんにこの件をどう話されたのか知らないけれど、きちんと謝られたので、一部始終をそのまま話すことが出来るように思います。元に戻って、今回始まった「被害者参加裁判」。この記事に載った被害者の質問。「・・・私のせいで刑が重くなった時、恨みますか」「今日、私の顔を見て覚えたと思うけれど、もし、道で出会ったらどうしますか」は、被害者の本音だと思う。被疑者がその質問に答えた言葉は本音じゃないかもしれない。でも、被害者に向かってこの言葉を発したことは生涯忘れないと思う。事件後裁判所で顔を合わすプラス面とマイナス面、両方あると思うけど、僕は人の良心を信じたい。オバマさんの大統領就任演説「・・・安全と理想の二者択一は拒否する」ではないけれど、現実に擦り寄ってばかりで理想を追う姿をやめてしまっては、子供達に何も語れなくなってしまうと思います。新しい制度に好意的視点から書かれたこの記事。いい制度だなと思います。当事者同士、事件から一時置いて、面と向かって話せる機会を持つことは、心をココに置き去りにせず、前を向くきっかけになるような気がします。
2009/01/24
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日曜日の朝、10時にヨットハーバーに行くまでバイクで北摂の里山回りをしました。前乗ったのが2週間前だったので、エンジンスタートに一抹の不安があったVTR250ですが、チョーク引いてイグニッション一発で快調にエンジンが回ります。いつものように長尾山トンネルを抜けて、r33で西谷農協付近へ。予定では、川下川ダムからJR道場駅に行ってみるつもりだったのですが、川下川ダムに入る道を通り過ぎてしまったようで、西谷まで来てしまいました。「あの道だったんだな」と大体分かったので、次回は間違えずに行けそうです。でも道が細そうだし、地図には載っていますが、バイクで入っていって大丈夫なのだろうか?もし途中で、舗装路が途切れたりしたらかなわんなあ。まあダムという巨大公共施設なんだから、メンテナンス道路が必要だろうからと、高をくくっているのですが、どうなることやら。西谷の少し手前、以前から気になっていたレクリエーション施設のような看板の方に入ってみました。どうやら宝塚市の里山ハイキングの施設のようです。冬だから閑散としていますが、春から秋まではいろんな学校関係の団体さんなどが利用してるのでしょう。r33に戻り、r319に乗ってr12を目指します。のどかな里山の景色の中を走ってると、自然ににやけてしまいます。ダイレクトにその場の匂いを嗅ぎ、温度を感じるバイクだからこそ、五感でココを感じれるのかもしれません。里山から昇る煙が、気温の関係か一定の高度で横に広がっています。畑には、北摂の農作物をおいしく育てる霜が。次は、r319とr12が交わる付近にある「天沢寺」近くにあるトンネルです。r12は、この付近で大きく右に半円を描いて迂回しまた元のr12の延長線上に戻り北上します。峠越えを回避し、より高度差のない道筋にしたのだろうけど、真っ直ぐ行けないものなのかと、なんとなく気になっていた。そんなに高そうな峠でもないので、徒歩が主流だった時代は、真っ直ぐ行きたいと思うのが人情です。先週、グーグル地図でそこを一番拡大したら、道が現れました。そしてトンネルらしきものも。こりゃ、行ってみなければ。r12に合流し、左折すればすぐに我が家のお墓だけど、右折してゆっくり流す。「ここかなあ」と思う道は、小さな住宅地に向かっている。怪しいので、右折して入ってみる。途中1ヶ所所間違えたが、「この先トンネルあり」の看板を発見しビンゴでした。高さ制限の標識もあったので、大型車は無理なのはすぐ分かりましたが、「バイクでも通れない道じゃないやろか?」「舗装した道だろうか?舗装路じゃないと、オフロードバイクじゃないから無理なんですけど」とまた一抹の不安が。でも「行ってみたい」細い道を2速でゆっくり上がる。横は竹やぶ。道路工事関係の廃材置き場のような所を過ぎ「出ました」目指すトンネルがありました。逆U字型の石組みトンネルの入口には、2mの高さにトラ模様の横バーがついています。どうやら通れそうですが、一旦バイクを停めてまずは偵察です。車が頻繁に通るような道ではなさそうです。トンネルを20mほど歩き数枚写真を撮って、向こう側の明かりを凝視。向こうから犬の散歩の奥さんがやってきます。バイクに戻りエンジンを掛けて、横を通る奥さんに会釈。さて出発です。石組みのトンネル部分は入口の10mほどだけで、あとはコンクリート補強されています。でも趣があります。夜の肝試しに最高ですね。トンネルを抜けると眼下に集落の屋根が見えます。南側はかなりの急勾配で、しかもヘアピンカーブで下ります。フルブレーキングとクラッチを入り切りしながらゆっくり曲がります。この道、ヘアピンのところで車の離合が出来そうですが、急勾配なこともあり、かなり危険です。地元の運転手さんは、こんな道通らずにそんなに遠回りにならないr12を回るでしょう。バイクでも南からこのトンネルに上がるのは大変です。「今後、南から上がらないようにいなければ」というより、よっぽどのことがない限るココを通ることはないでしょう。でもトンネルは雰囲気いいです。軽四トラック道ですね。今朝は朝から雲行きが今一です。午後から雨の予報で、空が持ちそうならこのままハーバーに向かうつもりでしたが、予報どおりの天気になりそうなので、一旦帰宅しスクーターでハーバーに向かうことにしました。となるともうタイムリミットなので、r12を南下し、「道の駅いながわ」からr68で三田方面に入り、r33から長尾山トンネルを抜けて帰宅しました。帰宅した時、家内は忘年会に出発するためにお風呂に入っていました。玄関を開けると同時に「行ってきま~す」とすぐに出発です。(俺は、ランドセルを玄関に放り投げて遊びに行く、学校帰りの小学生低学年か)
2009/01/23
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今朝の新聞に、「民主党の石井一さんの国会質問に対し、党や講演会に批判が多数寄せられた」と載っていました。国会質疑で、読みにくい漢字のボードを出して「読めますか?」とやった件だとすぐにわかりました。そのニュースを見ながら、「なんじゃそりゃ。国会質問でやることか?」と、「漢字を完璧に読める首相である必要はなく、もっと別の仕事が本来の首相の仕事だろ」と思いました。そして、党や事務所に批判の電話が多数入り、それがニュースになるとは思わなかった。「あの感動とは大きく違う」昨日、麻生さんが出てるニュースを見ながら、「麻生さんって、顔がいいね」と家内に言ったところ、「いつもニコニコしてるから」と返ってきました。「失言癖」を批判され、言葉に慎重になっていますが、思ってることを正直に口にする麻生さんの性格と、笑顔が似合う顔は好きです。真剣に物事を考え、進路を決定することはリーダーとして大切ですが、明るい笑顔は、みんなに勇気を与える大切な武器だと思います。オバマさんが、大統領に就任なさいました。ブッシュさんも、聴衆に視線を据えて、迫力のある演説をするなあと思っていましたが、オバマさんは更に上を行ってる感じがしました。スクールイングリッシュでは分かるはずもなく、内容は日本語訳を読むしかありませんが、身振りや視線、声の質だけでも演説で人を惹き付けるものがあるのはわかります。日本の総理大臣との比較をコメントされているコメンテイターさんがいますが、日本人とアメリカ人との違いだから、そんなん言われても仕方ないじゃんと思いました。それにしてもアメリカという国は、すごい国です。何がすごいかって・・・スケールの大きさと前向きな姿勢とか、まあいろいろなことが映像を見てるだけでも伝わってきます。新聞に載ってたオバマさんの演説を読んで、アメリカの力の使い方にブッシュさんとは違うところを感じました。力の威圧とその使用によって、自らの利益を積極的に増大させようと行動したブッシュさんとは一線を引いています。大国のトップが、資本主義の弱肉強食の本質そのままに舵取りをしたら、企業がマネーゲームに染まるのは自明の理です。一国の破綻よりわが利益を優先するところからは、少数の勝利者と大多数の敗者の世界しか生みません。少数の勝者とて、常に敗者になる恐怖に追い立てられています。捉えられ苦しんでいる自国民に、「自己責任」と言い放つという勘違いするどこかの首相を生みます。演説の中にあった「対決よりも共生」、「希望と美徳で(困難に)勇敢に立ち向かう」の言葉が、具体的なアメリカの行動に現れて欲しいと願います。アメリカ国民ではないけれど、私自身changeを感じました。この演説を生で聞いている大観衆の姿をTVが映し、涙を流してオバマさんを見入る女性の姿を捉えていました。何十万人の中の1人に涙を流させる人ってすごいなあって。「yes we can」で有名になったオバマさんの大統領選勝利演説を、去年読みながら涙を流したのを思い出しました。また読んでみたくて探すと、まだありました。http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20081105-05.html大統領就任演説を囲む多くのアメリカ国民の姿を見た後だったからか、大統領選に勝利した当時より、大きな感動を得てしまいました。「yes we can」を読みながら、僕の好きな2つの言葉が頭を過ぎり、また涙が出てしまいました。高校ヨット部で初めて耳にし、大学ヨット部でも聞き、そして4回生になった時、ミーティングでよく使ったチャーチルの言葉「never give up」。そして子供達から相談され、言葉を返す時にいつも心に置いている「you can do it」。アメリカのリーダーは、実質地球のリーダーです。アメリカとまともに武力衝突して勝利する国は存在しないでしょう。そのこぶしを振り上げたら、なんでも出来るのかもしれません。でもそれをしてしまえば、世界は破滅へと向かうでしょう。強大な力があるからこそ、対等な喧嘩も「弱い者いじめ」に見えてしまいます。強大な力を持っているからこそ、藤沢周平の世界に流れている「凛とした」行動をして欲しい。オバマさん、期待しています。
2009/01/22
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昨夜、TVを見ながら夕食を食べ、食器を流しに持って行くと、台所に食卓には「アップルバームクーヘン」が3切れお皿に乗っていました。「これ、食べていいの?」「いいよ、どうぞ」と奥から家内の声が。日曜日家に戻ると、食卓には、夕食の食器が用意されており、「帰って来るのは8時ぐらいになるから」との家内の書置きがありました。神戸のホテルに、新年会に行くとか言ってたっけな。大河ドラマ「天地人」を見ていると家内が帰ってきました。「駅で電話しようと思ったけど、これ見てるだろうからバスで帰ってきたよ」とのことです。とても楽しかったようで、抽選会で5000円の現金が当たり、ケーキをお土産にもらったとご機嫌です。「お菓子みたいだけど、開けてみて」と言い残して、お風呂に足を洗いに行きました。お土産を開けてみると、「アップルバームクーヘン」というお菓子が入っていました。丸ごとの焼きりんごの周りにバームクーヘンが巻いてあります。普通のバウムクーヘンは、芯が開いた長い円柱を輪切りにしてありますが、これは芯が開いてるのは同じだけど、球体をしています。焼きりんごの周りに同心円にバウムクーヘンの層が重なり、どうやって作るんだろうと、ちょっと不思議です。おまけに高級りんごのように、ビニール包装されたバウムクーヘンの周りには、網クッションが巻かれ、それが箱に入っています。バームクーヘンと焼きりんご・・・とてもおいしいです。日・月・火、この日が3日目で、出された3切れの内1切れだけ食べたので、今夜2人で1切れずつ食べたらお終いです。こんなバウムクーヘンは初めて食べました。どこかのお店の名品なんだろうけど、新年会の役の方の中に食通がおられるのでしょう。おいしいものをありがとうございました。うまかったあ。
2009/01/21
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日曜日、先輩から「今年の初乗り」と「新年会」やらないか?との誘いがメールで流れていたので、「寒いから人数集まるのかなあ?」と半信半疑ながらハーバーに向かいました。私含めて2人だけのレスポンスだったので、誰もいなくても別にいいし・・・という軽い感じで係留艇に向かいました。予定の10時を過ぎていたので、既に沖に出てるかもなあ?と思いながら桟橋を見ると船はまだありました。結構いい風が吹いています。「こんな寒い時に出るの、やだなあ」という感じで船を覗くと、先輩2人と業者の方がいます。エンジンの整備を終えたところのようです。前日に先輩は、メーカー社員さん数人でこの船に乗ったようなので、気になったところを点検整備してくれたのかもしれません。桟橋を歩いていると、こないだXヨットの新艇があった場所に、また新しい新艇があるじゃないですか。3本ラインがあるので、これもXヨット社の船のようです。後ろから見ると、お隣の白いのが、こないだの新艇X34だから、40フィート以上あります。数艇となりには、デルフィアヨット社の新艇です。ヨーロッパの船が相次いで入るなんて、ユーロが円に対して安くなったから買い時なんだろうけど、今新艇が入るというのは、昨夏など景気が良かった時に発注したものでしょうね。「出ますのん?」「寒いからやんぺや」「新年会やりますのん?」「それもやんぺ」先輩1人とメーカーさんが帰り、3人乗りレーシングヨットのオーナーであるS先輩と、そっちの整備に向かいます。先月マストを抜いたので、マスト関係の整備です。リギンなどシュラウド関係のささくれなどはなさそうです。1年間ハードに使うので、ちょっとでも気になったところがあれば、早めの交換です。スピンハリのガイドローラーを、新調するためにはずしました。メンバーに鉄工所さんがいるので、同じ物を作ってもらいます。メンバーのOさんがやってきて、ブームのショックコードの交換を始めました。前回の整備で道具がないとできなかった箇所だそうです。取り出した道具は、なんと洋服掛けの針金ハンガー。ペンチで切って適当にまげて、ブームの中にそれを突っ込んでショックコードを探っています。私は、ウインチの分解点検・再組み立てです。ウインチがあるから、大きなセイルを出し入れできます。これが故障したら、レースではお手上げです。ハンドルやギアが組み上がっているので、再組み立てできるように、構造を覚えながら分解し、各部品を水洗いしながら、そこらをゴニョゴニョ動かして点検、そしてシリコンスプレーしながら組み立てます。チャッチャチャッチャといい音で回っています。「お~、いい音してるやんか」とSさんから。私には変わらないように聞こえますが、人心掌握の話術のような。会社の経営者はこうでなくっちゃね。雨がパラパラしてきたので後片付けし始めると、海外のヨット部品メーカーの日本総代理店をしてるIさんが来られました。片付け後、クラブハウス2Fのレストランで昼食です。ジャンパーを脱いだら見えてきたバイク用肘プロテクターに「何それ?」。「午前中バイクに乗ってましてん」。Iさんが女学院のクラシックコンサートを見に行った話、「世の中には真面目な人たちいるからなあ。こんなバカ話する雰囲気とは全然ちゃうで」「イタリヤに注文した船、なかなか来えへんねん。完成品があると言うたからお金も払ったのに、問い合わせたら写真も送ってけえへん」「そりゃ、まだ出来てへんわ。今必死に作ってるで」「まあイタリヤやからしゃあないと思ってんねんけどな」Sさんの息子君が来週結婚式らしい。彼は、私が母校クラブのHPを運用してた頃の部員です。新婦さんもお隣の学校の部員さんで、お父さんは学生時代アメリカンをやってたらしい。体育会系ばっかりやから、どんな結婚式になるか、何となく想像できます。でっかい住吉大社で式と披露宴をするようなのですが、新郎本人が役者目指して東映に在籍してた関係で、東映からちょんまげカツラを調達するとのこと。娘さんの結婚式に、夜店のピカピカを胸に点滅させながらバージンロードを歩いた親父さんとしては、息子にインパクトで負けないようにと何やら考えているらしいです。土産話が楽しみです。いつもながら、気心知れたヨット乗ってる人間が集まると、こんなバカ話ばかりになるんだろう。ということでお開きになりました。雨が降ってることもあり、自転車屋を1軒回っただけで、おとなしく帰宅しました。
2009/01/20
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日曜日、午前中はバイクでブラブラし、ハーバーのクルージング艇に着いた時、家内から電話が入りました。「受かったんやって」と、土曜日の大阪・兵庫・京都の統一受験日に中学受験を受けた弟の長男君の結果連絡でした。次男君の母校で、ココが第一志望だったので、次男君の後輩になるようです。船の整備の途中で、義理妹に電話してみました。第一声が「お兄さん、ありがとうございます」、ちょっと興奮気味です。まだ「おめでとう」とも言ってないのに。というよりまだ名乗ってもいないのに。この日も他校を受験してるようで、夫婦で親御さん控え室(講堂かな?)にいるようです。息子を受験会場に見送ってから合格発表を見に行ったようです。「お礼を言いたいからとうるさいので、主人に代わります」「お兄ちゃん、ありがとう、よかったわあ・・・」と、こちらも興奮気味です。弟夫婦も僕ら同様中学受験組なので、自分では経験あるのだけど、親として子供のがんばりに頭が下がり、そしてこの日ホッとして、子供を誇らしく見える時です。いっぱい興奮して、いっぱい褒めちぎってあげて欲しい。ほんとに良かった。さあて合格祝いを考えなきゃね。正月前、家内とお年玉の話をしている時、「中学入学祝いは何にするかなあ」という話になった。姪の小学校入学祝い同様、何にでも使える文具券が無難だけど・・・何か記念になるものというか記憶に残る物がいいかなと思っている。親父に中学入学祝にもらったアレがいいなと思ってるんだけど、使うかなあ?まだ使えないだろうなあ?実用的ではないよなあ・・・と、でも多分家内の了解を得て、それにするだろう。さてと、アレを物色し始めるかな。まあほぼ決めてるんだけどね。
2009/01/19
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1.17ここらでは、この日は特別な日です。阪神淡路大震災・・・死者6000人以上という大きな被害が起こった日です。今年も当たり前のように、近所の公園でろうそく追悼が、昨夜から夜を徹して行われていました。これからずっと続き、100年後・200年後にも何らかの形で行事が残り、モニュメントは1000年後にも残るのでしょう。生まれてから、高度成長期とともに育ち、車や新幹線へと私の移動もスピードアップしていきました。でもここ数年で、新幹線から各駅停車の電車へ、車からバイクへ自転車へ、ともっとゆっくり、そしてもっと身近を楽しめるようになってきました。ファーストからスローになると、見える世界が違ってきます。ふと気になった道端の神社にバイクを止め、人のいない境内を歩き、横道から里山の道を歩くと、なにげなく、そしてひっそりと立ってる石のお地蔵様。謂れも何も書いてないけど、あちこちに見つかります。100年前、200年前・・・ここでそのお地蔵様にまつわるノンフィクションの物語が繰り広げられたのでしょう。打ち捨てられたような方もおられますが、お供え物や真新しい前掛けで地域の人々に大切にされている方もおられます。きっと、1.17もいずれそのようになっていくのでしょう。鮮明にあの光景が目に浮かびます。1Fの駐車場が潰れて傾いたマンション。ビルが倒壊し国道が通れなくなっていたこと。ほとんどの人がリュックサックをしょって歩いていたこと。甚大な被害を受けた親戚の家のある付近に近づくと国道だけが通れて、一歩生活道路に逸れると、瓦礫の山で全く片づけが行われていない道路・・・PTSDというよくわからない人の心への被害の一端を家族で体験しました。家内の「早く帰って来てね」と毎日何度も言う言葉と。次男君の家内から離れず言葉を発しなくなった数日。を思い出します。僕自身、一旦昼に仕事場から戻って家族全員で食事するのが、当然だとその時からしばらくは思い、そう行動しました。反対に力強い面も・・・長男君の震災直後の「みんな生きてる?」の大声。「よかった。すごかったなあ」の言葉に被った布団から顔を出し、ガラスの破片に気をつけながら、ひっくり返ってるTVや家具の片付けを始めた。家が片付くと、毎日のように出身小学校に避難してる方の手伝いに行く長男君。なんとか家は崩れず、家族みんなが無事だった我が家は幸運でした。黙祷・・・今日は、全国的にはセンターテスト。そして大阪・兵庫・京都では中学入試の統一受験日でした。私の母校などのように、もう1日テストがある学校もありますが、甥っ子は実力をぶつけられただろうか?知り合いのお宅のお子さん方は・・・そして日記でお世話になってるあの方のお子さんは・・・昨日も数人、「明日センターテストで・・・」とか「中学入試なもので・・・」という方が来られました。結果はどうあれ、神様がその子に一番ふさわしい学校に導いてくれます。縁のあった学校で、精一杯がんばるだけです。前を向いて・・・前を向いて・・・
2009/01/17
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(日曜日の続きです)全国にある「えべっさん」の総本宮は西宮にあります。高校生の時から、ハーバーに行く時はいつもこの前を通っています。1年間の総収入のほとんどを3日で上げてしまうと言われています。近隣の主だった駅から直通バスが頻繁に運行します。うちの前の駅前バスターミナルにも、この3日間だけ臨時「えべっさん行き」バス乗り場が出来、阪急バスの職員さんが5人ほどこのバス停だけの為に常駐します。すごい集客力です。全国的には、山門から本堂までの「福男ダッシュ」で有名です。「あのショッピングセンターは、甲子園阪神パークの跡地にできたから、球場の道隔てた反対側だと思うよ」と。そのままハーバーに車を入れ、まず係留艇のエ号に行き、気になっていたトイレを流してみました。トイレの水は流れますが、入って来る方の流量が少ないです。パイプが詰まり気味のようです。でも前回はボタンを押しても全く反応がなかったので回復しています。何でかなあ?身体検査と眠たい講習を約1時間受けて、ボート免許の更新は終わりです。これでまた5年間運転できます。帰りも「えべっさん」の近くを通るのを避けて甲子園回りにしました。途中で「あさひサイクル」という自転車屋さんがあったので、そこに立ち寄り気になってきた自転車を物色です。この日もたくさんのスポーツサイクルが北摂を走っていました。ロードバイクは楽に40km/hで走っています。ご夫婦で前後に並んで走ってる方もいました。足腰の筋力を保つためにも、早朝に自転車で近所を走るといいかもと考え出しています。走る方がもっといいのでしょうが、アスファルトの道を走るのは、膝腰に負担が大きいと聞いています。肺活量も要求されるし。負担の少ない自転車の方がいいなと。それに走るよりは速いので、行動範囲が広がり、飽きないかも。ランニングマシーンとか、座敷で自転車漕ぎなどの景色が変わらない運動は、私には長続きしそうもありません。兄はバイクマシーンに毎晩乗ってるそうですが、前の使わせてもらった時、僕には無理だなと思いました。帰って来て家内は「買ってもいいよ。ずっと乗ってて気に入ったんじゃないの?」と言ってくれたけど、1人で黙々とこぐなんて無理です。まあ兄だって、姉さんが料理するすぐ横に置いてるぐらいだから、姉さんと話しながらこいでるのでしょう。軽いかっこいい自転車は、みんな外国製です。「ミヤタ」「ナショナル」などの国内メーカーはなくなってしまったのでしょうか?「ルイガノ」「ジャイアント」など聞いたことないメーカーばかりで、外国製なのか新興日本メーカーなのか皆目分かりません。重量9kgほどのドロップハンドルのロードバイクは10万円ほどから。横真っ直ぐなハンドルのクロスバイクは3万円ぐらいからあります。変速システムは、中高生時代のなじみのあるシステムとは様変わりしていて、グリップを持ったまま変速できるようになっています。これがかつての自転車メーカー「SHIMANO」製がほとんどで、高級部品メーカーとして日本メーカーが残っているのかもしれません。それにしても高いです。自転車なんてモーターバイク以上に簡単に持っていかれるので、10万円の自転車なんてとてもとても、3万円だって惜しいです。1万円以下の軽い中古ってないものなのだろうか?近所の自転車屋さんに訊くことにしましょう。家内が行ったショッピングセンターの横を通りました。家内は電話を持ってないので待ち合わせることは出来ませんが、運がよければバッタリというのがあるかも・・・と。まあそんなことはなく甲子園を北上しました。信号待ちしていると、右手の喫茶店から若い女子が出てきて、前に止まってるバイクにキーを挿しています。来る時前を走ってた2台のバイク乗りの片割れさんです。歩道に乗り上げてこの店の前で止まりました。前を走る黒のバイクはどうでもいいとして、真っ赤なドカッティに乗り、ヘルメットから長い髪をなびかせ、ウエストラインが綺麗に見える革ジャン着て、かっこいいなと印象に残っていました。昨夏買ったバイクは、ホンダVTR250というバイクで、外観がドカッティモンスターというこの真っ赤なバイクとそっくりです。デザイナーが一緒の方だからそうなるんだろうけど、すぐに分かりました。あれから3時間ぐらい、ずっとこの喫茶店にいたのですね。すぐ片割れの男子も出てきて、マスターと思しき方も出てきました。知り合いなのか、マスター自身がバイク乗りなのでしょう。
2009/01/16
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日曜日は、昼からボート免許の更新講習でホームポートに行かなければなりませんでした。午後1時半からという中途半端な時間なので、朝一番にバイクで出かけて、免許講習を受けてから再び走りに行こうかなと予定していました。しかし、土曜日から寒波が入り北部は雪です。行きたい方面は朝方、道路が凍結しているでしょう。四輪ならましですが、二輪はすぐ転ぶし・・・阪神間は、3連休の中日で道路はいつもの日曜日よりさらに混んでるだろうし・・・。ということで、朝ご飯を食べてグズグズしていました。家内の予定を聞くと、何も予定がないので行ったことがない甲子園のショッピングセンターに行くとのこと。「清荒神とか妙見山とか・・・にも行かないと・・・」なんて言っています。雪の具合で妙見山に上れるかどうか分かりませんが、四輪で行く事にしました。スキー小僧の時は、4WD車で冬期間中スタッドレスタイヤに履き替えていたので平気なのですが、最近はノーマルタイヤ仕様になってるので、「やばいなあ」と思ったら引き返す勇気を持っていかないといけません。妙見山は、北摂の古刹で山の上になります。親父が好きで、毎月のように行ってました。子供達も「のんのんさんに行くか?」と、よく連れて行ってくれました。親父が亡くなって、家内が親父からの言葉「妙見山に参ってね」がずっと気になっていたようです。でも車を運転できない家内は、なかなか行けません。山歩きの趣味もないし。記憶では池田・川西の北で、R173の西でR477の西か東です。R477からの方が近いかなと思ってそちらを北上します。標高が上がると田舎の風景が広がり、秋は紅葉を楽しませてくれた広葉樹が葉を落として、緑の針葉樹とのゆるいコントラストを見せてくれます。こう見ると、広葉樹がとても多い山が続いているのがよくわかります。「妙見口駅こっち」の道路標識が左手を差しています。「妙見山はR477の西だったんだな」と注意していると、「妙見山」の標識現れ、今度は右を差しています。「なんだ東だったんだ。R173とR477の間にあるんだ」とそちらに曲がると、すぐにケーブル乗り場に行き当たりました。「ケーブルに乗って行くのもいいな」と思い車を置こうとすると、冬場は運転休止の看板が目に入ります。仕方なくR477に戻り、更に北上しR173へ抜ける道を探します。しばらくするとまた「妙見山」の標識が現れ右を差しています。どうやらここから車で行けそうです。山頂に大きな駐車場があった記憶があります。標高が上がると、山の西斜面なので路肩に雪が残っています。後ろから追いついて来た乗用車にパスしてもらいながら、ゆっくり上がります。家内は雪を被った周りの木々を見ながら「綺麗ねえ」と言っていますが、ノーマルタイヤなのでこっちは「まだかなあ」「行けるかなあ」とおっかなびっくりです。風に振られて、時折木々から雪が落ちてきて、とても綺麗です。やっとこ山頂駐車場に着きました。駐車場には観光バスが1台、乗用車が20台ほど止まっています。路線バスの停留所を見ると、スタッドレスタイヤの阪急バスが客待ちをしています。久しぶりの妙見山です。天気は晴れで、夜降った雪がとても綺麗です。土産物屋さんを「帰りにせんべい買うわ」と冷やかし、参道を上がっていくと、とてもお寺とは思えない特徴のある建物があります。パンフレットなどで見て知ってたけど前衛的です。「ん?子供達と来て、この周りを走り回ったっけな?」記憶が定かではありません。中には、年初に奉納されたのか白雪の樽が重ねられています。100円双眼鏡が備わっているココからの景色はなかなかです。空気が澄んでいないのか、海がぼんやり見える程度ですが、六甲山まで見渡せます。山門をくぐって本堂に向かいます。山門下に温度計がありマイナス3度でした。滑りそうな石段を慎重に下った本堂には適当にお客さんがいます。本堂の周りをお百度を踏んでいる方もいます。中では法要が行われていました。家内から100円を渡され、2人並んでお参りです。最近家内は一気に信心深くなったようです。どうやら2人の子供が家を巣立ち、自分で何かをしてあげられなくなったので、神頼みの方に向かってるようです。案外こんなところが年寄りの信心深さの入口かもしれません。賽銭箱があるとすぐにバックから財布を取り出します。別のお堂を覗くと、そこにも白雪の樽が・・・「妙見山は白雪さんが信心してるのかもね」と言うと、樽に書かれた白雪の文字の横の字を見て、「川西って書いてあるよ」と。「あれ川西じゃなくて、小西だよ。小西酒造だから」「あっ、そっかあ」白雪さんは小西家がやってて、小西さんの苗字をみると、大阪の衛星都市になる以前からの地元の方なんだなあと見てしまいます。あと「坂上さん」も、地元出身で蝦夷征伐の大将で有名な「坂上田村麻呂」の子孫という目で。小西を川西と読んでしまう家内に、またかわいさを感じてしまいました。小1時間ほどいて下山しました。車に戻る時、観光バスが3台ほど入ってきて、そこから続々と若い男女が下りてきました。学生服姿の方・スーツ姿・・・胸にはネームプレートが。どういう団体だ?新入社員研修?お寺に似合わないなあと見ていてわかりました。関西大学の体育会オリエンテーリングです。今期の優秀な成績祈願に来たのですね。スケートの織田信成君が・・・いませんでした。ヨット部がいたのか不明です。「関大は妙見山なんだ」今度は山の東側になるので雪が更に解けてるだろうとR173の方に下りました。こっちはなんら道路を気にすることなく楽に、そして距離もずっと短く下山できました。「なんだこんなに近かったんだ」とコースミスを口にすると、「でも向こうの景色が見れてよかったね」とフォローしてくれました。R173を池田に下り、r13からR171に乗り西宮を目指します。武庫川を渡る前頃からやたらと道路が混み始めました。いつもの日曜日よりずっと、道路工事でもやってそうな混み方で、1/11だから「うしろえびす」の影響かなと思い、このままえべっさんに突っ込むのをやめて、武庫川堤防道路を南に下り、甲子園球場のところで家内を降ろしました。
2009/01/15
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母親用に、「NTTドコモのらくらくホンV」を購入しました。先週の昼過ぎ、神戸の警察から家内のところに電話がかかってきました。家内からの連絡では、「母親がバッグを落として、それが警察に届いているので、明日朝までに受け取りに来て欲しい」とのことです。バックの中に名前や電話番号が書かれたものが入っていたのでしょう。「え、え~、バックを落としたって・・・?」。母親はいつもバックを襷掛けにして歩くのでバックを落とすことはありません。80歳だから、バイクのお兄ちゃんにひったくられたんじゃないか?襷掛けだから、バックを抜かれたら必ずこけるはずです。怪我でもしてるんじゃないのか?怪我したなら病院や警察からその連絡があるはずです。神戸の何処で?誰かが警察に届けてくれたの?家内に詳しく聞くが、警察も詳しく教えてくれなかったらしく、どうも要領を得ません。そこですぐに当該警察署に電話してみました。「たくさんお金が入っていましたよ」ぐらいしか新しい情報を得られませんでした。想像するに、個人情報保護法によって、習得状況を家族にすら教えてくれないようです。「母親は、みんなバックに入れてるので、バックがなくなればお金さえ持ち合わせがなく困っているはずです。本人からの連絡をしばらく待ちますが、もし現れたら留め置いてください。すぐに伺います。もし現れなくても、夜までには行きますので」と伝えて待機することにしました。怪我がなければいいがと、ただそれだけを願うばかりです。毎日のように出歩いて、誰にも迷惑を掛けずちゃんと帰って来るのですが、朝言ったことも昼には忘れてるから、とても心配です。ひょっとして突然ワケがわからなくなってしまって、さまよってるんじゃないかと・・・それから2時間ほどして、また家内から連絡がありました。「お母さん、警察に行ったって。一人で帰れるから来なくていい。今から帰るって」まず怪我なく本人が現れたのにホッとしましたが、ちゃんと頼んだのに、なんで留め置いてくれなかったんだと、帰宅するまでまだまだ心配が続きます。「よく考えてごらんな。路上にバッグを落とすなんて考えられないじゃない。どっかがおかしいと思う方が自然でしょ。なんで留め置いてくれと言わなかったの。迎えに行かなきゃ」って、ちょっと口調が荒くなってしまいました。「あっ、八つ当たりしてごめん。帰宅したらすぐに連絡してね」と言い仕事場で待ちました。そして更に2時間経過・・・その間何度も家内と連絡を取るが、帰宅した形跡なしです。「言わんこっちゃない・・・」神戸からだと1時間あれば帰って来れます。どうしちゃたんだろう・・・自己中な人なので、お財布が戻ったからのんきに買い物でもしてるならまだいいけど、またワケがわからなくなってしまっていたら・・・2時間経過し、タイムリミットです。警察に連絡し、現れた時の様子を聞くが、いたっていつも通りのようです。帰ってきた時、私がいる駅前の仕事場に電気がついてたら心強いだろうと待っていましたが、もういけません。捜索に出かける準備を始めました。いざ出かけようとした時、家内から電話が入り「お母さん、今帰ってきたわ」・・・やれやれです。母親が説明したところによると、神戸のバーゲンに行ったそうで、服を買うためお店の試着室にバックを置き忘れたそうです。その後いろんなお店を回っていてバックがないのに気づき警察に行ったそうです。そこには、お店から届けられたバックがあり、事なきを得たということ。帰りの電車が事故で遅れて帰宅が遅くなったそうです。「う~ん」路上で落としたんじゃないようです。「お店から届けられて・・・」と警察の方が説明してくれたら、それだけで随分こちらの気持ちが違ったのに、なんで本当のことを隠すのだろう・・・お世話になった警察に文句言ったら罰が当たるけど、あの法律はへんてこな運用をされてます。「人を見たら泥棒と思え」の運用は、人と人のつながりを断ち切ろうとしているとしか思えません。届けてくださり助けてくれたお店も教えてくれません。母親自身、忘れっぽいこともあり、「届けてくれたお店を教えてくれないのよ。お礼に伺わないといけないと思ってるのに」と言ってます。「あんたが忘れた本人なんだから、試着したお店ぐらい覚えとき~な」とは思いますが、そんなこと言ったら母親がかわいそうです。子供の時、散々僕のミスをきつくこの人から叱られたけど、自分が母親にそれと同じことをしようとは思いません。僕が傷ついたように、傷つくでしょうし、これから成長する者と衰えて行く者とは、心の強さが全然違うから。母親にはいろいろ意見したくなりましたが、ココはぐっと我慢です。家内が「面白いねえ~」とニコニコしています。この対応が一番だなと思います。僕も真似しときます。翌日、母親が家内のところに来て、すぐに連絡がつかなくて困ったから携帯電話を持ちたいから私に選んでくれるように言ってきました。家内からその旨連絡をもらい、昼休みにドコモさんで相談していると、そこに母親がやってきました。私の仕事場に来て、ココだと聞いて来たそうです。「私も電話を持ってた方がいいと思ったんよ。あんたもそう思って来てくれたん?」って、僕はあなたの希望を聞いて来たんですけど・・・家内に言ったことを忘れてしまったのでしょうか?苦笑いです。まあ、突っ込むのはやめて何も語らず、母親の思ってるようにさせときましょう。ドコモのお姉さんの説明は、丁寧で細かすぎて母親には分かりそうもなく、ポイントだけ私が翻訳してパンフレットを渡しました。そして翌日、「お母さんがよくわからないから、お兄ちゃんに頼むって」と。そして電話を買いました。初期設定をして、家族の電話番号を登録し、ワンタッチダイヤル3箇所には、仕事場、常に電源を入れてる弟の携帯、同じく長男君の携帯を登録しました。私の携帯は、必要な時しか電源を入れないので却下です。弟に、その旨電話し、神戸での出来事を既に知っていました。「お母さんから電話もらったよ」へっ、何処から?出かける時に携帯するのを忘れないか?電源を入れるのを忘れないか?充電が出来るのか?第一使えるのか?めんどくさいと放り投げるかもしれないなと思いながら、突然の出費になりました。今までに何度もあった、「単に振り回されただけ」に終わるのかも知れないけど、まあ仕方ないです。家族の自分から出た言葉には、出来るだけ応援する主義ですから。使わなくなったら、家内が使えばいいことだし、徘徊等で本当に必要になった時は、「いまどこサーチ」で居場所を特定できるし。基本的に新し物好きの母親だから、使い方に慣れ、頭の体操になることを願って。設定作業しながら、「これって僕の携帯と同じやねんなあ」と。母親用に購入した「らくらくホン5」は僕が使ってる「らくらくホン4s」の後継機種です。僕自身、子供達に近い方から、母親に近い方に携帯電話の世界では分類されるなあと。文字が大きく、ボタンも大きいのを希望すると「らくらくホン」を勧められるんだなあ・・・らくらくホン世代、万歳!
2009/01/14
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正月4日はお昼まで家内と一緒にTVを見たり、風呂に入ったり(注:家内と一緒ではありません)して過ごし、昼からバイクで北摂丹波をブラブラしました。まずガソリンスタンドです。今回は「244km/8.22L=29.7km/L」、燃費30km/Lを切ってしまいましたが、まあまあですね。私のホームグラウンド化してきた宝塚の山を抜けた向こうをプラプラです。いつものように長尾山トンネルを抜けて宝塚・三田・猪名川町の里山を縫う道を北に進みます。我が家のお墓近くでr12に合流、そのまま西峠を越え、さらにもう一つ坂がきつい方の峠・古坂峠を越えて篠山盆地に出ます。予想通り古坂峠の周辺には雪が残っていました。路肩にも雪があるし、路面は雪解け水で濡れています。正月三が日から思えば温かくなったこの日ですが、阪神間の我が家とは気温も標高も違います。朝一番に出かけようかなと思ったけど、「雪でこけたらあかんし」と思って午前中は自重していました。でもココまで来る間、数台のツーリングバイクとロードバイクとすれ違いました。皆さん朝早く出て、午後早い時間に帰路ということでしょう。篠山盆地前の峠を越えなければ、これもアリですね。R372を篠山方面に曲がり、すぐにr304・r305で篠山の北に入ります。予定では畑川に沿ってr301を北上し、多紀アルプスという豪華な名前が付いてる三峰の2つ三嶽と小金ヶ嶽の間を京都府側に抜け、本郷からr97でアルプスの裏を西進して、北から篠山に下ろうと思っていました。でもr301の北に上がる交差点を見過ごしたようでした。大体、古坂峠の様子を見て、もっと標高の高い多紀アルプスの峠越えは危なそうであきらめていたこともあり、r301の西進し、そのまま篠山の北をかすめ西紀の方まで行きました。途中、盃ヶ岳の西で北上する道方向に「ユニトピアささやま」という看板があったので、お風呂かなと思って行ってみましたが、パナソニック労働組合の保養所でした。でかいです。r301に戻る途中、「春日神社」という長い歴史を持ってそうなお宮がありました。立派な大木に守られるように昼なお暗い宮が階段を上るとありました。苔むした石段・・・いい雰囲気です。数日前は地元の方がお参りしたのでしょう。新しいお正月用の供えがされていました。井戸?かけ水場?には、きちんと洗われたタオルが掛けてあり、風に飛ばないように洗濯ばさみで留められていました。きちんと近所の方々がお守りしているようで、とても感じがいいです。すぐ隣にも同じお宮があります。こちらも一緒です。篠山は山陰から京都への通り道という重要な地の利があるので、古刹・名刹や社が多い地域です。r301を東に少し戻ると、盃ヶ岳の東側に入る北上する道があります。藤岡ダムに行く道みたいです。ここにも入ってみます。篠山盆地周辺の気軽に行ける高台を探索しています。家内に朝霧の雲海を見せたくて、家から1時間で行ける篠山盆地をターゲットにしています。もう冬になってしまったので、春までは夜明け前に峠道を上るのは危険なので諦めていますが、この春や秋に行けたらなと思っています。ヘアピンカーブを2ヶ所越えて藤岡ダムまで来ましたが、篠山盆地方面に東西の稜線が邪魔して狭くしか開いていません。ここはダメですね。最低限の標高300mはクリアしてる場所なのですが。またr301に戻り東進し、篠山の城北交差点から市内に南下し、篠山城址前でバイクを停めました。バイクの気軽さで駐車場はパスです。一番レフをバイク便ボックスからゴソゴソ取り出します。本当は昼間で最高の被写体もないので、コンパクトデジカメで撮ろうと思っていたのですが、生憎電池切れでデジタル一眼レフのお出ましです。タンクボックスからGPSなど金目の物をバイク便ボックスに入れて鍵を掛けていると、中型スクーターがやってきました。キョロキョロしながら私の横に置きます。「ここなら大丈夫かなあ、先客もいるし」という感じなのでしょう。久しぶりの篠山城址です。元旦も家族で篠山に来て牡丹鍋を食べたけど、城址はパスしました。石垣だけでお城がないからなあ。しかも車だと駐車料金かかるし。城跡に上ると、木造の建物が建ってました。観光資料館のようなものでしょう。ココはパスです。城跡は随分綺麗になっていました。西から眼下のお堀を見ると、ゲートボールのおじさんやおばさんが大騒ぎしています。南から三国ヶ岳などの篠山の南の峰をパチリ、東にあるもう一段高い天守閣跡?にある神社の木々の間を抜け亀岡方面の山々、そして今日行く予定で断念した多紀アルプスの山々をパチリです。バイクに戻り、出発の準備をしていると、先ほどの中型スクーターの方が下りて来られました。私と同じく一眼レフで写真を撮られています。なんか同じ臭いを感じ、「滋賀県からですか?随分かかるでしょう」と声を掛けました。4時間あまりかかったそうです。「ここが目的ですか?」と聞くと、特に目標はなく、行けるところまでというアバウトな感じで来られたそうです。「ではお気をつけて」とお先に城址を後にします。今度はr49を南下します。先月上った三国ヶ岳の美濃坂峠を越えて、前回の走行で気に入ってしまったr308を走ることにします。美濃坂峠にはやはり雪がありました。走行車線は濡れているだけでしたが、ゆっくり走ります。峠を下りr49を離れr308に入ります。青野川に沿う道は細いけど気持ちがいいです。オーバートップにギアを入れて、のんびり40km/hで走っていると、「あれっ、こんなにすぐに終わったっけ?」という感じで千丈寺湖が横に現れました。前回はここを真っ直ぐ行ってしまって別荘地帯に入り込んでしまいました。今回もr309の分岐を通り過ぎてしまいました。「前に進もうかな」とも思いましたが、ここのr309は走ったことないので、Uターンして無事r309に入ります。しばらくr308と並行して走り、ぐっと東に進路を変えます。北から来たr49に交差し、r49で南下です。志手原交差点でr37と合流し、三田とr12猪名川町を結ぶ東西のr68との交差点でr68に乗り換えて東進します。蛇行しながら東西に走る道と、南北に交差する道の関係が段々分かってきました。宝塚から篠山に掛けての道は、同じような標高の里山がポコポコあるので、迷路にはまり込んでしまったように最初思いました。いっぱい間違って最近はGPSのお世話にならなくても平気になってきました。西谷へのショートカット道に入り、私にとっての北摂の中心西谷農協交差点に到着です。ここでr33を横切り、南で大きく蛇行するr33のショートカット道に入ります。再びr33に合流し、西宮方面に抜けるr33と別れr325で長尾山トンネルを抜けて阪神間に戻ってきました。時速40km/hで車もたまにしか走らない田舎道をトコトコ、のんびりバイクのショート・ツーリング。気持ちよく正月休みの締めくくりです。冬を越えたら多紀アルプスを探索しないとね。5日は仕事始めです。メールチェックしないとね。家内から「今年も宜しく」という件名のメールが届いていました。「楽しい正月をありがとう。ター君の顔も見れたし、みんな元気で楽しく過ごせることが一番です」とありました。朝、家を出る時、遅れて届いた次男君の年賀状の事をメールで連絡していたのは知ってたけど、僕にもメールしてくれてたんだ。お返しに、カメラからPCに取り込んだお正月の写真を数枚添付しておきました。文字にされて送られてくると、なんか嬉しいじゃないですか。新しい1年、こちらこそよろしくですよ。
2009/01/13
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日曜日、夜8時楽しみにしていた「天地人」を見ました。見逃すまいとTVの前で横になっていたのですが、うとうとと眠っていました。家内の「始まるよ」の言葉で助かりました。始まってから「あれっ、今日1回目じゃないね」って家内が。前回は横で寝ていたような・・・起こしてあげれば良かったのかも。相変わらず上杉謙信はかっこよかったですが、2回目にして直江兼続さんが子役から一気に成長し、妻夫木さんに交代しました。なかなかいい子役さんだなあとおもっていたので、もう少し見ていたかったかな。ますます楽しみです。そのままNHKを見てると、「女と男」という番組になりました。最新の脳の研究からわかってきた女と男の脳の違いを、恋愛と離婚をキーワードに分かりやすく説明していました。「愛は盲目」というけれど、「女性は特定の人に愛情を感じると他の男性を排除しようと脳が働く」「男は女性を元気な子を産めるかどうかを、ウエストのくびれで判断し、ウエストとヒップの比率は7:10、視覚で女性を判断する」「女性は、人間が二足歩行したためにお腹の中で大きく育ててから産めなくなったので、出産後3年は育児に協力してくれる男性が必要です。約束を守るなど脳の記憶野重視で男性を判断する」「夫婦喧嘩してる時、男性は脈拍数がすぐに上がり、喧嘩を続けられなくなって男性から切り上げる。対して女性は言葉とは裏腹に脈拍は変わらず冷静なまま」・・・いろんな面白いことが説明されていました。子供が出来て、子供がどうにか自分で自分のことが出来るようになる3年が、人間夫婦の賞味期限だそうで、3年後離婚して新しいパートナーを見つけに行くのが自然なんだそうです。怒ってるような、泣いてるような、笑ってるようなわかりづらい表情を見て、感情を当てる問題が数題ありましたが、私は全問ミスで家内は全問正解でした。解説者が言うように、「男性は表情から相手の本当の感情を読み取る能力に劣る」そのままでした。こんなところにも、根本的な性差があるのですね。現代社会では、3年で賞味期限なんてことで頻繁にパートナーを替えられません。夫婦の約半数が離婚する離婚大国アメリカで、そんな脳の研究を円満な夫婦関係を保つために利用している研究者・臨床家がおられ、夫婦の会話で3年後離婚を予測したりしているそうです。夫婦の会話の中で離婚に至る言葉で重要なのは、男性側からの「相手を攻める言葉」と「相手を見下す言葉」だそうです。実験に協力したご夫婦のフリートークで、ご主人(アメリカ人に多い家計はご主人担当夫婦)が「奥さんの買い物の請求が来る月末のカード支払いが今月は大丈夫?」と不安を口にすると、奥さんは「必要なものしか買ってない」と反論し、ご主人が「カードで買うことは良くない事だ」と先人の言葉を引用し・・・ご主人が喧嘩になるからと会話の中止を申し出ていました。典型的な3年後離婚夫婦の会話だそうです。男性は他の男性と協力して獲物を獲らないといけないので、いろんな事象に対して解決策を探ろうとする。女性は他の女性と、円満な関係を保つために、コミュニケーションとしての会話を使うそうで、その解決策は必要ありません。不満を吐露してストレスを解消させるのにも会話を使う。なるほど、「何が言いたいのか」「どうして欲しいのか」論点のはっきりしない女性の話をダラダラ聞いていて疲れてしまうのは、私が男性だからなのですね。男女の会話の場合、女性が不満を口にしても、男性が解決策を探る必要はなく、解決策を女性のミスとして責め見下すと最悪の結果になる、ただ聞いていればいいだけだそうです。そういえば、結婚したての頃、おうちに帰りたい言葉をポロッと口にしたので、慌てて解決策を提案したけど、「ただ聞いてくれてたらいいの」と言われたことがあったっけ。結論を見い出せそうにない問題を口にしない男性は、どうしても口数が少なくなり、男女間の会話が3年でなくなっていきます。そこで有効なのは、男性が女性に質問すること。明確な答えも期待せず、解決策も探らない前提で質問をすることで、男女の会話が増える。どんな質問でもいいそうです。質問すれば答えが返って来て、言葉のキャッチボールが出来るというわけです。そして男女の会話で最も有効な言葉は、相手の将来の夢を聞く事だそうです。実験に協力していた先のご夫婦が、アドバイスによってお互いの将来の夢を質問する。奥さんの「子や孫が寄った我が家の縁側でロッキングチェアに座り、その後ろにあなたがいる姿」の答えに、ご主人の表情はとても緩んで、いい関係が戻っていました。ある年齢の時や晩年の相手が望む姿を共有しているだけで、途中の些細なすれ違いが小さなもののように感じるからだそうです。これにはなるほどなあと思いました。家内も一緒に見てたので、すぐにその質問をするのは、あまりに不自然なので、表面的には無反応を装いました。こちらは3回シリーズで明日が2回目なので、3日間連続のシリーズかもしれません。明日も見なくちゃ。家内とはずっと一緒にいたいので、いろいろ勉強しとかなくちゃね。それにしても脳の研究は面白いです。また脳研究の本を読まなくちゃね。茂木健一郎さんの「脳を生かす勉強法」というのが次ぎ読む本として在庫してありますが、今度は男女関係の脳の本を探しましょう。
2009/01/12
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(つづき)食事しようと入ったお店は並んでたので諦め、うろうろ黒壁スクエアを歩きます。長浜はガラス工芸で有名なようで、たくさんガラス工芸のお店があります。家内のお目当ては、ペアのワイングラスです。近江舞子駅で乗り換え電車を待ってる時、改札近くにあったパンフレットを数種類持って来ました。ちょうどそこに長浜の紹介がされており、そこに写ってたワイングラスが気に入ったそうです。2つのグラスを合わせると、両方のハートの片割れデザインが1つになってハートが完成します。一瞬我々夫婦もまだまだ熱々やなあと思いましたが、当然違いました。「これ次男君にプレゼントしよう」ということでした。ガラス工芸雛人形に釣られて入ったお店で、「これを下さい」というと、なんと違うお店でした。目的のお店を教えてもらって何も購入せずに出てきました。なんか申し訳ない気持ちになりました。「雛人形買ったらよかったかな」とちょっと後悔です。目的のお店に入り、もう一度「これ下さい」「ああ、これですね。このパンフレットは、何処でもらわれました?」って逆取材されてしまいました。いろんなところでいろんな作品が紹介されて、お店の人も分からなくなってしまってるのかもしれません。奥に在庫はなく、「これでいいですか?」もちろんかまいません。展示品を箱に入れてもらいました。家内は嬉しそうです。最近何処の観光地にもあるオルゴール館に入り、そこに2Fで遅い昼食を取りました。近江牛のカレーライス1100円です。「近江名物」となっていたので、一応ご当地産品を賞味させてもらいました。オルゴール館でうろうろしていると家内がキーホルダーを見ています。「ひこにゃん、じゃないんだ~」彦根城の築城400年祭の宣伝を盛んにTVでやってたのが残ってるみたいです。確かにそのマスコットは「ひこにゃん」でした。でも、彦根城は確かに湖東だけどもう少し南で、ここは長浜ですから「ひこにゃん」はいないでしょう。いるとしたら、「ながはまにゃん」とか、秀吉さんの最初のお城だから「かんぱく君」とか。家内がちょっとかわいく見えました。「ひこにゃん」は確か兜を被ってたような?かわいいマスコットだったような。マスコットと言えば、最近は何と言っても「せんとくん」でしょう。奈良の平城遷都1300年祭のマスコットです。裸の小僧の大仏さんが奈良公園の鹿の角を生やしてるデザインで、最初見たとき、「大仏さんに角はやしていいんか?」と半分笑い驚きました。「インドみたいに暑いとこじゃないのに、なんで裸やねん」など、なんぼでも突っ込めます。そして「だせ~」センスのなさぴか一です。どう考えても麗しき女子は買わんでしょう。小僧大仏さんが愛想振りまいてます。一緒に見ていた家内も「いやん。なんかねえ」と笑ってたような。私の中では、ブラックユーモア的に印象に残る度No1でした。予想通り各方面から「ダサい」「かっこ悪い」から「大仏様を侮辱している」まで、マイナス高感度最高潮の指摘が乱れ飛びました。ただインパクトは最高得点でした。多分生涯このマスコットは忘れないでしょう。そういう意味では、「ひこにゃん」なんて遠く及びませんね。ブラックユーモア的にも一つ言えば、平城京から平安京に遷都された「嘆きの平安遷都1200年祭」なんてやって、「泣いてるせんとくん」をマスコットにしたら、せんとくんの2つのキャラクター集めが濃いフィギアコレクターの間で勃発するかも?なんて思うのですが・・・まあないね。これからの奈良に、ブラックな路線は如何でしょうか?
2009/01/10
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お正月の3日は、家内と一緒に琵琶湖の東、秀吉の最初の城があった長浜見物に行きました。敦賀行きのJR新快速に乗れば、一気に2時間弱で行けるのですがそれでは面白くないし、ここ数日の北部の雪模様を考えると雪も見てみたい。そこで、湖西線経由で時計回りに琵琶湖を回ることにしました。京都駅からの乗換えで、湖西線経由新快速敦賀行きがありましたが、急ぐ旅でもないので各駅停車の普通電車に乗り込みました。各駅停車は、一気に琵琶湖の北まで行けず近江舞子までしか行けません。「近江舞子で次の電車との乗り換えはスムーズに行くだろうか」と、運転本数の少ない湖西線の状況を知ってるだけに一抹の不安が・・・そんなこと知らない家内は、窓から見える琵琶湖に見とれ、反対側の比叡山の雪に「綺麗ねえ」と言っています。比叡山やその北に見える山々が実に綺麗で、私は駅で止まる度に一眼レフを抱えてシャッターを押します。新快速は満席だったけれど各駅停車の車内はガラガラで、4人掛けのシートに家内と2人です。1両に10人ほどしか乗っていません。その中には「鉄っちゃん」と思われる男子や、私たちより先輩のご夫婦もいます。写真を撮ってるのは私だけじゃなく、先輩ご夫婦は、2人でカメラをぶら下げています。なんかとてもいい雰囲気のご夫婦です。近江舞子で終点になったので次の電車を待ちます。次も各駅停車で、近江今津行きです。また近江今津で乗り換えです。駅のホームの待合部屋に入ると、真っ赤なカッパ上下を着た5歳ぐらいの男の子とお父さんがいました。お父さんの手にはソリがあり、北のもっと雪の多いところに雪遊びにでも行くのでしょう。お子さんが無邪気な質問をお父さんにし、お父さんは邪魔臭がらずにきちんと答えています。こんなお父さんのいる家庭で育つ子は幸せですね。大人から見ればおばかな質問でも否定されなければ、子供はいろいろ考えるでしょう。否定されてしまうと、疑問を親に質問する行為そのものをしなくなります。何かに興味を持つごく自然な行為そのものもやめてしまいそうです。近江舞子から近江今津までもいい景色が続きます。琵琶湖の北湖は海のように広がり、山の雪は線路に迫るというより、線路やホームは雪だらけです。シャッターチャンスはいくらでもあります。どこかの駅で特急に抜かされるので駅待ちしましたが、「鉄っちゃん」達が車内から湧いてきて、一斉にホームに並び通過列車にカメラを向けています。JRの地方線ではよくある光景ですが、なんかJRの歴史を感じます。近江今津からは、これ以降各駅に停車する新快速に乗り換えになりました。そしてここから4駅で近江塩津に到着です。近江塩津は、琵琶湖の北で時計で言うと12時の位置にあります。湖西線と琵琶湖の東を北上してきた北陸本線との合流地点です。ここで乗り換えて、今度は湖東を南下です。前回ここに来た時は、福井県の永平寺に青春18切符で向かう時でした。その時も冬で、朝早かったこともあったのだろうけど、一面の雪景色でそれは見事でした。そこをJR特急が通過して行き、にわか「鉄っちゃん」になって、本職「鉄っちゃん」に並んでカメラを構えていました。余呉湖のすぐ横を通ります。釣りのお客さんが結構いましたが、余呉湖ってこんなに小さかったっけ?と思うほどこじんまりしていました。続いて琵琶湖の北が少し見えてきて、それからは少し湖岸から離れるので直接琵琶湖は見えなくなりました。でも反対側の白を被った山々が見えてきます。米どころ近江平野、浅井長政の元支配地域です。そして目的地長浜駅に到着しました。なんと4時間半もかかってしまいました。でも楽しい電車の旅でした。気温はぐっと下がっています。湖西線の北からここまで押しボタン式の扉開閉電車でした。駅で扉を開けっ放しにすると車内が冷えるので、乗り降りのお客さん自身が扉の横についているボタンを押して開閉します。駅を出て、まず長浜城見学に向かいます。ここは近年新しく作られたお城なので雰囲気はありませんでした。中は展示館になっており、秀吉関係の物や近江の産物や歴史が紹介されていました。お城の5F天守閣が展望台でなっており、外に出ると360度の展望が開けていました。琵琶湖に雲間から差し込む陽光が帯を差していました。南からは彦根から遠く琵琶湖大橋が見えます。冬は空気が澄んでいるので展望が利きますね。東は真っ白な伊吹山です。何度か車で登った伊吹山ドライブウェイが山肌に黒い線を刻んでいます。長浜城は湖岸にあるので、一旦駅に戻って今度は駅の反対側の長浜市内に向かいます。ここも篠山同様、古い町並みを保存し、観光客を呼ぶ工夫がされています。黒壁スクエアという一角があるようです。まずは腹ごしらえと適当なお店を覗くと、既に1時を回っているのに満席でお客さんが並んでいます。「長浜名物」という看板がかかっていたので、思い出しました。以前知り合いのご夫婦に連れて来て貰ったお店です。確かに店内は雰囲気があって、大昔のこの店のメニューが飾ってあって、確かライスカレーというメニューが数円というとんでもなく安い値段であったような。とても長い歴史のあるお店でした。(つづく)
2009/01/09
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重大な事実に遭遇しました。思わず「ほんまかいな?」と声に出してしまいました。といっても、我が家には何の影響もないのですが・・・「登美彦氏が結婚したそうな?」ほんまかいな?独特の作風で大いに笑わせていただいているのと、子供とのちょっとした関係で気になってる作家、森見氏が結婚したそうです。本人の書いた物を読んだだけなので、事の真相は藪の中です。大体、この人の書いたものはそもそも信用できないからね。でも本人にとってオフィシャルな場(これも信用できないかも)での発表なので、信憑性が高いのではないかと思われます。でも・・・でも・・・ほんまかいな?四畳半の貧乏長屋でいじけた生活を送ってるのが似合う(と勝手に思ってる)森見氏が、見目麗しい「夜は短し、歩けよ乙女」風女人と、お手々つないで初詣に歩く姿なんて想像できないぞ。これからも私生活とは関係なく、「奇想天外」・・・「荒唐無稽」・・・「そんなあほな」・・・「ありえへん」・・・「ない考えてんねん」・・・という最大級の褒め言葉で私から賞賛される作風を続けてほしいと願います。
2009/01/08
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2日は、家内と母と私の3人で、姫路の北にある書写山圓教寺に行きました。家内の里播州の名刹書写山には行ってみたいと前々から思っていましたが、今回初めて訪れることができました。高速道路から何度も見ていた書写山ロープウェイ目指して出発です。高速ICから15分ほどで下の駐車場に到着です。70人乗りのロープウェイに乗り、山上駅に着きました。ロープウェイのお姉さんの説明で、天台宗のお寺で、本山比叡山に続く古刹のようで、大山とここと比叡山が三大修行場だそうです。天台宗は山の中を歩き回って修行するので、お山全体が修行場なのでしょう。でも比叡山に比べれば山が深くなく、修行場と言えばやはり和歌山や奈良の深い山の中の方が似合います。母の足のこともあり、そこから徒歩600mの上りをバスに乗り中心部に入り、書写山名物という山菜うどんを食べてから、点在する伽藍を巡りました。見てみたいと思っていたトムクルーズ・渡辺謙主演の映画「ラストサムライ」の館ロケに使われたお堂を観ることが出来ました。その横には、姫路城主本多家歴代のお墓が並んでいる墓所がありました。立派な墓石を趣のある東屋が囲んでいます。お墓を見て回ると・・・ありました。次男君の名前を付けるときに、いろいろ調べて、決定する決め手になった方のお墓が。姫路本多家初代城主さんです。子供達の名前は、私の小学校の同級生のお父さんが神主さんをしてる近所の学問の神様にお願いしました。長男君のとき、私達夫婦の名前を一字でも入れたいことや、元気はつらつで賢い人に育って欲しいと、昔から知ってる友達のお父さんという気安さから贅沢なお願いをしました。数日後、字画などでいくつかの名前を書いた半紙をもらいました。そこから長男君の名前を選びました。私の一字が入り、家内の名前の読みが入り、私の2人のお婆ちゃんの名前の読みをミックスした素晴らしい名前を付けることが出来ました。私の名前は、父の一字をもらった武将のような名前で、とても気に入っています。長男君も同じように武将さんにいた名前になりました。そして3年後、次男君が生まれました。同じように友達のお父さんにお願いしました。やはりいくつか候補をもらったのですが、どうも長男君以上の名前がありません。次に気に入った名前でもいいのですが、どうも私自身が2人の子に温度差を持ってるようで嫌でした。次男君にも「これが一番素晴らしい」と思える名前をつけたかったのです。そこで、候補の名前をいろいろ調べ始めました。漢字やいろんな読み方で・・・今ならPCで検索すれば一気に調べられるのですが、当時は辞書を引いたりして結構時間を掛けました。長男の時はしなかった武将の名前を特に調べました。戦国武将の懐刀的な人がいいなと。そこから浮かび上がってきたのが、次男君の名前です。長男君同様、私の名前の一字と家内の読みが入っています。家内の育った播州、特に義理母の育った姫路の城主で、家康さんの重臣。そしてもう一人、同じく家康さんの重臣で、東京の青山という地名の元になってる青山さんの名前も字は違うけど同じです。どちらも側近中の側近です。武将の名前では、私や長男の名前をはるかに凌駕した素晴らしい名前をつけてあげることができました。その本多さんがココに眠っていました。(映画「ラストサムライ」の館)小修理を繰り返している感じはなく、随分ほったらかしの感じで墨絵そのものの白黒の深い雰囲気が漂っています。修行僧の拭き掃除などはきちんとしながらも、京都の観光寺のような華やいだ雰囲気はなく、いかにも修行の寺という感じです。「ラストサムライ」の雰囲気にピッタリです。書写山は標高400mほどの山ですが、高い山がない播州においては姫路に開けた高峰のようで、正面に姫路の町並み、その向こうに家島、その西には小豆島が見えます。西には岡山県の山々が、家島の向こうに四国、東に淡路島まで見えます。更に頭を東に振ると明石海峡大橋がくっきりと見えていました。冬の澄んだ空気とはいえ、絶景です。大晦日から元旦に掛けて、オールナイトでロープウェイが動いていると書いてありましたが、年越しの行事見物に加え、ココからの初日の出ウォッチングもなかなかのものでしょう。山頂駅までのバスは、往復切符になってるのですが、母を家内に頼んで、私は歩いて山頂駅まで戻ることにしました。途中の伽藍をカメラに収めながら、眼下の景色も楽しみながら・・・それでも1km弱だったので、家内の乗ったバスより早く山頂駅に戻ることが出来ました。坂を山頂駅まで下りると、車椅子のおじいさんを押した家族が坂を見上げて思案していました。「行く?行けるかなあ?」「俺は待ってるから」などの声が聞こえてきます。「この坂を車椅子を押しながらでは大変ですよ。バスがあるからそっちにした方がいいですよ。私の母もそうしましたよ。使っていない切符持ってますから、これあげますよ。付き添いで誰か1人分の切符を購入されて、他の方は歩いて上られたらどうですか?」なんてでしゃばったアドバイスをしてしまいました。家内の乗ったバスが下りてきて「このバスですよ」と私の切符をあげて、ケーブルカーに乗って下山しました。
2009/01/07
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今年の正月は、次男君だけが帰省しました。長男君は、11月に法事で帰って来て、今月は結婚式、来月は法事で帰ってくるので、正月休みの帰省はパスとのことでした。家内によると、全国有数の初詣の名所、川崎大師さんに3時間並んでお参りしたと連絡があったそうです。3時間も並ぶなんて、僕には出来ない芸当です。まあ今は将来に向けての大切な年齢なので、親より自分の将来を優先して欲しいです。だってそれが結局、親の喜びでもあるからなあ。元旦は、例年通りお墓参りです。朝8時に家内と次男とともに出発し、家内の実家のお墓に。10時に帰宅し、隣の母を乗っけて我が家のお墓に参りました。弟の家族も一緒だとよかったのですが、長男君が今年中学受験で、元旦から塾です。午後、彼を塾に送って墓参りに来るそうです。我が家の中学受験は大昔の話ですが、ご苦労様なことです。家内によると、「今から中学受験なんてもう出来ないわ」との事です。毎日塾弁当を作って・・・長期休みは昼食と夕食の2食だから、子供達は1食はコンビニ弁当でした。家内もそうですが、子供達もよくがんばりました。お墓参りの後、久しぶりに家族で篠山に食事をしに行きました。元旦から開いてるお店があるのか不明でしたが、観光地だから開いてるところもあるのかもと期待してです。篠山城址を横に見て篠山中心地に入り、まず「しし肉のおおみや」さんを目指します。ところが前あった本店が見つかりません。子供達が小さな頃、毎年のように篠山の「おおみや」さんにお邪魔して、朝一番に仕留められ店頭にひっくり返ってる猪さんを見てから、市内散策していました。以前に食べたことがあるここらで一番高いお店で、牡丹鍋を食べました。ココしか開いてなかったから仕方ないです。元家老屋敷だったと思います。雰囲気はいいのだけど、根っからの貧乏性の私には、5000円以上の昼食なんて・・・お店の方に聞くと、時代は変わったようで、店頭で猪がひっくり返っている光景はなくなったそうです。衛生面だとか、残酷だとかからなんでしょうが、ちょっと寂しく思います。久しぶりの本場の牡丹鍋は大変うまかったのですが、前回ここで食べた鹿肉の刺身はメニューにありませんでした。この辺には鹿がいっぱいいるのに保護されているのでしょうか?それとも鹿さんを食べるのがかわいそうと、注文がないのでしょうか?ここ数年、かなり増えて農家の方が獣害に苦しんでいるのにね。バイクでこの近所を走っていると、網や電気柵で囲った畑がたくさんあります。追加でうどんを注文し、うどん鍋でみんなお腹いっぱいで大満足でした。そろそろ帰ろうかなと家内がトイレに立つと、母がおもむろに財布を取り出し、お金を出し始めました。「いいよ払うから」と言ったけど、大層ご機嫌のようだったのでおごってもらうことにしました。母の家の光熱費から電話代までみんなこっち持ちで払ってるから、まあいいか。僕らがいるからというのじゃなくて、孫が東京から帰ってきてるからご機嫌なんでしょう。もう働いているのに、まだお年玉をあげようとするし・・・多分裏であげてると思うけどね。そういえば、息子が東京から母のところに電話を掛けたことがあるそうです。「お婆ちゃん、僕の電話の声こんなんやで。最近振り込め詐欺があるから間違ったらあかんで」と言ったそうな。横に息子夫婦がいるからまずこっちの相談すると思うけど、やさしい息子達です。相変わらず、何度か同じ話をしていましたが、私達も息子も笑顔で聞いて返事していたので気持ちよかったのかもしれません。お土産屋さんに寄ると、いつものように勧められたものをポコポコ買っています。また食べられないからと、後で我が家の方に持ってくることになるかもしれないけど、「ご機嫌だからまあいいか」と家内と笑顔で見ていました。意見したらかわいそうです。
2009/01/06
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日曜日、夜8時NHK総合TV・・・楽しみにしていた大河ドラマ「天地人」が始まりました。昨年、「篤姫」が人気だったらしいですが、ほとんど見ませんでした。大河ドラマは、「義経」以来だと思います。これは、家内が次男君に似ているとご満悦だったタッキー君が主役だったからで、「似てるかなあ?」と家内にお付き合いで見ていた程度でした。私にとっての大河ドラマは、中高生の頃だったと思うが、欠かさず見ていた「天と地と」上杉謙信(長男影虎)です。石坂浩二の謙信がとてもかっこよく、石坂浩二をTVで見ると、今でも上杉謙信が思い出さるぐらいです。あまりにかっこよくて、自分なりに調べたり本を読んで、「生涯一度も隣国を攻めなかった」「当時最強の武将だった」「他国に出陣する時は、他国から攻められての救援要請に呼応する時のみ」「他国救援に兵を動かしても、その見返りに領地を求めなかった」この欲のなさの根源は、「領内産業振興に努め、領内庶民を富ませ豊富な資金源を持っていた」からで、最強の軍事力を保ちながら専守防衛に徹する姿がわかった。以来、戦国武将の中でダントツに好きなのが上杉謙信です。ちなみに2番は明智光秀で、こちらも庶民に優しい領地運営で慕われていたことと、システマチックで信賞必罰の織田軍団のナンバー2でありながら、信長とは違う和や赦しの心を持っていたからです。軍団内幹部武将で、次々に謀判者が出た信長は、光秀に討たれなくてもいずれ討たれただろうと想像されます。部下が信長軍団と対立する石山本願寺に裏で兵糧を流したとうわさが立っただけで、信長から首を取られると思い信長と対立する道を選んだ信長軍団の強力武将荒木村重は、有岡城を攻め落とされたが、秀吉の時代に復権して秀吉のお膝元大阪で千利休の弟子として秀吉と友人関係を保ちながら生涯を全うできた。これは、秀吉も信長のやり方に疑問を持っていたからだと思われる。光秀の娘ガラシャが嫁いだ細川家が、徳川の世も大きな力を保ち続けたのも、家康が光秀を悪と思っていなかったからだと思う。室町幕府を倒し、短期間に戦国乱世を統一平定に導くには信長のあの非常さが必要だったかもしれないけど、どうも好きになれません。それの対極にあったのが上杉謙信の生き様です。今回の大河ドラマの主人公は、上杉謙信の養子上杉景勝の懐刀直江兼続。直江さんについては、名前だけしか知りませんが、越後の謙信以来、徳川時代の終わりに再び光を放つ会津藩・米沢藩に受け継がれる謙信の生き方に再び触れることが出来ると楽しみにしています。きっと「利」ではなく、「徳」「義」「忠」の生き方が全面にでるものと思います。藤沢周平の「品」の小説の舞台が、会津地方の架空の海坂藩なのも、私の上杉謙信好きにさせていると思います。第1回目を見て、兼続の少年時代を演じた子役さんが、実に良かったです。なんかいい役者さんになる予感です。
2009/01/05
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