存生記

存生記

2006年07月08日
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「岡本太郎、明日の神話」をテレビで見る。少し前にシンポジウムのような催しがあって、そこにテレビ局のディレクターが来ていた。岡本太郎の番組を作るので取材に来たという。彼は、岡本太郎と秘密結社「アセファル」の関係を知りたがっていた。それからしばらくして今回のオン・エアーとなった。さて、どんなふうに料理したのだろうと気になっていた。日本のみならず、パリ、オルレアン、ローマ、メキシコと網羅して、関係者のインタビューをとってくる機動力には畏れ入った。岡本太郎美術館の協力のもと、2時間半という長尺というだけあって力が入っている。

 感想としては、映像のもつ強さと弱さをそれぞれ感じたということである。岡本太郎や敏子さん、関係者の映像はインパクトがある。ローマ大のマリナ・ガレッティ女史の映像などは本邦初公開であろう。太陽の塔に立て篭もった人が、北海道で下着屋をやっていて、当時の様子を語る場面もおもしろかった。「アポ無しの精神こそ岡本太郎から学んだ」という「電波少年」のディレクターの言葉には、なるほどと苦笑した。

弱さは、再現ドラマやゲストとのトーク、芸人やミュージシャンを呼んでのフェスティバルの映像に現れている。全体として関口宏が司会をしていた「知ってるつもり」の拡大版を見ているような感じである。空気の読めるベテラン女優が華をそえ、泣き女じみた役割を受け持ち、なんだかんだと賛辞をおくる。再現ドラマでは、太郎と敏子のラブストーリーが描かれる。視聴者がラブストーリーに感情移入できるようにとはいえ、敏子役が菅野美穂というのもギャップがありすぎる。顔だちの似ている瀬戸内寂聴がやってもよかったのではないか。

汐留の祭りというのも、万博の縮小版のような感じで、太郎がフランスの森で体験したであろう祭りとは似て非なるものかと思われる。このあたりは、若者人気の太郎のイメージにあわせて盛り上がろうという構えなのだろう。鈴木ムネオがクラブのDJをやったムネヲ祭りとたいしてかわらない。エキセントリックで変なおじさんを祭り上げているに過ぎない。これは、晩年のテレビに出て笑いをとっていた岡本太郎の負の遺産なのかもしれない。

岡本太郎の作品のどこがどのように凄いのかという説明はなく、やいのやいのと褒め称えていた印象が残った。そのあたりを詳しく説明していくと、視聴者が退屈してしまうという危惧があったのかもしれない。シュルレアリスム、ピカソ、人類学ブーム、バタイユとの関係、戦争体験……これらの主題を「芸術とは呪術である」というスローガンのもとに押し切ってしまった感がある。近代に対する反近代としての呪術再考という図式では、単純すぎる。番組では、岡本太郎の思想のキーワードである「対極」という言葉が出てくることはなかった(ように思う)。

ともあれ、岡本太郎が若者に人気があるというのはわかる気がする。本業は画家なのかもしれないが、とにかく文章がいい。力と熱度がある。番組でも断言の魅力について語っていた。日本の現代の思想家のなかでも、これほど魅力的な語り口をもった人はなかなか見あたらない。太陽の塔に立て篭もった男も「岡本太郎にアジられたのでしょう」と当時のことを振り返っていたが、岡本太郎はアジテーターとしても一級の文章を書いている。読んでいるうちに心中穏やかでなくなる感じはニーチェの文体を彷彿とさせる。そういえば、ニーチェも若者向けの箴言集みたいな本が日本でも出ていたことがあった。巧妙に逃げをうつ小賢しい文章でもなく、難解さに拘泥する形で権威をひけらかす文章でもなく、若者が惹かれる文章というのは、岡本太郎のようなズバリ言い切る痛快な文章なのである。

Be Taroというのが言われていたが、安易に岡本太郎を目指したらどういうことになるか、そもそも岡本太郎とは目指されるべきものなのかという問題もある。誰かを目指すという行為自体、岡本太郎は否定していなかっただろうか。岡本太郎はピカソを超えようとはしたが、ピカソのようになりたいとは思わなかったはずだ。

岡本太郎の気合いが漲った文章に感化されれば、勢いだけはつくかもしれない。彼の文章は、瞬間的にポシティヴになれる興奮剤のようなところがある。だが、岡本太郎は猛勉強の人でもあった。太郎がフランス留学中の逸話はいまでも語り継がれている。あそこまで確信をもって一つの立場に賭けられるようになるには、それ相当の研鑽があった。とはいえ、そういった面を強調しすぎると岡本太郎を神格化して太郎自体を「新たな神話」へと利用してしまうことになりかねない。今回は、テレビ局のパワーを再認識した機会でもあったが、下手に勘違いすると「きっとテレビ局にアジられたのでしょう」ということになりかねないとも感じた。

岡本太郎はテレビ用の顔と裏の顔と二つある。裏の顔とはパリ留学時代から密かに隠し持っている顔である。その毒たるやテレビで流せる類のものではないと思われる。そこがテレビの限界でもあるわけだが、そのあたりを暗示できれば一応は成功ということになるのだろう。今回の番組では、そのあたりは物足りなかった。岡本太郎が「アセファル」のメンバーであったという「発見」は、すでに研究者や愛好家のあいだでは周知の事実である。あそこで仰々しく取り上げられていた資料にしても、ふつうに本になってセーヌ川沿いの古本の屋台で売っていたりする。そのあたりのテレビ局の「ハッタリ」は、そういった事情を知らない視聴者に通じるであろうから、それである程度の数字がとれればきっと良いのであろう。
taro





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最終更新日  2006年07月08日 20時09分51秒


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