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最近スポーツ選手のインタビューで「感動を与える○○をしたい」とか「感動を与えたい」とかいう応答を耳にする。一時は「自分を褒めてあげたい」なんて言葉が流行っていたが、あれもどうかと思ったが、それは個人的なことなので勝手に褒めてあげればいいとうっちゃっていた。 最近の「感動を与えたい」というのは、押しつけがましいだけでなく驕りが見え隠れする上に、自分本位の価値観をコチラ側に押しつけている感じがあって好きになれない。だいたい、そんなにすべてのスポーツに関心のあるわけでもない。「感動を押し売りされるなんてまっぴら御免」と思うのは小生だけだろうか。 感動するかしないかは、コチラサイドの自由で、あなたに「与えられるもの」ではない、という反感が先に立つ。感動はプレーする側が「与えるもの」ではなく、プレーを見る側が個人的に、それも個人個人によって違う価値観に基づいて感じるもの、「湧き出てくるもの」のような気がする。あの物言いはプレーする側の一方的な価値観である「感動」を、一律に押しつけられている気がするのだ。 小生はあなたと価値観を同じではないので、小生の感動をあなたの側から左右されるなんて御免被りたい、と、同じ言葉を繰り返すだけのアスリートたちに申し上げたいのだが、おそらく耳に入っても、何を言っているか、わからないだろうな。
2008/01/26
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人口500人くらい山の中の村で、80歳近い老夫婦が暮れから山に入って帰ってこず、年が明けて山中で死んでいるのが発見された。いまさら政治の無策をいうつもりはないし、いっても無駄であろう。むしろ、この2人の死に方に感銘した、といえば言い過ぎだろうか。 同居する肉親は居なかったらしいが、子ども夫婦も居ないわけではなく、後に残された者の世間体の悪さや納得の出来ない思いもあろうが、それにも増して、死を決して、山道を辿る老夫婦2人の姿に心打たれるものがある。 どちらが言い出したのだろう、どうして従う気になったのだろう、決して反語的な意味ではなく、素直にその気持ちを聞いてみたい気がするのである。姨捨山以後、生きすぎた老人の死の決死方は老人にあるのではなく、医者や家人に握られていた。それを自身の手に取り戻したという意味でメルヘンなのである。 寒さと餓えで消えゆく意識の中で、彼らは何を話したのだろうか。それは決して悲惨な死ではなかったと思うのは、私だけだろうか。
2008/01/25
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午後から焚き火をした。 焚き火の火を気にしながら、フォークソングを聴きながら、学生時代に読んだ本を読むと、そのころ読んだ感じとまったく違った読後感があるから、読書というものは不思議なものだ。 山田宗睦と松田修や宮本常一の著作はボクの学生時代の愛読書でいろいろ刺激を受けた記憶がある。少し調べ事もあったので、 今日は山田宗睦著『ろくろの唄』を繰っていた。 以前読んだところと違ったところが気になる。たとえば旧制中学時代にはじめて学術書を手にしたという記述、たとえばある本を書くとき航空写真による地図が使いたかったのに当時の金で800万円かかったので5万分の1で妥協した話など、以前はそれほど気にならなかった内容とは別個な情報が目に飛び込んでくる。また著者が、いわばアカデミックな歩みをもった学者の本ではなく、東木竜七や古島敏雄といったどちらかといえば叩き上げ的な実践主義者に目が向いていたことなど、この『道の思想史』著者の傾向/性向を物語るものとしておもしろく感じた。いわば本の内容とは別個な情報を楽しんでいる。 焚き火は、そのゆらめきのせいか、なかなかまとまった思索はしにくように思えるが、思考の鎖を断ち切って解き放ってくれる効用があるのではないか。けれども5時過ぎ、雪がちらついてきたので今日はそろそろ家の中に退却しよう。
2008/01/20
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夜9時過ぎには寝ることが多いので、朝は4時過ぎになると目覚める。夏はまわりも明るくなるのでノタノタ起き出して瑠璃と散歩に行くが、冬はまわりも暗いし、なによりも寒いのでなかなか布団から出る気にならない。それでも4時前後であれば早晩小用に行きたくなるのがわかっているのでサッサと起きて用を済まして、また布団の中に戻りウツラウツラの時を過ごす。ラジオは一晩中スイッチを入れたままである。5時15分前後に、ラジオ深夜便から、ラジオ朝一番になる。ウツラウツラしながら、天気予報だの、ニュースだのを聞いている。寒に入ってからは寒いので「健康ライフ」を終えるまでは布団の中にいることにしている。起きてるでもなく、寝ているでもなく、ウツラウツラ過ごす。これはある意味、至福に近い。 ところが、目覚めるのが5時前後であると、この判断が難しくなってくる。もう30分もすればいずれにしろ起きるのだから、小用を我慢して、布団の中の生ぬるいウトウト感を味合えればそれが一番いい。けれども、判断が誤って小用が我慢できなくなると20分前後に起き出すことになる。そうなると、わずか10分早いだけだが、寒気が一段と厳しく感じられるばかりか、なにか寝たりない感じが残ったまま一日を暮らすことになる。10分ちがうと、外の明るさも随分ちがう。オーバーズボンなど厚着をして、懐中電灯を持って玄関を出る。 喜んでシッポを振るのは瑠璃だけだ。濃紺の空にオリオンがまだきれいに見える。
2008/01/18
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日本ナショナルトラストでかつて「自然と文化」という興味ある雑誌を出していたが、その67号は「ニホンミツバチの文化誌」という特集が組まれていた。HPで知って早速注文したら、とてもいい内容だったので、蜂仲間にも進呈しようと5冊注文したら、もうそろそろ品切れだと担当者が知らせてくれた。どうやら雑誌そのものも存続が危ういとのことだったので、絶版処理される前にと、他の「自然と文化」のバックナンバーも含めて三度注文を出したことがあった。 さてその「ニホンミツバチの文化誌」の中に、和歌山の古座あたりの古式養蜂のレポートがあって、そこでは「社日に巣箱を設置する習俗がある」主旨のことが書いてあったと記憶する。 冬から春先にかけてのわれわれ蜂仲間の楽しみは巣箱づくりだ。巣箱をつくりながら、今年の計画をアレコレ練っている時間が、ニホンミツバチ飼育の、あるいは一番楽しい時間かもしれない。本当は今日あたり1箱か2箱、巣箱をつくろうと思っていたが、気温が2度から上がらないので、寒さにめげてやめた。けれども今年はK氏から示唆を得て横巣箱をつくろうとしていたので、先日来、野地板を買ってきて、寒中の陽に曝している。 さて、まだ出来てもいない巣箱だが、前述の「ニホンミツバチの文化誌」の中にある「社日」とはいったい何のことか。ネットで調べると、社日は、「しゃにち」と読み、雑節の一つで、「産土神を祀る日。春と秋にあり、春のものを春社、秋のものを秋社ともいう。社日は古代中国に由来し、「社」とは土地の守護神、土の神を意味する。春分または秋分に最も近い戊(つちのえ)の日が社日となる。この日は産土神に参拝し、春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋にはその年の収獲に感謝する。また、春の社日に酒を呑むと耳が良くなるという風習があり、これを治聾酒(じろうしゅ)という」という説明があった。また「福岡県嘉穂郡では、社日には海辺へ出て清い海砂を持ち帰り、家の内に敷きます。これは家を清める役割があるそうです。長野県小県郡では土地(田)の神様が、春に山から里へ降り秋になると山へと帰っていくと考えられているため、社日には餅をついてお祝いします。また、京都府中郡では、朝早くから東に位置する寺やお地蔵さまにお参りして日の出を向かえ、その後順次に南を廻って西へ行き、日の入りを見送るという風習」があり、どもう「社日」は、その地域ごとの神様を祝うので行事の形は様々のようだ。なにやらニホンミツバチ養蜂の歩み来た道を遡るような嬉しい記述だ。 陰暦から離れている小生には「春分または秋分に最も近い戊の日」といわれても、ピンとこないが、どうせ待ち箱を設置するのなら、そうした流れの中に自身の行為をおいてみたい気がする。調べてみると、今年は3月19日が春の社日にあたることがわかった。倣うことで知ることも多いはず。今年の待ち箱は社日に設置しよう、蜂仲間諸君。 ※「ニホンミツバチの文化誌」の雑誌はすでに絶版かもしれないが、幸いなことにHPにその大半が掲載されているので興味のある方は参考にされたい(http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00727/mokuji.htm)。
2008/01/14
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今朝は寒かった。 昨日に引き続いて雨だったらいいのに、と布団の中で思っていたが、6時半を過ぎると瑠璃が鼻声を出し始めたので、しょうがなく起き出した。冬至を何日過ぎたのだろうか、6時半というとまだ真っ暗だったのが、ずいぶんと明るくなっている。今朝は、南アルプスは黒いシルエットで、中央アルプスがモルゲンロートに輝いている。着実に冬は駆逐され、陽の力が甦っているのだ。 8時過ぎ、卓球教室に出かける。 A氏の義弟が正月早々44歳で亡くなったが、今日はA氏も出てきてくれた。人の生死は突然だ。自身で生死の時を決められれればそれに越したことはないと思うが、現代社会では自殺する以外に自身の生死が自身の掌中にすることはできないが、自殺もまた本当に積極的な生の末にあるものならばまだしも、今の世の中ではあまり褒められたことではないようだ。生きにくい世の中だが、死ににくい世の中でもある。困ったことだ。 土休をとって、しばらくぶりに三連休にした。1日目はひたすらボーッと過ごした。2日目は休日モードで卓球教室の活動。本当の休日は明日だ。天気も良さそうなので、風がなければ焚き火をしながらパンを焼いて、蜂の巣箱でもつくろうと思う。ささやかでも人生には楽しみが必要だ。
2008/01/13
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ここ数日、ブログにアクセスできない状態が続いていた。こちらのPCの具合なのか、楽天のサーバーの具合なのかわからない。数日前から楽天に問い合わせて、状態などをやりとりしている最中に、なんの拍子にか、ようやく管理画面に行き着いた。恒久的なものか一時的開通かわからないが、ともかく掲示板に書き込まれた迷惑なコメントを削除した。 昨年暮れから、今年の干支のネズミ関連の縁起物をいただいた。U画伯からは色紙、またY先生の奥様から木目込み人形の干支の置物を毎年いただく。加えて昨年は、干支の焼き物と、ぐい飲みをいただいたので、ブログ復活記念としてアップすることにした。 上の写真はYさんの木目込み。下掲2点は土屋智恵さんの作品。http://www.caravan.net/yayu/tsuchiya/
2008/01/12
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真夜中12時前に妙な夢を見て目を覚ました。夢の舞台の一つは生家で、もう一つは幼い時分の遊び場だった生家の近くの神社の神社で、山の上にあるその神社に参拝するために山の下の鳥居から400段以上の石段があるのだが、その鳥居付近が登場したもう一つの場所であった。登場人物は比較的若かった頃の親父と、今は亡くなった祖母、それからおそらくはわたし自身だろうが、わたしは姿として夢には登場せず、視線あるいは意識のみ存在が感じられた。寝たきりになった祖母の下の始末を親父がするというだけのものだが、あまり正月から見たい夢ではない。目覚めて最初に思ったのは、まずそのことだった。 その後、次の眠りに入るまで、なぜそんな夢を見たのだろうと考えたが、思い当たるのは、前の日の瑠璃の散歩の時、ウンチを3回したので、珍しいこともあるものだと、思いながら拾ったこと。それに2日の昼過ぎから夕方まで読んでいた中井三好「井上井月記~漂泊の俳人」及び下島勲編「井月全集」及び、つげ義春「無用の人」のイメージもあったこと。特に、井月が最晩年、卒中で転げ落ちた田んぼの中で糞尿にまみれて発見され、その療養に弟子筋の家々をたらい回しにされたあげく、養子娘の生家の馬小屋の隣でやはり垂れ流しに状態で亡くなったことが印象に残っていたものと思われる。 井上井月については、以前から興味があって何冊か関係する本も買い揃えてあったが、「井上井月記~漂泊の俳人」を読了したついでに、記憶を確かめようと、ほぼ半日、そんな本ばかりウロウロ読み耽っていたのだ。 田舎の両親の金婚式の祝いを3月にしようというので、秋田まで往復できる日付を気にかけていたことも、妙な夢を見る一因になったのかもしれないが、そんな一応処理された知識や意識が、夢によってまた現実に浮上させられるというのは妙な気分だ。そういえば、これが今年初めて覚えている夢になる。初夢だ。 元旦の夜、または2日の夜にみる夢を「初夢」といい、一富士二鷹三茄子など、初夢によって吉凶を占うことを「初夢合わせ」などというらしい。古くは、節分の夜から立春の明けがたに見る夢だったらしく、期日も時間帯も違っているので、いわば、気休めのようなものだろうが、それでも妙な夢を見たものだ。記憶しておこうと思って記録する次第だ。 今日は午前中一杯焚き火、午後から、あのゴルゴ13のさいとうたかおの描いたコミック「サバイバル」全16巻+アナザーストーリィー1巻を読んだ。日本列島沈没後のサバイバルを描いたコミックだが、さて今夜はどんな夢になることやら。
2008/01/03
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時 1日遅いが、とりあえず伊那谷の初日の出。今年は7時33分だった。7時35分7時36分陽の光の力は偉大だ。 焚き火をしていると隣家の某国立T大の教授をしている君が訪ねてきて、大学改革のとんでもない状況を一方的に話していった。同情するが、実はいずこも同じ状況であること、それはこの国の舵取りが間違いなく誤っていたこと、そして誤っていた事がわかる人々が沈黙していたことがこうした状況をつくりだしていることなど、話し合った。物差しが経済一辺倒になり、なにか大切なものが否応なく切り捨てられていく。こうしたことを許した側にも責任がある。 元旦のラジオで内橋克人氏が興味深いことを話していた。 国民の所得がある程度高い国々は平均寿命も長い。行動な医療を受けられるようになるからだろうが、これがある一定の所得以上になると、その伸びが止まるのだそうだ。あくまでも平均値の話だが、結局、金で命は買えないのだ。寿命が長ければいいというものでもないと思うが、経済一辺倒の物差しの延長上に、長寿もあり得ないと皆がわかれば、少しは世の中が変わってくるのではないか、と思ったいい話だった。
2008/01/02
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ラジオ体操は365日、朝6時半からやっていることを今日はじめて知った。 朝、小雪が舞っていたので、正月だし散歩を休もうと思っていたら、クウィーンクウィーンと我が家の女王様が散歩に行こうと呼ぶので、小雪の中、いつもより少し遅いがポケットにラジオを入れて出かけた。南アルプスと中央アルプスに囲まれたこの谷ではこの時期の日の出は7時10分前後なので、家に帰り着く頃、うまくすれば初日の出が拝めるのだが、今朝の天気では期待薄。まぁ、日の出は始終見ているので、さして珍しくもないので、特段こだわることでもないと思いながら。 普通であれば、ラジオ体操が始まる頃までには帰宅してラジオ体操をするが、今日は散歩の途中で、いつも通りの声がラジオから流れてきた。まさか元旦にラジオ体操がいつも通り放送されてるとは気がつかなかった。放送の途中で、地震や警報などの臨時ニュースは入るのは何度か遭遇していた。大晦日や元旦ぐらいは休むか、やっても放送時間が多少前後するだろうと勝手に思いこんでいたが、どうも定刻に始まったところをみると、この番組はなかなか延期や中止を許されないくらいNHKにとって大切な番組と思われる。昭和初期に始まったというから、かなりの長寿番組だし、もしかするとNHKの中では最長の番組ではないか、とさえ思えてきた。 さいきん「みんなの体操」なる不可思議なものが出てきたが、ラジオ体操には頑張ってほしい、などと元旦からどうでもいいことを真剣に考えてしまった。 今日は、午後から陽が差してきたので久しぶりに焚き火小屋で焚き火をしながら、コーヒーを飲んだ。雪を冠った南アルプスの山々がきれいである。ダンテではないが田舎生活の景色にはときどき「時よ、とまれ!」と叫びたくなる瞬間がある。今日もそうした幸せな瞬間に居合わせることができた。
2008/01/01
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