家曜日~うちようび~

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2020.08.30
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先日あるブロガーさんが、自我に囚われず生きる為に自分を捨て、
ミニマリストに囚われず生きる為にミニマリストを捨て、
ブログに囚われず生きる為にブログを捨てるという経緯をもって、ブログを閉じたっす。
その捨てっぷりは圧倒的で鬼気迫るものがあり、
一人の主婦の「生きざま」ならぬ「捨てざま」に強く魅せられました。
そして、囚われず生きるとはどういうことか? 
僕は、あらためて考え込んじまったのさベイビーよろしく。



人は心の解放を求め始めた途端に、漏れなく悩み、苦しみ、迷う作業を始めるものだ。
逆に、何者かに全てを支配され、そのことにすら気が付かない「奴隷の心」のままでいれば、
悩まなくてよいのである。苦しまなくてすむのである。迷う必要じぇんじぇんないのである。
そして心の解放を求める多くの人は、いつ何時もモノゴトに囚われず生きねば、と焦るあまり、
さもすると、全ての「執着」をゼロにして、心の「解放」の目盛りを100%に振り切ろうとする。
正直、ここが僕が個人的に解せないところである。
僕の人生にとって「執着心」は絶対に欠かせないものだ。決してゼロにしてはならない。
もちろん「解き放たれた心」も大切。無くしてはならない。
どちらも大切。そして、どちらも重石だ。
しょせん「執着」も「解放」も、同じ「心の重石」に変わりはしない。
「執着」と「解放」二つの重石を天秤棒で担ぎ、転ばないようにバランスを取りながら真っ直ぐ歩く。
それがオイラの人生観ってやつなのさ。
執着に偏った心も、解放に偏った心も、心の天秤のバランスが取れていないから、
僕には、その歩行が、どこか危なっかしく、痛々しく、滑稽で、不自然に見えてしまう。
何事も、バランスよ、バランス。



僕は、多くのミニマリストやシンプリスト、ライフスタイルブロガーさん達が、
試行錯誤のすえ、モノゴトに囚われぬ心で手に入れたナニゴトにも囚われぬ暮しの、
その先にきっと立ちはだかるであろう最後の大きな壁は、
「囚われぬことに、囚われ過ぎている自分」だと思うのです。
モノゴトに囚われぬ生き方に、がんじがらめになっている自分っつーか。
「捨てる」ことすら捨てる時、人は何を捨てるのか?っつーか。
まあ、ここまでくると言葉遊び感が否めないので、ここいらで止めまするが。ははは。

やっぱ、あれかな、

「捨てる」ことすら捨てる時になれば、

人は「作り始める」んかな。



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最終更新日  2020.08.30 20:41:56
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