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桜も散り始めたというのに先週からの寒さに身が縮んでしまいますね。なかなか来ない春の陽気もいつかは必ずやってくることを思えば、この寒の戻りもしばらく我慢ができそうです。 以前よりファンであった高関さんがついにというかやっとというか、この4月より在京オケの常任指揮者となりました。これで群馬まで遠征に行く必要がなくなります(笑)。オケは東京シティフィル、しばらく宮本さんが音楽監督を務めていましたね。この比較的若いオケの常任になるということで4月11日の就任披露演奏会はとても楽しみにしていました。 東京オペラシティコンサートホール(タケミツメモリアル)はシューボックス型ホールですが、高い天井に謎のピラミッドが吊るされているユニークなホールです。音響的にはデッドを予想してましたが実際はかなりよく響くようです。低音のたっぷりした響きに高音はマイルドに響いてなかなか好ましいブレンド具合です。今回は1階席で聞かせていただきました。 演目はスメタナの「我が祖国」全曲。渋い、渋すぎる選曲です。パンフのご本人の弁によれば、重要な演奏会では必ず取り上げてきたとのこと。それだけ自信を持って振れるということでしょう。 新しい指揮者への期待からか、会場もほぼ満席状態でした。比較的お年を召した方々が多かったような、でも若い学生の姿も見受けられましたよ。 舞台には所狭しとメンバーが乗っています。当然ヴァイオリンは両翼配置、ベースは上手側です。 演奏の詳細に私ごときが触れることはできませんが、たいへん明晰で要所を得た的確な指示により、表現意欲の旺盛と後半からの盛り上がりが素晴しく、終曲のラストで高らかに冒頭主題が鳴り渡るところでは思わず胸が締め付けられてしまいました。ほかのお客さんも多いに満足したようで、この新しい指揮者の門出にふさわしい万雷の拍手と熱気でした。 私も思わず定期会員になりましたよ。プログラムも意欲的で、シティフィルなかなかやるなあと思います。ティアラこうとうも行かないとなあ、今年は忙しいぞ 任期は3年らしいですが、是非長く続けてマーラー全交響曲演奏なんてやってほしいな。 まずはご就任、おめでとうございます!>高関さん【楽天ブックスならいつでも送料無料】【輸入盤】連作交響詩 《我が祖国》 全曲 アンチェル / チェコ・フィル [ スメタナ(1824-1884) ]我が祖国と言えばチェコフィルはあまたの名盤を生み出していますが、ここは悲劇の指揮者アンチェルで。昔のチェコフィルの響きが聞かれます。【送料無料】 Smetana スメタナ / 『我が祖国』ほか クーベリック / ボストン交響楽団 ほか 輸入盤 【CD】この曲の定盤。ボヘミア出身の指揮者クーベリックと小澤さんの手兵だったボストン響の機能性に優れた演奏で。
2015年04月13日
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大晦日は日中暖かでしたが、元旦は冷え込んでます。実家の方では吹雪いているそうです。 旧年の音楽関係の大きなニュースと言えば、アバド、マゼールの死去はたいへん残念でありました。またクラシックではありませんが、パコ・デ・ルシアの死は青春の思い出と重なり非常にショックなニュースでした。 個人的にはよいコンサートも多く聞けて充実した1年でした。特に学生オケの奮闘ぶりに将来のクラシック界に希望が持てました。もはや衰退した音楽と言われてますが、伝統というものはそう簡単に滅ぶほど脆弱なものではありません。長く生き延びてきた底力があります。 最近のヨーロッパから発信される若手の活躍は目覚ましく、これまでの巨匠たちと違うフレッシュで活き活きとした演奏に新たな表現の可能性と喜びを感じ取りました。 ドゥダメル、ネゼ=セガン、ペトレンコ、ソヒエフなどの欧州の周辺出身のひとの活躍に加え、バッティストーニやクルレンツィスなど活きのいい指揮者も出てきました。 ピアノではリシッツァやユジャ=ワン、ファヴル=カーン、アリス・オットーなど美人だけどめちゃうまいひとがいっぱい出てきて目と耳を楽しませてくれています。他の分野でも若手の活躍が目覚ましく、もう巨匠たちの盤を漁ってる場合ではありません。 日本のクラシック音楽も昔はメカニカル一辺倒だった時代から心の表現へと変わりつつあるように思います。日本人が西洋音楽を奏でることにどれだけの意味があるのか、小澤さんの根源的な質問は若い世代へ確実に受け継がれ、その回答も見いだされていようとしています。近年の日本人演奏家たちが欧州で普通に活躍しているのもその現れと言えましょう。 サイトウキネンフェスティバルも今年より名称をセイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)と変更するそうです。いろいろ言い分もあると思いますが、サイトウキネンが故斎藤秀雄の遺志を確認する場なら、OMFは若い人へその遺志を受け継ぐとともに斎藤の弟子たちがそれぞれの現場で得た経験や知恵を伝える場であろうと推察します。その代表としてセイジ・オザワの名が冠としてあがったと思います。 もちろん名前が変わったからと言って質まで変わってはフェスティバルの意味がないでしょう。これから新しい名称によりどんな演奏が繰り広げられるのか、楽しみですね。 今年一年、みなさまにとって良い年でありますように。良い音楽が聴けますように。【楽天ブックスならいつでも送料無料】レスピーギ:ローマ三部作 [ アンドレア・バッティストーニ、東京フィルハーモニー交響楽団 ]日本のオケもここまで来たか!熱狂と興奮のレスピーギ。しかもそれだけじゃないところがこの人の凄いところ。【楽天ブックスならいつでも送料無料】モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」(全曲) [ テオドール・クルレンツィス ]今まで聞いたことの無いフィガロ。ぶっ飛んでます!この勢いでダ・ポンテ3部作を録音するそうです。【楽天ブックスならいつでも送料無料】ヴァレンティナ・リシッツァ:ピアノ・リサイタル [ (クラシック) ]今やデッカからデビューしたYouTube出身の(笑)リシッツァ。この盤の「死の舞踏」はピアノ独奏版。冒頭の響きから圧倒されます。タールベルクでは腕が3本あるでしょ。【送料無料】 Tchaikovsky チャイコフスキー / チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番、ショパン:ピアノ協奏曲第2番 ファヴル=カーン、G.ノヴァーク&ブルターニュ管 輸入盤 【CD】はっきり言います。チャイコのピアコンでアルゲ○ッチのCDはもう要りません!ユジャやアリスはすでにいっぱいCD出てるので割愛します(笑)
2014年12月31日
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激暑な日々が続いています。体力消耗の中、風邪なのか咳が止まらず苦しんでいます。 マゼール氏が亡くなってそろそろ1ヶ月が経とうとしています。もっと早くにコメントしたかったのですが、仕事の方が忙しかったのと、未だに信じられない思いもあってなかなか筆が進みませんでした。 私がクラシックを聴き始めた頃はマゼール始めアバド、小澤さん、メータと新世代の指揮者が次々とレコードを出していて、カラヤンやベーム、バーンスタインの御三家に追いつけ追い越せの状態でした。なかでもメータはレコード会社のプッシュが凄くて「次代の帝王」というキャッチコピーでほぼ毎月レコードが出てた気がします。 マゼールはメータのような人なつこい顔つきじゃないし、かっこいい指揮スタイルでもなかったせいか、私の周りでも人気は今ひとつでした。 小澤さんとマゼールの付き合いは古くて、ブザンソンコンクールの頃から。コンクール以前にマゼールがウィーンでラヴェルの「子供と呪文」をやったのを聞きに行き、楽屋へ押し掛けて挨拶したのがきっかけらしい。その後、ブザンソンでは客演指揮で来ていて(審査員として?)、課題曲である「牧神の午後への前奏曲」を我流で振った小澤さんに対し「これはどう勉強したのか?」と聞いたらしい。「どうやってもなく、スコアを自分なりに研究したんだ」と言った所、「お前は妙な指揮者だ」「お前の(指揮)テクニックは変だ、日本ではそういうのが流行ってるのか?」と。それ以来の仲らしい。 ところが春樹本にはアバドのことは書いてあってもマゼールのことは一切触れていない。 お互いライヴァル意識を持っていたのだろうか、二人の録音歴を見ると奇妙に一致しています。マゼールが録音するとそれからしばらくして小澤さんも録音したり、その逆もあり。以前、火の鳥について書いたことがあったが、小澤=パリ管の録音の下敷きは間違いなく、前年録音のマゼール=フランス国立管盤と思います。他にもベルリオーズのロメオとジュリエット、シェラザード、惑星などなど。。。 この二人はヨーロッパで音楽を学んだわけではない、いわば傍流どおしです。特にマゼールはその後、誰かの弟子になったわけでもない「妙な指揮者」だ。記憶力、絶対音感は桁外れの彼は己の力を信じてのし上がって行きました。小澤さんはカラヤン、バーンスタインさらにミュンシュの弟子になり、特にカラヤンからはコンサートプログラムのことまで細かく指導されてたみたいです(意外と面倒見がいい)。ヨーロッパでの足場はカラヤンがお膳立てしてくれたと言っていいようです。 個人的には、昔フランス国立管との来日公演でドビュッシーの「映像」を指揮台の上で跳ね上がりながら指揮していたのを覚えています。またメシアンの「主イエスキリストの変容」の日本初演を手がけてテレビで放映されてました。その頃の私にメシアンのカトリック教的神秘はさっぱりわかりませんでしたが、とてつもない何かを聞いたという実感だけはありました。(途中寝てましたが) マゼールの録音については次回あらためて書きたいですが、ライブと録音がこれほど違う人もなかなかいないんじゃないか。また86年に国連難民支援チャリティコンサートを開いたりと意外にいいひとだったりします。 まだまだその活動全容が見えて来ないけれど(というより多すぎて整理できない)、これからも折に触れて書いて行きたいです。【ポイント10倍】新品未開封【CD】R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、交響詩「マクベス」マゼール [SHM-CD][UCCG-90450]後年のバイエルンとの再録音よりウィーンフィル盤を取ります。この盤もまったく人気がありませんが、シュトラウスの複雑なスコアを相変わらずの明晰さで腑分け、それが嫌みにならないウィーンフィルの豊かな響きと、実に面白い録音だと思うんですがねえ。
2014年08月07日
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3/11が日本人の忘れてはいけない日になって3年経った。その間、被災地のケア、原発問題、復興の問題と山積された問題がマスコミを賑わせた。私はそれを見るごとに「なるほど、政府は、東電は何をやっているんだ」と憤りを覚えたものだ。 でも3年経ち、少しばかり様子が変わってきたように思う。災害直後にはコンビニから食料が無くなり、その後もパン類が1週間以上現れなかった。すべては被災者のために、と我慢したものだった。今はまったく以前と変わらずコンビニにもスーパーにも物があふれている。それを当然のように受け止めている自分がいる。 最近ブーニンのドビュッシーをよく聞く。ドイツグラモフォンへのデビュー盤だ。これは手放そうと思って聞いてみたところ、意外と良かったので手放せなくなってしまったのだ。 ブーニンが1985年、ショパンコンクールで優勝するや、日本で大ブームになった。NHKがショパンコンクールの模様を放送したせいだと思う。どんな難曲も軽々としかも実に楽しそうにスイングした演奏、クラシックの堅苦しいイメージを払拭させるに足るイケメン、ピアノの貴公子ともてはやされたものだった。 ご本人は至って真面目に自分の音楽が受け入れられていると勘違いしていたかもしれない。そのうち洗足学園の講師になったり、よせばいいのに協奏曲の弾き振りまでやっていた。 心ある評論家はブームに乗らずしっかり勉強すべき、みたいな苦言を呈していたが、ご本人は何事も経験と思っていたのだろうか。果たしてあのブームは芸の肥やしになったのかどうか。 彼のドビュッシーは来日公演(のテレビ番組)でのアンコールにトッカータを弾いたとき、メインのショパンより煌めきとリズムに切れがあり、これはいいと思った。彼のメカニカルな技術とロマンティックな表情付けがドビュッシーに合うのではないか、と。さすがドイツグラモフォンもかれの才能を見事に把握し、ショパンコンクールの優勝者にドビュッシーを弾かせるという、荒技に出て成功している。 ただこの盤から聞こえてくるのは、日本の大ブームでも天狗にならず、ひたすら真面目に自己と向き合おうとしている青年の、孤独な背中だ。なんと清々しく、でもどこか寂しげでもあるこのドビュッシーを今聞いて、ブーニンのその後を思うとき、日本人の熱狂と忘れやすさと、本質をつかみ損ね、やたらとショパンを弾かせていた我々は猛省しなければならない。ブーニンは今も弾き続けているようだが、その活動ぶりはあまり聞こえてこない。 3/11を忘れてはいけないと言いながら、普段の生活ではすでに遠い出来事のように感じてしまう。マスコミは事あるごとに特集を組むが、まだ事故の本質にまでは至って無い気がする。そして復興への力強い鎚音が聞かれないまま、すでに3年も経過してしまった。[CD] スタニスラフ・ブーニン(p)/EMI CLASSICS決定盤 1300 395: J.S.バッハ: 目覚めよと呼ぶ声あり、他楽天にはドビュッシーアルバムがないため、バッハアルバムを。これも彼のロマンティックな歌の才能にあふれた盤です。
2014年03月11日
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また訃報です。 フラメンコギターの世界を世に広めた、偉大なるギタリスト、パコ・デ・ルシアが2月25日に亡くなりました。66歳とは早すぎます。NHK NEWS Webから転載。フラメンコギターの名手として世界的に知られるスペインのパコ・デ・ルシアさんが25日、滞在先のメキシコで死亡しました。66歳でした。パコ・デ・ルシアさんは兄とともにフラメンコギターを始め、10代のころからプロのギタリストとして活躍しました。スペイン南部の伝統的なジプシー音楽にジャズやブルース、ロックの要素を取り入れ、フラメンコ音楽の幅を大きく広げました。またジャズ・フュージョンギタリストのアル・ディ・メオラさんやジャズ・ピアニストのチック・コリアさんなど異なるジャンルの著名なミュージシャンとの共演も行いました。パコ・デ・ルシアさんは25日、滞在先のメキシコで突然体調を崩し、66歳で死亡しました。スペインの生まれ故郷では、町長が「文化の世界とアンダルシア地方にとって埋めようのない損失だ」とその功績をたたえるとともに、3日間、町全体で喪に服すことを決めました。フラメンコ音楽に大きな変革をもたらし、世界にその魅力を広めた名手の訃報にスペインでは悲しみが広がっています。 私がパコを知ったのは大学のギターサークルに入ってからでした。このサークルはラテン音楽が中心で、代々必ずフラメンコを継ぐ人がいました。彼らは「パコ最高〜!」と言っては録音から耳コピーして弾いていたものです。それまでクラシック一辺倒だった私にとってその音楽は衝撃的でした。 からだの中から沸き上がるようなリズム、パッション、野太い音、嘆き、悲しみ、、、そして超絶的なテクニック。クラシックの洗練された歌とは違う、野趣満点でありながら心に深くしみ込むそれは音楽の根源を知らしめているかのようでした。 自分もフラメンコを弾きたいと思ったこともありましたが、サークル内のクラシックの火も絶やしてはならないと(変な)使命感でクラシックギターを続けたのでした(今想えばちょっともったいなかった)。 それでもフラメンコのテクニックはスペイン音楽をやるときには役立ったし、リズムの考え方はファリャやアルベニス、ロドリーゴなんかを理解するのに重要でした。(6拍子を2つと3つに交互にアクセントを置くとか) パコの素晴しいところはフラメンコの世界だけでなく、フュージョンやジャズ、クラシックまでも手を伸ばしてチャレンジしたところです。そうやって伝統の世界に安住しない冒険者の姿をある人は批判し、ある人は賛美します。パコにとって音楽にジャンル分けは意味がなかったのでしょう。 今でも思い出すのは映画「カルメン」のワンシーン。ビゼーのカルメンをフラメンコ舞踏化して舞台に出すまでの映画ですが、ギターセクションにパコが出演していて、ビゼーの原曲を聴いてからおもむろにギターで同じ曲を弾き始める。それは既にフラメンコ化されていて、周囲はパコに合わせて伴奏、パルマ(手拍子)を始める。「天才ってのはこういうものか」と驚きました。 (もっともビゼーの原曲は「セギリージヤ」などフラメンコの種類を使っているから、まあやりやすいとも言える) 来日公演にも行ったし、レコードもすり切れるくらい聞きました。今でも時々取り出しては胸を熱くしています。本物の天才に言葉はいりません。ただ聞くだけ。それだけで、人間の深いところへ我々を連れて行ってくれます。そしてこの世に在ることの素晴らしさと悲しみを教えてくれるのです。生きる鼓動と流す涙、光と陰。彼もまた偉大なスペインの芸術家でした。 フラメンコの世界を知ることができたのは間違いなくパコのおかげです。 パコ・デ・ルシア(ルシアの息子)、ありがとうございました。 謹んでご冥福をお祈りいたします。[CD]PACODE LUCIA パコ・デ・ルシア/ENTRE DOS AGUAS【輸入盤】16歳のときの演奏(トラック2)から、大ヒット作「二筋の川」(トラック1)、スーパーギタートリオの「カストロマリン」(トラック11)など、これを聞けばだいたい網羅できます。[CD]PACODE LUCIA パコ・デ・ルシア/CONCIERTO DE ARANJUEZ【輸入盤】 アランフェスをパコが弾く!これだけでも衝撃なのに、結構大真面目に楽譜通り弾いてます。ちなみにパコは楽譜読めなくて、このとき初めて勉強したのだとか。駿河屋なら各種キャンペーンにエントリーするとポイント5倍以上!【中古】ジャズCD パコ・デ・ルシア アル・ディ・メオラ ジョン・マクラフリン/ザ・ギター・トリオ【05P24Feb14】【画】スーパーギタートリオのライブ。ギター小僧(かつても含む)必聴です!パコ・デ・ルシア/ライヴ 1974 【CD】これ!これ聞いて私は魂抜かれました(笑)。フラメンコがクラシックの殿堂スペイン王立劇場でコンサートやるってのは、たいへんな事件だったのです。このときパコは26歳。きれきれです。
2014年03月01日
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1989年にカラヤンが亡くなって、ベルリンフィルを誰が継ぐのかが大きな話題になった。小澤さんも候補のひとりだったが、マゼールがやる気満々でもう自分に決まったような雰囲気だったとか。順当にいけばアバドかマゼールだろうが、2回の投票でアバドに決まったそうだ。 ベルリンフィルの音を現代的というか軽くて反応の早い音に作り替えたが、オールドファンからの評判は悪いだろうなあ。このオケがもともともっているポテンシャルからすれば、現代音楽に挑戦するなど、アバド時代のレパートリーの拡大政策はもっともと思われる。ドイツを代表するオケから世界ナンバーワンのオケへ。これがアバド時代と私は考える。 ところが2000年に胃がんで倒れ、手術をしたものの復帰は無理と言われていたが、見事に復活。ここからアバド芸術の最も光り輝く時代へと移る。 復帰最初のヴェルディのレクイエムの映像を見て、私は痛々しさとショックを感じた。もう骨と皮だけのやせ衰えた姿だけではない。指揮ぶりには力がなく、あの若々しかったアバドがいっぺんに年寄りになってしまったからだ。だけど出てきた音楽が、なんと言う輝きと悲痛なまでに平和を願う気持ちの入り交じった名演であった。いつまでも終わらぬ戦争の告発。私にはそう聞こえた。 ベルリンフィル辞任後、2003年のルツェルン音楽祭でのマーラー「復活」は、思えばこの曲で国際デビューを果たした因縁ある曲ということもあって、たいへん見事な演奏だった。病気で一度倒れた人だから見える光があるんだな、と聞きながら思った。その後に続く、ベルリンフィルやルツェルンでのマーラー演奏はどれも素晴しく、悲しみだけではない生きる喜びがそこには充満している。希望、光と言ってもいいだろう。生きていることは素晴しい!そんなメッセージが伝わってくる。 晩年のアバドは演奏仲間に恵まれて、ほんとに幸せそうに見えた。ほんとは肉体的に苦しかったに違いないけど、演奏中の生き生きとした表情、あふれる音楽への愛情が堪らない。モーツァルトも素晴しいし、音盤化されてないけど2011年のベルリンフィルとの「大地の歌」は涙なくしては聞けない、現代最高の演奏だ。 最後に、小澤さんとは60年代にニューヨークフィルのアシスタントコンダクターとしてご一緒だったそうで、才能とともにその人柄の良さでみんなから愛されていたと語っていた(ニューヨークフィルのオーボエ奏者の娘とくっつけられそうになったとか)。 相変わらずアバドが嫌いなひともいるみたいだけど、音盤制作だけが指揮者の仕事じゃないから、そのうちいろいろライブ録音が出て、評価も変わってくることでしょうし、そう願いたい。 もう少し長生きして、たくさんいい音楽を聴かせてもらいたかった。 ご冥福をお祈り申し上げます。輸入盤 スペシャルプライスMahler マーラー / 交響曲第2番『復活』 アバド&ルツェルン祝祭管弦楽団 【BLU-RAY DISC】ブルーレイで聞くアバドの「復活」!これは名演です。【送料無料】【輸入盤】交響曲集(第29,33,35,38,41番) アバド&モーツァルト管弦楽団(2CD) [ モーツァルト(1756-1791) ]何の力みもない、とてもしなやかでひたすら美しいモーツァルト。【送料無料】 Mahler マーラー / 交響曲第8番『千人の交響曲』 アバド&ベルリン・フィル、ステューダー、オッター、ターフェル、他(2SHM-CD) 【SHM-CD】まだ病気前の録音だけど、この曲のスタンダードとも言える演奏。オペラチックだけど決して形を崩さない、このバランス感覚がアバドならでは、です。
2014年02月20日
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久しぶりのブログ更新が訃報から始まるのは気が重いけれど、自分にとってアバドという指揮者がどのような位置づけにあったのか、確かめる意味においてもやはり書かずにはいられない。 初めてアバドを聴いたのはおそらくマーラーの交響曲第2番「復活」の録音だったろう。昔のFM放送は偉くて新譜をばんばんかけてくれた。評判の録音だったから聴きたかったけど、LP2枚組は中学生の私には高かった。それで放送されるまで待ったのだった。 深夜、眠い目をこすりつつ聴いたその演奏は、それまで聴いていたバーンスタイン盤の劇的なそれとは異なり、実に美しかった。特に第4楽章でマリリン・ホーンが歌う「原光」に「これは女神の歌声だ」と思ったのを覚えている。続く第5楽章はバーンスタイン盤の阿鼻叫喚の地獄絵図とそこからの救済を音のドラマで表していたのに対し、整然とした語り口による論理と説得力と自信に満ちた輝かしいクライマックスを聴かせてくれた(まあそんな気がした)。少なくともそこには地獄も天国もなく、あるのは圧倒的な音楽の充実感、音楽の美そのものの感動があった。これはとんでもない演奏だと思った。 その後も順調にマーラーの録音を出しつつ、他のレパートリーも着々とこなししかもオペラの録音までどんどん世に問う様に、小澤ファンとしてはいささか羨ましかった。70年代後半、40代の小澤さんでもまだ交響曲全集もオペラの録音もなかったからだ。 プロコフィエフのスキタイ組曲「アラとロリー」の録音も鮮烈な印象だった。ほぼ初めてプロコフィエフを聴いたのだったが、圧倒的な音響のなかで、しかも実に精密に練られた演奏プランにいっぺんに好きになってしまった。たしか中古レコード屋で見つけてからしばらく、毎日聴いていたのではないか。先ほどの「復活」もそうだったが、シカゴ響のうまさには(当時はあまり気づかなかったが)舌を巻く。 さてその後もロンドン響やウィーンフィルから録音を次々出していたが、どうも日本の音楽雑誌ではあまり評判が良くなかった。アバドというと「あの優等生的な演奏」と誰もが書いた。「微温的」「面白みがない」などと書かれることもあった。実際聴くときっちりまとまったスマートで手際のよい演奏だが、確かにどこか教科書的と言えなくもなかった。ただアバド自身お好きなムソルグスキーやプロコフィエフでのキレの良さは抜群で、スタイリッシュかつコントロールされた音響ともども、かなりアバドの意思を感じた。(つづく)[CD] クラウディオ・アバド(cond)/マーラー: 交響曲第2番ハ短調 復活(マーラー没後100年記念/SHM-CD)今聴いても新鮮な「復活」です。輸入盤 スペシャルプライス【送料無料】 Tchaikovsky チャイコフスキー / チャイコフスキー:交響曲第6番『悲愴』、プロコフィエフ:スキタイ組曲、ベルク:『ルル』組曲、他 アバド&シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ 【DVD】楽天にはシカゴ響との旧盤がなかったので、2010年ルツェルン音楽祭のときのライブ録画から。往年のシカゴ響のキレはないが、この若いオケも健闘しています。
2014年02月16日
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明けましておめでとうございます。だいぶ放置していました。昨年はいろいろありましたが、今年こそは更新し続けていきたいです。よろしくお願いします。m(__)mさて、小澤さんはすっかり活動休止中ですが、サイトウキネンフェスでは監督として後進の指導にあたっていたようですね。「火刑台のジャンヌダルク」ではカラヤンの娘イザベルさんを迎えて師カラヤンとの約束を果たすとともに、山田和樹を指揮者として採用して経験を積ませるなど、次世代の育成にも目配せしていました。ジャンヌはやはり小澤さんもやりたかっただろうなと想像に難くありませんが、決して無理をしないところは前回の「青ひげ公」公演での反省もあるのだろうと思います。さてさて、話は変わって、昨日のウィーンフィルのニューイヤーコンサートですが、ウェルザー=メストの指揮は前回の初登場と比べれば随分緊張がほぐれた、良い指揮ぶりでした。ただ今回の演奏は端正で上品と言えば聞こえはいいですが、どうも精気に薄いというか生彩に欠けるというか薄味というか、生命感が不足した感じがあまり好きじゃありませんでした。ディスクのブルックナー5番などはかなり過激な表現で面白かったのですが、どうしたことでしょう。ラデツキー行進曲もとって付けたような賑やかさで、なんだかなあ。まあこれが映像の限界なのかもしれません。来年のニューイヤーは生命力こてこての(笑)バレンボイムが2回目の登場です。【Joshin webはネット通販1位(アフターサービスランキング)/日経ビジネス誌2012】[枚数限定][限定盤]ブルックナー:交響曲第5番/ウェルザー=メスト(フランツ)[CD]【返品種別A】過激なブルックナー。これはこれで悪くない。この頃のフランツは随分尖ってました。(笑)
2013年01月03日
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昨日感想を書いたばかりのウィーンフィルのニューイヤーコンサート。 来年の指揮者が発表されました。 フランツ・ウェルザー=メストです。 小澤さんではなかったです、残念。 とりあえず、ご報告まで。
2012年01月02日
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シルバーウィークと言われてますが、ほとんど仕事でした。トラブルはいつ起こるかわかりませんね。 さて本来なら若き小澤さんの名演を書くつもりでしたが、ザンデルリンク死去のニュースが飛び込んできたので、一言書いておきます。 ザンデルリンクと言えばブラームスの交響曲第1番を初めて聞いたときの指揮者でした。FMで聞きそれからすぐLPを買いました。これぞブラームス、という重くて暗くて力強い演奏でした。サービスも色気の微塵もなし。初心者には全く刃が立ちません。 「坊や、ブラームスを聞くにはまだ早いんじゃないか?」そう言われてる気がしました。 それからザンデルリンクの名前は私の中から消えていました。 次に意識したのはラトルがマーラーの10番を録音した盤にザンデルリンクに教えを乞うたと書いてあったことです。そこでザンデルリンクの同曲も聞いて、すっかり感動しました。マーラーの凝ったオーケストレーションを面白く聞かせようといったサービス精神の欠片もなく、ひたすらにマーラー最晩年の孤独と憧憬を響かせていたからです。 「大地の歌」も漢詩の世界を西洋人がどう理解したかを解説してくれてるようで面白かったなあ。 最初に聞いてから10年以上経ってようやくザンデルリンクは受け入れてくれたのです。 彼は意外に録音も多く特にショスタコヴィッチは世評が高いのですが、私はあまり好きではありません。息苦しいほどの生真面目さが音楽の世界を狭くしている気がするのです。 逆にベートーヴェンの交響曲全集(80年)は堅固で隙のない演奏でありながら、どこか余裕を感じさせてくれます。オケがイギリスのフィルハーモニア管弦楽団のせいかもしれませんね。8番など勢いがあって、好きですねえ。 今後、いかにもドイツらしい生真面目で頑固な品格漂う演奏はもう聞けないかもしれません。ドイツ圏期待のティーレマンも意外と色気付いてるし。 ご冥福をお祈りいたします。【送料無料選択可!】【試聴できます!】ブラームス:交響曲第1番 / クルト・ザンデルリンク懐かしいジャケット。渋いオケの響き、これぞブラームス!【送料無料選択可!】マーラー: 交響曲第10番 (クック版) / クルト・ザンデルリンク(指揮)、ベルリン交響楽団クック版に独自の加筆をした、これまた堅牢なマーラー。聴き終えた手応えが違います。
2011年09月19日
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5月GW以来、ずっと更新していませんでしたね。仕事のせいもありますが、気力がありませんでした。 GWに交通事故で亡くなった友人の裁判が、先々週ありました。争点は酒酔いだったかどうか。確かに飲んでいた事実があるけれど、事故の時点で酔っていたのかどうか。遺族は必死に失った悲しみを訴えます。加害者は謝罪しつつも酔っ払っていなかったと主張します。 裁判は初めてでしたが、事故の様子も争点もわかりやすく、余計な感情移入を排して問題点を浮き彫りにしていきます。淡々とした中にも厳しさがあり、加害者の的はずれな発言には容赦ないツッコミがあります。初犯なので緊張もしているのでしょうが、しっかり発言してもらいたい。それに比べれば遺族の発言は堂々としており、逆に悲しみが心に染みました。 友人の死をムダにすることなく、彼が愛したマラソンの火が消えることもなく、遺族の悲しみと再生に向けて裁判官がどう判断するのか、来週判決が出ます。
2011年07月23日
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震災から1ヶ月が経とうとしています。直接の被害者ではないけれど、目に見えない形で厳しさを実感しました。お役所相手の仕事をしておりますが、こういうときのお役所の「的外れ」ぶりは福島原発事故後のどたばたを見て皆様もお分かりいただけると思います。おかげで私もこの1ヶ月随分余計な仕事をやらされました。 原発事故でも、いざ事が起こると「想定していなかった」と言い訳する責任者。経験からすればメーカーおよび専門家は当然想定しており、ただ経費を削減して出世したい一部役人が無理やり数字を作らせたのでしょう。そのツケが結果的に住民へのツケに回ったというお粗末さ。現場を知る人たちはみんな怒ってるはずです。今はこれ以上被害を出さないよう全力を尽くすべきですが、いずれ総括するときが来るでしょう。 さて、今朝何気にCSを見ていたら「大河ドラマ 源義経総集編」を放映してました。モノクロ1966年放映、尾上菊之助の義経、緒方拳の弁慶、そして音楽は武満徹。以前から見てみたいと思ってましたが偶然にも見ることができました。 ストーリーは皆さんご存知のとおり。映像は当時としては斬新な試みがあるものの、やはり音楽ファンなら武満さんの音楽にどうしても耳が行ってしまいますね。ここで尺八がうなり、あそこで琵琶がかき鳴らされ、ときに両者のやり取りにオーケストラが呼応する。これってノヴェンバーステップスのあのカデンツと同じ奏法だあなどと発見しきり。 1962年の映画「切腹」で武満さんは初めて琵琶という邦楽器に触れ、この「源義経」では琵琶のほか尺八(しかもソロだけじゃなく複数本も試みる)も使い、縦にバチンと切り込む響きに横に流れる響きを加えて劇的な空間を生み出す方法論を確立。この組み合わせで66年5月に「エクリプス」を初演、その年末にニューヨークフィル創立150年記念で作曲委嘱を受け、67年11月に小澤征爾指揮ニューヨークフィル、鶴田錦史琵琶、横山勝也尺八の組み合わせで「ノヴェンバーステップス」初演へとつながっていく。その後の武満さんの世界的躍進と評価は言うまでもない。 こう俯瞰するとこの「源義経」の音楽は単なるTV用劇伴ではなく、その実験的精神がやがて世界の「タケミツ」を生み出すターニングポイントであったことがわかります。 エンディングで流れる弦楽合奏はどこかで聴いたことのあるような親しみとどこか悲しげな子守唄のようなメロディーは敗れた平家一門へのそして主人公義経への鎮魂歌のようにも聞こえます。そして今回の震災で亡くなった方々への。。。 武満さんには真面目な(?)クラシック作品だけでなく、劇伴にもいい曲がいっぱいあります。それらも総括して録音してほしいですね。【21%OFF】[CD] 小澤征爾(cond)/RCA Red Seal THE BEST 24 武満徹: ノヴェンバー・ステップス 弦楽のためのレクイエム 他最近ブルースペックCDで復刻されたんですが、楽天にはまだ出てないようです。永遠の名盤というより人類の至宝です。《送料無料》武満徹/オリジナル・サウンドトラックによる 武満徹 映画音楽(CD)映画音楽集。新しい録音による選集が欲しいところ。鈴木大介/ブランドン・ロス/ツトム・タケイシ/武満徹:映画音楽集:没後10年記念これはギタリスト鈴木大介による映画音楽のギターアレンジ盤。ギターを愛してくれた数少ない現代作曲家、武満さんならこの企画も許してくれるだろう。
2011年04月10日
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昨日のウィーンフィルのニューイヤーコンサート、いかがでしたか。プレートルの指揮は手がぷるぷる震えてて「アル中か?」と思いましたが、年齢が年齢なんで腕が上がらないんでしょうね。 いつものニューイヤーでしたが、選曲が変わっててオッフェンバック「ラインの妖精」やルンビー「シャンパン・ギャロップ」なんて聴いたことない曲もあり、楽しめました。 さて、ウィーンフィルのHP見たら来年の指揮者が発表されてました。来年は、フランツ・ウェルザー=メストです。 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、今年でウィーンの音楽監督を退任する小澤さんの後を継ぐ、今年で50歳のまだ若い指揮者です。おそらくニューイヤー史上最年少の登場ではないでしょうか。 どういう経歴の人なのかはココを見てください。 オーストリア出身の期待の新人としてデビュー時から気にしてましたが、あれよあれよと言う間にウィーンの監督ですよ。まあ彼の養父は貴族ですからいろいろ取り沙汰されてますが、それも彼の才能あっての話。出始めの頃は随分尖がった演奏だなぁと思いましたが、その後の成長やいかに。まずは期待しましょう。フランツ・ウェルザー=メスト(cond)/ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団/EMI CLASSICS決定盤 1300 403 ブルックナー: 交響曲第5番(CD)今までと違う、情熱的で推進力のある新しいブルックナー。好き嫌いはあるでしょうが、非凡な才能を感じさせる一枚。【送料無料選択可!】R.シュトラウス: 歌劇「ばらの騎士」全曲 [3ヶ月期間限定生産/廉価版] / フランツ・ウェルザー=メスト(指揮)最近のオペラでの成果を見るならこれ。きびきびした運びにも柔軟さが出てきてますね。
2010年01月02日
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たいへんご無沙汰です。実は引越ししました。ところが引越し先(今の住まいですね)が光回線の工事予定があるとかで1ヶ月ほど待たされました。工事が終わるまで電話もネットもできません、と。そんなぁ、何か変じゃないですか。でも待ちましたよ。そして本日ようやく開通です。長かった。最初の1週間はネット禁断症状が出てました。いつもつながっていたものが急にふっつり切れてしまい、不安な感じでした。ところがそれを過ぎると無くても平気でむしろ時間が増えたような気がしました。オーディオのセッティングやら未聴CDを聞いたり。外にもよく出かけるようになりました。今までが引きこもりみたいな生活だったせいですが。。。。あらためてPC(ネット)中毒だったことが自覚されました。いけませんな。いい年したおじさんが。。こうしてキーボードを自宅で叩いてるのが不思議です。でもさっそく夜更かししてますね。今までは12時前には寝てたのに。ほどほどにしておきましょう。小澤さんの話題中心ですが、これからもよろしくです。
2009年09月12日
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先月今月と週末が徹夜続きでかなりお疲れモードです。ようやく平日に休みが取れるようになり、少しは体力回復が図れます。なにより音楽をじっくり聴ける時間ができるのがうれしい。これが一番の回復剤ですから。今朝近くの雑木林からウグイスの鳴き声が聞こえてきました。例年ですと、へたくそな鳴き方から徐々に「ほーほけきょ」とうまく鳴けるようになるまで楽しめたのですが、今年はいきなりうまく鳴いてました。どこで練習してきたのでしょうか。(笑)近所では地ならしが終わりいよいよマンション工事が始まるようです。雑木林の住人たちもどこか別の所へ行ってしまい、たまに遊びに来る程度になってしまいました。ウグイスもどこかへ移ってしまっていたのでしょう。それでも、こうして春になればちゃんと鳴きに来てくれるんですね。春告鳥として。
2009年03月10日
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明けましておめでとうございます。今年も細々とブログを続けてまいりたいと思います。つまらぬ記事ばかりですが、お付き合いいただければ幸いです。 さて、今年の年末年始もお客さん先のシステム移行作業があり、ほとんど寝てません。先ほど帰宅して4日ぶりに風呂に入り、幾分すっきりした気分で書いております。(笑) そんなわけで今年のニューイヤーコンサートを聞く事はできませんでしたので感想は書けないのですが、例によって来年のニューイヤーコンサートの指揮者がウィーンフィルのHPに載ってました。 また、ジョルジュ・プレートル翁です。 まあ評判は大層良かったですが、小澤さんのウィーン退任の年でもありますから小澤さんに振って欲しかった。ファンとしてはたいへん残念であります。 あそうそう、成城学園駅で小澤征悦さんを見かけました。結構背が高いんですね。芸能人オーラは出てなかったけど、ちょっと人を寄せ付けない雰囲気ではありました。 最後になりましたが、皆様のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。
2009年01月02日
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今住んでいるマンションの周りには雑木林があって近頃、鳥の鳴き声が賑やかだ。ついこの間、若いウグイスが春の訪れを告げにやってきた。若いというのもまだ「ほーほけきょ」と鳴けず、「ほーほけっきょ」「ほーほけ」などと覚束ないからだ。そのうちうまく鳴けるようなるだろうと心待ちにしている。 と、書こうとした今朝、ベランダに出てみるといつもと景色の様子が違っていた。雑木林の道側半分が無くなっていたのだ。全く驚いた。そしてあきれた。このわずかな雑木林だって百年以上もかかってできあがったものだろう。それがたった一日でこんなにもばっさり無くなるものかと。 今朝は切った木々を片付けるのだろう、ダンプとショベル機が入って、うるさかった。チェーンソーの音が妙に響いていた。丸太をダンプに乗せやすくするため切り刻んでいる様は人間を切り刻んでいるように見えた。枝の高いところで野鳥が切り裂くように鳴いていたのも、もうやめてくれと叫んでいるかのようだった。 ここは今後造成されて住宅が建つのだろう。人間の経済の都合で自然がどんどんなくなっていく。エコロジーを声高に唱えて、その一方でこういうことがどんどん繰り返されている。これは一体何なんだろう。もういい加減「経済至上主義」は終わるべきだ。金儲けのためなら何をしてもいいわけがない。モラルも自然も失ってからでは遅い。失われる前に何かがおかしいと社会全体で気づかなくてはならない。 あのウグイスは残された雑木林にもう一度来て、見事な「ほーほけきょ」を聞かせてくれるだろうか。ジョン・バルビローリ(指揮)/EMI CLASSICS 決定盤 1300 13: 春初めてのカッコウを聞いて/ブリックの定期市 [ディーリアス: 管弦楽曲集](CD)英国の作曲家ディーリアスの「春初めてのカッコウを聞いて」。ヨーロッパで春を告げる鳥と言えばカッコウなのです。
2008年03月22日
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先週土曜に旧い機種のドライバをインストールし、再起動したところ、インターネットに接続できなくなりました。 メーラーをつなごうとしても「サーバに接続できません」のメッセージ。 ルータか?LANケーブルか?いやNIC(NetworkInterfaceCard:LANカードのこと)か?とあれこれ調べました。どれも問題なし。いよいよヤバイ感じになってきました。 翌日プロバイダのコールセンターに問い合わせ。もしかしてサーバが故障してるんじゃないのと疑ったんですが、違う様子。そこで親切なお姉さまが、手取り足取り(?)指示してくれます。こちらも一応プロなのですが黙って、「はい、コントロールパネル開きました」と明るい素人。 一通り土曜日調べた内容をやりました。 ネットワークのプロパティ-ローカルエリア接続-サポートタブを開いてIPアドレスが取得できているかを確認。さらに詳細を開いて物理アドレスがどうなっているかを確認しました。このときは両方とも表示なし。つまり、まったくIPアドレスの取得もできてないし、NICの物理アドレスも見えないという最悪な状態でした。 そこでお姉さまは(と言っても私よりは断然若いだろうが)コマンドプロンプトの画面でコマンドを入れるよう指示。 >ipconfig /release (Enterキー) >ipconfig /renew (Enterキー) これはDHCPサーバからIPアドレスを再取得しようとしています。構内LANの環境において他の人とIPアドレスが重複してしまったときに投入するのですが、お姉さまはDHCPサーバと再接続できるかどうか試したかったのでしょうか。 ところが、コマンドの返事は、 Windows Ip Configuration ようするにコマンドすら効いてない状態になっていたのです。 デバイスマネージャでNICを見ても、正常に動作しているように見えます。 物は試しと思ったか、お姉さまはさらにコマンドプロントでコマンドを投入。 >getmac LANカードの情報を見ようとしたわけですが、「内部コマンド、外部コマンド、操作可能なプログラムとして認識していない」との返事。そんなコマンド知らない、と言ってます。情報が無いんでしょう。 お姉さまはすまなそうに「メーカーに問い合わせてNIC周りをご確認ください」と仰いました。自作PCなので問い合わせ先はないんですけどね。 でも30分以上奮闘してくれたお姉さまに感謝して電話を置きました。 おそらくNICドライバがいかれたのでしょう。WinXP再インストールを決意しました。 ところが、再インストールの途中、「ドライバのインストール」でぴたりと処理が停まってしまいます。何度試しても同じ。先に進んでくれません。 ついに新規インストールを決意。これでダメならマザボのLAN口が壊れてることになります。PCの買い替えか!もう6年目に突入してるからちょうどいいか、などと思いつつ、面倒なことになったと落ち着きません。 翌日は月曜、仕事中も気になって仕方ない。帰るとすぐに新規インストール開始。HDDは余分にあった160GBを新たに装着。 パーティション切って、Cドライブにインストール開始。今度は「ドライバのインストール」もすいすい。ほっと一安心。 こうしてどうにかネットにもつながり、旧マスタドライブから必要なファイルやらメーラーやらブルウザやらの情報をコピーして、こうしてブログを書いております。
2008年01月24日
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最近の通勤の友はニンテンドーDSだ。 最初は「脳トレ」を真面目にやっていたが、自然遠のいてしまった。計算がうまくないのでなかなか結果が上がっていかない。瞬間的に覚えて数の小さい順に指していくのも苦手だ。そうやって手にしなくなってしまった。 ある日、CMで「DS文学全集」を知り、これならヒマつぶしにもってこいと思った。使ってみると、片手でページをめくれるし、活字が大きくて読みやすいし、見開きの文字数が文庫本と比べても少ないのですいすいページをめくっていける。1ページを読むのに時間をかけているとだんだん飽きてくる性質なのでこれはうれしい。 収録本はいわゆる名作100選なのだが、題名とあらすじは知っていても案外読んでいないものも多かった。田山花袋の「蒲団」、伊藤左千夫「野菊の墓」、堀辰雄「風たちぬ」など、意外と読んでないものばかりだ。 これを機に今一度名作たちと付き合うのも悪くない。NDS DS文学全集《発売済・在庫品》
2008年01月13日
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年末になり、いよいよ忙しくなってきました。加えて体調不良が続き、ここの更新もままならず。 小澤さんの「運命」聞き比べも年越しになりそうです。 この年末年始はシステムの入れ替えがあり、本日より3日まで顧客先におります。 おそらくうまくいくはずなのですが、本番は何があるかわからないというのは、どの業界でも言えることでしょう。 年末年始が無いのは2000年問題のとき以来ですね。GWが無いのはよくあることですが。 拙いブログですがこれからも細々と更新していきたいと思います。来年はもうちょっと余裕がありそうかなぁ。 あ~、来年も年末年始が無いんだった。。。。 小澤さんもすっかり元気になられて、来年も素晴らしい演奏を聞かせてくれることでしょう。これからの小澤芸術の集大成、聞き逃せません。 ご覧の皆様、どうか良い年をお迎えください。 それでは、行って来ま~す。
2007年12月30日
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8月4日江戸川区花火大会に行ってきました。 いつもは途中から来て帰りが混む前にさっと帰ることにしていました。 今年は知り合いが良い場所を取ってくれて、最初から最後まで楽しむことができました。ご承知の通り、直前まで台風の影響で風が強く、開催が微妙でした。当日もまだ強風でしたが、無事開催され、また台風一過のせいで空は澄み渡り、美しい夜になりました。 さすがに近くで見、聞く花火は最高です。 のっけからいきなりの花火の連射に会場は一気にヒートアップ。 若い連中は、花火が次々に速射される出し物に歓声やら叫び声、雄たけび(?)を挙げて喜んでいました。確かにまばゆいばかりの光と色彩、轟音はいやがおうにも興奮させられます。 今回見ていて気づいたのは、一発一発丹念に打ち上げられた大玉。ひゅ~と上がって丸く弾けて赤や緑の球体を形作って、終わり。ただそれだけ。(これを「菊」というのだそうだ)若い連中はこのときビールを飲んだり話をしたりの休憩タイム。 けれどこの単純な単発大玉が妙に綺麗だった。綺麗な球体と色彩。派手ではないが、何となく味わいがあった。 菊の中にもうひとつ球体が入る「牡丹」、これもいい。中が緑で外側が赤とか。色彩が単純なので組み合わせや色の現れるタイミングなどが絶妙な技なんだろうなぁ。 それと「しだれ柳」。弾けたあと金色の筋がしゅ~と下に伸びて柳の木のよう。先っちょでぽっと赤や緑に変わるのもいい。今回ひとつだけ他の花火とは違う、繊細な金色を出している柳があって、ああ見事だなぁと感心したり。 年を取ったのか、興奮させられる連射ものより単発ものや蝶や星型に形づくったものに妙に心惹かれた一夜でした。
2007年08月06日
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生まれ育った町の記憶はおぼろげで、それゆえに美化されていたのだろう。 今週早めに夏季休暇を取って、名古屋に来た。両親とも北陸の人なのだが、仕事で名古屋に赴任していた時に出来た子供だった。10歳まで名古屋で育った。そのあと、横浜、東京と移り住んだ。父が仕事でがんばったおかげだ。 自分の記憶では広い国道にはひっきりなしにダンプカーが走り、近所の小学校と広い公園で毎日遊び、角の駄菓子屋で5円のチューイングガムを買い、路面電車に乗って栄のデパートへ母と行くのが楽しみだった。 実際に行ってみると、狭い国道に怖いイメージはなく、小学校も2つあってどっちだかわからないし、遊んだ公園はどこかにいってしまった。角の駄菓子屋のおばちゃんも店も(もちろん)無く、路面電車も無い。どこかくたびれた住宅街になっていた。当時住んでいた長屋は取り壊されて団地に変わった。子供目線では広い空間だった町は狭くて窮屈そうに家が並んでいた。 子供たちが遊び回っていた公園はおそらく共同施設に変わり、別の場所の公園に子供の姿はなく、バイクをふかすつっぱり兄ちゃんがたむろしていた。 全ては変わってしまった。町名まで。 当たり前のことだが、40年の歳月を改めて思い知った。記憶というものは当てにならない。頭ではわかっていたが、子供の頃とのあまりのギャップに驚いた。 それでも自分は帰ってきた。自分の生まれ故郷に、元気に遊び転げていたあの場所に。知り合いがいるわけでもないけれど、見知った場所も朧げだれど、確かに自分はここに居たんだという思いでずっと頭がふらふらしていた。帰り際に小学校の古そうな石垣を触ってお別れしてきた。ずっと気になっていた。帰ってきたんだと、何度も思った。
2007年07月25日
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台風4号で被害を被った方々へお見舞い申し上げます。 当方は関東在住なので雨風が強かった程度で済みました。が南の湿った空気が入ってきたのでしょうか、夜中でも蒸し暑く、どうにも眠れません。 もともとエアコン嫌いなので、あっても冷房を付けない時が多く、今のマンションに引っ越してから1年、まだ取り付けてません。ベランダ側が雑木林のせいか、朝晩は涼しく快適なのですが、湿気が多いとどうにも堪りません。 エアコンの除湿機能も最近は進歩していて、除湿しても温度が下がらないらしい。再燃除湿機能ならエアコン嫌いの私でも大丈夫かな?とカタログを集めて、にらめっこ。 どのメーカーも似たり寄ったりで、さてどれがいいのやら。悩んでいるうちに夏が来てしまいそう。
2007年07月15日
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まずはYouTubeのこれを見ていただきたい。 ・・・どうでした?何だか凄くなかったですか? じゃあ同じ曲をあのペライヤで、どうぞ。凄みが全然違うと思います。 これに似た衝撃はブーニンのショパン・コンクールのときか、小菅優のTV番組のときぐらいです。テクニックが単に凄いというだけでなく、何やら途轍もないものを聞いてしまった、そんな感じです。バカテクだけれどもポリーニのような冷たさはないし、美人(写真によって印象違うけど)だけど演奏に「女」を感じさせない。 特に音楽が盛り上がってくるときに口を開けてどんどんのめりこんでいく様子は、音楽を小綺麗にまとめて済ませる昨今のピアニストとは違う、彼女のなかの狂気を感じさせます。急カーブが目の前に迫ってきているのにさらに加速して突っ込んでいくような、危うさ。 ピアノのテクニックについてはよくわからないけど、ふわっとしたタッチから物凄い音が鳴っています。しなやかでありながら鋼鉄のような音。 呆気に取られてネット検索してみました。YouTubeにはいろいろ動画ありますね。 ラフマニノフの第2協奏曲もなかなかいいです。テンポは速め。が歌うところは随分テンポを落とします。この辺り、かなり自在に弾いているなという印象でした(特に第3楽章)。バックのオケが日本っぽいけど、来日してるのかな? この人、Valemtina Lisitsaさんはキエフ生まれで現在はアメリカ在住のピアニスト。年齢は30歳くらい、既婚です(残念?)。・出身:ウクライナ、キエフ・学歴:キエフ音楽院卒・受賞歴:'91 The Murray Dranoff Two Piano Competition(第1位)・レコーディング: AUDIOFONレーベルより7枚、DVDが3枚、 VAIレーベルよりイダ・ヘンデルとのリサイタル('00)盤あり。・特殊能力:速読?とphotographic memory(見ただけで記憶しちゃうってことかな)・ベーゼンドルファー・アーティスト 3歳より始め4歳でソロリサイタルを開くも、小さい頃はチェスのプロプレーヤーになりたくて、ピアニストへの道は考えていなかったらしい。またphotographic memoryの能力で少ない練習時間でキエフ音楽院に入学できたとのこと。 そのキエフ音楽院でAlexei Kuznetsoff(ピアニスト)と出会い、それがきっかけでピアニストへの道を歩き始めた(二人はその後結婚)。 上記コンクールで受賞したのを機にアメリカに移住。モストリー・モーツアルト・フェスティバルへの出演やDuo活動を通じて徐々に人気を博し、ソロ活動を開始。他に、イダ・ヘンデルやリン・ハレル、ヒラリー・ハーンらの伴奏も務める。 ざっとこんな具合です。ご興味のある方は彼女のHPをご覧ください。 それにしても、ピアノがうまいのにピアニストになろうとしてなかったとか、凄まじい記憶力にバカテクとか、音楽学校での彼氏との出会いからピアニストに目覚めたとか、ついちょっと前に流行ったあのマンガ(ドラマ)に似てませんか。(笑 彼女の演奏をもっと聴いてみたいと思っても、日本ではCDもDVDも売ってませんでした。(もしどこかで売ってたら、ご一報のほどをよろしくお願いします) 日本に来てくれないかなぁ。
2007年06月17日
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小澤さんは29日の開演前に盟友ロストロポーヴィッチのために1分間の黙祷を行ったそうです。当然ながらこの公演は亡き友に捧げられました。結果は大成功だったようで、まずはひと安心です。 さて、チェリスト・ロストロの評価は言わずもがなですが、指揮者・ロストロはどうでしょうか。個人的には活動初期のほうが面白かったように思います。初期はやりたいことがうまくできなかったりするんですが、ユニークなキャラのせいか、チェリストとしての評価のせいか、なかなかうまくオケをリードしていたのではないでしょうか。 もちろん不器用でアンサンブルもうまく揃ってないところもあったりするんですが、それがかえって味わいや迫力になって聞こえて来るから、音楽ってぇのはわかりませんね。 いきなり出てきたチャイコフスキー交響曲全集はロンドンフィルからすんごく重たい響きを引き出していました。自らチェロで弾いて聞かせたんじゃないかと思うくらい。これがまたなんともチャイコフスキーにぴったり。洗練された演奏とは対極にある、武骨な感じがいい。 私が一番好きなのはパリ管との交響組曲「シェラザード」です。これもあのパリ管から重い響きを出しつつ、ゆったりしたテンポで猥雑で幻想的な世界を醸し出していました。チェロのソロでは自分で弾いてるんじゃないかと思うくらい、深い歌があります。 この曲の録音としては私は5本の指には入るのですが、小澤「火の鳥」(旧盤)同様、ARTリマスタしてないんですよね。レコード会社にはなんとか価値をわかってもらいたいです。チェイコフスキー全集から「悲愴」。重くうねるような歌が心に沁みる。天下無双の「シェラザード」。いやあ、いつ聴いてもいいなぁ!
2007年05月04日
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このニュースには驚きました。世界的なチェロ奏者、指揮者で、民主化運動家としても知られるムスチスラフ・ロストロポービッチ氏が27日、モスクワ市内の病院で死去した。80歳だった。 昨年末から体調を崩していたが、詳しい死因は明らかにされていない。(読売新聞より) 世界的チェリストとして指揮者として活躍していたし、知日家として日本の音楽ファンからも愛されていた方だけに、まことに残念です。今年2月にモスクワの病院で腸のガンで手術を受け、3月退院。3月27日に80歳の誕生日をクレムリンで祝った(そのときの模様はこちら)ものの、4月12日に再入院していたという。動画を見るとかなり痩せてて痛々しい。 また小澤征爾の才能を愛し、まるで弟のようにかわいがり、小澤さんも「スラヴァ(ロストロポーヴィッチ氏の愛称)」と兄貴のように慕っていただけに、かなりショックなことに違いない。サイトウキネンフェスティバルに出演して大いに盛り上げてくれたし、音楽キャラバンに賛同して一緒に田舎町を訪ねて回ったりと、よほど気のあった仲だったのだろう。 小澤さんは今年の東京の森でのワーグナー「タンホイザー」を3月24日で打ち上げ、その翌日にはこの80歳誕生祝いに出席するためロシアへ駆けつけたばかりのはず。こういうのってつらいでしょうね。ついこの間、元気な姿を見てた後だけに。 明日29日はウィーン国立歌劇場でワーグナー「さまよえるオランダ人」を振る予定の小澤さん。この訃報にキャンセルして駆けつけるのか、追悼の意味を込めて振るのか、その辺りの行動も注目したいと思います。 それから彼のドキュメンタリー映画も公開されたばかり。→「ロストロポーヴィッチ 人生の祭典」オフィシャルサイト これから彼の音楽、人生が評価されていくことでしょうね。 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。↓精緻を極めたチェロの歌いぶりに小澤さんのタクトが絶妙な間合いとふくよかな響きで応える。名盤です。ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 他(85年録音)
2007年04月28日
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根がバカなせいか、論理的思考とかロジカルシンキングとかって本を見ると、つい買ってしまう。気がつくと本棚には似たような書籍が並んでいる。しかもどれも「積ん読」だ。身についたという実感も当然ない。 昨夜部屋の整理をしていたら、思いがけず古いコピーが出てきた。おそらく15年以上前のものだと思う。某社に数学者の広中平祐氏が講演されたときの筆記録だ。小澤さんがアメリカに初めて行ったときケネディー空港で出迎えてくれたのが広中氏だった。そのあたりの話は以前このブログでも紹介した本「やわらかな心をもつ」にも出てくる。 で読み返してみると、話があっちに飛びこっちに戻りして面白い。そして中程にこんな話をしている。 講演のお題が「人材育成について」なのに話がまとまらなくなってきた先生は、「矛盾してもいい」という考え方を紹介する。 例として、マーク・トゥエインは「天才というのは矛盾に満ち満ちている。石頭だけが一貫している」と言っている。また、エマソン「コンステンシー(一貫性)はスモールマインドが吐き出す毒である」という。グレートマインド=偉大な人とすると、スモールマインド=ケチな精神の人ということだろう。すなわち、「スモールマインドで論理一貫ということばかり考えている人は毒みたいなものだという言い方をしています。だから少々矛盾しているのは、天才とまでいかなくても、スモールマインドよりはちょっと離れていることになるわけで非常にいいわけです。」 なーんだ話が矛盾してるヤツは天才ってこと?なんて思うのは早計。この先、話は人口知能を研究している人の話になる。そのなかのキーワードは「ダイナミック」「新陳代謝」。変化していくことのほうが大事で、少々矛盾しててもいいんだと。「曖昧さ」「柔軟性」も大事だと。そこに論理的な一貫性を求めるのはダイナミックスにおいても柔軟性においても「毒」なのではないか、というわけだ。 なるほど、突拍子もないことを思いつくヤツって論理性ないよなぁと妙に納得した。しかし近頃ではだいぶ考え方にダイナミクスも柔軟性も欠けてきている。このままじゃ中途半端な石頭になりつつあるなぁ。DS買って脳を鍛えるトレーニングでもするか。(苦笑)
2007年03月13日
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明けましておめでとうございます。本年もマイペースで書き込みしていきますので、何卒お付き合いくださいませ。 さて、正月休みは実家にて過ごしておりました。実家といっても私にとっては知らない土地同然。友達もいないし、親戚だけです。で、テレビ三昧な日々を送っておりました。 実家はBS放送が見れるので、普段見れない番組もあり楽しめました。 アバド=ルツェルン管のマーラー第5なんてのもやってましたね。ただこの演奏、期待してたより面白くなかった。確かに新鮮な解釈だったし、オケもうまい。第3楽章のホルンソロは自分の席で立って演奏していましたが、すばらしいうまさだった。けど、なんでだろう。自分のコンディションのせいか、あるいはテレビのスピーカーでは細部まで音が聞こえてなかったせいかもしれない。そういうことにしておこう。(苦笑) メータ=ウィーンフィルのニューイヤーコンサートもなんだかぼーっとした演奏だった。ギャロップとかマーチはメータ独特の運動性というかブリリアントな響きで、なるほど楽しかった。『エルンストの思い出』については、珍曲?のせいもあり、またメンバーの超絶技巧もありで面白く聴けた。オケもあれで調子づいたのか、アンコールのラデツキーまで尻上がりに良くなっていったと思う。 2002年に小澤がニューイヤーに登場したとき、「ワルツが少ない、振れてない」という批判もあったが、今年のメータだって全18曲中、ワルツは7曲で半分も入ってない。あとは行進曲が最初と最後の2曲、ポルカ5曲、ギャロップが2曲、「エルンスト~」はファンタジアだし、オペレッタ「くるまば」は序曲。ワルツでは指揮してない場面もあり、これでは振れてるとは言えません。 小澤のニューイヤーは細部まで手の入ったひどく真面目な演奏で、真面目に遊んだ演奏会だったと記憶する。何事にも真剣勝負で挑む小澤らしさが出ていて、私なぞは逆に楽しんだのだが。。。それに比べれば今年のメータは締まりの無い、えらく手抜きに聞こえましたよ。 ちなみに来年のニューイヤーはジョルジュ・プレートルだとウィーンフィル公式HPに掲載されてました。フランス人初なのでこれまた興味深いが、なんで小澤じゃないの?小澤のニューイヤーコンサート完全収録版(DVD)。来年もこれを見て新年を過ごしましょう(爆)
2007年01月03日
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ドラマ「のだめカンタービレ」が面白い。クラシック音楽を扱っていてギャグ満載で笑えるのがいいですね。ひと頃流行した何をしても暗い絶望的なドラマに比べれば、毎回見るのが楽しみです。 原作の漫画を見ていないのでわからないけれど、ひとつ気になるのは「変態」という言葉。のだめを始め、真澄ちゃんや峰などに対して「変態」という言葉を発している。私の語感では変態というよりただの「変人」だと思うのだが・・・ 変態というのは簡単にいうと「正常でない」ってことなので、確かにのだめの奇行ぶりや真澄ちゃんのおかまぶり(?)を見ると、正しいと言えば正しい。だけどもっとぎらついた感じがするんだよねぇ、「変態」って言葉には。(笑) そういえば私のギターの師匠の師匠(我々は大師匠と呼んでました)はすごい経歴の持ち主なのに演奏活動を早くから止めてしまった人なんですが、あるとき都内神田古書街を弟子と歩いていたら突然ある古本屋に駆け込み、「まるで楽譜を探すような真剣な目つきで」(弟子回想)裏本を1冊1冊吟味し、最後に何冊か買うといつもの人懐っこい笑顔で店を出てきたそうです。 その手のエピソードは数知れずでしたが、そういう所も含めとても人間臭く、誰からも愛された方でした(もう故人です)。その弟子たちも皆なんかこうズレてるというか、変わってて面白い人が多かった。随分遊んでもらったし、遅くまで飲み歩いたし、一緒にいてホントに楽しかった。 大師匠も弟子たちも他の人から見ればきっと「変態」なんだろうけど、私はそうした思い出もあり「愛すべき変人」と呼びたいのです。
2006年11月29日
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引越しも無事終え、ネットに接続することができるようになりました。 相変わらず、大変ですね、引越しってのは。荷解きもたいへんですが、手続き関係も面倒。今はインターネットで登録変更なんてのも簡単にできるようになってきましたが。 まだオーディオを組み終えていないので、音楽聴けない状態です。早く聴きたい!
2006年06月21日
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随分更新してないのに、引越しでしばらく不通になります。それにしても独り者なのにこの荷物の多さはなんでしょう。もっとスリムにしておけばよかった、と前回引越しのときと同じ反省をしてしまいました。昔買ったマンガ本とかさっさと売りにだすとか。引越し終わったらなんて、きっとやらないまま次回引越しでまた反省するのでしょうね。きっと。岩城宏之氏が死去されて、小澤ブログとしては何かコメントを出したいのですが、時間が無くてすいません。一言。氏は何よりも日本の現代音楽を数多く初演し、積極的に紹介した点に関しては多大な貢献をなされたと思います。特に1997年黛敏郎氏の追悼公演で「涅槃交響曲」を指揮なさり、そのあまりに静かな演奏(盛り上がる部分も妙に静かな感じがした)に「これはレクイエムのつもりで指揮しているんだなぁ」と心の中で呟いた瞬間、「岩城さんも長くないかも」と予感しました。何の突拍子もなく。あれから9年経ったので私の予感も当てにはなりませんが、訃報を聞いてそんなことを思い出しました。あらためてご冥福をお祈りいたします。
2006年06月16日
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久しぶりに更新します。ようやく引越し先が決まりました。ていうか、エイヤで決めました。この時期は物件が少ないよと、不動産会社の人に言われてました。が、オーディオを鳴らすためには妥協はできません。まあ、厄介者を抱えながらの物件めぐりはつらいような、楽しいような。いいなぁと思った物件はすぐに申し込まれ、不動産の新人担当がぼけぼけしてる間に取られと、いい経験をさせていただきました。(笑)20軒以上は見ましたね。もう間取り図見ただけで部屋の中を想像できます。最終的には住みやすさを取るか、部屋のグレードを取るかというかなり究極な選択でした。結局ちょっと不便だけど部屋を採りました。大丈夫かなぁ、生活。決めるもの決めたらすっきりしました。ずっと鬱々としてましたから。さて、次は引越し。とりあえず2000枚のCDから片付けますか。
2006年05月30日
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久しぶりの書き込みです。 実は6月には今のマンションを引き上げなくてはならず、先々週から近くの物件を見て回っていました。ちょっと遅れをとったせいか、なかなか条件のいい物件が見つかりません。 なにしろオーディオ装置が大きいので、それなりの広さが必要です。現在は9畳のLDKに置いていますが、これでちょうどいいのです。それにオーケストラをすかっと鳴らしたいので、アパートやテラスハウスはだめ。ある程度の造りでないと・・・と考えると、条件は厳しくなってきます。 音楽を愛する者にとって住居は頭の痛い問題です。 これまで見てきたものにも、充分な広さを持つものはありました。が、家賃が高い。10万超えてしまいます。これでは生活できません。ただちょっと郊外に引っ込むと一戸建ての借家があったりします。 見てきたなかでいいなと思ったのが、・16畳(!)のLDKがある平屋。ただしかなり郊外(田舎)。・3階がロフトになってる新築戸建て。ただし最寄駅から徒歩25分(途中で酔いが醒めそう)。 そしてどちらも冬が寒そうです。寒いの苦手なんでねぇ。16畳なんて広すぎて暖まりにくそうだし、新築物件も階段で3階までつながっているので暖房費かかりそう。よく考えると変な構造だよなぁ。 そろそろ決めないといけないけど、現実と理想の狭間で揺れています。 そして明日もまた探しまわるのです。ああ、疲れた。。。
2006年05月13日
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2月1日に書き始めて3ヶ月、気がつけばカウンタも1000を越えておりました。あらためてご訪問の皆様に御礼申し上げます。 もともとはクラシック音楽のマニアックなブログを読みたいけど数少なくて、だったら自分で書いてみようという、単純な発想で始めました。実際書き始めるとどれだけ難しいものかがよくわかりました。仕事もありなかなか更新できませんし、ひとつの記事で休日潰れたりもざらです。が、それと同じくらい音楽への思いがより強く確認できました。それでもやっぱり音楽好きなんだと。 また当ブログは小澤ファンブログというもうひとつの顔も持っています。7月には活動を再開されるそうで、ファンとしてはうれしい限りです。 まだまだ諸先輩方のブログには遠く及びませんが、これからも地道に更新していきたいと思いますので、当ブログをよろしくお願い申し上げます。
2006年04月30日
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年度が明ければ楽になるかと思ったが、なかなかそうはいかない日が続いている。最近はいつも日付が変わってからの帰宅だ。なのでウチでは食事が唯一の楽しみになりつつある。独り者ゆえ自宅での食事は弁当がほとんど。つい最近知ったのが、コンビニの焼きうどんによくかき混ぜた納豆かけて食べること。うまい。焼きうどんにもともと味付けされてる醤油味と納豆がよく合ってる。ねばねばをからめながらうどんをすするのも面白い食感だ。それに健康にもいいし。 そう言えば、昨年よく行っていた新宿職安通り沿いの中華のお店(王さんがどうのこうのって店)。そこのランチメニューにあった納豆チャーハンもうまかった。ベタつかず、あっさりしていてしかも納豆の味もしっかり出ていた。今年2月久しぶりに行ってみたら違う店になっていてショック!まああんまり流行ってなかったしね。近所の韓国連合に負けたのかな。 関西の皆様には申し訳ないけど、ちょっとしたマイブームでした。
2006年04月06日
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私のようなぐーたらサラリーマンでも年度末は忙しい。 システム構築というのはたいてい年度の切れ目にあわせて入れ替えたり、新サービスを始めたりする。 年度末とかGW明けとか9月末とか年末年始なんかは、システム屋は猛烈に忙しくなる。もちろん、休日は無い。他人が休んでいるときに働くのがシステム屋さんですから。 今年は年度の切れ目で稼動するシステムではないけれど、会社の年度決算があるので、事務処理が多い。これも結構大変。事務処理を簡素化するため、社内システムもあるが、逆に煩雑になった気もするし。 年度の切れ目でスタートするシステムを抱えた連中はなおさら大変だろう。私も経験があるが、納品物を揃えるのと、システム動かすのとどっちが大事だと思ってるんだ!と会社に言いたくなる。(計画性がどうのとかって言われるのがオチなんだけれど) 一番つらいのは、年度の切れ目の退職者で、送るほうも忙しいから満足にお別れを言うこともできない。知らない間に辞めていて、後で知って驚くこともしばしば。そんな職場なんですよ、SE会社ってのは。
2006年03月29日
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デパ地下の楽しみと言えば「つまみ食い」。菓子類から漬物まで試食させてもらう。一周すればお腹いっぱい・・・なんてことはないが、爪楊枝の先ほどの量でも数をこなせば結構満腹感は得られる、かも。 もっとも私はおいしいと思ったら、ちゃんと買いますよ。特に気になるのが地方の名産物販売コーナー。ひと頃沖縄物産展が流行ってよく行ってみたが、いまは普通に沖縄料理や菓子が手に入るようになった。特に「スッパイマン甘梅一番」は好きでよく買う。 クラシック音楽CDを聞くにも私はときどき「つまみ食い」を楽しんできた。今まで小澤のCDを中心に行ってきた、「音盤比較」がそれだ。 ある曲の好きな部分、たとえば第1楽章のこのオーボエとクラリネットの掛け合いがたまらねぇとか、展開部から再現部に入るところが最高にかっちょいい!とか、そういうこだわりの箇所をいろんな演奏で聞いて比較している。同じ曲なのに何でこうも違うのかといろいろ発見があって楽しい。 例えば、今まで何だか冴えない演奏家だなと思っていたら実は自分がこうして欲しいと思っていた通りに演奏してくれて一転ファンになったり、巷間評判の良い演奏家が自分のこだわり部分をさっさとすっ飛ばしててがっかりだったなど、など。時には自分が考え及ばなかったようなやり方でこだわり部分を処理してたりすると、こりゃもう天才じゃ、と興奮するやら感服するやら。もう、目から鱗状態、尊敬のまなざし。。。。 こういう、「つまみ食い」をするにはある程度その曲を聞き込んでいないとできないけれど、きっと皆さんにもひとつやふたつ、こだわりの曲のこだわりの部分があるはず。ぜひ一度クラシック版「つまみ食い」、お試しあれ。
2006年03月08日
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多忙ゆえなかなか記事をアップできていません。うーん、毎日更新されている皆さんはすごいです。ホントに。それとCDジャケットの画像を探しているんですが、火の鳥にしても若い頃のもの(旧録音)がなかなか見当たりません。再発されているはずなのに。ショップもメーカーもどうかしてるぞ!というわけでいずれ手持ちのものをデジカメに撮ってアップしようかと考えています。
2006年02月07日
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「まったく知らなかったものを知る、見る、ということは、実に妙な感じがするもので、ぼくはそのたびにシリと背中の間の所がゾクゾクしちまう。」小澤征爾氏の著作「ボクの音楽武者修行」(新潮文庫)の書き出しだ。何の屈託もない、明るく開放的な語り口。中学時代、ちょうどクラシック音楽を聴き始めた頃だった、学校の図書館で偶然見つけ、その語り口に乗せられて一気に読んでしまった記憶がある。 それ以来彼のファンになった。 だから私のクラシック体験と小澤ファン歴はほぼ同一だ。いつも彼の活動は気になっていたし、新譜も聞いてきた。 高校の頃、近所の中古レコード屋で彼の「悲愴」や「火の鳥」(ともにパリ管盤)のLPを見つけ、どうしても欲しくて昼飯代にもらっていた小遣いを貯めて買ったこともあった。もちろん貯めてる間は腹ペコだ。けれど、彼の演奏を聴き始めたら、そんなことはどうでもよかった。素晴らしかった。録音を聞いて涙したのはこのときぐらいだろうか。 大学の時はほぼ毎日、都内のどこかの中古レコード屋に必ずいたと思う。お金は無かったが、聞きたいLPはいっぱいあった。もちろんその中に小澤の録音もあった。 やがて就職して自分で稼ぐようになり、発売と同時に新譜を買えるようになれた。最近はクレジットカードでネット購入だ。が、すぐに買えるのはなんだか味気ない気がする。昔よく通った中古CD屋に今でもふらりと行ってしまう。生来のへそ曲がりのようだ。 このブログではこれまでに聞いてきたクラシック音楽のCDについて語りたいと思う。演奏評なんてとんでもない。私にとっての「シリと背中の間のゾクゾク」を徒然なるままに書き記していきたい。 でも密かに小澤録音のコンプリートを目指しているなんて、とてもおっかなくて書けないなぁ。(笑)
2006年02月01日
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