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2024年12月22日
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奥州は古来より金が産出することで知られていましたが、奥州藤原氏はその流通を管理することで莫大な富を得ました。奥州藤原氏繁栄の要はこれだけではないのですが、金の流通が大きな資金源であったことに変わりはないと思います。
岩手県平泉町は奥州藤原氏の本拠地であり、彼らによって建立されたとする寺院が数多く存在します。なかでも最も有名なのが、初代藤原清衡公によって造営された関山 中尊寺です。草創は9世紀中頃に慈覚大師円仁によるとされますが、現在に残る荘厳な中尊寺の姿を形作ったのは、まぎれもなく清衡公その人です。前九年・後三年の役という東北地方の大戦乱の戦没者を弔うため、仏法浄土を目指して造営された肝いりの寺院であり、金色堂などに見られるようにかなりの財が注がれていたようです。廃仏毀釈や奥州藤原氏の衰退と共に失速し、最盛期の勢いを見ることは叶いませんが、天台宗東北大本山を冠するのにふさわしい気品と美しさを併せ持った寺院でした。

2024.11.2
特別霊場之一:関山 中尊寺 ①中心堂宇


北上川と衣川の合流地点からほど近い場所に小高い山があります。この山全体が中尊寺の境内であり、最盛期には多くの伽藍が建てられたようです。



関山 中尊寺と刻まれた石柱を横目に、長い参道を登っていきます。



杉が鬱蒼と茂った境内は非常に幻想的です。雨霧も相まって雰囲気抜群でした。
参道沿いの杉は大きなものも多く、樹齢300年を超すものもあるとか。これらはこの地が仙台藩領になってから植えられたものだそうです。



少々進むと関所の門の様な構造物があります。中尊寺の山号である関山は、かつてここに衣関があったことに因んでいますが、この構造物もそれと関連したものだと思われます。




本堂

弁慶堂や地蔵堂などの諸堂宇を過ぎると、中尊寺本堂の寺門が見えてきます。雨にも関わらず物凄い数の参拝者でした。



本堂です。東叡山 寛永寺 根本中堂よりも一回り位大きな気がします。五色の垂れ幕と東北大本山の提灯に飾られた素晴らしい御堂でした。比叡山 延暦寺から昭和33年(1958年)に不滅の法灯を分け与えられ、それによって天台宗東北大本山となった様です。では、ご由緒を見てみましょう。


関山 中尊寺

天台宗東北大本山
開山:慈覚大師(円仁)
中興開山・開基:奥州藤原氏初代清衡
本尊:釈迦如来

中尊寺の御由緒
 中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山延暦寺の高僧慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれました。その後、12世紀のはじめに奥州藤原氏初代清衡公によって大規模な堂塔の造営が行われました。
 清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。それは戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意でもありました。
 清衡公は長治2年(1105)より中尊寺の造立に着手します。まず東北地方の中心にあたる関山に一基の塔を建て、境内の中央に釈迦・多宝如来の並座する多宝寺を建立し、続いて百余体の釈迦如来を安置した釈迦堂を建立します。この伽藍(がらん)建立は『法華経』の中に説かれる有名な一場面を具体的に表現したものでした。



 娑婆世界で法華経を説く釈迦如来のもとに七宝で美しく荘厳された巨大な多宝塔が現れた。釈迦如来は神通力をもって十方世界で法華経を説く自らの分身の諸仏を一ヶ所に集めると塔の扉を開いた。すると塔中に多宝如来が現れ、釈迦の説く「あまねく平等に開かれる仏への道(三乗即一乗)」をたたえてその真実性を証明した。多宝は座を分かって釈迦に勧め、塔中に二仏が並座した。釈迦は自らの滅後、法華経を永くたもち守るべきことを聴衆に説くのであった。[法華経 見宝塔品]



 清衡公は釈迦如来により説かれた法華経に深く帰依し、その平等思想に基づく仏国土を平泉の地にあらわそうとしたのでした。清衡公は『中尊寺建立供養願文』の中で、この寺は「諸仏摩頂の場」であると述べています。この境内に入り詣でれば、ひとりも漏れなく仏さまに頭を撫でていただくことができる。諸仏の功徳を直に受けることができる、という意味です。

波の様な木彫装飾も見どころの一つです。



堂内には巨大な釈迦如来像が置かれています。黄金色に輝くその姿はとても神々しかったです。



仏前にて舞が奉納されていました。この日は丁度秋の藤原祭の中日で、本堂前には多数の菊が供えられ文字通り華やかな雰囲気が境内に漂っていました。



本堂斜めから。
平安時代末に開創したとされる奥州三十三観音霊場の特別霊場に相応しい名刹です。東北地方が誇る素晴らしい堂宇や境内を是非お楽しみください



御詠歌
むかしより いまにかはらですゑのよも かぎりしられず さかふせきやま

本尊:釈迦如来 शाक्यमुनि

以前貰った御朱印です。



今回貰った御朱印です。




讃衡蔵

いわゆる宝物館です。入場料はかかりますが、それに見合った素晴らしい収蔵品の数々を見ることが出来ます。この宝物館でも御朱印がいただけました。

特に印象的なのは、やはり入ってすぐにある丈六仏です。大きさが一丈六尺であることに由来しています。薬師如来像が二つ、阿弥陀如来像が一つの計三つの丈六仏は、もとは本堂(阿弥陀如来)や境内の堂宇に納められていたものだそうです(峯薬師堂に右の薬師如来像、閼伽堂に左の薬師如来像)。造像年代も中尊寺大造営の時期である平安後期と重なっており、その当時の荘厳さを留めたまま現存しています。

丈六仏を含めた収蔵品の一部は↓のリンクからご覧になれます。
・岩手県平泉 天台宗東北大本山 関山中尊寺 / みどころ



以前貰った御朱印です。



今回貰った御朱印です。




​金色堂 と 旧覆堂​

中尊寺と言えば金色堂、というほど有名な建造物です。現在は耐火性の宝形造覆堂内に納められていますが、以前は木製の覆堂によって囲われていたとされます。
金色堂は天治元年(1124年)に初代清衡公によって建立されてから、幾度も修繕を繰り返し現在まで残されてきました。火災や戦乱などによる荒廃を乗り越えたその姿は本当に美しいです



金色堂について

 金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。

 内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥壇の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。

 この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されております。

 仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。

↑のリンク(公式サイト)から金色堂をご覧になれます。

金色堂入り口付近には一基の舎利塚が置かれています。阿波介という元陰陽師の遺骨が収められている様です。説明書きを見てみましょう。




念仏行人 阿波介 舎利塚の記

 阿波介は、12世紀末、京都伏見に往した陰陽師でしたが、仏道信仰が芽生えて法然上人の教導により熱心な念仏者となられました。浄土宗の二連の数珠の元を考案した仏者です。
 晩年、陸奥平泉に来たりて金色堂に詣で、西方極楽浄土を実感して辞しがたく、この地に留まって念仏往生を遂げられました。その遺骨「水晶のごとく」と伝記、舎利塚として今に伝えられています。

 金色堂建立900年、浄土宗開宗850年にあたり、報恩感謝の念をもって、ここに顕彰する次第です。
令和6年1月 浄土宗教講師会

昭和34年(1959年) 小林大巖師記顕彰碑 建立
文政7年(1874年) 手水鉢 奥羽浄土門中 再建



金色堂の噂は当時の京にまで伝わっていたんでしょうか、感化され仏法に帰依した陰陽師を弔った碑です。二連の数珠の成立にも関わっているとは・・・。

金色堂参拝後、堂外には歌碑が置かれています。
御製 平泉中尊寺にて

みちのくの 昔の力しのびつつ まばゆきまでの 金色堂に佇つ
​誰の歌なんでしょうか?御の字が付いているということは皇族か、と思い調べてみると先代の天皇によるものだそうです。



金色堂から少々離れたところに以前使われていた覆堂があります。



説明書きです。




重要文化財  金色堂覆堂

 正応元年(1288年)の棟札より、鎌倉幕府によって金色堂の修復が行われ、覆堂が建てられたと考えられてきた。近年の調査では、金色堂建立後50年ほどで簡素な覆屋根がかけられ、増改築を経て室町時代中期(16世紀)に現在の形になったものと見なされる。昭和38年(1963年)、新覆堂の建築にともないこの場所に移築された。



現在、旧覆堂内には木製の五輪塔が建っています。その他にも扁額?や様々な説明書きなどが掛けられていました。何にせよ、この旧覆堂も建立から数百年の月日が経った歴史ある建物です。



堂内の説明書きの一つです。義経とも縁深い金売吉次の物語です。




金売吉次
吉川保正 作

 吉次は(三代)秀衡将軍の時奥羽の鉱山を採掘し金銀を商った人で、年々京都に往来し都の文化や物資を平泉に移入しました。吉次は奇才人にすぐれて秀衡公の意をよくわきまえて幼い牛若丸を鞍馬寺から遥に誘って秀衡将軍の許に同行しました。
 図は吉次が京都から平泉の宿駅に着いた光景を*したもので、吉次は一商人でしたが京都の文物を奥州に移入した殊勲者として後年秀衡将軍は挙げて士分に取りたてて、衣川のほとりに居館を与えて三条吉次信孝と名乗らせたと伝えられています。


図をとらないというミスをしてしまいましたが、金売吉次についてよく知ることが出来ました。炭焼き藤太と同一、または息子ともされる金売吉次ですが、福島県白河市にその墓があります。今回の出張でその墓を見ることが出来たので、これもいつか記事としてまとめたいと思います。

旧覆堂の左側には芭蕉翁の石像があります。奥の細道で有名な松尾芭蕉ですが、当然中尊寺にも参拝しています。元禄二年(1689年)門弟の曽良とともに金色堂を参拝した芭蕉は、下の句を詠んでいます。​
五月雨の 降り残してや 光堂
降りやまない長雨に打たれる中、煌々と光る金色堂。何とも静かで、少し寂しげな雰囲気が漂うことか・・・。諸行無常の念が感じられます。芭蕉も往時の平泉の繁栄を想像しながら、金色堂を眺めたんでしょうね



以前貰った御朱印です。



今回貰った御朱印です。



金銅華鬘を象った、金色堂建立900年記念切り絵御朱印





本堂斜めから。
中尊寺の堂宇の中で最も重要な本堂でしたが、装飾が華美すぎず、東北らしい慎ましやかな独特の荘厳さを放っていました。また、讃衡蔵や金色堂などに見られる往時の姿の片鱗は、中尊寺がこの地の平和を切に願って作られたことを如実に表しているように感じます。数百年の時を越えて現代に受け継がれた東北の仏教文化の中心地に来れたこと、またそれに触れられたことに感激です。
次は是非”法華経一日頓写経”という行事に参加してみたいと思っています。六月の第二日曜日・・・参加できるでしょうか。来年度の楽しみにしておこうと思います



中尊寺公式サイトではより詳細な歴史や、文化財・行事に関する情報が確認できます。興味がある方は下のリンクからどうぞ!
・岩手県平泉 天台宗東北大本山 関山中尊寺

2025.12.31
中尊寺をより詳しく知れる動画を見つけました。↓にリンクを載せます。
・YouTube / 感動の世界遺産~窪田等のナレーションで巡る~ / 日本の世界遺産 [002] 平泉/中尊寺/毛越寺/WorldHeritage/Hiraizumi/Chuson-ji/Moutsu-ji



以上です。

​​​


仁王2 聖地巡礼

再現された金色堂



金色堂以外にも諸堂が再現されているが、中には人物の再現も。天狗と称された常陸坊海尊と共にストーリーを進めることもできる。目は若干青く見えなくもない。






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最終更新日  2026年02月27日 21時27分12秒
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