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2025年01月15日
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カテゴリ: 江戸六地蔵
上野と言えば、大寺院の東叡山 寛永寺が有名ですが、今回紹介する江戸六地蔵の札所(仮)もその塔頭の一つです。本地の寛永寺からも徒歩数分。すぐに着きます。
六番札所とは銘記しましたが、ここを江戸六地蔵の札所とするかは、札所間でも意見が分かれるらしく、はっきりしたことは言えません。ただ面白い寺院である事だけははっきり言い切れます。


江戸六地蔵六番札所②:東叡山 浄名院


寛永寺の寺門から北を向くと、すでに東叡山 浄名院が見えます。立派な寺門が建っているそうなんですが、参拝時は工事中でした。
境内東側が入り口で、入るともう異様な光景が広がっていました。おびただしい数の地蔵尊が立ち並んでいます。まぁ、これはまだ片鱗でしかないんですがねぇ・・・。



事務所を横目に境内奥に進むと、本堂が見えてきました。白く現代的な御堂ですねぇ。提灯や香炉、灯篭などが昔の姿を今に伝えます。



ご由緒です。




縁起

 昔は高重院、其後 寛文6年(1667年)圭海大僧都開基 。東叡36坊の浄圓院と称し、寺領二百石を賜う。五代将軍綱吉公の母寶樹院菩提所となり、寛海和尚は養善院に転住さる。寛文12年(1673年)当山第一世妙立和尚安楽律の新法門を唱導。これに対し山徒頻に誹謗せしが、妙立門下霊空和尚出で師説を顕揚す。

 当時日本佛法の大王輪王寺宮の大御心を動かし奉るに到り、遂に享保8年(1723年)御令旨に依り安楽一派を興立し、当山は浄名律院と改称し建立さる。又一山一ヶ寺の制を設けて、比叡山に安楽律院、東叡山に当山、日光山に興雲律院の三院県立本山とし、徳川幕末の本宗棹尾の偉観を呈す。大明院宫、崇保院宮、隋宜楽院宮、御三代法親王の御崇敬を仰ぐ。殊に崇保院宮は地蔵信仰深く自ら尊蔵を画き江戸府内寺院に賜わり毎月24日の縁日はそれより始まる。

 当山三十八世妙運和尚自他の人を合せ、八万四千の石地蔵尊を建立し、上は佛祖の供恩に酬い、下澆末の衆生を救わんとして発願さるや、直に北白川宮能久親王殿下の十数体奉納あり。徳川、小松、一條、近衛、毛利等各家の奉納に倣い、各界の人これに続き建立今日に到る。

 境内には明治初年神佛分離に際し、江戸六地蔵六番(永代寺富岡八幡宮の別当寺)は廃寺となり、地蔵尊も破壊され、以来当寺に江戸六地蔵第六番として再造された。

江東区第五編第八章宗教一六二五頁に当時の地蔵尊の背面文が書かれているので之を記す。
東叡山 净名院


古典の知識が皆無なので、少々難解な文章に感じます。書き下し分の様な御由緒も見つけたので載せたいと思います(一部加筆)。
東叡山 寛永寺 淨名院(通称:へちま寺)

天台宗 
開山:玄門大和尚
本尊:阿弥陀三尊

 浄名院は東京都上野公園東叡山寛永寺の北にあり、緑の樹木におおわれ境内は約千六百餘坪あり、寛文6年(1666年)圭海大僧都により上野寛永寺36坊の一つとして開かれ四代将軍徳川家綱の母宝樹院の菩堤所となり浄円院と称した。享保8年(1723年)安楽律院となり妙立大和尚の孫弟子玄門大和尚を第一世として浄名院と改称した。

 当時の江戸は華美で繁栄めざましい時代であったが寺の隆盛のかげには不徳な僧を生むようなこともあり、妙立大和尚はこれらの僧風に根本から刷新を加え、ただ一筋に清い信仰を広めたい一念であらゆる迫害に耐えて安楽律院を開かれたのである。やがて輪王寺宮様の支持を得て御朱印二百石を賜った。そして比叡山には安楽律院、日光山には興雲律院、東叡山には浄名院すなわち一山一所の三院が創立された。

 明治12年(1879年)三十八世妙運大和尚が釈迦入滅百年後印度の阿育王が、八万四千の石宝塔を世界各地に建立されたように、一つには仏恩に報い、一つには民衆を救うため八万四千体の石地蔵尊建立を発願された。そして自づから地蔵尊の真影を八万四千体拝写し、これを八万四千人に授与しこの受施者は必ず一体建立できるよう誓願された。奉納には率先して北白川能久親王が十数体造立、徳川、小松、近衛、一条、毛利の旧殿上人、陸奥宗光、大山元帥、犬養木堂また三井、安田の財閥、梨園の花形その他各地の方が造像し今日に続いている。一年一度の効験あらたかなへちま加持祈願法要が毎年あり(旧8月15日)その十五夜の日には全国の信仰者が参詣し境内を埋める。

 明治初年神仏分離によって江戸六地蔵六番の寺(永代寺富岡八幡宮の別当寺)が廃寺となり、地蔵尊像も破壊されたので、後に当山境内に江戸六地蔵第六番が再造された。

本堂内には本尊の阿弥陀如来と脇侍の2仏が置かれています。
祭壇の右手には毘沙門天らしき像も見えます。



再び外へ。境内には地蔵尊関係の石碑が所狭しと置かれています。
これは八万四千体地蔵尊の記念碑でしょうか。



稲荷社も置かれています。祭神は伏見稲荷大明神です。



稲荷社の傍らには石猿が置かれています。なかなかに精巧な像です。



こっちには不動尊。



こっちには摩崖の六地蔵。



そんで閻魔地蔵尊なるものもありました。



大きな五輪塔も有ります。これが寶樹院の墓なんでしょうか。



五輪塔の近くには、当寺院の名所の一つ、へちま地蔵尊が置かれています。宝珠の代わりにへちまを持ったその姿は、十五夜に開かれるへちま加持祈祷の時には多くの参拝者の目に触れる事でしょう。周りには本当にへちまが植えられており、夏らしさが感じられる地蔵尊です。



境内中央辺りには地蔵堂が置かれています。



地蔵堂の右側には、江戸六地蔵の尊像(仮)が置かれています。明治39年(1906年)になって造立されたものなので、まだまだ新しさが残っていますね。一応新しい六番札所とされています。



地蔵堂の周りにはまだまだ面白いものがあります。八万四千体地蔵の第一番目の地蔵尊です。明治12年(1879年)三十八世妙運大和尚が始めた八万四千体地蔵の建立ですが、その第一歩はここにある小さな地蔵尊みたいです。



地蔵堂内にはもちろん地蔵尊像が置かれています。



地蔵堂斜めから。



では、八万四千体地蔵を拝んで締めくくりとします。2024年3月時点で、境内約三万体、全国合計約五万二千体にもなっているようです。あと約三万体ですね、近いうちに達成しそうです。
八万四千体のうち八体は、湯島の​ 柳井堂 心城院 ​に建立されています。



説明書きです。




八万四千体地蔵

 この寺の名は初め浄円院といい、寛文6年(1666年)寛永寺三十六坊のーつとして創建された。享保8年(1723年)净名院となる。表門は享保年間(1716~1735年)の建立。
 地蔵信仰の寺となったのは第三十八世地蔵比丘妙運和尚の代からである。妙運和尚は大坂に生まれ、二十五歳で日光山星宮の常観庵にこもったとき地蔵信仰を得、一千体の石造地蔵菩薩像建立の発願をたてた。明治9年(1876年)浄名院に入り、明治12年、さきの一千体の願が満ちると、さらに八万四千体建立の大誓願に進んだ。明治18年(1885年)には地蔵山総本尊を建立。各地から多数の信者が加わり、地蔵菩薩像の数は増え続けている。
 境内にある青銅製の大きな地蔵菩薩坐像は、かつて江戸六地番の地蔵菩薩像があった深川永代寺が明治維新のとき廃寺になったためと、日露戦争の戦没者を弔うため、明治39年(1906年)新たに建立されたものである。
 なお、旧8月15日の「へちま供養」には、せき、ぜんそくに効験を願う人々で賑わう。
平成13年3月 台東区教育委員会



境内の地蔵尊置場には、まだまだ大分空きがあり、今からでも建立は遅くないようです。何にせよあれだけの数の地蔵尊が並び立った時の景色は圧巻の一言です。





置かれた街道:?

今回貰った御朱印です。
江戸六地蔵尊



本尊阿弥陀如来



へちま地蔵



八万四千体地蔵尊



公式サイトへのリンクです。
・上野さくら浄苑

以上です。


調子に乗って撮った写真ギャラリー






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最終更新日  2026年04月09日 21時32分52秒
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