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2026年04月26日
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カテゴリ: 御朱印:長野県
別所温泉三楽寺の1つ、祟福山 安楽寺は元々律宗寺院だったと言われています。創建は8世紀にも遡り、行基菩薩によって開かれたと伝わる相当の古刹なんです。今でこそ曹洞の禅刹となっていますが、その歴史は曹洞宗の歴史よりも長いもののようですね。

2026.4.18
祟福山 安楽寺


七草の湯の後ろに特徴的な黒門が建っています。門前には桜、奥には杉の山と風光明媚であることこの上ない!
この門は寛政4年(1792年)、当山十三世南沖仏鯤和尚によって建てられました。



門を抜けると午後の涼し気な風と共に、不揃いに響く蛙の鳴き声が参拝者を楽しませてくれます。長い冬が終わり、啓蟄も過ぎていよいよ夏が来る、そんな陽気が漂っているのです。



安楽寺の境内はこんな感じ。当に一山寺院ですね。本堂の他にも左側に経蔵、右側に庫裏といった感じに堂宇が配されており、七堂伽藍のことばそのままの構成ですね。



山門まで伸びる参道沿いには杉林。少し高い位置に門が置かれ、独特の風情ある景観を作り出しております。



中央の参道は実質男坂。その脇には女坂にあたる緩やかな上り坂が伸びております。道の脇には弁天堂が置かれていました。



内部はこんな感じです。中央の弁財天、その左右に毘沙門天と合掌印を結ぶ僧形像が収められていました。厨子にも彩色があり、なかなか年代物なんではないでしょうか。



では山門をくぐり境内に進みましょう。



門の先、本堂までまっすぐに参道が伸び、両脇には垣根。”まずは本堂に向かいなさい”と言っているかのようです。



参道左手には小さな御堂。



内部には十六羅漢像と七仏が祀られています。釈迦如来に不動明王、虚空蔵菩薩に薬師如来、十一面観音ときて阿弥陀如来、馬頭観音と共通性がない構成です。これらは四国八十八霊場の本尊の内、9・15・24・26・41・53・70・80番札所の本尊を模したものです。元禄頃に塩田平に四国八十八霊場の写し霊場が造られ、このようにそれぞれの札所本尊が各地に祀られたようです。特に1寺1尊ということではなく、88よりも少ない寺院で巡礼が完結するようになっているみたいですね。



参道右手には鐘楼堂。組木が美しい古風な趣です。



寄棟造の御堂が本堂です。屋根の感じなんか、かつては茅葺屋根であったかのような趣がありますが、どうなんでしょう。こちらも本尊とつながる結縁の柱が建っておりました。



ご由緒です。
祟福山 安楽寺

曹洞宗 臥龍山興国寺末寺
開山:行基菩薩
中興開山:樵谷惟仙
本尊:釈迦三尊

 伝承では天平年間(729~749年)、行基の建立とも言い、平安時代の天長年間(824~834年)の創立とも言うが、鎌倉時代以前の歴史は判然としなく、平安時代末期には律宗寺院であったとされています。
 安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙が住してからです。樵谷惟仙は、信濃出身の臨済宗の僧で、生没年ははっきりしないが、13世紀半ばに宋に留学し、著名な禅僧の蘭渓道隆(鎌倉建長寺開山)が来日するのと同じ船で寛元4年(1246年)、日本へ帰国したと言われております。2世住職の幼牛恵仁は宋の僧侶で、やはり樵谷惟仙が2度目の入宋より帰国するのと同じ船で来日しました。
 鎌倉時代の安楽寺は塩田荘を領した塩田北条氏の庇護を得て栄えたが、室町時代以降衰退し、古い建物は八角三重塔を残すのみである。
 天正8年(1580年)頃、曹洞宗通幻派の高山順京(こうざんじゅんきょう)によって再興され、以後曹洞宗寺院となっております。

安楽寺で学んだ樵谷惟仙によって中興された寺院で、その頃もまだ曹洞宗ではなかったみたいですね。正式に曹洞宗となるのは1580年で、須坂町の興国寺の末寺となっています。
渡宋・または宋から来た僧侶が二代続けて和尚を務めており、禅宗としても肝いりの寺院であったことは確かでしょう。建長寺との関りも深かったことから、曹洞宗となる前は臨済宗寺院だった可能性もあるでしょうか。

堂内には”聖護”と力強く揮毫された額が懸けてあります。



本堂と庫裏との間には玄関がありますね。ここの木彫装飾もなかなかに素晴らしい!
この様に本堂と庫裏の間に玄関が構えられるのは、臨済宗の堂宇構成に似ており、何かしら関連がありそうです。



本堂左手の奥から国宝の八角三重塔を拝みに行けます。



参拝者を見守るのは延命地蔵尊。道祖神と同一視される仏尊ですが、まさにそんな感があります。



ゲートの先にはまず経蔵堂があります。コンクリ製に見えますが、屋根自体は古風な体ですよね。宝形屋根も相まってか、境内の雰囲気に良く馴染んでいました。



内部はこんな感じです。朱塗りの転輪蔵が置かれ、天井は絵画によって飾られているんです。青森県と比較すると、長野県には圧倒的に経蔵を伴う寺院が多いです。



三重塔までの道沿いには歌碑が幾つか置かれています。
空穂歌碑

老いの目に 観る日のありぬ別所なる 唐風八角 三重塔



遂に見えてきましたよ、国宝の三重塔。木立の奥に確かに建っております。



三重塔に向かう前に、まずは傳芳堂を見てみます。ここには実質の開山 樵谷惟仙和尚と二世 幼牛恵仁和尚の木像が収められているのです。
これらの像が作られたのは嘉暦4年(1329年)、丁度二世 幼牛恵仁和尚の代で、いづれも国指定重要文化財の指定を受けています。



右が開山 樵谷惟仙和尚、左が二世 幼牛恵仁和尚です。仏像もさることながら、こうした高僧の像もなかなかに見ごたえがあります。
ここまで力を入れて作られているという事は、その寺院の僧侶からして、開山・二世など当寺院の発展に帰依した方たちへの思慕の念は相当だったでしょうね。



またもや歌碑が。


島木朝彦歌碑

山かげに 松の花粉ぞこぼれける ここに古りにし み佛の像

大正12年の春、別所温泉に遊び、この詩を詠んだ。み佛の像とは開山・二世両禅師のことである。





三重塔を見上げます。参道は現代風のフェンスや水管が見られますが、三重塔は13世紀後期頃の建立以来変わらない姿を見せてくれます。



近くで見てみましょう。三重塔?というよりは四重に見えますが、仏塔に於いて四重はまず見られません。説明書きによると最下層の屋根は裳階というもので、階層には数えないんだとか。するとしっかり三重塔という事になるのです。



説明書きです。




八角三重塔

 この塔は一見、四重塔に見えるが、昭和27年長野県最初の国宝として指定された折り、初重の屋根はひさしに相当する「裳階」であるという見解で、裏階付き八角三重塔として認定された。
 建立年代については詳らかではないが、安楽寺が鎌倉北条氏の外護によって栄えた寺で、開山樵谷惟仙禅師が入宋僧、二世幼牛恵仁禅師が中国よりの帰化僧として住職していた頃、また当地に守護として信州一円に威を張った塩田北条氏が館を構えていた鎌倉時代末期(1277~1333年)以外に考えられないというのが定説になっている。
 塔は本来、仏舎利(釈迦の遺骨)を奉安したものだが、中世以後は特定の人物や戦死者の供養のために建てられた例が多く、恐らくこの塔も北条氏の供養塔として建てられたものと考えられる。
建築様式は当時、中国宋代の先進技術であった唐様(禅宗様)を用い、扇垂木・弓形連子・詰組など、和様の塔とは違った重厚な佇まいを見せている。八角塔は奈良・京都などに記録として残されているが、それらが失われた今日、 我が国に残された唯一の八角塔 であり、禅宗寺院に残る塔としても極めて貴重な遺構である。



日本に現存する唯一の八角塔・・・。なんて素晴らしいんでしょうか!!近代に建立されたものだと川崎の金剛山 金乗院 平間寺が真っ先に思い浮かびますが、安楽寺の八角塔は数百年の歴史を持つ古建築です。
当時最大の外護者であった北条氏を支えとして、進んだ仏教文化が花開いていたんですね。
まだまだ眺めておきましょう。



数百年変わらずにここに建っていたのかと思うと、本当に歴史は面白いなと思うわけです。現代まで火災や兵火を免れ、創建当初の姿を保っている仏堂・伽藍は皆無でしょう。時たまこうした特異点があり、国宝に指定されるに至るんですね。とは言え、これを残そうと尽力したすべての人々の賜物であり、並々ならぬことです。



斜めから。
三楽寺はいずれも素晴らしい仏堂でした。宗派こそ異なれど、常楽寺は学問の寺として、長楽寺は信仰の寺として、そして安楽寺は心の平穏・安楽を体現する禅刹として、創建より今日に至るまで繁栄を極めてきました。里山の林の奥深く、国宝の仏塔を護持し続けた古刹に、向けられるのは感涙溢れる瞳だけです。



今回貰った御朱印です。



公式サイトへのリンクです。
・信州の鎌倉 別所温泉 曹洞宗 祟福山 安楽寺

以上です。

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最終更新日  2026年04月26日 18時25分46秒
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