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如意山 眞行寺
真言宗智山派 五百佛山根来寺智積院末寺
開山:慈覚大師
本尊:不動明王
札所本尊(観音堂本尊):千手観音
【年中行事】
- 春祈祷護摩供法要
- 春観音講
- 秋観音講
【歴代住職】
- 春の観音詣り
- 意元、弘誉、鏡英、禅昌、鏡照、淨圓、連誉攝観
- 再中興一世:眞海
- 二世:大眞
- 三世:快昇
- 四世:照空(代務住職)
- 五世:光仁
沿革
延暦13年(794年)慈覚大師東遊の折、現在の真行寺の場所に、薬師佛をまつり草庵を結んだと云われ、「真行寺は、その跡を縁として建つ」との伝えあり、天文年間(1532~1554年)、真行寺を藤田但馬氏(後の伊手荒谷城主)の戦勝祈願寺として福島の亘郡に意元法印開創の伝えもある。
初めは根来寺末であったが、元禄3年(1690年)当時京都 智積院の学僧であった弘誉法印が、京都より来て村民の帰依を受け本山を京都 智積院と定めた。
元禄8年(1695年)、伊手村に疫病が流行し伊手村総祈願に依り、村内90人の願主を以て京都より不動明王を勧請、真行寺の本尊となる。願主の代表者2名、佐藤市兵衛・佐藤吉之助の姓名が本尊の背の火焔板に彫られている。爾来、村寺となり現在に至る。
元禄13年(1700年)、当時伊達家直参の足軽(現在の眞行寺檀家)が、国境警備として配置され、当時の村長の命に依り菩提寺を眞行寺と定めた。
開創以来信者に依って支えられて来た寺であるが、文化年間(1804~1817年)以降は度々無住となり、明治39年(1906年)司東眞海法印が再中興一世となり、住職として就任、その後大正8年(1919年)、眞海法印の弟子 畠山大眞が住職となる。大眞は就任後間もなく春祈祷大護摩供を厳修、爾来現在も、毎年旧曆正月28日に行われている。
又、その昔、本尊を盗んだ旅人が、種山で急に足が動かなくなり、ふと伊手の方を振り向いた途端、伊手へ伊手へと戻され、恐ろしくなり本尊を寺に返したとの言い伝えもある。




眞行寺観音堂
本尊:千手観音
観音堂と千手観音
本堂西方に観音堂がある。この堂宇は、昭和40年秋、伊手石屋敷地区の大日堂をもらい受け、真行寺に移築されたものである(大日如来が他へ合祀されたため)。
堂の中には、大眞住職就任後間もなく観音講を興した際、京都より勧請した千手観音が祀られている。春秋2回の観音講は、現在も継続されている。



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