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2010.03.31
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カテゴリ: 雑感・雑学
 反乱を興した大塩平八郎にも多大な影響を与えたという頼山陽は、

朱子学で有名な頼春水の息子でしたが、若い頃には手の着けられないほどの放蕩者だったようです。

永井路子さんは古文書から歴史を紐解き、私たちに解り易い物語風に書き換えて、歴史上の人物像を浮き彫りにして下さっています。

永井さんの「歴史をさわがせた夫婦たち」(文芸春秋)「日本夫婦喧嘩考」(中央公論社)はどちらも読み易い手頃な文庫本です。

堅物学者の父と医者の娘でインテリの母との間に生まれた山陽は当初は期待通りの秀才でしたが、

江戸に寄宿して学び出した頃からエリートコースを踏み外し、放蕩三昧の生活を続けたので、

両親は彼が20歳のとき、5つ下の淳子を嫁に貰い落ち着かせようとしましたが、新生活に嫌気して出奔、離婚という結果になりました。

しかし京都の知人宅で捕まり座敷牢に閉じ込められる境遇の中、一念発起「日本外史」に着手したのでした。

やがて2度目の結婚でりえという平凡な女性を得、子供も授かり、漸く落ち着きを取り戻し、

「ラクダ夫婦」と称されるように変りました。駱駝には瘤が二つあるように、仲良く寄り添って様を言われたようです。

彼が亡くなる2日前に人に送ったりさの手紙がいじらしいです。

「・・・医者は見込みがないと申しますが、私はまだ望みを持ち、なおるのを楽しみに介抱しています。

長くかかっても、どうぞ本復しますようにと祈りつつ」。

頼山陽







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Last updated  2010.03.31 10:52:33
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