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2010.05.17
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カテゴリ: 雑感・雑学
 古来わが国には”祟りの思想”があって、それは哀しいかな、皇族に関するものが多くあります。

先ずは長岡京・平安京に遷都された桓武帝の弟ぎみ・早良(サワラ)親王が挙げられます。桓武帝の寵臣で建都の立役者であった

藤原種継を殺めたのが大伴継人・竹良に嫌疑が及び、その背後には親王があるとの事で乙訓寺に幽閉され、親王には潔白を証する余り断食されましたが、

淡路への流刑の途中でご崩御、そのお怒りは怨霊となって様々な祟りをおこされたとされ、上高野の地に祟道神社を建て祀られた由。

5月5日の祭では暴れ神輿のほかに、竹に白い着物をつけた幟が妖しく揺れますが、恰も亡き帝の亡霊のよう。

 山崎豊子作の小説「華麗なる一族」では実の親子であるのに自分の息子を亡き父の胤と疑っていますが、

讃岐の白峰に流された祟徳院は白河天皇と待賢門院との子ながら鳥羽天皇の子として扱われ、ここに葛藤の歴史が生まれました。

先日、結社の吟旅のコースとして白峰の御陵に45名が訪い、祟徳院の御霊に拝し、お慰め申し上げました。

柳田国男氏の説では、有能な天皇と謂えど、流罪などで怨念を残す形で亡くなった方でないと神としての条件を充たさないとされ、

なるほど、早良親王、祟徳院、後鳥羽院(水無瀬神宮)の御三方の例から納得がいきます。怨霊については、またの機会に。











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Last updated  2010.05.17 09:50:30
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