しぐれ茶屋おりくの部屋

しぐれ茶屋おりくの部屋

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

しぐれ茶屋おりく

しぐれ茶屋おりく

Calendar

Comments

やすじぢい @ Re:鈴鹿野風呂『續俳諧日誌』刊行(02/17) こんばんは この「鈴鹿野風呂『續俳諧日…
やすじ2004 @ Re:爪相、手相(01/24) こんばんは 手相についての記事、参考に…
やすじ2004 @ Re:塩をめぐるライバル同士(01/11) こんにちは 歴史的なエピソードが面白か…
やすじ2004 @ Re:かわった町名「弁慶石町」(12/05) こんばんは 町名の由来や歴史がとても興…
やすじ2004 @ Re:大念寺の阿弥陀さん(11/13) こんばんは お寺の歴史や由来に触れると…
2021.05.07
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類

〇信長公に限らず、戦国時代に京都へやって来る大名の
殆どが寺院を定宿としていました。

それは頑丈な塀で囲まれ、深い堀を巡らせてあったので
防衛上、都合が良かったから。

京都市中京区の寺町御池通に現在の本能寺がありますが、
信長公が光秀公に討たれたのはここでないことはご周知
の通り。

 本能寺の発祥は1415年(応永22)、油小路高辻
と御条坊門との間に日隆上人が建てた本応寺で、

兄弟弟子にあたる月明との争いで壊されたましたが、一
旦比叡山で再度修行を積んだのち、
豪商小袖屋宗句の支援を得て大内裏跡地の内野に本応寺
を再建。
その後、如意王丸という信者から広大な敷地、東西15
0m、南北300m、
つまり堀川蛸薬師、堀川高校の北側に移転したのが信長
終焉地の本能寺なのでした。

(参考図書・高野澄著『京都の謎』戦国編)   





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021.05.07 07:22:46
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: