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2021.08.26
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〇忘れじの行末まではかたければ
      けふをかぎりの命ともがな

関白・道隆の妻、高階貴子の歌。儀同三司母とあるのは、
太政大臣・左大臣・右大臣が三司、


それに儀を同じくする准大臣伊周(コレチカ)の母のことで、
一条天皇の中宮となった定子(清少納言が仕えた)の母
でもあります。

伊周は21歳の若さで、8つ上の叔父:道長を超えて内
大臣まで昇進しましたが、父の道隆の死後、権勢・家運
は衰え、


道真の時がそうであったように、大宰権帥に格下げされ、
筑紫に配所されました。


 『 栄花物語 』栄花物語」ではこの時の模様を、伊周が
筵張りの車に乗り込むと、


愛しい息子にとりすがったまま車に乗り込んでしまい、
検非違使も「山崎」まで貴子の同車を認めたとあります。


 ”大山崎ふるさとガイドの会”の皆さん、この件はそれ、
摂津と山城の境界にある”関戸明神”のガイドに使
えます
ね?


伊周は翌年許されて都に戻りましたが、貴子は伊周が流
された年(長徳2、996年)の秋、悲しみのうちに没
したそうです。





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Last updated  2021.08.26 08:00:19
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