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2025.02.28
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谷崎潤一郎の『 朱雀日記 』の原稿は彼が京都に下宿し、
生活する資金源となる新聞社との約束事で、律儀に書き
送ったようです。


或る時の文中に「磯田と呼ぶ40近い老妓が居て、(小
説家などが)訪問すれば、・・・素晴らしい気焔を吐く
さうである」


と書いてあったのを、祇園新橋の「大友」を訪ねるや、
開口一番に「谷崎さん、老妓はひどいじゃありませんか」


と磯田多佳が文句を言ったそうな。時に多佳33歳、花
街の女性らしからぬ魅力を持った女性だったようです。


谷崎潤一郎が2度目宇治に訪れた時には、旅館「万屋」の
岡本橘仙、金子竹次郎、そして磯田多佳も同伴していまし
た。


 磯田多佳は昭和20年5月15日、養子又一郎の家(南
禅寺北坊町)で67歳の生涯を閉じました。


祇園新橋の茶屋「大友」が強制疎開で立ち退きを命じられ、
そのショックが糸を引き、虚脱状態になったものと思われま
す。

翌年、谷崎にとって思い出深い上田敏も住んでいた知恩
院内の源光院で、
多佳の追善演芸会が催され、夫人松子や妹の重子らと一
緒に観ています。その日から1カ月ほど経った6月、


「大友」の跡地を訪れたら、白川の流れに沿って茶屋が
並んでいた路地は「ぽかっと穴があいたやうに
明るくな
ってゐて」その跡は掘り返えされて野菜畑になっていた。


 しら河の流れのうへに枕せし
    人もすみかもあとなかりけり
 あぢさゐの花に心を残しけん
    人のゆくへもしら川の水

これらの一文「磯田多佳女のこと」(全国書房)は、谷崎
潤一郎が戦後、1番目に書いたもののようです。


「大友」の跡地は現在、<かにかくに祇園は恋し寝るときも
枕の下を水の流るる>吉井勇の歌碑が建っています。







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Last updated  2025.02.28 08:52:25
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