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2025.05.28
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カテゴリ: カテゴリ未分類

冷泉家と言えば、藤原定家の後裔の家系だと大
概の方々はご周知のことですが、


そもそも「和歌の家」の象徴である御子左家・定
家の子の為家が亡くなる時、
遺言書に相当する「譲り状」を巡って、


嫡流二条家の為氏及び京極家の為教と後添いの母
・阿仏尼の子として生まれた
為相の冷泉家という3つの家系が相続権を争った
のでした。

幕府に嘆願する為、鎌倉へ下向した際に阿仏尼が
書いた旅日記が有名な『
十六夜日記 』です。

それから30年を経て、
二条家、京極家の断絶の
結果、
御子左家の血筋を引く「冷泉家」として誕生しま
した。
爾来、現在の25代目為人さんまで800年ほど
続いています。


余談ながら24代の為任さんが某年金基金の理事
長をして居られた折、私は担当銀行員として面前
に居たことも。


 戦国の世は冷泉家にとって存亡の危機に見舞わ
れた時代で、滋賀県の近江に疎開。

6代目為広さんは駿河の今川氏や能登の畠山氏と
親交を結びました。

9代から12代は安土桃山、江戸初期にあたり、

一時、大坂にも居を構えましたが

秀吉の命により再び京に戻り、家康の庇護をも受
けるようになりました。


この間、日本国家の宝とも言うべき冷泉家の古文
書は戦火を逃れ、幕府や皇室から手厚い保護を受
けました。


冷泉家の住宅と定家が書いた日記・国宝『 明月記』
の修理には8億~9億円もの費用がかかりました
が、


75%は国・京都府・京都市の負担、残りの自己
負担部分が
高額でしたので、

バブル崩壊期ながら1億3千万円を超える寄付金
が集まったようです。


(参・冷泉為人編『 京都冷泉家の八百年 』)





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Last updated  2025.05.28 07:51:11
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