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2025.07.25
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小倉百人一首の絵札の内、後ろ姿の姫は数人で、
式子内親王​もそのひとり。


玉のをよ絶えなば絶えねながらへば
       忍ぶることのよはりもぞする

心の中が晒されてしまう前に死んでしまいたい​と
の意
​。

後白河院の第三皇女で以仁王・殷富門院らと同腹。
1159年(平治元年)から10年間賀茂斎院を務め
られ
​、
陽の目を見ない境遇の許、53歳で崩御。歌は
149首。

 さて、藤原定家の日記『明月記』の建仁元年、​
記述が
かなり途絶えていた中、

1月25日、内親王の逝去に触れています。


その前の年には、実に36回も年上の内親王に
御目通りしていました。

お二人の縁は1181年から、凡そ20年にわ
たり、
内親王は
珍しいお香を焚いて歓迎したり、 時に
は筝を御自ら弾いて下さったようです。


 定家は出世が遅れがちで、27歳にして漸く
左近衛権少将に任ぜ​られ、

10年も据え置かれましたが、同格の
少将の同格
の少将の年少は
6歳、多くは​10代、20代
の若者でした。

こうした不幸な境遇が、お二人を近寄せていたの
かも知
れませんね。





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Last updated  2025.07.25 07:29:00
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