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2026.02.09
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カテゴリ: カテゴリ未分類

平安期の女性の場合、生没年代や本名を知るこ
とは難
しく、
紫式部が藤原宣孝と結婚していたことは判明して

いますが、
そのライバル清少納言に至っては昔の学者は
独身
者と思い込んでいたようです。


 しかしいろんな系図を探っている内、清少納言
の子
という文献があったので、

子供がいる以上、亭主もいた
に違いなかろうとい
うことで、その名は橘則光。


清少納言より少し上の位の中流官僚で、その出世
ぶりは
左衛門尉・・・警視庁の局長クラス

修理亮・・・宮中の営繕を司る役の次官
遠江介・・・・・・・・副知事クラス
という具合です。

彼とは早くに結婚し、男児を設けていますが、同
居とい
う形はとって居なかった模様。

2度目の結婚は彼女が中年過ぎの頃で、かなり年
上の藤
原棟世がその人で、摂津守や山城守を歴
任した人物。


 或るとき、藤原斉信(タダノブ)が清少納言の才
女振り
に嫌気して、

「蘭下花時錦帳下」という白楽天の詩の一
節を使
いに持たせ寄越しました。

この続きは「蘆山雨夜
草庵中」なのですが、 少し
工夫して、

「草の庵を誰かたづねん」と添え、
そんなことを
おっしゃっても、廬山雨・・・

の一句を
お答する人などおりませんよと、とぼけ
ました。

その手紙を見て、斎信や周りの公家たちは、やら
れた、
この女、

ただ者じゃないぞと感心し、それ以降はすっか

少納言のファンになってしまったということです。


 この評判を聞いて、夫の則光は、さっそく彼女
の元を
訪れ、
あの時は俺も傍にいて鼻高々だった、自分の出世
り嬉しく感じたと述べています。

この時期、少納言・則光は少し上の公家たちから
<いもうと・せうと(兄)>

と呼ばれていたようで、同居
しない二人がからか
われていた節があります。

清少納言はその後ますます有名になり、ともすれ
ばいろ
んな貴族が押しかけてきますので、

こっそり誰にも告げ
ないで秘密の家に里下がりし
ていると、


斎信さまから「お前は何処へいったのか、せうと
なら知
っているだろう、

教えろ」と迫られ往生したと則光は打
ち明けます。

この秘密の場所を知っていたのは夫の則光と公卿
の藤原

経房だけでしたが、経房も、その場に居合わせな
がら知
らん顔。

経房さまと目が合ったりしたら笑い転げそうで、
目の前
の若布(ワカメ)ばかり、

がむしゃらに食べていたよと漏
らします。やはり
夫婦ですね。

(参考図書「日本夫婦げんか考」永井路子著)





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Last updated  2026.02.09 08:16:58
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