尾瀬の麓、片品村でのむらづくり記録

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2005年02月22日
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カテゴリ: 東田代村
10ー鎮守様が先ー

 与惣右衛門が入植者を集めて、本格的な家づくりをはじめる前に、まずおこなった事は、鎮守様の最適場所の発見と社の建設だった。何よりも精神的な守りを固めたかった。

 こうなると想像するのが、1620年、イギリスからメイフラワー号で新大陸(アメリカ)に到着した清教徒(ピューリタン)入植者たち。彼らは何をさておいても建設したのが教会だった。大西洋航海で九死に一生を得た者もいただろうし、今後遭遇するかもしれない厳しい現実を信仰でもって乗り越えようとしたためだろう。

 奇しくも与惣右衛門らの入植が1608年だから、10年以上前のこと。両者が歴史上絡むことは全くないが、新天地開拓というテーマでは共有していたことになる。

 御鎮座を急いだのは、容易にうなずける。これから共にしなければならない東田代の御霊(みたま)を鎮め、予測のつかない天変地異や厄害から村びとを守るためだけでなく、村びとが安らぎを得る精神的支柱が欲しかった。

 探し当てたところは、これから整備される集落群を見下ろす高台だった。そこには鎮守の杜にふさわしく、赤松と尾瀬唐松が格好よく林立していた。与惣右衛門がその場に立つと、この上のない場所との感触を得た。思わず祈りの思いで手を合わせた。

 そこに集った者たちは、見る見るうちに神掛かってゆくリーダーの容姿を感じ取った。
 つかの間だったが、かれらは
「この人についてゆけば間違いない」
 との感触を得たという。
 誰が仕組んだわけでもなく、世代を超えて村びとの間で語り継がれる“不思議な体験”となった。

 やがて社殿が建てられ、信州諏訪大社からいずる諏訪大明神の御分霊を奉る儀式が近隣村の来賓出席のもと厳かにとりおこなわれた。来賓の中には、それが、この小規模開拓地には立派過ぎてふさわしくないとの陰口をたたく者がいたほど、当初威光を放っていた。

 よそ村びとの羨ましさを加速させたのは、社殿からみる風光明媚なシーンだった。

 山は旅人の心をつかむと離さない。そこで展開されるパノラマは10両払ってももう一度見たくなる絶景だった。前方(西)に武尊山(標高2,158m)、北側にあの尾瀬の燧ヶ岳(2,356m)と至仏山(2,228m)、南には気高き赤城山(1,826m)がそびえ立つ。もう少し山手に登らないと見えないが、後ろ(東方)には日光白根山(2,577m=関東以北の最高峰)などが守りを固めてくれている。

 澄みきった空気、天空の雄たけびを上げる鳥獣たち。人にはそこに欠かせない本能が開花する。

 この辺にも、“やまの民”とやがて揶揄(やゆ)される東田代びとの意識と日常生活が伺える。

 そんな境遇にずっと住むことを恵まれたとみたか、それともその逆とみたか。当の村びとはその判断をせざるを得ない時がやがて訪れることを予期していた。生死を彷徨(さまよ)う事態が到来するとはこの時点では予想だにしなかった。

 当然のこと。





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Last updated  2005年03月12日 21時03分53秒
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横坂です@ Re:「東田代村」を議員が視察(07/09) はじめまして。 片品出身の者です。 こち…
乗らない騎手@ ちょっとは木馬隠せw あのー、三 角 木 馬が家にあるってどん…
ボーボー侍@ 脇コキって言うねんな(爆笑) 前に言うてた奥さんな、オレのズボン脱が…
もじゃもじゃ君@ 短小ち○こに興奮しすぎ(ワラ 優子ちゃんたら急に人気無い所で車を停め…
まさーしー@ なんぞコレなんぞぉ!! ぬオォォーーー!! w(゜д゜;w(゜д゜)w…

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