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2019.07.16
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カテゴリ: UCI、サンク
​いちろうさんのブログで ​『御旨と世界』P.945から「その時が過ぎれば、先生の後継者が一人立ちます。」​ の一文を挙げてはH4がその人であるかのような思わせぶりだ。
ところが、その前後の文章も確認しておかなければなるまい(以下)。

P.945
その時が過ぎれば、先生の後継者が一人立ちます。 ​​​ ​世界が一つになり、先生の家族が一族になり、全部が一族圏にならなければなりません。そして先生の家庭においても、すべてを集めて会議をし、この原則に誰が一致したかを公的な会議によって決定します。​ より犠牲になり、より家族全体のためとなる人でなければなりません。それは、私たち統一教会の全体が知っており、統一教会の祝福を受けた全体が知っており、統一教会の先生の一族がみんな知っており、先生もお母様もみな知っているのです。 ​その人が決定されたのちには世界は法的時代に入ります。天法、神の憲法時代に入っていくので、いくら神に近い人でも法にかかれば、法的処理として処罰を受けなければなりません。その法にかからない後継者を探して永遠に続くのです。分かりましたか? (はい) 。​ ​​​​
『御旨と世界』の「私を中心とした父母と子女と万物世界」というタイトルのみ言で、​1983年6月5日(ニューヨーク ベルベディア)に語られたもの であった。
その時からH4(当時4歳)を指してとは考えられないことである。

『御旨と世界』の同じみ言からは興味深いものもいくつかあった。

P.917~
​ メシヤが男性であれば、男性のモデル(原型)です。彼を中心として、女性はモデル的(原型的)な女性につくって、愛し合うのは、モデル的な愛をつくるためです。その責任者はメシヤです。だから遠い話ではありません。男性と女性が一つになって完全に愛するとき、それは神様のモデル(原型)と同じであるべきでしょうか、異なるべきでしょうか。(同じであるべきです)。同じであれば、それは愛を中心とした宇宙のモデル(原型)になる、このような結論になります。​
 神が私たちに対して、男性女性がそれぞれに対して何を願うかといえば、神様も私たち人間に対して愛を求めるであろうし、男性も女性の前に、女性も男性の前に愛を求めるのです。その愛が異なるものではなく一つであるならば、それは宇宙の中心にならざるを得ません。宇宙の原則的なミリメートルのような標準的型になります。それが真の愛です。真の愛は人間同士の愛ではなく、宇宙を代表することができるために、神も(その) 愛に入れたくなくても、入れざるを得ないのです。​

P.935~
​​ ​​ ムーニーの世界(Moonie World)は男性と女性(Man, Woman)という意味です。人間の世界は男性と女性ですから、ムーニーの世界です。英語は便利ですね。人間から始まって人間で終わるのです。アダムとエバから始まったので、アダムとエバで終わります。このように言うと耳によく入るでしょう。 ​TM, TW, TG(黒板に)​ ​TMはTrue Man(真の男性)、はTrue Woman(真の女性)、TGはTrue God(真の神)です。今まで神は(TM, TWを)探してこられました。 ​​ 真の神、真の男性、真の女性は何をするのですか? (真の愛です)。真の愛はどこにおいてするかといえば、「家庭において」、これが統一理念です。これについて話そうとすれば、十時間ほどかかるので、ここで結論づけようと思います。​​
 皆さんが必要なのは何でしょうか。それは本来の状態です。そこには神がおり、アダムとエバがおり、すべてがありました。これらを連結させるものは愛でなければなりません。では私を中心として真の愛をしようとするとき、何が必要でしょうか。そこには三つが必要です。男性であれば、女性が必要であり、女性であれば男性が必要です。アメリカの皆さんは男性、女性を探すために、命懸けで探したのですか。それともただ、自分勝手に探しましたか。じっとしていたらやって来た人を、たまたま相手にしたというのではありませんか? 皆さんはアメリカという国をもっています。しかし問題なのはこちらの中心が、この神ではなく異なった神であるということです。そして、サタンの愛と連絡されています。それで蕩減していくということは、失った反対の道をたどっていくことなので、私たち統一教会は信仰の子女が必要です。少なくとも三人ですね。
 アダムの家庭では八人の食口が堕落しました。その中でサタンを中心として三人の息子が落ちました。そのために三人の息子と三人の娘が必要であり、これ(三人の娘)は三人の息子を中心とした三人です。 ここではサタンを中心として上っていかなければなりません。サタンの愛を中心として落ちたので、神の愛を中心として、ここから上がっていかなければなりません。そして何があるかといえば、万物があります。​
 堕落してすべてを失ってしまいました。そこで万物の条件も立てなければなりません。統一教会が万物の条件を立てるのは再創造するためです。サタン世界になってしまったので、神の側には何もありません。神側に何もなくては、アダムとエバを再創造することができません。神はアダムとエバを先に創造しましたか、万物を先に創造しましたか? (万物です)。では万物をサタン世界に行って、取り戻してこなければなりません。世界代表を中心とした所に行って、世界代表した精髄を取ってこなければなりません。そこにおいては、すべての国が反対します。そのようにサタンが反対する中において、仕方なく探してきました。
 本来、すべての万物の所有は、真なる愛をもつ人がするのが原則です。「君(サタン)は真の愛をすることができなかったけれど、私は真なる愛をしたので、このものを私に渡してくれなければならない」と言うときには、サタンも仕方ありません。サタン世界の所有として愛する以上の愛する心で愛さなければなりません。それで十一条、サタン世界でも十一条の代わりに(税を収めています)。三掛ける三は九で、これが三段階(黒板使用)、十数は神側に入り十一条に対するものを取り戻してこなければなりません。その意味において、サタン世界から取り戻してこなければなりません。人類を愛し、世界を愛し、神を愛するにおいて、君(サタン)よりは優れているという立場に立って、取り戻してこなければなりません。精誠を尽くしてそうするのです。それは万物において、条件を立ててやったことであって、全体ではありません。全体の核心、種を取り戻してこなければなりません。条件というのは種です。それを取り戻してから、初めて自分自身が再創造されるのです。自分を通して再創造するにおいて、万物が必要です。万物を愛するうちに、万物を愛する本然の私になります。​​







一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2019.07.16 22:35:54
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