奇   知   外   記

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2020.03.16
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カテゴリ: UCI、サンク
​​​シムソン氏記事(2020.03.14)
「家庭連合の食口が意味を理解すれば、脳と生殖器が爆発するだろうお父様のみ言!」
https://simuson.muragon.com/entry/260.html

tomy4509からの応答は以下です。

-----
「ペアシステム」の話をしたはずです。
創造を始められる前の神様本体が「夜の神様」であるとすれば、その時点で「昼の神様」はないはずです。ところが、「夜」となれば、そこには「昼」の概念も既にあったという論理が成り立ちます。
シムソン氏の創世以前からの夜昼の神様論は「二元論」ということになります。

原理講論では「喜び」について以下に規定しています。

-----(引用開始)
(二) 神の喜びのための善の対象

​神の創造目的に関する問題を詳細に知るためには、我々がどんな状態にいるときに、喜びが生ずるかという問題を先に知らなければならない。 喜びは独自的に生ずるものではない。無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。 一つの例を挙げれば、作家の喜びは、彼がもっている構想自体が対象となるか、あるいはその構想が、絵画とか彫刻などの作品として実体化して対象となったとき、その対象からくる刺激によって、自己の性相と形状とを相対的に感じて初めて生ずるようになる。ここで、構想自体が対象として立つときには、それからくる刺激は実体的なものではないために、それによる喜びも実体的なものとなることはできない。人間のこのような性稟は、みな神に似たものである。ゆえに、神もその実体対象からくる刺激によって、それ(神)自体の本性相と本形状を相対的に感ずるとき、初めて喜びに満たされるということを知ることができる。​
-----(引用終わり)

このように実体のない構想も対象として成り立つということです。 夜の神様が本体(主体)だとすれば、その構想理想は分かれた対象です。

(シムソン氏)記事本文からの引用(以下)
-----
神様の成長過程において、母親の位置に立つのは真の愛です。その真の愛の胎内で、真の愛を、永遠普遍の神様の全身で飲みながら成長したのです。それを地上界で形状化しようと発想したので、親子の生命システムとして被造世界に実現したのです。真の愛は実体がありません。ですから実体のないものを母の心情とか、母の性質と表現できても、「母」という呼び名を付けることはできないのです。
-----(引用終わり)

ここでも神様本体とは別に「母」とは呼ばない【真の愛】が対象物として登場して来ました。
神様が真の愛の胎内で【真の愛】を飲みながら成長、そして、「親子の生命システムとして被造世界に実現」ということは、神様にもまた上の親神様がいたということですかね。さらには、その親神様にも親が……。

お父様の語られる「真の愛」と兄弟、夫婦、父母、親子を一つにする力のことではないですか?
危弁を弄しては翻弄しようとしているのですか?



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.03.16 18:46:45
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