奇   知   外   記

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2020.03.16
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カテゴリ: UCI、サンク
著書も出されたシムソン氏ですが、奇知外記が「代表的食口」ですか?
買い被りもいいところです。サンデー食口のブロガーの一人に過ぎません。
ところが、『ファミリー』2005.1月号の1冊を巡って右往左往されるシムソン氏、あなたの姿はどうなのでしょうか?

原理講論・総序 ​から:
​ 人間の堕落を知的な面から見れば、それはとりもなおさず、我々人間が無知に陥ったということを意味するのである。
……
堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。人間において、知情意がその役割を果たすことができなくなれば、そこから人間らしい、人間の生活が開かれるはずはない。人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。 しかし、神の実在性に対しては、聖書をいかに詳しく読んでみても、明確に知る由がない。ましてや神の心情についてはなおさらである。それゆえ、この新しい真理は、神の実在性に関することはいうまでもなく、神の創造の心情をはじめとして、神が御自身に対して反逆する堕落人間を見捨てることができず、悠久なる歴史の期間を通して彼らを救おうとして心を尽くしてこられた悲しい心情をも、我々に教えることのできるものでなければならない。​
と書かれていました。原理講論にも「天の父母様」の記述を発見することが出来ます。
原理講論P.47からは、​
​​ ​ 神を中心として完成された被造世界は、ちょうど、心を中心として完成した人間の一個体のように、神の創造目的のままに、動じ静ずる、一つの完全な有機体である。したがって、この有機体も性相と形状とを備えなければならないわけで、その性相的な存在が神であり、その形状的存在が被造世界なのである。神が、被造世界の中心である人間を、神の形状である(創一・27)と言われた理由もここにある。したがって、被造世界が創造される前には、神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。コリントⅠ一一章7節に、「男は、神のかたちであり栄光である」と記録されている聖句は、正にこのような原理を立証しているのである。このように、神は性相的な男性格主体であられるので、我々は神を父と呼んで、その格位を表示するのである。 上述した内容を要約すれば、神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性 (天のお父様) と本形状的女性( 天のお母様) との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。
また、ほか原理講論(P.235)からは、​
​​堕落人間においても、その一人の子女でも不幸になれば、決して幸福になることができないのが、父母の心情である。 まして、天の父母なる神が幸福になり給うことができようか。 ペテロⅡ三章9節を見れば、「ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」と記録されている。したがって、神の願うみ旨のとおり、成就されるべき理想世界に、地獄が永遠なるものとして残ることはできない。そしてマタイ福音書八章29節を見れば、イエスの当時、直接サタンがイエスを神の子であると証したように、終末の日においても、ときが至れば、悪霊人たちまでも、各々同級の地上の悪人たちに再臨して、彼らがみ旨のためになるように協助することによって、結局、悠久なる時間を経過しながら、次第に創造目的を完成する方向へ統一されていくのである。​​
​と「天の父母なる神」、つまりは「天のお父様」「天のお母様」を現わした記述もあります。


私tomy4509はまた、『ファミリー』2000.12月号(以下)ほかからも「天のお母様」について語られていたお父様のみ言を確認の上で記事を書いています。



では、原理講論やお父様のみ言にもある「天の父母様」を否定されては、「夜昼の神様論」を主張されておられるシムソン氏ですが、何を根拠として書かれているというのでしょうか?
多分、サンクチュアリ教会の文亨進氏のそれでしょう。

https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202003130001/


『TWJ』2012.天暦1月に掲載されていた亨進氏の「夜の神様、昼の神様」(P.14~)をさらに詳細にしたものがシムソン氏のそれですが……。





『TWJ』2012.天暦1月ですが、また別の方がお父様の「夜昼の神様」について話されていました。第29回「愛勝日」の記念式典においてムンフンスク様のメッセージの中にありました。
​真の父母様は、神様を中心とする生涯をとおして、無形の神様でいらっしゃる夜の神様と有形の神様でいらっしゃる昼の神様を一体となるようにされ、夜昼の神様、天地人真の父母様の実体として私たちの前にそびえ立ちました。​
 天地人真の父母様は人間の体をまとってこの地に送られましたが、人間としての人生を放棄されたかたでいらっしゃいます。真の父母様は、神様を最もよくご存じのかたでいらっしゃり、神様が好まれる方法で神様を愛されるかたでいらっしゃいます。
 ……
 天地人真の父母様の実体の中には、神様と真の父母様が共にいらっしゃいます。それゆえ、私たちは、神様と真の父母様をこれ以上区別しません。いや、これ以上区別する必要がない時代に生きています。
 今世の中は、夜昼の神様、天地人真の父母様を中心に回っています。世界は本当に大きな変化を遂げていくでしょう。
 …


上記引用を見れば、文亨進氏とは別にムンフンスク様も「夜昼の神様」について話されていました。解釈が全く違っていますがどうなのでしょうか?

この捉え方の違いについて、私が考えるには、一つは男性・女性の違いがあるかもしれません。
しかしながら、お父様が話される韓国語の習熟度についてはどうでしょうか。米国育ちの亨進氏です。

また、ムンフンスク様は興進様の相対者でもあり霊肉界も知られる方です。真の父母様との心情的距離においては亨進氏よりも近いと思われます。その一方では、黒・天聖経にも記載のある「独生女」をも否定される亨進氏のみ言への理解にも疑問を投げかけざるを得ない、というのが私の意見です。

となれば、シムソン氏が書かれている「夜昼の神様論」が、果たして、正しい「神観」なのか再検討してみる必要があるのではないですか?!


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.03.16 22:00:05
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