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2020.04.15
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カテゴリ: UCI、サンク
​​​​​​「 「天の父母様教団」の多くの兄弟姉妹が感じている名称への違和感はまさしく的中しています! 」のコメント欄からのペーストと、私からシムソン氏への回答です。 (※青字はシムソン氏)




>シムソン氏へ
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>tomy4509さん
私の記事は聖霊とともにあって、理解できるものとなります。人間の知恵ではありません。

今、神様と通じ、真のお父様と通じることが出来るかどうかが問題です。

韓鶴子氏の支配の中にあっては、掴み得ないものです。
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聖霊と「悪霊」の見境もつかないのでしょうか?
原理講論ではイエス様の相対者としての「聖霊」、人類を生み変えてくださる「真の母」、また、「女性神」との記載もあります。
サンクチュアリ教会の「夜昼の神様論」は、もはや、文鮮明総裁が語られていた「夜の神様、昼の神様」とは大きな食い違いがあることは明々白々です。それに付随するあなたの「聖霊」の解釈にも間違いがあるということです。

さて、「天の父母」と「天の父母様」の「様」(敬称)の有無によってその解釈が違うというのであれば、韓国語の「ハナニム」はどうなりますか? 「ニム(様)」は敬称です。お父様のみ言からも「ハナニム」が多くありますが、「男女様」と毎回語られていることになります。
そもそもの話、日本語で敬称が単数・複数になるなど聞いたことがありません。これまでも何度も話していることです。
「天の父母様」といえば「神様は両性具有者」という考えは、あまりにも外的にしか物事を捉えることが出来ないからです。原理講論からは
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内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、後者を形状と名づける。ところで、性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており、形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである。……更に一歩進んで、このように性相と形状とを備えているそのエネルギーを存在せしめることによって、あらゆる存在界の究極的な原因となるところのある存在を我々は追求せざるを得なくなるのである。この存在は、まさしく、あらゆる存在の第一原因として、これらすべてのものの主体となる性相と形状とを備えていなければならない。存在界のこのような第一原因を我々は神と呼び、この主体的な性相と形状のことを、神の本性相と本形状というのである。……森羅万象の第一原因としていまし給う神も、また、陽性と陰性の二性性相の相対的関係によって存在せざるを得ないということは、当然の結論だといわなければならない。創世記一章27節に「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」と記録されているみ言を見ても、神は陽性と陰性の二性性相の中和的主体としてもいまし給うということが、明らかに分かるのである。……神が男性であるアダムの肋骨を取って、その対象としての女性であるエバを創造されたと記録してある理由もここにあるのである(創二・22)。我々はここにおいて、神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称するのである。
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と、「男性と女性」として書かれており、もしも、神様の中和体は「両性」を具備されたお方でないとすれば、アダムのあばら骨からエバは出てこないでしょう。

創世記2章から
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21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、/わたしの肉の肉。男から取ったものだから、/これを女と名づけよう」。
24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
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ここでの「父と母」もアダム・エバを創造された「神様」でしょう!!
天使長は「男性格」ですから「母」になることはありませんから。
このように、聖書から見ても神様は『天の父母様』は「OK」です。

シムソン id:simuson 12時間前
>tomy4509さん
「我々はここにおいて、神における陽性と陰性とを、各々男性と女性と称するのである。」

まったく原理を応用展開するということが出来ないのでしょうか。物事が形象化して現れる時、陽性と陰性は一体となって具象化します。男性は、男性の要素だけではなく、女性の要素も兼ね備えて個性体となります。陽性そのものが男性、陰性そのものが女性ではありません。原理を学ぶ者は、思考の過程でその事を受け止めた上で理解することが出来ているはずです。

神様は二性性相の中和体ですが、男性格主体です。 この重要な男性格主体を、見ない事知らない事にするのですね。​


tomy4509 
>シムソンさん
先ずは最初に、本記事が主張するところの「様」(敬称)の有無によって『天の父母(様)』に意味の変化はないことは、シムソン氏は理解されたかの確認です。私の説明で納得されておられる方もあります。

さて、あなたのコメントへの回答ですが、水溶液の酸性とアルカリ性を例にとってみましょう。真水は「中性」は問題ないと思います。では、不純物のない塩水は酸性・アルカリ性のどちらですか?
味の違いはあっても「中性」です。科学を一生懸命勉強したわけではありませんので詳しくは分かりませんが、phの数字で14段階、その「7」が中性ということです。
それでは、「中性」ですが酸性とアルカリ性のどちらが主体だと言えますか?
中和体としておられる神様も同じことです。これが創造を始められる前の神様です。

昼休憩が終わります。続きは夜にします。


シムソン id:simuson 
>tomy4509さん
「私の説明で納得しておられる方もいる」ということで良い事ですね。

私は夜の神様と真のお父様の了解を得ながら書いていますので、どんどんtomy4509さんの説明に納得する方々を呼び集めてください。小山田氏や周藤氏なら、なおさら喜んで受け答えします。

「天の父母様教団」の有名講師陣でも歓迎です。


(以下が私からの回答です)


>シムソンさん
【私は夜の神様と真のお父様の了解を得ながら書いていますので】 というのであれば、お父様の「夜の神様、昼の神様」のTWJからのみ言とも通じるはずですが、そのズレについて書いていました。​
・お父様のみ言1行で「夜昼の神様論」はサヨウナラ!!
ここではTWJから「神様の中には、夜の神様もいて、昼の神様もいます。」の1行を取り上げましたが、「夜の神様」が神様本体ならば、夜昼のお二人の神様とはお父様も言われないでしょう。シムソン氏、矛盾しています。
次に、
・「夜昼の神様論」はシムソン氏の妄想から
ここではTWJ 2010.8月号からのお父様のみ言を掲載していましたが、「心と体」に焦点が当てられていました。さらに加えては、月刊誌『TODAY'S WORLD JAPAN』2010年10月号と11月号からのお父様の「夜の神様、昼の神様」は以下です。
亨進氏のサンクチュアリ教会は父母を知らない「孤児院」
https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202004110000/
​「 お父さんとお母さんの根本たる神様(天の父母様) が、心と体が一つになっているのです。」と語られていました。 お父様の語られる夜昼の神様のキーワードは「心と体の一体化」です。
あなたはお父様の語られた「夜昼の神様」をどれだけ探して(知って)書いているというのですか?
「総序」からですが:
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​堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。……人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。​
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・「盲人が盲人の手引きをすると?(マタイ伝から)」 https://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/202003190000/ ​)

で「盲人」の話をしましたが、あなたの手にどれだけの人の手(生命)が繋がっているか考えておられますか。「夜昼の神様論」を真理であるかのように信じている人がどれだけいるかと思えば、妄想だけで書かれるのではなく、もっと真剣になるべきです。
​シムソンは「私無存」ではなかったですか。​
ところが、「仮面劇」の誤訳一つにも頑なな態度から、あなたは「恣意存」だとの指摘もしてきたものでした。今回は「様」(敬称)の有無で単数・複数になるといった前代未聞の話です。お父様が「ハナニム」、「男女様」などと語っていたなんて誰が信じますか!! 議論にもなりません。​それでもって 【私は夜の神様と真のお父様の了解を得ながら書いていますので】 などとよくも言えたものです。​​
最後に真水(塩水)が「中性」の話です。酸性とアルカリ性ではどっちが主体といっても秩序的な物差しphの数字で14段階、その「7」が中性、数字がそれより大きくなればアルカリ性と呼ぶことにしようと取り決めたものです。 ​中和体としておられる「無形の」神様も男性・女性どちらともいえないというのが本当の話です。それが「夜の神様」です。​

少し卑近な例ですが、コロナとかも陽性だ陰性だと騒いでいます。ウィルス菌を保有する人は他に与えることできるということで、「陽性」です。
中和体の神様も「真の愛」を中心として見た時に与えられるお方であり、被造世界は最初に与える側が「男性」であるので主体としましょう、と取り決めたのが「男性格主体」ということです。
実際の話、象のような実体もない「夜の神様」をあれこれと語ること自体に難があります。
したがって、 ​原理講論で書かれている神様は、私たちが知っている「昼の神様」について書かれたものでした。​ そして、創造原理で書かれている神様のそれはこのように文章化しましょうと「定義」したものです。

こうして見たときに、私たちが論じているのは「昼の神様」についてです。創造原理から:

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​​以上の記述によって、我々はすべての存在が、陽性と陰性との二性性相による相対的関係によって存在を保ち得ているという事実を明らかにした。 さらに、我々はすべての存在を形成しているもっと根本的な、いま一つの二性性相の相対的関係を知らなければならない。存在するものはすべて、その外形と内性とを備えている。そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、そのごとくに現れたものである。したがって、内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、後者を形状と名づける。ところで、性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており、形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである。

これに対する例として、人間について調べてみることにしよう。人間は体という外形と心という内性とからできている。そして、見える体は見えないその心に似ているのである。すなわち、心があるかたちをもっているので、その心に似ている体も、あるかたちをもつようになるのである。観相や手相など、外貌から、見えないその心や運命を判断することができるという根拠もここにある。それゆえ、心を性相といい、体を形状と称するのである。ここで、 心と体とは、同一なる人間の相対的両面のかたちをいうのであって、体は第二の心であるということもできるので、これらを総合して二性性相であるという。 これによって、あらゆる存在が性相と形状による二性性相の相対的関係によって存在しているという事実を、我々は知るようになった。

それでは、性相と形状とは、お互いにいかなる関係をもっているのであろうか。無形の内的な性相が原因となって、それが主体的な立場にあるので、その形状は有形の外的な結果となり、その対象の立場に立つようになる。したがってこの両者はお互いに、内的なものと外的なもの、原因的なものと結果的なもの、主体的なものと対象的なもの、縦的なものと横的なものとの相対的関係をもつようになるのである。これに対する例として、再び人間を取りあげてみることにしよう。心と体は、各々性相と形状に該当するもので、体は心に似ているというだけではなく、心の命ずるがままに動じ静ずる。それによって、人間はその目的を指向しつつ生を維持するのである。したがって、心と体とは、内外、原因と結果、主体と対象、縦と横などの相対的関係をもっているということができるのである。

このように、いかなる被造物にも、その次元こそ互いに異なるが、いずれも無形の性相、すなわち、人間における心のように、無形の内的な性相があって、それが原因または主体となり、人間における体のようなその形状的部分を動かし、それによってその個性体を、ある目的をもつ被造物として存在せしめるようになるのである。それゆえ、動物にも、人間の心のようなものがあり、これがある目的を指向する主体的な原因となっているので、その肉体は、その個体の目的のために生を営むようになるのである。植物にもやはりこのような性相的な部分があって、それが、人間における心のような作用をするので、その個体は有機的な機能を維持するようになるのである。そればかりでなく、人間が互いに結合するようになるのはそれらの中に各々結合しようとする心があるからであるのと同様、陽イオンと陰イオンとが結合してある物質を形成するのも、この二つのイオンの中に、各々その分子形成の目的を指向するある性相的な部分があるからである。陽子を中心として電子が回転して原子を形成するのも、これまた、これらのものの中に、各々その原子形成の目的を指向する性相的な部分があるからである。​​

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このように、「神様は二性性相の中和体ですが」、真の愛を中心として「男性格主体です。」とその愛の秩序を定めたものでした。



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2020.04.15 04:25:39
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