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2022.11.06
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カテゴリ: 宗教/天地創造


<日経新聞>に掲載された『 誤解が多い「政教分離」 上野景文氏: 日本経済新聞 (nikkei.com) 』(有料記事)を”アジアカトリックニュース”が英語訳し、さらに韓国ニュースとして紹介されたものを私の別ブログで拾ったのが「 【韓国・カトリックニュースから】「政教分離」の概念の誤解 」でした。

上野 景文 (うえの かげふみ、1948年2月18日生)は、日本の外交官。グアテマラ駐箚駐箚特命全権大使、バチカン駐箚特命全権大使を歴任した。退官後は杏林大学客員教授。「文明論考家」を称する。​

以下、ブログ記事からの転載:
ーーーーー

(記事の出典=UCANEWS)

(上野景文)

7月に安倍晋三元首相が暗殺され、安倍首相と世界平和統一家庭会(旧統一教会)との密接な関係に加害者が憤慨していたことが明らかになって以来、日本社会はいわゆる家庭連合(統一教会)に大きな関心を寄せてきました。

このように、多くの日本の政治家、特に与党自民党の政治家が家庭連合と接触していたことが知られるようになりました。その結果、日本のメディアは「政治家と宗教団体の関係」や「国家と宗教の関係」などを論じた活発な記事を多く掲載しましたが、少し誤解され混乱していると感じました。

まず、一部の評論家が「政教分離」を「政治家と宗教の分離」と誤解しているように感じました。

明確にするために、「政教分離」の概念は「政教分離」から来ており、権力の組織化を目的としています。つまり、 中央政府であれ地方政府であれ、政党や政治家一般ではなく、宗教団体や宗教団体に干渉すべきではないということです。

こうした誤解のせいか、宗教家は政党の政策形成に影響を与えてはならない、宗教者や宗教団体は政党活動、特に選挙運動を支援してはならないという趣旨の意見を聞いたことがあります。

繰り返しますが、政教分離の原則は、政治家と宗教家の間の交流や影響力を防ぐことを目的としていません。逆に、多くの西側諸国(政教分離の原則が守られている)では、政党と宗教団体は何の支障もなく密接に接触しています。

たとえば、政治家と宗教家は、中絶やLGBTの権利などの問題について緊密に協力することがよくあります。また、2020年の米国大統領選挙では、多くの保守的なカトリック聖職者がトランプを支持し、リベラル派がバイデンを支持したこともわかっています。

第二に、一部のコメンテーターが政教分離の原則を普遍的な原則として誤解していることにも気づきました。

真実は、多くのイスラム諸国と同様に、他の国々と同様に、緊密な国家と宗教の関係、または「分離されていない」状態を維持しているため、日本や西ヨーロッパなどの少数の「別々の」国です。

ヨーロッパでさえ、ロシアのような東方正教会諸国は通常「非分離」です。これに基づいて、ロシア正教会の長であるキリル総主教がプーチンのウクライナ侵攻を支持したことは驚くべきことではありません。

第三に、著名な学者がテレビ番組に出演し、信仰の自由は原則として内なる人間にのみ適用されることを一度ではなく繰り返し強調しているのを見てきました。

皮肉なことに、中国はその好例であり、中国は信仰を個人の心に限定し続けることを熱望しています。一方、自由世界のほとんどはそのような立場をとっていません。結局のところ、宗教活動は政治家や他の部外者との接触の後にのみ有効になります。

この点で、そして何よりも、西洋では一般的に政治家と宗教家の間の相互作用は何の支障もなく行われることを知らなければなりません。

(上野景文は日本の聖座大使を務めた;この記事はもともと<日経>に掲載され、その後、デジタル版に掲載されました 自分の言葉で見る日本の (JITOWこの記事で表明された見解は著者の意見であり、必ずしも<アジアカトリックニュース>の編集スタッフの公式意見と同じではありません)。

原著記事: https://www.ucanews.com/news/misinterpretations-of-state-religion-separation/99206

<カトリックニュースは今ここ http://www.catholicnews.co.kr>

ーーーーー

「政教分離」といっても中央政府や地方政府に限られたもので、政党や政治家次元まで掘り下げたメディアやそれに便乗した岸田総理の判断に誤りがあったといえると思います。
一度抜いた剣でしたが「元の鞘に収まる」ことで事なきを得たでしょうが、その剣で旧統一教会を滅多切りにすればするほど、自民党内はもとより他宗教にも影響を拡大している有様です。

その岸田総理ですが、多数党の自民党総裁という立場で「独裁政権」 「独裁者一直線」 ではないしょうか?
自民党員は全員「左に倣え」で「家庭連合(旧統一教会)や友好団体とは縁を切れ」、「従わなければ党を去れ」の横暴ぶりです。
過去には党の方針についていけないからといって離党した議員もありましたが、現在の議員らは私の目から見れば「腰抜け」ばかりです。旧統一教会の友好団体からは、比例区のとある議員を応援するようにとのことで略歴を見れば誰もがやりたくないような「北朝鮮の拉致問題」に対して北朝鮮に直接行かれてその道を開いてきたといった行動力から、自分の信念を貫かれる方だと1票を投じましたが、それを裏切られた格好です。地方区の国会議員もまた、反共の立場から信徒が1票を投じていましたが、今は左傾メディア(偏向報道)や左傾弁護士の言うがままです。
一方、中央のそれに反して意見を述べる地方議員が勝って見えます。

さて今回、
私からの指摘は岸田総理の「政教分離」の誤認にとどまらず、「三権分立」の原則にもその壁を崩しておられるのではないですか?
というものです。

家庭連合(旧統一教会)の教義書『原理講論』ですが、宗教臭いものばかりとは一概には言えないことを紹介したいと思います。
余談ですが、この『原理講論』はわざわざ書籍を買わなくても家庭連合HPにてweb紹介をしていますので、関心のある方は閲覧出来ます(​ https://ffwpu.family/library/divineprinciple ​)。
核心部分から順に赤色、青色、黄色の三色のマーカーにて色分けしています。少なくとも赤色だけでも読んでいただければ概ねの理解が出来るようになっています。


統一原理講座 第1講「序論 新しい真理の必要性とその使命」
勅使河原秀行講師による統一原理講座です。
初めて学ぶ人向けにわかりやすく統一原理を解説しています。

話を元に戻します。
『原理講論』にも「三権分立」について書かれた一文があります。【後編】 第5章 メシヤ再降臨準備時代 の第三節です。(以下に引用)。

(二) 三権分立の原理的意義

三権分立思想は、絶対主義の政治体制によって、国家の権力が特定の個人や機関に集中するのを分散させるために、啓蒙思想派の重鎮であったモンテスキュー(Montesquieu 1689〜1755)によって提唱されたが、これはフランス革命のとき「人権宣言」の宣布によって実現された。しかし元来、この三権分立は、天の側で成し遂げようとした理想社会の構造であって、復帰摂理の全路程がそうであるように、これもまたサタン側で、先に非原理的な原理型として成し遂げたのである。 それでは、我々はここで、理想社会の構造がどのようなものであるかを調べてみることにしよう。

創造原理で明らかにしたように、被造世界は完成した人間一人の構造を基本として創造された。そればかりでなく、 完成した人間によって実現される理想社会も、やはり完成した人間一人の構造と機能に似ているようになっているのである。人体のすべての器官が頭脳の命令によって起動するように、理想社会のすべての機関も神からの命令によってのみ営為されなければならない。また、頭脳からくるすべての命令が、脊髄を中心として末梢神経を通じて四肢五体に伝達されるように、神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ばなければならない。そして人体における、脊髄を中心とする末梢神経は、一つの国家の政党に該当するので、理想社会における、政党に該当する役割は、キリストを中心とする聖徒たちが果たすようになっているのである。

肺臓と心臓と胃腸が、末梢神経を通じて伝達される頭脳の命令に従って、お互いに衝突することなく円満な授受の作用を維持しているように、この三臓器に該当する理想社会の立法、司法、行政の三機関も、政党に該当するキリストを中心とする信徒たちを通じて伝達される神の命令によって、お互いに原理的な授受の関係を結ばなければならない。 人間の四肢が頭脳の命令に従い、人間の生活目的のために活動しているように、四肢に該当する経済機構は、神の命令に従い、理想社会の目的を達成するために実践する方向へと動かなければならない。また、人体において、肝臓が全身のために栄養を貯蔵するように、理想社会においても、常に全体的目的達成のために必要な貯蓄をしなければならないのである。

しかしまた、人間の四肢五体が、頭脳と縦的な関係をもち、肢体の間で自動的に横的な関係を結びながら、不可分の有機体をつくっているように、 理想社会においても、あらゆる社会の人々が神と縦的な関係を結ぶことによって横的な関係をも結ぶようになるので、喜怒哀楽を共にする一つの有機体をつくるようになるのである。

我々はまた、復帰摂理がこの社会構造をどのようなかたちで復帰してきたかということを調べてみよう。西欧における歴史発展の過程を見れば、立法、司法、行政の三権と政党の機能を国王一人が全部担当してきた時代があった。しかし、これが変遷して国王が三権を掌握し、法王を中心とする教会が政党のような使命を担当する時代に変わったのである。この時代の政治制度は、再びフランス革命により、立法、司法、行政の三権に分立され、政党が明白な政治的使命をもつようになり、民主主義立憲政治体制を樹立して、理想社会の制度の形態だけは備えるようになったのである。

このように、長い歴史の期間を通じて政治体制が変遷してきたのは、堕落した人間社会が、復帰摂理によって、完成した人間一人の構造と機能に似た理想社会へと復帰されていくからである。このようにして 今日の民主主義政体は、三権に分立され、また政党が組織されることによって、ついに人間一人の構造に相似するようになったが、それはあくまでも、復帰されていない堕落人間と同じように、創造本然の機能がまだ発揮されずにいるのである。すなわち、政党は神のみ旨を知っていないのであるから、それは頭脳の命令を伝達することができなくなった脊髄と、それを中心とする末梢神経と同様のものであるといえるのである。すなわち、憲法が神のみ言から成り立っていないので、立法、司法、行政の三機関は、あたかも神経系統が切れて、頭脳からくる命令に感応できなくなった三臓器のように、それらは相互間の調和と秩序を失って、常に対立し、衝突するほかはないのである。


ゆえに、再臨理想の目的は、イエスが降臨することにより、堕落人間一人の構造に似ている現在の政治体制に完全な中枢神経を結んでやることによって、神のみ旨を中心とした本然の機能を完全に発揮させようとするところにあるのである。


このように、「 三権分立思想は、絶対主義の政治体制によって、国家の権力が特定の個人や機関に集中するのを分散させるために、啓蒙思想派の重鎮であったモンテスキュー(Montesquieu 1689〜1755)によって提唱された 」ものでしたが、こんにちの岸田総理の家庭連合へのそれは「独裁政権」そのものに足を踏み入れているといっても過言ではありません。家庭連合への異例とも言うべき「質問権」の発動もさることながら、刑事にとどまらず民事にまで枠を広げられたことは、一旦は現行法で判決を下した司法にまでそれに不服を唱えるものであり、立法(国会)でまだ審議中の案件までをそこに押し込もうとしています。文総裁は「三権分立」もそうですが、それに「言論」とかも入れて「4権分立」とも語られていた記憶があります。

これを読まれた皆様は、果たしてどのように考えられますか?



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

世界平和を願う 奇知の外の凡人 が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2022.11.06 16:04:30
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