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2024元旦 全世界天心苑徹夜特別精誠 特別祈祷会(2023.12.31 20:00〜2024.01.01 01:00)お母様零時御言告天文億万歳四唱一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.31
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Web説教「改革の源流 ~感謝と精誠~」2023/12/26 #世界平和統一家庭連合 #礼拝家庭連合Web教会 礼拝説教題目:「改革の源流 ~感謝と精誠~」説教者:柴沼邦彦アダムとエバはなぜ堕落したのでしょうか?ヘビから誘惑された時、自分の感情を中心として判断せずに、「神様は私に何を願っているのだろう」と、神様を中心として考え、生活しなければなりませんでした。しかし、アダムとエバは自分の感情を優先させ、堕落してしまいました。それが延長されてできているのが現在の世界です。これを教訓として、私たちは今、どのように生活をしていったらよいのかを考えます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.30
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WCLC 4th Year Anniversary Celebration Webinar2023/12/29WCLC 4th Year Anniversary Celebration WebinarDecember 27, 2023韓鶴子総裁メッセージは1:02:00~(こちら)です。日本語訳はありません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.30
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【LIVE・韓日英 歌詞付】2005 STATION Concert with KR, JP, and EN lyric一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.29
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第34回「真の神の日」、年頭標語「解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」第三十四回「真の神の日」記念礼拝の御言成約九年 2001年1月1日天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 何をするために、ここに集まったのですか? 騒ぐために集まったのですか、他の自分のことを考えるために集まったのですか? 家のことを心配し、故郷のことを考え、背後のさまざまな複雑な環境をすべて連結させて集まったのですか? 何の考えもなく集まったのですか、何かの考えを持って集まったのですか? (「持って集まりました。」) 神様は、どのように考えられるでしょうか? 神様がここに参席されるとすれば、どのように考えられるでしょうか? そのことを考えてみましたか? (堕落した世界の)何かがあっては、再創造することはできません。堕落した世界のあらゆるものの中の、その一つでも持っていれば、再創造の成分を連結させることができないという事実を思うとき、皆さんの心にさまざまな考えを持たなければならないでしょうか、何もない心を持たなければならないでしょうか? たくさんの人が集まったので、「ああ、おしりが痛い。狭いのに、床に座って何をするのか。ああ、郭クアク錠煥が訓読会をして、それで終わればいいのに、先生が話をすれば何時間も話すのに、どのようにして耐えればいいのか? どうしようもない」と、このように考えてはいけません。 三〇〇〇年を中心として出発する今日、先生が語るこのみ言は、皆さんがいつでも聞くことのできるものではありません。(これからは)いつでも先生に会うことはできなくなるのです。 今から十年たてば、先生は何歳になりますか? (「九十歳です。」)九十歳ではありません。九十一歳です。それでは、二十年たてば何歳ですか? (「百一歳です。」)三十年たてば、何歳ですか? (「百十一歳です。」)四十年たてば、何歳ですか? (「百二十一歳です。」) モーセが百二十歳になり、ヨルダン川を越えてイスラエルの国に行くことができず、恨を残したままネボ山で死んだということを知っていますか? モーセは八十歳で出発しましたが、百二十年も生きずに八十一歳になる前にヨルダン川を越えていたならば、イスラエルの国に上陸していたでしょうか、できなかったでしょうか? 六十万人のイスラエル民族を荒野に導きながら、出動命令を下したときは、希望に満ちて出動しました。しかし、一心一体となることができませんでした。それは何かというと、心の中にさまざまに複雑な考えを抱いた者たちが、どんどんと増えていったからです。 そのことが、モーセの失敗をもたらしたという歴史の事実を、もう一度思い起こしながら、その前轍を踏まないように、再びこのことに光を当てなければならない時であると考えるのです。 先生が何歳まで生きることを願いますか? (「何歳です。」と答えているのがよく聞こえず)分かりません。「いかなる考えも持たないように。」と言うのに、(先生は)何歳まで生きるという無用な考え……。「わたしには分かりません。先生は知っているかもしれませんが、わたしには分かりません。」と言えばよいのです。 考えるべきことは、ひとえに神様のみであり、神様だけが考えの出発とならなければなりません。再創造されなければならないわたしたち人間においては、その他の考えというものは一切、許されません。 そのような基準では、完全完成のためのものが創造されないということは、理論的であり、原理的であるということを知らなければなりません。分かりますか? 今、話したことが分かりますか? (「はい。」) 複雑な心、複雑な事情、複雑な境遇に縛られて、ナイロンの糸を壁にかけ、「わたしを引っ張ってください。引き上げてください」というような一切のものは、よこしまな堕落の祭物であり、救いを受けることのできない地獄に送られなければならないものであるということを知らなければなりません。 そのような一切のものを断ち切ってしまい、穴に挟まっていない本然の状態で、神様の手と創造の思いが介在する前の本然的原資材の姿を備えることを、神様がいかなる時よりも、この時間に願っておられるのです。(「アーメン。」)「アーメン。」と言いましたね。み言のとおりに成されます。(「アーメン。」) さあ、三〇〇〇年に向かって出発する今年の標語は、どのようなものですか? まず問題は何かというと、「解放」という言葉が出てきます。先生が、いくら苦労したとしても、苦労したことは忘れても、「解放」は忘れなかったという事実です。このように考えるとき、この場では他の何かを必要とするのではなく、「解放」を輝かせることのできる自らにならなければならないというのです。 そのような場にすることができなければ、神様も「真の父母も解放することができず、真の父母の息子、娘や、天上世界にいる人類全体の先祖、すべての会員たちまで解放させることができる道がない。」とおっしゃるのですか、「ある。」とおっしゃるのですか? (「『ない。』とおっしゃいます。」)ありえないということを知らなければなりません。 「解放」という言葉……。郭錠煥氏 (「はい。」)「解」という字は、どのように書くのですか? 一度きれいに書いてみてください。楷書で大きく書いてください。「放」という字も書いてください。「放」という字です。「解放」です。 これは正しいですか、正しくないですか? (「解」のへんを指されて)これは何という字ですか?(「『角』という字です。」)「角」という字です。(笑い)「角」という字は、何ですか? 各自のことをいうのではありません。(韓国語で「角という字」と「各自」は同じ発音) 「角になっている」、「役に立たない」、「『円形世界』は怨讐である」というのです。これをなくしてしまえばよいのですが、これをなくせば、ここに「羊」をもってくるのです。(「解」の俗字である「觧」のつくりを指されて)ですから、「羊」という字です。 このように書いても「羊」という字なのです。「角」と「羊」は怨讐です。「放」という字には、「父」という字がありますが、「父」という字に「方」という字で「さまざまな方向、さまざまな所に父がいる」ということです。分かりますか? それでは、どのようにして解放されるのですか? 蕩減法によるのです。さまざまな方向の中でも、中心方向に沿って、角がなく、ぐるぐると回っていくことができる位置に入っていって、初めて解放が成されるのです。 それでは、反対せずに順応することができる代表的な動物は何ですか? (「羊です。」)反対せずに、昼も夜も一年じゅう、いつであっても、主人が来て「おい、わたしの言うとおりにするのか?」と言えば、「メェー、そうです。」と言うのです。「メェー、メェー、メェー、メェー」と、繰り返すのです。 「そうです。そうするも何も、そのとおりにします。」と思って、「メェー」と言うのです。一度、言ってみてください。羊になりますか、頭をたたき割ることができるような角のあるものになりますか? 羊にならなければなりません。 また、「放」という字は、「方」に「父」です。三百六十度に向かう父であるということですが、それでは混乱が生じます。ですから、一番の怨讐を包んであげるのです。「解放」という言葉を考えるとき、なぞなぞのような内容ですが、先生の話を理解すれば「ああ、理解できた。」となるのです。分かりますか? それでは、父のように三百六十度に行こうとする群れに、「主流に行きなさい。一つの道に向かう父を求めていきなさい。」ということが問題です。それは何かというと、零点です。 皆さん、メーターを見れば、何度であっても、いつも零点に合わせるのです。全体の方向感覚の正誤を中心として、零点の中心にある位置が、量あるいは正しい方向を測定できる基準になっているのです。 さあ、解放です 解放は良いことですか、悪いことですか? (「良いことです。」)監獄で暮らしていた人が出てくることを何と言うのですか? 解放と言うのですか、束縛と言うのですか、釈放と言うのですか? (「釈放です。」)釈放ですか? 釈放と解放は、どのように違うのですか? 釈放される人が千人、万人いるとすれば、その人たちが釈放されて、父母の故郷に訪ねていくとき、千万に別れていくのです。それは釈放です。分かりますか? しかし、解放とは何ですか? 「八・一五(一九四五年八月十五日のこと)で南北が釈放された」と言うのは、正しいですか、正しくないですか? これは解放です。「邪魔になっていたすべてのものが順応する、自由還元運動することができる世界になった。上下も、左右も、前後も、すべて平等な価値で方向をとっていかなければならなく、角がなくなった丸い統一的世界になった」ということです。 その日には、おじいさんが喜び、おばあさんも喜び、けんかしていたお父さんも、不平を言って、えんえんと泣きながらけんかしようとしていたお母さんも、泣きながら何ですか? (「喜びます。」)喜ぶのです。 それから息子、娘、孫がいて、百人、千人、万人、国にいるすべての人が、解放されれば「万歳」を叫ぶのです。一度、「万歳。」と言ってみてください。(「万歳。」) 解放の中で、「家庭が解放された。」とも言うことができるのです。共産主義治下において、皆が殺戮されていく中から家庭全体が生きて出てくれば、解放された家庭になるのです。解放された家庭、解放された氏族、解放された民族、解放された国家、解放された世界、解放された天宙、そして最も難しいのが何かというと、解放された天地父母です。 さあ、このように考えるとき、今年の標語は何ですか? 解放された天地父母と子女が……。それでは、解放された天地父母だけが解放されたのですか? 子女はどのようになったのですか? (「解放されました。」)子女も解放されたのです。連結されているのです。何とですか? (「父母」と「子女」は)一つの文中にあるので、対等な価値を持つのです。解放された天地父母と子女が何ですか? (「一心一体となり……。」) それでは、その天地父母は何人ですか? 天地父母は、天的父母も父と母であり、地的父母も父と母ですから、何人ですか? 四人でしょう? そこに心と体を中心とすれば、八人と同じことであるというのです。分かりますか? そこに霊的世界を合わせ、地上世界を合わせて十六数になるのです。 十六数がそのようになったので、十六数は、いつも解放できるのか、できないのか、成就したのか、できないのかという……。(朝鮮戦争のとき)韓国に何か国が来て解放しようとしましたか? (「十六か国です。」)第一次大戦も、十六か国が一つになって戦争を始めました。いつも十六数が問題になったという、このような原則について見るとき、天宙の解放圏のために生きようとすれば、必ず十六数が必要なのです。総生畜献納をすべて十六数に合わせて、どのくらいするのですか? ここにいる国家メシヤたちは、「パンタナールで四種類の魚を百六十匹、釣らなければならない」という契約がなされているのですが、きょうまでに、すべて捕まえた人は手を挙げてください 私一人しかいませんね。(拍手) 皆さんにそのようなことをさせましたが、先生は内的にそれを一瞬のうちにすべてしてしまいました。皆さんは、できませんでしたが、先生は成したということを知らなければなりません。 成したと思いますか、できなかったと思いますか? パクーのような魚は、普通、一日で三十二匹、捕まえました。二日あれば、すべて終わるのではないですか? ドラドは、一日で十一匹、釣りました。ですから、それは問題になりません。 このように見るとき、先生がそのようなチャンピオンの看板を掲げて、四年間で百六十匹、釣ることができませんか、できますか? 釣ることができないというのですか、この者たち。(「釣ります。」)(韓国語で「この者たち」と「相対、カップル」の発音が似ていることから)相対がいない者は、どこに行っても使う価値がありません。ですから、絵を描くにしても、名作を描こうとすれば、白黒がなければなりません。皆、黒を嫌いますが、黒がなければ名作になりません。 きょう、ここに座っている人たちの色を見ると、三分の二が、どんよりして薄黒いです。どうしてでしょうか? 冬だからです。(冬は)太陽が遠くなるのですが、黒いものには太陽の光を吸収できる力があるので、自然に歩調を合わせるようになっているのです。わたしたちは、自然の中に生きていながら、だれかが命令しなくても、自然界に自ら合わせることを知っているので、七十、八十歳まで生きることができるのです。それは、理論に合うのです。 さあ、このように話していては、きりがありません。 「解放」という言葉を歓迎する人は、目を見開いて両手を挙げてください。十感があるとすれば、目を見開いて心の五感を見ることができますか? わたしが一等だと思う人は、何か一つ……。指でも、このようにしてみてください。このように挙げても、このようにして、何か一つでも違わなければなりません。すべて同じであることを願いますか、違うことを願いますか? 顔かたちは皆、違うでしょう? しかし、(解放は)心の一番底にあり、底は水平なので、そこに根を下ろさなければなりません。 解放されましたか? (「はい。」)本当ですか? (「はい。」)どのくらい解放されましたか? 国の基準を中心として解放されましたか、世界を中心として、天宙を中心として解放されましたか? 解放された天地父母、天地父母というかたが、自分たちだけで解放できますか、できませんか? 神様がお一人で解放されるとすれば、救援摂理は必要ありません。救援摂理は、即刻完成することができたというのです。神様も思いどおりには解放できないのです。 地上にメシヤとして来られたイエス様も、真の父母として来られましたが、解放の道を行くことはできませんでした。解放するために何が必要なのかというと、子女がいなければなりません。 なぜ、子女がいなければならないのでしょうか? 堕落とは何かというと、神様が堕落したのではありません。真なる天地父母が現れて堕落したのではありません。真なる天地父母の希望を未来においたまま、息子、娘が一つになることができなかったので解放できなかった、という事実です。 息子、娘が完全に一つになることによって、神様以上に解放の希望を願い、神様以上に解放の限界線を願うことができる息子、娘がいたとすれば、堕落したとしても神様を解放することができる日が、すでに何千万年前にあったかもしれないという事実を、皆さんは知らなければなりません。 それでは、今、この堕落した世界において、天地父母も解放されなければなりません。そして息子、娘、万民、六十億の人類、天上世界の何千億にもなる一つの先祖の血族として残っている存在が、すべて解放されることを願うとすれば、いつ解放が成し遂げられるのでしょうか? この解放を成し遂げるためのものが宗教であったというのです。拘束されている心と体を解放するために、心を強めて神様の代身の位置に立て、体を自由自在に統治します。そして、そこから脱線する存在がないようにするということが、救援摂理出発の目的であり、神様の思いを救援にとどめておくための出発であったという事実を知らなければなりません。 解放の根と解放の起源が何であるのか分からずに、解放を叫ぶ者は、愚かで、でたらめな人です。そのような者に解放はありえません。解放の根源は、すべての天地に包囲された囚われの身となっている体なのです。体が囚われの身となっているという事実を、だれが解放しなければならないのですか? (これが)問題です。神様が、神様ご自身を解放することはできず、真の父母として、メシヤとして送ったそのかたも、メシヤによって解放することはできません。何によって解放することができなくなったのですか? 子女が過ちを犯したのです。分かりますか? 子女に当たる者が、子女として未完成の段階から完成していたならば、アダムとエバは結婚して息子、娘を生んでいたはずなのですが……。その器官をいくら分析してみても、息子、娘を生むためにできたものであることは間違いありません。 男性一人で息子、娘を生んだでしょうか、女性一人で息子、娘を生んだでしょうか? 息子、娘を生んでこそ神様に似る者となるのです。一人で息子、娘を生むことができる女性という動物もいないのであり、男性という動物もいないのです。それでは、どのようにすれば息子、娘が出てくるのでしょうか? 分かりますか? 男性の心があれば、その男性の心に合うのは、別の男性ですか、別の女性ですか? ええ、何ですか? 赤ん坊を生もうとすれば、男性同士で結婚するホモの家庭に赤ん坊が生まれるでしょうか? 偽りの愛を中心として、肉体の情欲をすべて満たしたとしても、そのレズビアンの家庭に赤ん坊が生まれますか? 「生まれる」と言う者たちは、よこしまな者たちです。よこしまな者たちは、方向がなく、上下や高低もなく、どこにも立つことのできる位置がありません。そのような者たちを通して、息子、娘が出てきますか、出てきませんか? 「永遠に願い、さらに願います。天地を創造された大能力の主宰であられ、全能であられ、父の立場にいらっしゃる神様よ。わたしたち男性同士で一つになって結婚するので、息子、娘を生むことができるようにしてください。」と、このように言うのは狂った者たちですか、正常な者たちですか? 狂った者たちですか、正常な者たちですか? (「狂った者たちです。」) それが、はっきりと分からない男性と女性たちは、狂った者たちですか、正常な者たちですか? 狂った者たちです。「一人で暮らす。」と言う人がいるとすれば、それは狂った者ですか、滅びる者ですか。「滅びるな。」と言っても滅びます。一代ですべて終わってしまうのですから、「滅びるな。」と言っても滅びるのです。 ですから、男性と女性が赤ん坊を生むためには、ふたりが一つにならなければなりません。どのようにして一つにならなければならないのですか? 夫婦がいて、宇宙を動かすことのできる全能なる神様が、両手でこれを引き離そうとしても引き離すことができず、神様の腕が伸びてしまっても、一つになったものが引き離されないことを願いませんか、願いますか? 夫婦が一つになってくっついているものを、神様が激しく引き離そうとして腕が折れたとすれば、神様が裁判官として、どのような罪を与えるでしょうか? 百点の罪を与えるでしょうか、千点の罪を与えるでしょうか、億万点の罰を与えるでしょうか? (「罰は与えません。」) 億万倍の賞を下されば、賞をもらえない人は、だれもその前に行くことはできないということなのです。億万倍あれば、百倍でその前に顔を出せますか? 角度が合いません。 色で言えば、真っ赤で「ああ、見ることもできず、触ることもできず、死ぬこともできないほど真っ赤になった」ということです。赤でも神様が訪ねてきて、ポケットに入れるのです。このような話は初めて聞くでしょう? 神様も、赤い人が必要でしょうか、白い人も必要でしょうか? 三大元素の中に赤が入っていますか、入っていませんか? (「入っています。」)私よりも優秀ですね。では、真の赤い元素があるというとき、神様がポケットに入れるでしょうか、入れないでしょうか? わたしは入れないと思います。あなたたちはどうですか? (「……。」)このことも知らないのですか? それで、何ができるというのですか? 学校に行けば、昼も夜も転げ落ちて落第生になってしまいます。落第生になって役に立たず、方向感覚のないそのような者が、何をするのですか? 家門を滅ぼし、国を滅ぼすのです。無用の長物ですか、有用の長物ですか? ええ? ここに集まっているのは有用の長物ですか? 日本の女性、韓国の女性、西洋の女性、すべて来ていますね。 男性と女性が本当に息子、娘を生もうとすれば、神様までもどうしようもなく……。引き離すことができません。引き離そうとしても、神様の腕のほうが折れるのであって、(夫婦を)引き離すことはできません。 そのようにして息子、娘を生めば、神様よりも強い息子、娘が出てくるでしょうか、弱い息子、娘が出てくるでしょうか? ええ、何ですか? はっきりと答えてください。(「強い息子、娘が出てきます。」)原理を広めるために苦労した先生は、(皆さんの)力のない声を聞いても、全く興味がわきません。 神様の腕が折れても、引き離すことができなかったとすれば、そのような愛で一つになった夫婦から、神様が本物の赤ん坊として「やあ、これは本物だ。」と拍手し、万歳を叫ぶことのできる息子が出てくるでしょうか、「ああ、落胆した。」と言われる息子が出てくるでしょうか? そのようになれば良いと思うでしょう? あなたたちは、そのようになれば良いと思うでしょう? (「はい。」)どうしてですか? 万歳解放です。神様の中に入っても、神様の血統的精子の中の王の精子として入っていったとしても、神様が期待に胸を膨らませて踊りを踊られるのです。「ああ、そのような父に一度なってみたい」と思う人は、手を挙げてください。手を挙げたら、神様を見詰めていなければならないでしょう。なぜ地を見詰めているのですか? 手を挙げてください 向こうのほうは何も分からないのですね。こちらのほうは韓国人で、あちらのほうは日本人ですね。なぜ、日本人がこのようにたくさん来たのですか? 生きることのできる道が、ここにしかないので、ここに来たのでしょう。生きるためにです。 それでは、このような観点から見るとき、原色の中でも一つになった、真の原色である赤のような父親と母親を、神様の腕が折れても分けることができず、そこに赤ん坊の種ができ、そして生まれた息子、娘がいるとします。神様が彼らをごらんになるとき、「おい、おまえ。わたしにあいさつしなさい。」と言わなければならないでしょうか、神様が、あいさつしなければならないでしょうか? なぜ、不思議そうにしているのですか? そのような息子が……。神様が本当に力を尽くしても引き離すことができなかったので、その中から生まれた息子、娘は、神様よりも、もっとりっぱでしょうか、りっぱではないでしょうか? (「りっぱです。」)神様もその前に行かれれば、頭を下げなければならないのです。 絶対的な神様は、頭を下げることができませんか、できますか? 「ええい、やめよう。頭を下げれば、絶対が壊れてしまう。」と言われますか? 愛には、神様も頭を下げなければなりません。国を救った忠臣の中の忠臣の前には、王も頭を下げなければならないのです。王は、忠臣の力によって王の振る舞いができるときが、よくあります。 そのようなときには、「あなたのおかげで王になった。ありがとう。」と、言うようになるのです。「ありがとう。」と言いながら、ひげがボタンに引っかかって抜けたりすることも起きるのです。そのような可能性がありますか、ありませんか? (「あります。」) 先生の話が間違いなければ、私はあると思います。皆さんは、ないと思うでしょう? ないと思っているではないですか、この者たち。(「あります。」) さあ、このくらい話せば、「解放」という言葉が分かったでしょう。(「はい。」) 解放とは何かというと、神様と真の父母が天地父母になったということです。神様は縦的父母であり、真の父母は何ですか? (「横的父母です。」)なぜ、天地父母と言うのですか? これは、すべての相対関係における九十度の原型です。核心です。この根本に合わなければ、すべて離脱していくのです。いくらたくさんあっても、同じ価値として認めるのです。 それゆえに、「解放された天地父母と解放された子女」となるのです。分かりますか? 「一心一体」、心も体もあるでしょう? 「一心一体となり、真の愛の」、一心一体とならなければ、真の愛になりません。真の愛が出てこないのです。「真の愛の主体性である」、これは主体です。 何が主体ですか? 真の愛の核があるのです。真の愛の主体性である絶対性、唯一性、不変性、永遠性のみ旨、「永遠の」でも「永遠な」でもよいのです。 では、み旨とは何ですか? 四位基台の完成です。天を見ても天の父母であり、地を見ても地の父母であり、天の国と地の国、この二つの国を相続した三代が、天の父母の位置に立つことができることによって、それが主体性なのです。分かりますか? お父さんの角度も、おじいさんの角度も、わたしの角度も、千々万々の角度が、すべて神様とぴたっと当てはまるのです。そして、どの方面にこれを回してもモデルとなり、上弦と下弦を取り替えても合い、右弦と左弦を取り替えても合い、前弦と後弦を取り替えても合い、十二片のどこに合わせても、ぴたっと合う関係です。そのような「四位基台のみ旨が完成されますように」です。 これが全宇宙の希望であり、全体の唯一の核であり、一つの体となっているので、三〇〇〇年時代に、この標題を中心としていくことによって、神様が自らを主張することができる世界にならざるをえないというのです。 三〇〇〇年は……。三数の解放数であり、旧約時代、新約時代、成約時代です。成約時代の家庭理想を標本として、全宇宙が、新しい構造を編成することのできる時代になったので、このようにしなければ、どこに行っても合わせることができません。ですから、このような標題による主体性に対する絶対、唯一、不変、永遠な愛のモデル家庭を成し遂げなければなりません。 それでは、きょうからも必要であり、二一〇〇年から三〇〇〇年を越え、三万年を越え、永遠に必要な標題を持ったという事実を誇らなければなりません。(「アーメン。」)拍手。(拍手) 拍手するときには、皆さんが喜んでするのではありません。拍手は、三回以上しなければなりません。神様の拍手、神様の母の拍手、父の拍手、母の拍手のわたしの拍手、それから、孫の拍手で六つの拍手です。三回から六回以上しなければなりません。長過ぎてはいけません。それも原理数に合わなければなりません。 (口、鼻、目を順番に指されながら)蘇生、長成、完成です。 腹中時代、水を飲むでしょう? 空気を吸いますか、水を飲みますか? 鼻で空気を吸いますか、水を飲みますか? 水を飲むのが腹中時代です。鼻の時代は鼻で呼吸するのです。ですから、ヘソは必要ありません。ヘソで食べることもでき、鼻の穴で呼吸し、二つの世界で生きることができるのです。母親の腹中でも生きることができ、空気世界でも生きることができるのです。 そして、これも主体と対象です。空気世界でも生きることができ、水の世界でも生きることができます。地上では、鼻で呼吸しながら、天の国とともに暮らすことができるのです。すべて二重になっています。これは、東西南北の四方を意味するのです。分かりますか? 鼻が好きですか、口が好きですか、目が好きですか、耳が好きですか、手が好きですか? (「すべて好きです。」)すべて好きだと言うのならば、目と鼻と口と耳と手、この五つに「あなたたちは何が好きですか?」と尋ねてみれば、どのように答えるでしょうか? 雄の鼻は、「雌の鼻。」と言うのです。そうですか、そうではないですか? 雌の鼻は、目があっても何があっても「すべて嫌だ。」と言い、「雄の鼻。」と言うのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです。」)口はどうですか? 郭錠煥氏の口は、雄の口ですか、雌の口ですか? (「雄の口です」)。雄の口なので、「雌の口はどこにある? キスしよう。」と思えば、そこに訪ねていかなければならないでしょう。鼻にするのですか? 目にするのですか? 耳にするのですか? キスをするのに、雄の口が雌の口を訪ねていかない人は、狂った者たちです。 雄の手が最も好むことは、雌の手とくっつくことだというのです。男性たちは、握手することができる道があれば、男性の手を求めていきますか、女性の手を求めていきますか? 女性だからといっても、何でも求めていくのではありません。方向を一致させることができる自分の妻の手を求めていくのです。 文総裁が、このように自信を持って話しているのに、ここに集まった一万近い人たちが、「それは違う。」と言うのならば、「違う」と思う人は、死んでみなさいというのです。 わたし一人が、「そうだ。」と言っていますが、先生の言うことが正しいのか、一万近い人たちの言うことが正しいのか? 霊界に行ってみれば、間違いなく、わたしが一万の人に勝つことができるので、堂々と前に立っておなかを突き出し、「この者たち、私の言うことを聞きなさい。」と言うのです。聞きますか、聞きませんか? (「聞きます。」)本当に聞くのですか? (「はい。」) 「聞かない。」と言う人は、手を挙げてください。「聞かない。」と言う人は左手を挙げて、「聞く。」と言う人は右手を挙げてください。聞くという人は、右手も左手も挙げてください。それでは、先生は話さなくてもよいということです。それでは、これで終わりましょう。さようなら。(拍手) ああ、「休みなさい。」ということではないですか? 先生の話を聞くよりも、雄の手が雌の手を訪ねていって愛し合うほうが喜ぶのです。愛の味がおいしいですか、先生のみ言の味がおいしいですか? ええ、何ですか? 赤ん坊は、自分のお母さんのオッパイがおいしいですか、隣の家のおばあさんのオッパイがおいしいですか? (笑い) (「お母さんのオッパイがおいしいです。」) それを尋ねる必要がありますか? 系統に従って拍子を合わせていくのです。先生は、言葉を好む先生ですか? すべての人が愛を好むということであり、この愛の内容がなければ、まぜこぜの餅なのです。(純粋な)もち米の餅ではないというのです。 それでは、わたしたちは解放を願うのですが、どのような解放が一番ですか? 目の解放、鼻の解放、耳の解放、口の解放、五感の解放が一番ですが、その中で第一の解放は何ですか? 愛とは何ですか? 生きてゆらゆらとするのが、愛です。そのように解釈しておけば、狂っても愛は理解することができるのです。愛というものは何かというと、ゆらゆらするのです。かげろうのようにゆらゆらすれば、その中で寝たいという気持ちになり、世の中のすべてのものに「わたしの懐で眠りなさい。」と言いたくなりませんか? 愛とは何ですか? (「ゆらゆらするものです。」)ゆらゆらするものは何ですか? 春の季節になれば、かげろうが、ゆらゆらするのです。愛のように、ゆらゆらしています。角の角度があるので、絶妙にゆらゆらするのです。 では、愛に酔いますか、酔いませんか? 愛に酔うのですか、酔わないのですか? (「酔います。」)賞を上げるので、「愛に酔ってみた」という人は、手を挙げてください。どのような愛ですか? 真の愛です。 愚かな人は、恋愛しながら地獄に行く贈り物にしがみついて、「生きる」とか「死ぬ」とか言う人が多いのですが、神様にしがみついて「生きる」とか「死ぬ」とか言う人を見たことがありません。 若い息子、娘たちは、恋愛するのを好みますか、礼拝堂に行って、お尻を天に突き出して、「私は死にます、生きます。」と、泣きわめきながら祈祷するのを好みますか? 神様に会って、「恋愛しましょう。」と言うのが良いですか、若い息子、娘同士で「恋愛しましょう。」と言うのが、もっと良いですか? 統一教会の教会員は皆、神様と恋愛するために来たのでしょう? (「はい。」)天のお父様ですか、天のお兄様ですか? (「お父様です。」)ええ、何ですか? (「お父様です。」)天のお父様なのに、どのようにして恋愛するのですか? (笑い)上下というものは、水が流れるようになっていて授け受けすることができません。水を注げば、落ちるのです。この相対的基準を成した水平世界において、お互いに授け受けすることができるというのです。 さあ、それでは解放とは、どのような解放ですか? 神様 どのような解放を好みますか? (「愛の解放です。」)どのような愛ですか? (「真の愛です。」)真の愛の種類はいくつあるのですか? 上下、左右、前後、そして王です。 王というものは、一人で王になることはできません。上下、前後、左右、この六つのものを率いて王の位置で愛するとき、そこで「千年万年、暮らしたい」と思うのです。神様は欲望を持っておられるので、神様は王の愛を好むのです。分かりますか? 王の愛であり、核の愛です。言ってみてください。核 (「核」)。どのような愛ですか? (「核の愛です。」) さあ、解放された天地父母と解放された子女が心身一体となり、そのようになれば、その中に神様がいらっしゃるでしょうか、いらっしゃらないでしょうか? (「いらっしゃいます。」)父母もいて、天地父母がいるのです。息子、娘がいますか、いませんか? (「います。」) だれ一人として欠くことができないように、すべているのです。すべているので、神様が福を与えてくださらなければならず、周辺におじいさん、おばあさん、自分の夫、兄弟が周辺にいれば、神様が福を下さるので、その家は安着することができるのです。 一時ではなく、永遠にそれを表題として、一つのモデルとして選択することのできる家庭が……。自分の町内すべての家庭がそのようになり、部落に百軒の家があれば、百軒すべてがそのようになり、村を越え、村々を越え、全国津々浦々までそのようになり、千万の部落ともども、国を越えて、万国すべてが一つになることができる可能性があるということなので、万民が歓迎しなければなりませんか、反対しなければなりませんか? (「歓迎しなければなりません。」) 歓迎しないときには、どのようにするつもりですか? 離婚でもしなければなりませんか、してはなりませんか? (「してはなりません。」)会いたくないのに、なぜ離婚しないのですか? 統一教会の教会員は、会いたくなくても、このようにしています。神様の前で血統が変わり、怨讐の子女となった者を、神様がはしで火の穴に放り込みましたか、そのままにしておきましたか? (「……。」) きょう、その答えを知ろうとすれば、答えなければならないでしょう。はしで放り込むとすれば、この地上でその地獄の火で焼かれない人がいると思いますか、いないと思いますか? (「いません。」)なぜですか? わたしたち人類は、怨讐の血がエバの子宮に入っていって、できた赤ん坊なのです。女性の子宮や胸やお尻は、怨讐の血筋によって生まれた子女を保護し、育成するために、そのようにできているのですか? 怨讐がこの胸を吸ってくれることを願ったのですか? だれが吸ってくれることを願ったのですか? 主人です。億万年の主人です。天地が変わるとしても、この主人は変わらないようにするためです。そのかたのために、そのようにできているのです。それは何ですか? 神様の家門のためです。分かりますか? あなたたちは皆、嫁いで家門に入っていったでしょう? きょうはなぜ、このように女性ばかり集まったのですか? なぜ男性はいないのですか? 男性が一人で騒いでいるので、「女性ばかり相手にして、悪口を言いながら、苦しめるために、あのような話をするので、初めから文総裁は怨讐として生まれたようだ。」と思うかもしれません。だれが愛の道に怨讐を引き込んだのですか? 女性です。 先に女性が目覚めるので、男性を誘惑するようになっているというのです。化粧を始めれば、一時間も二時間もアイシャドウやルージュを塗っているのです。結婚する年ごろの十七、八歳になれば、朝から夜まで一日じゅう、そのようにして座っています。(笑い)笑っているのを見ると、身に覚えがあるようですね。 さあ、十五、十六、十七、十八歳になって、化粧品を買うのは男性ですか、女性ですか? (「女性です。」)日本語で、化粧のことを何というのか知っていますか? 「けそ」ですか? (「けしょうです。」)化粧をすることを何というのですか? 「かそ」ですか? (「けしょうです。」)「けしょう」ですか? 「火葬」ということです。 皆さんは、何によって生まれたのですか? 神様によって生まれたのですか、愛によって生まれたのですか? (「愛によってです。」)何ですか? (「愛によってです。」)本当ですか? (「はい。」)やあ、わたしも学びました。わたしは、神様によって生まれたと思っていたので、愛によって生まれたとは知りませんでした。今、あなたたちから学んだので、悪口を言われずに暮らす時が来たということです。(「アーメン。」)(笑い) 解放された天地父母と解放された天地子女が一つとなり、心身一体となる日には、天下のすべてが自分のものになるのです。おじいさんの愛がおばあさんの愛であり、おじいさんとおばあさんの愛が、お父さんとお母さんの愛であり、お父さんとお母さんの愛が孫の愛であり、孫の愛がおじいさんとおばあさんの愛です。 おばあさんが孫を見て、「ああ、わが子よ。」と言うのを聞いたことがありますか? (「はい。」)そうではないですか。自分の息子、娘に対して、「ああ、どうしようもなく愛らしいわが子よ。」と言う若い父母を、わたしは見たことがありません。ただ「かわいい。」と言って、キスしてぶつぶつ言うだけであって、「ああ、わが子よ。」とは言わないのです。 そこから横的に広がっていくのです。収穫なのです。孫は、愛に対する収穫なので、一つの種から十双も生まれてくるのです。わたしの友達の中には、一人の母親が三十六人の息子、娘を産んだという人がいます。少ししか産んでいないでしょう? (「たくさん産みました。」)私は、「四十六人くらい産めばよい」と思うのですが。あなたたちもそうですか? 何ですか、悪いことがありますか? その息子たちが皆、天才的な頭をしていれば、「嫌だ。」と言っても、自然に大統領や長官になるのです。その国の大統領や官僚を率いて、「おお、よし。よし。」と言えば、その国全体が春になって花が咲き乱れる園になり、(草木が)生い茂る夏の季節が訪れるのに、どうして「嫌だ」と思うことがあるでしょうか? 「嫌だ」と思いますか、「良い」と思いますか? では、息子、娘を育てることが大変なことでしょうか、大変なことではないでしょうか? このように考えるとき、神様が今日の人類に対して、「あなたの父だ。」と言われ、その神様を(わたしたちが)「父として侍ります。」と言えば、神様は、あなたたちをどのようにされるでしょうか? 骨が出るほど、こき使って苦しめる父ですか、骨は出ずに、食べさせる父ですか? 食べさせる父です。 その父の農地が、どこにあるのか知っていますか? 夫婦というものは、赤ん坊を生む農地であって、食べさせる農地ではありません。食べさせる農地は、天の国にあるのです。愛が結実するときには、食べるものは無尽蔵です。願いどおりです。 神様の愛を受けることができ、同居し、同参することのできる位置に立つようになるので、神様が「食べたい」と思われるものを、すべて持つことができるように、わたしたちも願うとおりに、すべてのものを持つことができるのです。 天の国に農地があるでしょうか、ないでしょうか? 土地がありますか、ありませんか? 土地はありますが、農作業する農夫は、見たことがありません。面白いでしょう? そこにパンをつくる工場がないでしょうか、あるでしょうか? 自動車をつくる工場がないでしょうか、あるでしょうか? あるとすれば、神様が、毎日のように出勤され、自動車工場やその付属品を監督するチャンピオンになられるということですか? (そのような)必要はありません。真の愛さえあれば、十分です。分かりますか? 今、何と言いましたか? 真の愛で十分です。(それは)どういうことですか? できないことがないのです。真の愛の中には、考えであるとか、感想であるとか、そのような空想的な理念を実体として現実化させることができる能力があるのです。愛のためにつくられたのが、万物です。 赤ん坊を好むのは、男性ですか、女性ですか? (「女性です。」)私は、男性のほうが好むと思います。(男性のほうが)女性よりも、もっと大きな胸をしているからです。(笑い)「わたしは、女性よりも大きなお尻を持っているので、赤ん坊を産むときにも無事通過だ。ああ、わたしには子宮ではなく王の子宮がある」と言えば、男性のほうが女性よりも赤ん坊を好むと思いますか、女性のほうが男性よりも赤ん坊を好むと思いますか? (「女性です。」) お父様の話が事実ならば、男性のほうが、もっと赤ん坊を好むということになるのですが、事実がそうではないので、問題なのです。いくら真の父母だとしても、それでは偽りの父母に落ちるしかないので、賢い人は「ぺっ」と、つばを吐いて背を向けるようになっています。一度、つばを吐いて背を向けてみてください。 女性たちは、自信があるでしょう? 先生よりも、もっと赤ん坊を好むでしょう? (笑い)それは、生理的にそうなのです。どのようになっていますか? 胸は、だれのためにあるのですか? 先生のためにあるのですか? (「赤ん坊のためです。」)それは、赤ん坊のためにあるのです。お尻は先生のために大きいのですか? (「赤ん坊のためです。」)赤ん坊のためです。 先生と何の関係がありますか? それから、子宮は先生のためにあるのですか? ああ (笑い)どれほど、うっとうしいですか? その場で殺されたほうがよいでしょう? 赤ん坊のためにあるのではないですか? 自分が持っているすべてのもの、その根本から付属品まで、すべてのものは、赤ん坊が必要とするようになっています。 女性の手は大きいですか、小さいですか? 男性の手のように頑丈で、骨のようですか、ふっくらしていますか? なぜ、女性の手はふっくらとしているのですか? (「赤ん坊のためです。」)赤ん坊が泣くからです。腹中にいる赤ん坊につめがありますか、ありませんか? つめがありますか、ありませんか? つめで引っかくようになっていますか、どのようになっていますか? どうだと思いますか? このように握ってみてください。つめをこのようにすれば、引っかかるではないですか? (親指を中に入れて)ですから、このように握っているのです。この女性たち、このようなことも知らないのですね。(笑い)このように握っていれば、いくらやっても、つめが引っかかりません。このように握っていれば、どのようになるでしょうか? 引っかいてしまうというのです。 これ(親指の二つの関節)は何かというと、神様の二性性相であり、これ(残りの指の三つの関節を合わせたもの)は、十二か月です。それぞれ三か月を中心として一年を表しています。 天地の度数の中で、王となられるかたは、どのようにしますか? (右手の親指を立てながら)一等は、このようにするでしょう? そのような話をすれば、面白いのです。話をしてあげればよいのですが、そのような話をするには、きょうは、日の運が良くありません。 解放。解放を願いますか? (「解放。」)では、目はどのようにしますか? (「目の解放です。」)それでは、「抜き出してみなさい。」と言うのです。耳も解放ですか? 目の解放とは何ですか? いくら抜き取ったとしても解放できません。男性の目の解放がなされるのは、女性の目を見詰めるときです。 男性が笑うときに、女性がにこっと笑えば、手足が踊るのです。そうですか? 夫が何か不満で、むっつりしているときは、にこにこ笑いながら、「ああ、きょうは朝から太陽が出ているのに、私の夫には雲がかかっていますね。何が悪くて雲がかかっているのですか? 何か気分が悪いことがあるのですか? 会社で何か失敗でもしたのですか?」と言うのです。 そして、会社の女性のために気分が悪いのならば、「私がその女性に贈り物を贈ってでも、良くしてあげるのに……。」と言い、それが男性ならば、「ああ、その人は、上司になろうとしてなれなかったので、気分が悪くて部下を苦しめたのですね。少し待ってください。私がその人よりもりっぱな息子を生んで、父親の恨の峠を越えさせてあげます。」と言いながらほほえむとき、その話を聞いた夫の、かたくなな心は解けるでしょうか、解けないでしょうか? 木石のような女性は、だれですか? いくら無感動な女性であっても、そのようなことは基本常識として分かっているというのです。そのようなことを知りながらも、かみついて責め立てるような人は、追い出される女性です。追い出される女性とは、どのような人ですか? (「冷遇される女性です。」) 疎んじられて冷遇される女性です。そのような女性が通るときには、町内の犬もほえません。「この女め、早く行け。こいつ。ほえるのも恥ずかしい」と思って、犬もほえず、鶏も猫も鳴かず、ネズミまでも穴に入ってぐるぐると回るというのです。千年万年の恨があったとしても、一人の夫に仕えるのです。それが女性の行くべき鉄則です。 整った顔をしていますが、あなたたちはどうですか? 先生が、世界で一番の美男子と祝福をしてくれると思ったでしょう? 絵を描いてきてくれれば、そのようにすることができます。 考えてみてください。一万人の男性と一万人の女性がいるとすれば、九千九百九十九人の女性は、一万人の男性の中の十人の美男子を奪おうと、首を絞め合うのです。見た目で良いかどうか判断するのです。顔立ちの整った男性は、皆、浮気心のある男性なのです。 「五人の男性の名前を書きなさい。」と言えば、五人とも、すべてそのような男性を選ぶのです。高ければ、低いものがあるではないですか? 高い山には深い谷があり、深い谷には、頂よりも岩がたくさんあるのです。でこぼこなものが、もっとたくさんあります。金剛山の奇岩、怪石を見てください。 すべてそこに合わせることができ、花であれば、自分の花を春夏秋冬、美しく咲かせることができれば、飛んでいったちょうや虫たちが訪れるのであり、自分の王に侍るために王宮に向かう旅人も、それを貴く思って王に進呈しようと根こそぎ……。 折っていくのではなく、根こそぎ掘り出して、王宮に持っていき、そこに植えようとするのです。そこにおいて、完全な価値を現し、完全な美貌を装って、千年歴史……。自分一代でできなければ、千代、万代、そのようにすることができる花は、王宮に移されていく日が訪れるのです。(「アーメン。」) いくら夫が醜くても、赤ん坊の種を持っているということは、間違いないというのです。(笑い)分かりますか? 赤ん坊の種があって、血統の法則が通じるとすれば、先祖に黒い人がいれば、いつかは黒い人が出てくるのです。だれかが、先生のような人を夫として迎えれば、血統の中にその種を受けて、何代目か、何千代目にそれが出てくるというのです。それはどういうことかというと、先祖の血と先祖の細胞が死んでいないということを意味するのです。 父と母の愛は、一代です。父と母の愛は横的であり、一代です。水平です。垂直ではありません。おじいさんとおばあさんも一代であり、お父さんとお母さんも一代であり、自分の代でも一代です。三代をかけて愛する人がいません。 それでは、おじいさんのような人と一度結婚し、お母さんのような年齢の人と結婚し、自分の相対のような人と結婚し、娘のような人と結婚し、そのようにしようとすれば、何百歳まで生きなければなりませんか? 人間の年齢は、八十歳を超えるのが難しく、八十を超えれば九十を超えるのが難しく、九十を超えれば百を超えるのが難しく、百を超えれば百十を超えるのが難しいのです。 先生の歳に三十年を加えれば、何歳になりますか? (「百十歳です。」)百十歳ですが、今から百十歳まで生きる可能性が……。いくらあなたたちが、「ああ、ご長寿されますように。」と言っても……。 きょうも元旦ですが、二〇〇〇年を越えて三〇〇〇年に向かって出発する二〇〇一年の元旦なので、韓国では、新年のあいさつをする日です。この多くの人たちに一万ウォンずつ上げたとすれば、いくらになりますか? 一億ウォンが飛んでいくというのです。十万ウォンずつ上げれば、十億ウォンかかります。 新年のお年玉で十億ウォン上げなければなりませんか、来る人の足が切れても門を閉めなければなりませんか? しかたがありません。ですから、地の果てから飛んできて苦労し、重い荷物を背負ってきた人を呼んで、お年玉を上げました。 その時間が、どのくらいかかったのかというと、一時間です。それで、きょう、わたしが何分、遅れたのか知っていますか? 二十五分から三十分、遅れたのです。「約束しておいて、三十分、遅れた先生……。ああ、わたしたちには『報告時間をきちんと守りなさい。』と言ったのに、なぜ先生が時間を守らないのか?」と思って裁判にかけたいでしょう? ああ、一万人に三十分なら、どのくらいですか? 五千時間を失ってしまうのです。一ドルずつだとしても、五千時間で五千ドル、十ドルずつなら五万ドルが飛んでいくのです。十ドルで済みますか? 今日のアメリカでは、十ドルと言えば……。一時間で三十ドルなら、いくらですか? 三(三十ドル)×五(五千時間)=十五で、十五万ドルが飛んでいくのです。先生に給料をくれましたか? (「はい。」)(笑い)給料をくれましたか、くれませんか? わたしは、統一教会の皆さんから生涯、一度も給料袋というものをもらったことがありません。夢にでも一度もらってこそ、あの世に行って、「統一教会の人たちが給料もくれたし、献金もした。」と言うことができるのですが、「献金をした」という話は聞いたのですが、「給料をくれた」という話は、聞いたことがありません。(笑い) さあ、神様の解放とは、何を願うことですか? 万国にお金がないので、豊かに食べさせてあげることができる、お金のふろしきです。アーメンですか、ノーメンですか? (「ノーメン。」)知識のふろしきです。(「ノーメン。」)天地のバランスを取ることができる空中エンジンを開発して、空中オリンピックを開催することができる、技術の大王陛下です。それですか、何ですか? 権力ですか? この辺りの人は、なぜ居眠りしているのですか、この者たち。昼食の時間になったので、おなかがすいたのですか? 神様は、どのような解放を願われるのですか? どのような解放ですか? 政治解放、大統領、博士、お金の包み、そのようなものを願われるのですか? 神様は、お金をつくることができ、知識の王であられ、権力の王であられるのです。すでに、すべてのものを持っておられ、持っておられるものがあまりにも重いので、引きずって歩くこともできません。男性たちにすべて分けてあげたいと思うのですが、顔を見てみると、分けてあげれば喜びそうですね。 神様が、最も願われるものは何だというのですか? (「愛です。」)物乞いして暮らしている女性でも、美人がつくったもち米の餅よりも、乞食のような男性がつくった、ばらばらと落ちるアワ飯のほうに、もっと関心があるのです。なぜですか? 美人だからですか? 愛に従っていくのです。そうでしょう? わたしが美男子なら良いでしょう? わたしは、このように顔が良くないのです。それでも、まあまあでしょう。もっと顔が良ければ、壁を越えてくる人が、どれほどたくさんいたでしょうか? わたしが統一教会の教主なのですが、絞首台の主人なのかも分からないというのです。 このようにしながら、女性のあらゆる姿をすべて見てきました。裸で壁を越えようとして、犬にほえられて見つかり、それで文総裁が悪口を言われたり、三角パンツ一つで道を歩いてバスにひかれて病院に行かざるをえず、それでまた悪口を言われたりしました。ありとあらゆる群像をすべて見たのです。 人間世界において、女性が起こすあらゆる問題は、すべてわたしが世話をして処理したのです。それで、女性たちが、わたしを好むのかもしれません。お金がなければ、借金して、病院で治療を受けさせてあげ、あらゆることをすべてしたというのです。 総括的に見れば、悪いことはしていないのです。わたしも、夜でも昼でも、突然、目を開けて、「わたしは悪いやつか、良いやつか?」と言えば、「良いやつだろう」という言葉が、さっと出てくるのです。 わたしは今、どのような話をしましたか? 夜、突然、目が覚めて、「あなたは、良い人か、悪い人か?」と言えば、「ああ、良い人だ」という言葉が、自分の口から出てくるというのです。ですから、「良いことをした」ということを、この四肢が分かっているということですか、分かっていないということですか? 神様が、最も好まれるものは何ですか? 何ですか? (「愛です。」)愛ですか? 愛を好む人は、手を挙げてください。あなたたちが好む愛を、神様は一度も好んだことはありません。今まで、なかったというのです。 その愛ではなく、真の愛です。きょうの題目は、何ですか? 真の愛の主体性である、絶対なる真の愛、唯一なる真の愛、不変なる真の愛、永遠なる真の愛です。絶対、唯一、不変、永遠に変わらない、そのような愛が、真の愛です。 結婚している人は、手を挙げてください。祝福を受けて結婚したという人は、手を挙げてください。あなたたちは、生涯、自分の妻や夫のことだけを思いますか、行ったり来たりしますか? 行ったり来たりしますか、行ったり来たりしませんか? なぜ下ろすのですか? 下ろさないでください。行ったり来たりしますか、行ったり来たりしませんか? (「行ったり来たりしません。」) 何ですか? 行ったり来たりするということは分かっているのに、行ったり来たりしないと言うのですか? 祝福を受けて結婚し、しかたなく自分の新郎と暮らしながら、「ああ、あの夫が死んで、もう一度、祝福を受ければ、わたしが愛する人、結婚したい人とするはずなのに……。」と、このようなことを考えたことはないのですか? 本当ですか? あの醜い男性と花咲く青春を消費しても、感謝するのですか? (「はい。」)それは、問題が大きいのです。ああ、知りません。今から一時間くれればよい、今からでも考えなさい、一時間で……。できなければ、条件的にでも一度してみなければならないでしょう。 条件は嫌いですか、好きですか? わたしが一時間、自由を与えるので、そのようなことを考えても罪にならないとすれば、考えてみますか、考えてみませんか? 考えないという人は、手を下げてください。何のことか分からないのですね。(笑い) 耳が宝です。心は宝ではないのですが、耳が宝になるときが、本当に多いのです。心よりも、目のほうが宝になるときがあります。心はそうではありませんが、目がそのようなときがあるのです。鼻もそうです。 五感が、心と違うときが多いということは、皆さんが生活の中でたくさん感じるでしょう? それは、何に違反した心なのかというと、愛の法です。解放的な愛の法度に違反した心です。それは、完全に切ってしまいますか、そのままにしていますか? 堕落以降、神様は、この人類に対して何の未練も持っておられないのです。このことを知らなければなりません。だれにも未練は持っておられないというのです。 神様ご自身が、未練を持とうとされるのは、この人類を再び取り戻す道です。取り戻すためには、世の中の人が好み、世の中の人が持っているすべてのものを一つもなくした立場を越え、(再び)所有することができるようにする、そのような方法しか救う道理がない、ということを知らなければなりません。何のことか分かるでしょう? はっきりと理解しなければなりません。 神様は、宇宙をつくられた主人でしたが、すべてを失ってしまいました。失ってしまったものに未練を持ったまま、それを見詰めて泣くのではありません。そこには、宇宙が入っているのです。力の世界、知識の世界、物質の世界、お金の世界がすべて入っているというのです。そのようなすべてが入っている世界を失ってしまいました。その中で神様が願われるのは、愛だけです。 愛を理解することができるのは、草木でもなく、動物でもなく、血統が一つになった息子、娘なのです。しかし、今まで血統が連結されていませんでした。 神様が一代ならば、アダムは二代であり、三代が連結されてこそ、神様の縦的な血統と父母の横的な血統を連結させることができる種ができるはずなのです。ところが、三代を失ってしまった神様は、天の国を否定し、地上天国を否定し、すべてを失ってしまいました。失ってしまった世界に求めるものはないというのです。 そこで、万物圏を抜け出し、息子圏を抜け出て、この地上で最も貴いと思う父母圏までも否定する立場を越えて、越えて、さらに越えて、否定に否定を重ね、一つも未練がないという立場に立たれます。そして、再び所有権を持つことを待ち焦がれるのが、再創造の主人であられる神様の立場であるということに間違いないということを、はっきりと知らなければなりません。 この世界を(再び)所有しようとされるので、「怨讐を愛しなさい」という言葉を言わざるを得なかった、神様の立場を考えてみてください。億千万世の怨讐を愛する、その内実をだれが知っていたでしょうか? 縦的な真の父母の立場にいらっしゃる神様が、持っているものがないのです。 そこで希望を持つためには、カイン、アベル、怨讐の兄の立場、怨讐の父の立場、怨讐の王の立場を愛さなくては、その世界の一つの万物も、息子、娘も取り戻すことができないということが神様の恨だった、ということをこの時間に知らなければなりません。 それで、救援摂理においては、「長子権、父母権、王圏を成したサタン世界を愛しなさい。」と言うのです。代々受け継がれていく怨讐の血を、独身生活を強調しながら(再び本然の血として)取り戻そうとされ、その血統を清めようとされる神様の立場が、どれほど無念であるのかを考えてみてください。 そこにおいて、どこに万物があり、どこにイエス様がいますか? イエス様も成し遂げることができませんでした。それに対して、再臨主もみ旨の定着を成すことができませんでした。それを所有するためには、サタン世界の万物の前に恥ずかしさがあってはならないのです。 万物が愛の恩恵に酔い、「お返しする道がないので、神様が求めたいと思われた以上に、生命までもささげます。」と、言うことができる、愛の感動を成しえていない基台の上においては、真なる愛の救援摂理の道が開かれないということを、この時間に全員が悟らなければならないのです。 神様はかわいそうですか? かわいそうですか、かわいそうではないですか? (「かわいそうです。」)そのようなかわいそうな神様を解放してあげようという、統一教会の解放的子女の立場に立ったわたしたちにとって、万物が貴いのですか? この者たち。子女が貴いのですか? 堕落圏内の国と世界にいて、いまだに神様の位置に上がることができていない夫が貴いのですか? 「神様の恨の影を消すことができないという怨恨を抱いた万物を、わたしたちが愛することができる、ということに対して、恥ずかしさを持つ姿勢を忘れてはならない」という決意を、この時間に再び、しなければなりません。 神様は、個人を中心としてそのような信念を持って、千万回も岩の峠を越えてこられたのです。そして、心と体の闘いを止めるために、何千万年の受難の道を越えてこられたのですが、闘いの道を行く万民の心と体を止めることはできませんでした。 体は体で自己主張し、心は心で自己主張し、だれも神様と同じ立場で、自分を完全に屈伏させる心になることができず、そのような体にもなることができなかったので、(自分は)恨の実体であるということを知らなければなりません。それを見詰められながら、福を祈っている人に福を与えようとされる、そのようなつまらない神様ではありません。 サタンの血統、サタンの風習、サタンの愛の血統に変わってしまったものを愛することが、どれほど難しかったかということを知らなければなりません。 継母と連れ子の逸話を、よく知っているでしょう? 自分の直系の子女よりも、継母の子女を何十倍、何百倍、何千倍愛さなくては、人類の怨讐の血統を乗り越えることはできないという、そのような囚われの身となられた神様を思うとき、だれがその神様を解放してさしあげるのですか? 考えてみてください。 瞬間史よりも千年史が、もっと怨讐です。長いほど怨讐であり、困難であるほど怨讐です。休むことができる道では、神様や天国との関係を結ぶことはできない、という事実を知らなければなりません。 悲痛な歴史です。無念で恨めしい歴史です。どうして神様が、そのような立場に立たれ、人類の真の父母がこのような無念な立場に立たれ、そのような囚われの身で呻吟されるのでしょうか? 一体、その理由は何でしょうか? この愛のゆえです。何がこのようにしたのですか? 男性と女性という二つの動物であり、この体です。分別がつくようになる前に、火遊びをしたというのです。 あと一年半か二年だけ過ぎれば、神様が親しくアダムの心の中に、エバの心の中に入っていかれて、結婚式をさせるのです。その結婚式は、アダムとエバの結婚式ではありません。縦的な真の父母であられる神様の結婚式であり、横的な実体としての真の父母であるアダムとエバの結婚式なのです。 この二つの愛の結婚式となり、縦的と横的が決着する一点が九十度です。決着できなければ、神様の理想的な愛と人間の理想的な愛は、永遠に巡り合うことはできないというのが、理論的なのです。 九十度に合わなければなりません。神様は、いつでも九十度にいらっしゃいますが、人間が八十九度や九十一度にいれば、一つになりません。欠陥品です。それを合わせるために、メシヤを送られ、真の父母を送られたという事実を知らなければなりません。 メシヤと真の父母が来るために、旧約時代においては万物に血を流させました。腹を割き、命を絶ち、最も純潔な動物の血を流して分け合ったのです。右側は神様のものであり、左側はサタンのものとして二等分する恨みの穴が生じたのは、血統が変わってしまったからです。 このようにして、零の点から始めて人類全体に対したのですが、同じ位置から出発して零点に入っていくのです。そして、「わたしがあなたたちよりももっと愛し、より愛したものが、良心を中心として完成するとき、その愛の基準は、体を中心とした愛よりも高くなることができるので、本然の基準で精誠を尽くして、神様を愛するために訓練をした愛になれば、このサタン世界の愛を越えることができる。」と言うのです。これが、宗教がすべき召命的責任であり、使命的責任であったということを知りませんでした。 良心に力を与えなければなりません。七〇パーセントは良心から力が出て、三〇パーセントは体から出る、このような基準にあるとすれば、心と体は自動的に一つになることができるのですが、良心の呵責を受けながら……。 南北を指している磁石を、東西に向ければ力が加わるように、そのような呵責を受け、自分自身の存在位置がなくなることを感じながらも行動することができる、そのような強い力の起源は、愛の道しかありません。 あなたたちの父母も、あなたたちが分別がつくようになる前に浮気すれば、問題にするでしょう? 「時になる前に火遊びしてはいけない。」と言うでしょう? 間違いを犯せば、一代ではなく一国、天地を滅ぼすのです。アダムとエバがそのようなことをして、天下を滅ぼしてしまったのです。根こそぎ引っ繰り返して、神様を追放してしまったのです。 神様は、それを中心として所有が連結され、因縁的な連体関係と相応的な対応関係によって連結された万宇宙の根が沈んだので……。鉛の重りが沈んだので、そこにつながっている網は沈むようになるのです。 サタンの所有になったものを救う道理はありません。怨讐を自分の息子、娘よりも愛するまでは、より愛するまでは救う道がないのです。ですから、神側の長子として立てたメシヤであるイエス様を十字架にかけて、天の側に取り戻してくるようにしたのです。 万物を犠牲にして開いた道に、神様がひとり子のイエス様を息子として送られ、真の父母となることができるかたを送ってくださったのです。そのかたを結婚さえ、させてあげていたならば、天下を一時に、一つのところに抱くことができたにもかかわらず、イスラエルの国とユダヤ教が……。 国がカインだとすれば、ユダヤ教はアベルです。二つが一つになってメシヤをお迎えして侍り、絶対信仰、絶対愛、絶対服従していたならば、ローマ帝国が問題ではありません。 それを中心として立て、三〇パーセント、二〇パーセントだけでも一つになれば、それを岩に結びつけるようにして一体化させるのです。そのようにすれば、ローマがぶつかってきても、ローマの頭が割れ、足が折れ、四肢が裂かれていくようになっているのです。それがふらふらとするので、問題なのです。 それを接ぎ木し、固定された力を中心として、神様の愛の血統を万国に連結することができる、キリスト教と立体的祝福圏をつくっていたならば、天下統一は問題ではないというのです。 そのことができずに死んだので、二千年の受難の道を行くのです。牛の子や動物の子が死んでも、恨はありません。それは間違いなく、そのようになるべきものです。これは、自分よりも高い存在の前に生命をささげなければならないのです。 ところが、天地を創造された主人の中の主人、王の中の王、師の中の師、父母の中の父母であられる神様が、僕よりも、もっとかわいそうな立場に立つようになったのです。そのようなことが、ありえますか? しかし、怨讐の子女を自分の子女よりも、もっと愛するところからは、サタンがぶるぶると震えながら離れていくのです。そのような道を行かれる神様は、喜んでそのようにされたのか、ということです。 今日、このような統一教会の群れを通して、真の父母に侍り、国境を越え、怨讐世界のすべての国境を撤廃し、一つの血肉として連結された血統に通じる一族を成しているのです。そのような天の眷属(親族)を取り戻すということが、神様のみ旨ではないのかというのです。 ですから、皆さんの過去の負債とは、この宇宙にある万物の半分を祭物としたということです。そして、ひとり子をこの地上に送って犠牲にされたのは、あなたたちを救うためであったということです。 真の父母を迎えて、国の統一、氏族、民族、すべてを統一していたはずであるにもかかわらず、キリスト教が反対することによって、先生の家庭が完全に分かれてしまったのです。南北が分かれ、一族が分かれ、父母と妻子がすべて分かれてしまったのです。 それゆえに、統一教会の歴史の中に「離婚」という言葉が生じたのです。離婚が生じたというのです。鉄則のような天理を知っている先生は、死んでもそのようにすまいとしたのですが……。(そのままでは)世界をすべて滅ぼしてしまうので、しかたなくこのようにしているというのです。 それゆえに、「主人であられる神様が、解放された天地父母と子女が心身一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠の理想的四位基台完成をモデル型家庭からモデル型国家、モデル型世界、モデル型天宙の基盤の上に成すことができる時なのです。 ですから、神様に侍って、そのかたの恨を解き、解怨成就して、主導的な本然の天地創造の主人となられ、王の中の王となられ、父母の中の父母となられ、長子の権限をもって千年万年、次子を治められる、太平盛大で永遠不変、公明正大の世界に転換されますように」という、このことを成すために、今から一月十三日まで、神様をお迎えして侍り、王の位置に推戴するのです。 言葉では簡単でしょう。文某の名によってするからと言って、できると思いますか? 言葉だけでできると思いますか? 霊界に行った先生の四人の息子、娘がいるのです。彼らは皆、途中で死に、自分の寿命を全うすることができませんでした。統一教会と統一教会に反対する歴史的なすべての罪を背負って蕩減の道を行った、かわいそうな人たちです。全員、客死です。 世の中は嘲弄して、「文総裁の息子、娘は、皆まともな死に方ではなく、ぽっくり死んで、その息子を祝福して、天上世界の長子権だ何だと、ぺてんにかける詐欺師の中の詐欺師だ。」と、悪口を言うのを聞きました。それは、だれのゆえですか? 日本が責任を果たすことができず、韓国が責任を果たすことができず、アメリカが責任を果たすことができなかったというのです。 世界が責任を果たすことができなかったので、先生はすべてを捨てて出ていったのですが、(本来は)門を閉じて番人となり、蘇生的旧約時代、長成的新約時代、完成的成約時代、家庭が金城鉄壁のように……。 人類の第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルまで、すべての民とすべての国を一つにして、侵犯されないように金城鉄壁を成さなければならないのに、門をすべて開いてしまいました。主人が山うさぎを捕まえに行っていて留守なので、その間に虎が、家のうさぎを食べていったのです。そのようになったというのです。 怨讐を愛さなければ帰る道がないという、神様の流れ者のような立場を、だれが理解してくれましたか? 聖書にあるでしょう? 「『わたしの父に祝福された人たちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに着せ、病気のときに見舞い、獄にいたときに尋ねてくれたからである』」(マタイによる福音書二十五章34~36節) イエス様が十字架に付けられたのは、神の国とその義のためです。神様の故郷と神様の祖国のためです。先生が苦労したのは、先生の故郷と神様の故郷と神様の祖国と先生の祖国のためです。 皆さんの代わりにしたのです。あなたたちは、故郷がなく、祖国を失ってしまった群れです。故郷の地を刀でめった切りにした寄生の群れと同じです。こちらに行って吸い上げ、あちらに行って吸い上げて寄生する虫が、寄生虫です。 皆さんは、鉄や石のように堅い約束をして、祝福結婚をしたのに、再び堕落するのですか? ダイナマイトを設置して爆破してしまったとしても、すっきりしません。三時代の動物と植物と息子、娘、父母まで祭物にした基盤で、再び犯罪を犯し、罪を犯すのですか? 自分を中心として、「好きだ」、「嫌いだ」と言うことができますか? 神様は、怨讐の子女を自分の息子、娘よりも、自分の父母よりも、自分の妻子よりも、もっと愛さなければ、復帰することができないのです。帰る道がないというのです。 そのような神様の前に、チャンピオンになり、旗手として旗を掲げた先生に対して、真の父母に対して、世界はありったけの力を注いだのです。日本もありとあらゆることをすべてしました。しかたがないので、今、お尻を隠して……。「どれ、だれが勝つか見てみよう。」と、力で来れば、私は力で対します。外交で来れば、外交で対します。 私は、押さえ込んでも余りある力を持っている人です。無力な人ではありません。アメリカが恐れ、ソ連が恐れ、中共が「恐ろしい。」と思っているのです。恐ろしいと思われているからといって、力で押したことはありません。愛でしたのです。 血と汗を流した自分の息子、娘の血肉を抜いて祭物とし、それを売った血の代価を彼らのためにまき、教育して大会をしながら、天に接ぎ木しようとする師の心を、だれが知っていましたか? 皆さんも同様です。神様の存在圏を超えて、怨讐の子女を自分の息子、娘、自分の父母よりももっと愛さなければ復帰できないという天理を知り、天地の門を開かれた天地父母を知ったので、その父母と一心一体となって……。一つになってです。ぴたっと同じ……。 神様が、すべてを失われてしまって……。このように立っているのですが、自分の前には一人もいません。怨讐に抱かれたすべてのものを取り戻そうとされるので、後ろを向いて、王圏を持った立場で自分の息子、娘よりも、父母よりも、主人の中の主人としてだれよりも努力したその位置において、その怨讐が……。天使長が堕落しましたが、天使長は、本然の神様を知っています。主従関係を知っています。「あなたが愛の道を否定すれば、否定した愛よりも、わたしがもっと愛する。」と言うのです。 サタンは、「愛の血統を通して支配することができるのですが、あなたの一族は、愛の血統を失ってしまい、怨讐以上に愛する神様の血統を否定するのですか?」と言います。それは、否定できないのです。神様は、持っているものが一つもありません。ただひとえに、血が煮えくり返るように、子女である愛するアダムの家庭を、どれほど呼ばれたか、考えてみてください。 「アダムよ」。昼も夜も、季節が変わり、日が変わり、移りゆく日々の中でも(アダムのことを)考えない日がない、そのようなアダムを失ってしまったのです。どれほどアダムを呼ばれたことでしょうか? アダム一人を再創造するために、今まで数千万年間かけてきたのです。先生が現れなかったら、大変なことになるのです。 アダムを取り戻し、イエス様が失敗したことまでも取り戻すために、世界的版図において生きる道を築いていく中で、アダムは何をしなければならないのですか? エバを失ってしまいました。女性が怨讐です。これは怨讐たちです。あらゆる群れが、わたしを誘惑してしまおうと、ありとあらゆることをすべてしたのです。女性たちが、です。 お金で誘い、権力で誘ったというのです。権力者の妻たちに、通行禁止時間に追われながら、あらゆる脅迫、恐喝を受けた男です。お金が必要ならばお金を、何が必要ならば何を、言うとおりにするはずなのに……。通行禁止五分前のサイレンが鳴る直前に、「死にそうなので出てきてください。どこどこにいるので出てきてください。」と、言うのですから、出ていかないわけにいくでしょうか? 無念で悔しく、ふんまんやる方ない事実が、どれほど多いか分かりません。(しかし)それがだれかというと、妹の立場にいるのです。妹の立場なのです。主管圏を転覆されたのは、アダムの責任です。「それを避けようとするなら、統一教会の教主という名前、真の父母という名前をほうり投げてしまいなさい」と言うのです。神様を知っているがゆえに、ほうり投げることができません。 それには、お金も、権力も、知識も、何も必要ありません。千万の恨の峠、それもはるかに高く、はるかに深いのです。どのようにして平地をつくるのですか? 怨讐の子女を自分の息子、娘よりも、自分の父母よりももっと愛さなければ、行く道がないのです。このことを知らなければなりません。 そうであるにもかかわらず、自分の貯金通帳にお金を隠しておいて、「先生が、そう言うならそうであり(先生は先生で、自分は自分、というニュアンス)、行かれても、また、昔のように訪ねてくるだろう。」と、言ってはいけません。最後の道です。分かりますか? (「はい。」) 所有している立場では、真の父母の血統を受け継ぐことはできません。お金があり、物があり、土地があり、家がある立場ではいけません。神様は、お金もなく、土地もなく、家もありません。 「アリラン、アリラン、一人きりのアリラン」「一人きりのアリラン」という獨ク島(竹島)の歌も、韓国の人は、よく分かるでしょう。その心情です。 わたしは、どのようにして、一月十三日に神様の前に立つのですか? どれほど、とてつもないことですか? どれほど不足でしょうか? できることならば……。わたしは、それをすることを願いません。逃げていきたいと思います。逃げて解決することができるのならば、すでに逃げています。逃げることはできない、その道を越えていかなければなりません。 いくら恐ろしい岩石に押されても、それを処理してから行くべき道を行かなければなりません。そうでなければ、そこに乗って跳んででも、行く道があれば、飛んで川を越えてでも行かなければなりません。 運命の道ではありません。宿命の道です。父と子を代える道理はなく、売ることもできません。父子関係ではないですか? 神様は、わたしの父です。間違いなく、わたしの父なのです。その父を捨てて、世の中に未練を持ち、サタンの血統によって汚された、ぼろぼろのふろしきを抱えて踊りを踊るのですか、この者たち。それをきれいにして越えていかなければなりません。 「このような罪を犯した、すべてのふろしきを領置して、記載し、何十倍にしてあなたたちに返してあげるので、教会のものとして保管しなさい。」と言っても、そのとおりにしない、この者たち。泥棒のような者たち。それで入籍だと言うのですか? 神様は、今まで入籍できませんでした。 入籍する国と世界を持たなければ、再び神様を訪ねて、お迎えすることはできないので……。その責任は、地にいる父母である真の父母と興進君の二人が持ちました。 世界に広がっている人たちは、たくさんいますが、父母と子女が二代を通して果たすべき「責任的復帰」という言葉が残っているので、霊界と肉界の父子関係をまとめ、人類罪悪史のアダム時代、イエス時代、再臨時代、三時代を越えて、怨讐の子女を三倍以上、十倍以上に愛することができる心がなければ、サタンを屈伏させる道がありません。 サタンはそれを知っているので……。神様は、一九九九年三月二十一日に勧告されたのです。「文総裁の性格と文総裁がしてきたことを見れば、後でおまえの首を切り、影も形も見たくないので、絞首台で声も出せずに火で燃やしたいという思いがある。時が来る前に勧告する。」と言われたので、(サタンは)中間で降伏宣言をしたのです。 神様の前に、真の父母の前に降伏をしたので……。サタンが支配していた霊界、楽園や地獄を撤廃してしまわなければなりません。 (二〇〇〇年)十二月三日、先生が原理原則を中心として、地獄撤廃と楽園撤廃という、とてつもなく暴動的な運動を提示したのです。 彼らを中心として、釈迦や四大聖人を兄弟圏に詰め込んだのです。教派はありません。仏教、儒教、イスラム教、キリスト教、すべて解体です。霊界は解体されました。それで、蘇生、長成、完成の完成圏は天の圏なので、三分の一、三〇パーセントを祝福してあげなければなりませんでした。昨年の十二月まで、地獄に行った霊人たちをすべて解放です。 地獄にいる人にも、親族の兄弟たちにも橋を架け、そこに絶対信仰、絶対愛、絶対服従すれば、その基準を中心として連結し、橋をすっと上がっていくことができる道をすべて連結させておいたというのです。地獄にいる人たちも、天国に行くことができる門が開かれました。 先祖を先祖と思い、子孫を子孫と思い、天を理解して、その道を行けば、いくらでも上がっていくことができるので、努力すれば……。もし、言うことを聞かなければ、行って教えてあげ、逆さまに引っ張って、強制的にでも上がっていくことができるというのです。 旧約時代の霊形体二千年、生命体二千年を通して待ちわびてきた、その環境をいっぺんに結んでおきました。分かりますか? 旧約時代撤廃、新約時代撤廃です。一九九七年から二〇〇四年四月までの七年路程です。アダム時代にアダム一代で完成することができなかったことを二千年間延長しました。そして、イエス様の国家的時代においてアダムの失敗を(再び)成就しようとして失敗し、再び二千年間延長しました。世界的基準のこの時代において、六千年目にして、このすべてを一度に連結させたのです。 成約時代、祝福時代の完成を予告することができる時代が来たので、その全権的な内容を中心として、霊界と肉界を教育して、分派をつくっていた国境線を撤廃し、宗教という宗教をすべて、中心的主流思想に連結させることができるように、祝福してあげました。 祈祷してみてください。孔子の相対は、どこにいますか? イエス様の相対は、どこにいますか? 釈迦の相対は、どこにいますか? マホメットの相対は、どこにいますか? 他の所にいるのではありません。すべて統一教会にいるというのです。 何千年前に死んでいった人たちは、結婚を知りません。天使長世界は、相対圏が許されていません。これを先生の時代になって……。宗教は、独身生活を強調し、すべてを放棄しなければならないのです。国を否定し、自分の愛まで否定しなければ、天に帰る道がありません。 しかし、ペアシステムによって、天国に入っていくようになっているのです。ゆえに、文総裁が現れて、真の父母の伝統を立てたので、家庭救援と国家救援、世界救援を一時にすることができるのです。 この国の大統領が、私の言うことさえ聞けば、公表して一週間以内に四千万が、一度に天国の民として入籍することができるのです。六十億人類が、一週間以内に復帰される時が来ました。なぜですか? 家庭さえ祝福してあげれば、編成は問題ではないというのです。分かりますか? (「はい。」) あなたたち祝福を受けた家庭は、今から何かというと、祈祷の題目が変わると言ったでしょう? どのように祈祷するのですか? 「祝福の中心家庭◯◯の名前」で祈るのですが、それは祈祷ではありません。報告です。 祈祷時代は、罪があり、その赦しが必要なので祈祷するのであって、今は、赦しが必要ありません。すべて先生が代わりに成して、ただで天国を所有することができる権利書を上げました。 南北統一をしなければなりません。しなくてはならないのです。アメリカが、それを協助しなければならないようになっています。協助しなければ、どうなるか見ていましょう。 国連が協助しなければなりません。協助しなければ、どうなるか見ていましょう。国連を攻撃してしまうのです。「この者たち。十六か国を送って、『南北統一をしなさい。』と言ったのに、そのようにしないのか。今までわたしが引っ張ってきたのに、言うことを聞かないのか、この者たち」と言えば、びくともできずに、わたしに引っ張られてくるようになっています。 NGO(非政府組織)総会を通して、教育すべきことは、すべてしました。昨日(昨年)の十二月までに、百九十一か国での教育を終え、最高の指導層で名のある人たち三百六十人の教育を、すべて終えたのです。 いくら自分たちが話が上手で、あらゆる乱雑な者たちに会って大騒ぎしながら自己主張しても、先生が教えるように、青少年問題と家庭破綻を解決することはできません。マフィアも、ヤクザも、すべてそれを証言するようになっているのです。これは、文総裁が持っている特権です。特権であると同時に、特許権です。真の父母の特許権です。 それを知ろうとすれば、天を知らなければなりません。神様を知らなければならず、天の国を知らなければならず、血統が貴いということを知らなければなりません。血統が貴いということを知らなければならないのです。この者たち。この三角地帯を、自分勝手に使うことはできません。 この韓国の男性、女性たち 「日本人に負けるな。」と言うのです。ええ? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」)努力しなければなりません。韓国が政治問題を解決すれば、ここに世界的に投入された人たちを、すべて日本に投入して兄姉の役割を果たすのです。何十倍犠牲になったとしても、堂々と進んでいくことができる姉にならなければなりません。 ヤコブの妻には、レアとラケルがいます。ラケルが受け継ぐべき家系を、すべて奪ったのはレアです。姉です。日本人を働かせようとする人は、レアと同じです。そのような人は、姉になることはできない、ということを知らなければなりません。僕になるのです。分かりますか? (「はい。」) レアが、祝福を祈ってあげるという、姉としての責任を果たさなければならないのです。負債を負って生きることを願う者たちは……。今から、韓国は韓国が責任を持たなければなりません。 先生は、離れていくのです。責任を果たせなければ、離れていきます。南北に世界の人員を動員し、会議をすべて行い、どこにも一つの山峡もなく、山脈もなく、谷間もありません。海もありません。平地をつくっておいたのです。ここに世界を指導することができる、万全の準備を急ぐこの時に、自分の家で大小便をするようなことをし、山猫や狂った犬のようなことをしている人たちは、役に立ちません。 それゆえに、荷物をまとめて、アメリカでもどこにでも行き、自分が自主的な権限を持って、神様と真の父母を解放し、万物を解放し、真の愛の主体的な主体性は絶対愛であり、絶対、唯一、不変、永遠な家庭の主人にならなければなりません。神様が訪ねてこられる「わたしの家庭」、真の父母が訪ねてくることができる「わたしの家庭」、そのような家庭にならなければなりません。 そのようになるためには、神様以上に、真の父母以上に……。すべて失ってしまいました。今まで、一度も所有したことがありません。それを理解して、どのように処理すべきなのか、はっきりと分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました。」)郭錠煥氏から責任者たち、分かりましたか、分かりませんか? (「はい、分かりました。」)日本のメンバー、分かったでしょう? ヨーロッパのメンバー、先生の言うことが分かったでしょう? さあ、分かったならば、実践躬行しなければならないでしょうか? 躬行とは何ですか? 不可避的に行うということです。躬行の反対は何ですか? 「蛮行するな。」と言うのです。こちらで反対し、あちらで反対し……。 きょうの標題、主体性です。分かりますか? (「はい。」)真の愛の主体性、真の神様の真の愛の主体性、真の父母の主体性……。 今まで、この所有観念がありませんでした。どのようにして、きちんと祭物にして峠を越えていくのか、ということです。どのようにして精誠を加えて峠を越えていくのか、ということです。 持っているものがあれば、最高のものを積んで火をつけ、それを神様が総生畜献納物として受け入れてくださるのか、ということが問題です。総生畜献納物として割かずに、それを自分の父母から子女、万物……。 旧約時代は万物であり、新約時代は子女であり、成約時代は父母です。三時代が祝福家庭にかかっているのですが、そこには何もありません。あなたたちの所有は、神様の所有であり、真の父母の所有です。それは、愛の所有です。それさえ持っていれば、どこに行っても、食べて生きていくことは心配ないというのが、エデンの事情であったということを知らなければなりません。 国がなく、孤独単身で闘う真のご父母様の影をなくしてあげなければならないのに、もっと影をつくるのですか? 白ペク頭ウ山のような怨讐の影を抱いて、先生が行くべき太陽の光に照らされた道を影の道にしてしまう、そのような悪党の群れになってはなりません。そのような者は、わたしの手で処理します。 わたしは、とても厳しい人です。このような話はしないようにしようと思うのですが、しなければ、霊界に行ってから、わたしを恨むのではないかと思って、はっきりと教えてあげるので、極端な言葉で結論を下して勧告するのです。分かりますか? (「はい。」)全員、分かりましたか? (「はい。」)分かったら、両手を高く……。立ってください。立ってください。拍手で歓迎してください。(拍手) さあ、真の愛の主体性です。分かるでしょう? (「はい。」)絶対なる真の愛、唯一なる真の愛、不変なる真の愛、永遠なる真の愛を成し、四位基台圏を成して、それぞれの家庭が解放され、歴代の先祖の血統を清めて垂直に伝授することができる民族、そのような国となってこそ、神様の祖国光復と真の父母の祖国光復が成就され、解放圏が成し遂げられるのです。アーメン。(「アーメン。」) さあ、そのようにすることを誓ったので、それを信じて、きょうの集会を終わります。分かりますか? (「はい。」)(拍手)(「万歳。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.29
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第三十四回「真の神の日」午前零時の御言成約九年 2001年1月1日午前零時天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿 大聖殿 真のご父母様は、新世紀と新千年紀を韓国、清平の地で迎えられました。午前零時を期して、真のお父様が祈られた祈祷文と、引き続き、年頭標語の揮毫に先立って語られたみ言です。 祈祷 愛する天のお父様。 たった今、キリスト教歴史二千年を終え、三〇〇〇年に向かって出発する二〇〇一年の新しい年を迎えました。 お父様。天と地が注視するこの場、天宙のすべてが、神様の愛の因縁に従い、勝利的地上、天上天国建国という、あなたが願われたみ旨の役事が二〇〇〇年を通過するこの時でございます。 今まで第一イスラエル、第二、第三イスラエル圏を越える蕩減と怨恨の時代を経ながら、解怨成就の道を開き、また、この地上に真の父母を立てるための道を開かんがために、第一イスラエル圏にメシヤを送ることを約束されましたが、来られたメシヤを真の父母として侍ることができないことによって、十字架で亡くなられたのでございます。 その日からキリスト教は、失ってしまったイスラエル圏を世界舞台において編成し、国家の中心と世界の中心を連結することができる第二イスラエルの建国を、キリスト教国家であるアメリカを中心として成し遂げ、第二次大戦後のキリスト教文化圏の勝利によって、来られる真の父母に侍るという約束を成就させるために、分かれていた地上と天上、分かれていた東洋と西洋、分かれていたすべての民族と国家、家庭、個人、そのような分別の役事によって残してきた、すべてのものを統一する役事を成して、解放のみ旨を成し遂げようとされました。 ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一体となって、イエス様の三十三年生涯の目的であった、氏族的メシヤとしての使命的責任を果たすべきでしたが、それができないことによって、無念で恨めしい十字架の道が、この地上に広がりました。 そのことによって、ローマにおける勝利の基盤を通して、天が跳躍ではなく飛躍することができる、解放された天国理想の出発となる家庭基盤を備えることができず、恨みの十字架の道を行ったという歴史的な事実を、私たちは知っております。 その日から二千年間、数多くの血の歴史を綴ってこられた、天の悲しい心情を解怨成就するすべをだれも知らないこの地に対して、耐えて、また耐えて、千年が過ぎ、二千年の最後まで耐えてこられました。そのようなお父様の無念なる心情と、この地上の子女たちが父母を十字架に架けたという悲しい歴史と曲折を抱いておられる神様の心情を知る者はおりませんでした。 そのような死亡が波打つ濁流の世界に、新しい泉を備えるためのお父様のみ旨があった、という事実をだれも知らない中で、雲に乗って来られる主を待ち望むこの地上に、人を通して失ってしまったものを再び蕩減復帰しなければならない歴史的な事情と恨の心情を抱かれた神様がいらっしゃったということ、そして、そのようなみ旨があったということを理解できないキリスト教と、すべての宗教と歴史は、統一の基準を忘却した立場において、お互いを紛争と死の道に追い込もうとする闘争の歴史を経てきたのでございます。 そのようなカイン、アベルの歴史が第二次大戦以降を中心として、肉的世界と霊界が分かれ、イエス様が霊界に行って霊的に父母の責任を果たされ、その父母を中心として地上に統一された世界を備えることによって、霊的世界の完成を標準とした地上世界の完成基準を代身することができる実体的勝利の基盤において、真の父母の権限を準備した第一次大戦以降の旧教と新教が一つとなり、イエス様と聖霊を中心として、それを相続させることができる霊的基準を一つにした基準の下で、地上世界に真の父母を立ててこれを相続しなければなりませんでした。 そうしていたならば、第二次大戦以降、七年以内に勝利の基盤を築き、今日、私たちが願う神様の解放はもちろんのこと、神様が、この地上の中心存在として復権され、人間が完成できなかったという恨の峠を踏み越え、真の父母の解放的権限をもって個人、家庭、氏族、民族、天宙史的解放基盤の上で、神様までも解放することができる特権的な恵沢を中心として、偽りの父母によって失ってしまった神様のすべての主権と愛の権限基盤を真の父母によって復権できたのです。 今から五十年前に、それを成すことができる時を失ってしまい、家庭を中心とした恨の四十年路程において、荒野で苦難を受ける生活を通して四十年を迎えるこの時において、二千年を締めくくるこの年を中心とした真の父母の八十歳を中心として、モーセがイスラエル建国のために出発したことと同じように、天宙の解放的地上、天上理想を中心とした神様の祖国光復のために、二千年のこの年に家庭的解放と氏族、民族、国家、世界、天宙的解放を成し、霊界の楽園と地獄を撤廃し、天上世界のすべての壁を崩し、個人的自由圏から家庭的自由、氏族、民族、国家、世界の八段階の自由圏を中心として、地獄と天上をふさいだすべての壁を崩して解放の高速道路を築き、地獄にいる霊から天上世界の楽園以下にとどまっている霊を解放し、彼らが悲しい恨の中で待ち望んできた父母の祝福の日を成すことができる条件を立てて蕩減してまいりました。 そうして、地上世界の祝福拡大とともに天上世界の解放的祝福を成し、二つの世界が一つの心情を中心として神様の血縁的愛の因縁を持ち、神様の絶対愛、絶対生命、絶対血統を中心とした勝利の覇権の上でサタンを屈伏させて、自由解放世界へと越えていくことのできる一九九九年三月二十一日を期して、サタンが屈伏したその日から霊界の整備を急ぎ、二〇〇〇年の最後の日まで急いで、急いで、忙しい日々を経て、きょう、新年の新しい日、二〇〇一年、三〇〇〇年に向かって出発する新しい千年の解放的世界を迎えました。 旧約時代の恨、新約時代の恨、成約時代の恨を解怨成就して、解放的第四次アダム心情圏を発表するときまで、天がどれほど悲しまれたのかという事実を知る者がいない中で、お父様の命令に従って、忙しく足を速めながら歩んできたこの息子が、真の父母の名をもって孝誠と忠誠と聖人、聖子の道理を果たすべき責任遂行が不完全な自らであることをご存じであるにもかかわらず、このように天の前に不足な者がひざまずき、周辺を導いてくださって、きょうのこの栄光に満ちた三〇〇〇年に向かう新しい出発を迎えることができました。 この新しい出発を成約時代の開門とともに勝利の栄光を中心として、神様の解放はもちろんのこと、真の父母の解放圏を成して、天地父母と子女が一心一体となって、すべての世界に神様が願われる主体的み旨の完成、絶対、唯一、不変、永遠であられるみ旨の完成を成すべき使命的責任に対して、完成の条件だけでも立てて越え、この峠を行き来することのできる解放圏を、この地上はもちろん、天上にまで連結することができる道を開拓されたお父様のご苦労の前に、心から、心から感謝いたします。 お父様、ここに集まったあなたの子女たち、主に祝福を受けた家庭が集まりましたので、祝福がどれほど恐ろしいものであるかということを知らなければなりません。 神様が創造理想として願われた真の父母の家庭を立てるという本然のみ旨を失ってしまい、何千万年という恨の歴史を抱かれ、事情を通告することができない孤独単身の恨に満ちた神様であられたということをだれも分かりませんでしたが、幼い身でそのみ旨を知ってからは、他人が理解してくれようと、理解してくれまいと、一方通行で越えてまいりました。 そうしてまた、越えてきてみると、今日の世界の頂上を越えて、地上はもちろんのこと、天上と連結させ、すべての国家を超越して地上解放を支えることができ、天上世界の民族と国家、宗教、宗派を超えて、統一的基準の解放という恵沢の祝福を許諾することができる家庭の日を、地上一辺倒と天上一辺倒の権限を中心として、だれも反対することができない勝利の覇権を打ち立てるようになりました。その位置において、これを備え、きょうのこの日と三〇〇〇年に向かって出発する年を新しく迎えたことを心から感謝いたします。 「きょうから十二日が過ぎれば、神様の所願目的完成の解放を成すことができる日が来る」と、すでに宣布し、そのために精誠を尽くす、統一家の祝福を受けたすべての家庭と、天上世界の祝福を受けた家庭が一心一体となって、最後の障壁を崩し、倒すことによって、地上地獄のすべての壁が崩れ、解放圏勝利の自主権世界が、どこであっても妨げられることなく成就されるようになりますので、そのように願う心を受け入れてくださり、三〇〇〇年に向かう、最初の出発のこの年が、千年を中心とした新しい出発の記念の日々となるように許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。 二〇〇〇年の最後の日は、十二月三十一日であると同時に聖日であり、その日までにすべてのことを終え、きょう、月曜日からの一週間を、新千年を出発することができる一週間として、天が明確に限界的区別をしてくださり、ここに解放的な千年の冒頭に勝利の栄光と勝利の尊厳性と天の権威を立てることができる祝福の時代を迎えるようにしてくださったお父様の恩賜の前に、本当に、本当に、本当に感謝申し上げます。 お父様。今、千年間に収拾すべき不完全なことが多く残っており、このことを、今から天が責任を持たなければならない時代に入ってきたと思いますので、あなたの愛する真の父母、この息子が、使命的責任を完遂できないことによって残されたすべてのことに対して、再び天の権限に頼っていかなければならない恥ずかしいご自身の息子の姿を受け入れてくださることを……。 しかし、一つの所に向かっていく心は、過去も、現在も、未来までも変わらず、その道を厳粛に受け入れていくことを願う忠孝の道理に変わりがないことを、宣言とともに宣誓を奉献いたしますので、み意のとおりに導いてくださり、勝利の覇権的権限をこの地上に立て、お父様の祖国光復に向かって、地上、天上天国に向かって、称賛することができる勝利の日に向かって、十年という期間を定めて、あらゆる精誠を尽くし、世界のすべての国家を超越して集まった祝福家庭が、一つになって決意いたしますので、受け入れてくださいますことを心からお願い申し上げます。 残された、この千年期間、お父様の栄光のみ旨が現れ、地上地獄となっていたすべてのものが、深い所から広く、高い所まで、天上世界にまでも一心統一圏を備え、その栄光の頂上の位置に立ってお父様が君臨され、万国、万宇宙を統治することができる自由解放圏、地上、天上天国に前進、前進、前進することを真の父母の名によって誓い、願われるみ意のままに成就してくださいますように。 そのことを、真の父母は、すべての家庭とすべてのみ旨の中心の位置において、これを懇切に報告し、願いますので、み旨成就を成すことを真の父母のみ名によって報告、宣布いたします。アーメン。アーメン。アーメン。 み言 標語は、何だと思いますか? 「家庭盟誓」の最後の八番に、最も重要な単語があるのですが、それは、どのような言葉ですか? (「『解放』です。」)「解放」という言葉です。神人一体となり、地上天国と天上天国の解放圏を完成するのです。分かりますか? その解放ということです。解放された天地の父母と子女が一心一体となり、真の愛の主体性……。 「真の愛の主体性」とだけ言えばよいのですが、その主体性に何が続いていくのかというと、「絶対、唯一、不変、永遠のみ旨が完成されますように」です。これは、長い標語です。 この標語は、今からの一千年間にもぴたっと合うのですが、特に子女と父母が、共にこれを成して、今から地上天国を成し遂げなければなりません。神様だけではありません。先生だけではありません。皆さんたち。解放された天地父母と子女が……。解放された子女が一心一体となり、一つの心になるのです。 そして、真の愛の主体性……。主流思想です。主体性といえば、骨子です。骨子とは何でしょうか? 神様の属性の骨子とは何かというと、絶対愛を求め、唯一的愛、不変的愛、永遠の愛のみ旨を成し遂げようとされた、そのみ旨を成し遂げなければならないということです。分かりますか? それで、創造理想として願われた、一つの信条であると同時に主流思想であったということを、この一千年間にきれいに解決するのです。もちろん、すべて解決されるだろうと思っています。そのような決心の下で、昨日とは違い……。 昨日までの二千年間は、第二イスラエル圏を中心として、世界的な蕩減路程を歩んできた時なので、今からは、そのような時代が過ぎて、黎明が訪れ、新しい朝の成約時代を迎えて、祝福の理想が天宙化される時代となったのです。 ですから、この標語は、一時だけではなく、永遠な……。皆さんが、あの世界に行くまで残る課題であるということを理解し、家庭がどれほど貴いのかということを理解し、一心同体となって、天地父母様のみ旨を完成してさしあげなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 完成してさしあげるにおいて、世界の主権を取り戻すのは、簡単なのです。すべての主権下にいるすべての家庭は、天地父母、神様の伝統の思想、家庭を取り戻し、氏族、民族、国家、八段階の真の愛の理念による国家観を形成しなければなりません。 また、真の父母の理念となる、この国家観を形成しなければならないということが、祝福を受けたそれぞれの家庭における責任なので、きょうからは祈祷の内容が変わります。分かりますか? 今までは、真の父母の勝利圏を何ですか? (「祝福で受け継いだ……。」) 祝福がなければ、真の父母の勝利圏に同参することはできません。なぜですか? 真の父母と血縁的関係を結び、断ち切られた血統を新しく連結させたので、真の父母の息子、娘としての因縁を結んだのです。 皆さんは、堕落した血筋を断ち切って、神様の血筋を受け継いだのですが、その血筋が引き継がれていくためには、どうすればいいのでしょうか? 神様の真の愛、永遠不変な神様の真の愛と神様の生命体、この二性性相に治められるすべてのものが、堕落していないアダムとエバの実体圏において、生命を結合させることのできる祝福を受けたならば、神様の愛と神様の生命を連結させ、神様の血筋が第一代の祖であるアダムとエバの家庭から結ばれ、これが種となって拡大されるのです。しかし、三代を通して結実する血統の種が植えらなかったのが堕落です。 皆さんも、そうです。先生が一代ならば、皆さんが二代であり、皆さんの息子、娘を正しく育てることができなければ、堕落した後裔の伝統を抜け出すことはできないということを知らなければなりません。 皆さん。統一教会の群れをじっと見てみると、世の中の汚れた習慣性がつきまとっています。先生が学校を建てるために、どれほど苦労したか分からないのですから、学校へ行くのならば、鮮文大学やUTS(統一神学校)に行かなければなりません。 そのようにしなければならないのにもかかわらず、生活的な方便や、経済であるとか何であるとかと言って、外的な世界……。サタンが楽しむ舞踏の場となり、サタンの基盤となったのが、大学なのです。それが名のある大学だというのです。 そのような所に入ろうと目を真っ赤にして、天国理想に連結することができる信仰という心の基盤を捨てて、外的な物ばかりを求めていく群れが、たくさんいます。きょうから、そのような観念を一新しなければなりません。分かりますか? (「はい。」)分かりましたね? (「はい。」) とりわけ韓国人。苦労して暮らしてきたといって、そのような習慣性が濃いということを知らなければなりません。韓国の伝統的な乞食は、凍え死んでも隣の火はつつかないという言葉があります。飢え死にしても、乞食のように天の国の威信を損失させるような「破倫息子」や家庭になってはならないということを知らなければならない、というのです。分かりますか? (「はい。」)分かりますか? (「はい。」) そのようなことを思えば、「裸になって、冬の三か月を過ごそう」と、新しく覚悟をしなければなりません。 祝福が……。皆さん、考えてみてください。祝福です。祝福を受けるためには、再臨主一人……。失ってしまったアダムを創造するのに六千年かかりました。先生が来なければ、考えられないことです。真の父母が来なければ、アダムのみ旨、神様のみ旨、祝福完成の道を越える道理がありません。これが、どれほど複雑でしょうか。 千辛万苦の果てに、この峠を何の功労もなく越えさせてあげたにもかかわらず、のらりくらりと遊びまわり、賭博場から出てきて王宮で祝宴をするというので、王の前に供えられた祝宴の食膳が、どれほど貴いのかということも分からずに、箸を持って、むやみやたらに食べれば、毒薬を食べるよりも、もっと恐ろしい審判の舞台に流れていくということを知らなければなりません。 自分勝手に生きてきた野良犬のような者たちが、この環境を汚しているという事実を知らず、自分たちが生きてきた姿が、統一教会の主流的思想を代身した家庭の代表ではないということを知らなければなりません。今までは、そのように暮らしながら祈祷しても、少しは面目が立ったでしょう。しかし、これからは違います。 真の父母の勝利圏を何ですか? 何によって受け継いだのですか? (「祝福です。」)何によってですか? 皆さんの功労ではありません。十年間、四十年間断食祈祷しても、受け継ぐことはできません。祝福によって、血統転換することができる特恵権を与えてあげたのですが、その価値をどれほど理解しましたか? 神様の何百分の一、先生の何百分の一でも知っているのかというのです。言葉では簡単でしょう? 神様の王権を失い、神様の職位と神様の権限をすべて失ってしまったので、民もなく、国もなく、国土もない、主権もない世界において、神様に主権を取り戻してさしあげるためには、その主権を成す時まで間隔を置かなければなりません。 アダムとエバは家庭的な時代であって、国家的時代や世界的時代ではありません。家庭的時代を超えて世界的時代において、天国の完成を成したという条件基盤を満たした位置で、その築いた勝利の覇権基盤を中心として、それを皆さんに渡してあげたのです。それは、「入籍祝福」でしたか? 先生自身も、そこに立つことに恥ずかしさを感じているのです。今、わたしが祈祷しました。分かりますか? (「はい。」) これから自分自身が、どれほど足らないかということは、み言を通して分かるでしょう。これまで約二年間、「訓読会」をしてきたので、分かるはずです。自分たちが、どれほど足らない者であるかということを……。 先生が、これを積み重ねてくるために、どれほど苦労したのかということを知りません。息子、娘たちも、何も知らないのです。自分勝手に生きる者たちを懲らしめなければならない時が来ました。 皆さんたちのために、ここにいる子女や一族の面倒は、見ませんでした。面倒を見ましたか、見ませんか? (「見ませんでした。」)はっきりと言ってください。面倒を見ましたか、見ませんか? (「見ませんでした。」)だれのためですか? カインの息子、娘を救ってあげるためです。 神様がそうです。世の中を救うために、独り子とキリスト教を犠牲にしたことと同じです。先生の家庭を犠牲にすることは当然のことだと考え、皆さんのために、すべてのものを投入しました。すべてのものを投入したのです。 投入した結果が何ですか? すべて流れていきました。入籍できる人は、一人もいません。全員、失敗しました。 これを、先生が地上で再び責任を持ち、霊界まで引っかかっているので、霊界の興進君にそれを任せているのです。先に霊界が、このことを受け持たなければならないので、先生が地上で成すべきことを霊界の興進君に任せ、すべての罪を霊界で赦してあげ、祝福の恩賜を……。荷物を背負ったので、先頭に立って苦労しているという事実を知らなければなりません。 父母が、カイン世界を救うために犠牲になったのと同じように、興進君と霊界に行っている四人の子女たちは、皆、自分の持って生まれた寿命を全うできずに、中途で急死した人たちです。皆、事故死です。 事故が起きたのですが、だれが運転していたのかというと、自分たちではなく、皆さんが間違った環境をつくり、皆さんが間違った運転をし、皆さんによって、そのような事故が起きたということを知らなければなりません。 それゆえに、そのようにして行った人たちは、皆さんたちよりも公的なみ旨を知らずに行ったとしても、解放される恵沢圏内にいるのです。(なぜならば、)真のご父母様が、彼らのために行くべき道を備えてあげるべき責任が残っているからです。分かりますか? (「はい。」) そのような興進君の前に、あなたたちが入籍するためにすべての不足なこと、蕩減復帰の恨を抱いていく神様と真のご父母様に重荷を負わせたという恥ずかしい事実を知らなければなりません。これが分からないときには……。先生に無念な思いをさせるなというのです。 今から、死んでいく人は、審判台に出ていくときにサインをしなければなりません。国家の重犯罪人を死刑場に立たせるときに、大統領がサインをするのと同じように、今からは、赦す法がありません。 それで、息子、娘もすべて分けておいたのです。父の家だといって、思いどおりに来ることはできません。息子のふるまいをするのですか? もう私は会いません。 ですから、より一層、妻がしっかりしなければなりません。このような厳粛な課題が、まだ残っているというのです。解消すべきことがたくさんあります。 皆さんを解放しておいて、裏部屋でろうそくをともしながら、隠れて祈祷しなければならない道が残っており、闘わなければならない歴史的な悲運の道を、再び開拓すべき責任を負っているということを忘れてはなりません。分かりますね、この頭たち? 何がどうだこうだと言うのですか? この息子、娘たち。み旨が分からなければ、訪ねてくることができません。自分勝手には、来ることはできないというのです。そのような時が来ました。救援摂理時代は過ぎていくのです。 アダムとエバが堕落した後の直結時代に入っていきます。父母の家庭においても、今から直結時代が来るのです。ですから、私の息子、娘を見れば、皆、ここに座っていますが、かわいそうに思うのです。 わたしが、かわいそうに思う心がなければ、あの者たちがどのようになるのか知っています。あの世で、どのように引っかかるのかを知っているというのです。父親なので、そのことまでも責任を持たなければならないという問題があるのです。深刻です。統一教会をよく信じた人以上の位置に立ててはならないようになっています。 きょうから、あなたたちは新しく決心しなさい。父親に対して友達のように対する、そのような行動をしてはなりません。祖父のことを、ただの肉の塊だと思うなというのです。分かりますね? 分かりますね? 孝 進。父親の言うことが分かりますか? ええ? 答えなさい。分かりますね? 分かりますね? この者が。(聖進様のご子女様に対して)あなたは、何をしてきたのですか? この者が。自分の父親について行くのですか? 母親が、よく分かっていなければなりません。食べていけるだけでも、ありがたいと思わなければなりません。統一教会に負債を負って暮らしながら……。 それは、祖父のお金ではありません。統一教会の血肉を搾り取って食べているということを知らなければなりません。わたしが手を放せば、あなたたちは、どこに行くか分かりません。何が「おじいさん」ですか? アダムとエバが過ちを犯したとき、追い出してしまったのです。逆さまに打ち込まれたのです。 あなたがたのおじいさんは、恐ろしい人です。(後列に座られた女のご子女様たちに対して)あなたたちもそうです。この女性たち。正しく生きなければなりません。 お母様、 今からは息子、娘に対して心配してはなりません。涙を流したりしてはいけません。分かりますか? 自分がしたとおりに対する時が来ました。 先生は、恐ろしい人です。ふらふらして、こうしても通じ、ああしても通じ……ということは、通用しません。日本の息子、娘たちもたくさん来ていますね。間違ったことは間違っているというのです。清算すべきことは清算しなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 濁り水が、大海に向かって流れていくときは悠々と流れていきますが、浮かんでいる汚れたものは、沈んでいくのです。分かりますか? 海に入っていけば、一瞬のうちに水平に流れていくのですが、それを一週間もせき止めて、汚れたものを沈殿させるように整理作業をするのです。 そのことと同じように、皆さんが二〇〇〇年を越えて、三〇〇〇年に向かって出発するという課題において、濁り水をそのまま……。悔い改めなければなりません。分かりますか? (「はい。」) 悔い改めるために「訓読会」をするのです。それは、遊び事ではありません。「訓読会」を最も一所懸命にする人は、先生です。皆さんは、先生の何十倍も一所懸命にしなければなりません。それは、先生がすべて成したうえで宣布したみ言です。 今日、自分がしたいと思うとおりにしながら、み言をどれほど冷遇し、先生の行動に対して、どれほど不注意なのかというのです。分かりますか? 教区長であるとか、何かの責任者であるとか、わたしの目には、そのようなことは関係ありません。天国の神様の前に直行することができる人なのか、ということを測定しようと思っているのです。そこから外れれば……。今からは、救援摂理の歴史が過ぎていくというのです。分かりますか? 第四次アダム心情圏時代に入っていくので、今から祈祷するときには、救世主の、真の父母の勝利圏ではありません。皆さんは、すべて相続したのです。 ですから、先生が世界を中心として、深刻な立場で身もだえしたことと同じように、先生を代身して相続されたのが自分の家庭なので、「祝福の中心家庭だれだれの名によって……。」と、このように祈祷しなければなりません。そのようにできなければ、入籍を取り消さなければなりません。 入籍が、驚くべきものであるということを思うとき、恥ずかしくない立場に立ち、一日一日の生活において、み旨の前にプラスした実績を持たなければ、祈祷することができない時代に入ってきたのです。分かりますか? 分かりますね? (「はい。」) 「分かった」という人は、手を挙げてください。全員、分かったというので、分かったということにして、み言を終わります。 悔い改めをしなければなりません。それも、深い悔い改めを。 また、二千年最後の訓示の言葉が何かというと、父母の心情で何の体ですか? (「『僕の体』です。」)そこに、真の父母の心情で僕の体となって、それから、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して、「生畜」の祭物として献納いたします。それが結論です。総生畜献納物です。 そのようにしようとすれば、自分の手の皮がそうであり、自分の肉がそうでなければなりません。 皮が汗を流さなければならず、皮が涙を流さなければならず、皮が血を流さなければならず、肉がそうでなければならず、骨がそうでなければならず、骨髄までも骨髄の汗を、骨髄の涙を、骨髄の血を流して、恨多き六千年歴史の受難の峠を、お独りで苦労された神様を解放しなければならないというのです。 それゆえに、このありったけのすべてのものをささげても、皮をはいでも、肉を取っても、骨を削って骨髄を搾り出してささげたとしても、恨みを持つことはできない罪人になっているということを知らなければなりません。 終わりの日には、自分が重要視していたものが、絞首台で自らの首を絞める帯になるということを知らなければなりません。愛する人が怨讐であり、好きだった人が怨讐です。道をふさぐというのです。 ですから、皆、「統一教会に行くな」と言うでしょう? 家を追い出されたでしょう? 追い出されて、また帰り、家庭とすべての一族と一国を、神様の前に奉献するのです。 奉献するからといって、それがなくなるのではありません。その条件に膨大な天の国の何十倍、何百倍の福が連結されているということを知らなければなりません。釣ろうとすれば、良い釣りえさが必要なのと同じです。 ところが、それを抱えて、うじ虫がわくようにして行楽にふけったという事実……。この者たち。先生には通じません。 わたしは、一銭のお金も息子、娘のためには使いませんでした。そのような話は、する必要もないのです。分かりますか? (「はい。」) 真の父母の心情で僕の体となり、汗は何ですか? (「汗は地のために。」)汗は地のために、涙は何ですか? (「人類のために。」)血は何ですか? (「天のために。」)涙を流す悲しみがあるとすれば、それは自分の涙ではありません。天の前にささげる涙です。 汗を流すことがあるとすれば、あなたがたが流す汗ではありません。自分のためのものではありません。天のためのものです。 血を流すことができるとすれば、死なずに生きている限り、血は自分の血ではありません。天の血として奉献すべきものと考え、死地であっても願う道ならば、直行しなければなりません。 先生は、復帰路程から帰ってきました。父母が反対し、妻子が反対し、息子が反対し、師が反対し、だれが反対しても直行していくということは、どれほど孤独単身でしょうか? 友達がいません。師もいません。そのようなことを知らなければなりません。ここに一緒にいるお母様が、蕩減復帰の道を知っていますか? そのようなことを知らなければなりません。ですから、絶対に従ってこなければならないのです。 骨の汗、骨の涙、骨の血、骨髄の汗、骨髄の涙、骨髄の血まで流しても、神様からの恩徳に報いる法はないのです。強盗のような者たち。自分勝手に生きたのです。刀で腹を切り裂いて手術し、再びつなぎ合わせなければ、天の前に連れて行くことができない、ぼろぼろの服です。同じぼろぼろの服でも、うじ虫がわいた服です。 そのような、うじ虫がわいて、うじゃうじゃしているものに継ぎはぎを当てて、天の国の宮殿に敷くことができる毛布をつくろうというのです。この者たち。しっかりしなければなりません。分かりますか? (「はい。」)二〇〇一年から時代が変わったということを知っていますか? このように忠告しているにもかかわらず、だれが死んだとか、だれが何をしたとか、今からは、そのようなことをわたしに報告するなというのです。今からは、もう聞きたくありません。報告があれば、わたしが十字架を負って、ありとあらゆる……。父母の葬儀費用まで、わたしがすべて支給してあげたのです。野良犬のような者たちです。 先生の所に、思いどおりに訪ねてくることはできません。今後は、ここにいる人も、思いどおりに来ることはできません。 これからは、条件を提示します。国ができれば、本当に厳格にするのです。世の中の法の十倍以上の法を中心として越えていかなければならない道が残っているということを知っているのです。 生涯において、それを越えていかなければなりません。そのような課題が残っているので、今から、皆さんの生活において、先生を信じてはなりません。先生の祈祷もしてはなりません。 祈祷時代は、過ぎていきました。分かりますか? メシヤがいて、救世主がいてこそ祈祷も通じるのであって、救世主が、解放圏にすべてを導いて、送っておいたというのです。 それゆえに、今日の課題は、解放された天地父母と子女が一心一体となって、真の愛の主体性である絶対、唯一、不変、永遠のみ旨を完成いたしましょう、ということです。一緒に協力するのです。 ですから、協力して報告すべきことがきちんとできたのか、できなかったのかという問題を中心として、きちんとできないときには、それを挽回するまでは祈祷もできません。報告もできません。祈祷ではありません。「祈祷」という言葉は、片付けてしまいなさいというのです。報告です。良い報告を持たない人は、このような集いの場に……。 今までは、自分勝手に教区長だ何だといって、一人も伝道せず、実績もなく、自分の所属要員の血を吸う吸血鬼のような者が大勢いました。旅費を使って自分勝手に……。「来なさい」と言えば、「ああ、いいな」と言いながら行ったり来たりし、すべきことをすべて忘れて、ただ食いして暮らす人が大勢いるというのです。分かりますか? 今からは、チェックしなければなりません。何でも適当に連れてくることはできません。実績がなければ、行くことができません。報告する内容がなければならないでしょう? すべて相続してあげました。 先生は、み旨をすべて知っているので、祈祷もしません。二十四年間、祈祷しませんでした。知っているのになぜ祈祷するのですか? すべて許諾したのに、何を下さいというのですか? それは、どろぼうでしょう? お母様も不思議に思ったでしょう? おととしの八月から三年を残して再び……。その祈祷は、あなたたちのための祈祷ではありません。新しい時代に向けて、祈祷を中心として、急いで仕切りをなくし、平地を通して敷居を乗り越えることができる位置において、全宇宙史的な神様の職位圏を解放させようとしてきたのです。 今では、もうすべて越えました。先生は、すべて越えていったというのです。あなたたちは全員、越えることができていません。分かりますね? (「はい。」) 水産事業を中心として、わたしは、早朝五時から暗くなるまで釣りをしたのですが、最近は、釣りをすることができる時が終わったので、一日に二時間くらいずつするようになりました。すると、あなたたちも二時間だけしようとするのです。この者たち。 あなたたちは、入籍したので、皆さんの一族を中心として、金氏なら金氏のメシヤです。氏族的メシヤとは、どのようなメシヤなのかというと、韓国全体のメシヤではありません。氏族的メシヤは、金氏なら金氏、朴氏なら朴氏のメシヤです。 親戚以外を伝道することは、国のために忠誠を尽くさなければならないのに、忠誠を尽くさずに外国に行って、その国を手伝うのと同じ扱いを受ける時が来たというのです。分かりますか? (「はい。」)はっきりと知らなければなりません。 ですから、負債を負ってはいけないというのです。負債を返すのです。負債を負うことを、わたしは好みません。 では、訪ねていっても、先生が門前で冷遇すれば、「なぜ、昔と違う先生になったのか?」と思って、泣いて帰りますか、どのようにして帰りますか? 郭錠煥 氏。(「はい。」)わたしがすべきことを、「自分が栄光を受けよう」と思いながら、巡回しているのでしょう? 自分が王と会って、大将の振る舞いをしているではないですか? 郭錠煥氏は、夢にも思わなかったのではないですか? わたしが、「しなさい」と言うので、しかたなく始めたのでしょう? (「はい。」)しかたなく始めて、仕事がうまくいくので、喜んでいるようですね。喜んで行きましたか、泣きながら行きましたか? (「うまくいくので、笑いながら行きました。」)笑って行きながら、先生のことを考えましたか? (「はい。」) 今でも、先生は泣きながら歩んでいるのです。「自分がお金を使って、自主的な立場に立ちなさい」と言ったのにもかかわらず、立てた計画の三分の一を削ってしまい……。そのようにすれば、三分の二を削らなければならないのです。それで、風が間違って入ってくるようにしたのです。助けてあげて、うまくいく者はいません。もっと助けてくれることを願うからです。 顯進も、知らなければなりません。二世たちに対しても、横っ面をたたき、足でけ飛ばして、十分の一だけ助けてあげなさいというのです。真のご父母様を通した協助も、十分の一ではなく、百分の一でも、血を流しながらでも、ありがたく思わなければなりません。 あなたたちの思いどおりになると思いますか? あなたたちの思いどおりになるのならば、わたしは(今まで)思いどおりに生きてきていたというのです。豊かに暮らす世の中が、悪口を言いながら、あらゆることをすべてしたのです。アメリカで三十年間、こっちに追われ、あっちに追われながら暮らしました。あなたたちは、そのことを知らなければなりません。 何を知っているとか、MBA(経営学修士)になったとかどうだとか……。父親が、どのような話をしているのか、理解して答えることができ、自粛することができなければなりません。あなたたちにも試験をするのです。この者たち。このような話はやめます。目の色をうかがって、(それに合わせて)態度を執ることができなければなりません。 ですから、足でけ飛ばし、激しくたたくのです。宣言するのです。そのようなことが嫌ならば、荷物をまとめて出ていきなさいというのです。この妻たちも、分かりますか? ただの妻たちではありません。皆、神学校を出ているのです。 神学校を出ていない者、そのような統一教会の者は、今後、出世はできません。一つの谷間に激しく追い込まれるべきところを、先生が一所懸命にしたので、あなたたちが、そこに引っかからずに救われているのです。顯進、分かりますか? はっきりと知らなければなりません。 さあ、先生が怒ったりもし、足で激しくけ飛ばして、踏みつけておいてこそ、過ちを赦すことができる条件になるのです。分かりますか? (「はい。」)それを喜んで受け入れれば、目が開かれ、道が見えてくるのであり、喜んで受け入れなければ、引っかかって倒れるのです。これからは、優秀だという人を、霊界がたくさん連れて行くのです。見ていてください。 今の太平洋圏を考えてみてください。韓国の大統領、南北の大統領も問題です。台湾の大統領も問題であり、日本も今、問題なのです。分かりますか? それから、フィリピンも問題です。それから、インドネシアも問題です。それから、アメリカまでも問題なのです。 太平洋圏においては、すべての首相や大統領が艱難を受ける時が来たというのです。それを揺さぶって掃いてしまってこそ、わたしが太平洋圏に手を出すことができるのです。それで今、わたしが手を出しているのです。今から、全員をそこに任命するかもしれません。 嫌ならやめなさいというのです。簡単です。大統領も、自分が嫌ならば、やめるのです。平壌の長官も、嫌ならやめるのです。(人に)仕事をさせれば、自分が負債を負おうとする人ではありません。その何千倍を返しても余りあるということを知っているので、そのようにするのです。分かりますか、梁(昌植)さん? 教育させないのなら、やめなさいというのです。 さあ、手を挙げてください。口を開けて、「ははは」と、一度笑ってみてください。(「ははは……。」)すべて、洗ってしまいました。喜びで消化することができてこそ清算されるのであって、泣きながら悔い改めることではできません。 お父様の前に、相対的な立場で、すべてのことを喜びで報告することができる時代が来たので、祈祷するときに「真の父母の勝利圏を祝福によって受け継いだ、だれだれの名によって……。」と言う時が過ぎていきます。分かりますか? (「はい。」)「祝福の中心家庭だれだれの名によって報告いたします。」です。祈祷ではなく、「報告いたします。」と言うのです。 報告しようとすれば、善の結果がなければならないでしょう? うそつきのように、いつも「願います、願います。」と言いながら、野良犬のように、糞にまみれてはいけないというのです。誇るために報告しなければなりません。実績がなければ祈祷もできません。分かりますね? (「はい。」) 手を挙げたので、そのことを分かったという人は、下ろしてください。激しく踏みつけられ、傷つき、耳が落ちても笑いましたが、(本来は)うれしくて笑わなければなりませんが、うれしくて笑ったのですか、悲しくて笑ったのですか?(「うれしくて笑いました。」)そうですか、そうですか、それで良いのです。それで良いのです。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.27
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私たちのお母さん ウリ オモニ 우리 어머니 2023/12/23『우리 어머니』(私たちのお母さん ウリ オモニ)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.24
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▲真の父母様、クリスマス・イブ祝賀会 二○○○年十二月二十四日、漢南国際研修院楽園・地獄撤廃と天国入籍宣布の日二〇〇〇年十二月三日午前五時、ウルグアイのプンタデルエステにて六十六名の教会指導者と食口たちが参加する中、真のご父母様は「楽園・地獄撤廃と天国入籍宣布の日」を宣言なさった。 祝祷 きょうは、二〇〇〇年十二月三日、十二月に入り最初の安息日を迎えました。ここウルグアイを中心として敬礼式に参加した六十六名、サタン数の終結と一致する六十六名が、これから一月十三日まで四十日を残す中、サタン数の地上と天上の数をすべて合わせたこの場で、北方韓国を代表し南方ウルグアイのこの地で、十二月に入り最初に迎える敬礼式でございます。お父様、祝福してくださいませ。 天と地が注視し、神様と真の父母を中心とした愛の理想の家庭的完成のための個体と、自らの家庭における夫婦と父母と兄弟姉妹たちが一体となった、み旨を中心とした祝福家庭を連結し、氏族・民族・国家・世界まで編成して、天の父母とこの地の父母を中心とした解放の世界を宣布できる日を、これから四十日を前にしたこの日、霊界にある楽園と地獄を新しく神様の御名と真の父母の御名によって解放することを宣言いたしますゆえ、祝福してくださいませ。 十二月に入り第三日を中心として見るとき、今年の最後の月を迎え、三日目を迎えるこの日に宣布するすべてのみ言を中心として、霊界と肉界が天地父母の宣言のみ言によって、上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになって、天地のすべてが天地父母を中心とした大家族理想圏として委譲することを宣言いたしますゆえ、お父様、お受けくださいませ。 そうして、今まで霊界の数多くの階級と数多くの障壁が横たわっていたこれらすべての国境線を撤廃して、天の父母と天地父母が一つとなり、その愛の血統を通じて一族の権限を確定したすべての祝福を受けた家庭が入籍するという、この驚くべき祝福を受けました。その「三時代大転換四位台入籍統一祝福式」を挙行した基盤の上で、解放の恩賜を万民に賦与なさるあなたの恩賜に対し感謝申し上げます。 天のみ旨に従って編成された家庭のこの連体が、どれほど貴いものであるのかを知り、個々人は個人のためにあるのではなく、天地全体のためにある代表的な家庭として、天の祝福の因縁を万世の自分の血族を通じ、関係している祝福の因縁を定め、近親、遠親を合わせて、あなたの愛の一つの肢体になると同時に、一つの愛の木となったのと同様に、根と幹と芽を中心として万民がすべての基地となって愛の花を咲かせて実を結ばなければなりません。 この結実を全天地に一杯に満たして、解放の天国を完成しなければなりません。そのような家庭の理想が地上に神様の御名と真の父母の御名を中心として、天上・地上世界に定着できるところにあって、影のない「正午定着」という標語を中心として、これから地上世界と天上世界に神様の悲しみの基盤となった楽園と地獄を撤廃するこの時間を持ちますゆえ、お父様、存分にお受けくださいませ。 真の父母と真の父母の家庭の一族、聖人たちと聖人たちを中心としたすべての宗派の解放を宣言し、サタン世界の魁首であったルーシェルが服従することによって、その手下たちが反対していたすべての基地を祝福された宗教圏内のすべての祝福家庭が伝授することになりました。それゆえ、天の方向を中心として一つの主流に従って、神様の心情を中心とした宝座から地上の王宮までを連結させることができる祝福の時代を迎えることができました。そのような解放の恩賜を賜りましたゆえに、地上世界・天上世界の楽園と地獄を解放して、天国に連結できる直行の行路を開拓するこの時間となりますゆえ、お父様、祝福してくださいませ。 このプンタデルエステを中心として、天が訪ねてこられるたびに祝福してくださったすべてのものが、あなたのみ旨の前に日進月歩、地上から天上世界まで、心情の因縁を結び、各家庭から氏族・民族・国家のすべての国境を越えて、全人類の心と心の障壁を壊し、血統的基準の統一圏を築いて、お父様を中心とした真の父母を中心とした眷属として、堂々と天国を代表しうる家庭となり、国家を代表しうるその家庭となり、世界と天宙に代わる家庭となるようにしてください。 神様の願う永遠に定住できる理想的家庭圏が合わさり、天国の主権を立て、天国の民を立て、天国の地をお父様の前に奉献しうる総生畜献納のみ旨を終結できる日として立ててくださいませ。 天上天下にあるすべての地獄と楽園を解放して、天国出発の基準があなたの主管圏内で愛の心情の筋に沿って、これらすべての峠を越え、国境を越えて解放圏を備えることができることによって、万民解放、万国解放、万天宙解放の基盤において、これから四十日以降に私たちが神様の即位と真の父母が地上に設定した即位の基準の王権を立てることができる時代を宣言しようと願うものでございます。 これらすべてを意図された中で、この四十日間に整備し、すべてを統一してあなたの掌中に入れて、あなたが願ってこられたみ旨が、嘆きのない喜びと栄光の恩賜で、個人から、祝福家庭から万天宙まで拡張されるよう導いてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。 この日を期して地上、天上のすべてを統一しうる特権を持った真の父母を中心として、真のご父母様に孝子の道理を果たせず、忠臣の道理を果たせず、聖人、聖子の道理を果たせなかったことをすべて完結し、地上で失った悲しみの条件が残っているすべてをお父様の前に総献納しうる条件を立てて、お父様の新しい出発と解放の地上・天上天国の日を成し遂げるために準備する日となるようにしてくださいませ。 この四十日を中心として、この四十日前に天上・地上世界の楽園と地獄を撤廃し、神様が直接解放圏で主導できる恩賜の世界として、恩賜の世界として、恩賜の世界として、真の父母の御名とともに前進することを願いまして、地上、天上の楽園と地獄を撤廃することを願いますので、お受けくださいませ。 勝利と栄光と称賛が、永遠に万世解放的なその主権の上に、永遠なるあなたの勝利の栄光と勝利の花が大きく開き、天地にぎっしりと詰まることによって、サタンの権限を踏み越えていく祝福家庭となって、これを主導できるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。 これからは、天国は統一教会の信徒だけが行く所として設定なさり、解放を宣布して下さいますよう切に願いながら、真の父母、天地父母に代わった心情的勝利の基盤の上で宣布しお伝えいたします! アーメン、アーメン、アーメン! (二〇〇〇年十二月三日、ウルグアイ、プンタデルエステ)▲真の父母様、帰国歓迎集会(アメリカから韓国に帰国)二○○○年十二月二十二日、漢南国際研修院 み言 原理のみ言では、宗教統一をどのようにするとありますか? 霊人再臨復活を通じて行うという内容がありますが、最近ではそれが信じられますか、信じられませんか? 信じられなければ信じないでいてみなさい、あの世に行ってどうなるか。今は、信じなくてはならないようになっています。あまりにもはっきりとした事実なのです。地上人と霊人を祝福してあげるとき、だれが信じたでしょうか? だれも信じませんでした。過ぎてみて、ようやく信じるのです。 楽園世界と地獄を撤廃したということを、だれが信じるでしょうか? 「レバレンド・ムーンも一人の人間でしかないのに、どうやって数千年の間、天を支えてきたそのような楽園と地獄を撤廃できようか?」と考えるのです。撤廃すればどのようになりますか? 撤廃すればどうならなければなりませんか? 門が開くのです。 門が開けばどのようになりますか? 天国に入っていくのです。 それで、門が開く前にすべてに祝福をしてあげました。祝福を受けた人は楽園にいるようにはなってはおらず、地獄にいるようにもなっていないため、地獄は退かなければならないのです。退かなければ新しい霊界が……。祝福を受けた人、地獄にいて祝福を受けた人々は、天国に直通で行くことができるのです。そうすれば撤廃されるのです。 血筋が違います、血筋! サタンの血筋は地獄と通じ、楽園と通じるのです。抜け出すことはできないのです。先生が話しているのは、血筋が違うということ、血筋! 幹が違うのです。サタン世界は逆に行くのに、先生は真っ直ぐに行くのです。真っ直ぐに流れていく水は、その千倍、一万倍あったとしても防ぐことはできません。 それゆえ、偽りの父母が神様を追い出して天国に楽園と地獄をつくっておきましたが、真の父母は地獄を撤廃したのです。そうしてこそ、神様を王として侍ることができるのです。真の父母の後孫たちが王として立てられ、侍られなければならないでしょうか、どうでしょうか? 立てられなければなりません。蕩減復帰原則がそうなのです。(二○○○年十二月二十二日、漢南国際研修院) 真の父母の前に、家庭的真のオリーブの木に接ぎ木しなければなりません。今までは、分立させるための祝福でした。ですから、皆さんの家庭は迫害を受けたのです。また、それゆえお母様を中心として先生の家庭が犠牲となりました。皆さんの代わりに蕩減を背負ったのです。先生が、門を開けておいたまま顧みることのできない息子と娘たちを、すべてのサタンから守らなければならないのに、方法がありますか? 統一教会員たちが、自分の命をかけて垣根となって保護しなければならない責任があるにもかかわらず、三六家庭であれ何家庭であれ、すべての家庭が自分の息子、娘を重視したのです。 自分の息子、娘を生んだとしても、先生の息子、娘よりも重視してはならないのです。女性たちから、息子、娘、だれもがみなそうでなければならないのです。そのような観点から、統一教会の信徒たちが責任を全うしたと思いますか、全うできなかったと思いますか? 何一つ果たせなかったのです。 先生が世界的な開拓の路程にあるとき、何の助けにもならず、むしろ先生の行く道の前に、だれもが罠をつくり、ありとあらゆることをしていたのです。先生の後ろにぶら下がり、先生を後ろに引っ張るようなことをしたというのです。 ですから、先生の息子、娘のうち、四人が霊界に行きました。悲運のうちに逝ったのです。地上で先生が蕩減復帰して、悲運のうちに逝った人すべてに祝福を与えました。 先生の息子、娘を祝福してあげたように、霊界全体の子供から、過ちを犯したすべての者、失敗したすべての者たちを赦してあげて地獄を撤廃したのです。聖人と殺人鬼を同じ立場で、堕落のなかった、サタンのいない立場で取り扱い、祝福してあげることによって、霊界が一つになって地獄が撤廃されるのです。楽園と分かれていたのが、すべて水平になるのです。 それで、これを本格的な世界化段階として、国境撤廃を既に世界的に国連で宣布したので、完全にこの年を越えていく前に、十二月三日を中心として楽園と地獄を撤廃したのです。それは、偽りの父母によって生じました。 真の父母が蕩減圏を越えて勝利したゆえに、撤廃しなければなりません。撤廃するまでは、神様を即位させることはできません。それをゆっくりするようになれば、天の国を再び移動して、堕落した前の世界とは関係のない後の世界、二○○○年以前の世界は前の世界であり、以後は後の世界として、二○○○年以降の世界は新しい制度と新しい風土となり、天上、地上組織を異にすることができるのです。 ですから、皆さんは第四次アダム圏となるために、文化的背景、習慣においてサタン世界のものは一切ありません。そのためには愛の伝統、為に生きる真の愛の伝統、絶対信仰・絶対愛・絶対服従をなして、為に生きる愛の伝統だけがここに移されることができるのです。向こうになかったものを立てて越えることによって、サタンがここからは、ついて越えてくることはできないのです。 先生が行くときに、地獄のようなものがあってはならないのです。撤廃してから行かなければなりません。そのような途方もない問題が左右されるのです。地獄にいるあらゆる者たちを探し出して、すべて祝福してあげたのです。(二○○○年十二月二十三日、漢南国際研修院) 一九九八年六月十三日に聖人と殺人鬼を祝福してあげました。殺人鬼と聖人を祝福したという事実だけ見ても終わりなのです。世の中にそのようなことがどこにありますか? 水平時代になったというのです。 国がいくらサタン世界で力が強くても……、水に浸かって沈んでいこうとしているのに、二手に分かれて、互いに殺しあおうという者たちをそのまま水の中に入れておいたならどうなりますか? お互いに殺しあうべきですか、お互いに助け合うべきですか? 互いに助け合わなければならないのです。 では、助けるときに自分の父親だと思って助けるのか、罪人だと思って助けるのかというのです。助けるときには、自分の父親を助けるような気持ちで助けたならば、どれほど力が湧くことでしょう? 自分の兄を助けると思って助け、王様を助けるという気持ちで助けるのだと思わなければならないのです。その場で自分が神様のような方を助けるのだと考えたならそうなるのです。その場ではそのように考えなさいということです。 ですから、互いに助けることのできる立場でありながらも、殺人鬼が「死んでやる」となれば殺人鬼の権限までも思いどおりにすることができるのです。地獄までも行ったり来たりできるというのです。殺人鬼が聖人を手助けして、聖人のために解怨して解いてあげたので、聖人の寝室までも出入りすることができるのです。絶対に接近できないようにしたとしても、「暗行御史」(王の命令で地方官を調査する官職)となって、通じることのできる道があるというのです。道がぱっと開くのです。そのような意味で、殺人鬼と忠臣、聖人たちを祝福してあげたのです。 谷間にいるときには闘っていても、そこに次第に水が入ってきて、互いに死ぬようなことになればどうなりますか? 二人とも死んでしまったならば神様はどうなりますか? 神様も大変なことになるでしょう? だれもが共通の立場に立つのです。神様も大変なことになり、殺人鬼も大変なことになり、聖人も大変なことになるのです。ですから、共同作戦をとるのです。 先生も大変なことになるため、仕方なく共同作戦をとるのです。「互いに生きるためには仕方ありません」というとき、サタンはどうするでしょうか? すべてを殺してしまえば、サタンはどうなりますか? サタンも大変なことになるでしょう? ですから、こうすることによって「おい、この野郎。サタン! おまえもやがて解放されるのだから、協助しろ!」と言うと、「どうか早く助けてくれ、どうか早く祝福してくれ」と言って、このようになったのです。 先生にとって、金活蘭と朴マリアは怨讐の中の怨讐です。それゆえ、一九九八年五月十四日から三日間、祈祷して彼らを解放してあげたのです。神様が相軒氏に「お前が責任を負わなければならない」と言われました。後になっては「どうか頼む」と言われた言葉に、先生は衝撃を受けました。祝福をすべて終えてから、それからやろうと思っていたのです。祝福が終わって、個人の救いの時代、氏族・民族・国家の救いの時代を越えて、世界の救いの時代へと越えていき、天地解放時代に向かって越えていくときに、彼らを解放してやろうと思っていたのです。 ヒットラーやスターリンのような人たちは、国家主義時代です。国家主義時代は過ぎ去りました。今は、超国家主義時代です。その次に、共産主義は超世界的な時代です。ですから、金日成を治める国家的な法ではだめなのです。今までの法ではだめなのです。これからは連合国時代です、世界時代。 その次には超連合国時代です。ですから、法をもって国家主義時代に金日成を地獄に送ったそのようなことはできないのです。金日成は地獄に行ったけれど、ムッソリーニやヒットラーは地獄に行きませんでした。処理過程にあるのです。そうでしょう? スターリンは逃げ惑いながらいるのではないですか? それは、時が早すぎたのです。それは私が処理します。国家主義、世界主義的勝利の覇権を持った者だけができるのです。 先生は国家主義者ではありません。世界主義、超国家的であり、超宗教主義的です。ですから、そのような権限を持って彼らを治めることができるのです。すべて同じ運命です。神様も哀れであり、真の父母も哀れであり、人類も哀れであり、サタンも哀れなのです。ですから、そのかわいそうな人どうしで殺し合わなければならないでしょうか?「怨讐を愛しなさい」という一言があれば、それが神様のみ心ならば、問題なくすべて解決するのです。「それが神様の願いではありませんか?」と言えばどう答えますか? それが神様の願いなのに、サタンが反対しますか? 真の父母が反対しますか? 救われるべき人類が反対しますか? 聖人が反対しますか? 殺人鬼が反対しますか? だれもが歓迎するのです。その願いとは何ですか? このようになったのはどうしてですか? 誤った結婚をしたからです。ですから、根を抜き取ってしまうのです。 ですから、祝福を断行した先生は偉大な知略家なのです。それを断行することは神様もできず、だれも考えもしなかったことです。それを、最初から原則を中心として打ってしまうのです。先生が破れていくか、だれが破れていくかなのです。このまま上手くいくかどうか見ていなさい。そのようにしたので、うまくいくのです。 それで、十二月三日に楽園と地獄を撤廃しました。それをどのように撤廃したのでしょうか? 地獄の門をすべて開いておいて、楽園の門、天国の門まですべて開いておきましたが、その群れが詰まっています。彼らをすべて祝福してあげました。祝福してあげたら、宗教圏が撤廃され、宗教圏が撤廃されたので、そのどん底にあった地獄圏が楽園に上がってくるのです。楽園も撤廃されてなくなるので、天国と通じることになるのです。 ですから、文総裁が率先するならば、神様ははばかることなく地獄でも、天国でも、どこにでも思いどおりに行くのです。縦的基準だけで行ったり来たりしていた神様が、先生について世界を思いどおりに行くことができるのです。思いどおりに行くことができる道を開いておいたので、愛の水平となるのです。天国の理念や、地獄の理念や、天国の愛の水平に浸ることができる時が来たのです。水がたまって占領する時が来たというのです。自由解放圏になったゆえに、神様までも解放しなければならないのです。神様までも本然の位置に落ち着かなければならないのです。 ですから、神様ご自身も即位を願うのであり、真の父母も願うのであり、サタンも願うのです。だれもがみな願うのです。万民も願うのです。焦点がすべて合うのです。これだけしておけばひっくり返ります。それは、すべて理論に合致するのです。 ですから、そのようなことができる方案を立て「互いに生きるためには、闘わずに助けよ!」というのです。助けて何をしようというのでしょうか?「神様の背中に乗って神様の願う最高の速力、最高の力、あなたがそのような内容を提示するのですか?」「するとも!」「それは何ですか?」「万民解放祝福だ」と言うのです。 そのようにしてきたため、仏教圏、儒教圏、回教圏などの宗教圏を祝福してあげなければなりませんか、してあげてはいけませんか? してあげなければならないのです。天使世界、地獄までも解放してあげなければならないのです。 ですから、楽園と地獄を撤廃し、解放時代となったので、神様が恨を解き、これからは王としての役割を果たすことのできる本然の時代となるのです。そうなれば、先生の責任、救いの摂理は終わるのです。救いの摂理はなくなるのです。救いの摂理は終わり、第四次アダム圏、本然の世界に入っていくのです。そのような第四次アダム国家、心情圏が本然の世界に入るためには、神様が王権即位をして治めることのできる時代に匹敵しなければならないのです。 それで、万民がすべて祝福圏内に入っていくのです。その圏内に入っていき、先生の思想を中心として教育し、万国の王から閣僚、上院、下院がすべて先生の思想を中心として「世界と国はこうあるべきである!」という計画さえ立てればいいのです。その計画が新千年を迎えてから、三年以内にできなければ、四年、七年でできなければ十年、遅くとも十二年まで延長するとみるのです。(二〇〇〇年十二月二十九日、漢南国際研修院)
2023.12.24
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神様王権即位式のための宣布二〇〇〇年十二月一日、ブラジル、パンタナールにあるアメリカーナホテルにて、五か国から集まった十八名の指導者たちが参加する中、真のご父母様は二〇〇一年一月十三日に予定された「神様王権即位式」のための宣布をなさった。 祝祷 愛するお父様! 今日は二〇〇〇年十二月一日、歴史的な二〇〇〇年を中心としたこの年を中心として、新千年を迎えることができる、新しい年を準備するためのすべての蕩減復帰歴史と天上世界と地上世界の恨の峠を越えて、あなたが理想となさった創造理想世界の愛を中心とした個人完成、家庭・氏族・民族・国家完成、天宙完成の要を用意するための、一つの歴史的な全体を整備する期間でございます。 先々月の十月十四日以降を中心として、きょうは満四十八日を迎え、日数としては四十九日を迎える日でございます。この日は、歴史的に韓国の記念の日である四十九日(四十九日法要)を代表しうる期間を越える日です。それゆえ、新たな月、十二月を中心として、これから四十三日間を中心として、新たな二〇〇一年の正月の十三日まで、新しい出発のための限界を定めておきました。 すべてを整備して、天国の王権と、家庭の勝利圏と、すべての子女の勝利圏を備えて、天国の本然の軌道を備え、天上世界の父母を中心とした長子権の大王であり、父母権の大王であり、天宙の大王であられる神様を中心として、一体理想を中心とした個人、愛を中心としたモデル家庭、氏族・民族・国家・世界・天宙史的な愛のモデルを中心として、公式的な主人の立場に立つようになりました。 また、真の父母とともに一体理想をもって、心身一体、この地上に正午の期間に定着することによって、一切すべてが整備、解怨成就、蕩減解怨されることによって、天の主権と地の主権と天国の勝利的栄光を中心とした万国を統治し、覇権的時代を迎えることができる深刻な四十三日という期間を今後残しております。 ですから、整備しうる摂理史のすべて一切を、お父様がお定めになり、あなたの心の中で恨となっていたすべてを整備し、解放の日が到来したと宣布しうる家庭の王であり、国家の王であり、世界の王であり、万王の中の王の主人の立場に即位しうる一つの記念すべき期間として定めるのでございます。 お父様、この日を予告しうる宣布の日として、四十九日を過ぎ、すべての死亡の権限を踏んで、再度解放の世界へ飛躍しうる天運を抱き、お父様のみ前に真の父母が戻り、一体理想を築くためのすべての愛の悲しみと、すべての子女の悲しみを中心とした、家庭・民族・氏族・国家、あなたが願った家庭的孝子、国家的孝子、世界的孝子、天宙的孝子だけでなく、忠臣・聖人・聖子の道理に家庭的祝福を中心とした覇権を成立しうる時代を迎えるようにしてくださった恩賜に感謝いたします。 きょう、原初・根源・勝利の聖地圏を中心として、これから四十九日を踏み越え、整備することのできる四十三日、この期間を通して新たな天の王権時代を発表しうる準備の一切を整えるようにしてくださいませ。民主世界の王権が続くところにおいて、最後を迎え、父母の全権時代に交差しうるこのような期間を設定するすべてに、勝利的覇権を天が備えることができるように祝福してくださいますよう、お父様、切にお願い申し上げます。 新たな月を迎えるこの十二月は、峠を越える期間として、三十一日と来年一月十二日を中心とした十三日を合わせて、十月十四日を中心として、天地の王権樹立を宣布しうる、天地の王を中心とした勝利的長子の王であり、勝利的家庭の王であり、勝利的国家の王であり、勝利的天宙の王権に即位しうる時間として宣布いたします。それゆえ、その日のために、すべての統一家と天のすべての天軍天使、祝福は再度の整備と、再度の悔い改めと、再度の祝福の恩賜に感謝することによって、この日を迎えることができるように祝福してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 今回、海洋還元式と、大陸還元式と、天宙還元式と、四大心情圏還元式を発表し、これから真の父母を中心とした勝利的基盤の上に、エバ圏国家とともに国連と手を結んで、解放の天国を建設しうる時代へと進入することを宣布いたしますゆえ、お父様の願われる全体・全般・全権・全能を行使してくださいませ。 あなたの願いの一念であるすべてを成就しうる標準の下で、全体の整備が完成しうるようにこの期間を定めましたので、統一家の食口、祝福された天上世界、地上世界、天使長世界までも、すべて家庭を中心としたあなたの祝福圏内には、一家庭も抜けることなく加入することのできる、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の基準でサタンを立て、解放圏に同参することのできる恩賜も賦与してくださいますよう、切にお願い申し上げます。 きょう、十二月一日のこの日を期して、原初・根源・勝利聖地で、このような新しい世代を迎えることができる整備的最後の宣言を、王権樹立の全体の権限をあなたの愛によって地上・天上天国に平定しうる起源として定め、あなたが愛の主人として、億千万世の勝利の太平時代を迎えることができるように祝福してくださいますよう、全天宙、全世界の上に直々に天地父母の御名をもって宣布してくださるよう切に祈願しつつ、真の父母の御名により宣布いたします! アーメン、アーメン、アーメン! み言 「神様王権即位式」をして差し上げなければならない時が来ました。それをすれば、摂理史は終わるのです。そのように知って、終わりまで最善を尽くさなければなりません。 ここに来て参加した人たちは、心を尽くしてその日の前に恥ずかしいことのないよう、自らの整備と家庭と国の整備の標準と、世界の整備をして、これを再建できる主人の立場で、主体的個人、主体的家庭、主体的民族、主体的国家、主体的世界、主体的天宙まで連結させることができる参加者として、その責任を全うすることを願います。 きょう、これから最後の整理です。これから四十三日です。新年の正月十三日に行うとしたら、きょうまで入れて三十日を引くと十四日になり、きょうを除けば十三日になります。それで、十二日を越えるのですが、十三数というのはアメリカではもっとも悪い数です。それで、全体の日数を足して三十日を引けば、全部で十四日になるのですが、満で数えると十三日の峠を越えるのです。それで、解放の即位式、王権即位式を宣布できる時に入っていくというのです。これは途方もない時代なのです。きょうはそのような日なのです。今回来なかったら、できませんでした。 ご覧なさい。最初にブラジルに来て、レダ(PORTO LEDA)に着陸するのに問題があり、操縦士たちは無理だと言ったのですが無事に着陸しました。その次に、ポルトムルチーニョ(PORTOMURTINHO)に行ってからどこかに行こうとしたのですが、パラグアイに戻って、降りたのです。そのときにも、無理だと言っていました。考えてみると、ジャルジンから出発してサロブラ(SALOBRA)その次にレダ、その次にポルトムルチーニョ、その次にここが五番目です。それと同様に、五つの国が貴いのです。人の手を見ると、指が五本あります。ですから、そのような数も合うのです。 すべてを見ると、不思議にも蕩減復帰の道を綴るのに一致しています。ブラジルが中心ではなく、パラグアイが中心になっているのです。レダからオリンポ、反対したところを中心として、この本然の場に戻ってきました。 この座っている所は、どんな所ですか? 出発地ですが、定着地として見なしているのです。ここには世界にない王宮を建てなければなりません。人工的に再創造しなければなりません。神様が創造された宇宙を破壊したために、精魂を込めて、血の汗を流し、骨髄が溶けるほどに苦労して、天国の栄光をあらわす何かを私たちがつくって捧げなければならないのです。水宮、陸宮を合わせた、天下のいかなるところよりも良い王宮の敷地なのです。この水の中から出発するのです。(二〇〇〇年十二月一日ブラジル、パンタナール)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.24
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[摂理の宝倉庫] 2007年12月24日イーストガーデンクリスマスイブディナー2023/12/222007年12月24日イーストガーデンクリスマスイブディナー一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.23
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父子協助時代宣言二〇〇〇年十一月十一日、ハワイのカウアイ島にあるプリンスビルホテルにて、真のご子女様たちと四十日海洋修練を受けている約四十名の修練生等、総勢約五十名が参加する中、真のご父母様は「父子協助時代宣言」をなさった。 皆さんがこのみ言を通じて知らなければならない、ただ一つの結論とは何かと言えば、女性たちの責任が大きいということです。神様の摂理は、女性を探す前にアダムを探して立てることでした。アダムを探して立てる目的は、アダムを中心として神様と一つの木になって、愛の種を繁殖せよということです。愛の種を繁殖するために女性が必要なのです。 アダム家庭でその種を失ってしまいました。アダム家庭が堕落した後に、カインがアベルを殺したのです。アベルが何かといえば、アダムの種をこの地上で育てる立場にあります。しかし、アダム以降、世界のすべての家庭には、カインとアベルを中心とした種はありません。ですから、この地上でアダム家庭が失った種を、神様を通じて再び再創造し、種を残して大きくするための歴史が、救いの摂理歴史なのです。 あらゆる宗教がありますが、それらのすべての宗教を中心として、民族を越えて世界的文化圏を中心とし、収拾するための一つの種がとどまることのできる環境的与件を開拓してきたのが宗教圏なのです。すべての宗教は、家庭では孝子、国では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の道理を教えてきました。それは、この種が個人・家庭基準から天宙まで越えていくことができるように大きくなり、堕落しない本来の種が世界の堕落圏を凌駕することができるという立場を取り戻していく道なのです。 その種、それ自体では大きくなれません。男性の種、それ自体では大きくはなれないのです。ですから女性たち、母親たちが必要なのです。それで母子協助時代が必要になったのです。今まで母親たちは、夫たちを前にして、あらゆる愛の谷を越えられず、息子たちを抱いて上がったり下がったりしながら、数多くの苦労をしてきました。そうして、歴史時代においてどのようにしてアベルの立場の峠を越えさせてあげるかという、そのような闘いをしてきたのです。しかし、そのことを女性たちは知らないのです。 母親と息子、娘は知りませんでしたが、歴史時代にあって、腹中時代から八段階にわたって、母親が息子、娘たちを抱き、迫害に遭いながら彼らを育ててきました。女性たちが歴史時代に犠牲となってきたのです。 今まで母親が子女たちのために苦労してきました。歴史時代に、世界的にサタンと闘いがら苦痛を味わってきたのです。摂理史において、息子を育て、母親とカインがばらばらになっていたものを一つにするという、この路程を埋めてきたのです。蕩減のくぼみを平準化させるということを、母親が代わってしてきたのです。 救いの摂理において女性たちが、息子、娘を抱きながら、天使長世界で男性たちからありとあらゆる蹂躙を受けながら犠牲になってきたのです。冷遇され、さらわれ、傷付けられながらも、数千数万の女性たちが犠牲になりながら、この道を歩んできたのだということを知らなければなりません。 選民というのは、エサウとヤコブを中心として、ペレヅとゼラを中心とし、その次にはマリヤ家庭を中心として続くのですが、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭のすべての重荷をマリヤが背負うという環境においても、やはり母子協助か絶対的に必要だったのです。リベカを通じてエサウとヤコブが外的な蕩減を払うことができ、ペレヅとゼラを中心として内的な蕩減を完遂したという条件が立ちました。そのため、イエス様の時代にマリヤとザカリヤを中心として、母親と息子、娘たちが一つにならなければならないという内容があったのですが、母親たちがそれを知らなかったために失敗したのです。 それゆえ、マリヤはイエス様を中心として、自らの生命を犠牲にし、いかなる犠牲を払ったとしても絶対的でなければなりませんでした。マリヤには男性がいてはなりません。息子を抱いて、サタン世界の数多くの男性たちが、数多くの旧約時代の法で、マリヤをめぐって片付けようとすることも意に介さず、それを越えていかなければならない責任があったにもかかわらず、責任を全うできなかったのです。 それで、イエス様が来られて亡くなった後に、聖霊がこの地に来て、父母の代わりに霊的基準を中心として……。それが実体的イエス様を中心として、キリスト教を築いたのと同じように、聖霊が来て母を中心として、失ったイスラエル圏を中心とした霊的基準のイエス様を中心として、実体基準の役事を連結させるために、天と地の摂理を分立しなければならなかったということを知らなかったのです。 それで、イスラエルでイエス様が犠牲となった後、聖霊が来て、母の代わりに息子を育てるということを今まで行うことによって、国家的基準を越えていくのです。国家的基準を越えて、世界的役事を行うのが再臨の役事なのです。そのような再臨の役事は、西洋から始まるのではありません。再臨主は東洋に訪れるのです。歴史が変わるのです。 東洋文化と西洋文化が違うのは、東洋が精神的で内的ならば西洋は物質的で外的なのです。東洋が男性格ならば、西洋は女性格の立場です。相対的です。それゆえ、西洋世界の宗教圏をすべて受け継いでキリスト教文化圏が現れてきましたが、東洋的思想は先祖を尊重視する思想なのです。先祖を尊重視し、神様を尊重視するのです。終りの日になれば、これがどのようになるのかと言えば、すべてをなくし、女性が冷遇されていたのと同じように、キリスト教自体が冷遇されるようになるのです。キリスト教は新婦の宗教であり、母の宗教です。 ここで知らなければならないことは、母子協助時代は父子協助時代へと越えていかなければならないということです。今までは、男性がすべての女性たちを蹂躙してきました。これからは、男性を中心として、エデンから追い出された真の男性が来て、女性のすべてを保護する時代へと越えていくのです。 再臨主が来る前までの女性たちは、失った世界において復帰されるまで血筋を正す役割を担ってきました。しかし、来るべき再臨主を中心としては、その方が父として来られるために、全世界の女性たちは父に仕えることができるようになり、そのような世界的な終末時代を迎えるようになるのです。 ですから、全世界の女性たちは母子協助をすることによってサタンの反対を受けてきたのですが、これからはサタンを主管することのできるアダムが来たために、そのアダムの前に完全に振り返らなければならないのです。なぜ振り返らなければならないのでしょうか? ですから、総生畜献納という話が出てくるのです。エバによって失ったものを、エバが今まで探し求めてきたのですが、その相対的世界、エデンの家庭で失ったエバ、カイン、アベルを探し出してくれる父がいませんでした。サタンが中間で支配してきました。反対してきたのです。 それを完全に切ってしまうのです。完全に切ってしまいます。それで、サタン世界が終りの日を迎えるときには、女性たちが経済権を持つのです。アメリカがそうですね? 第二次大戦以降、女性たちを求め、女王のような立場にアメリカが立って、来るべき夫を追い出してしまったのです。今や、本然の夫の前ですべてを風呂敷に包んで、天使長圏を足で蹴飛ばしてしまわなければならないのです。蹴飛ばして、すっかり帰ってくることによって、すべての女性たちが来るべき主の前に相対的立場に立つようになるのです。それで、女性を代表したお母様を立てたのです。お母様とお母様の家庭を中心として、お母様が女性の代表として立つことによって、神様の愛の種が世界の峠を越えて、新しいエデンの家庭を築いたのです。それは、世界の立場に上がっていくということなのです。 そのようにして、反対したサタン世界のサタンを完全に切ってしまい、こちらに戻ってくるのです。そうすることによって、神様が直接エデンの園の家庭を中心として愛の種を植えることができたのと同じように、真の父母が来てエデンの家庭として世界的迫害を受けて勝ったその場で、愛の種を横的に連結することができるのです。そうして、アダム家庭で築いたのと同じものを世界の頂上で築くことができるようになったのが真の父母の聖婚式です。それが子羊の婚宴です。 それで、先生を中心とした子女たちが生まれたために、父と息子、父子摂理時代になるのです。母子摂理時代ではなく父子摂理時代なのです。真の父母が出てくる前までは、母親たちは息子たちを育てながら迫害を受けてきましたが、神様を中心として、直接、真の父母を中心として、息子と娘が生まれたために、これからは母親がいなくてもかまいません。母の時代は過ぎ去り、父子摂理時代へと越えていくのです。 それゆえ、神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ、そこから生まれた息子と娘たち(※家庭的四位基台)には、サタンは手をつけられないのです。そのことを知らなければなりません。ですから、直接的で完全な愛の種を家庭的に受けて、父と息子が直系で連結されるのです。 そこには母親は必要ありません。蕩減というものがなくなったのです。母子協助時代が完全になくなって、神様と真の父と真の息子の血筋が連結しうる解放圏の最上地点に立ったのです。そのような過程で、先生の家庭に様々な問題があったということは、サタン世界にいる祝福家庭たちが責任を果たせなかったためなのです。先生の家庭の子供たちは、どんなに誤ったとしてもサタンとは関係がないのです。 これを収拾するために、聖人たちと悪人たちを祝福してあげ、地獄と天国を崩すことのできる権限が真の父母にはあるため、真の父母の家庭圏内にある傷も赦されて、同じ立場に入っていくことができるのです。ですから、すべての過ちを内外にすべて解決することのできる時代に入ったのです。 それで、先生が八十になれば何もかも終わりになるために、先生の家庭の息子、娘たちも、今までサタン世界、このアメリカに来て染まったすべてを清算しなければならないのです。今年、十二月までにすべてを清算しなければなりません。それが、摂理史の全体蕩減に匹敵するのです。それで、先生を中心として、今年まで誤っていた息子、娘も、別れてからもう一度戻ってこなければなりません。 八段階の愛の家庭を経ずしては、真の父母に仕えることはできず、神様の直系の子女の立場に立つことはできません。恐ろしい話です。先生がでっち上げて話しているのではありません。生きている先生、真の父母に仕える直系の立場で、自分を中心として、女性としての自分を中心として考えてはならないのです。生命の根本の種になることができる根を中心として回らなければならないのであって、自分が根の立場にいようとして、自分を主張したならば大変なことになるのです。それは、女性が今まで蕩減したすべてを再び堕落させることと同じです。 お母様も同じなのです。黙って見ていると、お母様は今でもそうなのです。少し気分が悪ければ、その思いが一日、二日、三日続くのです。それではいけません。真の父母が……、先生がどんなに気分を害するような接し方をしたとしても、気分が悪いなどと考える、それ自体によって霊界に入っていくことができなくなるのです。真の父母に仕える立場では、解怨の痕跡があってはならないということを、皆さんは知らなければなりません。 それゆえ、生命の種を中心として、旧約・新約・成約時代を経てきながら、母親たちが母子協助時代にあってどれほど多くの犠牲を払ってきましたか? 今や、地上で東洋と西洋が分かれ、深い谷間、深い山、ヒマラヤの山頂、エベレストの山よりも高い山の谷間を埋めて、東洋でこのようなみ旨を立てて、長い歴史をすべて蕩減したのです。 韓国の歴史は長いですね。韓民族が最も苦労した民族なのです。中国文化も東夷民族を通して成り立ちました。甲骨言語というものも、よく見ると古代韓国語なのです。このように見るとき、韓民族は優秀な民族なのです。 半島というのは男性の生殖器と同じです。太平洋を背負って、日本を背負って、その次に大陸に対して半島はいつでも文明を連結させる橋梁の役割をしてきました。イタリア半島や、ギリシャ半島、インド半島はすべて橋梁の役割を果たしてきました。 そのような立場から見るとき、韓民族は優秀な民族だというのです。しかも、言語や神様に対する文化は、韓民族に肩を並べる民族はいません。啓示の内容にしても、いかなる民族も追いつくことはできず、神様を信奉するにおいてもいちばんなのです。仏教や儒教やキリスト教や国権を中心として信奉してきたのです。そうしてすべてが連結しています。 そのような基準で先生が生まれ、歴史的にお母様を救ってあげるためにこのことをしてきたのです。今や母子協助時代ではありません。息子でも、その息子は天使長の息子であって、天の息子ではありません。そうではないですか? それは蕩減を受けなければなりません。それで、天使長は愛の道を行く母親を、女性たちを今まで蹂躙してきたのです。 それで女性たちの願いは何かというと、理想的な夫に出会うことです。そうでなくては、天の本然の生命の種をそのまま受けることはできません。蕩減なくして、その種を受けることはできないのです。それゆえ、来たるべき主を中心として、二千年間、新婦宗教で息子、娘を育ててくるのに、どれほど苦労したでしょうか? 聖アウグスティヌスのような人たちも、あのように「ごろつき」だったものを、彼の母親が救い出したのです。そうして、旧教の一人の代表的な人物になったのです。新教でも、やはりそのような歴史を通して連結された母親の苦労の涙が、この深い谷間を埋めてきたのです。それが、夫となる主がこの地に生まれ、成長して聖婚をする時までなのです。 第一次、第二次大戦を終えて第三次時代へと越えながら、すべて埋めつくし、ついに整備されたカイン、アベル圏、聖霊を中心として霊的な基準を連結させて、実体的基準を中心とした再臨主と一つになって、母子協助時代から父子協助時代に転換するのです。そのためには、母親がいなくならなければならないのです。それゆえ、蕩減時代の母ではなくて、直接的時代の父が母を通じて生んだ息子が相続することのできる時代が来るのです。 生命の種は男性にあるのであって、女性にはありません。愛する夫の赤ん坊を、女性がおっぱいを飲ませて育て、赤ん坊を愛する限り、夫を無視することはできないということを知らなければなりません。これは、母であればだれもが同じなのです。これが総結論です。 母子協助時代と父子協助時代は違うということです。父子協助時代に生命の種を抱いて育てようとする女性たちは、夫に対して絶対服従しなければなりません。女性たちが今まで本然の夫を求めてくるのに、数千年、数万年の間犠牲になってきたという、その受難の歴史を越えて本然の夫を迎えることができる立場に立てば、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道理を果たさなければならないのです。 では、だれがそれをしなければならないのですか? アダムとエバを中心として、神様がまずされましたが、その次に蕩減時代には女性がまずしなければなりません。そうでなくてはならないのではないでしょうか? すべてを破壊した女性が、夫に対して絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければならないのです。そうして、女性はその夫を通じて恨の峠を越えて、限りない祝福をそっくり受けることができる立場に立つのです。 絶対愛のために神様は女性を抱いてきたのですが、そこに相対的立場に立とうとするならば、絶対服従しなければならないのです。この話は、母親に対しての話です。 きょう、終わりになってこのようにすべて教えてあげるのです。はっきり分かりましたか? 母子協助時代、その次は何ですか?父子協助時代! これが最後なのです。 母子協助時代を退けて、父子協助時代へと越えていくために、母親はここに協助しなくても、絶対信仰・絶対愛・絶対服従していくことによって蕩減するために、苦労した時代のすべての祝福を天から受け取ることができるのです。 祝福を受けてからは、夢にも他の女性、他の男性のことを考えてはなりません。道にいるすべての女性たちを、だれが育ててあげるのでしょうか? そこからすべて、橋をかけなければなりません。ですから、今まで復帰時代において、母親は知りませんでした。娼婦の両親の悲しみを、神様が一人で、真の父母が一人で抱いてきたのです。サタン世界で蹂躙されたことを消し去ることもできず、それを愛さなければならない神様なのです。ですから、どれほどあきれかえるようなことでしょうか? そのようなことを知らなければなりません。 今の時は母子協助時代から父子協助時代に転換された時であるということを、はっきり知らなければなりません。真の父母がすべてを蕩減しました。キリスト教が責任を全うできない、女性たちの責任までも、お父様がすべて蕩減し、母子協助時代を踏み越えて、父子協助時代の伝統をみ言と共に立てなければならないのです。そうしてこそ、すっきりと結論が出るのです。 父子協助時代における嫁たちは、子種を受けて、育てるということが、天下の歴史時代に神様を解放できる一時の祝福を受けたことであるということを知って、感謝して越えていかなければなりません。それで、今回、あなたたちを連れてきながら、ここで何かよい記念になるものを買ってあげたかったのです。 今回、真の父母が買ってくださったものを大切にし、今後、後代の後孫たちに残してあげることができるように保管しければなりません。その代わり、あなたたちは赤ん坊たちを育てて、父と一つになるようにしなければなりません。二重の責任があるのです。 今は、蕩減はありません。平面的な生涯に、息子、娘を育てて、すっきりと父子協助時代へ越えていけばいいのです。蕩減はありません。したがって、歴史時代に解放圏を願った神様の解放と真の父母の解放圏をもって、自由天地、地上・天上天国に入籍できる時が来たのです。ですから、清平では今「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」がなされているのです。その一言の中にすべてが入っています。 三時代、旧約時代・新約時代・成約時代をひっくり返さなければならないのです。大転換です。四位基台によって……。四位基台に立つのではありません。四位基台が入籍するのです。失ってしまいました。今や、母子協助時代を過ぎて、サタン世界の家庭から南北統一、そして国連まで、首脳まで、すべて上がってきました。 これからは、ブッシュ大統領は私の話を聞かなければなりません。聞かなければ国連を通じて行うのです。アメリカ、民主世界が世界を支配しようとする考えはやめるようにと言うのです。民主主義は滅びたのです。互いに闘い、ありとあらゆる動きがあるのです。おしまいなのです。 これは、私たちの時代になったという事実を予告しているということを知らなければなりません。それゆえ、先生が家庭の王、そして国の王、その上に上がっているのです。今後、世界の王です。アダムが家庭の王、国家の王、世界の王、このように垂直に来ています。今後、祝福家庭をアメリカさえ認めるようになれば、全世界的に完全に国連の国をつくって入っていくことができるのです。そうなれば終わるのです。そのような時代なのです。(二〇〇〇年十一月十一日、ハワイ、プリンスビルホテル)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.23
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第四十一回「真の子女の日」記念礼拝の御言成約八年 2000年10月27日(陰暦十月一日)京畿道九里市水澤洞 中央修練院 第四十一回「真の子女の日」記念礼拝で真のお父様が語られたものです。み言に先だって、一九六六年の第七回「(真の)子女の日」のみ言の「訓読会」が行われました。 (先ほど「訓読会」で)子女が行くべき道理に関するみ言、深刻な内容のみ言を聞きました。自分たちが本当に、神様の前に真なる子女になれるのかということは、恐ろしい内容です。 神様が、どれほど大きいのかというと、この宇宙よりも大きく、無限に大きいのです。また、神様がどれほど高いのかというと、限りなく高く、どれほど広いのかといえば、計り知れないほど広く、どれほど深いのかといえば、考えることもできず、そこに及ぶこともできないほど深いのです。そして、そのおかたが、人格的な神様であるというのです。それは、人間のような神様であるということです。 それゆえに、わたしたちが「子女」という名分を持つためには、そのおかたの愛を通して生命が結ばれ、血筋が連結されたという因縁を持っていなければなりません。ですから、その血筋の中には、膨大な大宇宙の権威を持たれた神様の愛が植えられているのです。 それは、どういうことかといえば、その神様の愛の中で、その愛を敬い尊ぶ、父と母の主体・対象関係によって生命が連結されているということであり、その愛を中心として連結された生命体によって、分かれていた上下、左右が一つに連結され、そこに血筋が連結されているということです。そうして、その血筋を受け継いで生まれたのが子女なのです。 その子女という一つの分子、男なら男、女なら女の価値は、どれほど大きいでしょうか? この想像もできない膨大な大宇宙を中心として、それも主体と対象が一つになった、神様の性相と形状の実体的人格を中心とした本性的男性と女性の価値は、どれほど貴いかということを、皆さんは知らなければなりません。 その男性と女性が生まれた動機とは、何でしょうか? 自分のために生まれたのではありません。女性が生まれた動機、男性が生まれた動機は何でしょうか? 今、話した根本的因縁の代身存在として、原因的存在の前に結果的存在として現れたのです。その結果が男性であり、女性です。 原因から分立されて男性と女性が生まれたのですが、これは、何のために分立されたのでしょうか? それは、愛のためです。その愛とは、どのような愛ですか? 過ぎ去っていく愛ではありません。永遠の愛を懸け橋とするために、男性と女性に分立されたのです。 それは、先祖から千年万年、継続してきました。そして、いくら先祖がたくさんいたとしても、その先祖たちも、分立された男性と女性を中心として、さらに先祖から神様の愛が運搬されて受け継がれていき、そのようにして神様の愛を受けることのできる完成した男性と女性の先祖から連結されてきたのです。 そうして、それが今日、生きている”私”が生まれる背後の血統となり、その背後の血統が統一教会となり、”私自身”を形成したのです。このような事実を思うとき、男性なら男性、女性なら女性という存在が、どれほど偉大であるかということを知らなければなりません。 その偉大な”私”、驚くべき”私”! 皆さん、そのように思うでしょう? 男性も最も高い、最も偉大な最高の位置に立つことを願い、女性も最高の位置に立つことを願い、だれもが、男性も女性も、すべての人が最高の位置を願うのです。 その最高の位置に到達することができるものとは何かというとき、それは、簡単に愛だけではありません。男性は、愛も持っていて、生命も持ち、血筋も持っています。女性も同様です。ですから、いくら「至高の代身たる性相と形状に分立された男性と女性である」と言っても、そのおのおのの分性的存在においても、絶対的に必要とし、また、断ち切ることのできない神様との愛の関係が、”私”に介在しているのです。愛を持っているでしょう? 天地父母を中心として、霊界にいる”私”の生命体、つまり父母の生命的実体が連結されています。そして、その生命体であられる父母の血筋は、父親の血と母親の血が一つになり、それが調和の過程を経て、”私”という存在が生まれてきたのです。 そのような事実を考えてみるとき、また、その一つの実体が、どれほど偉大な歴史的過程を経て成された実体なのかということを考えてみたとき、それこそが歴史的な宝物であるということを、皆さんは知らなければなりません。 宝物なのですが、男性一人で完全な宝物ですか、女性一人で完全な宝物ですか? このふたりが一つになってこそ、完全な宝物になることができるのです。ですから、男性も”半分”であり、女性も”半分”です。 そのような完全なものになれば、神様の愛を中心として完全な愛を成すことができ、神様の生命を中心としても完全な愛を成すことができ、神様の血筋を中心としても「完全である」と言うことができるのです。 そのような実体存在としてつくられたのが男性と女性なので、男性と女性が完全に一つになる、その位置を通して神様の愛の化身体が現れることができ、神様の生命の再復活体として現れることができるのです。そして永遠なる歴史を同伴してつづられてきた神様の血筋が、未来の世界にまで同伴する、その橋梁が自分の血筋を通して連結されるのです。 このような、とてつもない事実を考えるとき、男性と女性が分聖殿となり、その半分の者同士が夫婦として一つになることができる価値的基準は、どれほど貴いものであるのかというのです。 ふたりが一つになって”合徳”する位置、また夫婦として愛し合うその位置は、神様の愛が完成した一つの結実体であり、神様の人格の生命体が完成した結実体であり、今まで神様が歴史を創造してこられた内的動機の起源であった血筋の結実体なのです。 そのような事実を考えるとき、神様ご自身も、そのようになった実体のふたりを取り替えることはできません。神様ご自身も彼らを絶対に必要とし、また、そのような立場で、男性と女性の半分同士が一つになることができるその位置は、神様とも取り替えることができない貴い存在なのです。 また、神様にとって、わたしたち家庭の夫婦というものは、何をもらっても取り替えることはできません。神様までも加えて、被造万物をプラスして与えても、取り替えることができないほどの貴い存在であるということを、皆さんは知らなければなりません。 ですから、そのような価値的結実体をつくることができるものは、いくら男性が、一人で千年間、誠意と努力を注いでも成就させることはできません。いくら女性が千年間、誠意と努力を注いでも成就させることはできません。千万年の間、誠意と努力を注いでも捜し出すことができない二つの存在が、お互いに完成を成すことができる一つの位置を訪ねていくのが祝福である、ということを知らなければなりません。 今日の西洋の人々を考えてみると、結婚というもの、家庭というものは、真昼のうちに過ぎていく”一時だけの因縁を結ぶものだ”と思っているのですが、そうではありません。それは歴史とともに、宇宙とともに永遠に存続することができ、神様の理想とともに存続しているのです。 そして、一挙手一投足のすべてが、宇宙の喜びの象徴体であり、また、全宇宙が喜楽を連結させることができる和動の実体が、私たちの家庭にあったのです。そのような事実を思うとき、無限の価値を持った”私”の家庭であるということを考えることができなければなりません。 その夫婦の愛の中で神様が暮らすことができ、また、夫婦の生命の中で神様の生命が連結され、その夫婦の愛の血筋が連結される中で宇宙が存続することができるのです。過去、現在、未来、そのすべてが、この血筋によって幸不幸が左右されるのです。 より発展的で、より理想的な未来を希望していく、そのようなわき上がる血筋を備えた人がいるとすれば、神様の希望の相対的実体になることができます。神様の喜びの刺激を充足させることができ、何よりも輝く神様の愛の対象圏を備えることができるのです。そのような立場が、自分たち夫婦であるということを知らなければなりません。 このような家庭をすべて失ってしまわれた神様のみ前に、だれが、再びその家庭を取り戻してあげることができるのでしょうか? アダムとエバが、このような価値的内容を形成し、幸福の起源を完成したものを神様にお返しし、神様が「この家庭以上のものはない」と誇られ、そこで”永遠に一緒に暮らしたい”と思っておられたにもかかわらず、その家庭を失ってしまわれたのです。そのとき、神様の悲しみは、どれほど大きかったでしょうか? そのことを、皆さんは考えなければなりません。 そのような意味で、男性というものがどれほど貴く、女性というものがどれほど貴いかというのです。 もし、男性の前に女性がいなかったとするならば、どのようになっていたでしょうか? 千万の男性が暮らす男性の世界の中で、女性が一人もいないというときには、その千万人はどのようにするでしょうか? 千年万年、夢を見て、億万年理想を描いても、一代以内ですべていなくなるのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) 世の中に女性ばかりがいて、男性が一人もいなければ、千万年間、歴史の夢を持った女性たちがいたとしても、男性が一人もいないというときには、女性は絶望してしまうのです。一代ですべていなくなるのです。 神様の立場で考えれば、今、六十億の人類の中で三十億の男性と三十億の女性がいますが、三十億の女性を前にして、神様が「わたしの息子だ」と訪ねていくことができる男性が一人もいないというとき、その一人の男性を捜し出すためには、三十億の女性を犠牲にしたとしても余りあるということを知らなければなりません。何のことか分かりますか? (「はい」) 三十億の人類の中に一人の女性しかいないというとき、三十億の男性をすべて犠牲にしたとしても、その女性が相対することのできる人を、神様は必要とされるのです。もし、いなければ、堕落していないのであれば、つくることができるのです。分かりますか? (「はい」) 三十億人類の中に女性がいないというときは、その三十億の人類全体を生かすことができないとしても、その一人をつくって残りの三十億を犠牲にする、そのようなことも断行することができるというのです。 このように見るとき、「神様が願われる真なる男性、神様が願われる真なる女性とは、だれなのか」という問題は、深刻な問題です。いくら人がたくさんいても、人として扱うことができないというのです。それは、”完成品”ではないということです。 そのような者を「未完成品である」と言うとき、それを未完成品として烙印を押してこそ、その人は正当な人であり、神様の公認を受けることができる人です。 ところが、「これは悪いものですが、良いことにします」と言えば、「良いことにする」と言った人も、悪い人の同参者になるということを知らなければなりません。 このように見るとき、”私”一人解放し、”私”一人完成し、”私”一人喜ぶということは、”自分一人だけ喜びなさい”ということではありません。関係世界を中心として、包容することができる膨大な宇宙史と常に関係を結んできたということを思いながら、「私」と言うときには、宇宙の朝日を代表して、暗闇の世界に射し込む光のように現れる”私”である、と考えなければなりません。 真っ暗な夜の時代において、暗闇の世界に蛍の光でもあれば、その蛍の光は、すべての暗闇の世界の注目の対象になるのです。堕落した暗闇の世界において、小さくても”神様の前に、蛍の光のように輝くことができる代表的な存在にならなければならない”という心を育てていってこそ、暗闇の世界の全体を照らす灯台のように現れることができるのです。それは理論的です。 さあ、そのようにすることができる神様の息子を神様が見付けだし、愛して生命の実体に連結させ、血筋を同化させようと喜んで行動してみた、そのような愛の家庭があったでしょうか? ありませんでした。なかったのです。 それで、そのような家庭を失ってしまわれた神様は、それを取り戻さなければなりません。それを成し遂げなければなりません。いかなる犠牲があったとしても、この世の中をすべて一度に引っ繰り返して打ち込み、人間をつくる前の本来の状態に戻すことができるのならば、一瞬のうちにそのようにしたいと思われたかもしれませんが……。 本来、人間というものは、神様の息子、娘として、神様の愛を中心として、神様の生命体と神様の血筋と連結することができるという理想を中心として創造されました。神様は、この結果的存在をもって、地上に理想的家庭、理想的天国、理想的天上世界と解放圏を成し遂げようとされたのです。 しかし、そのすべてのことが、家庭を失ってしまうことによって成し遂げることができなかったために、思いどおりにつくることができません。ですから、それを永遠の存在として、これを再創造しなければならない立場、時代が復帰時代だというのです。 それでは、皆さんの中で、一人の男性なら男性が、再創造の価値的存在という命題を成し遂げて、すべての歴史時代を否定せざるをえないような立場に立っておられる神様のみ前に、希望的な実体として立ち、神様が、「あなただけが必要だ」と言われることができるような存在に、どれほどなったのかというのです。そのような存在を、どのようにして確定させるのかということは、どれほど途方もない問題でしょうか? 男性と女性を一緒につくればよいのですが、堕落したときには、女性が男性を堕落させました。ですから、今度はその反対に、そのような男性をつくることによって、迷宮にいる女性を再創造しようというのです。アダムから創造したので、復帰もアダムから先にしなければなりません。 復帰するためには、アダム自体をそのまま犠牲にすることはできません。つくられた万物を保護すべき立場としてつくられたアダムを、だれが絶対的に必要とするのかというと、女性が必要とするのです。それゆえに、歴史において、どれほどたくさんの女性たちが犠牲になったことでしょうか? 考えてみてください。アダムとエバが堕落してから、今まで数千万年……。何が「数千年」ですか? それは、数千万年です。 今朝、お母様が言うには、「テレビで放送していたのですが、ゴキブリの歴史は三億五千万年だそうです」と言うのです。わたしは、その話を聞いて、「何と三億五千万年? まあ!」と言いました。ゴキブリは小さいので、そうです。ゴキブリが、そのような歴史を経てきたといいますが、鯨やさめのような大きいものも、二億五千万年から三億年の歴史を持っています。 それでは、そのような長い歴史が存続してきたというとき、万物の主人であり、愛とともに相対的関係によってつくられたアダムとエバが六千年前につくられたとすれば、それを計算した神様の頭は、天才的な頭ですか、愚かな頭ですか? 人間がつくられてから今に至るまでの人類歴史は、どのくらいになると思いますか? 考古学を通しても何千万年。百七十万年ではなく、何千万年です。それは、正確な継数を数えることができないので、そのように言うのです。これを考えると、人間の先祖は何千万年前から先祖であったということを否定することができません。 それでは、その堕落の力はどれほどすさまじく、どれほど恐ろしいものでしょうか? 何千万年の間、この天地を創造された神様を拘束してしまうほどのすさまじい力の……。力の何ですか? その力の罠で縛られたのです。獣を捕まえる罠のようなものをかけられたというのです。それは、何千万年の時間をかけても解くことができない、驚くべき神様の事実です。 十代にわたる一人息子が死んだ場合でも、国がそれに対して慰労してくれる、というのですが、アダムとエバは、億千万年の一人息子、一人娘です。それも一度しかない、何千万代を代表した一人息子と一人娘です。 何千万年も神様の中で標準として立てられ、神様が、その息子、娘から慰労を受けることができる、そのような価値を持った息子、娘を失ってしまわれた神様の心と、今日、この人間世界で七代の一人息子や百代の一人息子を失ったこととを比較しようというのかというのです。 堕落した世界では、そのような無念で悔しいことがあっても、それは蕩減法においては当然のことでしょう。 しかし、蕩減が必要ない神様のみ前において、億千万代の一人息子と一人娘を失ってしまわれた神様の悲運の歴史は、どれほど胸を痛めるものであったでしょうか? それを想像してみてください。 この時代において、日本の国民が一億二千五百万人であるとすれば、男性と女性はそれぞれ何人になりますか? 約六千三百万です。六千何百万人が一人息子、一人娘だとして、その息子、娘が一度に死んでしまったとすれば、どのようになるでしょうか? 痛哭するでしょうか、しないでしょうか? 正気でいられるでしょうか、いられないでしょうか? それは一億二千万です。六千何百万ではありません。 人類全体が、何千億の人々が死んだという、そのような孤独と悲しさと無念と悔しさで、神様はどれほど胸を痛められただろうかというのです。そのようなかたを父として侍り、そのようなかたの孝子にならなければなりません。 ですから、今までの歴史過程にいなかった孝子を願われる神様なのです。孝子に出会うことができなかったがゆえに、それを願っていらっしゃるという事実を思うとき、神様が「わたしの孝子だ!」と言って認めてくださることができる、歴史的な人間の種があったと思いますか? あったと思いますか、なかったと思いますか? (「ありませんでした」) それでは、わたしたち統一教会はどうですか? 真の父母とは何ですか? 真の父母とは、人類の代表です。神様の屈辱と悲しみの歴史を否定し、そのすべての主体と対象、内外、前後、左右、上下を否定し、「代身的勝利の標的として現れた」と言うことのできる代表的存在が、真の父母にならなければならないということです。(「アーメン」)。アーメン。「アーメン」と言ってください。(「アーメン!」)。(拍手) それでは、真の父母が必要とするものは何ですか? 真の父母が必要とするものは、何でしょうか? 真の父母も、真の父が必要なのです。分かりますか? その真の父とはだれですか? (「神様です」)。神様です。 神様は、天地を創造される前から”真の父母”というものを考えられて天地万物をつくられたので、創造される前から共にいるべき存在であり、希望としてもいなければならない存在が”真の父母”であったのです。 つまり、真の父母をつくっておかれて、それが実際の生活環境にもいなければならず、理想を描く希望の夢の中にもいなければならないという存在が、真の父母だったのであり、歴史過程を通しても、忘れないように、心の中で喜びの象徴として、いつも生きていなければならないのが真の父母だったのです。そうではないですか? そうですか? (「はい」) それでは、真の父母が次に必要とするものは何でしょうか? ”真の子女”です。どのようなものが”真の子女”ですか? 目があり、鼻があり、口があり、耳があり、ただ五官がある、それが真の子女ですか? 歴史において、悲しみと苦痛と苦役を被った、そのすべての事実を真の父母によって忘れてしまい、真の父母を見て、すべてのことを慰労される位置に立たなければなりません。そうすることによって、真の父母からわたしたちに、すべてのものが、そっくりそのまま相続されるのです。 それでは、真の父母から相続したものよりも良いものを残すことを願わなければならないでしょうか、劣るものを残すことを願わなければならないでしょうか? (「良いものを願わなければなりません」) わたしも、おじいさんになってみると、子供のときには思いませんでしたが、孫を抱いてみると、”自分の息子、娘より優れた者になるように”と願うのが、おじいさんの心です。先生も人なので、そのように思うでしょう? ここにいる年を取ったおじさん、おばさんたち。孫を抱いて、本当にそう思うか、そう思わないかを考えてみてください。 そして、”何代後の後孫は、今の一代の後孫よりも劣っていればよい”と思うおじいさんがいると思いますか、いないと思いますか? (「いません」)。「います!」(「いません!」)。おじいさんもしかたなく、「あなたの話が正しい」と言って、頭を下げるのです。 それを、どのようにして連結させるのかが、問題です。昔のおじいさんとおばあさん、あるいは、今の皆さんの年齢の父母、八十歳前の父母、若くて元気だった父母、そして八十歳になるまで好きだった父母を好むのであって、年老いて霊界に行こうというおじいさんを、どうして好むでしょうか? 孫も、「おじいさんのここにキスしなさい」と言っても、そこにキスせずに、別の所にキスするのです。これは、大きな問題です。ですから、この歴史的伝統を父から息子、三代、四代、千万代まで、どのように継続させるのかということが、大問題なのです。 それゆえに、神様を知らなければなりません。神様を深く知らなければならず、天の国を知らなければなりません。そして、その価値ある天の国という存在は、どのように成されるのかといえば、血筋が神様よりももっと良くなることを願う位置であればあるほど、神様を中心とした、より高い天国を成し遂げていくというのです。 天国に行っても、理想を描くのです。李相軒氏の報告を見れば、霊界に行っても原理講義をしているでしょう? 原理を学ばなければなりません。その心情的深みに、いまだに到達できていないので……。 アウグスティヌスが霊界に行って、初めて神様と出会ったときに、神様が訓示されたことは、「アウグスティヌスはアウグスティヌスだ。あなたは、あなただ。あなたは、わたしではない。あなたはあなただが、わたしにならなければならない」ということです。 それはどういうことですか? ”神様のようになりなさい”ということですか、”神様よりも優れた者になりなさい”ということですか? (「”優れた者になりなさい”ということです」)。”神様よりも優れた者になりなさい”ということです。 それでは、優れた者とは何ですか? 神様は、すべての被造世界を愛によってつくられました。そして、”愛を受けて生き、愛を受けて死んでいきなさい”という心情でつくられたのです。分かりますか? (「はい」) 考えてみてください。神様が花をつくられるときに、花の種を一つつくって植えられたでしょうか、木の中心である根から数多くの根、幹、枝が生え、芽が出て一つ、二つと、このようにつくられたでしょうか? 一つの種をつくられたでしょうか、根を下ろして大きな木になって花が咲き、そして種を刈り取るまで待ち望んでから一つの種を刈り取られたでしょうか? 種をつくられたでしょうか、種を植えてからすべての過程を経て、大きな花が咲く木をつくられたでしょうか、すぐに種ができる木をつくられたでしょうか? (「種をつくられました」)。本当ですか? (「はい」)。わたしを見て学ぶのですね。種が必要なのです。 アダムとエバを中心として種をつくられたのです。男性と女性が成長し、凹凸を一つにして種が植えられ、そこから芽が出て、子供が生まれるのです。その子供は何ですか? 真の父母の子供です。「父母の日」を迎えた父母の世界において、最も必要なのが子女です。それは何ですか? それが種です。 家庭のコンピューターを見れば、それにはプログラムを入れなければなりません。上下間の父子関係、左右間の夫婦関係、前後間の兄弟関係、この三つの関係が一つになって立体的な球形を成すようになっています。その球形の中心は、すべてぽんと空いて、空気で満ちています。 皆さん。サッカーボールを見てみれば、このようになって丸くなっています。丸いということは、中から表面を同じ力で押しているということです。そして、この中は完全に空いているのです。たくさんの力が重なって押しているので、表面まで膨れ上がってくる、ということを考えなければなりません。 続けて投入すれば、完全に力でぎっしりといっぱいになってしまうのです。このようにして、宇宙は形成されたと考えなければなりません。 このように考えるとき、真の父母がいれば、真の父母の子女というものは、真の父母よりも優れていることを願うでしょうか、劣っていることを願うでしょうか? (「優れていることを願います」)。 真の父母がまぬけならば、「こうでも良く、ああでも良い」と言うのです。それは、まぬけでしょう? 「こうでも良い、ああでも良い、生まなくてもよい、いなくてもよい」と言うのではないですか? 知恵深い父母ならば、良い所に良いものを加えなければならないでしょう? 良い所に悪いものを加えることを願うでしょうか? 悪い所に良いものを加えて、後で手術して良いものを抜き出してしまえばよいでしょう? しかし、そのようにしても傷ができるというのです。根本から良いものをプラスし、さらにプラスして、真の父母よりももっと良い実を願うというのは、神様が成される復帰摂理の決定的な希望の論理です。 このように考えるとき、皆さん。真の父母を中心として真なる子女になろうとして、生涯、精魂を込めてつくられた自分自身は、真の父母と比較してみるときに何パーセント優れた存在になれそうですか、なれそうにありませんか? (「なれると思います」)。後ろにいる人たちは、どうですか? 聞こえますか? (「はい」)。大きく答えてください。(「はい」) それでは、”より良い価値的存在、より良い善なる人間は、どこから連結されるのか”ということを、皆さんは知らなければなりません。愛です。夫婦の愛です。どこからですか? (「愛からです」)。夫婦の愛からです。 きのう、百度で愛したというとき、次は千度で愛すれば、千度の愛の価値的存在が生じるので、百度とは比較できません。きのうよりも、より良い愛、きのう暮らしていた環境での愛よりも、天宙を抱いてあまりある余裕しゃくしゃくな愛。神様までも、その愛のふろしきに入ってきて昼寝をすることができ、一年じゅう寝ていても安息所だと夢を見ながら……。 生きて感じることができなければ、夢の中ででも、”理想的だ。千年万年幸福な安息所だ”と思うことができる、愛のふろしきになるということを知らなければなりません。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) さあ、それでは、「堕落」という言葉は、どれほどとてつもない事実であるかということを知らなければなりません。天宙を一瞬のうちに暗黒天地に引っ繰り返してしまったということを知らなければなりません。 皆さんが、数千ボルトの電気を流すスイッチを瞬間的に切れば、「ばちっ!」と大きな音がして「わあ!」と瞬きするのですが、”自分が瞬きしたから明かりが消えた”と思いますか、それとも”明かりが消えて音がしたから、自分の目が瞬きした”と思いますか? どちらが先ですか? 瞬きするのが先ですか、明かりが消えるのが先ですか? 明かりが消えるのが先です。手を引っ繰り返せば、天国と地獄が引っ繰り返るということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) わたしたち統一教会は、「絶対”性”」を論じています。「『絶対”性”』に絶対愛がある」。そうですか、そうではないですか? (「そうです」) きょうは、何の日ですか? (「『真の子女の日』です」)。「(真の)子女の」です。「(真の)子女の日」が、四十周年になる記念日です。絶対、絶対、絶対、四十年の所願成就が結実する時です。 このように思うとき、そこで「絶対”性”」を守ってきた家庭は、どのような家庭なのでしょうか? 永遠な夢を抱かれた神様のみ前に、夢の世界が成し遂げられる焦点となる位置にいるのではないでしょうか? 分かりますか? (「はい」) その焦点位置は、”私”が祝福を受けて立つことができる位置だったのです。”私”の位置だったのです。考えてみましたか? その位置が、真の父母よりも、もっとりっぱな真の父母になる位置ではないですか? そうでしょう? 一点を中心として……。皆さん、自分を中心としてすべての世界を自分のものにしたいと思うでしょう? 同じことです。神様もそうです。焦点位置に、千人なら千代になるのであり、万家庭ならば万代になるのです。 それゆえに、そこに障害物はありえず、躊躇して心が流れることはありえません。どこに行っても、その喜びは全宇宙の喜びになるのです。 天上天下のすべてに共鳴する喜楽を感じることができ、その位置は、そこを一つの主体として全体が”付体”となり、立体的な喜びを享受する位置なのです。それが永遠を保証する喜びの位置です。それは、神様も「アーメン」と言われます。その位置が、皆さんが祝福を受けた位置です。 今朝、だれか話をしたでしょう? 今朝が、どのような日として天地に記録した日なのか知らないでしょう? 郭錠煥氏? (「はい」)。言ってみてください。先ほど、「訓読会」をした後に、一言でもそれについて話してから降りていかなければならないでしょう? 「この時代における、きょうこの日は何々の日である」と、天地に宣言した日です。それは何ですか? (「家庭王圏出発の日です」) 四十年の間、先生が語ったみ言とともに、真の父母が祝福したのは、真の父母の家庭の種を中心として、もっとりっぱな、歴史的な種となる家庭を願ってきたので、その家庭が定着することができるのは、きょうを期して、今からは祝福を受けた家庭の皆さん、真の父母の家庭と一つになることができる皆さんの家庭になるのです。 それで、”真の父母”という存在は、どのような存在ですか? 成約時代とはどのような時代ですか? 結婚式を完成した時代です。理想的な結婚の内容を備えて定着する時代だというのです。 その理想的な家庭定着を代表した家庭が、だれの家庭であるのかと言えば、”私”の家庭です。皆さんの家庭です。真の父母の家庭よりもりっぱで、素晴らしい希望の家庭ですが、その家庭とは何でしょうか? 天地父母を直接にお迎えして暮らす家庭は、自分の家庭一つしかありません。数万数千の家庭があったとしても、神様は”私の家庭”の父なのです。その父とは、どのような父でしょうか? ”家庭の王”であられる父なのです。分かりますか? (「はい」) 数多くの家庭は、同じ兄弟です。ですから、神様の位置は、「兄弟の前における王たる父」ということです。それでは、その王という位置の価値も、父という価値も、それが千万家庭に分けられているとしても、その家庭の内容は、すべてイコールなのです。 神様の息子、娘、王子、王女の王であられる神様の家庭を中心として、王子王女の家庭は、神様の家庭的希望の花が咲く家庭にならなければなりません。そのようにすることができるように、新しく出発した……。 アダムが堕落せずに復帰完成し、理想的天地を舞台として、新しく出発することができる起源とは何かというと、神様を王として侍り、真のご父母様を王として侍り、完成したアダム家庭として育ち、花を咲かせるために出発するわたしたちの家庭なのです。分かりますか? (「はい」) ここに今、統一教会の家庭が何千人と集まっていますが、何千人も必要ありません。皆さん自身が、ここで一番になることを願っています。そうでしょう? 一等になることを願うでしょう? だれでも一等になることができます。 もし、”一等になることができる人になった”というとき、一等になることができる人に一点だけでも加えれば、また一等が生まれるでしょう? それには限界がありません。限界を無限に克服することができる、真の愛の道理が生じるのです。 オリンピックの百メートルの記録も、昔は十二秒近くもかかっていましたが、最近では九秒八くらいですね。これを見ると、だんだんと記録を破れば、昔の一等が九等、十等になるというのです。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。九秒かかるものを三秒でさっと飛んでいけば、どうでしょうか? 神様が、それに一等賞を下さるでしょうか、下さらないでしょうか? 下さらないでしょう? (「下さいます」)。下さいません、この者たち。(「下さいます」) このようなときは、「この先生め。『下さる』です」と、悪口を言っても引っかかりません。それに反対するのが、どうして「先生」ですか? 先ほど話した、高く、広く、深く、大きい神様が、愛を慕って訪ねて来られるのが復帰路程です。何が慕わしいのですか? (「愛です」)。愛です。神様は、男やもめの立場ですか、父親の立場ですか? (「男やもめの立場です」) 父親の立場ならば、母親を慕って、愛する何かがなければならないのですが、「父親」という言葉を聞くためには、母親と愛した関係において血筋が連結させてこそ”父親”という位置が成立するのです。 それでは、天のお母様がいますか? 天のお母様がいますか、いませんか? (「いません」)。わたしは”いない”と思います。どちらですか? 「どちらなのか?」と尋ねているではないですか? わたしは「いない」と言ったのですが、あなたたちはどうですか? (「います」)。本当ですか? (「はい」)。やあ、それは、わたしが一つ学ばなければなりませんね。どのようなものがあるのですか? どのように答えるのですか? これが問題なのです。 それでは、「いる」という母親を、どこから捜し出してくるのですか? アダム家庭以外に母親がいたでしょうか、いなかったでしょうか? 見えない神様の二性性相と、見えるアダムとエバの四人が、このように座っているのですが、無形の実体を持った性相と形状の父母は、有形の実体である性相と形状の存在が絶対に必要です。分かりますか? (「はい」) 神様がいらっしゃる無形世界が、いくらりっぱで良くても、それ(無形世界)を補充することができる有形世界の完全な標的を決定づける内容がなければ、無形世界もなくならなければなりません。 皆さんの心と体は、毎日闘うでしょう? 闘っているのに、なぜ離婚できずに、数千万年もの間、闘ってばかりいるのですか? なぜ、それを解決できずに闘っているのですか? しかし、闘って、闘って、闘い、このように闘っては疲れ、このように闘っては疲れました。自分のために生きるので、闘いが終わらずに、それが継続してきたのですが、もう「ああ、今からは反対にしてみなければならない」というのです。どのようにすると思いますか? 女性は女性を中心に考え、男性は男性を中心として”自分ばかりが良い”と考えるので、何千年たっても闘いが終わらなかったのですが、「ああ、もう闘い疲れて死ななければならないなあ。なくならなければならないなあ。ああ、わたしがしたことの反対のことを一度してみよう」というのです。 その方向は何かというと、「ために生きなさい。ために存在しなさい」ということです。それは、正しい話だと思いますか、正しくない話だと思いますか? (「正しい話だと思います」) 自分のために生きることには、もう疲れました。個人主義も疲れました。自分を中心とした独裁者になって、あらゆることもしてみて、お金を使ってあらゆることもしてみて、金銀財宝や権力であらゆることをしてみましたが、何にもなりません。 自分を中心として暮らした生活歴史が、今まで描いてきたすべてのものは、三百六十度(全部)失敗です。そうして、「このように生きるのがつらければ、死んでみよう」というのです。そのような方向が何かというと、「ああ、自分を中心として生きることをやめ、今からは一度、全体のために生きてみよう」ということです。 そのようにしようとすれば、「わたしが持っているすべてのものを投げ出してしまおう。哀れな存在になろう」というのです。哀れな存在になって、「ああ、神様。私が持っていたすべてのものを失ってしまいました」と言って、えんえんと泣いていると、何かがやってきて一緒にえんえん泣いているのです。それがだれかというと、神様であられたというのです。それは、理にかなった答えです。 人間たち全部が不足であったものを皆集めて、「ええい、この怨讐め!」と言いながら、三百六十度の方向に一度に投げつけ、行く所もなく一人立って痛哭していると、”私”を訪ねてこられるかたが神様だったのです。 そして神様は、「あなたが自分のために生きるときには離れていたが、今は”全体のために生きよう”という、あなたの中心の位置にわたしがいるだけだ。あなたが”したい”と思うすべてのことで、思いどおりにならないことはないだろう」と言われるのです。(「アーメン」) このように、離れていて一度入ってくると、天上の頂上まで上がっていくのです。それで、「神様、もう結構です。結構です。結構です」と言うようになります。 もっと上がっていきたいと思うはずですが、神様が「よし、よし。もう上がっていきたくないだろう。降りてきなさい」と言われて、さっと降りてくると、地獄の底までどんどん降りていくので大変なことになったのです。 今度は、どんどん暗くなっていくので、「もう降りていきたくありません。結構です。結構です」と言うと、神様は「おお、そうか? それでは引き揚げるか? よし」と言われて、昔の位置に戻すのです。そして、「ああ、この位置が良いです」と言うようになるのです。そのような答えが出てきます。わたしが何の話をしているのか、原理にない話をしていますね。 神様に対して、「上がっていくのも嫌で、降りていくのも嫌です。この位置にいながら、今からは全体のために……。神様が願われることは何ですか? あなたを見ると、『全体のために生きなさい』と言うことができる代表者のようです。私がすべて失ってしまうときに慰労してくださるのは、全体のために生きることを願われるあなたなので、”全体のために生きよう”という私の決心を相対として、慰労してくださったのです。 ですから、そのように思います」と言うとき、神様は、「おお、そうか。わたしの息子よ!」と言われるのです。そのようになれば、サタンはすべて逃げていくのです。 そして、天の国が”私”のものになり、神様が父となるのです。そうして、神様の所願成就に適切な生活舞台において、その実を刈り取ることができるようにし、万宇宙の祝福の宝を分けてあげることができるのです。(「アーメン」)。「分けてあげることができない」のです? (「ノーメン」)。答えは、黙っているか、そうでなければ「ノーメン」です。「分けてあげることができる」のです。(「アーメン」)。「できません」。(「ノーメン!」) 聞いて理解していたことも、すべて否定しなければならないということを知らなければなりません。そのように生きてみてください。間違いなく、神様が”私”の主人となられ、天運が”私”を訪ねてくるのです。 姜賢實シルさんも、最近、そのようなことを感じるでしょう? 自分のことを考えれば真っ暗になりますが、全体を考えれば、光が射してくるのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) 真の父母とは、だれですか? 皆さんは、「今日まで統一教会のために生きてきたが、反対される統一教会のために生涯生きても、誇ることは何もない」。また、「文総裁、真の父母は、『平和の世界のために生きなさい』とばかり言うが、ために生きるのを見たことがない」と感じますか? あるいは、「お父様もお母様も(手本を)見せてくれない。訓読会のときにお父様とお母様が一緒に座って、その時間を守れないのか?」などということを皆、感じますか? ”お父様は座っているのに、なぜ、お母様はあのようにするのか?”と。そのようなことも問題になるのです。 あなたたちは、お父様とお母様よりも「訓読会」を一所懸命にやりますか、やれませんか? どちらですか? (「一所懸命にやります」)。間違いなく、分かっていることは分かっているのですね。夢ではありません。老人も若者も同じ答えです。千年万年たっても、この答えは変わりません。 それでは、何のために「訓読会」をするのですか? 眠っている世界人類を目覚めさせるためです。世界人類が、天上に向かう高速道路から脱線してしまうので、自分が懸け橋になるためにするのです。そのように考えるのです。 自分の一族全員が、罠にはまって地獄の祭物となり、めちゃくちゃになる危険な道を進んでいるので、それを防ぐために、サタンの願いとは反対の道をつくるために、そのようにするのだということを知らなければなりません。 文総裁は元気ですか、衰えていますか? (「元気です」)。何が元気なのですか? 八十歳まで生きて、なぜ元気なのですか? たくさん年を取りました。三十代の青春ではなく、八十の老人になりました。元気な人ですか? 心はそうでしょう。心は青春でしょう? ところが、なぜ体は八十の老人になったのですか? それは、衰えたからそのようになったのでしょう? 天理原則に従わなければならないのです。いくら元気でも、天理原則を踏み越えていくことはできません。分かりますか? (「はい」) 夜になっていくのに、「ああ、太陽よ。反対に西側から東側に行きなさい」と言っても、そのように行きますか? 千万人が死んでも、従っていかなければなりません。 では、先生は元気ですか、衰えていますか? (「元気です」)。ああ、八十歳の老人になりながらも、何時間も話して疲れ切っているのに、それでも元気なのですか? 青春(時代)のように元気ならば、何時間話していても、もっと火がついていくのに、これは何ですか? 気持ちがもっと乗ってこなければならないでしょう? 元気ではありません。 先生が一食食べなくても、おなかは空かないでしょう? (「空きます」)。おなかが空きますか、空きませんか? (「空きます」)。あなたたちも、水を一杯も飲まずに続ければ、のどが渇くでしょう? 飲まなくてものどが潤っていますか? (「渇きます」)。同じことです。 ご飯を食べてトイレに行くのが、どれほど面倒でしょうか? 三時間に一度ずつ行くとしても、一日に八度行かなければなりません。静かに座って記念式をするのに、三時間だけすれば、それでよいでしょう? これは、どれほど面倒ですか。それは、元気な人ですか、衰えた人ですか? 衰えたこと、この上ありません。 自然の道理というものは、自分を支配し、自分の周辺のものをすべて包み込んで身動きできないようにするのです。それに順応しなければ、存続の法度から外れていきます。それは何のためですか? 男性のそれのためであり、女性のそれのために、そのようになっているというのです。分かりますか? 男性が優秀で、「わたしは、永遠に女性がいなくてもよい。女性の愛以上のものをわたしは持つことができる」と言うことができますか、できませんか? (「できません」)。「できる」。(「できません!」)。それができれば、それはどれほど優秀でしょうか? 女性も、(自分が)「優秀」だと誇るなというのです。「わたしは、男性のことを夢にも思わず、娘から最後の枯れ草のようになり、真っ白になっても、わたしには男性は必要ない」と言うのですか? そのように言うのですか、言いませんか? (「言いません」)。しかたがありません。女性として生まれれば、男性を慕わなければなりません。 ここには、女性がたくさんいますね? 男性を慕ってみましたか、みませんか? 女性として男性を慕ってみましたか、みませんか? (「慕ってみました」)。だれのために生きているのですか? 考えてみれば、深刻な問題です。 だれのために、そのようにするのですか? おじいさんとおばあさんもそうであり、女王もそうであり、「優秀だ」という女性も全員そうです。胸があるので、赤ん坊を生めば、それを飲ませてあげなければなりません。 女性には子宮があります。「子宮」とは何ですか? 赤ん坊が眠るので「子宮」と言い、赤ん坊が遊ぶことができる王の基地なので「子宮」と言うのです。その王の基地に、汚された血筋を通した王子がいれば、よいでしょうか、きれいな血筋を通した王子を宿して、ごろごろ動くのがよいでしょうか? 先生のことを「優秀だ」と誇ってはいけません。あなたたちも、先生以上になりたいでしょう? 先生が「五大洋六大州のために生きた」というのですが、最近は、太平洋文化圏だといって、海洋圏を解放するために学校を立ててあげ、船を造ってあげ、太平洋文明の主役になることができるようにしてみようと言うのですが……。それが、今から何年後かに終われば、すべて終わりです。 先生が、すべてしておいたではないですか? 学校も、有名な大学は何でも……。運動でも、一イル和サッカーチームが、今年は一等になるかもしれません。”一等になりなさい”というのが、わたしの考えです。 「一等になりなさい」と言ったのですが、一等にならなければならないでしょうか、なってはならないでしょうか? (「ならなければなりません」)。もし、先生がこのような位置にいれば、一等になっていたでしょうか、なっていないでしょうか? (「なりました」)。できない日には、できない者たちは生き残るでしょうか、死ぬでしょうか? (「死にます」) 一等になれなければ、横になって眠ることができないでしょう? それでは、一等になりますか、なりませんか? (「なります」)。「今年よりも来年は十倍以上し、それから十倍以上して、またさらに十倍以上して、三年以内に一等になる」。そのように言っても、間違った話ですか、理にかなった話ですか。(「理にかなった話です」) 「三年間で南北統一しよう」。これは可能なことですか、不可能なことですか、どちらですか? (「可能なことです」)。可能です。できないときには? 火で燃やして、さっとなくなると考えなければなりません。 いくら先生が優秀であるとしても、今後十年後、百年後になれば、だれでもできることなので、それを誇ることはできません。今だから誇るのです。(すでに)十年、三十年たったことを誇っているのです。それから何をするのですか? 分かりますか? 韓国に暮らしている、この祝福を受けた家庭は、「天下の名勝地で自分のものでないものがない。自分が行けない所がない」と言うときの気分はどうですか? 自分の名前で行けなければ神様の名前で、神様の名前で行けなければ真の父母の名前で、真の父母の名前で行けなければ真の息子、娘の名前で行くのです。 ですから、この宇宙が神様の家庭のために生まれたとすれば、神様の名前によって、神様の父母、神様の孫、夫婦、嫁、そのようになるのではないですか? そこに中心があって、その枝になろうと思えば、真の父母の下に枝が伸びますか、一代、二代の枝になりますか、三代の枝になりますか? そのようになろうとすれば、真の父母の血族と結婚しなければなりません。そのようなことを考えていますか? 姜賢實シルさん? そのようなことを考えていますか? 息子、娘がいないではないですか? 考えだけではいけません。十二弟子よりも良い、神様の何と言うのでしょうか? 養子を選ぶことができるのです。精誠を尽くさなければなりません。それゆえに、霊界の人々もすべて祝福してあげるのです。 霊的結婚した人が、地上で十二人のふらふらしている息子、娘を持った人よりも、もっと忠誠を尽くそうとし、”それよりも良くならなければならない”と思って精誠を尽くせば、地上において解放の恵沢を受け、真の父母の祝福を相続することのできる子女の家庭になるのです。 その家庭においては、間違いなく額を付き合わせて二十四時間、そのにおいをかぎ、足のにおい、何々のにおい、父母が病気になって苦労したにおい、すべてを自分が喜んでもみ洗いしながら侍って暮らすことができるのです。そのような息子、娘にならなければなりません。子供になるのに、父母に侍ることができないそのような息子、娘はいません。分かりますか? (「はい」) それで、写真に侍る運動を何年前から始めましたか? すでに七年たったでしょう? 郭錠煥氏? (「はい」)。(「九二年から八年になります」)。わたしよりももっと記憶が良いですね。わたしは苦労しましたが、苦労しないで記憶が残っていますね。それほど過ぎたのですか? ですから、写真を置いて、毎日のように真のご父母様に侍り、きのう死んだ夫の墓を訪ねて、行ったり来たりしながら暮らす、そのような精誠で保護する生活をすることができませんでした。それを始めなければなりません。 神様は、アダム家庭の王です。そうでしょう? (「はい」)。真のご父母様は、アダムの三代圏内の王です。それでは、真の父母とは何でしょうか? 真の父母とは何かというと、霊界のすべての家庭と、地上のすべての家庭の代表的王となられるかたが、真のご父母様です。(「アーメン」) 真の父母は、どこにいますか? 忍耐するので、真の父母と言うのです。(韓国語で「チヤムプ モ(真の父母)」の「チヤム」と「チヤムタ(耐える)」の「チヤム」が、同じ発音であることから、このように言われる)ここに立っている文総裁は、虎よりも恐ろしく、毒蛇よりもしつこいのですが、真の父母になることができますか? 復帰路程において勝利するためには必要でしたが、平安に休む所においては、そのような性格は必要ありません。ですから、皆さんは、羊よりもおとなしく、天下太平で、それよりも従順にすることができる皆さんになってこそ、祭物なく解放的な祭壇の上において、神様がつくってくださった、血を流さない自然的贈り物を食べて暮らすことができる主人になるのです。アーメン。(「アーメン」)。このようになってこそ、解放されるのです。 先生よりも良いでしょう? 先生の家庭は複雑です。複雑ではないですか? 複雑ですか、複雑ではないですか? 主人が野うさぎを捕まえに行ったのですが、カインを愛するために家うさぎを捨てて歩き回っていると、虎が入ってきて、家うさぎをすべて捕まえて食べてしまうようになっています。 今、先生が「訓読会」をしているものは、先生の一生の戦勝記録だと言ったでしょう? 戦勝記録です。それは、皆さんが一生を生きていくにおいて、困難な方面を経ていきながら……。そのみ言は、先生一人のみ言ではありません。 わたしが壇上に上がるときには、先に口を開きません。それを知らなければなりません。先に口を開くのではありません。題目を考えて壇上に立つのではありません。 祈祷して、「きょうは、この題目で話をしなければなりません。すべて神様が願われるみ旨だったのですが、迫害を受け、反対されるとき、私だけが残りました。ですから、孤独な息子に対されるあなたの願う言葉、伝統的な言葉、このようなときにおいてよく聞き、よく記憶することができる時間ですので、あなたが私の口を通して語ってくださいますように」と祈るのです。このような歴史性が含まれています。迫害されても死にませんでした。精誠を尽くして……。 例えば、黒いものを与えるときには、天下の真っ黒いものが現れるのです。神様の心情が込められているというのです。そこに感動する日には、感激してのどが締めつけられ、心情がすすり泣く境地に入っていくのです。それを読んでみてください。痛哭するのです。痛哭するようになっています。 そのような立場で、皆さんが父母となり、子供たちを教育することができる心情的伝統を啓発させ、それを子供たちの胸や四肢五体に、骨髄に植え付けてあげなければ、罪人になるのです。この地に生まれた甲斐がありません。 宿命的な課題を持った血筋が連結された子女であることに間違いないとすれば、その道を行かなければならないということを肝に銘じることを願います。分かりますか? (「はい」) そして、四十周年となるこの日を中心として、今朝、式をしたのですが、式の途中で先生が訓示した内容はどのような内容ですか? 今から、入籍家庭が出発したので……。堕落した世界を抜け出すのです。 すべての祝福家庭は、アダム完成者として、代表の位置で天地父母に侍り、天の宮法からその国の法を残し、教えてあげるべき生活舞台が始まるのです。このような時代に入ってきたので、「第四次アダム圏の心情世界が出発した」と言ったのです。すべて同じことです。 それゆえに今、国においても国境を超えた南北統一です。国連を中心として世界、国家の定着が一つの路線、一つの年に連結されています。分かりますか? それで、今年の十二月までに百九十一か国を中心として結縁を終えなさいと……。郭錠煥先生? 訓示したことを忘れてはいけません。分かりますか? (「はい」)。そのようにすれば、二〇〇一年から新しい舞台が展開するのです。ここに反対する人や、反対する者は、霊界が連れて行きます。見ていてください。何のことか分かりますか? (「はい」) 今、労働者、農民がどうだこうだと言い、共産党がどうだと言っていますが、もし金キム正日イルが死んだら、どのようになるでしょうか? 北韓は何もありません。金キム日イル成と金正日しかいません。大韓民国は何大統領ですか? (「金キム大中大統領です」)。独立(=南北統一された国のこと)大統領が必要です。分かりますか? (「はい」)。何でも好きになってはいけません。 「このような話をした」と、昔の”国政員”の人たちは報告しなさいというのです。「文総裁がこのように言っていた」と。 天地を一人で受けていき、絶対的中心者にならなければなりません。そのためには、文総裁の所に来て、学ばなければならないでしょう? 嫌でも来て、学ばなければなりません。どのくらい行けるか見てみましょう。わたしは、じっとしているので、どのようになるのか見てください。 今、尋常ではないでしょう? 九月十八日に国連で官僚会議だと言っていたのですが、十月十日にだれかが来て教育するのです。百九十一か国の精鋭部隊の教育を国連の名によってするのです。このような真っ赤なうそが、どこにありますか? そのような話をして、「それが事実だ」と主張する文総裁の生涯は、愚かに見えるでしょうか? わたしは愚かではないですか、愚かですか? 話すのを見ても、理論に合うように話すのです。数理的にも違いません。祈祷してみてください。 自分では理解できない話をしましたが、祈祷して聞いてみれば、すべて歴史的過程にすっかり合うように話しているのです。骨がぴったりと合い、肉がくっつくようになっているのであって、いいかげんにはなっていません。分かりますね? (「はい」) ですから、利口な統一教会の教会員だけが文総裁についていくことができるようになっているのですが、それでも死なずにここまでついてきたのですから、利口な群れですか、偽りの群れですか? (「利口です」) さあ、もう終わりましょう。分かったでしょう? (「はい」) 統一教会の教会員たちは、あまりにも良い天国に行き、神様に直接侍り、造化の神様を代身して行使して暮らすことができ、万国万年の解放の王子となることができる権限を持っているということを知って、そこに向かって飛んでいき、這っていき、走っていく。それは問題ではありません。 走っていくときは走っていき、飛んでいくときは飛んでいき、這っていくときは這っていき、帽子を脱ぐときは何ですか? 脱ぎますか、かぶりますか? かぶらなければなりません。では、服を脱ぐときはどうですか? 神様のみ前にあいさつに行くときには、服を着ていって、あいさつするのでしょうか、服を脱いでいって、あいさつするのでしょうか? (「脱いでいきます」)。何ですか? (「脱いでいきます」)。何ですか? (「脱いでいきます」)。それは、だれから学んだのですか? (笑い) エデンの園で堕落した贈り物が服です。脱いで入っていって、あいさつしなければなりません。もし、服を着て、礼服を着て入っていって、あいさつをして出てくるときには、脱いで愛してから出てくるのです。それが、あいさつです。だれとともに愛するのですか。宇宙とともに、です。神様と一つになって、宇宙とともに同化して出てくるのです。それが解放だというのです。 李相軒氏の話もそのようになっているでしょう? 先生の話と似ていますか、違いますか? (「同じです」)。ぴったり同じですか? わたしも、ぴったり同じかどうか知らないのですが。わたしも、ぴったり同じだと思います。 分からないので、それで一所懸命に「訓読会」をしているのです。分かりますか? (「はい」)。あなたたちは、よく知っているでしょう? よく知っているでしょう? (「はい」)。よく知っているのなら、「訓読会」をしなくてもかまいません。(笑い) 先生よりも良くならなければならないのではないですか? 息子、娘が真の父母よりも良くなることを願うのが真の父母の願いであり、神様の願いなのですから、良くならなければならないでしょう? 分かりますか? (「はい」) 先生よりも、もっと知らなければならないでしょう? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。「そうだ」と言うということは、わたしよりも、もっとよく知っているのですから、「訓読会」をしなくてもよいということではないですか? そのように暮らすのですか、反対に暮らすのですか? (「反対に暮らします」)。はっきりと答えてください。反対に暮らすのですか、そのように暮らすのですか? (「反対に暮らします」) 「反対に暮らす」という人は、拍手してみてください。(拍手)拍手するのに、ここから上がっていってこそ、このように拍手できるのです。東西南北に。四方に回りながら続けて踊りを踊りながら拍手するのは、”前提訓練”であるということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」) それゆえに、わたしたち統一教会は、歌を歌い、踊りを踊り、今からは、それしかありません。何をして暮らすのですか? 食べるものはいくらでもあります。おなかが空けば、南極に行って、えびの粉を持ってきて、さーっと水に溶かせば、カップ一つで、三食食べなくても生きていくことができるのです。 五十年間で百歳以上の苦労をして生きれば、歯が抜けたときには、また歯が生えてくるでしょうか、こないでしょうか? (「生えてきます」)。五十年以上生きることができる健康な歯が出てくると思うのです。ですから、「長生きだ」と誇らず、かといって「短命だ」と落胆もするなというのです。 その根本が待っているので、天上世界で若者として、老人よりも元気いっぱいに仕事をすれば、それが、あの世に行ってもこのように結ばれ、あのように結ばれるので、滅んで万歳、栄えても万歳! 滅んでも感謝……、(「栄えても感謝」)。死んでも感謝……、(「生きても感謝」)。そのように思えば、すべてよいのです。 ”死のう”というところに生きる道ができ、”生きよう”というところに生きる道はできません。最後まで行ってこそ、新しい世界が生まれるのです。それが天地の道理です。死なんとする者は、何ですか? (「生きる」)。生きんとする者は、何ですか? (「死ぬ」)。栄えようとする者は滅び、滅びようとする、つまり他の人が八時間働くのならば、八掛ける三で二十四、三倍仕事をして死のうとする人は、栄えるのです。 今回、わたしは、海洋(国)に行って話をしました。富豪になる道は簡単だというのです。その秘訣は……。 お金が必要なら、今からよく聞いてください。簡単です。”死ぬ前に、普通に豊かに暮らす人の三倍の仕事をしなければならない”、そして”監獄生活をする服役の時代だ”と、そのように考えてみてください。それから、”食べて、遊んで、寝て、そのような時間はわたしにはない”と考えるのです。 寝ようにも寝る時間がなく、遊ぼうにも遊ぶ時間がなく、食べようにも食べる時間がない人です。そのように生きれば、間違いなくお金が入り、それでもお金を得ることができなければ、先生のおなかを裂き、首を切りなさい。 わたしは、そのように生きて、この滅びる世界でただ一人、勝者の表札を掲げて宇宙の中に現れたということを知らなければなりません。「アーメン」です。(「アーメン」)。それは正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) ”食べて遊ぼう”という者は、盗人です。先進国の者たちは、おなかが張り裂けるほど食べても余りあるものだから、「八時間労働しなさい」と言っているのです。一日に一食も食べられない国があるのに、「八時間労働」ですか? このようにして搾取していき、力のない所から良いものを奪っていくような国を、わたしは見てあげることはできません。 それで、南方天地の太平洋圏を生かしてあげようと思うのです。それで、アメリカとロシアと中共と、それから北韓、日本、インド、四十か国を連結させ、第二世界平和の部隊を編成するための準備をしておきました。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」) 一年間訓練すれば、犬でも豚でも一人前になります。自慢することではありません。統一教会の教会員ならば、一年ではなく一か月でできます。できますか、できませんか? (「できます!」)。できて余りあるのです。できない者は、手を挙げてください。首を切ってしまったほうが、ましです。(笑い)そのように言っておけば、「挙げなさい」と言っても挙げません。(笑い)それでよいのです。 わたしに、できないことがありますか、ありませんか? (「ありません」)。闘いはどうですか? (「お上手です」)。闘うのも上手なのですか? その闘いに強い人が、どうして教主になれるのでしょうか? なぜですか? サタンが闘ってくるからです。 また、神様とも闘うのです。神様と角の突き合いをして、神様がわたしに負けたので、神様はどこにも行けずに、わたしを助けてくれるのです。そうか、そうでないか、尋ねてみてください。歴史以来、神様を泣かせた人は、わたししかいません。(拍手) さあ、きょうの「真の子女の日」の中で、最も喜びの日は何ですか? 天地父母を自分の家の永遠の主人、永遠の王として侍って暮らすことができる解放的家庭が出発したという、この日の前に、”そのような相続者は、私の家庭だけだ”という決意を誓うこの時間となってこそ、四十周年を記念する「(真の)子女の日」がすべて終わるのです。「(真の)父母の日」も、「(真の)子女の日」も、「(真の)万物の日」も、すべての行事もすべて過ぎていきます。 アダムの第四次アダム圏時代に、何の国があり、何の記念があったでしょうか? そこから全体の出発がなされ、名づけるとおりに、自分が願うとおりに暮らすことができる環境になったので、地上が天国でなくても天国になったのであり、「天国がない」と言って、天上から逃げていっても、天国の中に入っていくことができるのです。 そのような王子、直系の長孫、後継者として選択された家庭となり、神様に侍って、堂々とその王権を授与される相続者なのです。そのことは間違いないということが分かったので、万々世感謝していきます。アー! (「アーメン」)。「メン」と言って、感謝します。(「感謝します」)。「アーメン」と言って、感謝しなければならないでしょう? (拍手)さあ、祈祷しましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.21
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歌⑧ ♪ナイジェキドハリラ 나 이제 기도하리라♪前田つよし歌ってみた2023/12/14Tsuyoshi Maeda(前田つよし)前田つよし時速2キロで歩く真理の道一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 【関連動画】まるで魔女狩り 統一教会と政治家私は家庭連合に入るかもしれません。本気モード家庭連合○○教会に行ってきました【家庭連合前田つよしのYou Tube】緊張しました。教会員になりました。ありがとうございます。
2023.12.20
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「家庭王権時代」宣布二〇〇〇年十月二十七日(陰暦十月一日)午前七時、ソウルの漢南国際研修院において、真のご父母様の親族代表、大陸会長、元老食口、連合会長、教区長、二世代表等、約二百名が参加する中で挙行された「第四十一回真の子女の日」敬礼式にて、真のご父母様は、天地父母が家庭の王となる「真の父母家庭王権時代」を宣布なさった。真の父母様、第41回「真の子女の日」敬礼式および天地父母様家庭王権時代宣布 祈祷 愛するお父様、きょうは第四十一回、満四十周年を迎える真の子女の日を祝賀する日です。 霊界でこの日を祝賀すると同時に、天地父母を中心として、きょうこの時間を期して、天地にいるすべての人類の先祖、アダムとエバの後孫全体に神様の子女の名分を賦与する大転換式、新しい父子の因縁をこの地上で結ぶという、朝の太陽を迎える喜びの日として制定することを願いますゆえ、お父様……、この日のすべての式典をあなたが喜びのうちにお受けくださいませ。 サタンとその手下たちまでも抱いて愛さなければならないあなたの心の前に、天地父母が備えた勝利圏を中心として、愛の主権国家を定着させなければならない時代を迎え、国家的基準を越えて世界へと越えていくこの時代を迎えております。国連と大洋と陸地、地上と天上世界が統一的なあなたの予女たちの生命を保障できる所有物として、あなたが創造した理想の基準をもう一度復帰圏に立てて、子女の名分を備えたあなたの第二の相続者として、あなたを真の父として侍る日の起源とさせてくださいませ。 お父様、天上世界のすべての万物と地上世界のすべての万物、人間を中心としたあなたの血族の因縁を備えたすべてが、これから世界の国家を越えて、宗教とすべての国境を越えて、統一的な一つのあなたの主権世界へと向かうことができる時代となりました。それゆえ、この地上に存続するすべての万物は、あなたの子女たちに所属する万物であり、収拾されたあなたの子女たちは、あなたの愛に抱かれることができる子女としての名分を備えられる、所有権を再び策定するこの時間としてお受けくださいますようお願い申し上げます。 そうすることによって、海洋還元、陸地還元、天宙還元とともに、第四次アダム圏心情圏還元、本然の還元まで宣布して、海洋世界と島嶼国家と半島国家と大陸国家を連結させて、統一的地上世界に向けて、国連に向けて私たちが計画するすべてが南北統一という理想のその場に立って、天の主権を代表する祖国光復の世界的礎石を置くことができる、そのような時代を歓迎でき、祝福するこの時間となりますようにしてくださいませ。 すべての人類は、天に対して、真の父母に仕えることのできる、解放的祝福圏を既に備え、第四次アダム祝福圏時代に入りました。そして、すべての家庭で失った母子関係を母と子が一つになることによって求め、父子の関係を築くことができる復帰的父子時代を迎えることになりました。それによって、神様を絶対・唯一・不変なる真の父として仕えられるようになり、この地上のあらゆる人間の子孫たちが、あなたの血族となって、今まで失敗したすべてを清算して、再び忠孝の道理を誓うあなたの孝子、孝女の家庭となるようにしてくださいませ。そうして、歴史時代のいかなる人も備えられなかった忠孝の道理を備えて、その見本となり、保護育成することができるよう天が導いてくださいませ。 今や、天も残されたすべての恨の条件を踏み越えて、真の父母と天上世界の興進君の前に任せて、あなたは解放を受けることのできる真のお父様の立場に立ってくださり、全宇宙を統治して主管する日となりますように。そして、子女を集めて天に仕えることを決心し、宣言するこの時間を迎えようと願いますゆえ、ここに臨在なさり全体の式を引き受けてくださり、全宇宙に宣布する記念日として策定することのできる、第四十一回真の子女の日となるようにしてくださいますよう切にお願い申し上げます。 全体の食口たちが、お父様の恩賜の中で天地統一圏と解放圏を備えた立場で、あなたの愛の主権国家を中心とした天地父母の前に、孝子の道理、忠臣の道理、聖人・聖子の道理を果たす、直系の血統的子女であることを、そして全天宙の所有物として捧げるわずかなものを受け取られた条件として、子女をお父様の血族を中心としたあなたの眷属に抱くことがでぎる、新しい時代に転換されますように切にお願い申し上げます。 そうして、天地が注目し、天上天下が一つになって、真の父母を中心として、愛の一念で父子の因縁を欽慕できる門を開かれ、霊界のすべての垣根と地上の垣根を壊して、光明な愛の光が全天地を照らしても余りある時代に前進できる起源としてくださいますことを切にお願い申し上げます。 神聖な式典に際しすべてを奉献しながら、これを受けて下さいますよう、真のご父母様の御名により宣言いたします。アーメン、アーメン、アーメン! 敬礼式 (真の子女の日の敬礼式-二世祝福家庭代表敬礼、天地祝福家庭代表敬礼、摂理中心三か国(韓国、日本、アメリカ)代表敬礼、六大陸代表敬礼、中心宗教代表敬礼、全世界国家メシヤ代表敬礼真のご父母様親戚代表敬礼アベル圏世界代表敬礼カイン圏世界代表敬礼、霊界代表敬礼) み言 一 全体が敬礼を捧げたので、一言語りましょうか。きょうは、満四十周年を迎える真の子女の日ですが、今年の十月も最後の月とならなければなりません。祝福の月であり、解放の月なので……。真の子女の日の四十周年を中心とした今年は、子女と父母の因縁を完全に確立させて越えていかなければならない時です。それゆえ、きょうの真の子女の日の祝賀式には意義があります。 神様と人類は父子の関係にはありませんでした。真の父母も、今までこの因縁を結ぶために歩んできたのですが、これはどこから決定されなければならないのでしょうか? 皆さん、祝福家庭から始まらなければならないのです。祝福家庭から、神様を父として侍り、真の父母を人類の先祖として侍らなければならないのです。内的外的父母に仕え、愛と生命と血統を引き継いで、本然の良心的水平基準、水平に立つことができるその根が九〇度の角度に合わせて定着する、そのような家庭にならなければならないのです。 神様とはだれでしょうか? アダムはだれかというと、家庭の先祖であり、家庭の根本です。それゆえ、今日から天地父母が、家庭の王として君臨するようになるということを覚えておきなさい。 今までは家庭に王はいませんでした。家庭の王が、今後、国家の王の位置を受け継がなければならず、天宙の王の位置を受け継がなければならないのです。そうしてこそ、本然の理想的天国圏が連結されるのだということを知らなければなりません。すべてが王権のためなのです。始まりも王権のためだというのです。 王権は真の父母、天地父母の愛と血縁関係の一体圏となっているため、根や幹や芽のような生命圏を持って、同じ要素と同じ栄養素で育っているのです。共に育っているのです。それゆえ、家庭の王が始まることによって、国の王が連結され、国の王が連結されることによって、世界の王が連結されるのです。今や、入籍時代に入りました。 蕩減をすべて果たして、海洋時代、陸地時代、宇宙時代を中心として、第四次アダム心情圏を還元したため、これから本然の定着時代に入るのです。そうすることによって、子女と父母が一つになり、四十年の峠を越えて、家庭に定着する日を定めて越えていかなければならないのです。それで、きょう、この日は、初めて天地父母が家庭の王として君臨する日であるということを記憶しておかなければならないのです。そのような意味で、この式典に臨まなくてはなりません。 それゆえ皆さんは、今後、日常生活で写真を中心として家庭で真の父母に仕えなければなりません。教会形式ではなく、何かの国家形式でもありません。皆さんの家庭から、教会のみ旨と国のみ旨と世界のみ旨が始まるのです。そのような見本となる血縁的系統を受け継いだ、新しく出発した家庭にならなければなりません。そのようになってこそ、入籍の定着が可能なのです。 今、入籍式をしていますが、今後、入籍した家庭で、初めて天の父母を王として侍るそのような時代に入っていくのです。十月を越える前に、これらをすべて整理しなければなりません。そのために、海洋圏・陸地圏・天上世界を連結させるのです。すべてが平準化時代を迎えたと見なければなりません。 特定の先進国家であれ、未開の国家であれ違いはないのです。均一的な基準の平等の価値が、生活と環境においてなされなければならないのです。世界舞台で統一的な現象が起きなければならないのです。それは何でしょうか? 祝福を受けたすべての家庭は、家庭の王に仕えることができる生活を出発するということです。 赤ん坊から、父母から、先祖、四位基台の復帰歴史は家庭を中心としたものですが、ひたすら神様の愛だけを中心として連結する家庭の見本となって、天地父母を王として侍ることのできるたった一つしかない家をつくらなければなりません。こうして、この家が未来の王権に、国の王に仕えて、この国が天地の大王に仕えて、一体圏、血統的基準を中心とした、地上・天上天国でない所はないという世界に転換する出発を見る日がきょうであるということを肝に銘じ、この式典に参加しなければなりません。 皆さんには所有がありません。自分の物、自分の国、自分というものはないということです。あるのは家庭だけです。家庭に愛を立てることによって、その愛の根源的基準と一致する価値の内容を中心として、自分が連結されるのです。 宇宙全体が一つの核を中心として、剛体として一体となるのと同じように、皆さんの家庭がそのような核の立場に立って万物を愛し、神様が愛でつくり、為に存在するそれらを食べて、消化する主人の立場を備えなければなりません。そうして、自分の家庭が神様の前に愛を中心として一体圏となって吸収され、吸収することができなければならないのです。そのような天地父母、王に仕える標準的、定着的、礎石的な定礎石のような家庭であるということを感じなければなりません。 他人の家庭に王をお招きするのではありません。自分の家庭で、天地父母を王として仕えているという思いを生涯抱きながら生活しなければなりません。そして、訓読会をするときには、そのような意識を持って、子女たちの前において侍る生活の見本とならなければならないのです。そうでなくては「天地父母様の勝利圏を相続した、祝福で受け継いだ祝福家庭なにがしの名前で祈祷します」とは言えないのです。 王に仕えて生きながら「すべての勝利の権限を受け継いだ私たちの家庭を代表したなにがしです」こう言ってこそ、祈祷内容が合うのです。勝利圏とは何ですか? 王権です。私たちの家庭が神様、天地父母に仕える、主に仕える初めて出発した家庭であるということを意識しながら生きなければならないということを知らなければなりません。ここでは三六家庭、七二家庭をすべて克服するのです。 それゆえ、この基準を中心として教会を解体しました。今までは国家体制もありませんでした。大韓民国の体制、道・郡・面・里というものはないのです。それは形式的なものです。それらを結んで仲立ちを頼むだけのものであって、彼らと生命の因縁を結んで行う時代は過ぎました。 ですから、皆さんの家庭が天地の王に仕える標準的な伝統を立てるべき家庭であるということを自認しなければなりません。これは家庭連合から始めなければなりません。口だけではありません。ですから入籍した家庭は、天地父母が苦労した創造理想をそのまま根こそぎ受け継いで、自分の家庭に定着させ、ここで千年万年の国と天宙の前に連結することのできる愛の泉が始まるのです。そのような意識をもって生きなければならないのです。 これからは議論する必要はありません。これはだれもが知っています。原理のみ言、先生の生涯のあらゆる記録を天理の根本として理解し、そこに符合する生活をしなければなりません。自分の日常生活、家庭生活からこの国や世界、どこに行ってもその本源的な事情、その姿がこんがらがってはならないのです。それを知っているのです。 家庭の王となったので、家庭の王に仕えて、氏族の王から国の王、国の王から世界の王、天地の王の立場に王権を解放し、その上に君臨してこそ天地父母の王権が全体解放されるのです。個人時代、家庭・氏族・民族……。永遠の時代の解放圏が成就するのである! アーメン! ですから、統一教会の看板を外したのです。今は世界平和統一家庭連合です。平和というのは水平のことを言います。皆さんの良心は、静かな湖のように水平でなければなりません。そこに垂直が連結するのです。垂直は一つしかありません。中心は一つだというのです。 垂直とは何でしょうか? 先祖アダムを中心としたのが垂直です。おじいさん、お父さん、お母さん、自分たち夫婦を中心として、根に育っている息子と娘が水平垂直を備えて定着することによって、創造理想が完成するのです。おじいさんが孫を愛し、お父さんが息子と娘を愛することによって、神様の創造理想が完成するのです。神様が三代をつなぐことができなかった血統が、初めて皆さんの家庭で連結するのです。三代が一体にならなければなりません。 おじいさんは、旧約時代を象徴し、歴史的にこの時代圏内に染まっています。この時代に染まっているのです。またアダムもこの時代圏内に染まっています。国がなく世界がありません。ただし、これから始まるのは家庭です。 自分の家庭で国を越えて、世界を越えて、神様に代わって愛することのできる愛の因縁を結ぶことのできる父子の関係をつくるのです。それを尊重視して、一つとなっている夫婦関係、そこで連結した子女までが三位一体とならなければなりません。上下・前後・左右の三位一体圏を中心として、神様を王として仕えることができる伝統的家庭が生まれるのです。そのような自分の家庭が一つしかない家庭であるということを自覚しなければなりません。 今後、祝福を受けていない人がいてはなりません。今回、韓国もどんなことがあってもこの期間内に祝福を受けていない人がいないようにしなければなりません。金氏ならば金氏、朴氏ならば朴氏、郭氏ならば郭氏の圏内にいる未婚の男女、子女たちに強制的にでも祝福を受けさせ、地獄に行くことなく天国の名簿に上げなければならないのです。その天国の名簿を中心として、自分の兄や、だれかが国境を越えた所にいたならば、首をつないででも引っ張ってこなければなりません。 皆さんはそれを知らなければなりません。モーセの死体で闘い、イエス様の死体で闘ってきたのです。サタン世界には死体さえ残さないための闘いをしてきたのです。そのような伝統的思想を核とした家庭から外的世界を、祝福を受けていない世界の家庭と連合して彼らを消化しなければならないのです。そうして、自分の一族の基準の根を本然の真の父母の心情圏に連結しなければなりません。そのような本然の伝統的家庭、真の父母の家庭に接ぎ木できる家庭にならなくては、家庭の王から国家の王に発展することはできないのです。 ですから、孝子の中の孝子としての道理を果たすことによって、東西南北に、立体的に権限を備えることができてこそ、愛国的な伝統を受け継ぐことができる道が開くのです。 統一教会員たちは、今までめちゃくちゃでした。駄犬のような連中になったのです。神様の家庭だとは言えません。今は厳粛な神様の家庭として、先生に仕えて生活しなければなりません。そうして実際の生活で、徹底的に子女教育をしなければなりません。何かほかのことがあるのではありません。先生は、行動できなければ病気で処置する時が来ると見ています。堕落すれば、境界線を越えて勝手にできないように隔離生活をさせる時代が来るということを知って、徹底的にしなければなりません。 問題は男女問題です。その次に、公金横領! 国家の財産を略取、会社に通っている人が会社に損害を負わせ、国から給料をもらいながらも、国の利益を願わず党利のために動く輩が、邪悪な国境をつくってサタンの祭物となっているということを考えてご覧なさい。 家庭から落ち着いて行かなければならないのです。今は、平面基準になったので、真の父母が行けない所はありません。境界線がなくなったので、どこの国であれ行けるのです。真の父母がどこに行っても、その国全体が家庭の王として仕え、国の王として仕える解放圏に入ったのです。そのような王の立場を中心として、天宙の王的基準を解放的なこの基盤の上に、地上に国を越えて築いてこそ、神様と天地父母の解放圏が成されるということを知らなければならないのです。 家庭盟誓の八番は何ですか?「私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰・絶対愛・絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏を完成することをお誓いいたします」です。成約時代とは何ですか? 家庭定着時代です。旧約時代の願いが、神様を父母として仕え、王として仕え、天宙の大王として仕えることですが、選民圏がそれを蹂躙してしまいました。その恨を解くために、キリスト教文化圏を中心として、再臨主が家庭的王から、国家的王から、世界の王として来られる再臨の時代が成約時代であるというのです。 世界の完成も、国家の完成も家庭から! ですから、自分たちの血統を千年万年子孫の前に大切に残すことができる伝統を立てなければならないのです。いかなる犠牲があったとしても、自分の一族の前に残そうという、そのような決意を持たずしては、王に仕えた家庭の伝統を相続しうる資格者にはなれないということをはっきりと悟らなければなりません。 今、語っている話が、皆さんがあの世に行ったときに審判の言葉となるということを知らなければなりません。これは、判定の宣言文のようなものです。家庭生活をむやみに行うことはできないようになっています。 父親が借りたものや子供が借りたすべてのものは、一族の借りとなるのです。その子孫が借りを支払わなければなりません。ですから、生まれるときも、助けるために生まれたのです。借りを返すために、助けるために生まれたのであって、自分のために生まれたのではありません。そのような子供は、自分たち一族が処断してしまわなければならないのです。北極、南極に隔離してしまわなければならないのです。そのような時が来るでしょう。自分の村で生きられなくなります。そのようなことを知っておきなさい。再び、入籍のようなことはありません。再び許してあげるような法があってはならないということを説明してあげているのです。 そのような意味で、きょう、満四十年を迎える真の子女の日には意味があるのです。真の父母の日もそうでしょう? 四十年を越える真の子女の日に、神様が根源となって、父母に従って縦的にも行くことができ、横的にも行くことができる自由解放圏に立った神様の息子に間違いなく、自分たちは神様を父として侍る孝子、孝女に間違いないという資格を持たなければならないのです。 堕落とは何ですか? 神様の前に孝子、孝女になれなかったのが堕落です。真の父母が来て、初めてこれを成就したのです。それゆえ、そのような伝統を立てるところにあって……、天地の道理の道を照らすにあたり、たいまつを持って中央に向かっていくのです。 個人的中心が一つになるところで、家庭的中心、家庭的中心と連結した国家中心、世界中心、天宙の中心、天の宝座まで直結させなければならない責任を全うすることは、自分たちが幸福へと行く道であるというのです。これが中心的主流の道にならなければならないということをはっきりと知って、そのような道をこれから出発する意味で、昔の習慣的な生活を完全に撤廃し、新しい次元の出発をする記念日として守ってくれることを希望します。 家庭盟誓もそうです。そのようなことを考えながら宣誓しなければなりません。この家庭盟誓とは何ですか? 家庭の王に仕えることができる主人となって、天地父母全体を失ったことを回復するためのものです。 家庭盟誓の二番は何ですか? 孝子・忠臣・聖人・聖子の道理です。その次に、三番は何ですか? 霊界の実相をそのまま相続して、地上に立てなければならない道理です。四番は、一つの家庭で神様の創造理想を完成し、四大条件を中心として統一しなければならないということです。 五番は何ですか? 霊界を中心として統一することです。霊界はすべて知っています。天上世界と地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化するのです。統一に向けて前進しながら、発展を促進化するのです。早くするために、棒でぶん殴りながら行くのです。 今日、このアメリカのような国は、人権を中心としていますが、人権とは何ですか? 神様を愛し、家庭に愛の伝統を立てるその権限が大宇宙の特権です。それを忘れて、家庭を破綻させたこの上なく甚だしい強盗団、放蕩者を保護するアメリカとなってしまいました。できなければ、むちで打ってでも治めなければなりません。育つときに、正してあげなければなりません。自分たちの勝手にはできません。社会が悪なるものをすべて消し去るのです。 そのようなすべてを是正する天の法が必要です。今、善悪を分けるだけの分別の境界がないのです。そのような憲法、法的規律を中心とした統一的な水平線を備えて、神様が三段階、旧約時代・新約時代・成約時代を完成した家庭の理想を中心として、どこでも自由に往来できなければならないのです。自分の家庭を中心として、世界のどこでも、天の果て、地の果てまでも往来できなければならないのです。<文章未整理のためカット> 財団に専門部署ができなければなりません。以前は家庭を中心として行ってきましたが、国家時代に入ったからには、部署をつくらなければなりません。統一教会のすべての産業分野や、教育分野がすべての部署をつくらなければならない時が来ました。国だけきちんと立てたならば、世界の祝福家庭を超民族的基準で設定して行わなければなりません。ですから、韓国語を知らなければならないのです。 先生が祖国を見いだすときには、全人類がご家族になるのです。皆さんの家庭は王権の根です。祝福家庭の立場が王権を立てる基地です。王は王権を立てる基地なのです。王権を立てなければならないのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.18
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【新書・非売品】説教集・真のお母様と一つとなり勝利する母の国・日本となりましょう韓国にて配布していた最後の1冊をGETしてきました。「お一人一冊どうぞ」の紙の上に残されていた最後の1冊、天心祈祷会中ず~と気になっていたのですが、祈祷会が終わって近くのスタッフの方に声掛けしていただいたものでした。帰りの道中、説教集の二、三を読ませていただきましたが、お母様を慕う心情がこちらにも伝わってくるような感動を覚えました。はじめに一九九八年、真の父母様の願いを受けて来日した方相逸宣教師は、この間、神日本家庭連合におい て牧会者、本部局長などを歴任しながら、母の国・日本が真の父母様と一つになって歩めるよう、尽力してこられました。二〇二〇年十月から二○二三年十一月までは、天の父母様聖会・神日本大陸の大陸総会長として、真のお母様の事情、心情、願いを私たちに伝えるとともに、真のお母様に最大の喜びを捧げられるよう、 母の国・日本を代表して、先頭に立ってこられました。 本書は、二○二○年から二○二三年にかけて、機関誌「世界家庭」に掲載された方相逸宣教師の説教を時系列で並べたものです。この期間、方相逸宣教師は、藤之原和代夫人と二人三脚で全国を回りながら、メッセージを語って こられました。ときには、神日本大陸全体に責任を持つ立場として、私たちに真のお母様の願いを切々と訴え、とき には、二十一日修練会に参加している二世圏の若者たちに、父母のような立場で優しく寄り添い、と きには、日本の先輩家庭や韓国からお嫁に来た婦人たちを、これまでの苦労を慰労しながら励まして こられた方相逸宣教師夫妻の姿を、本書を通して垣間見ることができます。メッセージの内容は多岐にわたりますが、その根底に流れているのは、方相逸宣教師の真の父母様 に対する深い孝情と、伝道に対する強い決意です。特に、真のお母様のご心労の原因の一つが、教会につながりきれていない二世圏の子女たちがいることにあると早くから知った方相逸宣教師は、先駆けて二世圏に対する「尋訪」を呼びかけ、教会の文化を改革する先頭に立たれました。その一つの結実が、二〇二三年九月に行われた「神日本二世圏総会」 であり、それが真のお母様にとって大きな慰めと喜びとなったことは間違いありません。この期間、神日本大陸において誰よりも深く、真のお母様の事情、心情、願いを祈り求め、私たちに伝えてこようとされた方相逸宣教師夫妻に心からの感謝を捧げつつ、本書がその思いを相続し、私たちが新たに出発するきっかけとなることを願ってやみません。天の父母様聖会 世界平和統一家庭連合一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.17
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以北出監五十周年記念及び霊界解放式二〇〇〇年十月十四日午前七時、天宙清平修錬苑にて、薫淑様、霊界の興進様、榮進様、恵進様、喜進様、四大聖人と哲人、賢人たちをはじめとする霊界の代表と、第四次入籍のための祝福家庭夫人特別修練会に参加した約四千名の食口たちが参加する中、真のご父母様は「以北出監五十周年記念及び霊界解放式」を挙行なさった。 記念および解放式準備 (壇上には、真のご父母様のお膳が用意されており、檀下には、興進様を中心にイエス、孔子、マホメット、釈迦、ソクラテス、アウグスティヌスのための七つのお膳が用意された。) 祈祷 愛するお父様! 興南から出監して五十周年になるこの日、霊界と肉界を解放することのできるこの式典を、真のご父母様を中心として、統一教会で信仰を持って霊界に行ったすべての霊人たちと、直系の子女たちと興進君を中心とした四大聖人たちと、功労のあるすべての善霊たちと共に行おうと思います。 霊界で興進君とイエス様を中心としたキリスト教文化圏と、すべての聖人たちが築いた文化圏と、すべての哲人たちと良心的な霊界にいる人々がばらばらになっていたものを、神様を中心として、興進君とイエス様を中心として、四大聖人と哲人と賢人を中心として、それに属するすべての弟子たちが一つになって、これから霊界の統一的な体制を整えるための解放式を地上と一致して奉献いたします。どうかこの式典をお父様がお受けくださり、興進君とイエス様を中心とした霊界と肉界に対して、真の父母の因縁を中心として、地上には真のご父母様が勝利した統一教会を中心として、四大聖人とそれ以外のすべての超宗教的な良心的なすべての人々と、先祖と後世、兄と弟、縦横の歴史を確認することのできる統一のこの式を挙行しますゆえ、喜びのうちにこの式典をお受けくださいませ! 興進君を中心として、霊界の新しい成約のみ言を中心として教育することのできる、霊界の孝元君と相軒君、そして祝福家庭を代表した起錫君と朴鐘久、その他のすべての聖人たちと一体となって、地上に超宗教・超国家的な国連を中心として連合するすべてが一体となるようにしてくださいませ。そして、地上のことは天のことであり、天のことは地上のことであるという、そのように一体的な一つの体制で真のご父母様を中心とした統一解放の式典を備えて、明日から新しい体制に向かった天宙史的な進行が始まるこの式典となることをお願い申し上げます。ここに関係しているすべての子女たちが参加して、この式典を神聖に奉献するにあたり、お父様の全体・全般・全権・全能が示威する中で挙行するようにしてくださいませ! この式典を喜びのうちに捧げる真の父母の願いと真の子女たちの願いが一つになって、天地父母解放圏を備えることができるようにしてくださいませ。そして、全体・全般の上に勝利の栄光だけが共にあることを願いながらこの式典を奉献いたしますゆえ、神様を中心として、興進君を中心とした天上世界と地上世界の真の父母を中心とした一つの統一的一体一族として、新しい心情文化世界を創建する、地上・天上天国の文化圏が出発するようにしてくださいませ。 そうして、明後日、アメリカですべての人種を克服し、宗教を克服するための大会が、ファラカンを中心として行われますゆえ、祝福してくださり、また「ミリオンファミリーマーチ(Million FamilyMarch)」の背後も祝福してくださいませ。すべての超国家、超民族が統一圏を宣言、宣誓できるこの式となるようにしてくださり、国連を動かし、改革するすべてがあなたの掌中に立てられ、勝利と栄光と称賛の解放の世界へと前進するよう願いながら、これらすべてを奉献いたしますゆえ、喜びのうちに受けてくださることを真の父母様の御名により報告奉献いたします! アーメン! 敬礼 (真のご父母様が敬礼を捧げられ、続いて順に、興進様、榮進様、恵進様、喜進様のご家庭が敬礼、霊界の祝福家庭を代表した劉孝元、朴鐘九、李相軒、李起錫代表家庭の敬礼、四大聖人をはじめとした霊界の中心的預言者であるアウグスティヌス、ソクラテス、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、パウロ、ルター、モーセ家庭の敬礼、最後に霊界と肉界を代表した全体の祝福家庭の敬礼に続いて、家庭盟誓が唱和された。) 祝祷 愛するお父様! 本日、二〇〇〇年十月十四日、この日は、興南の監獄から出監して五十周年を迎える記念の日です。この日を期して、摂理のみ旨の中で苦労してきたすべての人たちが、肉界と霊界で、国境線を中心として分かれていたすべてが真の父母の血統的因縁を備えるために祝福を受けて、神様が願われた願いの家庭として入籍を許されました。 そのような時代に、霊界にいる今まで祝福を受けたすべての霊人の家庭、先生の直系の子女たちを中心に、一つの天上世界の興進君を総司令官としてイエス様と一つになって、旧約時代・新約時代・成約時代に摂理史的なアベルを育て、さらにはアベルが主人となることができる、メシヤに出会うことができる、その一時を迎えました。選民圏イスラエルを立てて四千年間苦労してきた基盤の上に、真の父母を代身したメシヤ、一つの真のオリーブの木としてイエス様をこの地に送り、個人から家庭・氏族・民族全体の野性のオリーブ畑のすべてを切って、真のオリーブの木に芽を接ぎ木し、天の真の愛・真の生命圏・真の血統と真の良心圏を中心とした真のオリーブの木と一体となるようにしてくださり、一つの文化と一つの血族を再び復帰完成しようとなさいました。しかし、そのみ意が成し遂げられていないということをよく存じております。 選民イスラエルの中心、メシヤと真の父母としてこられたイエス様が、この地上に民族を統一できる家庭的基盤を備えて、イスラエル国とユダヤ教が一つになって、天国の民と主権と国土を地上に立てることによって、万国解放を中心とした世界へ発展し、出現しなければなりませんでした。しかし、そのような摂理史的な地上天国と天上天国の一体文化圏、愛の心情的天上・地上文化圏を形成しようとしましたが、それを築くことができず、再臨を待つ……、恨めしい二千年の路程に、数多くのユダヤ教徒と数多くのキリスト教徒たちが血を流してきたことを思い起こします。 それが、人類史においてはあってはならない悲しみの時であったということを私たちは知っております。この時代を延長して成約時代を眺めながら、二千年間、新しい文化創造のためのキリスト教を中心とした第二イスラエル圏の拡大は、個人から家庭・氏族・民族・国家・世界まで、霊・肉を中心とした統一圏ではなく、霊的統一圏を中心とした基準である地上のキリスト教文化圏を中心として旧教と新教が一つになり、第二次大戦に枢軸国を中心とした日本とドイツとイタリア、連合国を中心としたイギリスとアメリカとフランスが一体的な立場に立つことはできませんでした。 そうして、イエス様の体が分かれて、霊界は神様、地上はサタンが全権をもって闘ったこの闘いが、最終終着点を迎えました。そして、霊界の統一圏と地上のキリスト教文化圏を中心とした統一圏の上に、ついに霊・肉の実体完成のため、霊・肉の実体家庭と霊・肉の実体氏族・民族・国家・天宙的な勝利の覇権を立てるための再臨の役事を中心とした、真の父母がこの地上に顕現しました。また、それと同時に、天の新しい祝福に続いて、新しい血統的因縁を結ぶための真の家庭世界化のために、真の父母の家庭を中心としてすべての天と地が分かれ、すべての家庭と全体の境界線に遮られた天地の断絶を除去するための四十年の歴史路程において、家庭をエサに天国に再び入城するための勝利の覇権を備えた基準を再び迎えることによって、全世界人類の前に新しく真の父母を中心として家庭的に接ぎ木するという役事を行いました。 それによって、真のオリーブの木の種から真のオリーブの木の幹と芽を中心としたこの中心的勝利の大道を築きました。そして、野生のオリーブを真のオリーブの木の家庭に接ぎ木することができる勝利の覇権時代を、あなたの愛を中心として、絶対信仰・絶対愛・絶対服従の天理に沿って、心情的な一体を標準とし、神様の真の愛を中心として、真の父母の生命を中心として、真の血統の因縁を連結させて、すべての良心的な一体圏上で父子の因縁の家庭を天と地に共に夫婦と兄弟子女たちの上に備えることができる、勝利のあなたの地上・天上天国を顕現させて、あなたの愛の主権の前に帰一させなければならない歴史的な再整備に向かっております。 韓国においては、南北統一、世界においては国連統一を中心として、地上に統一圏を備えたそれを天上世界に備えることができる解放の権限を、既に真の父母と興進君を中心として祝福家庭、すべての母と息子、娘を入籍させて、祖国光復という天上世界と地上世界の真の統フ的解放世界を備えることができるように命令なさったすべてがみ意とされる中で勝利の因縁を備えて、そこに順応する天上・地上世界のすべての家庭は、神様の創造本然の心情と一致して絶対信仰・絶対愛・絶対服従の心から創造なさった神様の立場の代わりをすることができる家庭、永遠不変の絶対信仰的家庭、絶対愛的家庭、絶対服従的家庭を備えて、千年万年至誠を尽くす孝子、孝女の家庭を一つとして勝利の全体の実として受けてくださいますよう切にお願い申し上げます。 それゆえ、霊界にも新しい体制を中心とした統一的基準と地上にも統一教会を中心とした超宗教超国家連合を中心として、国連を中心とした統一的方向に、一体・一心・一身となるようになさり、地上に真の父母圏を中心とした定着時代を築かなければなりません。そのために、今後、国連の名前と超宗教国家の名で、全世界の国家を教育することのできる大きな十二の門を開くことができる解放時代を迎えさせてくださった恩賜に感謝申し上げます。 真の父母の伝統的思想と心情の一体圏を体恤するための訓読教育をする全世界の上に、勝利と栄光が共にあるようにしてくださいませ。そして、これを協助するため天上世界の祝福家庭の立場に立って、地上のアダム家庭が完成できるように、先祖たちは祝福を共に受けたすべての子孫の家庭を守って、鉄石のような橋となして、天使長が行えなかったことを家庭的な基準で保護育成することができる、家庭的責任を完成させることができるようにしてくださいませ。 それによって、天使長だった悪魔サタンまでも、人類の最後の道に従って天国に行くことができる道を解放しますゆえ、全天上天下にある悪の権限は、興進君を中心としてキリスト教を中心とした宗教圏の四大聖人、良心圏、すべての哲人圏全体がこの権限の方向を共にして、天に向けて一方向に直行することができるようにしてくださいませ。この時間、出監五十周年となるこの日を記念して、霊界と肉界において出獄解放とともに、統一的な民族天宙解放のこの式典を持つことができるようにしてくださったことに感謝申し上げます。すべての霊人たちと地上人が一つになって、天の前に栄光を捧げ、勝利の式典として奉献いたします。 すべてを総生畜献納の物として奉献いたしますゆえ、愛を中心とした主権の王の中の王となって、これらすべてを真の父母の名で奉献したものを受けてくださいますよう切に請い願いながら、この日すべての天地と全体の霊人世界、地上世界の祝福家庭たちが集中したこの場に天の勝利の覇権を天宙全体の前に宣布することを精一杯受けてくださいますよう、切にお願い申し上げます。 これから、神様の全権の権限を中心として、興進君と真の父母が一体となって、天地解放の日々を祝福に向けて前進、前進するようにしてくださったことを感謝いたしますゆえ、喜びのうちに全天宙は天地父母の勝利の足跡について、永遠に地上・天上天国の大路を前進できるように、解放と統一の行進となるようにしてくださることを真のご父母様の宣言とともに切にお祈りいたします! アーメン、アーメン、アーメン! み言 霊界祝福を受けた人々の相対にあたる人たちは、きょうから地上に来ることもでき、ここで祈祷すれば通じる、そのような時代に入りました。共に生活できるように許したのです。 そのためには、意を同じくしなければならず、思想が同じでなければなりません。そうして、祝福家庭を中心とした霊界と肉界が一つの体制になるのです。ここにいる真の父母が地上に築いたものを霊界に連結させて、そのようになったのです。 先祖にあたる霊界にいる人々は、天使長の立場にあるので、本来は、堕落した天使長圏内の先祖たちには祝福はありません。しかし、祝福を受けた家庭は、地上にいるアダムの後孫……、地上のアダムが完成した真の父母を中心とした血族の因縁を中心として見てみると、同じ血筋の因縁を受けましたが、彼らが先に逝ったことにより天使長的立場で祝福を受けた家庭になるのです。 それゆえ、これから統一的な儀式をすることによって、どのようなことが行われるかというと、霊界の先祖たちが地上に来て祝福を受けた家庭を協助することができる時代に入るのです。天使長がアダム家庭を育てて、天に侍って入っていくのと同じように、霊界の祝福を受けた先祖の家庭たちが地上に来て、祝福家庭たちを保護するのです。ですから、祝福家庭、個人や家庭、氏族を世界圏内のサタンの子孫たちがむやみに打つことはできません。 ルーシェルはサタンとして天の前に背いた立場にありましたが、今や屈服しました。しかし、その手下たち、残党たちが世界に数えきれないほどたくさん広まっており、今に至っても、つかんで放そうとしないのです。 それゆえ、天使長の立場で、堕落してサタンになった偽りの父母が、偽りの愛を中心として偽りの生命圏、偽りの血統を残し、このような結果が現れたために、真の父母が霊界に行った先祖たちを祝福してあげることによって、天使長が持っていない家庭基盤を持つようになるのです。ですから、天使長がこの家庭に仕えるようになっているのであって、侵犯するようになってはいません。 その天使長の家庭的立場に立てられた先祖を十四代まで解怨して祝福してあげました。今後、二十一代まで祝福すれば終わりなのです。ですから、これから十五代から二十一代までは、皆さんの家庭が解放してあげなければなりません。真の父母がこの地で完成時代において自分の先祖と後孫たちを解放したのと同様に、皆さんは残り二十一代までを解放してやり、その次にはサタンの残党を追放してしまうのです。 サタンの残党をだれが追放するのかと言えば、天使長の立場にある祝福家庭である皆さんの先祖たちです。先祖たちが地上の祝福家庭を保護すると同時に、祝福家庭になったことを……侵犯したサタン世界は、祝福家庭圏とは関係ないために追い出すのです。霊界はもちろんのこと、地上もサタンの残党を追い出すための責任を負い、祝福を受けた皆さんの先祖の家庭が地上に来て、霊界と肉界に統一的な形態で役目を十分に果たしていくのです。 サタンの残党たちもここに順応していき、終りの日には、霊界と肉界が解放された暁には、天の前に戻ることができる道を……、もちろん次元は違いますが、そこに法を新たに定めて、天について入っていくことのできる道を許すのです。そうすることによって、サタンの残党までもが天の前に戻ってくることによって、サタン世界を根絶することができるということを知らなければなりません。そのために、この統一式をしなければなりません。 ですから、皆さんの先祖たちの……、地上にいる相対たちがここにいるのです。霊界にいますが、ここにいる人たちの相対が地上に来て、一つになることができる生活を統一化することによって、霊的世界と肉的世界を統一した、一つの祝福家庭の心情文化世界が地上から天上世界の解放圏を築き、地上世界が完全にきれいに整備され、霊界が完全にきれいに整備され、サタンまでも方向を中心として一つに戻っていくことができるという立場に立つことによって、真の神様と真の父母、天地父母解放圏が始まるのだということを知らなければなりません。 ですから、皆さんは生活するにあたり、一人で生活するのではありません。侍って生きるのです。男女が結婚して、夫婦として共に生きる生活様式をとっていけば、皆さんの家庭に訪ねてくることのできる自由環境となるはずです。そうして皆さんが霊界のみ旨と一致すると同時に、地上の真の父母のみ旨と一致して、教祖たちも訪ねてきて生活するのです。 今、霊界には、四大聖人たちを中心として、それ以外のすべての聖賢たちがいます。宗教圏を中心とした四大聖人たちを中心として、三分の一、百名いるとすれば三十三.三三パーセントにあたる、そのような人たちを六月十三日、南北首脳会談を行う前に祝福することを許しました。すべてを祝福したので、その祝福を受けた人々は、今後この式が終われば、地上に訪ねてきて、皆さんに仕えて生きることができる環境が連結するのです。 それによって、地上にも一つの文化圏、全体統一的な天上世界の組織が編成されます。また、それと同時に、霊界の基準を中心とした、地上の統一を協助してサタン世界の整備活動をすることによって、今まで統一教会に反対した環境が消えてしまうのです。 それでも反対する人々は、先祖たちが黙ってはいません。今や、蕩減時代は過ぎ去りました。蕩減時代がないのです。アダムとエバが堕落したときに蕩減時代があったとすれば、そこにとどまっていながらアダムとエバ時代に復帰することができていたかも知れません。しかし、今までこのような地獄現象が起きていない世界において、神様の法に蕩減法はありませんでした。 それと同様に、皆さんもこれから家庭が入籍し、一体的な五十年の解放記念日を中心として祝賀することによって、全体の解放的基盤を一元化させる、天上世界と地上世界が一元化されるということを知って、皆さんがそこに合わせて生きなければなりません。 これからは、先生が、真の父母が必要なのではありません。アダムとエバが失敗して血筋を汚し、それによって地上地獄と天上地獄がつくられました。それを先生が、真の父母が、祝福で解放してあげることによって、天上地獄撤廃、地上地獄撤廃をする時が来たため、イエス様が行った楽園と中間霊界、地獄は完全に撤廃されたのです。なくなるのです。 そうなれば、真の父母と神様が一体となった家庭を中心として、天上・地上に父母の立場を中心として、先生の直系の子女たちと、皆さんの直系の家庭たちと、皆さんの家庭が一つになったその上に、カイン・アベルである天地が一つになった上に、真の父母が立つことができるのです。 それを実現するためには、南と北がカイン・アベルですが、どのようにしなければならないのでしょうか? エバが堕落したので、エバと自分の息子、娘を中心として、家庭で失ったものを結ばなければなりません。ですから、国家メシヤは世界にいる……その国の民を中心とした母親の立場で、アベルとカインを一つにし、ついに世界の国家を連結させることができるのです。 世界の国家メシヤたちが、南北統一のために韓国に入ってくるのですが、国家メシヤは自らの任地国家で母親と息子、娘と一つになって……。カインを愛することができるアベルと一つになって、母親が一つになって、父についてどこに行くのでしょうか? 祖国光復のために韓国に入るのです。 アダムとエバを中心として、カイン・アベルのせいで失ってしまったため、そのようなことができる世界の中心国家を占めなければならない立場に立つことによって、世界の国家メシヤは夫人を中心として、息子と娘が一つになることができるようにし、世界国家と中心国家と祖国とを結んであげるために、夫が韓国に移動するときに夫人もついて入って入籍するのです。 ところが、入籍するにあたり、夫には入籍する資格はありません。まだ、国を得ていないのです。これをはっきり知らなければなりません。現在、入籍する人々は、今後、国家メシヤでなければ、氏族的メシヤとしてその国に行って仲立ちとなってくるのですが、先生がすべて蕩減してあげたために、条件だけ立てたならば国家メシヤたちは祖国光復のために入ってくることができるのです。しかし、完成したアダムではありません。 完成したアダムと完成した家庭ではなく、国を失ったのはエバとカイン・アベルです。アダム家庭が国を失い、イエス様時代に国を得なければならなかったのですが、イエス様時代に国を得ることができなかったために、再臨主時代に得なければならないのです。旧約時代・新約時代の失敗を成約時代に完成するためには、教会代表の第一イスラエル・夫、第二イスラエル・イエス様・夫、第三イスラエル・真の父母・再臨主・夫、この三時代の父母を連結させることができる蕩減条件と血統的な内容が霊界と肉界で一致したのです。それゆえ、皆さんの家庭においては、まだ国家を中心として、世界的メシヤである真の父母の前に、天を中心として国家で分かれた基準を迎えて蕩減しなければなりません。 これを蕩減するためには、だれが先頭に立たなければならないのかと言えば、母親が先頭に立たなければならないのです。母が外国に行ってカイン・アベル国家圏を自らの息子と連結させる条件を立て、韓国に来て、世界でカイン・アベルの基準を中心として一つになってきたお母様が、アベルの立場に立って韓民族を、カインの立場を消化しなければなりません。だれがするのですか? 母親がしなければならないのです。 それで、カイン・アベルを一つにして、その上で夫を復帰して立てなければなりません。夫をどこから追い出したのかというと、アダム家庭から追い出したのです。それは、国家家庭から追い出したのと同じです。家庭と国を失ったために、家庭的基準を連結させる世界舞台から本国に訪ねてきて、国家基準を代表する女性たちが率先してカイン的国民をアベル的外国のカイン・アベル基準を持って結んでおいてこそ、ついに母として国家基準でカイン・アベルが一つになるため、その後に、立つことができるのです。 そこには他の考えがあってはなりません。どこかの朴氏、金氏の夫人ではありません。この女性たちはだれですか? どこに属していますか? 皆、自分の夫の話を聞いては絶対にいけません。命令できる立場ではありません。家庭的基準は命令できるかも知れませんが、国家的基準はすべて真の父母の命令に絶対に従わなければならないのです。これは真の父母によって転覆するのであって、自分の夫によって転覆するのではありません。 ですから、女性たちが先頭に立ってカイン・アベル、世界的に国家的メシヤの基準で連れて入ったそのカイン的息子と自分が生んだ息子が一つになって、それに乗って、(本国に)入ってきて母が解放されるのです。国家基準になってはメシヤ、真の父母の命令に絶対服従しなければなりません。真の父母になぜ服従しなければならないのでしょうか? 真の父母が国家的基準と世界的基準の道をすべて築いておいたために、それを絶対的に信じて行動するならば、三年、四年以内に完全に整備されるのです。整備されなければ国が誤ったのであって、私たちの過ちではありません。 それで、絶対信仰・絶対愛・絶対服従です。だれに対してそうしなければならないのでしょうか? 神様はこの宇宙を創造するとき、絶対信仰・絶対愛・絶対服従して創造されました。神様が投入しては忘れ、また投入しては忘れてしまい、永遠に忘れてしまいながらこの大宇宙を創造なさったように、皆さんもそのような立場で真の父母の命令に絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければならないのです。 自らのすべてを投入して、投入して、もっと投入しようとしてこそ、この真空状態がだんだんと大きくなって、自分が投入して外的に積んだすべてが種となり、世界のすべてが入って、これを満たしてくれるのです。それで、満たされたこれらすべてが世界に連結することによって……、私の一体圏を築くことによって、残った私、相対も私という立場に立つことができるために、解放圏が展開するのです。はっきり知らなければなりません。 こうして先生の命令を守って、国民を完全に統班撃破しなければなりません。既に統班撃破に関する内容は知っているはずです。本来は、十二年前からこのことをしようとして統班撃破組織を二度もつくっておいたのですが、全斗煥、盧泰愚、金泳三、この三人がすべて砕いてしまいました。ですから、再び編成しなければならないのです。 再び編成するためには一次、二次、三次までなので、これは何かあったとしてもしなければなりません。しなければ問題になります。しなければ、皆さん自身も問題になりますが、大韓民国と北朝鮮の地を天の地として奉献することができないのです。ですから、どのようなことがあっても皆さんが一体となって、先生の心と一つになって行わなければなりません。そうすれば、一つになることができるのです。 では、何で一つにすることができるのでしょう? 国境撤廃をして、何で一つにするのかと言えば「怨讐を愛する」ことによってです。この国民は先生を中心として四十年間、(大統領)八代を経て反対してきた怨讐の中の怨讐です。これらを愛さなければならないのです。 愛するには、自分の一族よりも、自分の子供よりも、自分の夫よりも愛することのできる立場に立たなければなりません。そのようにして愛する、その目的は、真の父母の後について峠を越えていくためなのです。峠をだれが越えていかなければならないのかといえば、真の父母に従って自分の妻が越え、子供たちが越えていかねばならないのです。 夫はこの四年間、母親と子供たちが働くにあたり、あらゆる精誠を尽くし、自らの骨を削って、骨髄までも絞るような犠牲を払ったとしても助けてあげる責任があるのです。 自分一人だけでしてはならないのです。皆、一八五家庭ずつ祝福をしてあげました。この一族を結び、一族の母となることができる、この方が活動できる解放的権限を持つためには金氏全体を総動員しなければなりません。朴氏全体を総動員しなければなりません。父親が金氏で、母親が朴氏ならば、まず朴氏一族を解放できるようにその夫も後援しなければならず、そうして夫が復帰されていくときには、朴氏の解放された母親とその息子、娘の基盤全体が夫と父の一族を祝福しなければなりません。 十六歳以上の未婚の男女たちは、祝福を受けなければならないようになっています。どのようなことがあっても、祝福を受けなければなりません。受けなければならないのです。おばさんたちですから、大丈夫です。「こら、おまえは金氏じゃないか。うちには姪も孫もいるんだよ。うちとおまえのところは同じ『氏』じゃないから、かまわないだろう?」このようにしてやりなさい。世の中が青少年問題、家庭破綻でだれもがみな地獄に落ちていくようになっているのに、それを知っているからには、金氏の血族、朴氏の血族のすべてが強制的にでも祝福を受けるようにしなければならないのです。 エジプトに入っていたイスラエル民族が、出エジプトをする日を定めて出ていくように通告したのですが、行こうとしなければ喉首を締めて、逆さにして足を縛ったとしても行かせなければなりません。出動して、十里でも進んだならばエジプトで死ぬことはないのです。エジプトで死ねば永遠の地獄です。境界線を越えさえすれば、死んだ死体であったとしても、イスラエル一族に属するということを知らなければなりません。 そのような深刻な時に入ったのです。霊界のすべての聖人、君子、神様までもが聞いているこの場なのです。ですから、真の父母の命令に絶対信仰・絶対愛・絶対服従しなければなりません。だれを愛するのですか? 自分の夫、自分の子供を愛するのではありません。エデンでエバが地獄に行ったため、男性の代表を愛さなければなりません。男性の代表が真の父であり、真の父母です。 真の父母はその国の王です。アダムが王になるはずで、おじいさんになるはずで、お父さんになるはずで、夫になるはずで、お兄さんになるはずだったのです。その次には、息子になるはずだったのです。いくつですか? 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つです。これらをすべて……、男性という「種」はすべて否定しなければならないのです。 今までの皆さんの結婚は、天使長を中心とした霊界の先祖と同じような立場でした。ですから、再び国を中心として否定しなければなりません。それゆえ、自分の夫を夫だと思ってはなりません。サタン世界の国を代表した天使長だと考えなければならないというのです。天使長ですが、悪魔サタンではありません。祝福を受けたので、霊界の協助を受けて、地上完成国家を復帰しなければならない責任を負っている、アダムの体半分を持っているのです。 これをだれが脱がせてあげなければならないのでしょうか? エバが、アダムの十六歳以降にサタンの体を中心として人類を繁殖したことを蕩減してあげなければならないため、母と子が一つになって父の体の半分を、国を探すことによって、国を越えて体を接ぎ木したのと同じだという公認を受けなければなりません。そうして、ついに越えていきながら、再び結合することによって、解放的地上天国の家庭が完成し天国に入っていくのです。 適当にやっては駄目なのです。数学の問題を解いていくように、公式通りに解いていかなければなりません。行くようになれば、自分の子供、夫を勝手にはできません。自分の夫ではありません。これを、行けなくしたならば、悪魔の中の悪魔です。家庭から脱落させます。いくら入籍しても、逆に別の世界に隔離されるのです。 皆さんは、家庭の立場で、夫の基準に該当しうる立場で祝福を受けましたが、本然の天国に入っていくことができず、家庭的天国に入っていくことができません。家庭的楽園圏内に入っていくのに、楽園では自分の一家庭、一族が連結されておらず、国家が連結されておらず、世界が連結されていないのです。その場で、楽園的家庭になり、楽園から中間霊界に入っていくのです。今、聖人たちも中間霊界に入っています。 そのような霊界にとどまる環境があり、その次には地獄があります。獄があります。監獄が生じたのです。監獄があるのですが、サタンの主管下で、永遠に地獄に落ちて固着するのではありません。自分の父母や兄弟たちが、涙を流して後孫たちを手助けし、また、自分の後孫たちが精誠を尽くしたならば、上下から押してくれることによって解放されうる道が促進されるのです。 次から次へと座っているところを土で埋めてくれるので、そこが埋められ水平になるまで協助することによって、その地獄に入っていた家庭が解放されるのです。自分の先祖たちが霊界に行っても、すべてを先祖として仕えることができる絶対信仰・絶対愛・絶対服従の道に従ってこそ、天国の自由解放圏を迎えることができるのです。 それで、カイン・アベル、第一次として、国家メシヤとして自分の息子、娘たちが一つになって祖国に入り、第二次として、アベル的立場で母親が投入し、カインの兄弟が投入して、大韓民国をカイン的立場で一つにしなければならないのです。 このように一つになったアベル圏がついに南北を統一することができる息子の立場に立って、南北とアジア、全体世界を蕩減することのできる祭物的過程を経なければなりません。それで、蘇生・長成・完成過程を経てこそ、初めて母が旧約時代解放、新約時代解放、成約時代統一天下圏に進んでいくことができるのです。 このように、国家時代を越えていくことができる聖人たちは、今まで相対がなく一人暮らしをしてきました。国家を越えることのできる、その基準を先生が別途に準備したのです。ですから、先生には主権があります。天国と地上の国のその主権が行く道を知って、その次には民として数十億人が祝福圏内に入りました。 このように国民もいて、主権もあるのに土地がありません。土地は、南北の地が必要ですが、それが一つにならなければ、南北にいる民をすべて切り捨ててしまいます。イスラエル民族を切り捨てて、第二イスラエル、キリスト教文化圏を中心として出てきたのと同じです。この韓民族が、祖国光復に貢献しなければならないという責任を果たせなければ……、イエス様を十字架にかけたのと同じように、主権と教会が一つになって先生を追い出したにもかかわらず、自分たちを助けてあげようとしているのに、それでも服従しなければ、その地は捨ててしまうのです。第三イスラエル圏を中心としたその基地は南米です。南側です、南側。 南北アメリカが一つになれば、旧教新教が統一圏に入るため、これを中心として百二十万ヘクタールを国連の土地として奉献しようというのです。これが設定されたという事実は、韓国の南北が反対しても、イエス様が死ぬ立場には立ちません。イエス様の時代に国を中心として責任を完遂し、天上まで大道を築いておいたため、その国がついてこなければ仕方なく切り捨てて、今後、大移動が行われるのです。試験をしなければなりません。入籍したおばさんたちがこれを知らなければなりません。 第一次で自分の息子、娘を連れて国家メシヤの責任を果たして、そこに感動した人たちをすべて一つにしたので、アベル的な立場で夫について大韓民国に来て、母と息子、娘たちを国家的な基準で結ぶのです。外国でカイン・アベルが一つになったものをアベルとして立てて、大韓民国の国民を中心として二次的に結ばなければならず、これが一つになれば大きなアベルとなって、韓国が北朝鮮を消化して、中国、モンゴルを含んだアジア圏まで消化しなければならないのです。これは自動的に消化するようになっています。 北朝鮮を自然屈服させれば、世界が国連を中心として連結することができる道がしっかりと開かれるのです。それで、このような境界圏内の三角地帯にきたために、先生は大急ぎで国連を中心として、国連途上に登場し、国境撤廃と統一天下の理念を宣布したのです。 その次に「NGO」とは、Non-Govermental Organization(非政府機構)です。国連に派遣されている大使たちは、国を代表した大使たちです。国連は死んだ牛のようになっています。国を代表した大使たちが狂った犬のようになりながら、自分の好きなように暴利をむさぼろうとして争い合っています。それでは駄目なのです。 国家を代表した大使たちは、カイン的立場に立って、天を代表した上院制度をつくらなければならないのです。この頂上で、より世界のために生きている人たちが、国家のために生きる人たちを世界のために生きることができるように方向を定めてあげることによって、天のために生きることができる道を行くようにしなければならないのです。そのような真の父母が登場して、ここに定着することによって、神様と真の父母を中心として地上・天上天国に祖国光復の基礎が定まるのです。 では、なぜ皆さんはジャルジンに行って四十日修練を受けなければならないのでしょうか? それは、受けなければなりません。今まで世界に連結し、韓国を中心としていたこれ(摂理)がもし途絶えるようなときには、祝福家庭たちが全滅するのと同じことになります。ですから、ジャルジン四十日修練を受けなければならないのです。これも四位基台復帰です。 父母と息子、娘を連れてきて、何千年、何万年の間、ばらばらになっていた父母たちが、初めて四十日間で一つになるのです。夫も妻も自分勝手、息子と娘も自分勝手、父母と子女が自分勝手に生き、すべてばらばらに分かれていたものが、初めてここで統合整備された家庭の形態を備えるのです。 そのようにして、真の父母に従って、北から始まって南に行き、世界を一回りしながら築いてきたものを、すべて縛って、反対なく韓国の地に入って統一天下の原則的な家庭基準を中心として、アダム時代、イエス様時代に国家的基準のすべてを蕩減することのできる役事を、最後の峠を越える角突き合いをしているのです。 この国にいる女性を中心とした息子、娘と、この国の民族、また、来るべき真の父母と一つになって天がここに共にあるとき、真の父母と堅く一つになった暁には、サタンがいかに、どんなことをしてきたとしても押し出されることはありません。天がすべて処理してくれます。 この者たち、自分勝手に息子、娘を大学に送って出世させようとしているが、出世などできない! 大学に誤って通った人は、今後、蕩減を受けなければならないということを知らなければなりません。その批准に、皆さんの出世の立場が決定される歴史的時代が待っているということを知らなければなりません。 そして、もっと厳格なことは、国に入籍できるか、できないかということなのです。その問題がかかっています。先生のみ言と一つになって、天上世界の世界圏を相続でき、国に忠孝の道理を尽くしたのか尽くさなかったのかという基準を中心としてこそ、それを越えることができるのです。ただのやじ馬のようになってはならないのです。 今でもそうではないですか? 祝い事の日を迎え、貴賓を招待したのに、呼んだ人が一人も来ないので、通りすがりの人をだれかれかまわず呼び込んで、お祝いをするのです。そして、モチを何個ずつか食べさせてあげ……礼服を着る人の行列をつくるときに、礼服が着られない人は回っていかなければなりません。礼服とは、蕩減の恵みです。 では皆さんは、どうしなければならないのでしょうか? このおばさんたちがどのような立場なのかというのです。このおばさんとお母様の関係は何ですか? お母様は本妻です。皆さんは、妾のようなものですが、妾といっても先生が妾を愛するわけではありません。先生が愛するようなことはありませんが、皆さんにとって先生がだれかと言えば本来の夫です。 本来の夫ですが、本来の夫がだれと結婚したのかといえば、自分のお姉さんと結婚をしました。それがお母様です。皆さんは妹の立場です。ヤコブ家庭においては、お母様はレアの立場にいますが、レアは妹のラケルから洗いざらい奪い取りました。しかし、今回は反対です。お母様は姉の立場に立って、天に仕えて、真の父母に仕えることのできるお母様の立場に立って、妹たちの恵みを略奪するのではなく、天国の恵みをすべて天に代わって分け与えなければならないのです。それゆえ、(皆さんは)お母様の分身だというのです。 女性という動物たちは、お母様のことも愛しますが、先生をお母様よりももっと愛するようになっています。統一教会の女性たちは「女おばけ」たちなのです。この女おばけが人の霊人体にならなければならないのですが、そのような霊人体になるためには、お父様をだれよりも愛するのです。しかし、後になってはお母様をお父様よりも愛してはならないでしょうか、もっと愛さなければならないでしょうか? もっと愛さなければなりません。 どうしてもっと愛さなければならないのでしょうか? 赤ん坊として生まれたならば…………、生まれた赤ん坊は父親の一つの細胞である精子が母親の腹の中に入って、母親の体を掘って、骨、肉、血、体を強制的に分配されて生まれるのです。強制的に分けて生まれたのが弟や妹です。父母の弟、妹。分かりましたか? ですから、これは血筋が一つになっているのです。 レアとラケルは、血筋が一つでしょうか、一つではないでしょうか? 一つではありません。サタンの血筋ならば反発が起きますが、これは天の血筋であるため順応するのです。お姉さんの夫はだれですか? 先生です。 ところで、先生がだれなのかと言えば、昔、自分と婚約していた人です。その人が、姉の夫になったのです。では「この怨讐女」と言って争うことができる立場ですが……、違います。反対です。お姉さんがその妹をだれよりも愛することによって、天の祝福を一緒に受けるのです。 真の父母とともに、真の父母の弟や妹の立場に立って天国に入っていくための役事に協助しているのですから、これ以上ありがたい方はいないのです。自らの生命を生んで、配給分配して育った自分であると同時に、自分の夫は姉の夫になります。 その夫も、自分の体を母親の腹の中で、母の血と肉を受けたのと同じように、夫の骨と血と肉を受ける接ぎ木する立場で、弟や妹の家庭と同じ立場に立つことによって、兄夫婦となった真の父母の後について、弟や妹の立場で、兄弟の立場を経ては息子、娘の立場で、孫の立場でピーヒャラドンドン、解放的天国は自動的に入っていくようになっている! アーメン! カイン・アベル蘇生、カイン・アベル長成・大韓民国、その次にカイン・アベル完成・南北統一…………南北統一は世界統一と連結します。無神論と有神論が一つになることによって、真の父母を中心として分かれた歴史、心と体が分かれて、夫婦が分かれて、兄弟が分かれて、父子関係が分かれて、一族が分かれて、一国が分かれて闘っていた戦場に初めて統一的血統を中心とした、一体圏心情世界の文化が始まるのです。 それは、地上・天上天国、神様と天地父母の心情的文化圏世界です。単一民族であり、単一文化であり、単一理想的体制の家庭と氏族・民族・国家・世界体制で地上・天上どこでも統一的です。根から始まった栄養素がどこでも勝手に、枝や芽まで、この髪の毛の先まで、その次には、爪の先まで血が循環するのと同じように補給され、統一的生命体、一体的主権をなすのが、地上・天上天国解放の自由祖国光復である! アーメン! 父子の関係は上下関係、夫婦関係は左右関係だというのですが、なぜ夫婦関係を「右左」と言わず「左右」と言うのでしょうか? 父子の関係は「上下」が一緒になっています。逆に(父-下、子-上)にはならないのに、どうして「左右」が夫婦関係なのでしょうか? 堕落したために、女性が先んじるのです。その次に兄弟は何ですか? 兄が先になっています。子女は何ですか? 子女というと子が先になっています。子女も正しくなっています。 このように上下関係と子女関係は正常なのに、夫婦関係は逆になっています。そのため、この逆になったのを正しくなるようにするのが全体で「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。すべて入っています。この一言を理解することができれば、今先生が語っている全体を理解することができます。 「上下左右前後」が初めて「上下右左前後」を中心とした統一的、血筋が異なる神様の直系血統解放自由天地が地上・天上世界に築かれ、どこでも遠慮することなく行くことができる、国境のないその世界になることによって、その時ついに地上・天上天国が顕現するのである! アーメン! ですから、この四年間はどんなことがあったとしても、乞食になったとしてもやらなければならないのです。韓国の伝統に、父母が亡くなると三年以上その墓を守るという風習があるのですが、この四年間で、それ以上の忠誠を尽くさなければならないのです。 先祖たちが残してくれた伝統を、自分の実体が、後代何千代まで行ったとしても相反せず、そっくり相続して、神様が目を見開いて行うのと同じようにして、ずっとついていくのです。そして「ああ、ぴったりだ!」と言って戻ってきて、自分が循環するようになるとき「これでよし!」という承認を受けてこそ、解放的アダムの家庭の立場を相続することができるのです。 最後には、国を探して世界統一を実現しなければなりません。世界統一は、自動的に国連で行うようになっています。国連で祖国光復が実現できるのです。世界に主権と民がいるため、土地を買ってあげ国をつくるのです。百二十万ヘクタールといえば、ものすごい広さです。済州島の十二倍です。大韓民国の国民七千万人を食べさせることなど問題ではありません。 お父様がしたので……、お父様の国の国民たちが探せなかったので、お父様がしたのと相対的な基準において、大韓民国が百二十万ヘクタールに責任を持たなければなりません。その次に、母の国、エバ国家が百二十万ヘクタールに責任を持たなければならず、長子圏国家アメリカが百二十万ヘクタール、カイン圏ドイツが百二十万ヘクタールに責任を持たなければなりません。 それ以外の国家までもそこに該当する、十二に該当する土地を祖国光復に総生畜献納物として捧げなければならない基準があるため、一時に祖国光復された地球星になりうる時代へと越えていく! 解放を願い、全体が統一される! アーメン! さて、ここには霊人たちと霊界の興進君を中心とした四大聖人、その次に良心家たちが来ています。イエス様は真の父母として来ましたが失敗したので、霊界にいるすべての霊人たちは、これからは彼をお兄さんとして侍り、霊界に行った真の父母の息子夫婦を霊界の中心で侍らなければなりません。そして、一つの体制を中心として、今や仏教、儒教、すべて自分式で行っていたことをやめ、原理を中心に成約時代の行列についていかなければなりません。そうしてこそ、天上・地上天国に直行できる道が生じるのであって、仏教圏、儒教圏の風呂敷をぶら下げていてはなりません。きれいに聖別して、一つの道として行くことなしには天地の門が開くことはありません。すべて壊してしまわなければなりません。ですから、統一の役事を女性たちがしなければなりません。 今日は十四日、あさってはアメリカで何をしますか? 回教とキリスト教は怨讐関係にありますが、国境撤廃運動を先生が指示して「百万人家庭大行進(ミリオンファミリーマーチ)」が始まります。先生が手助けしなければ、その大会はできません。兄の立場で、父母の立場で、自分のことのように手助けして、今後、歴史的な怨讐の宗教が一つになることができるようにしなければなりません。 キリスト教と回教が怨讐です。ですから、父母がきて、右側には統一教会、左側には回教を中心としてぐるりと回って、アメリカの全五十州の回教の代表たちが来て、統一天下の家庭的行進を始めることができるようにするのです。すべての焦点を合わせて行うのです。 国連もそのようになります。家庭的祝福を行うことができる時に入っていくのです。ソ連と中国とアメリカの若者たちが、千六百名ずつ教育を受けて、真の父母を中心として、心情的一体をなし、青少年の淪落を防止して家庭破綻を防止しなければならないといって全面に出るのです。そのような輩らが一か所に集まって超国家的に……。 これらが怨讐です。三大怨讐です。三大怨讐がすべて反対しました。イエス様を中心として、四位基台を築くべきペテロ、ヨハネ、ヤコブが一つにならなければなりませんでした。しかし、これらが一つになれず、世界がそのような三大怨讐圏となって角突き合いをしますが、これを先生が収拾するのです。 では、そこではどのように平和の内容を提示するのでしょうか? 国境、国境の怨讐が交差結婚した暁には、そこで天国と地獄が一つになって、闘争概念は消えるのです。どんなに父の怨讐、母の怨讐国であるといっても、交差結婚した息子、娘は、自国の両親よりももっと素晴らしく、豊かに暮らせというのです。このように見るとき、交差結婚が地獄を追い出し、天国に入っていくことができるスタートラインだというのです。それが交差結婚を志願する世界だというのです。怨讐たちと共に交差結婚するというのです。 では、神様が怨讐を愛せと言われるその終着点はどこでしょうか? 怨讐間で結婚することです。そのようなことができるようになるとき、そこで地上・天上天国がひっくり返り、神様の自由活動を行うことができる解放時代になるのです。一九八八年に、日本と韓国の間で交差結婚をしましたか、しませんでしたか? その伝統をつくってきたのです。 これからはそのまましなければなりません。第四次アダム圏時代が来たために、アダムの七代の子孫を中心とした、自分たちの間で結婚することができる時代に入ったため、超民族的であり、超国家的であり、地上・天上にある先祖たちまでも合わせて結婚させてあげる時になったのです。ですから、怨讐をなくすための交差結婚をして、愛で抱くことができる、神様の歴史を通した宗教圏の表題として立てた怨讐を愛する一方通行の世界になるため、そこにサタン世界はありません。そこから天国が始まるのです。 二つの国が交差結婚をするときには、その国は一晩で天国にきっかりと入籍するのです。国連さえ公認したならば、復帰は容易です。交差結婚は先生に任せなさいというのです。三か月もかかりません。説得して行うのです。 今日、五十の峠を越えるのです。百年を中心として半分を越える峠に、過ぎた日を越えて新しい天地、平穏な世界を中心として、あの南米の無限なる地平線の国の地を中心として、この国が駄目ならば、私たちはあそこに大移動することができるように、常に荷物をまとめて待っていなければならないと指令したことをすべて聞いたはずです。 ですから、ここで一勝負して、第一次イスラエルを失った人々のようにはならず、イスラエルとともに第二次、第三次イスラエル圏の基地としての韓国をつくり、そのような韓民族の民としなければなりません。そのためには、韓国のすべての先祖たちも解放的恩恵を受けて、天下の歴史世界の先祖たちの王たちとなって、氏族たちの王たちとなり、家庭たちの王たちとなるのです。そのような道を失うことなく、皆さんの後孫たちが皆さんの前に讒訴しうる起源を残してはならないという決意を持って、当然このことをこの期間に完遂して残ろうとする心と体の決意とともに、家庭の決意が必要であるということを勧告するのです。 夫と妻の間で愛しあうときには、布団を被って踊ってもかまいません。すべてを脱いで、妻の肩に乗って踊ってもかまわず、夫が重ければ妻が裸になって馬乗りになって踊ってもかまわないのです。 神様がそれをご覧になるとき、直撃弾を飛ばして粉々にして掃き捨ててしまおうとされるでしょうか、その反対に、持ち上げて天国では見られない装飾品だといって、天の宝座の横に連れて行かれようとされるでしょうか? どうされるでしょうか? それを考えてみなさい。 神様は間違いなく「おい、初めて見るものだ。地上でだけやっていないで、天上でももう一度やってみなさい。お前たちが模範を見せて、天上の祝福家庭たちがそのようにできてこそ、私は万万歳、喜びが充満するのだ!」と言われるのです。 今は、救いの摂理は終わりました。神様も探してはなりません。入籍したので神様の代わり、救いの摂理の救い主の代わりの息子、娘を千年万年、しっかりと育てて天国に連れて入っていかなければならないのです。天国に入っていくことができなくなれば、真の父母の前に責任を追及されます。そのようにみ言を通じて邪悪な世の中を抜け出すことのできる道理をすべて教えてあげましたが、この者たちが責任を果たせずして天国に入れないといって、息子、娘たちが父母に責任を追及するのです。 神様が創造した責任を負って、アダムとエバの責任を負って、復帰の役事をしてきたのですが、皆さんが過ちを犯したならば、後の代になって永遠に讒訴されるのです。「お父さん、お母さん、どうしてこんなざまになったのですか? 他はみんな入っていくというのに。ご父母様が教えてくれたみ言を踏みつぶし、何か良い生活をしようとして……。何度か呼吸するのと同じほどの短い世の中に、何の未練があってこのようにしたのですか?」と言って讒訴するその後孫の顔を見て生きながら……、それをどうやって避けることができるでしょうか? 極めて悲惨で、極めて悔しい事実が染みこんでいるということを心配しながら、このような忠告をするのです。ですから、きょうの記念の日をしっかりと記憶しておきなさい。霊界もそのように決心するので、その霊界よりももっと決心することのできる祝福家庭、主体的家庭としての責任を完遂することを願います。 では、そのように知って、祝福を受けた家庭たちは、霊界と統一的な行動を行うのにはばかることなく、地上まで、子孫たちまで管理して脱線しないように防止することを願います。(二〇〇〇年十月十四日、天宙清平修錬苑)
2023.12.14
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第十三回「世界統一国開天日」記念礼拝の御言成約八年 2000年10月3日中央修練院 きょうは、何の日ですか? (「『世界統一国開天日』です」)。世界……。(「統一国」)。統一国……。(「開天日」)。「世界統一の国が開天した」、「天地のすべてのものが開かれた」と言うのならば、平和の世界が来なければなりません。喜びの世界が来なければならないのです。 皆さん。今から十二年前ですから、満十二年になりました。十二年後の今回のオリンピック大会ですが、それは、北半球の韓国でのオリンピック大会と南半球のオーストラリアでのオリンピック大会は対比するものなのです。ですから、オーストラリアでのオリンピック大会の閉会式のときには、国境がなく、国もなく、全員が自由に入ってきた、そのような閉会式が行われたのを見ました。 国連を中心として見れば、また、先生が国連に行って語った大会を中心として見ても、天地が一つになった立場で、国連は一つにならなければなりません。国連は、行くべき道を捜し出すことができずに一方的な方向に進んでいますが、一方的な方向に進んだまま戻ってくることができません。 それゆえに、進んでいったとしても帰ってくる道がないので、それでは“おしまい”になってしまうのです。ですから、行って帰ってくることのできる道を教えてあげなければなりません。それで、先生は国連に行って、み言を語ったのです。 どのようなみ言を語ったのかというと、「国境線撤廃」、「平和の世界をつくりなさい」ということです。それは、「国境線が生じることによって、このような世界が始まったので、このような世界を終えようとすれば、国境線をなくさなければならない」という、このような問題になるのです。 ですから、今、戦いの中にあるすべての国、また、先進国と後進国との間には、とても大きな国境線があるのです。東洋と西洋には文化の差があり、精神文化と物質文明の間にも障壁があり、南北間には貧富の差があります。北側の世界は豊かに暮らし、南側の世界は貧しく暮らしているのです。 このように、すべてのものに谷間が生じたのです。あちらにもこちらにも谷間が生じたのですが、“谷間”というものは、必ず二つの山があって生じるものです。ですから、谷間は平行線ではなく、必ず山に挟まれているので、このような国境線をどのように平地にするのかというのです。 今日、統一教会では、「世界平和統一家庭連合」と言っています。世界です。この世界のことを言うのです。世界をどのようにして一つにするのかというと、(まず)平和にならなければなりません。何よりも「平和」というものは、“平坦な和”にならなければならないということです。 北の方に暮らす人も、南の方に暮らす人も、東の方に暮らす人も、西の方に暮らす人も、先進国であれ後進国であれ、優劣、男女、老若にかかわらず、すべて水平にならなければなりません。水平から始まり……。 しかし、水平にだけなればよいというのではありません。それだけでは、平和の世界はできません。必ず相対がいなければなりません。「(世界)平和統一の世界」。このようになります。世界が何を願うのかというと、平和になることを願い、統一されることを願うのです。 それでは、世界平和統一してから、何をするのでしょうか? 世界を平和統一してから進むべきことは、天地統一平和ではありません。天地統一が定着するのではありません。世界平和統一家庭が定着しなければならないのです。分かりますか? 統一教会で直視していることは、すべての世界が水平となることであり、水平となった後における統一というのは、統率して一つになるということです。「統一」という意味は、そういうことです。「統率の“統”」です。このように見るとき、水平世界に何がなければならないのでしょうか? 何が支配するのですか? 軸です。縦的な基準、縦的な中心がなければなりません。 今日のアメリカが、いくら先進国だ、何だと言っても、アメリカには縦的な思想がありません。すべてが相対主義であり、そこには全体が一つになることのできる標準的中心がありません。国の形態はありますが、国の中に入っていけば、民主主義の与党と野党、上院と下院というように……。 縦的には、上院と下院を立て、横的に党が立ちます。そして全体を見れば、個々人が立つのです。個人主義を中心として、両党制を中心として、両院制を中心としてすべてが闘っているのです。このような所ではどこでも、国境ができているということです。 そのような世界においては、平和を成し遂げることはできず、統一を成し遂げることもできません。 さあ、それでは、なぜこのようになったのでしょうか? なぜこのようになったのですか? 人は本来、心と体が一つになるべきですが……。わたしたちが、そうではないですか? この人間を見れば……。万物世界を見ても、すべてペアシステムです。鉱物世界もペアになっており、植物世界もペアになっており、動物世界もペアになっており、人間世界も男女のペアになっており、天地も、天と地が、それぞれ主体と対象のペアシステムになっているのです。 では、なぜそのようにペアシステムになっているのでしょうか? ペアシステムにおいては、一つにならなければ存続することができなくなるのです。継続して生きていくことのできる道がなくなるのです。 それゆえに、プラスならプラス、主体なら主体、対象なら対象、マイナスならマイナス、それぞれ一方だけがあるときには、自分が生まれて死ぬまでの自分一代で終わってしまうので、ペアシステムからなる存在世界においては、すべてなくなってしまうのです。そのことを知らなければなりません。 皆さんが、統一教会に入ってきたときに聞いた、「この宇宙はペアシステムになっている」という話も、偉大な宣言であり、偉大な発見なのです。ですから、ペアになっていない世界は、滅びるか、なくなってしまうのです。 それゆえに、男性と女性も、いかなる団体を見ても、必ず主体と対象関係になっており、その関係というものは、二つが共に動き、共に暮らすということを意味するのです。ですから、この世界を見れば、政治関係、外交関係、すべて“関係”に関連しているのです。しかし、その主体と対象がなければ、関係という言葉は成立しません。分かりますか? 父子関係、夫婦関係、師弟関係、外交関係、経済関係、すべてが「関係」という言葉でつながっているのです。 これが継続するためには、必ず授け受けすることができなければならず、“それが、どのくらい永遠に続くことのできる内容になっているのか”という問題について見てみなければなりません。そうして見てみたとき、永く続くことのできる内容が十分であるとき、その関係は永く続いていくのです。分かりますか? (「はい」) この「開天日」は何かというと、天地に門がなく、すべてが通じることのできる時代に入っていくということを記念する日なのです。それは何かというと、国境を整備して、国境がなくなった自由な環境を持ち、思いどおりに天上世界や、世界のいかなる所でもすべて……。 今日の韓国や、日本の社会でも、ビザが必要であり、数多くの国があって……。このビザというものは、だれがつくったのでしょうか? 神様がつくられたのでしょうか? 一つの心臓を中心とした四肢五体が、血液を授け受けすることのできる循環路を持つことができなければ、病気にかかって長く生きることはできません。授け受けすることのできる動脈を中心として、運動することのできる関係が途切れれば、そこから“死亡”が入り込んでくるのです。終わってしまうのです。分かりますか? このように見るとき、永遠の主体と対象関係を結ぶことができるものとは、何でしょうか? これが問題なのです。それでは、「地球星の年齢はいくつか?」と言うとき、それはいくつでしょうか? 四十五億年くらいです。 では、四十五億年間存続するときに、ひとりでそのように四十五億年の長い歳月を過ごしたのでしょうか? そうではありません。地球星を中心として、星と太陽と月と、すべての宇宙とともに関係を結んで存続してきたのです。そして大宇宙を見れば、太陽系と同じようなものが数千、数万とあるのです。 この宇宙が、どのくらい大きいのかというと、先ほどもその話が出ましたが、二百十億光年の大きさです。二百なのか、二千なのか、二億なのか、“それをだれが分かるのか?”と思いますが、そのようなことを言っているのです。 宇宙の大きさは、二百十億光年です。光年とは何ですか? 一秒間に三億メートル進む速度です。秒速三億メートルという速度は、どのくらいですか? 一秒、チクタクと進む間に、地球の七周半分の距離を進む速度です。地球の七周半分の距離を行くのですが、それほど速い光が、ここから「よーい、どん」といって出発し、一日たてば、どのくらい進むでしょうか? 天文学界では、そのような光の速度で一年かかって進む距離を一光年というのです。 それをもって宇宙の大きさを「二百十光年」と言っても、“ああ、まったく、狂ったことを言う”と思いますが、二百十光年ではなく、二百十億光年です。今、そのような存在が連続しているとすれば、ただそのままひとりで大宇宙に浮かんでいるのですか? 違います。これは、すべて授け受けしながら……。 二百十億光年の大きさの大宇宙すべてが、そのような関係を持っているのです。ですから、空中世界の大きな星が落ちてぶつかれば、大変なことになるのですが、バランスを取って、変わらずに回っていくのです。 太陽系の太陽を中心として、地球はその周りを一年間かけて回るのですが、誤差があったとすれば、何億年、何千億年たつとどのようになっていたでしょうか? とてつもない破綻が起きていたことでしょう。 さあ、関係の世界というものを見れば、一人では関係を結ぶことはできません。わたし一人でいくら関係を結ぼうとしても、お母様がいなければ夫婦関係を結ぶことができるでしょうか? それから、関係というものは、授け受けしなければなりません。一つが昼ならば、一つは夜になり、一つが夜ならば……。それから、低い所から上に行き、上にいた人は今まで豊かに暮らしていたので、循環運動で回っていくのです。夜になり、また回っていくのです。回っていくとき……。地球が回っていくときに、何千年、何万年、このようにだけ回るのでしょうか? それで、三百六十度が必要なのです。分かりますか? 回る起点を中心として、三百一度で一回り、三百二度で一回り、一年に一度ずつだとしても三百六十年かかると見なさなければなりません。そして、このように長い時間がたてば、地球星はどのようにならなければならないでしょうか? 人類の歴史は、どのくらいになると思いますか? 皆さんは、「人類歴史は六千年」と言うのですが、そうではありません。何千万年です。「人類歴史は二百五十万年である」とも言われているのですが、それ以上かもしれません。 なぜ、このような話をするのかというと、そのような存在が宇宙に満ちあふれているのですが、その授け受けしている存在の間には、絶対に境界線がありません。それゆえに、この手ならば手を中心として、手の細胞や筋肉は(他の部分とは)違うのですが、それでも全体が和合することができ、一つの構造を持った人格体が形成されるということを思うとき、“自分の生命というものは、(それ自体だけでは)人格体を構成することができない、さまざまな分野における作用のバランスを取ることのできる主体的な力を持っている”と思うのです。 大宇宙が運動を継続することのできる原因となる根本の力は、どこから出てくるのでしょうか? このようなことが問題になるのです。これを見ると、李相軒氏もそう言ったでしょう? 霊界に入っていって夫婦が愛するのですが、八年目に霊界に訪ねてきた李相軒氏と妻が二人で、きれいな礼服を着て神様の前に行ってあいさつをし、それから何をしたというのですか? 「踊りを踊った」と言いましたか、愛し合ったと言いましたか? (「『愛し合った』と言いました」) 愛とは何ですか? キスすることをいうのですか、神様にあいさつしたことをいうのですか? 服を着て愛し合ったでしょうか、服を脱いで愛し合ったでしょうか? (「服を脱いで愛し合いました」) アダムとエバの時代にも、堕落する前のときに服を着ていましたか? そのときも「服を脱いで愛し合う」という、その「服」という言葉があったでしょうか? (「ありません」)。それでは何ですか? 裸で暮らしながら、裸で愛し合ったということです。動物が愛し合うときに、服を脱いだりするのですか? (笑い) 服というものは、堕落によって境界物になっているのです。それゆえに、最高に愛し合うときは、男性と女性が服を着て愛し合いますか、どうですか? わたしには、よく分かりませんが。(笑い) それでは、服を着て愛し合いますか、服を脱いで愛し合いますか? (「服を脱いで愛し合います」)。胸に着けるものは何ですか? (もし)それをつけたまま生まれて、夫は、それを右側の胸に着け、妻は左側の胸に着けていれば、それをはがして愛し合うでしょうか、そのままにしておいて愛し合うでしょうか? はがして、また着ければよいではないですか? そこには、ぞうきんはもちろんのこと、空気中のほこり、ナイロンの紙一枚でもくっついていてもはがしてしまうでしょうか、そのままにしておくでしょうか? (「はがしてしまいます」)。ついたてがあれば、“そのままにしておきたい”と思うでしょうか、“すべてをなくしたい”と思うでしょうか? それはどういうことですか? 本当に愛し合う二人の夫婦の間に、ついたてが必要ですか、必要ありませんか? (「必要ありません」)。どのくらい必要ありませんか? 「絶対に必要ない」という言葉を受け入れますか? (「はい」)。「受け入れない」という人は、手を挙げてください。 儒教の両班たちは、「ああ、教主様が座って、夫婦で愛し合う話をなぜするのか? ああ」と……。(「はい」)。「はい」とは、また何ですか? (笑い)何も分からないので、「はい」と言うのでしょう? (笑い) 「絶対に境界線が必要ない」というものは、何でしょうか? 絶対に境界線が必要ないもの。永遠に、永遠に、絶対、唯一、不変に境界線が必要ないものとは、何でしょうか? それは、真の愛しかありません。それが真の愛です。 夫婦で愛し合うにしても、ありとあらゆることをして、まだらの皮ぶろしきをかぶったり、何階建てのビルの屋上に立って愛するような(間に距離をおいて愛するという意味)あらゆる者たちがたくさんいるのです。 そのように、ありとあらゆることをしながら、境界線を間に置いて愛するのが真の愛ですか、偽りの愛ですか? (「偽りの愛です」)。何ですか? (「偽りの愛です」)。偽りの愛なのかどうか、どうして分かるのですか? 手で触ってみても分かります。五官で分かるのです。手で触ってみても、かちかちにこわばっているのです。 女性は柔らかいのです。柔らかいので、強いものを願います。男性は頑丈でなければなりません。それで、ひげが生えるのです。握るにしても、ぎゅっと握ってこそ刺激が来るというのです。女性は、手の骨も細いので、どんな刺激が来るでしょうか? ですから、ぎゅっと握らなければなりません。そうなのです。わたしは、よく分かりませんが。(笑い) それゆえに、大きい発電所、何十万ボルトを発電する発電所があります。そこで心棒というものが回っているのですが、心棒とは何か知っていますか? バビットメタル(錫を主成分とし、アンチモン・銅・鉛などを含む白色の合金)のような鉛のかたまりです。回る軸自体は、鋼鉄の中の鋼鉄です。鋼鉄の中の鋼鉄なのですが、それを支えているのは鉛なのです。バビットメタルというものです。分かりますか? 鉛のかたまりや真鍮というものは、反対のものです。そこに油が入って……。油が調和させるのです。それがシャフトと軸受けをくっつかないようにしてくれるのです。それで、シャフトは空中に浮かんでいるのです。これがくっついていれば、燃えてしまいます。すぐに燃え始めるのです。あっという間に問題が起きます。 それは、何がそのようにするのでしょうか? これが一度関係を結べば、お互いに譲歩し、お互いに助け合うことによって、すべてのものが支えるのです。高いものと低いものが和合しなければなりません。右側と左側が授け受けしなければなりません。 前と後が授け受けしなければなりません。上下、左右、前後が授け受けすれば、球形になるのです。球形の中心骨が生じます。見えませんが、三つの力が一つに合わさったので、骨が生じたというのです。ですから、骨があり、肉があり……。 骨は堅いのですが、肉まで堅ければ、どのようになるでしょうか? どのようになりますか? 骨と肉が、ぴたっとくっついて離れなければ、どのようになりますか? 皆さん、動物も焼けば、骨も肉もさっと抜けるでしょう? 落ちてしまうでしょう? それは何のためですか? 油があるからです。そのようになっていることを見ると、そこにはそのようなものが必要だというのです。 それでは、愛を中心として、完全に境界線がなければ、どのようになりますか? どのようになるでしょうか? 男性と女性の間隔がなければ……。男性は骨を象徴し、女性は肉を象徴するので、これが一つになるのです。だからといって、骨は骨であり、肉は肉なのであって、骨と肉が一つのものになってしまうのではありません。それらは、どのような力によって、一つに連結されているのでしょうか? 父母から受けた愛の力によってです。このようになるのです。分かりますか? 韓国の歌でもそうではないですか? 父親を通して骨をもらい、母親を通して肉をもらって生まれるというのです。心と体が完全に一つになれば、強弱を中心として一つになるのです。男性が“強”であり、女性が“弱”なのですが、その強弱を中心として一つになれば、これが人間世界における完全な人間なのです。 また、霊界にいらっしゃる見えない性相と形状の神様は、人間の見えないモデルでいらっしゃるのですが、そのような神様を中心として、骨に当たる神様と肉に当たる人間とが一つにならなければなりません。どのようなものによって一つになるのでしょうか? 間隔があってはなりません。一つの体になるためには、愛だけが、愛だけが一つにすることができるのです。 それゆえに、皆さんが、自分という存在を見れば、骨を中心として……。自分がこのような姿をしているのは、肉がこのような姿にしたのですか、骨がこのような姿にしたのですか? 骨がこのようにして、そこに骨が構成した……。 最近、実感することは、それはコンピューターのプログラムと同じだということです。目には見えませんが、小さなチップに数千数万の思想を入れることができるのです。それと同じように、プログラムとして形成されたものが、骨なのです。そのようなモデルが骨となり、その骨がプラスになっているので、プラスがそのモデルの形態を成せば、そのモデルの形態を備えたマイナスを吸い込んで、体になるのです。 ですから、人が“おいしい”と感じるものは、自分のプラス成分に対してマイナスの物が吸収され、それが一つになって、より大きくなる立場に立つことができれば、“おいしい”と感じるのです。それがマイナスとなり、小さくなり、なくなる立場に立てば“おいしくない”というのです。すべて、このようになっているのです。 では、愛するのは良いのですか、悪いのですか? (「良いことです」)。良ければ循環運動します。循環運動が起きるのです。ですから、愛は、自分を愛する愛、夫婦が愛する愛、家庭を愛する愛、そのように大きくなるのです。 個人、家庭、氏族、民族、国家の中心は、自分を中心とした、この一点です。皆さんも、自分を中心として主体になりたいでしょう? そうですか、そうではないですか? そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。耳が腐ってしまったのですか? 尋ねたら答えなければならないでしょう。韓国の人たちは、両班のようなふりをして、悪口を言って初めて目をぱっちり開くのです。(笑い)それは、幼稚園児よりも劣ります。 では、皆さんを中心として、“わたしの心と体が一つになって、わたしは主人になりたい”という思想がありますか、ありませんか? (「あります」)。夫婦でも、“わたしが主人になりたい”と思うのです。女性もそうでしょう? (「はい」)。それは何かというと、球形になるので、男性が前面ならば、女性は後面になるのです。そうして球形になり……。 それでは、男性と女性が球形になれば、男性も半分で、女性も半分でしょう? (「はい」)。その二つが一つになった完全なものは、何というのですか? そのような言葉はないでしょう? 半分と半分が合わさったものなので、「統一分」。(笑い)そのような言葉はありません。「円分」でしょうか? 何と言うのでしょうか? それは、皆さんがよく知っていることです。ですから、男性と女性は凸凹になっているのです。 凸凹を見て笑う人は、狂った人ですか、正常な人ですか? (「狂った人です」)。なぜ狂った人なのですか? (笑い)知らないときは分かりませんが、知ってから、それを見て「嫌だ」と言うのも狂った人であり、“おかしい”と考えるのも狂った人です。 その凸凹が、完全に一つになってウグイスのような声を出すのを聞くでしょうか、聞かずに逃げるでしょうか? (「……」)。きちんと答えてください。(「聞きます」)。何ですか? (「聞きます」)。何ですか? (「聞きます」)。 歌を歌うのを見ても喜び、訪ねて行って、それをするのを見て喜ぶでしょうか、悪く思うでしょうか? (「喜びます」)。そうですか? おじいさんとおばあさんが、それを見て喜べばどのようになりますか? お父さんとお母さん……。皆、隠れてしようとするのです。今まで、そのように暮らしてきたでしょう? ところが、わたしも霊界を知っていますが、李相軒先生の霊界報告書を見れば、神様の所にあいさつに行き、そこで夫婦で愛し合うのです。愛し合うや否や、どこからともなく色彩に覆われ、一筋に輝く明るい光が自分の心と体を包み込んで、恍惚と神秘の境地に至り、無限の喜び、無限の充満、無限の衝動を受けることができる境地に入っていくのです。 では、だれが愛することを喜ぶのでしょうか? この地上で、愛することを最も喜ぶ大王陛下、その王、チャンピオンがいるとすれば、それは一体、だれでしょうか? 統一教会の文先生でしょうか? 愛の哲学を世界的に発表し、そして、すべてからこのように崇拝される文総裁が、最も喜ぶでしょうか? 「文総裁以外に、もっと喜ぶことのできるかたがいるだろうか?」と言えば、わたしは、それをねたんで、「切り捨ててしまえばよい」と言うでしょうか? どうでしょうか? 文総裁がどうやっても、もっと大きな主人がいれば、そのもっと大きな主人のために反対するのではなく、吸収されなければなりません。大きいものが育つためには、小さなものを吸収しなければなりません。分かりますか? (「はい」)。分かりますか? (「はい」) 最も高い人間が生きるためには、この地上に生きている、すべての小さな万物を吸収し、のみ込んでしまわなければ、大きいものは生命を存続させることができますか、できませんか? (「できません」)。できます。(「できません」)。この者たち。(「できません」)。気分を良くしていますね。(笑い) そして、そのようにしてこそ回るので、植物が鉱物を捕食します。大きいものが生きるためです。もっと大きい愛の実体を成し遂げるための器は大きいので、それを満たすためには、小さな器は十個でも、百個でも、千個でも入っていくことができるのです。 それは、どういうことかというと、それを満たして存続する万物を生かすためには、生きている万物を消化して吸収してこそ……。よく吸収して、接ぎ木することができるようにしてこそ、人間も幸福な人になるのです。分かりますか? (「はい」) 鉱物を見て、「おい、鉱物。おまえたちは、何のために醜く、でこぼこな姿をしているのか?」と言えば、「それを言わないでください。固まった私の体が何百年、四十億年以上、億万年過ぎてみると、天地に大変化が起き、気候の変化や風化作用によって砕かれ、つぶれ、そして土になり、砂になり、このようにして万物が、すべて吸収するのです」と言うのです。 それでは、鉱物が「この宇宙め。なぜ植物が生まれたのか? こいつ、攻撃して撃破しよう」と言えば、どのようになるでしょうか? 大変なことになるでしょう? そこには順応するのです。ですから、鉱物の元素が植物の元素に吸収されるからといって、鉱物は反抗しません。反抗しないのです。 それでは、植物は「良い」と言わなければならないでしょうか、何と言わなければならないでしょうか? 「良い」と言わなければならないでしょうか、「悪い」と言わなければならないでしょうか? (「『良い』と言わなければなりません」)。「良い」ということは、何かというと、「おいしい、おいしい」ということです。 皆さん。おいしい食べ物を食べてうれしいときは、「おいしい」と言いますか、「おいしくない」と言いますか? (「『おいしい』と言います」)。では、人間だけが「おいしい」と言うのでしょうか? 鉱物の元素が植物を育ててあげるとき、植物は、それ自体のプラス性稟がそれを引き込もうとして、とても興奮するので、「おいしい」と言わないでしょうか、「おいしい」と言うのでしょうか? 人間のように、動物のように「おいしい」と言うでしょうか、「おいしくない」と言うでしょうか? (「『おいしい』と言います」) それから、この動物たちは何を吸収するのですか? (「植物です」)。植物です。動物たちは、植物も吸収し、自分よりも小さな万物(動物)を吸収します。分かりますか? 猫は、自分よりも小さいネズミを吸収して食べるのです。小さいものが吸収されるとき、「ああ、わたしは死ぬ」と言えば、どのようになるでしょうか? さあ、このように話していたら、一日たっても終わりません。分かりますか? (「はい」)。「愛するのを見ることを最も喜ぶかたは、だれだろうか?」というとき、皆さんの人類先祖のアダムとエバが一代の先祖です。 彼らが本当に一代の先祖なのかというとき、彼らは愛が分かりませんでした。愛を知っていましたか、分かりませんでしたか? 堕落した愛は知っていましたが、本当の愛を知りませんでした。神様の前から追い出されて愛することはできましたが、本当の愛は知りませんでした。神様が待ち焦がれ、早く花を咲かせなさい、早く香りを漂わせなさい、ちょうが飛び回るように、その香りを求めて天使が飛び回り……。 天使たちが皆、降りていったので、王である神様も飛んでいかれるのですが、そのとき、見物するために、アダムとエバが愛し合う所に来ていた天使たちは、道を開けてくれるでしょうか、開けてくれないでしょうか? (「……」)。ああ、話を聞いているのですか、聞いていないのですか? (「開けてくれます」)。開けてくれるのなら「開けてくれる」と言わなければならないでしょう? 尋ねているのに、なぜ答えないのですか? 真の父母も何も、すべて関係ないようですね。真の父母と関係がありますか、ありませんか? (「あります」) わたしは、何の話をしようとしたのですか? あなたたちを、死の境地から生きることのできる人にしようとしているのですが、生きようとすれば、死の境地において、死ぬ力よりももっと力を使ってこそ、生きることができるでしょうか、より小さく使ってこそ生きることができるでしょうか? (「もっと使わなければなりません」)。それが分かれば、よいというのです。 「世の中のどこに、そのような先生がいますか? 力を使わずに生きることができるようにしてくれるべきでしょう?」。そのような道理はありません。しかし、この世の中で、死の境地よりも、もっと力を使おうというかたを捜してみれば、それはだれかというと、世の中では統一教会の文先生という人しか存在せず、天地では神様しかいないのです。そのように言うとき、それでも(神様と真のご父母様が)必要ですか? (「はい」) 見てください。今まで、このように一緒に歩んでいたのですが、百八十度“回れ右”してこそ……。黄金の塊を差し出して、それを手でつかもうとしているのに、「“回れ右”するのが最も福がある」と言うとき、どのようにするつもりですか? (「“回れ右”します」) 「最も福がある」と言うのも、(見える)人ではありません。神様は、言葉が聞こえるだけです。言葉しか聞こえなければ、これ(黄金の塊)をつかんで“回れ右”しますか、つかまずに“回れ右”しますか? (「つかまずに“回れ右”します」)。なぜですか? どうしてですか? (「それよりも、もっと大きな福があります」)。もっと大きな福があるかどうかは分かりません。 “神様が必要だ”と思って、“回れ右”すればよいのです。神様とは、だれですか? わたしたちのお父様です。自分よりもお父様の大きなふろしき包みに入っていないものがないので、お父様がそのように言われれば、“回れ右”して損害を受けるでしょうか、受けないでしょうか? (「受けません」) 「ああ、お父様。その宝の山はどのようになりますか?」 「宝の山がどうなるも何も、ここにあるではないか? ここにあるものは何か? どろぼうのような男性の所に行って何をするのか? 『それよりも、もっと良い宝の山を上げよう』と言えば、それを受け取るか、受け取らないか?」 「受け取ります」。「では、あなたは、その宝の山よりももっと愛するのか、愛さないのか?」。「愛します」。そのようにして与えてくれるものが、何でしょうか? 独り子です。その独り子は、神様の何千万代の独り子です。七代の独り子が病気になっても、道知事が訪ねてくるし、国の殿様が訪ねてきて、あいさつをするというのですが、何千代のひとり息子がそのようになれば、そのひとり息子に対する贈り物は何でしょうか? 答える人は早く手を挙げてください。(「真の愛です」) なぜ、真の愛なのですか? 真なる女性でしょう? (笑い)女性に出会って、愛はそれからでしょう? (拍手)愛は、一人でするという道理はありません。そうですか、そうではないですか? そうだというなら拍手してください。後ろの方は聞こえますか? (拍手)では、じっとしていてください。このようにしないでください。(拍手) 「宝をどうするのか」と言うとき、“宝というのは何だろうか?”と思って……。それでは、“もっと良いものとは何だろう?”と思って、神様に「もっと良い礼物とは何ですか?」とお尋ねすれば、「それは、おまえが最も喜ぶ……」と言われるのです。 それゆえに、何千代の男性から何千代の女性、すぐそばで育てば、よく分かりますが、何千代も過ごしてから宝物として女性を与えられれば、女性を見て“変だ”と思うでしょうか、思わないでしょうか? 女性の目を見ても普通でなく……。違うというのです。目を見ても普通でなく、ひげがあるでしょうか、ないでしょうか? そのときに脱いで現れるでしょうか、着て現れるでしょうか? すべてを触ってみれば、目も同じで耳も同じですが、何か出っ張っていて、おしりが大きく、そして自分には袋のようなものがぶら下がっていて、“これは何だ?”と思うのです。(笑い) 不思議で“触ってみたい”と思うでしょうか、“触ってみたい”と思わないでしょうか? (「“触ってみたい”と思います」) それでは、どこから触ると思いますか? 上から触っていったでしょう? なぜですか? 手は高いものを好むからです。てっぺんから、ああ、髪の毛はこうで、耳がこのようになっていてと、このようにするようになっているのです。そして、「ああ、また女性のこれは何だ? 前の南ナム山のようなものが二つある。わたしが必要なのは一つなのに、なぜまた二つあるのか?」あらゆることを考えるというのです。 そして、「おしりは、なぜまた、このように男性よりも大きいのか? 男性は肩のほうが大きいのに、なぜまた、下のほうが大きいのか?」と、このように思いながら、手探りする手をとめて、おしりを触ってみたでしょうし、また前の方も触ってみたでしょうか、触ってみなかったでしょうか? 触るときに、女性が驚いて「あっ」と声を張り上げるでしょうか、どのようにするでしょうか? じっとしているでしょうか、騒ぎ立てるでしょうか? (「騒ぎ立てます」)。(笑い)研究してみてください。 しかし、その女性が、男性よりももっと男性を慕い、何億万代のひとり娘だとすれば、男性がやってきて触るのをびくびくするでしょうか? 血管が引っ張られ、へそが引っ張られ、「ああ、心臓が大変なことになった」と言うでしょうか? 気分が良いでしょうか、気分が悪いでしょうか? (「良いです」)。わたしは分かりません。 女性たち、答えてみてください。気分が良さそうですか、悪そうですか? (「良さそうです」)。「何々そうだ」というのは、「そうではない」ということと変わりません。それでは、良くなければならないでしょうか、悪くなければならないでしょうか? (「良くなければなりません」) では、女性が男性を見れば、関心が行くでしょうか? 男性が千代の独り子であれば、女性は万代の独り娘として、千代の男性を何千代慕ってきたとすれば、その男性を見ただけでも、ぼうぼうと火が燃え上がるはずですが、頭を触るからといって、さっとするでしょうか、びくっとするでしょうか? (ジェスチャーされる) “早く、早く触ってください”と、このように体が行くでしょうか、行かないでしょうか? ああ、女性が答えてください。そのようにすれば、わたしが面白い話をするのです。(笑い)「悪くない」ということが、全体公論なのです。 男性は、どうでしょうか? 「おかしい、おかしい、一度触ってみても、嫌がらない、おかしいな……」。“一度喜んだから、二度目は嫌がるだろう”と思って手を握ると、手をぎゅっと握って放しません。そのようにすれば、どのようになるでしょうか? 放さずにじっとしていれば、どのようになるでしょうか? 女性は、引っ張られて触ってくれることを願うのです。 では、結婚したかたがた、仲睦まじい夫人は、夫の手がすっと背中に来れば、自分の胸に手を引き寄せるでしょうか、引き寄せないでしょうか? それを悪く言う者たちは、地獄に行く人々です。(笑い)堕落する前の世界のことを話しているのですが……。分かりますか? そのような女性は、手を引いてきてどこを触らせようとするでしょうか? 最初に唇を触らせようとするのです。女性は唇を愛するでしょう? 愛しますか、愛しませんか、この者たち。(「愛します」)。悪口を言って初めて正気に戻りますね。唇を愛して、口に手を当てるのです。それから、下っていけば、……。 さあ、これを話すのは、わたしも申し訳ないと思います。しかたなく話すのです。(笑い)話さなければ、悪い教材になるので、しかたなく話をするのですから、悪口を言ってはいけません。悪口を言えば、悪口を言う口がくっついてしまい、体の貴いものが故障するように神様が罰を与えるとすれば、どのようにしますか? 目を見開いて、舌をかみながら我慢しなければならないでしょう? 考えてみてください。それならば、頭を触り、唇で……。(「吸います」)。 さあ、このくらい話をすれば分かったでしょう。それでは、その後はどうなるでしょうか? 女性は、男性がどのような男性なのか分かれば、自分の一番の密室に連れていくでしょうか、連れていかないでしょうか? そして、男性が逃げていったらどうしますか? 逃げていったら、ついていきますか? (「はい」) それでは、追っていっても、追いつけなくなったらどうしますか? 座って死にますか、泣きますか? (「泣きます」)。男性は、それほど悲しんで泣く女性を見たことがないので、女性が泣きやめば、“死んだのか、生きているのか”と思って戻ってくるでしょうか、そのまま行ってしまうでしょうか? (「戻ってきます」) 戻ってきて、女性がじっとしていればどうしますか? (「揺らしてみます」)。座り込んでいるのを見ると、“自分よりも重いだろうか……。この三倍くらいの石でも持ち上げられるが、動かないのを見ると死んだのかもしれない。持ち上げてみよう”と思い、さっと持ち上げてみて軽ければ、ほうり投げるでしょうか、抱き抱えるでしょうか? (「抱き抱えます」)。抱き抱えれば、女性が顔を真っ正面に向き合わせるでしょうか、どのようにするでしょうか? キスしますか、しませんか? (「キスします」)。にこにこ笑いながら「ああ」……。(笑い)もう、やめましょう。(笑い) ですから、神様が贈り物を下さるときに、最も貴い贈り物として黄金の山やダイヤモンドの平原を男性に下さったとしても、それが何になるというのですか? それを必要としますか、それとも女性をもっと必要としますか? (「女性を必要とします」)。どうしてですか? 黄金の床や、ダイヤモンドの平原、色とりどりの宝石でできた大きな山があるとしても、「ぺっ」。(つばを吐かれるジェスチャーをされる)なぜですか? 女性がいれば、息子、娘を生んで育てることができるのです。分かりますか? (「はい」) 皆さん、息子、娘が必要ですか? (「はい」)。男性がこのようになっていて、女性がこのようになっているのは何のためですか? 愛ゆえにこのような形になっているのです。愛が喜び、男性と女性の生命が喜び、すべてが喜び、血統が喜ぶのですが、それは何のためですか? 息子、娘を持つためです。 血統を連結させなければ、血統を通さなければ、おじいさんと息子、娘、父と孫、三代から何千代へと代が連結されません。分かりますか? 何代もの世代が連なっていくのです。それゆえに、女性がいなければ愛も問題ですが、息子、娘を永遠に持つことができますか、できませんか? できますか、できませんか? (「できません」)。ダイヤモンドがあったとしても、何をするのですか? 「ああ、良い」と、千年万年愛しても、何も残りません。 息子、娘を持ち、それから何をするのですか? (息子、娘を持つ前に)自分が妻を迎えることのできる人、夫人を愛することのできる人にならなければなりません。夫人を愛することのできる人になり、それから、息子、娘を持ち、息子、娘を愛することのできる主人になるのです。それで終わるのですか? 自分が四十、六十、七十歳になれば、息子、娘が成長して孫を生み、さらに孫が大きくなって三代、四代までが一つの家で暮らすことができるようになるのです。八十歳を超えれば、三代が問題ではありません。四代の子孫が連結されるのです。分かりますか? 先生もそのような時が来ました。八十になると、聖進の息子、娘も赤ん坊を生むようになり、四代になるのです。そのように家庭を愛することができるのです。上下を愛することができ、左右を愛することができ、前後を愛することができる一つの球形の形態を備えて定着するようになったものが、家庭なのです。分かりますか? (「はい」) 家庭です。いくら優秀な男性でも、女性という怪物と出会わなければ、永遠に妻を持つことができるのですか、できないのですか? (「できません」)。できません。自分が百回、千回死んだとしても、愛したい息子、娘は永遠に生むことはできないのです。息子、娘に、与えて忘れ、与えて忘れるという愛を行うことはできません。そしてさらに、息子、娘を中心として孫……。 愛を必要としない人は手を挙げてください。愛が必要な人は手を挙げてください。それは、だれが手を挙げなさいと言ったのですか? (笑い)だれが手を挙げなさいと言いましたか? いくら愛を願って手を挙げたとしても、相対がいなければ愛は永遠に現れません。 男性が男性であるのは女性がいるからであり、女性がいるがゆえに主人の名をもって生きることができるのです。分かりますか? 女性がいなければ何ですか? それは、男性でもなく、女性でもありません。なぜですか? 女性が女性でありうるのは、男性という動物がいるからであり、男性がいるがゆえに“女性主人”の名をもつようになったのです。 それゆえに、父母は、りっぱな息子、娘を持って初めて父母になるのではありません。父と母のふたりが、息子、娘を生むことができなければ、永遠に子女を愛することのできる心を見いだすことはできません。それは、正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」)。正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) 父と母の愛が生じるようにしてくれるのは、父と母自身ではありません。できが悪くても、息子や娘がいるがゆえに、父と母は父母の愛の主人となることのできる資格者になるのです。それは正しい話ですか? (「はい」) だれが父と母に愛の主人の資格をつくってあげたのかというと、できの悪い息子であっても、病気の息子であったとしても、愛する心を持つことができるようになったのはその息子ゆえなのです。父母が千年万年、子女を愛する心を持っていても、子女がいなければ、与えて忘れ、さらに与えてももっと与えたいという愛の心には永遠に出合うことはできません。 息子、娘を願わない女性は手を挙げてください。息子、娘は願っても、嫁には行かない、という女性は手を挙げてください。最近、風変わりな女性がたくさんいるではないですか? 「どうして男性が必要なのか?」と言う女性です。それは、原則的な法に背いて“どろぼうをしよう”という女性たちです。 最近では、フリーセックス時代が来たので、「自分がだれの子を宿したのか分からない」と言うのです。「その中で、馬賊団の一番の親分のような、マフィアの大将のような者と関係……。その子供がわたしのおなかの中で育つということを考えると夜も眠れない」と言って、神経質になり、堕胎したり、産むや否や目をつむってごみ箱に投げ捨てる母親も出てくるというのです。 これは、どれほど悲惨なことでしょうか? 自分の純潔な血筋によって神様の愛の代を受け継いで、真なる男性、真なる女性、愛は永遠なものなので……。(一部録音されていない) ……中心として愛の関係を結ぶようになるとき、妻を愛することのできる主人の資格をだれが夫にもたらしてくれたのでしょうか? 夫が千回、万回死んだとしても、女性を愛することのできる主人になることはできません。このことを知らなければなりません。 夫人たち、分かりますか? 「この男 女性を愛することのできる愛の主人の立場をだれがつくってあげたのか分かっているのですか? わたしだということを知っていますか? この男は」ということです。このことを知りませんでした。分かりますか? 愛の平準化の価値がどのようなものなのかを今、分かったのです。 男性が女性を愛することができ、主人になることができるようにしてくれた者は、初愛によって因縁を結んだ女性であり、それゆえに女性を愛することができるようになったというのです。わたしの心と体に女性の愛が染み込むように、それがどれほど必要なのかということを……。分かりますか? 女性も、同じことです。天下の花の中の花であり、香りの中の香りが漂い、千年万年、酔いしれて歌を詠じることのできる美人だったとしても、また美人でなかったとしても、目鼻がなく、すべてがない、それらが一つしかないような男性であったとしても、男性がいて初めて愛を感じることのできる衝動が発動するのです。失礼ですが、それは正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」) いくら死んだ男性がうつ伏せになっていても何も感じませんが、生きている男性であれば女性は動じるのです。分かりますか? (「はい」)そして、人は家庭を愛します。おじいさんがいなければ、おじいさんのことは分かりません。おじいさんがいなければ、おじいさんが孫を愛することはできません。その味がどのようなものなのか分からないのです。 お母様が赤ん坊をたくさん生みましたが、昼間、活動して夜十二時を過ぎて帰ってくると、子供が十二歳になるまではキスして祈祷してあげました。しかし子供たちは、疲れていびきをかいて寝ているのに、どうしてそれが分かるでしょうか? お父さんがキスしてくれているのかどうか分からないでしょう。寝ていれば、背負子で背負って何十里を行っても気がつきません。「ああ、そんなものか」と言っていたのです。 ところで、孫を見ると、孫は息子、娘とは違います。その足元から……。足元から何ですか? 足元から波動が来るのです。どういうことか、考えてみてください。お乳も飲ませてあげ、このようにして見てみれば、母親とおばあさん……。おばあさん(真のお母様)がわたしに「お父様がおっしゃったことは本当でした。自分の子供よりも孫がどうしてこれほどかわいいのでしょう? どうしてこれほど美しいのでしょう?」と言うのです。 どこかに行って帰ってくると、孫の名前を呼んで「だれだれ、いるの?」と言い、孫がこのようにするの(=よちよち歩く姿)を見ると、お母様も一緒にこのようにしながら抱き抱えてためらわずにキスしてあげるとき、“わたしをあのように一度でもキスしてくれたことがあっただろうか、覚えていないが……”と思うのです。(笑い)ですから、おじいさんが孫を見れば、老いても孫をさらに愛していかなければならないので、愛がどんどん深くなるのです。 それゆえに、年齢が八十になれば、痴呆症になって町内にうわさが立つこともありますが、自分が愛する人は忘れません。自分の夫の名前もすべて忘れてしまいます。自分の母を、「お」と言って「かあ」という言葉を忘れてしまい、「かあ」という言葉がどこに行ったのか捜すのです。自分の妻の名前が金キム某ならば、「金」と言って次の言葉を捜し回るのです。忘れてしまうのです。思い出せそうで、思い出せません。 そのようになったとしても、愛する息子よりも愛する孫は、いつでも訪ねていくことができるというのです。ですから、おじいさんの愛を受けることが幸福であり、おばあさんの愛を受けることが幸福なのです。おじいさんとおばあさんに侍ることができず、一緒に暮らすことができなかった人は、不幸な孫、孫娘であり、不幸な男性、女性なのです。 おじいさんとおばあさんの愛を受けることができなかった人は不幸な人であり、おじいさんとおばあさんの愛を受けて暮らした孫、孫娘は人の中心として使うにふさわしい人になるのです。(「アーメン」) アーメンと言ったら感謝しなければならないでしょう。(「感謝します」)。「アーメン」という言葉は「み言のとおりに成されます」ということです。おじいさんの所に礼物が包んでおいてあれば、おじいさんを見てにこっと笑って、それを見て「感謝します」と言うとき、おじいさんが何と言うでしょうか? 「こいつめ」と言うでしょうか? 「感謝です」と言われたときには、その礼物をくれるのです。 さあ、それでは、男性の前に女性がいることによって、自分が父母の前に夫婦として家庭を持つことができるのです。父と母の前に孝行の道を行くことのできる関係的相対の位置に立つのです。おじいさんとおばあさんが二人でいるのに、一人だけでよいでしょうか? 分かりますか? (「はい」) 父と母が夫婦で暮らしているのに自分一人だけでよいでしょうか? 楽しく暮らす父母の前に、もっと楽しく暮らす息子、娘の夫婦が来てあいさつするとき、気分が良いというのです。分かりますか? 三代まで、孫までいればどれほど……。それが家庭です。三代が一緒に暮らし、四代が連結されて家庭を成すようになるとき、それが幸福な家庭なのです。 それでは、自分の家におじいさんとおばあさんがいなければならないでしょうか、父と母がいなければならないでしょうか、自分たち夫婦がいなければならないでしょうか、息子、娘がいなければならないでしょうか? すべて必要でしょう? (「はい」) それが世の中において、上下関係、左右関係、前後関係、すべてが必要なのです。三段階です。このようなことを中心として、四番目というものは何かというと実であり、そこから新しい出発です。孫、三代以降から枝が出始めるので、種の中にこの三つが、上下、前後、左右が連結された家庭的土台の中で実を結ばれたものが……。これがすべてを表しているのです。 これを見て、動機と同じように実を結んだので、この実の作用によって種が増えれば、それを蒔いて赤ん坊が生まれ、大きくなってその種と同じようにおじいさんとおばあさんになり、父と母になり、それから夫婦になって息子、娘を生むのです。そのような種ができ、一つの種から数十、数万の種が広がっていくのです。分かりますか? 上、中、下です。 この上、中、下の上下関係の中心が空いているのです。それから左右です。左右と言いますか、右左と言いますか? 左右というのは夫婦関係ですが、反対になっています。上下と言えば順序が合い、本来、右左と言うべきですが、なぜ左右と言うのですか? 反対になっているのです。それから、前後です。後前ではなく前後が正しいのです。男性と女性が堕落したので反対になりました。上下、左右、前後です。 高等学校を出た人は分かるでしょう。設計をするときに、点を打って、そこから線をこのように引けば球形になります。りんごのように丸くなるのです。これを半分に割って、さらに割って数えてみれば十二切れになりますが、十二切れはどの角度に合わせても合います。上弦、下弦、前弦、後弦はもちろん、右弦、左弦のどこにはめてもぴたりと当てはまるのです。相克がないので、電気を例にあげればロスがかからず、負荷がかかりません。愛によって平和がなされたところは、損害を受けないというのです。分かりますか? ですから、上下、左右、前後の中央の位置に神様がいらっしゃるのです。サッカーボールで言えば、サッカーボールがすべてこのようになって交差し、お互いに押し合っているのです。表面は丸くなっているのですが、いつどのように置いても九十度です。九十度の角度です。球形を成すのです。そのような球形的形態のモデルがなければなりません。神様は、そのモデルを中心として定着しようとするので、男性だけでも、女性だけでもだめなのです。 男性と女性、凸凹が必要なのは何のためですか? (「愛のためです」)。男性と女性はほとんど同じですが、一つだけ違うのです。そのことを、生理的に否定する道理がありません。女性の所有物に自分のものは一つもありません。地があれば、地からはあらゆるものが出てきますが、地自体には何もありません。 女性として息子、娘を育て上げますが、母親自体には何もありません。骨と肉と血だけがあるのです。そこに必要な付加条件とは何かというと……。胸は女性のものではありません。だれのものですか? 赤ん坊のものです。なぜお尻が大きいのですか? 骨盤を押し広げて出てくる赤ん坊のためではないですか? 赤ん坊が住む家があるでしょう? それを何と言うのですか? 子宮というでしょう? 子宮は女性のものですか? 子宮は自分のものですか? 胸は自分のものですか? なぜかわいらしい顔をしているのですか? 女性が自分で見るためですか? 女性は、化粧をしながらいろいろなものを塗ります。昔は薄赤い色を塗っていましたが真っ赤な色を塗るようになり、最近では青い色を塗るようになって、まるで死んだ血のような色を塗るのです。真っ黒なものを塗りますね。(笑い) 春の季節にはピンクに近い赤が春の園を美しく彩るのですが、これは何ですか? たたかれてあざになったような青い色を唇に塗っています。そして、最近では、死んだ色を塗るのです。真っ黒にです。それで、「これが良い」と言います。女性がすべての時代相を現すのです。 着ている服を見れば、亡国の僕なのか、興国の僕なのか分かります。原色は何種類ですか? 三種類です。男性を見れば、白か黒いもの、そうでなければ青です。男性はそうではないですか? 反対なのです。 女性は、まだらのあらゆるものを……。そのようにきれいな服を着た人で、部屋で昼寝するためにきれいな服を着る人を見ましたか? 休むために別荘に行けば、寝巻を着たり、動きやすい服を着るのであって、そのような所できれいな服を着る女性を見ましたか? さあ、風が吹くままに行ったり来たりする人が幸福な人ですか、不幸な人ですか? (「不幸な人です」)。木はどうですか? 台風が吹き荒れて激しく揺さぶられ、そのような中で生き残ろうとすれば、根が深くならなければなりません。 枝も折れてゆらゆらすれば、自分でも気分が良いでしょう。気分が良いと同時に、根が浅くなりますか、深くなりますか? 女性たち、どうですか? 風が吹くままに歩き回れば、根が深くなりますか、浅くなりますか? (「浅くなります」)。木と人間は反対です。 さあ、それでは、きょうは何の日だというのですか? (「世界統一国開天日です」)ええ、何ですか? (「世界統一国開天日です」)。開天といっても、水が流れていく開川ではありません。(韓国語では「天」と「川」の発音が同じ)開天しようとすれば、一人でできますか、できませんか? (「できません」)。夫婦だけでできますか、できませんか? (「できません」)。何ができるのですか? 開天節に開天することができるのは、家庭です。 それで、「世界平和統一家庭連合」なのです。世界平和統一した家庭を集めて、連合の体制を備えなければならないということです。分かりますか? 開天節の目的は何かというと、神様の本然的愛を中心としてどこに行っても妨げるものがなくなることです。 アメリカのすずめが春の季節に韓国に移ってきて、一週間過ぎた後に卵を産んでひなが生まれるでしょうか、生まれないでしょうか? (「生まれます」)。人種差別がありますか? (「ありません」) すずめはそうであり、アメリカのきじと韓国のきじは結婚しますか、しませんか? (「します」)。しますか、しませんか? (「します」)。三八度線から上の北朝鮮の鳥と韓国の鳥、また動物は行ったり来たりしませんか、しますか? (「します」)。“地雷があって爆発するかもしれない”と思い、危険を知って行ったり来たりしますか、危険なのかどうか分からずに行ったり来たりしますか? (「分からずに行ったり来たりします」) 「以前、母親が(地雷を踏んで)死んだ。自分と同じおなかから生まれた兄弟が死んだ」と言って、それで終わるのですか? それでも行ったり来たりするのです。蛇も行ったり来たりし、いちばん嫌いな虎でも何でも、思い通りに行ったり来たりするのです。人間はどうですか? それは、だれがそのようにしたのですか? (「サタンです」)。ええ、何ですか? だれがそのようにしたのですか? (「サタンです」) 国境線をだれがつくったのかというのです。(「サタンです」)。それを知らなければなりません。国境線がある所にはサタンがいます。怨讐がいる所には悪魔がいるということを知らなければなりません。だれが国境線を守っているのかというと、悪魔です。 皆さんの心の中には、国境(境界)線がどのくらいありますか? 自分たちの目を中心として、良いものと悪いものを見分けることができなければなりません。良いものだけを見ることを心は願うのですが、体は悪いものを見なさいと言うのです。自分を破壊するもの、国を否定し、家庭を否定し、自分を否定するものは破壊的なので、それを見てはならないはずですが、それを見ようとするのです。 いちばん破壊的な、危険物の中の危険物とはどのようなものですか? 爆弾は、爆発すれば一度その環境に被害をもたらすだけですが、最も恐ろしいものは間違った愛の遊びです。それは、一代だけではなく、国を滅ぼしうるのです。永遠にです。このようなことを考えるとき、人類始祖が堕落したというのは何によって堕落したのでしょうか? 愛の問題です。愛の問題なのです。 きょうは、「世界統一国開天日」ですが、先ほど訓読したように、多くのことを経てきました。先生がそれらを越えるために苦労したのです。結論は何かというと、今、修練をしていますが、先日、清平で何をしたといううわさを聞きましたか? (「入籍祝福式です」) 「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」です。すべてが含まれています。世界統一国開天日を宣布したのはオリンピックを……。これが今年のオリンピック大会です。わたしが国連に行って演説したときも、皆、価値観を放棄していましたが、今年の国連総会ではすべての国々の指導者が集まり、「価値観を設定する時になった」と言うのです。 自分勝手に暮らし、放縦に近い生活をしていた者が全員……。それは、そのようにせざるをえません。そして、文先生が語ったことをすべて知っているのです。すべて知っています。わたしは見栄えが良くはなく、それほど大した男でもないのですが、文総裁は有名です。有名ですか、有名ではないですか? (「有名です」)。どれほど有名ですか? どれほど有名なのか知っていますか? わたしが何か一言、失言しただけでも、世界が騒ぎ立てるのです。今まで、わたしがこのような凸凹の話をすると、「この教主」という言葉も聞きました。それで、「最も愚かな教主」というネームバリューがつきました。 郭錠煥会長がロンドンに行って、今日の世界で我こそはと飛び回るネームバリューをもった人を四十か国から約五百人集めて大将の振る舞いをするのですが、それは大したことだというのです。 優秀であるという人が統一教会に来ると、顔を上げることができずに帰っていきます。ここにいる皆さんは優秀ですか? 優れていますか、愚かですか? (「愚かです」)。ここに愚かな女性たちが来て大きなことを言っています。今では、そのくらい有名なのです。 現在アメリカでは、町内の教会ごとに統一教会の家庭連合旗を掲げる超宗教的な運動が広がっています。それから何ですか? 文総裁夫妻の写真を自分の家に掲げるのです。それから何ですか? 連合教会です。アメリカには教派が多く、宗派が多いがゆえに、家庭が破綻したのです。 一つの家に十人いれば、十宗派、十教派の人々がいて、義父の教会、義母の教会、嫁の教会、夫の教会、息子、孫の教会と、すべて違うのです。このようにして、聖日になれば、ひそひそと、「お父さんの教会に行こう」、「おじさんの教会に行こう」と言いながら引っ張っていくのです。ですから、教会も定着することができません。 教会も問題なのです。一か所だけに通っても定着できるかできないかなのに、歩き回りながら宣伝し、うわさを聞いてさまよい歩くので、何の財産もなく、根本もなく、のらりくらりとイナゴのようにさまよい……。そのようなことをしているのですから、家で息子、娘が育って青少年になっても関心を持つことができますか? このような牧師たちを追い出さなければならないというのです。 また、その峠を越えれば、宗教団体を中心としてある教派が霊験あらたかだと言えば、こそこそしながらこちらに引っ張ったり、あちらに引っ張られたりして、どちらが本物なのか分かりません。分かりますか? ですから、家庭を中心として、青少年たちが定着すべき学校を見てもその闘いであり、社会に出ても宗教の闘いなのです。それゆえに、思想でも何でも、若い人々が一つのところに定着して自分の生き方を考え、行くべき道を築こうと考える人は一人もいなく、毎日のように奔走し、我知らず複雑なところにどんどん追い込まれていくのです。それで価値ある人になることができるでしょうか? 最近それを知って、私が訓示したのですが、「このようですから、アメリカは間違いなく、家庭と青少年の破綻によって滅びるようになりましたか、なっていませんか?」と言うと、全員が「そのようになりました」と言うのです。「そのようにならない道を教えてあげましょうか?」と言うと、「教えてください」と言うのです。 すべての教派闘争を撤廃しなさい 拍手しなければならないでしょう。(拍手)それから、宗派闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手)人種闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手)主義闘争を撤廃しなさい。 (「アーメン」)。(拍手) 闘わずに一つにする、そのような本質的で、方向的で、目的的な存在はお一人だけいらっしゃり、千年前も一万年後でも同じでありつづけることのできる主人がいらっしゃるのですが、その主人とはだれですか? “一人しかいない王”という意味で“ハナニム(神様)”しかいません。ノーメン。(「アーメン」)。(拍手) すべては神様が分からないため、そうなっているのです。神様が分かるようになるときには、教派闘争が停止し、宗派闘争が停止し、人種闘争が停止し、文化格差がなくなり、闘争というものはなくなり、国境はなくなるのです。(「アーメン」)。(拍手) さあ、きょうの総結論を下しましょう。神様が必要であるということを考えてみた人……。ここにいる人は皆、知っているでしょう。神様を知らない人、手を挙げてください。神様を知っている人、手を挙げてください。分かりますか? 男性にとって、神様は女性よりも貴いですか、貴くないですか? (「貴いです」)。女性にとっては、男性よりも貴いですか、貴くないですか? (「貴いです」)。なぜですか? どうしてですか? 神様は男性が生まれることができる父親であり、女性が生まれることができる父親なのです。いくら息子、娘が貴いと誇っても、父親がいなければ息子、娘は存在できません。分かりますか? いくら「息子、娘が良い」と言っても、父親が生まれた後でこそ、息子、娘が生まれるので、息子、娘よりももっと貴いのです。 ですから、男性は女性よりも、女性は男性よりも神様がもっと好きでなければなりません。そうですか、そうではないですか? (「そうです」)。このことは、すべて整理されましたか? (「はい」) それでは、どのくらい好きですか? また、息子、娘を中心として、神様は息子、娘の何を好まれるのですか? 男性の前に女性が一つになることです。分かりますか? 女性の前に何ですか? 男性が一つになることです。何によってですか? 手段によってですか? お金によってですか? 知識によってですか? 権力によってですか? 強制的にですか? 何によって一つになることを願うのですか? 自然的、自然にです。そこでは、強制は通じません。自然にです。朝、太陽の光がさせば、眠っていたすべての山川草木の芽までも太陽の光を歓迎するのです。枝や木はもちろんですが、葉や芽までもすべて……。 神様の願いは何でしょうか? 神様はどのようなおかたでしょうか? 父母の中の父母であり、それから師の中の師であり、それから何ですか? 主人の中の主人です。(「王の中の王です」)。そうです、王の中の王です。(ですから)主人の中の主人ではないですか? 神様は、そのようなおかたです。それでは、神様というおかたは、どのように暮らされたいでしょうか? 父母の中の父母として暮らしたいと思われ、師の中の師として暮らしたいと思われ、王の中の王として暮らしたいと思われるのです。 それでは、その神様とはだれですか? 人類のだれですか? お父様というおかたです。そのお父様が息子、娘を生み、「神様の家庭をつくろう」と言われるのです。そうですか? それは間違いないでしょう? 神様の家庭をつくり、心の底から心全体まで、どこでも自由に通じるのです。体の底からどこでも自由に通じるのです。 それで、男性の神様、女性の神様、男性である息子、女性である娘が愛を中心として、孫と孫娘まで縦的に編成して家庭をつくろうというのです。それは、大ざっぱな計算でできたでしょうか、公式的にできたでしょうか? (「公式的にできました」) ですから、愛には秩序があります。第一段階、二段階、三段階、四段階、五段階、六段階、七段階、八段階の公式的な道があるのです。ソウルに訪ねていこうとすれば、一番の直短距離の道は二つありますか、一つありますか? (「一つです」)。一つしかありません。愛は直短距離を通るのです。 レバレンド・ムーンが最も苦労したことは何でしょうか? 真理の本宮を訪ねていかなければならないのですが、その真理の本宮とは理想的な本宮のことを意味するのです。では、人間にとって理想とは何でしょうか? お金ですか? 神様はお金をつくることができます。知識は、全知全能であられるので知識の王です。全能であられる神様なので権力の王です。神様は、必要なものはいつでもつくることができます。 しかし、神様お一人ではつくることができないものとは何でしょうか? 愛というものです。分かりますか? (「はい」)。お一人でつくることができないものが何だというのですか? (「愛です」)。絶対愛という言葉は、相対関係を備えなければ、授け受け……。授け受けするものの中でも最高であり、最高であると同時に唯一であり、不変、永遠の授受というものは、一人ではできません。絶対、唯一、不変、永遠であることのできる相対が、神様に合わせることのできる資格者とならなければなりません。 愛の相対として自分よりも劣る相対を願う、そのような男性や女性がいますか? (「いません」)。自分の相対は、自分よりも何百倍、何千倍、何千倍で終わりません、何億万倍です。 そうだからといって、愛の相対が「ああ、かわいそうだ」と痛哭するでしょうか、うれしいと言うでしょうか? 「おお、よしよし、わたしの愛する人よ」と言いながら踊りを踊って喜ぶところにおいては、千里万里を越えに越えて、さらに喜ぶことのできる道を行くことができるのです。分かりますか? (「はい」) それでは、神様の目に愛が見えるでしょうか、見えないでしょうか? それを考えてみましたか? 神様ご自身が愛されるとき、神様の目に愛が空気や火のように現れるでしょうか? どうでしょうか? (「見えません」)。息子が現れてこそ、息子が見えてこそ、息子の愛を捜し出すことができるのです。そうではないですか? 娘が見えてこそ、娘の愛を捜し出すことができ、自分の相対が……。 神様も男性格主体であられるので、男性に似ていらっしゃるでしょうか、似ていらっしゃらないでしょうか? (「似ていらっしゃいます」)。それでは、神様が男性格主体であられるならば、女性格主体がなくてよいでしょうか? 最近では、天の父母という言葉を言うのですが、……。 今まで天主教(カトリック)では、独身生活をしていますが、夫婦生活をしなければ、すべてなくなってしまうのです。それは、天地合徳時代になったからです。天地の調和が花咲くときに、花が咲かなければ種がなくなって枯れてしまいます。なくなるというのです。 さあ、そのように考えるとき、神様において、最も見たいと思われるものとは何でしょうか? おじいさんとおばあさん、国があればその国の王と王妃が愛し合うのを見たいと思われたでしょうか、見たいと思われなかったでしょうか? (「見たいと思われました」) 国の王と王妃が愛し合うことのできる位置は、まずだれが先に始めなければならないでしょうか? アダム・エバが先でなければならないでしょうか、神様が先でなければならないでしょうか? (「神様です」)。愛の主人はアダムではありません。(それは)神様なので、根であられる神様に根となる夫婦の内縁がなければならない、という論理が天地の道理です。 ですから、すべての存在世界の実情は、ペアシステムになっているのです。宇宙の出発の起源は何でしょうか? 雄と雌の概念から始まりました。分かりますか? それゆえに、雌として雄を追求せず、雄として雌を慕い求めない存在はないのです。ですから、お釈迦様までもどうだと言うのですか? 女性の話をすれば、笑うと言うでしょう? 文総裁はどうですか? 最近、世の中では「過ぎていった聖人よりも、生きている聖人といえば文総裁しかいない」と言うのですが、皆さんはそのように信じますか? (「はい」)。わたしは、アメリカでそのような話をたくさん聞きました。 生きている聖人は、目が二つでしょうか、三つでしょうか? (「二つです」)。わたしも目が二つですが、皆さんはどうですか? 同じですが、皆さんはどうですか? 聖人になることができますか、できませんか? できますか、できませんか? (「できます」)。真の父になることができますか、できませんか? 真の母になることができますか、できませんか? (「できます」) ところが、なぜなっていないのですか? 方法は知っているのに、そのようにしないので、なることができないのです。分かりますか? 皆、分かるでしょう? 真の父母になる方法を知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。知らない人は手を挙げてみてください。あれほど、真の父母は何であるかということを数万回聞いたでしょう? 耳にたこができるほどです。真の父母とはだれですか? “わたし”のお父さんとお母さんです。一度言ってみてください。真の父母はだれですか? (「わたしのお父さんとお母さんです」) あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何ですか? あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何かというのです。(「偽りの父母です」)。偽りの父母です。なぜ偽りの父母ですか? 僕の血を受けたというのです。僕とくっついたので下女になりました。分かりますか? 真の父母とは何かというと、天の皇室を中心として天の国の血筋を受け継いでいるのです。それでは、その血筋を中心として、その血を買って自分の血と取り替えれば血筋が変わるのですか? O型の血を買って入れ替えても、変わりません。骨と血と肉が一つになっています。 それを取り替えようとすれば、死ななければなりません。なくしてしまわなければなりません。なくしてしまえば、(新しくまた)生じるところがありますか? 何を中心としてこれを改造しなければなりませんか? 根本となる愛です。偽りの愛によって始まったものを打ちのめし、真の愛を中心として……。 六千年、何万年たったこの古びた体は、偽りのオリーブの木と同じです。下を切って芽が出ないようにして、真のオリーブの木の枝を接ぎ木したり芽接ぎをして、これが出てこなくなれば、ここからあっという間に大きな木が出てくるのです。分かりますか? (「はい」) それゆえに、あなたたちを生んでくれたお父さんとお母さんは何ですか? (「偽りの父母です」)。なぜ偽りと言うのですか? 堕落した血筋だからです。堕落した父母とはだれかというと、神様の愛の姦夫です。天使長がエバを蹂躙し、根であるアダムまで抜いてしまい、偽りのオリーブの木をつくってしまったのです。 ですから、神様が宗教を立てて、この偽りのオリーブの木の畑の半分以上を神側にしようということです。それが半分以上にさえなれば、よいのです。そして、半分以上になれば、そこに真のオリーブの木……。 それゆえに、キリスト教文化圏が半分以上になれば……。イエス様も言ったでしょう? 自分の名前が全天下に広がれば主が来られるということと同じように、偽りのオリーブの木の畑の主人が偽りのオリーブの木を愛し保護する以上に、真のオリーブの木の畑の主人が真のオリーブの木を二十四時間愛すれば、偽りのオリーブの木がその主人に対して恨みを抱き、「この主人を捕まえろ。何が何でもあの真のオリーブの木の主人の懐に帰りたい」と言って……。 人には比較する知能があるので、偽りのオリーブの木よりも真のオリーブの木のほうが価値をもつようになれば、それと入れ替わろうとするので、自分の環境を捨てて他の世界に移っていくことができるのです。比較してより価値のあるものを求めていくのです。 統一教会においても、偽りの父母と真の父母を中心としてそれを比較してみれば、その暮らしにしても、何をするにしても、理想的な生活環境を見ても、すべて真の父母が勝り、神様に対しても、地獄に対しても、天国に対しても明確に分かるので、ここに接ぎ木されなければならないということが、見なくても、考えなくても完全に分かるのです。 ですから、しかたなく切ってしまわなければなりません。切ってしまうことによって、(偽りの)父と母の血筋を断ち切ってしまい、その国の血筋を断ち切ってしまい、国境がたくさんある取るに足らない血筋を断ち切ってしまうのです。 そのようにして、統一され神様の血筋に接ぎ木して、地獄にいた人々を統一教会の新しい天国に解放して連れていき、解放された天の国の一族をつくるということが統一教会員たちの一大所願なのです。(「アーメン」)。(拍手) 昔から多くの宗教が総結論をどのように下していたのかというと、国を捨て、家庭を捨てて出ていきなさいという出家の命令をしていたのです。「それは偽物なので、偽物を捨てて、地獄を捨てて、百八十度反対である神様の懐に帰ってきなさい」ということです。 ですから、世の中を捨てて出家し、最後は何まで断ち切ってしまうのかというと、血筋です。おじいさん、父と母から自分の体の中にサタンの血が連結されており、それを歴史に残してはいけないので、それを一代で終わらせるために独身生活を強調したということを知らなければなりません。分かりますか? 神様が宗教に対して注視される中心的な観点はどのようなことだったでしょうか? 国を捨てて出家し、男性が世の中の人と同じように女性と暮らしてはならず、女性も世の中の人のように男性と暮らすことはできません。神様が最も見ることを嫌われ、天宙を破壊した行動を再び受け継ぐのではなく、断ち切ってしまうのです。 いつまでですか? いつまでなのですか? この人類が汚したものをすべて清算し……。真なる宗教を通して真の父母が生まれ、天下に宗教統一を完成することができる内容をもって来るときまで、それを継続するのです。ですから、天主教もそうであり、仏教も、仏教の尼僧も、すべてそのように生きていくのです。終わりの日になったので……。 終わりの日とは何かというと……。(人類歴史は)祝福家庭を成すことができない歴史になったのです。神様は家庭を成すことができませんでした。神様はわたしたちの先祖の中の先祖ですが、家庭を持つことができず、人類の真なる父母が結婚できなかったのです。その代わりに堕落した悪なる父の後孫たちが結婚して暮らすようになったというのです。 神様は、このようにひっくり返ってしまった世界を救おうとされ、嘆息と悲痛な歴史を経てきましたが、それだけでは終わらず、兄弟同士で殺戮戦を展開しながら今まで歴史は発展してきたということが今日の世界的な実情であることは間違いありません。そうですか、そうではありませんか? (「そうです」) それで、統一教会を信じる人々はすべて追い出されたのです。今は、統一教会が世界化されたので歓迎されるようになりました。アメリカでは、旧教でも何でも、宗教という団体はすべて連合して、「統一教会の旗を掲げよう」と言っているのです。先ほどわたしが話したとおり、教育をして各教派がそのようになりました。 青少年を教育する時間がたくさん必要なのです。おじいさん時代からおばあさん、お父さん、八代の堕落圏を越えるために、民族と全体を愛して境界線をなくすようにしなければならないのです。 まず先に、だれから真の結婚生活をして息子、娘を生み……。八段階の愛の主人のモデル型の基盤をすべて失ってしまったので、その息子、娘がそのことを学んで天の国に直通することのできる道を築き、自分の後孫が行くことのできる道を開いてあげ、これは切ってしまうというのです。分かりますか? 入籍修練会で終わるのです。 これからは南北統一です。南北統一ができていないので先生は……。今ではもう南北がわたしの言うことを聞かなくてもかまいません。先生は、天の国の主権を立てることのできる能力があり、天の国の祝福家庭によって天の国の民の家庭をつくることのできる能力があるのです。分かりますか? 神様が治めることのできる天の国の主権と天の国の家庭的民の数が数億を超えました。人類の半分の家庭を超えることのできる基盤を築いたので、ここで入籍が始まるのです。国が必要です。それが祖国光復です。真のご父母様が生まれた祖国が神様の祖国を成すことのできる出発の基準になることを願ってきたのですが、今まで四十年……。(録音が一部途切れる) そして韓国は、そこに反対し、統一教会の文先生に反対して、追い出せば滅びると思ったのに、自分たちが滅びるようになりました。国の主権が八代を過ぎるまでにあらゆることが起きました。全斗煥の時からが問題なのです。この者たち。盧泰愚、金キム泳三サム、この三代を中心として、国のすべてを完全にまきあげられて問題になったのです。それを保護したのが文総裁です。 それで今は、どのような時かというと、宗教がしてきた過去の個人的接ぎ木時代が過ぎ去り、今の時は……。旧約とは何ですか? 神様の愛を中心として家庭定着することができませんでした。分かりますか? 旧約は、結婚式ができなかったのです。アダム・エバが神様のように一つの体になり……。 その堕落以降の旧約は、メシヤを送ってこれを再び修復するためのものです。四千年間、メシヤが来ることを約束し、イエス様の家庭になることができ、氏族になることができ、民族、国家になることができるところを……。サタン世界が国家(基準)なので、サタン世界の国家を越えれば神様がともにある中心国家が生まれるのです。数百の国家があるとしても、サタン世界はこの中心国家という鉄槌を倒すことはできません。 しがみついて、どのようにしたとしても自分たちが壊れるようになっているのであって、天の中心家庭は壊れないのです。ぶつかればぶつかるほど、天の国が吸収するようになっているのであって、壊れる道理がありません。 今から、南北統一されれば、統一教会の文先生のみ言を中心として南北統一されたその国は、いくらぶつかっても壊れません。なぜですか? 壊れるのをすべて防ぐことができます。壊れない内容を知っているのです。知らないから壊れるのであって、教えてあげれば、防備することのできる内容が目の前に明確になります。 五千人であれ、五万人であれ、五十万人であれ、五千万人であれ、五億人であれ、全員がその道を行くのです。朝日が昇ってくるのに、「夜が良い」と言って朝日に背を向けて夜を訪ねていきますか? それは、ありえないというのです。 それゆえに、今から何かというと、家庭を接ぎ木して国家を乗り越え……。天でも地でも、すべて祝福してあげて家庭に接ぎ木したでしょう? 皆さんは十四代の先祖まで祝福したでしょう? 二十一代まで終えれば、世の中は平準化されるのです。それ以上は、死ぬなら死に、やめるならやめ、関係ないというのです。分かりますか?そして、霊界にいる先祖、聖人たち、イエス様、孔子、釈迦、マホメット、ソクラテス、この有名な人たちをわたしが全員、祝福してあげました。 祝福とは何ですか? 男性一人だけでは天国に入ることはできません。家庭が入っていくようになっているのが天国です。分かりますか? 天国とは何ですか? 家庭が入っていくのが天国なのです。 イエス様も、天国のモデル基盤にパスできなかったので楽園にいます。天国の待合室で二千年間待ち、あらゆる屈辱を受けました。イスラエル民族が滅んでしまい……。イエス様が結婚して一族が一つになっていれば、天下が統一される起源が開かれたのですが、祭司長と選民たちが反対することによって、その六百年後にイスラム教が現れて占領してしまったのです。 中東に十二支派が分派して、すべてがイスラム教……。マホメットがそうです。これはサタン側の宗教だというのです。物質を中心とした外的な問題を中心として、力と暴力で……。それが最も問題であり、アメリカにおいてイスラム教を中心とした黒人の勢力が強いのです。アメリカや自由世界を破壊することができ、共産世界と一つになって世界に問題が起きるので、しかたなく先生は消化運動をしているのです。 今、ワシントンで百万家庭の行進を中心としてわたしが指揮をしています。それで、他の宗教とともに、キリスト教の怨讐のような宗教であるにもかかわらず、兄弟よりもっと近い兄弟……。派が争っている中で、自分たちがそれを解決しようと努力するより以上に、わたしがもっと協助し、それを一つにすることができるように投入しているのです。 こうして先生は、怨讐の教派が世界的に発展しようとするのを協助しているのです。三つの教派を協助し、四つの教派を協助し、十二の教派さえ協助すれば、すべて終わるのです。そのような準備をしながら、世界の超宗教的な教団を通した祝福までしてきました。 超共産主義、超民主主義、貴族の息子、娘、その骨髄の息子、娘まで祝福圏内にすべて入れました。それは簡単なことですか、難しいことですか? 何によってするのですか? 先生が手段や方法を通してするのですか? み言を通してするのです。 そのみ言には天が共にあるので、み言の量にしたがって霊的な発展をすることによって、神様が分かるようになり、天の国の定義を完全に分かるようになるのです。ですから、「来るな」と言っても……。皆さんは、すべて教えてもらっているでしょう? そうですか、そうではないですか? (「そうです」) ですから、地の果てにいる宣教師たちは、先生がいなくても、今もその地の果てで教育を受け、指示を受けて活動しながら開拓しているのです。統一教会でしているこのような活動は、歴史上初めて地上に現れたのです。分かりますか? (「はい」) では、何千年前に死んだ聖人と統一教会の教会員が結婚式をしましたか、していませんか? (「しました」)。イエス様を結婚させましたか、させていませんか? (「させました」)。今、アメリカのベルベディアでイエス様が生活していますか、いませんか? (「しています」)。 すべての宗団長を集めて、自分たちの宗主が統一教会の文総裁から天国に入っていくことのできる特許権を受けたので、その特許権を再び公認される再祝福のサインさえあれば天国に入っていくことができるのです。ですから、「やめなさい」と言っても、分かる人たちはそれを受けたいと思い、どんどんと列が長くなるのです。 歴史以来、霊界で願う配給をもらったとしても、地上で最も願うもので、これ以上のものはありません。何千万年、待ったのです。ここに解放の天国の門を開き、入ることのできる資格証を上げるというので、死んでいるのか生きているのかも分からないほど多くの人々の心に火がついて、統一教会の門が破裂しそうです。 ここに、愚かな人たちが集まりましたか、優れた人たちが集まりましたか? 愚かな人ですが、ハーバード大学に幼稚園児が行けば愚かな人のようですが、そのまま出れば優れた人になるのです。統一教会の人たちは愚かだと皆が反対しましたが、それは知らないからそのようにするのであって、知れば問題の大きい教会なのです。分かりますか? どのような問題ですか? 神様まで解放しようというのです。そのような宗教を見ましたか? 神様から福を受けようという男性、女性たちはたくさんいますが、「神様をわたしの手で解放し、王宮を建てて王子の職位を守る」と言うのです。どうですか? 今、神様が死んでいるではないですか? 「神様は死んだ」と言うのですが、それを見つめながら行動できない神様は、どれほど悲惨ですか?この大宇宙をつくられたその主人であられるおかたが……。分かりますか? 今、皆さんは、清平で三時代の入籍です。三時代とは旧約時代、新約時代、成約時代です。三時代を大転換するのです。完全にひっくり返しなさいというのです。何によってですか? 旧約時代に真の父母がおらず、新約時代にも真の父母がおられませんでした。成約時代に真の父母が定着し、解放の入籍を行うことができるようにするためには、サタン世界の人間をすべて屈伏させなければなりません。そして、そのうえで支持を得て、障害なく上がっていかなければなりません。その前に解放天国を成すことはできません。そのときまで働き、そしてそれがすべて終わったので大転換式を行うのです。 再臨主とは何ですか? サタン世界で言えば、最後の人間です。最後の人間。それですべての先祖が……。霊界に行った先祖たちが協助を受けようとすれば、後代の人々が精誠を尽くしてあげなければなりません。霊界にいる先祖たちは天使長の位置であり、地上にいる者はアダムの位置なので、天使世界にいる霊たちはいくらでも地上を協助しなければならないのです。 ところが、地上でアダム完成を成すことができなかったので、血筋がひっくり返ってしまいました。このことが問題です。ですから、地上の後孫たちが天使世界を救うためには、反対に協助してあげなければなりません。祈祷してあげなければならないのです。 しかし今、そのような復帰時代は過ぎ去り、先祖が後孫を引っ張っていくことができるのです。今までは、天使世界がそのような立場で利用すれば、地獄に行きました。強制的に引っ張って地獄に行くようになりましたが、今では強制的に引っ張って天国に行く時になったのです。分かりますか? (「はい」)。天国に連れていく時が来ました。 それゆえに、今回、入籍した祝福家庭の皆さんは、金キム氏なら金氏夫婦はアダム完成者です。堕落する前、第四次アダム圏内に入ってきたので、解放……。天下に障害なく、サタンの痕跡のない解放的天国に入籍したので、霊界にいる祝福を受けた先祖たちは、金氏なら金氏の後孫で入籍した人のところに降りてきて協助しようとするのです。 ここで先鋒の位置に立って、それを整備しなければならない責任の遂行が待っているということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。分かったら拍手してください。(拍手) エジプトのイスラエル民族は、四百三十年目に神様の還故郷の命令を受けて、祖国光復のために出エジプトをして国を建てようとしましたが、失敗しました。メシヤとともに国を建てることができませんでした。 しかし、今日の統一教会員は、四十年を中心として家庭的荒野の受難の道を行きましたが、祝福家庭を率いて地上天上天国の王圏を樹立したのです。分かりますか? (「はい」)。統一教会の祝福家庭は、どこに行っても迫害を受けました。どこに行ってもつばを吐かれ、縛られ、ありとあらゆる屈辱を受けました。歴史以来、神様が非難を受けたすべてのことを、統一教会がこの地球上の数多くの民族を通して条件的にでも蕩減しなければ、越えることができません。 その中心の位置で、文総裁はそのすべての条件を清算してしまわなければなりません。個人で清算し、家庭的に、氏族、民族、国家、世界、そのサタンの頭をすべて自然屈伏させなければなりません。愛することによってです。分かりますか? 怨讐を愛すれば国境はなくなります。 ですから、先生は監獄に行っても国境(境界)を考えず、わたしの行く道においては、監獄の国境もわたしを制御することはできないということです。ありとあらゆることをしました。机の四本の脚を抜いてたたいても、その机の脚が折れてしまうのであって、わたしの骨は折れませんでした。強い人なのです。分かりますか? 今でも丈夫でしょう? (「はい」) きょう、今ここで相撲をとっても、わたしが三分の一の人はひっくり返すことができます。(笑い)だからといって、一度に列をなしてするのではなく、年齢別に代表してすれば間違いないというのです。 数十年前に統一教会の信者を集めて漢江の川辺に行き、「わたしに勝てる人は出てきなさい」と言ったとき、出てきて皆、わたしに負けたでしょう? 負けましたか、勝ちましたか? (「負けました」)。わたしは勝ったことはないと思いますが? (笑い)相撲をしても、運動をしても、釣りをしても、何をしても……。一日中、連れ回して投網打ちばかりするので、「先生の足が折れたらよいのに」とまで言った人がいるという話を聞きました。(笑い) 一日中会いたくて、一年ぶりに、二年ぶりに来て先生に会えば、聞きたくない話も聞き、悪口でも一言、言ってくれれば解怨されると思うのに、一日中釣りをし、投網打ち……。一日中するのです。どれほどおなかがすき、どれほど疲れるでしょうか? 一度、自分で投網を持っていこうとしても十メートルも行くことができないほど重いものを使って一日中するのですから、力も強いでしょう? 女性たちは、もちろん同情もしますが、後で「ええい、足でも折れればよいのに」と言うかもしれません。(笑い)ですから、わたしは女性から悪口をたくさん言われ、「理解してくれない」と悪口を言われ、あらゆることをされたのです。 この女性というやっかい者が、どれほどわたしを困らせたか分かりません。そうなのです。そうですか、そうではないですか、女性たち? (「そうです」) 大転換四位基台。四位基台を知っているでしょう? 入籍統一祝福式です。すべてが完了します。今やサタン圏は屈伏するのです。ルーシェルは、神様と真のご父母様と人類に降伏しました。問題は、その残兵たちです。それをどのように処理するのですか? すでに霊界大祝福以降にサタンまで屈伏したのですが、その敗残兵が問題なのです。敗残兵を整理するために、聖子たちが持っている宗教圏の三分の一を祝福しました。その三分の一が地上に降りてきて一つになることによって、家庭の周囲にいるすべての手下を追放してしまうのです。 今からそのように理解してください。周辺に数多くの先祖たちが来て自分の囲いになるのです。今までの宗教圏を中心として、地上の自分の特別な宗教団体に降りてきて協助することができるのです。上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになるのです。皆さんの決心いかんによって、環境条件は整備されます。ですから、信じて命令すれば、サタンの残兵たちはすべて退いていくのです。分かりますか? (「はい」) 大胆に、強く雄々しくあれ、というのです。天下にわたしたちを妨げる者はいないので、わたしたちに勝利できる者はいません。理論ならば理論的に、力ならば力、体制なら体制を備えた訓練が、世界のいかなる国より……。 アメリカ国務省も、アメリカ国防総省も、わたしたちを凌駕することはできません。訓練したのです。一年に百十三回、他の国が二年かかってすることを一週間に二度ずつして十分にやってのけました。統一教会には、そのような組織力があるのです。分かりますか? (「はい」) そこに及ばない自ら自身を初めて知ったのなら、そのまま追い込みなさいというのです。そのような位置の基準に到達しなければなりません。エバの国……。母親は、何回も死んで、骨までも削って子女たちを育てることができるように食べさせて、生かさなければなりません。分かりますね? (「はい」) それでは、神様と真の父母とは、だれですか? 真の父母とはだれですか? 天のお父様です。真の父母というよりもお父様です。分かりますか? 真の父母の血が、神様の血がわたしの心に入っていて、神様のみ言と真の父母のみ言は「最も貴いものは真の愛だ」ということであるがゆえに、真の愛という言葉を聞けば、体が大きくもなり、小さくもなるのです。 喜んで大きくもなり、神様のことを思えば悲しくて小さくもなるということです。どこに行っても拍子を合わせられないものがない、という人にならなければ、神様と真の父母の血筋を受け継いだ直系の息子、娘になることはできますか、できませんか? (「できません」)。できますか、できませんか? (「できません」) それでは、「できない」と言うことのできる人になりますか、「できる」と言うことのできる人になりますか? (「できない」と言える人です」)。「できない」と言うことのできる人になろうと決心する人は両手を挙げてください。わわわわ。拍手しましょう。(拍手)どれだけ美しいか写真を撮ってください。 神様は、わたしたちのだれだというのですか? 真の父母であり、真の師であり、真の王です。アダムとエバが堕落しなければ、アダムの一生において何をするのかというと、真の父と母の役割をするのです。 それから祝福をして、国が行くべき道を代身して代を受け継ぐようにし、それからアダムは何かというと、師の責任を果たし、それから王の責任を果たすのです。国を導くことのできる立場に立ち、地上天上天国の道理を明らかにする生活をしなければなりません。 縦的な真の父母であられる神様と横的な真の父母であるアダムが一つになり、一生を通して真なる父母の道を見せてあげ、真なる師の道を見せてあげ、真なる王となる道をアダムの一代において見せてあげていたならば、その後孫たちは、そっくりそのままその伝統を受け継ぎ、アダムが見せてくれた家庭完成、国家完成、天宙完成、ために生きる道理の道が歴史的伝統としてこの地上に現れていたはずです。ところが、堕落によってすべてが失われてしまったのです。 ですから、先生がこのことをしなければなりません。生まれて成長すれば、家庭完成しなければならず、国を取り戻さなければならず、世界……。言い換えれば、長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰の責任をアダム一代において完成できなかったことを、数千万年の歴史を通じてこれを合わせて神様の前に納品するのです。アダムだけを納品することはできません。 旧約時代に失敗したことを修復しなければならず、新約時代の失敗、成約時代に失敗したことを……。旧約は万物をサタンと分け合って所有しました。天は十分の一です。それは無念なことなのです。イエス様は、一から始めてすべて分かれてしまいました。 真の父母は、家庭理想を中心として、すべて崩れてしまいました。大韓民国の民族が分かれたことも、既成教会の旧教と新教が先生を迎えて侍ることができなかったことによるのです。それゆえに、先生の家庭も壊れていき、聖進の母親を中心として一つになることができるはずだったものが、すべて壊れてしまったのです。 家庭も壊れていき、息子、娘も壊れ、離婚という悲惨な歴史を再び復帰しなければならないという……。それを再び取り戻し、十四年目に新しいお母様を立てて、四十年間の歴史を経て蕩減してきたのです。九五年までです。分かりますか? 六〇年を中心とした四十年間を中心として、家庭的蕩減路程を抜け、地上天上天国……。モーセが八十歳で出発したのと同じように、先生の代でも八十歳代を中心として、分かれたすべての地上世界と天上世界を整理し、今からは行く道の前にサタンの反対もなく、ジグザグもなく、カーブもなく、完全に高速道路として一方通行で行くことができるのです。皆さんは、そのような観を持っています。 個人がどのように完成し、家庭がどのように完成し、氏族と民族、国家がどのように完成し、世界がどのように完成し、神様がどのようにして王の王となられるのでしょうか? 解放された千年万年の太平、盛大の時代における愛の主権の前に、愛の父母となり、愛の師となり、愛の王となり、愛の王の位置に立ち、個人的にできなかったことを天地全体を代表して、そのような価値をもった位置に立ててさしあげるのです。 そのことによって、そこで初めて神様の埋められた歴代の恨を越えて、解放された愛の勝利の王となられ、夫婦の代身、師の代身として、すべてのものを完成して初めて、そこで解放され、安息され、千年万年、永遠に永続する解放の地上天上天国が永遠に定着するのです。アーメン。(「アーメン」) それゆえに、アダムが家庭を通して真の父母となって、国を建て、国を建てることを教え、天地を立てることを教えてくれるのです。この真なる父母、真なる師、真なる王の位置をすべて見せることができなかったので、来られる主はこの三大使命である長子権、父母権、王圏を一代で整備し、地上天上天国を成し遂げ、兄弟とともに列をなして天国に入っていくのです。 そして、神様をお迎えし、天の国の建国を中心として、皇族とその権限を中心として、この万世、万宇宙、万物まで共に和合しながら、愛の主権の懐に抱かれ、永遠の福楽を享受することのできる解放された民族が暮らす所が地上天上天国だったのです。アーメン。(「アーメン」) 金日成の三大主体思想は、何ですか? 自主性、創造性、意識性です。それを三大主体思想と言うのです。しかし、それは人間を中心とした思想的内容であって、血統を中心とした愛の内容ではありません。それは過ぎ去っていくのです。分かりますか? この永遠不変の真の愛を中心とした、真なる父母、真なる師、真なる王の位置をアダムとエバが相続することができませんでした。ですから、真の父母が来て長子権復帰するためのものが、共産世界と民主世界です。唯心論と無神論であり、それから国家時代を中心として南北に分かれているものです。これらを統一するのです。国のためにです。この峠を越えていくのです。 それから、国連を通して世界天国、天上天国の天国民となることのできる道をすべて示してあげました。この国さえ一度に……。国が受け入れなければ、以北や南韓は切ってしまうのです。わたしは、韓国(韓半島)で生まれたということも言わないでしょう。韓国の代わりの国をすべて準備しているのです。分かりますか? ですから、文総裁が与えたすべてのものを、この国が受けることができなければ、国連に行って、さっとつくり……。今、この十月から教育が始まるのです。 超宗教超国家連合は、神様を意味するのです。宗教を超越し、国家を超越するのです。超宗教超国家連合の唯一的な統一思想を中心として、国連の名とともに教育します。国連の名で「教育を受けなさい」という命令が来るのです。分かりますか? そのとき、あなたたちは、世界のどこにでも行くことができるように国境を解体してしまわなければなりません。国境がない……。祝福家庭は、どこにいてもその場所で教育しなければなりません。十か国か、二十か国を集めて教育してみなさい。すべて溶けて一つになります。 そのような解放の世界のために、前進する、そのための準備の日を十二年前に立てたのですが、それを実践することができる定着の時代を迎えたことを感謝する時間が、開天節を祝賀するきょうのこの日だったのです。アーメン。(「アーメン」) 「わたしは真の父母にならなければなりません」。言ってみてください。(「わたしは真の父母にならなければなりません」)。さらに、「わたしは真の師にならなければなりません」(「わたしは真の師にならなければなりません」)。「わたしは真の王にならなければなりません」(「わたしは真の王にならなければなりません」) 天の皇族の継承者であり、師の継承者であり、真の父母の継承者が“わたし”なのです。天下にだれも妨げる者はいません。分かりますか? 神様の直系であり、アダムとエバの直系の息子、娘なので、わたしたちが行く道には天上天下のどこにも妨げる壁はなく、自由解放天国を率いて暮らさなければなりません。 その主人の歴史を皆さんの環境に残して、環境さえ消化すればよいのです。国家的メシヤです。分かりますか? 家庭的メシヤ、氏族的メシヤ、国家的メシヤの三段階さえすれば……。今ではもう、国家的メシヤも定着して暮らしているので、家庭的メシヤになることによって、金氏なら金氏一族が祝福を受けていなければ……。 年を取った人はやめてください。五十以上の人や結婚している人はやめて、若い人をつかまえて「三日だけ教育を受けなさい」と言うのです。(教育をしておいて)「祝福を受けますか?」と言えば、全員「受けます」と答えるのです。 強制するのではありません。耳で聞こえ、目で見ることができるのなら、「見てみなさい」と言うのです。鼻でにおいをかぐことができ、手で触ることができるのなら、「触ってみなさい」と言うのです。間違いなく、統一教会の夫婦がりっぱであり、統一教会の家庭制度がりっぱであり、統一教会の理想が神聖なのです。神聖なものに従っていくべき人生の本性的な本能がある限り行かざるをえないので、だれもがその道を行って天の国にすべて帰属することができるということを知らなければなりません。万民救援です。それで、宗教がなくなります。宗教が必要ありません。生きている間に大きなオリンピックをするのです。 今回のシドニー・オリンピックのマラソンで韓国人が勝つと言っていたのに負けてしまったのですね。何ですか? 二十四位ですか? ビリと同じことです。気分が悪いです。わたしが走れば、二十四位よりもっと早く走るかもしれません。(笑い) わたしはこのことを悔しく思いました。わたしが統一教会の人たちにマラソンの訓練をすれば、三分の一の人は、世界の人々の中で賞を取ってくるかもしれません。そうではないですか? それで、ブラジルにサッカーチームを二つつくりました。それを誇るのです。それからヨーロッパに二チーム、ロシアに二チーム、アフリカに二チームです。六大州にそれぞれ二チームずつつくって十二チームを持てば、世界のどこでもチャンピオンをつくることができます。このような準備をしているのです。分かりますか? (「はい」) それだけではありません。学術世界もわたしたちに残っています。一九四五年から六十年を過ぎて七十年間さえ越えれば、韓国に天才的な人々がたくさん現れるのです。天が送ります。 今後、新世界を創建して、すべての分野において世界を指導することができます。韓民族が世界的になるのです。それゆえに、皆さんが精誠を尽くしてそのような息子、娘を生むのです。そのような父と母になることができるように精誠を尽くしてください。 何もないのです。すべて否定しなさいというのです。否定して、あるものはひとえに神様だけであり、真の父母だけであり、神様の愛、真の父母の愛です。真の愛を中心として、ために生き、ために生き、さらにために生き、投入して忘れてしまう、そのように精誠を尽くす生活をする夫婦が暮らす所には、何もありません。 エデンの園で布団を敷いて寝ましたか? 裸でごろごろと寝たのです。そのような立場でも、それ以上に天を……。そこで天の国の王宮を代身して神様に侍り、真のご父母様に侍ることのできるわたしたちの家になります。このように約束するでしょう? (「はい」) 間違いなく約束する人は、きょうの開天節を中心として、両手を挙げてください。立ってください。宣誓する人は力いっぱい宣誓してください。三回です。お誓いいたします。 (「お誓いいたします」)。お誓いいたします。 (「お誓いいたします。」)。お誓いいたします。 (「お誓いいたします。」) 神様の祝福があることを願いながら、きょうの祝賀記念式に代えさせていただきます。(「アーメン。」)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.10
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三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式二〇〇〇年九月二十六日、韓国の天宙清平修錬苑にある天城旺臨宮殿で、真のご父母様は第一次の「三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式」を挙行なさった。祝福式に参席した祝福家庭は、すべて入籍に向けた祝福家庭婦人の二十一日特別修練を終えた家庭で、三六家庭から順番に全祝福家庭に四位基台の入籍統一祝福式の恵みを下さった。 きょうの主題は何ですか? その内容は何ですか? 三時代大転換四位基台祝福家庭の入籍祝福統一式です。心と体の統一、夫と妻の統一、父母と子女の統一、家庭と氏族の統一、氏族と民族の統一、民族と国家の統一、国家と世界の統一、世界と天宙の統一、天宙と神様の統一です。天宙統一です。国境という国境がすべてなくなったというのです。 皆さん自身が心と体のうちで一つになりましたか? なっていないでしょう? 個体が撤廃されていません。この国境線を誰が引いたかというと、神様ではありません。サタンが引きました。国境線があるのは、誰のゆえかというと、サタンのゆえにできました。ですから、国境線を撤廃しなければ、サタンはいなくなりません。 心と体の国境線、夫婦同士の国境線が多いでしょう? また、父と母、息子・娘を中心としてすべて自分を中心として愛せよと言います。反対になっています。ですから、二人がともに自分のためにと言えば、国境線ができます。自分のためにと言うところには、必ず国境線ができますが、その国境の主人がサタンなのです。 ですから、国境線のあるところには、サタンが生まれてくるので、サタンが生まれてくるところには、神様がいらっしゃることができないのです。それでは国境線が先にできましたか? 神様が国境線のないときに、愛を中心として住まわれたことがあるかというのです。神様が愛することのできる人は誰ですか? アダムとエバの万人息子・一人娘ですが、一人息子・一人娘を抱いて神様が愛してみたことがありましたか? 愛することができなかったのです。 アダム、エバの結婚式は、その主人が誰ですか?堕落しなかったならば神様となります。では、アダム、エバが初夜に愛するその愛の主人は誰ですか?神様です。そうであるなら、私たち人類の堕落しない先祖は何ですか? 主人ではありませんか? これをはっきりと知らなければなりません。神様は縦的な主人です。私たち人類の先祖は横的な主人です。人間が絶対に必要とする愛も、神様が絶対に必要とされる愛も、同じ愛ですが、絶対に必要とする愛を抱くには、神様を除いては絶対愛がありません。 神様の属性には絶対性・唯一性・不変性・永適性があります。ですから、神様が人格者といえば、どれほど長く生きられますか? 絶対的に生き、唯一的に生き、永遠不変的に生きることができるのです。 ですから、その愛の相対が誰かといえばアダム、エバです。アダム、エバは何をする人ですか? それを知らなければなりません。父母は息子・娘がいなければ、父母として息子・娘を愛することのできる主人の立場を永遠に見いだせません。それでは、神様を父にしてさしあげられる、主人にしてさしあげられるその者は誰ですか? 神様ではなくアダム、エバだったのです。息子・娘だったわけです。 絶対的な神様を主人にしてさしあげられる、そのような愛を築ける主人が誰かというとき、それは神様ではありません。誰ですか? お母さん、お父さんを主人にしてさしあげられるのは、お母さん、お父さんではなく、息子・娘がそうしてあげるのです。どんなにお母さんになって、お母さん、お父さんの愛を感じたくても、息子・娘がいなければ、永遠に愛を感じることのできる道がないというのです。 三時代とは何ですか? 三時代は旧約時代・新約時代・成約時代です。その三時代が失敗してきましたか、成功してきましたか? イスラエル民族が、旧約時代に旧約を中心として信仰生活を出発したその時代が、いつの間にか四千年が過ぎました。四千年が過ぎて約束したのが何かというと、メシヤを送ることです。 話の結論をつけるべきでしょう。三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式です。祝福統一式と言ってもかまいません。それはどういう意味ですか? 三時代が何かというと、旧約時代・新約時代・成約時代です。それが四位基台になっていないので出てきました。人類先祖が旧約時代に、宗教が出てくる前に、神様だけが知るその時代において、夫婦となって真の父母になるのが、神様が創造した目的でした。 アダムが真の父母になりましたか、なれませんでしたか? 真の父母の家庭に父母が現れなかったので、国を相続して神様の国を建設できる氏族がなくなりました。氏族がなくなったので、氏族と民族と国民がなくなったというのです。これは神様が願われないことなのですが、その駄目な結果をもたらしたのは、アダム、エバが時ならぬ時に火遊びをしたからです。火遊びという言葉を知っているでしょう? 男性、女性たちが火遊びすることを何と言いますか? 愛は火より恐ろしいですか、恐ろしくないですか? 愛を誤まれば血族が曲がってしまいます。すべて壊れていきます。いくら国が素晴らしくても、国の伝統がすべて崩れてしまうのです。神様の立てた伝統、真の父母の伝統、真の家庭と真の血族の伝統が崩れたのです。 三時代大転換四位基台の入籍祝福統一式です。旧約時代に真の父母がいませんでした。新約時代に真の父母がいませんでした。成約時代に真の父母がいませんでした。すべて失敗したのをつづり合わせて三時代を転換、引っくり返して打ち込むのです。転換四位基台の入籍統一祝福式です。統一です。天地統一、夫婦統一、心と体の統一、民族統一、神様と真の父母の統一です。これが最後です。 祝福が問題ではありません。アダム、エバが入籍するときは、一つの家庭を中心として入籍しましたが、今は数千万年の歴史時代にからまった、失ってしまった天国のすべてのものをいっぺんに探すのです。一代、二代、三代の先祖から縦的に失ってしまったものをずーっと探して、横的にはめ合わせるのです。(二OOO年九月二十九日、天城旺臨宮殿) 三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式というのは、何の祝福式かよく分からないでしょう。霊界を知らず、霊界の伝統を知らず、神様を知らず、また天の国がどうだということを知らなくては、何のことか分からないでしょう。皆さんがこの内容をすべて知るには、多くの精誠を尽くさなければなりません。このような日が到来するまで、神様がどれほど精誠を尽くされたかを知らなければなりません。 アダム、エバの夫婦は、誰の夫婦ですか? はっきりと知らなければなりません。神様が家庭を持ちたくて、天地万物を創造されたのを知っているでしょう? 神様は霊界に行っても見えません。皆さんが霊界に行けば、相軒氏が送ってきた内容を見ると、見えないというのです。先生のみ言の主題別精選十一巻、十二巻の『地上生活と霊界』の内容を見ても、神様は見えないと言っているのです。 また、そこで語った全内容について、地上で生きて何も知らずに逝ったのです。先生が教えてあげた内容もよく信じて逝けませんでした。相軒氏も一〇〇パーセント信じられなかったのです。先生が「右手は霊界をつかんで、左手は地上をつかんで一八〇度回しておかなければなりません」と言いましたが、そのような言葉をいかに信じますか? 信じられなかったのが、行ってみると間違いのない事実なので、どれほど驚いたことでしょう? 霊界論を解決するために苦心したのです。国際科学統一会議(ICUS)八分科の委員長として哲学者、宗教家、すべての者たちが質問すれば、(相軒氏は)答弁する立場ですが、いちばん難しい質問が何かというと、霊界についての質問なのです。霊界について聞かれたら、知らないので、もどかしかったというのです。 ですから、彼が考えたのは、何としてでも地上にいるときに霊界論を調査してから、霊界に行ってその内容が合っているか否か検証して残そうとしたのです。それが生涯の目的であり、自分が研究した出発、過程、目的のすべてがそれでしたが、その仕事を明かせないのでどれほどもどかしいでしょうか。はっきりしないので、明かせなかったというのです。ところが、行って先生の教えと霊界のすべての内容を対照すると、間違いなくそれが一つになっているので、どれほど忙しかったか分かりません。 それで四十日間……。皆さんもそうです。死ねば四十日間は場所を定めて定着できません。地上世界と天上世界を行き来しながら、先祖たちや自分の師匠とか、宗教を信じた者は、教主とかその方の案内を受けながら、地上に合っているか、天上世界に合っているかと言って、数か所を巡るのです。上・中・下と同じように中間にいれば、上を知り、下を知らなければなりません。 天・地・人で、人が真ん中にあるので、真ん中にある人が天の国を知り、地を知らなければなりません。死ねば故郷に、祖国の地に戻っていくのです。祖国に戻っていくにあたり、天の国と今現在と未来の世界が関係を結ぶには、霊界のどの位置に行く身分なのか、地上でいかなる立場だったかというのを付き合わせ、その位置に行くようになっているのです。それで四十日期間は絶対に必要なのです。 ですから、救いの摂理、復帰摂理の歴史においては、四十数がいつも問題となっています。イエス様も四十日後に復活、昇天しました。誰も霊界の四十日過程を経なくては、永遠なる世界に定着できないのです。そのためには四十日間の定着できない期間に霊界、肉界を自在に往来します。四十日後に決定して霊界にまさに行くようになると、地上に来られません。ですから、四十日間にこうした霊的な現象とか、地上で自分が研究できなかった霊界の総概論を紹介して、骨髄的な内容を最小限の期間内に伝達しようとするので、どれほど忙しかったか分かりません。 霊界というのは、小さな韓国の地や地球星ではありません。数千万倍の無限なる世界です。膨大なる世界です。人が住むのも、地獄から天上の宝座のてっぺんまで連結されていますが、必要な段階をすべてチェックしなければなりません。どれほど忙しかったかというのです。忙しく比較検討した結果が間違いないので、先生に報告したのです。また、先生もその仕事を命令しました。霊界に行くなり、四十日間を中心として、霊的世界と地上世界の総評を中心として、報告するように命令しました。 報告を受けてから、神様の承諾を受けなければなりません。報告したからといって勝手にはできません。神様を中心として霊界に知らせながら、地上の真の父母も知って、すべて知っている中で、その事実を記録して送ったのが『霊界の実相と地上生活』のメッセージであることを知らなければなりません。 ですから、これは経書の中の経書です。世の中に多くの経書がありますが、これは経書の中の経書なのです。歴史以来、堕落した人間が誤ったその日から、これまで霊界の事実を伝授された所がありません。その教えを解くことのできる宗教がなかったのです。また、それを教えるには、地上の上で勝利的な基盤があり、その勝利的な基盤を中心として、天の不完全な部分を正さなければならないのであって、勝利的な基盤なしに天の不完全な部分を知っても、それを正す道がありません。真の父母が来られて、地上の上ですべての不完全なものを蕩減し、整理しておいたので、それを中心として霊界が合っているか、合っていないかと言って、正さなければなりません。 霊界を見ると、これまで先生が教えてあげた理想天国の内容はありません。天国に祝福された家庭がないのです。神様を近くに侍って暮らす家庭がありません。イエス様までも楽園にいます。楽園が何かというと、天国に入るための待合室です。天国に入っていく待合室ですが、行って暮らす者が、男性ならば、男性として分かれて住むようになっています。夫婦というのはいません。 なぜでしょうか? 神様の血統を中心として、神様と一体となって夫婦の関係を結び、息子・娘を生んでいたならば、神様の血族なので、天の国、アダム家庭から一代先祖、二代先祖、三代先祖としてこれまで数多くの先祖たちを通じて生まれた人類のすべての先祖が、天の国に定着して占領したことでしょう。ところが、堕落することにより逆になっているので、天の国は完全に空になっています。 楽園を中心としてすべて保留にしておいたのを、真の父母が来られて地上整備した基盤を通じて、地上が完成してこそ、霊界が完成するのです。地上個人完成、地上家庭完成、地上氏族・民族・国家・世界・天宙まで完成した基盤になってこそ、神様の理想天国が成就するわけです。 堕落したので、万人の家庭から、一つの家庭から氏族・民族、すべてがサタンの一族になりました。血筋が異なりました。血筋が異なったのです。例えば今晩、結婚しようとするのに、結婚式を挙げられる準備をしておいたのに、宴の準備と生活ができるように完全に準備しておいたのに、新婦が別の男とくっついて堕落したのです。 絶対愛・絶対純潔を願われた神様が「ああっ!」と言われたのです。考えみなさい。天使長によって堕落したのです。この地上で韓国の民どうしで娼婦になって体を売るとしたらまだましです。人の数にも入らない、霊的な一面だけ持った天使長と堕落したので、これは何と言いましょうか? 相手もできない血筋を受けたというのです。それを神様が来られて、「私の愛とか何とか、私と約束したから」と言われるでしょうか? ぺっ! つばを吐いてしまうのです。地獄に逆に投げ入れてしまったのです。それで、神様は堕落した世界の者を愛することができません。 そのような人間像が、何かの理想とか、何かの天国とか、夢のような話をしてはいけません。そのように故障して、ひっくり返ったのをどうやって正しますか? 三六〇度、円形的にひっくり返して打ち込んだのに、東西南北が異なったのに、東西南北を合わせて、三六〇度を合わせる者は誰かいますか? 神様のほかには知りません。サタンもよく知りません。ですから、神様の秘密を悟る前にはサタンを屈服させる道理がありません。 それでは文総裁は、何をする人でしょうか? 神様の秘密をもって、サタンを叩きつぶす大王様です。本当に、自分が大王様だと言う者は本物でしょうか、偽者でしょうか? そうしたみ業をすべて成就したので、偽者と言っても、どうすることもなしに本物になるのです。私の言っていることが分かりますか? 世の中が違うと言って、世の中がどうこう言っても、偽者だと言っても、全部偽者をいちばん以上にやれば、本物の中心になるのです。 文総裁がこれまで統一教会をつくって称賛されましたか、反対されましたか? 反対されました。統一教会をつくらなかったならば、文総裁は監獄に行くような真似をしませんでした。何度、監獄に行ってきましたか? 六回です。とんでもない! それでは前科何犯ですか? ざっと六犯以上になります。出たり入ったりしたのは数百回になります。 できがよくてそうしましたか、できが悪くてそうしましたか? できがよくてそうしたのです。どれほど立派でしょうか? 神様より立派だというのです。なぜですか? 神様はご自身が定着できません。どんなにお父さん、お母さんが孝行者に孝行されたくても、お父さん、お母さんが孝行者の立場を果たす道理はありません。お父さん、お母さんが孝行者のお父さん、お母さんになっても、お父さん、お母さんが孝行者の主人たる資格を持つのは、永遠に不可能なのです。これは何のことか、はっきり知りなさい。 入籍とは何かというと、神様が私たちの本当のお父さん、お母さんにならなければならないということです。神様を本当のお父さん、お母さんだと思いますか? 神様が何をして暮らされるか知っているかというのです。皆さんは、耳が不自由で、外見は見えるようで実際には目の見えない人なのです。そのような人たちに私がどれほど「私に似なさい、私に似なさい」と言って、苦労して教えてあげましたか。それで、耳が通じて、目が開いて、聞くことができ、見ることができるのです。 統一教会の信徒は、先生の顔を見ると笑いますか、泣きますか? 道すがらに先生に突然会えば「あっ!」と言って泣きますか、嬉しくて笑いますか?(「嬉しくて笑います」。)嬉しくて笑いますが、会った後には、泣きますか、続けて笑いますか? 泣くときは、神様が離れるということを知らなければなりません。泣くときは、神様が離れて、先生と離婚するのと同じです。永遠に離別するのと同じです。 笑うときには、神様が訪ねてきて再会、再び会うのです。夫妻どうしでけんかした後には、和睦して会えば、その朝は気分が良く、その晩はさらに気分が良いのです。祝福した群れなので、そのような話をすれば、皆分かるでしょう? 晩にはなぜ、気分が良いですか? 新郎新婦として会うからそうです。ですから、二度目に会うときは、うれしくて純白の蒼い影が差しますが、その翌朝になると次第に深まっていくのです。 神様には妻がいますか、いませんか? 神様はあの世でも見えないのに、いるかどうかどうして分かりますか? 中継者が必要です。自分が知らないのをそのようにうまく取り合わせて、事実かどうか分かりませんが、暮らしてみると自分の秘密がすべて詳しく分かります。金孝南長老にきのう、何と名前をつけましたか?訓母と言いました。訓母、教えるお母さんです。 何を教えますか? 地上でのことはすべて知っていますが、霊界のことは知らないので教えてあげるのです。そうすれば、大母様なり忠母様なり、中間の立場に立って、天の国の便りしか伝える道がありません。伝えようとするので、心的な世界は通じますが、肉的な世界は通じません。心の世界を見て、聞いて、触って、そのようにできますが、体の世界は別の世界に落ちていったので、二つの世界に通じる者がいないのです。 精誠を尽くして道通するという、道通できる立場なので、聞いて、見て、触ってみて知るのです。五官が通じるので、臭いを嗅いでみると、臭い臭いかよい香りか分かり、触ってみるので、とげだらけか、すべすべか分かるのです。感じのよい五官の感触を感じることができ、すぐに良し悪しを判断して、教えてあげるのです。 教えるというのは、み言を中心として流れていくのです。谷間さえ見つければ流れていくのです。「み言の言」に「川」という字なので、流れていくのです。み言も流れていくのです。訓読! 訓読するときは、み言を売るのです。訓読会、み言は流れていき、み言は売らなければなりません。売るのに、人のものを売るなというのです。人のものをもって売れば泥棒です。 お父さんのものであっても、お父さんの承諾なしに持ち出して売れば、泥棒になるのです。お父さんの承諾を得たならば、それをどこに持ち出して売っても泥棒ではありません。承諾をもらわないで売れば、贓物罪となって刑務所に行きます。それは分かるでしょう? 訓読という言葉、み言は流れるものですが、自分を中心として静止してはなりません。四方に流れていかなければなりません。水が流れるようにするのです。「読」という字は何かというと、み言を売るというのです。これが「売」という字です。み言を売ります。売るのに泥棒して売るなというのです。私が実践して私のものとなってから売らなければなりません。 訓読会! 世の中で訓読会というのは、統一教会だけが備えている会なのです。何を教えてあげるのかというのです。天理のすべての秘密を備えた真なる真理を教えてあげます。真理を教えてあげるのに、真理は天のてっぺんから天下のどこにでも及ばない所がなく、すべて潤さなければなりません。水は低いところにはどこにでも流れていきます。 水はてっぺんからあの深く深い地獄の底、また底、千道、万道、億道も流れて下っていき、満たして上がってくるのです! 偉大なる占領をすることを知らなければなりません。空気がいくらなくても満たしに満たして、すべて満たしきったら休みません。世界を旅行するのです。水もそうです。水もすべて満たした後には蒸気となって、雲となり、世の中を遊覧するのです。 日光も同じです。深いところから満たすと、「世の中の天地に私が通じない所がない」というのです。空気も語り、水も語るのです。「世の中の天地に私が占領しない所がない! 私にすべてが占領された! アーメン!」と言うのです。「アーメン」と言うとき、「神様、私の心の畑に降りてきてくださいませ!」と言うのです。 神様はそうしなければなりません。神様は地に対して祈祷されるのです。地に対して孝子を探すのは、精誠を尽くす息子・娘たちが忠臣と孝子の道を行くのと同じです。真なる父母になるため、真なる夫、妻の立場で地に対して祈っています。「お祈りいたします、お祈りいたします。地上天地に孝行息子の家庭、孝行娘の家庭が現れるようにしてください」。それが父なる神様の願いではないでしょうか? そういうときは「はーい!」と言わなければなりません。 「よし、そうだ! 喜ばしい! そなたたちの懐には食べ物がないであろう? 手を広げてみなさい!」と言って、無限に与えてくれるのです。その心がいくら疲れて、空になっていても「広げて!」と言って、愛の風呂敷にぎっしりと詰め込んで、越えに越えて、世の中を覆い、白頭山、ヒマラヤ山脈のエベレスト山頂までもすべて埋めて余りあるのです。 それで雲と雨は空中から来るのです。高気圧は高いところから低いところに来るので、流れていき、深い谷間を飛ばさないで一様に分け与えるのです。太陽の光も同じです。このように流れる中で、速度がいちばん遠く、何と言いましょうか? 水がざらざらならば、油というのはどれほど滑らかでしょう? 愛が波のように流れるのに、滑らかなのがいちばん、絶対ナンバーワンです。 ナンバーワンと言うときに万人だけやってはいけません。私たちの家庭はナンバーワンと言うとき、女性は右側にナンバーワンと言い、男性は? 相対にならなければならないでしょう? 男性が左側になれば女性は右側になり、女性が右側になれば男性は左側になるのです。男性が右足ならば、女性は左足ですが、「男性が行くとおりに行く」と言って、右足を出せばどうなりますか? 十里も行かずに足が折れて死にます。足を傷めて死ぬのです。それがすべて調和しなければならないのです。 調和できない人は、かわいそうな人です。軸に差し込まれますか、軸に差し込まれませんか? 軸に差し込まれなければ、どんなにかわいそうか分かりますか? これは動的に平たいのに、このようになって、どれほど大変でしょうか? どれほど損害でしょうか? いくら上がっていきたくても、中心がなければ上がっていく道理がありません。ちょうど真ん中では中心があって、つかんでこそ定着するのであり、中心がなければ、どのようになりますか? 永遠に正す道がないのです。世の中の道理が、中心を中心として、東西南北に回るか、行ったり来たりするのであり、中心がなければ行ったり来たりするのは、すべて無駄なことです。千里万里を行ったとしても、行ったのか、行かなかったのか解決できません、中心がなければ。 統一教会も中心がなければなりませんか、あってはならないですか? なければなりません。中心が誰ですか? お父様ですが、お父様の中心は誰ですか? 神様です。神様の中心は何ですか? 真の愛です。 真の父母の入籍家庭に対する訓示です。教示は教える学校、教室で必要なものです。み言というのは訓示です、訓示。永遠に守るべき言葉です。主題が「真のご父母様の入籍家庭に対する訓示」です。指示事項、訓示の内容なのです 一つ目は何だと思いますか? 堕落以後の恨が何かというと、血統を汚しました。それで一つ目は純潔なる血筋をいかに永遠に千代、万代に残すかということです。もう二度と女性の三角地帯、男性の三角地帯に堕落があってはなりません。その影も見たくないというのです。それが愛のセンターです。本宮です。生命のセンター、本宮です。血統の本宮であり、良心の本宮です。国の、世界の本宮です。天地の、神様の解放をできる本宮! それを汚しました。恥を知らなければなりません。 すべて地獄の底に逆さまに打ち込まれているのを、先生がありとあらゆることをして引き出したのです。それを引き出すため、どれほど興進君が苦労したかを知らなければなりません。 一つ目が何ですって? 純潔なる血統を死守しなければなりません。皆さんは今や、息子・娘の教育を徹底してやらなければなりません。そんな姿を見せるなら、飢え死にするほうがましです。揺れ動く世界に足をかけて、目をかけて、五官が内外にすべてかかっています。それをやっと断っておいて、解放された家庭という立て札を打ち込んだのに、この周囲には千層万層のサタン世界が張り巡らされているのです。小さな隙間でもあったら、サタンの愛が入ってきて、サタン世界の空気が入ってきて、サタン世界の光が入ってきます。サタン世界の愛が入り込んでくるのです。 これを絶対に防御しなければなりません。防御する方法は為に尽くす愛です。自分を考える愛は必ず侵食されます。絶対に尽くす愛! 男性が生まれたのは男性のゆえに生まれたのではありません。女性のゆえに生まれたのです。男性は半分なのです。女性も半分です。二つが共に合わさって、でこぼこが一つになり、完全な輩となるのです。男性が未完成品であり、女性が未完成品です。男性が存在するのは、女性のためであり、男性のためではありません。なぜ? 愛は自分のために始まりませんでした。 相対が愛の主人をつくってくれます。妻が男性に何をあげますか? 男性となって、女性を愛せることを妻が教えてあげるのです。主人です、主人。愛を与えた主人です。また女性も同じです。愛を抱いたのは、女性として男性を愛することのできる主人の立場に立ったのは、男性のためです。愛を見いださせた主人です、主人。夫というものです。 それを勝手にやれば、人のものを勝手にやれば泥棒でしょう。泥棒です。それは村であれ、どこであれ、追放されるようになっています。五官が生じたのは、目が目を見るため生じたのではないのです。全体を、相対を見るために生じたのです。鼻があるのが、自分の鼻を嗅ぐためにあるのではないのです。環境要件を、自分の周囲を保護するためにあるのです。口が語るのも自分のために語るのではありません。自分の利益のために語ってはならないのです。そうするのは天地の原則に背くのです。 語るときには慰労の言葉、教訓の言葉、忠告の言葉、勧告の言葉は必要ですが、自分の利益とするための詐欺の言葉、侵食の言葉、圧力の言葉はサタン側に属するのです。そのようなことをすべて知っているでしょう、原理が分かれば? そのようなことができないと言う者は、どうしますか? ご覧なさい。神様がどれほど悲惨かというのです。エバが誰かというと霊的、肉的に縦横に連結されていたならば、神様の夫人です。心の父である神様の夫人が誰かというと、エバとなり、体の父の夫人もエバです。それでエバも心があり、体があります。心は縦的であり、体は横的です。二重になっているのです。 天地創造の原則が二重になったというのです。それは避けられないことです。この世で対になって愛を慕う存在は、すべて二重になっています。鉱物世界もすべてがそうです。分子ならば分子もプラス分子とマイナス分子に対になっています。植物もおしべとめしべになっており、動物も雄と雌、人間も男性と女性、天地も天と地という具合に対になっています。 五官もすべて対になっているでしょう? 手も対になっています。対応的な対をなすのです。こうして天地の調和がなされます。男性がここに左足を出せばどうなりますか? 右手が交差するでしょう? 交わってこれが一つになります。内外が、上下が合わなければなりません。 相対がなくなれば、行動の結実が現れません。役に立ちません。それが天地の道理です。無鉄砲に言っているわけではありません。先生は数学を勉強した人です。科学を勉強した人です。数理に天才的な頭脳を持っている人なのです。頭が悪くはありません。良すぎて心配です。 私が摂理の願いを成就するため、苦労をご飯よりも美味しく食べてきました。自己主管するには食を断たなければなりません。その次には眠りです。その次には何ですか? 性欲! 美人たちが誘惑すれば、かいば切りで首を切ってしまわなければなりません。私一代に私がプロポーズした女性のほかには、女性に引っ張られていきません。エバが男性を引っ張って堕落しました。ですから、男性がお尻を追っかければ、国を売るのは容易なのです。文総裁にはそれが通じません。 日本にいるときも、そのような歴史が本当に多かったのです。それを話せば日本民族がどんなに操について関心がないか恥じるでしょう。私は女性たちのありとあらゆる悪賢い手にかかってもなびきませんでした。独身の美男が万人で寝ていると、女性が裸で入ってきて「私、死ぬ」と言うのです。「五分だけ話をすれば、死ぬ女性を助けてあげられるのに、それもできないのがどうして男か?」こう言うのです。そのように言うでしょう? しかし、そのようにしてあげれば、どうなりますか? 日本、エバ国家に入り、怨讐の国で独立のために地下運動するチャンピオンなのに。私が下ポのたまりにどれほど行ってきたか分かりません。そうしたことを言わないから知りませんが。 それをいかにしますか? 深刻です! 神様がそのような立場でいかにされるかというのです。修行の世界は、最後に行くと女性と愛の問題で闘わなければなりません。後には何かというと、陽部に陰部をあてがうのです。笑いながら自分の首に力を入れて引っ張るのです。それをいかにすべきですか? そこで男性の生殖器が立ってはいけません。死ななければなりません。そうでなければ神様の息子になれません。それを否定しなくては、天に接ぎ木できる素質がないのです。(二〇〇〇年九月二十六日、天城旺臨宮殿) 真のご父母様の入籍家庭に対する訓示、指示事項 一つ目は純潔なる血筋を、純潔なる血統を永遠に、その下は何と言ってもかまいません。要は純潔な血統を死守せよというのです。「純潔な血統の死守」でもよく、「絶対守護」でもよく、純潔な血統は説明しなくても皆分かります。どんな修飾語をくっつけてもかまいません。 二つ目は何かというと、「一心定着!」一心、神様も一つの心です。心と体が一つの心でなければなりません。そうしたお父さんの心を中心として、男性の心も女性の心も一つの心にならなければなりません。心、体が闘いましたが、一つの心となって、家庭も一つの心です。 お父さん、お母さんも一つの心、息子・娘も一つの心、孫も一つの心、そのようになって定着しなければならないのです。一心定着! 分かるでしょう? 一心、心!「心」という字です。定着! 神様も息子・娘の心が一つになった家庭で定着しようとされたのです。 宇宙が一つの心に定着しなければなりません。夫、妻、息子・娘が一つの心です。きのう、何と言いましたか、先生が? 正午定着と言ったのです。一心、中央にぴったり縦的に立てば、影がありません。そのことです。これは家庭が今から必ずや守るべき訓示です。 三つ目は子女に対することです。子女に対する真の愛の実践教育! 父母が教えてあげなければなりません。子女たちに真の愛を実践することを教育しなければなりません。今やすべて家庭に対する話です。夫婦が純潔を守り、一心が定着しなければならず、その次には子女に対する真の愛の実践を教育しなければなりません。嘘ではありません。教えてあげてこそ従っていくでしょう? 父親は酒を飲んで帰り、母親を怒鳴りつけおいて、父親の言葉に従えと言えば従いますか? 母親は父親をだまして嘘をつきながら「私の言うことを聞きなさい!」と言って聞きますか? それで子女に対する真の愛の実践教育なのです。教育ではなく実践教育です。実践して教えてあげるのです。これを標語にして、字がうまい人に書かせて、かけておかなければなりません。自分がうまく書けるならば書いてみなさい。私が一つ書いてあげたらいいのですが、皆さんの精誠が込められないので駄目です。皆さんが精誠を尽くして書くのです。 その次に四つ目が何ですか? 今から言うことをよく聞かなければなりません。切に願ってこそ記憶するのであり、尋ねてよいものでしょうか? 国境撤廃と交差結婚! 偽りの愛をすることによって、相対結婚が交差結婚になったのです。ですから、反対となる者と結婚してこそ、正されるわけです。引き離して、反対にくっつけなければなりません。ですから、国境線がなくなります。より尽くして怨讐を誰よりも、自分のお父さん、お母さんよりも愛さなければなりません。先祖よりも愛する心がなければ不可能です。神様の心を抱かなければいけないのです。 ですから、四つ目は「国境線の撤廃と交差結婚」です。今や皆さんが結婚するにあたり、霊界においてこれまで結婚させるにあたり、三代怨讐とか、自分の先祖が知っている歴史的な怨讐とか、そうでなければ三時代の国の怨讐となる者と結婚させてあげました。それで柳寛順が日本人と結婚したのを知っていますか? 柳寛順が日本の警官たちによって六つにちぎられて死んだのに、なぜ、その日本人と結婚させてあげましたか? これです。怨讐を愛さなければならないのです。 その国の怨讐の父母が、その息子・娘が結婚すれば、「私たち父母は、怨讐を互いに憎んで、夫妻どうしでお父さん、お母さんを憎んで、皆怨讐視した。多くの国境を抱いて怨讐視したが、君たちは国境撤廃である。縦横にどこでも、その影にでも怨讐に復讐するという心があれば、天国にならない。平和の足場とならない」と言うのです。それで交差結婚しなくてはならないのです。三代を交差結婚させなければなりません。 血筋を交差させて接ぎ木した野生のオリーブの木に真のオリーブの木が接がれ、そこに実を結んだのを三年以後に摘み取って、その後に種を植えてこそ、真のオリーブの木が芽生え始めるのです。どれほど難しいことでしょう。そうした基準を中心として、まさに家庭で本郷の地を探そうとするこの課題の前にどれほど厳粛でしょうか。 もっと深刻な話をしなくてもよいでしょう? どのような怨讐ですか? 自分の国における三時代の皇族たちを、サタンたちがすべて王たちを捕まえて殺すのです。縦的な三代と横的な三代を中心として、三×三=九を中心として、未来の十二人の女性たちをその夫たちが見ているのに、体を汚して、刀で腹を裂いて殺してしまったわけです。そのような怨讐なのです。 そのようなことを見て口も開けられず、涙だけ流したのです。口もきけずに行動もできずに、見て一人で涙を流される神様の心情を誰が知りえますか? 滅びた国の事情を誰が知りえますか? それを知る者たちが自分の血族の血筋を汚すことができますか? 後に男性たちはすべて殺してしまうのです。三十五歳、三十六歳以上、四十歳を越える者たちは。皆殺してしまい、若い赤子と妻たちは僕にするのです。それがサタン世界の伝統的な歴史であることを知らなければなりません。 血統の因縁が、サタンを中心として、怨恨の歴史が絡まっているという事実を知っています。それを解かなければならない文総裁の心、一言だけ話せば慟哭します。天下が壊れうるのです。そうした心を抱いたご父母様の前に孝行娘となる自信がありますか? 孝子となる自身がありますか? 私はないものと見ます。この聖人・聖子の道理を果たさなければなりません。私がそのように自信がないと見て、皆さんには望みをかけません。私がまだ行く道が残っていると、生命をかけて死の場を求めて、峠を越えに越えてみたら、ここまで来ました。 父母を失ってしまい、王権を失ってしまい、天下を失ってしまった王者の姿のどこが楽ですか? 死んで埋められたとしても、地に逆さに埋められなければなりません。願いは何ですか? 惜しいことがありますか? 私は何もありません。お金を一銭でも集めて、昼ご飯を食べずに夕ご飯を削りながら、地を買うために皆さん以上に努力したのです。日本の皆さんの血肉を売ってやったとしても、良心の呵責がありません。 祖国光復、国連の国を私が築いています。私が再整備して汚さない地を築いて、神様に侍り、聖殿を建て、天下を解放して、その場に行って敬礼を捧げて霊界に行くというのです。そこがどこですか? 原初聖地・根源聖地・勝利聖地です。そうした言葉を聞きましたか? 南北が聞かなければ、切ってしまい、国の領土をつくってあげなければなりません。今、手続きしているわけです。 孝子にならなければならないのに、何だかんだと言ってどこにいますか? お父さんの前では同じです。昔、事故が起こり、戦争が起こって逃げて避難して、養子に行った者ですが、知ってみると血筋が同じなのです。兄弟と考えなければならないのです。顔が同じで生活が同じなのです。そのようなことを見るとき、私が夜を徹しながらも教育しなければならないのです。 国境撤廃と交差結婚! 交差結婚は何ですか? 来年から祝福するときは、日本人どうしでは結婚できません。怨讐の国、アメリカの国、それから中国の国と結婚して、ソ連の国と結婚するのです。これをしてこそ……。第二次世界大戦以降に日本の女性や日本の男性たちが損害賠償をしませんでした。敗戦国として土地を売って、女性を売らなければなりません。国が四方に裂かれるのです。しかし、私が防備しました。蒋介石に日本を助けるように言ったのです。それを知っていますか? 死んでからこのような私を好きになるでしょう。 日本を分割しないように言ったのです。なぜですか? 私に守るべき責任があるからです。そのようにしなかったならば、四か国に分割されて、四つの島の女性と男性たちが異国の地に行きますが、男性たちは僕の子になるのです。ですから、戦争で滅んだものを再建させるのに、血の汗を流しながら働くのです。妻たちは流れ行く天の川を眺めるのです。外国に行って月を眺めながら故郷を忍んで、涙を拭いて、その息子・娘が恨を抱いて住むところを、文総裁が防備しました。 損害賠償しなかったので、第二次世界大戦以降の損害賠償を請求して、再び平和基金を集めるべき時が来るのです。私が国連を通じてやるでしょう。 戦勝国家も敗戦国家も同じです。兄弟どうしで闘うのは、堕落の報いです。同じ価値と見るので、世界平和のために真の父母が教育できるように国の基盤を整備して、新しい心情文化を創建する費用として各々が出し合うのです。それが足りなければ二次戦争三次戦争のような戦争をして、死ぬのを見たとしても、神様の勝利を讃美して、その墓まで花が咲けと祝祷して言ってこそ、兄弟が生まれて国が祖国の領土になることを知らなければなりません。それを見てこそ、神様の前にすべてを捧げるべき真の父母の召命的な使命が終わるのです。深刻です。 その次に五つ目が何ですか? 国境撤廃と交差結婚の次は、何だと思いますか? 祖国光復! その次は何だと思いますか?(「天国建設」)天国建設ではなく、天国創建です。建設はあるものをくっつければいいですが、創建はつくってやらなければなりません。何ですって? 祖国光復と祖国創建! 祖国を見いだせなければ天国が創建されません。必死なる召命的な責任です。 今、国を見いだしてこそ入籍ができます。王様が椅子に座って手続きしておいたのを、印章を押して国庫に貯蔵しておいてこそ、初めて国に入籍するのです。国がなければなりません。それが大きな峠です。イスラエル民族が出エジプトするときの峠と同じです。ですから、自分の長子権を犠牲にしなければなりません。長子の血を流すには、羊の代わりに誰かが犠牲にならなければなりません。家庭的な羊の代わりに血を流さなければならないのが統一教会です。 サタン世界が一つ目であり、二つ目が結婚でしょう? これらが血を流さなければなりません。血を流すのに純潔なる血を流さなければなりません。お母さんが汚れなかったお母さんとして赦しを受けるのです。汚れなかった息子・娘、カイン、アベルが一つになって血を流さなければなりません。そうして汚れたお母さんたち、汚れたお父さんたち、汚れた息子・娘のために血を流して、犠牲にならなければなりません。あらん限りの精誠を尽くすのです。願いがあるとしたら、それしかありません。残したすべてのものが、今、故郷にいるお父さん、お母さんが問題ではありません。出征した兵士です。 天の国が初めて願いに願った、待望した家庭的な出征命令が出ました。祖国を家庭からひっくり返して打ち込んだので、家庭を再び探すべき神様的な運命、堕落した世界から復帰する運命……、ご父母様がこの地に来られて失ってしまった失敗の因縁をすべて解消させて越えていくべき最後の進撃命令が、天国創建であることを知らなければなりません。そうするには祖国がなくてはいけません。祖国の上に天国を築くべきでしょう? そうですか、違いますか? 運命をかけた生涯の使命です。 自分の一族が滅びるとか、妻が死ぬとか、自分が死ぬことが問題ではありません。ただ、この心が先立って、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」とありますが、このことを言っているのです。 隣り人は誰ですか? 共産党です。カインです。カイン! 神様のように愛さなくては、祖国光復が実現しません。地上・天上天国に神様を解放できる国が生まれません。国を連結させて民族を克服して、伝統と文化を克服する天国創建の使命は、国を抱いた者たちの責任です。日本の国は、天国創建できる召命的な責任を絶対に負うことができません。その国が天の側ではありません。 ですから、祖国光復と天国創建です。祖国光復は何ですか? 全世界の人たちが南北統一運動をしなければなりません。それが終われば、自動的に国連を通じて天国創建時代が到来します。それを背後ですべて準備しているのです。今や教育が終われば、皆さんのように教育すれば、カインの国とアベルの国が一つになるのです。国連の名前で教育するでしょう。 北朝鮮と韓国が文総裁によって一つになるのです。神様主義と頭翼主義を持ったので、父母によって一つになるのです。それで超国家超宗教圏、絶対・唯一・不変・永遠なる神様の真の愛を中心とした、水平なる平和理想的な真の愛だけをもって一つにできるので、国がある限り天地創建は問題がないのです。 祖国光復と天国創建! いつでも、ご飯を食べても、寝ても、一日のうちにトイレに行って大きいの、小さいのを出すときも、力を入れながら祖国の地に小便をして、大便をするのだと考えなければなりません。食べて消化して力が余れば天国創建に……。 祖国を失ってしまい父母を探せないのが恨です。本然の地、本然の父母、本然の血族を失ってしまったその恨を知らなければなりません。はっきり知らなければなりません。この女たち! 母の国です、母の国! その血肉を抜いて、世界の若者たちに食べさせてあげなければなりません。骨を削って若者たちの足場に、農土にまいて肥料をつくってあげるのだと考えなければなりません。ところが、生きた供え物の総献納基金を……。 先生に捧げるようにというのではありません。この前の演説文の中に国連の名前ですべて持ち合って結束させるよう宣布しました。ですから、これからは過去をつかんで日本の国に入っていき総生畜、すべての国の家と所有を神の国の建国に捧げなければなりません。堂々と今や国連の名前をもって教育を施して、文総裁の代わりに語ってあげます。やらないときは気合を入れる時が来るのです。 女性が堕落しました。荒野となって石ころ畑しか残らず、東京都がすべて崩れました。自分が、日本人が努力しましたか? 文総裁がエバ国家として選んであげたことを最近になって知るのです。皆さんは知っているでしょう? 知っていますか、知りませんか? 知っているならば実践しなさい。皆さんの血を私は吸いません。千万、万倍、世界が皆さんの懐に抱かれるのです。種です、種! そのようにしても私が忠告するほど、すべてやりました。天地をかけてその条件に引っかからないため、あらん限りの忠誠を尽くしました。飢え死にして生きられないようになったら、私の買った地、南米に来なさい。土地がないですか、畑がないですか、果物がないですか、穀物がないですか、米がないですか? 牛がいないですか、羊がいないですか、豚がいないですか? ないものがありません。今、買っておいた土地だけでも済州島の十二倍です。ソウルの二十倍です。 (六番目は)訓読経原理の暗記! 本を暗記せよというのです。暗記! 経です、経! これは本のことです。聖書、仏教の経典と同じです。 皆さんの家庭にこれを贈り物としてあげますが、今からはこれをすべて記憶するように。韓国語ですべて記憶して、ここにある言葉を、ご飯を食べるときも使い、祭祀に行ったり、学校に行ったりしてもこれを使い、知らないことがなくなれば、韓国語を自動的に学ぶため、毎日一時間、一時間はできなくても夕方に帰ってきてやることがなければ、これを暗記しなさいというのです。 訓読会する時間がないと言ったら雷が落ちます。ご飯を食べるより美味しくなければなりません。死んでいた自分の息子・娘が生き返ります。お父さん、お母さんがご飯より美味しく食べるようになれば生き返るというのです。教えてあげなければなりません。千年の内情が溶けるので、夫婦もふさがっていた壁がすべて、また父子関係でふさがっていた壁がすべて、ガラガラと崩れるのです。それを嫌がるならば滅びなければなりません。 それで訓読経原理を暗記完成せよというのです。原理暗記、暗誦せよというのです。暗記して暗誦するでしょう? 暗記する前に暗誦できますか? 暗記したら暗誦、一人であってもすらすらと読むことができます。 皆さんの家庭が読むべきこれが、先生の八十歳の生涯を中心として語ったみ言です。祖国光復を中心とした八十歳の記念演説とともに国連で語ったこのみ言は、私たちの家庭に与えることのできる最後の礼物です。それで訓読経原理の暗記完成なのです。 真の父母の八十歳の生涯に対することは、やらなくてもかまいません。新千年祖国光復に対するすべてのみ言、ここにすべてが含まれているのです。祖国光復するのに、新千年の先生の誕生日を記念する全国大会を再び行ったのです。これさえ分かれば、新千年のうちに先生の八十生涯に対することがすべて入るというのです。 その次は何ですか? 七つ目は何ですか? 家庭盟誓の実現化! そこにすべて入っているのです。家庭盟誓を皆知っているでしょう? 一つ目は何ですか? 祖国創建! 二つ目は孝子・忠臣・聖人・聖子の道理をすべて立てよう! 三つ目は天の国の四大心情圏と三代王権と皇族圏を完成することです。天の国の王宮法がないので、王宮の伝統を立てていかなければなりません。 それが三つ目であり、四つ目は「神様の創造理想である天宙大家族を形成して、自由と平和と統一と幸福の世界を探そう」というのです。それから六つ目は「真のご父母様の代身家庭として天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。今やすべて成就したので神様の代わりに福を祈ってあげなければなりません。福を祈ってあげて、祝福してあげて息子・娘が天の法度を守っていくお手本になるのです。 その次に何ですか? 「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結した為に生きる生活を通じて心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。それが何かというと、純潔なる血統です。七つ目です。本然の血統というのは、堕落しない神様の純潔なる血統です。純潔なる血統を守って、その純潔なる血統は為に生きる生活をしなければいけません。自分に尽くせといっては駄目なのです。 男性は女性のため、女性は男性のために生まれてきたので、そうしなければなりません。父母は子供のために生まれ、子供は父母のために生まれてきました。お兄さんも弟のために生まれ、弟もお兄さんのために生まれました。国も私たち家庭のために生まれ、家庭も国のために生まれたのです。同じです。為に生まれたものは、為に生きる心情がなくては統一天下を大成することができません。投入して忘れてしまう原則、多く投入して忘れてしまい、一つになるために努力した者は、神様のもとに行けるのです。 影のない正午定着と愛の第二創造主になれということ、これは今回の大会のみ言の骨子です。ですから、正午定着という言葉! 正午定着と神様の代わりに第二創造主の愛を残していこうというのです。 最後に八つ目です。最後が何かというと、影のない正午定着、天宙的な正午定着と神様の第二の愛の創造的な主人になろう! 相続したので、主人になってこそ天上天国に愛を築いて捧げる者になるので、天国の民となり、天の国を相統するのは間違いなし、アーメン! 天宙的な正午定着と第二創造主の真の愛の責任を完成しようというのです。愛を完成できなかったでしょう? 神様が創造してくださったすべてのものを壊して、公害問題、環境を破壊してしまい勝手にやったのです。動物もたくさん死んでしまいました。神様の息子・娘に最高の贈り物として与えたもの、私たちの家庭生活の糧としようとしたものをすべて殺してしまったので、神様の第二創造主となって、神様が贈り物として下さったものを、神様の代わりに愛していきながら暮らして、天国に行こうというのです。 愛することができなかったでしょう? 村にやってくるカササギ、最近、韓国ではカササギが害になるからといって、捕まえて殺すでしょう? 心配しないで、国でカササギが一年食べていける穀物を準備してよく育ててみなさい。漢南洞ではハトの餌、鳥の餌を準備していつでも与えるのです。ですから、その村を通り過ぎるときは、鳥たちも腹がふくらんで通り過ぎるときにはカササギも「キャッ、キャッ、キャッ」、ハトも「クッ、クッ、クッ」、スズメも「チッ、チッ、チッ」と鳴いてから行くのです。挨拶するのです、挨拶! 主人がいるとしたら、そのまま通り過ぎずに挨拶して行くのです。ありがとうと考えるのです、毎日のように食べ物を与えるので。 ですから、カササギを見たければ漢南洞に来なさい。朝早く来れば、カササギを見ることができます。ハトもお腹が空いたときには豆畑にいるのです。食べ物をあげるので、すべて関心があるのです。動物たちもそのようにしつけるのです。人もそのようにしつけるのではないですか? 赤ちゃんに乳を飲ませたら皆、「オンマ(お母さん)、オンマ!」と言うでしょう? オンマしか知らないではないですか? 同じことです。 それでは、今や思いどおりに行くのに、これを標準として家宝のように考えなさいというのです。純潔なる血統、一心定着、真の愛の実践教育、国境撤廃と交差結婚、それが重要なのです。今や姻戚関係を結ぶには好きな人と結婚したらいけないようになっています。私たち統一教会は、とても面白いのです。姻戚になるのを互いに嫌う者どうしが、間違いなく姻戚になりました。そうか、そうでないか探してみなさい。あの家とは絶対に死んでもやらないというと、絶対に姻戚になるのです。調べてみなさい。そうか、そうでないか? 最後が何ですか? 家庭盟誓の実践完了。アーメン! それでは、万歳してみましょう。「万歳!」万歳。「万歳!」死んでも万歳!「万歳!」生きても万歳!「万歳!」死んでも万歳!「万歳!」生きても万歳!「万歳!」死んでも生きても感謝万歳!「万歳!」統一万歳!「万歳!」(拍手)(二○○○年九月二十六日、天城旺臨宮殿)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.08
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どこに行くべきか2000年9月25日 第一次「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」が天宙清平修錬苑において、二〇〇〇年九月二十四日から二十六日にかけて挙行されました。二日目の二十五日の夜八時からの御言です。 皆さんが帰る前に一つ伝えたいこと 明日、出発する人は手を挙げなさい。全員、明日行くのですか? なぜもっとここにいないで、明日行くのですか? 皆さんが帰る前に、私が一つ伝えたいことは、「どこに行くべきか」ということです。それを決めてから行かなければなりません。 一生を経て、全員が行かなければならない所が霊界です。全員が一つの所に行かなければなりません。ここにいる人たちが、それぞれ自分勝手に生きたとしても、全員が霊界に行かなければならないのです。 霊界があるということを知っていますか? (「はい」)。霊界があるかどうか分からない人、手を挙げなさい。そのような人は人間ではありません。(地上で)いくら人間のような姿をしていても、霊界に行けば、人間の姿で生きることはできません。 人間の姿で生きようとすれば、主人がいなければなりません。皆さん、男性でも女性でも生まれる時には、絶対に自分勝手に生まれたのではありません。主人がいて生まれたのです。それがだれかというと、父母です。 そうだとすれば、父母がいる所がなければなりません。父母が暮らす家がなければならず、父母が暮らす国がなければならないのです。それが私たちの故郷であり、自分たちの祖国なのです。この地球は広いですが、みな故郷が違います。また、数多くの国があり、みな(国が)違うのです。地上での暮らしは瞬間だというのです。 私たちは霊界に関してよく知っているでしょう。神様に関してよく知っていて、だれが何と言おうと、「自分が行くべき所がどこなのか」をはっきりと知っている人たちです。分かりますか? (「はい」)。世の中が反対し、天地がごった返したとしても、自分が行くべき所を知って歩んでいく人は、かわいそうな人ではなく幸福な人です。皆さんは幸福ですか? (「はい」)。 どこに行くのか、分かりますか? (「はい」)。だれかが大きな声で答えたので、私が一つ尋ねてみましょう。霊界を知っていますか? (「はい」)。聞いて知っているのですか、行ってみて知っているのですか? (「御言を聞いて知りました」)。御言を聞いて知ったとは、どういうことですか? 御言を聞いて、行い、「事実がそうだ」と思い、「そのようなことを見たので、(御言のとおりに)行えば、そのとおりにすることができる」と、こうならなければならないでしょう。そのことが明確でなければなりません。 先生の生涯において、たくさんの迫害を受け、多くの苦労をしたということを皆さんは聞いたと思いますが、そのすべての苦労と迫害を一つに合わせても、それよりも自分が大きくなければいけません。のみ込まれてはいけません。のみ込まれるときには、自分が知っている世界と関係を結ぶことができません。結んだとしても、そこまで行くことができないというのです。 今現在、自分が暮らしている環境、自分の価値、それをすべて加えて合わせたとしても、「自分が行って暮らす所と比較すれば何でもない」と思うときには、世の中が何と言おうと、「何でもない」と思い、そこに行くことができるのです。そこに行くことが間違いないとすれば、彼は幸福な人です。 さあ、皆さん、今からどこに行きますか? 明日の朝には出発するのですが、どこに行くのですか? 行く前に、自分が行くべき所を決めてから行かなければなりません。 御言を訓読して、「間違いなく行く。生涯において暴風雨が吹き荒れ、受難の道にぶつかり、一生を嘆息と絶望の中で終えるとしても、私が行くべき所はここだ」と決定して行く人は、かわいそうな人ではありません。分かりますか? いくら困難な環境にいたとしても、「困難な環境にいる私を、真のご父母様が見守ってくださっている」と思う人は幸福な人です。真のご父母様が見守ってくださることは、幸福なことです。自分が真に行くべき所があることを知り、また、それを見守ってくださる真のご父母様がいるということまでも分かったとすれば、どれほど幸福でしょうか。真のご父母様だけではありません。自分の兄弟、妻子、一家、一族、一つの国までもがそうであるとすれば、どれほど幸福だろうかというのです。分かりますか? (「はい」)。 それでは、そのように行くうえで、だれもが分からない環境で、そのようなことをはっきりと知っていて教えてくれる方がいるとすれば、その方はその国の精神的中心存在になります。希望をもって行く人たちは、そのことを考えるたびに、ご飯を食べていても、寝ていても、仕事をしていても、それを教えてくれた方のことを考えるというのです。 その方が十年前、百年前に行ったとしても、その方の教えを自分が記憶して、その方が指定した所に行くことを決めたとすれば、そこに行ってその方と会えるという希望が、どれほど大きいだろうかというのです。 そこに行って全員が出会うようになるのです。今日、この地上に生きながら何も知らない人と比較してみれば、どれほど幸福でしょうか。では、地上でそのようなことを知り、「自分が行く所はこのような所だ。そこが霊界の中心だ」と思うとき、それがどれほど価値あることでしょうか。そのことを考えてみなさい。 希望をもって行く人は、「自分は未来に、このように成功する」という目標を決めれば、その目標のためには、それ以上の内容を投入しなければならず、それ以上の価値を自分自身が投入しなければなりません。そうしなければ、到達することはできません。 未知の世界である、そのような所に向かって行くという事実をはっきりと知らなければいけません。世の中でそれを分からずにいる人よりも、どれほど幸福でしょうか。統一教会の教会員はそうだというのです。今現在、先生の生涯を知らなかったとしても、何度も何度も、見れば見るほど、だんだんとはっきりとしていきます。 信じない人に話すことが、どれほど苦しいか 私は今疲れています。疲れていても、「どこに行くのかを決めよう」と言ったので、話をすべて終えなければならないでしょうか、話の途中でやめなければならないでしょうか? (「続けなければなりません」)。このような話やあのような話を長くしている時間はありません。今からまたソウルに行ってこなければなりません。 金孝南長老! 「孝南」という言葉はよい言葉です。「南方の国から訪ねてきた孝女」という意味です。南方の国といえば、暖かくて希望があるのです。北方では家を建てるとき、いつも南向きに建てます。すべてそうです。南方といえば、「新しい知らせを伝えてくれる客人が訪ねてくる」と考えるのです。 金孝南、どこに行きましたか? 先生が御言を語れば、座って、どのような指示があるかと待っていなければなりません。(「あちらから出てきます」)。(拍手)ここに来なさい。名前を何というのですか? (「金孝南です」)。何をするおばさんですか? 姜賢實、何をするおばさんですか? (答える) 何が霊界ですか、その話がうそなのか事実なのか、だれが分かりますか? 興進を見ましたか? 興進とはだれの息子ですか? (「真のご父母様です」)。どうして先生の息子なのですか? 神様の息子でしょう。天の国の司令官として任命したのは、神様が任命されたのでしょうか、先生が任命したのでしょうか? (「神様です」)。神様が任命されたのですが、それが事実かどうか、だれが分かりますか? 見たのですか? (「感じています」)。感じることがすべて正しいのですか? (「正しいです」)。なぜ正しいのですか? 考えてみてください。皆さん、興進君が霊界に行ってから、すでに十五年を越えたでしょう。十五年前のその時に、先生は間違いなく「興進君を霊界の総司令官として送る」と宣布しました。その時に、信じた人がいましたか? 一人もいませんでした。 では、先生がそれを宣布する時、自信をもってしたでしょうか、震えながら仕方なくしたでしょうか? 宣布! 「宣布」と言ってみてください。宣布! (「宣布!」)。宣布したのに、信じる者は一人もいませんでした。それが人ですか、何ですか? 信じるべきことを言ったのに信じないのですから、それは人間ですか、獣ですか? それ自体が矛盾です。 学校に行って勉強する人は、数学であれ、何かの公式であれ、自分でそれが分かるのですか? 学校に行けば、先生の言う話を一〇〇パーセント信じなければなりません。先生のことを、小学校の先生ほどにも信じることができない者たちではないですか? 「自分の息子がどうだこうだ……」。 興進君を霊界に送るための手続きが、どれほど複雑だったか知っていますか? 知っているのかというのです。(「知りません」)。知っていたら、拍手して歓迎していたでしょう。(拍手)今ではなくその時にです。今は、仕方なく機嫌を取るためでしょう。そのような拍手は嫌いです。その時に拍手していれば、どれほどよかったでしょうか? 一人もいませんでした。 ここにいるおばさんも信じることができなかったでしょう。信じるのは、私しかいませんでした。知っているのも、私しかいませんでした。そのようなことをするのも、私しかいませんでした。神様はご存じでしたか、ご存じなかったですか? (「ご存じでした」)。ご存じなのかどうか、あなたたちは調べてみたのですか? 今は、知っていますか、知りませんか? (「知っています」)。どうして知っているのですか? (「お父様の御言を聞いて知りました」)。ですから、その時には信じることができずに、どうして今になって信じるのかというのです。 興進の顔を見て、先生のように(興進君が)こうして座り、「話を聞きなさい」と言う姿を見たり、その声を聞いたりしたのですか? (「清平に来て知りました」)。清平に来て、どのようにして知るのですか? 今でも、お父様の御言を信じないではないですか? 信じる人は、この中で三分の一にもなりません。 信じない者たちが集まって座っているのです。そのような者に、信じることができるように話をするのがどれほど大変か分かりますか? 信じない者たちを集めて、信じられない話をする人が、どれほどかわいそうか分かりますか? しなければよいのですが、そうもいきません。一回して、二回して、三回して、四回して、十回して、百回なら百回しなければならないのです。 私が教えてあげた「興進君が霊界の総司令官だ」ということを、一つも理解できず、信じもしない人に、話すことがどれほど苦しいかというのです。その時に話をしておかなければ、どのようになっていたでしょうか? その時に、興進君の役事を分別しながら立ててあげなければ、天の国の総帥として、地上に伝達できる責任者がいたでしょうか、いなかったでしょうか? 李相軒が霊界に行って報告した「霊界の実相」を見れば、私が任命したそのとおりの内容です。うそでしたか? (「そのとおりでした」)。 千六百三十年前に生きていたキリスト教の旧教世界の聖人と言うことのできる聖アウグスティヌスが、姜賢實女史の夫です。それを信じますか? (「はい」)。千六百年前に霊界に行った聖アウグスティヌスが、現在ここに生きている姜賢實女史の夫だということを信じますか? (「はい」)。頭が狂ったのでしょう。(笑) 姜賢實、立ちなさい。この女性は間違いなく、千六百三十年前にこの地上で生き、イエス様をよく信じ、天主教(カトリック)では聖者だと呼ばれる人の夫人です。信じますか? (「はい」)。狂った者たちです。(笑、拍手)じっとしていてください。 では、賢實はそれを信じますか? (「信じます」)。信じるのですか、知っているのですか? (「知っています」)。どうして知っているのですか? 夫が来て、キスをして、愛してくれましたか? これを見てください。そのとおりだそうです。(笑、拍手) 夫が年を取っているとは思わないでしょう。祈祷すれば、来て、すべて教えてくれるので、どれほど素晴らしいでしょうか? その人たちが暮らす天国があるでしょうか、ないでしょうか? (「あります」)。その天国に一度行ってみたいと思いませんか? 賢實、行きたいでしょう。(「行ってみたいです」)。この女性は正しい女性ですか、どうにかなってしまった女性ですか? (「正しい女性です」)。 さあ、興進君が霊界に行ってイエス様のお兄さんとなり、全霊界の大将となっているということを、信じるのではなく、知っているという人は手を挙げなさい。手を挙げなさい。なぜ、手を挙げたり下げたりするのですか? 自信がないのですね。 歴史を整えて導いていくには聖人が必要 ですから、歴史を整えて導いていくには聖人が必要なのです。預言者が必要だというのです。先覚者が必要だということを知らなければなりません。先覚者たちはその時代に来て、一般の人が理解できない話をするのです。それを理解できずに冷遇すれば、その部落なら部落が滅び、国民なら国民が滅び、国なら国が滅び、世界なら世界が滅ぶというのです。 今、韓国の人たちは文総裁のことを「文総裁は、我が国の歴史にない愛国者だ」と言うでしょう。「世の中がそのように言うので、その人の歩んできた歴史を調べてみると、世の中のだれもできない事実がたくさんあり、一代で、なそうとしたことをすべて成し遂げた。それは、うそではなく事実である。世の中の人がそのように言うのは事実だ」と、こうなるのです。 「今から百年後、千年後はこうなる」と言えば信じますか? 十五年前に言ったことも信じることができないのに、「千年後、百年後にこのようになる」と言えば、信じることができますか? その時に訪れる福の環境が、どれほどとてつもないものでしょうか? 「百年後にこうなる」と真実を言えば、百年ではなく、何百年後までも待つことができる民族は、世界を指導することができるのです。 言ったことが間違いなく事実であるならば、それを信じていった人たちは、どこに行こうと、確定したその世界が(その人たちを)主人として迎え、侍るようになるのです。このような時は拍手し、「アーメン」と言わなければなりません。(拍手)(「アーメン!」)。 「三時代転換一体圏祝福」。それが何だか分かりますか? 「三時代」とは、旧約時代、新約時代、成約時代です。先祖が三度失敗しました。「神様の御旨とは何か?」。神様の御旨に関して、神学的に尋ねてみると、「簡単のようであるが難しい」と言うのです。そのような答えがどこにありますか? 統一教会はそうではありません。「神様の御旨」といえば、「創造理想完成。創造理想完成は四位基台完成」と、明確なのです。 李相軒が霊界に行って記録したものを見ても、間違いありません。数多くの聖人、聖者たちが報告したものを見ても、間違いないのです。神様もご存じなので、文総裁を守ってくださったのです。それが間違っていれば、守ってくださったでしょうか? 聞き耳を立てて、つんとした目で見つめないでください。私も若い時には、美男子だと評判になった人です。ああ、本当です。(「信じます」)。 女性の中で、今でも私を愛している人は手を挙げてみなさい。この女性たち! 夫を横にして、手を挙げてどうするのですか? (笑)このように大変なことになりました。何かの薬を飲ませたわけでもありません。心がそうなのです。強い磁石は鉄を引き付けるように、良心が鉄のように、無性に先生を好むのです。 世の中には、無性に憎い人がいるでしょう。何かをくれと言ったわけでもないのに、憎いのです。ところが、「ください」と言えば、あげたいと思い、もっとあげたいと思い、さらにもっとあげたいと思う場合もあるのです。そのような心があります。たとえ法によって首を切られるとしても、手を切られるとしても、それでも会いたいと思うのです。 ここにいるこのおばさんもその時は、二十六歳の若々しい女性でした。夫もいなく、神学校に通いながら伝道師として、一人で私のところに伝道しに来たのです。しかし、私に引っかかって転びました。(笑)どれほど既成教会の熱血分子だったか分かりません。 私があなたのために、高麗神学校の総長と副総長に会ったではないですか? 「神学校で最も優秀な女性を、どのようにして惑わしたのか?」と言うのです。たくさん悪口を言われました。先生に狂っていると言うのです。毎日のように訪ねてくるので、「凡一洞の美男子に狂った」と、近所の人がどれほど指を差したでしょうか? 「到底信じることができないことを言うのに……。あの女性は狂った」と言うのです。この人は、二十一歳から復興会の講師でした。その世界で名前の通った人です。話が上手なのです。今、(この人を)立てれば、私が恥をかきそうなので立てないのです。(笑)本当です。 さあ、それでは、興進君が霊界の司令官だということは間違いありませんか? (「間違いありません」)。イエス様が興進君に侍るのですか、興進君がイエス様に侍るのですか? (「イエス様が興進様に侍ります」)。見たのですか? ここにいるおばさんは、霊界から電話をしてくるのも聞き取ることができます。神様に尋ねれば、答えも聞き取ることができるのです。聞き取るだけではありません。見ることもできなければなりません。 普通の人は音声を聞いて、「ああしなさい。こうしなさい」と言うのですが、音声だけを聞くならば、いくらでもサタンは詐欺的な電波を送ることができるのです。私は、そのことに関して専門家です。それゆえ、見なければいけません。見るだけでもいけません。鑑定しなければならないのです。 向かい合えば、「角度がどのくらいなのか」ということをすぐに鑑定できなければならないのです。見下ろしているのか、見上げているのかということです。恥ずかしいと思っている人の目をのぞき込んでみると、目が下のほうに向いていきます。自信満々ならば、上のほうに上がっていくのです。直感が鋭くなければなりません。そして、四方を測り、「どのようになっている」ということを鑑定し、処理できなければなりません。何も分からずに、狂った者のようにしていては、人を死に至らせ、町内を滅ぼしてしまうのです。 先生はこのように座っていますが、今後世の中がどのようになるか、ということを明確に知って生きている人です。しかし、言葉では言いません。体をもって霊界を占領しなければなりません。イエス様の体をサタンがもっていったゆえです。祈祷もしません。 そのような何かがあるので、世の中が滅ぼそうと、狐を追い込むようにあらゆることをしましたが、私を捕まえることはできませんでした。死ぬと思ったのに、死にませんでした。滅びると思ったのに、滅びませんでした。なぜですか? 天運が保護するのです。滅ぼそうとした人は、自動車事故が起きて死ぬこともあり、あらゆることが起きました。神様が保護してくださったからです。分かりますか? (「はい」)。それゆえ、数百回死ぬところでしたが、死にませんでした。滅びると思ったのですが、滅びませんでした。 はっきりと通告しなければならない先生の責任 五色人種がさまざまな国から、世界の果てから訪ねてきました。文総裁が「来なさい!」と一言言えば、このようにみな訪れ、では「行きなさい!」と言えば、どうなるでしょうか? 「行きなさい」と言えば、残るでしょうか、全員行くでしょうか? 「どこどこに行きなさい」と言えば、全員がそこに行くのです。それで、「行く所を決めているのか?」と尋ねたのです。どこに行くのか知っていますか? 今から一か月、二か月、十年後にはどこに行くか分かりますが、百年後にどこに行くか知っているのか、というのです。十年後に行くべき所を決めて、そこを訪ねていく人はいるかもしれませんが、「千年、万年後に行くべき道を知るために行く」と考える人が、どこにいるのかというのです。いないではないですか。 それゆえ、明日、出発するのですが、間違いなく……。ここに男性が来ましたね。妻を取り戻しに来たのですか、妻を手伝うために来たのですか? 思いどおりに妻を連れていくことはできません! なぜかといえば、連れていけば、霊界に行くことができる道、霊界に行こうとする道が、ピタッとふさがってしまうのです。 それゆえ、連れていかなければならないでしょうか、連れていってはいけないでしょうか? いくら夫婦で決めたとしても、私が「行ってはいけない」と言ったにもかかわらず帰ってしまえば、道がピタッとふさがるのです。ですから、はっきりと通告してあげなければならない先生の責任があるのです。 それでは、未来に訪れてくる世界、神様が喜ばれるそのような所、そこは天下も(そこに行く道を)ふさぐことができず、天下すべてが希望とする所なのです。皆さんの数多くの先祖たちが、そこに行くことができず、地獄に行って嘆息しているのです。そのことが分からないので、この暗く乱れた世の中で戸惑いながら暮らしているのです。 私は地獄へも、自分の親戚の家に出入りするように往来しましたが、地獄に入っていっても心配したことはありません。行くべき道をすべて定めて生きているからです。分かりますか? いかなる所に行くか、間違いなくすべて知っているというのです。 だれがその道をふさぐのですか? イエス様もふさぐことはできません。イエス様は私の弟子であり、弟子は私の息子です。そのことを知らないでしょう。釈迦もそうであり、孔子もそうです。孔子の妻、立ちなさい。拍手してください。(拍手)座ってください。それから、ソクラテスの妻。(拍手)それから、マホメットの妻。来ていないのですか? 四大聖人の妻たちを全員、私が育てて嫁ぎ先に送りだしてあげました。それを信じますか、信じませんか? (「信じます」)。(拍手) 今、霊界に通じる人は、うそかどうか尋ねてみなさい。「文先生が結婚させてあげた人を妻だと思っているか、そうでなければ、マホメット自身が選んで暮らした妻を妻だと思っているか」と尋ねてみなさいというのです。 ですから、文総裁は不思議でしょう。不思議な先生だというのです。また、知れば知るほど、分からないことが多いのです。四十年侍っていても分かりません。分からないことが泰山のように積まれています。 先生は、知っていて分からないふりをするのですか、知らずに分からないふりをするのですか? (「知っていて分からないふりをされます」)。知っていて、なぜ分からないふりをするのですか? 間違っている人を通して、天の機密が漏れるのです。どろぼうが天の国の秘密を聞けば、その道を汚してしまうのです。そのようなどろぼうたちを片付けてしまうためには、例えで話し、象徴的に比喩で話すのです。預言書のような秘書は、そのようになっています。 「どのような時なのか」ということを、先生はよく知っているのです。それだけは間違いないでしょう。それゆえ、他の人ができないことをすることができ、他の人ができない業績を残すことができるのです。 さあ、このくらい話せば、統一教会の教会員は、信じまいとしても信じざるを得ません。先生を霊的に見た人は手を挙げなさい。この者たち! 全員、見るようになっているのです。下ろしなさい。どこにいても、地上にいる先生が教えてくれるのです。 キリスト教では、イエス様を四十年信じて祈祷し、あらゆることをしても、イエス様が現れて教えてくれることはありません。しかし、文総裁は地上のここに立っていながら、霊界の霊人たちのように、それ以上の事実を指導しているのです。それが恐ろしいことです。地上にいながら、未知の世界、地の果てにいる人を指導しているのです。それを信じますか? ここには西洋の女性、あらゆる人たちがいます。そのような何かがあるので、「来なさい」と言えば来て、「行きなさい」と言えば行くのです。それは本当ですか、うそですか? (「本当です」)。では、拍手しなければならないでしょう。(笑)それは、どれほど大変でしょうか。 マイク装置が必要 さあ、それでは、興進様! 「興進様」と言いますか、「興進君」と言いますか? (「私たちは興進様と言います」)。皆さんは「興進様」と言わなければならず、先生も「興進様」と言わなければなりませんか? (「いいえ」)。何と言わなければなりませんか? (「興進君と言わなければなりません」)。あなたたち全員が「興進様」と言うのに、一人で「興進君」と言えば気分が悪いではないですか? そのように思って、先生も環境に拍子を合わせるためには、息子であっても仕方なく「興進様」と言うのです。それが一般社会的な礼法となっているのです。 興進も、地上にいる新婦と結婚させてあげたでしょう。以前、興進の霊界の実相に関する報告を聞いてみると、「私も肉身をもっている新婦のもとに、どれほど訪ねていきたいか分かりません。しかし、忙しくて行くことができません」と言うのです。その話を聞きましたか? (「はい」)。それは、事実ですか、うそですか? (「事実です」)。地上から霊界に行って五十日目に、霊的結婚をさせてあげたのです。世の中が、どれほど悪口を言いましたか? それが今では、すべて事実として受け入れるというよりも、知っているというのです。 「大母様」という名前は、だれがつけてあげたのですか? では、先生の母親の名前は何ですか? (「忠母様です」)。忠母です。また、先生の兄は何と言うのですか? (「大兄様です」)。大兄です。全員、見ましたか? お母様の母親、自分の母親、自分の兄。これは先生の家のための教会ですか? 天国ですか? 複雑です。そのようにしなければならないようになっているのです。内容がそのようにならなければならないので、そうしたのです。その内容は、あなたたちには分かりません。千年精誠を尽くしても分かりません。 そのようにしたことに対して、神様は静かに「よくやった。私が後援してあげよう」と言われます。そのような神様は、狂っていますか、賢いですか? (「賢いです」)。なぜですか? あなたたちは盲人のようなので、どうなるか分かりませんが、神様はサッと千里を見渡して明確に知っているので、「よくやった」と言われるのです。理解できましたか? 盲人でもなく、耳が聞こえない人でもないのに、先生が教えることを理解できなければ、人の部類に入れません。 アメリカの各州がすべて教育を受け、アメリカの上院下院、今の大使たち、アメリカを指導するトップクラスの人たちが、文総裁の御言を聞き、頭に鉢巻きをしながら争って御言を研究する時代が来たのです。韓国で優秀だといって頭を振りながら、肩をいからせ、おなかを突き出して、行ったり来たりしている者たち! 井の中の何ですか? (「蛙です」)。蛙にもならないでしょう。井の中の蝿のように威張り散らしながら、尻尾を振っているのです。これからはもう、滅びる運命になっています。 国連もそうです。国連が文総裁の言うことを聞かなければ滅びるのです。国連の責任者や部署の責任者たちに、「国連の名前で集合しなさい」と言えば、どうするのですか? 大統領をしている人たちも、国連の名前で「教育を受けなさい」と言えば来ないでしょうか? その教育する内容が文総裁の御言です。 何も知らずに自分勝手に生きるようにはなっていません。私は自分勝手に生きる人ではありません。自分勝手には生きません。道理に合わせ、天理に合わせ、行くべき道を正々堂々と来たので、神様の保護を受け、天運の保護を受けたのです。それゆえ、滅びざるを得なかった統一教会は滅びず、発展せざるを得ない統一教会になったというのです! (「アーメン!」)。 興進様を信じる時代ではなく、知る時代が来ました。それがうそだと思う人は、言ってみなさい。また、「大母様」という言葉も、私たちはうそではないということを知っています。知っているでしょう。(「はい」)。この中でそれが分からない人は、人の部類に入りません。 夫の言うことを聞いてはいけません。聞けば滅びます。私の言うことを聞いてこそ、天国に行くのです。うそかどうか、祈祷してみなさい。なっていない夫たち! 酒を飲み、あらゆることをしながら……。今回は、刀やカミソリの刃を持って約束をしなければ帰ることはできません。 興進君には体がなく、大母様にも体がなく、神様にも体がないので、マイク装置が必要なのです。中間で連絡するマイクが必要なのです。そのマイクは、良いマイクが必要でしょうか、悪いマイクが必要でしょうか? (「良いマイクが必要です」)。どのくらい良いものですか? いちばん良いものです。では、この女性は顔が良いですか、悪いですか? (「良いです」)。(拍手)何が良いのですか? 鈍そうに見えるのに、何が良いのですか? 牝牛のようですか、牡牛のようですか? 牡牛のような女性です。 鈍く見えるというのです。見てみれば、目も鈍く、耳も鈍く、行動も鈍いのです。ですから、どれほど苦労したでしょうか。食事もせず、眠らず、目を開き、耳を開き、体を飛ばすために、どれほど祈祷したでしょうか。それで、このようになったことは間違いありません。精誠をたくさん尽くしたでしょう。見なさい。(拍手)この人は立派なマイクになるために、目もかすみ、耳も……。 すべてが鈍く、それでは生きていくことができません。統一教会には、大学を出て、賢くさっさっさっと振る舞う者たちがたくさんいるのに、このようなのろまな人が生きていけるのですか? あまりにも岩にしがみついているので、岩も一緒に泣いてくれ、あまりにも木にしがみついているので、木も一緒に泣いてくれ、木と語り合い、岩と語り合ったので、このようになったのです。 そのようにして目を開けてみると、天の国がすべて見え、聞いてみると神様の命令が聞こえたのです。「体が行くべき一つの峠を越えれば、千里離れていた父母が来て待っている」というので行ってみると、父母に出会ったのです。ですから、躊躇せずに行動しますか、しませんか? (「します」)。 ここを保護する 考えてみてください。生きている人を紹介することも大変なのに、死んだ人を紹介するのは、どれほど大変でしょうか? 簡単なことですか、難しいことですか? (「難しいことです」)。この者たち! そのように苦労して、他の人が見ることができないものを見て、他の人が聞くことができないものを聞き、他の人ができないことをしてきたのです。この家はだれが建てたのですか? 先生が建てたのですか、このおばさんが建てたのですか? (「大母様が建てました」)。大母様ではなく、だれが建てたのですか? (「金孝南長老様です」)。 統一教会を発展させるために、大母様、興進君、私の一族、精誠を尽くした人たちが、この婦人を通して、天地の貴い宝のような御言を浴びせてくれたのです。それは、よくやりましたか、間違っていましたか? (「よくされました」)。(拍手) 百分の一にもならない者たちが、「金孝南執事、執事であり長老ではないか。私は牧師なのに、金孝南長老の言葉を聞くのか」と思っています。首を切ってしまうべき者たちが大勢います。私にそのようなことを言ってみなさい。激しくたたくのです。郭錠煥! (「はい!」)。なぜ、責任を果たせないのですか? ここは、だれでも入ってきて、めちゃくちゃにできる所ではありません。ここに来て、「ああ、三十六家庭が来た。部屋をくれ」と言っています。「先生の横の部屋」……。 天の国の宮殿を代身した所です。だれでも来て、ご飯をもらって食べるようにはなっていません。座ることもおそれ多い場であるにもかかわらず、「ご飯をくれ。私をきちんと待遇しなければならない」と言っています。ここに来てご飯を食べ、ご飯代も出さずに逃げていく者たちが大勢います。私は、そのような乞食の群れを育てたことはありません。正しく生きなければなりません。 さあ、そのように苦労して、天の秘密を聞くことができ、見ることができ、測定することができ、十数年経験したことは間違いないと……。 賢い興進君、立派な大母様が、私を愛しているのです。顔かたちのよくないおじいさんを愛しているのです。皆さんよりももっと愛しています。大母様も、自分の娘よりも私を愛しているのです。だれよりも愛しています。 また、忠母様もそうです。どれほど私を愛したか分かりません。世の中の父母の中で、一等賞をあげなければならない方です。それは言わないだけです。いい加減に対するようにはなっていません。また、大兄様とは私の兄のことですが、この人は、すでに八月十五日に解放されることを知っていて、弟がどのような人物になるのかは知りませんでしたが、「天下の兄弟の中で歴史にいなかった弟だ」ということは知っていたのです。 そのように立派な息子であり、立派な弟だというのです。母親がだれよりも誇ることに恥ずかしくなく、弟として誇ることに恥ずかしくないのです。跳ぶときに跳び、這うときに這い、走るときに走り、できない運動がありません。できないことがないのです。座りながら、話をずっと続けることもできました。監獄に入っても、上官のように座って話し、食べ、そのように暮らしました。それほどならば、統一教会の教主になるべき資格があると思いますか、思いませんか? (「あって余りあります」)。それゆえ、先生が千辛万苦の果てに、統一教会がこのくらい大きくなりました。 霊界に宮殿がなく、霊界に国が定着していないので、秩序を立てるために先生と拍子を合わせ、上下がぴたっと一つになるようにしていかなければなりません。そのようにするために通訳(=金孝南長老)を使っているのに、なぜそのように問題がたくさんあるのですか? 三十六家庭、手を挙げなさい。史吉子! この者たち! この修錬苑で特別なものを食べようと、家から飛んできたのですか? だれが特別待遇をしなさいと言ったのですか? 修練生です。軍隊です。部屋を別にして休み、何がどうだこうだと言い、別のものを食べるのですか? 私もそのようなことはしません。しっかりしなければなりません。 どこに行っても、自分の威信を立てなければなりません。分かりますか? 死にたくないのですか? 李相軒氏(を通してあなたの夫)が、「先によい所に来て、申し訳ない」と言っているではないですか? それを信じますか、信じませんか? (「信じます」)。あなたは霊界に行って夫と一緒に暮らそうと、考えたことはないのですか? 死ぬかと心配ですか? この肉の 塊 は腐っていくのです。 上手に気合を入れるでしょう。これが統一教会の文先生のやり方です。神様式です。正しいことを正しく教えてあげるのです。正しく理解できるように、分からなければ気合を入れて正してあげなければなりません。 かわいそうな女性が座っています。今までいい加減に接してきた人たちは、帰る前に悔い改めなければなりません。そのようにしなければ、霊界に行く道を協助できません。解放された者として、どこに行くのかを決めてから行かなければなりません。分かりますか? すべてここにかかっています。自分勝手にしています。頭(=位置または立場)が大きいから……。牧師だ何だと言い、修練所の所長だ何だと言い、金孝南執事がどうした、長老がどうしたと言いながら、「ああしろ、こうしろ」と言っています。 興進様を代身して、大母様と忠母様を代身して語っているとすれば、あなたたちが「ああしろ、こうしろ」と言うことができますか? 通訳官に対して「ああしろ、こうしろ」と言うことができるのですか? 修錬苑の権威を立てなさい。涙を流す時が何度もあるそうです。分からない人が、いい加減に対しているのです。天の国の法を知っている大母様と興進君が、司令官として命令しているのに、自分勝手にしているのです。 泣いてばかりいるのですか? 泣くなというのです。命令するのです。頬を激しくたたくのです。しっかりしなければなりません。私の言うことが分かりますか? なぜ、おかしな目をしているのですか? 私は、統一教会の何かの責任者ではありません。教主様です。堂々とするのです。 そのようなことがあれば、すぐに郭錠煥に報告しなさい。そのような人は、ここに来ることができないようにしなさい。完全に名前を公表して、顔も出せないようにしなければなりません。全員、分かりましたね? (「はい」)。この時間に、そのように決めなければなりません。そのようにしてこそ、天の国に恥ずかしくない伝統が立つのです。不可避的にそのようにするのです。 私は知っている者として、このように決定するのです。願わない人は立ち上がって回れ右して出ていき、願う人は座ったまま拍手しなさい。(拍手)拍手だけではなく、両手を挙げて、ペアの拍手をしなさい。立ちなさい。敬礼しなさい。礼をしなさい。さあ、拍手してください。(拍手) 私がここに来てそのような報告を聞き、きのう、一度見回してみました。そのような話を聞いて、私はあぜんとしました。孝子の息子になることができていません。父母になることができていません。弟になることができていません。それを知らなければなりません。ここに来れば、興進様を自分たちの兄として侍らなければならないでしょう。(「はい」)。 大母様とはだれですか? お母様の母です。話が聞こえただけでも、あの門の前からあいさつをしなければなりません。この人たちは全く自分のなすべき責任を果たせていないのに、霊界に行って接待を受けようというのですか? この亡国の僕たち! 私がほっておきません。私はそのように教えていません。自分勝手に生きてきた者たち、しっかりしなければなりません! さあ、ここを保護することができなければなりません。分かりますか? 訓示すべきことはすべて終わりました。すべて終わったというのです。膨れっ面をしている顔を解きなさい。一度、笑ってみなさい。声を出して笑ってみなさい。この男性たち、笑ってみなさいというのです。(笑)ハハハと笑ってください。(「ハハハ……」)。これで解けたでしょう。あなた、立ちなさい。歌を一曲歌ってみなさい。大きな声で上手に歌いなさい。(日本の食口が歌を歌う) きょうは、この金孝南長老様に、尊敬できる特別な名前を一つつけてあげようと思います。拍手しなさい。(拍手) 訓えるの「訓」という字で、「訓母様」です。一度言ってみなさい。「訓読会」の「訓」の字です。その次は「母」という字です。訓える母です。分かりますか? (拍手)不平を言おうとする人は、「訓母様」という名前をつけてあげた先生以上に知ることができなければ、批評してはいけません。絶対信仰をもって絶対に信じ、絶対行動しなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのようにすれば、福を受けるのです。福を受けるというのです。 もしそのようにせずに、今後もそのようなことをしていけば、よくありません。先生の先祖も黙っていませんし、すべての霊界が黙っていません。分かりますか? 自分勝手に生きる世の中で、霊界も分からずに、ああだこうだと、盲人のようになり、耳の聞こえない人のようになってはいけません。 一度言ってみなさい。訓母様! (「訓母様!」)。訓! 母! 様! (「訓! 母! 様!」)。大母様! (「大母様!」)。忠母様! (「忠母様!」)。善母様! (「善母様!」)。善母様とは、だれのことか分かりますか? 統一教会の母親たちのことです。御言どおりに伝えるために、どれほど苦労し、御言を抱き……。御言を抱えた母たちです。分かりますか? そのような意味で教えてあげるのです。中間で正しく教えてあげるためにどれほど……。間違えば、その一身が溶けてしまうのです。一族が溶けてしまうのです。滅亡するというのです。恐ろしい位置に立っているということを知らなければなりません。うそをついてはいけません。詐欺を働いてはいけません。 統一教会の教主も同様です。言葉だけで実践しないようでは駄目です。私はすべて実践した後に教えてあげました。 続いて言いなさい。訓母様! (「訓母様!」)。ありがとうございます! (「ありがとうございます!」)。これからは、一つの過ちも絶対に犯しません! (「これからは、一つの過ちも絶対に犯しません!」)。きれいで美しい声を出す息子・娘を、神様が祝福してくださることを願います。神様、かわいそうな群れを祝福してくださいますように。アーメン! (「アーメン!」)。(拍手) 決めた所に間違いなく行って永生する息子・娘になることを願う さあ、きょうの話を通してよく理解し、侍るべき人に侍るのです。このように生きるのは、自分が行くべき所に行くための準備です。このことを知らなければなりません。 そして、その方たちがいる所に間違いなく行くのです。分かりますか? その方たちがどのような所にいるのか分からなくても、現在、ここでこのようなことに精誠の限りを尽くすのです。自分の父母や師のだれよりも、懇切な心、忠節な心、至誠を尽くす心をもって生きれば、その方たちがいる所に行って、一緒に暮らすことができるのです。分かりますか? (「はい」)。 ですから、ここから離れても、離れたと思うなというのです。ここで願ったその所を自分の故郷のように思うのです。 「霊界の実相」で紹介された所を中心として、「私は間違いなく、そこに行って暮らす」ということを決め、ここにいる人よりももっと精誠を尽くせば、ここよりももっと立派な所に行くのは間違いありません。先生は皆さんが、そのように決めた所に間違いなく行って、永生する息子・娘になることを願い語っているのです。分かりますか? (「はい」)。そのようにするという人は、拍手で歓迎しなさい。(拍手)ありがとう、ありがとう。 全員、明日出発するので、このことを語っておかなければならなかったのです。 清平に出入りすることが習慣になり、上も下も見分けられずに汚し、ほこりをまきちらしたりしてはいけないと、天が警告するのです。金孝南長老を、これからは何ですか? (「訓母様」)。訓母です。訓える母として、大母様、忠母様、お母様と同じように侍るのです。 また、それ以上に忠誠を尽くして努力すれば、間違いなく皆さんの故郷と、皆さんの祖国光復を相続することができます。それを知っているがゆえに忠告するのです。どうか、すべての人がそのような所に行くことができるようにと願っています。もう先生は帰らなければなりません。忙しいのです。 一緒に敬礼を受けるのです。(真のご父母様と訓母様が一緒に敬礼を受けられる) 霊界にいる母たちが生きている訓母様に教えてくれれば、(そのごとくに)伝達することができる母なので、そのような名前をつけてあげました。そのことを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そのことをよく記憶し、今までここに来て修練を受けたことを感謝し、故郷に行き、このおばさんを通して学んだ以上、一生懸命に御旨に対して忠誠を尽くさなければなりません。分かりますか? (「はい」)。それでは、神様の祝福があることを願いながら、さようなら。(拍手)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.08
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「祝福移譲」宣布二〇〇〇年九月二十四日、午前十一時三十分、韓国の天宙清平修錬苑にある天城旺臨宮殿にて、第一次「三時代大転換四位基台入籍統一祝福式」に参加するために修練中であった約四千名が参加する中、天上の興進様に真のご父母様の祝福権を移譲する「祝福移譲宣布式」を挙行なさった。 式典準備 祝福家庭の子女十二歳から十六歳までの男女それぞれ十二名(信元様、信愛様を含む)を、女性を前、男性を後ろにして横に並べられた後、その次に順に二世祝福家庭十八歳から三十歳までの男女それぞれ十二名、一世祝福家庭三十歳から四十歳までの男女それぞれ十二名、一世祝福家庭の女性六十歳から八十歳まで十二名、一世祝福家庭五十歳以上の男性十二名等、総勢九十六名を十二名ずつ八列に並べて立たせ、その前に薫淑様と信哲様を立てられた。(自称ルポライターtomy4509の註:三男・文顯進氏はその列の中には入っていませんでした。) み言 復帰摂理の中では、九十六数の九数も悪い数で、六数も悪い数です。それを蕩減しなければなりません。ですから、七十二数に十二を合わせたのです。十二を合わせたので……、七十二数は七十門徒を代表し……、イエス様の十二弟子を代表したその対を中心とした十二支派を代表するのです。七十二派、七十二門徒、モーセの七十二長老も代表するのです。九十六は、七十二に、対にすると十二対を合わせたものですから、十二支派の前に七十門徒と同じです。ですから、七十二数も十二支派を中心とした七十長老の数です。これが蕩減の基本数です。 ですから、霊界にいる三歳以上で死んだ人たちのうち、十六歳以下の人たちもすべて祝福してあげました。その数と、その次に十六歳以上から二十四歳、三十歳、四十歳以上、こうしてすべての祝福を受けた霊界の数を地上と合わせたのです。 地上は真の父母によって祝福を受けた群れであり、天上は興進君によって祝福を受けた群れですが、父と息子が霊界と肉界で別々に祝福したものを一つにしなければなりません、一つに。 地上の真の父母を中心として、息子が霊界でしたことを引き下ろし、真の父母が祝福したこと、すなわち、皆さんが祝福を受けることができた基盤と霊界で祝福を受けた基盤を連結して一つにしなければなりません。真の父母が地上で息子、娘を祝福した代わりに、霊界は天使長の立場で地上のアダムが完成することのできる祝福基準の前に素直に従わなければなりません。そのために、興進君が地上に降りてきて真の父母と、父と息子が一つになった立場で祝福をしたという条件を立ててあげ、真の父母がしたことをすべて興進君も再び共に行ったということができる価値を認めるのです。 ですから、天使長圏となった今までの長子圏が次子圏にならなければならない立場ですが、長子圏の天使世界が……長子の立場を得て出てくるものが、地上の兄が祝福を受ければ、弟の立場に来て立つのです。霊界へ行くようになれば、父が兄になり、息子が弟になるというそのような原則から、天上世界に行った息子が父の前に来て、息子になると同時に弟の立場にも立つのです。両面の価値を連結させて一体圏をつくって一つにするのです。 今後、祝福は、地上で先生がしてあげなくてもかまいません。お父様がしてあげなくてもかまわないのです。兄さんたちがたくさんいるので、お父様が老いて死んだとしても、兄さんたちが祝福してあげられるのです。それと同じように、お父様の祝福を今後長子圏の立場にある興進君が、地上でも祝福を行うことができ、霊界でも行うことができるのです。 お父様も、地上でも祝福してあげることができ、霊界でも祝福してあげることができるのと同じように、同等な価値を一体化させるために、地上のお父様が霊界の息子の前に伝授式をしてあげるのです。霊界にいる息子は、父の家に思いどおりに行くことができ、地上の真の父母も父の家に思いどおりに行くことができるのです。 天地父母である縦的な神様と横的な神様が分かれて、サタンの一族として中間霊界を満たしていたものをすべて連結させることによって、父と息子が一つになった家庭的一体圏が、霊界と肉界に落ち着いていくので、今後は真の父母が祝福してあげなくてもかまわないというのです。八十の老人が、世界を回りながら祝福できる時代は過ぎ去ったのです。皆さんが真の父母に代わって……、興進君も霊界で真の父母に代わって祝福してあげる時代を設定するのです。 先生が地上にいる父の立場で、息子である霊界にいる興進君の前に、お父様が祝福することのできる権限も伝授し、霊界で祝福したすべての基盤も……、先生が行っていつでも祝福してあげることができる、それと同等な価値を設定するのです。お父様の前に息子たちを立てて祝福しても、お父様が天上世界、霊界の息子の下に行って祝福しても、同じ価値として統一された祝福家庭の意味を立てるために、お父様が息子の前に祝福の権限を相続してあげるのです。それを知らなければなりません。 父親は霊界に行けばお兄さんになります、お兄さん。また、息子は弟になるのです。ですから、父が天のお父様と呼ぶのも、息子が天のお父様と呼ぶのも同じなのです。神様の前では、だれもが息子になるのです。それゆえ、同じ息子ですが、父が先に出てくるので、横的面においては兄の立場に代わることができるのです。 ですから、真の父母が真の父母の立場を完成したということは、息子の立場の完成にもなるのです。霊界に行こうが、地上に行こうが、同じ価値的内容を伝授、一体化させる役事をするのです。真の父母が霊界の長子である興進君を呼んで、このように祝福を受けた家庭を立てて共に統一的宣言をすることによって、先生が祝福してあげず、今後、興進君が祝福するのですが……。興進君がいなくなれば、顯進君がお父様の代わりに祝福をしてあげることができる時代に入るのです。 二世が真の父母に代わって、祝福してあげることができる時代に入るのです。霊界では兄にあたる興進君が行い、地上では弟が行うのです。同じ立場から見れば、興進君がお兄さんで顕進君が弟です。ですから、弟にあたる顕進君が地上世界の皆さんを祝福してあげることもできるのです。 そして、おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、自分がいれば、この家庭で縦的基準においては、現在三代圏にあたる息子、娘たちが、おじいさんとおばあさんを祝福してあげ、お父さんとお母さんを祝福してあげ、その次には自分たちの祝福の権限を息子の前に渡してあげることができるのです。 旧約時代も堕落したアダムが祝福によって完成し、新約時代も完成して、成約時代も完成することができるのですが、完成の天地の内容について完成、解決することのできる方が真の父母であるというのです。そのような基準が設定されることによって、歴史的に数多くに分岐した天上世界の先祖たちが、すべて一つの立場に立って、この三時代の先祖たちが、祝福を受けたことを代表した立場である三代の孫の前に祝福を受けることができるのです。 孫はおじいさんの愛を受けて、お父さんの愛を受けるのです。二つの世界の愛を受けます。おじいさんは天国を代表し、お父さんはこの地上の国を代表する王たちです。おじいさんの愛、そして現在のお父さんの愛、二つの愛を受けたのが三番目の孫の祝福家庭です。ですから、この祝福家庭は天国を相続し、地上の国を相統した、二つの国を相続した「実」の立場なのです。それゆえ、孫がお父さん、お母さんを祝福してあげることができ、おじいさんとおばあさんを祝福してあげることができる立場に立つのです。 そうして、孫にあたる人が先祖に代わって、蘇生・長成・完成、旧約時代・新約時代・成約時代の完成の立場にあるため、霊界の先祖たちまでをも真の父母の代わり、興進君の代わりとして祝福することができる時代へと越えていくのです。 このようになるとき、天使長圏が長子圏で天側がアベルとなっていたものがひっくり返るのです。天側が長子圏となって、天使長圏がアベルの立場に立つのです。それゆえ、霊界の先祖たちが弟の立場に立ちます。先に霊界に行って、祝福を受けたので……、彼らは地上の真の父母から後になってから祝福を受けたので、弟の立場に立って真の父母に従って天上世界の天国に入ることができるのです。 境界線がないように、先生も霊界と肉界を祝福してあげることができ、興進君と顕進君も、先生の代わりに霊界・肉界を祝福することができる統一的な一つの道を中心として、だれもが共に行うことができるものを伝授してあげる式がこの式なのです。今後、祝福を行うときには、先生が祝福してあげなくてもかまいません。 皆さんにおじいさんとおばあさんがいて、お父さんとお母さん……、こうして三代が祝福を受けた後には、先生の息子である興進君から霊界ですべての祝福を受けたので、それをする必要はないのです。すべてが三代となる孫の時代に、堕落しない立場で祝福することができるのです。神様が一代であり、アダムとエバが二代、その息子、娘が三代です。三代かけてサタンの前に血筋を汚したことを再び復帰して、祝福を受けた家庭となったので、再臨主、真の父母の立場を代身して、自分の地上の一族、親戚がいようがだれであろうが、おじいさん、親戚の何代目の孫まで連結しているすべての人を祝福してあげることができるのです。ゆえに、霊界も系列にそって祝福を受けることができる祝福解放圏時代に前進する! アーメン! その内容をよく知らなければなりません。 今、この場には興進君を中心として、喜進君、榮進君、その次に恵進嬢夫妻がみな参加して、このように並んでいます。祝福家庭の中で皆さんのような……乳児に……祝福を受けたこの数が、相対的な面で一つになって、統一的な家庭理想の実体として天国に向かって、すべてが父母を代身した、兄を代身した、これを絶対信仰・絶対愛・絶対服従する天理の道理を伝授したその家庭は、いつであれ、どのような立場であれ、天国に直行することができる! アーメンだと言うのです。 ですから、先生が伝授式祝福をしてあげなければなりません。先生が行った権限、また興進君が行った権限、弟が行うことのできる権限もすべて興進君を通じて……、神様の許しを得て、真の父母の許しを得ることによって……、この祝福の方向が……。これからは、おじいさんになることができる……、先生はおじいさんです。三代になるのです。そうではないですか?祝福を受けた家庭の二世その息子、娘は三代目にあたるため、おじいさんがしてあげる必要はありません。 そのような時代になったので、次子の立場と三代の先祖となることができる人として、真の父母の祝福を受けて、真の父母の直系の息子の立場に立った興進君と弟にあたる顕進君を立てたならば、顕進君が真の父母の代わり……、兄弟がその先祖たちを解放することができる! これが原理観です。はっきりと知って、このような面を転換する伝授式が………天地が創造されて以降の恨の歴史を蹴飛ばすこのような役事を行うのです。 では皆さんが、三代になるこの息子、娘……祝福を受けた家庭は、祝福を受けてからは、絶対に堕落してはなりません。堕落するようなことになれば、どのようなことが起きるのでしょう。今までのように、真の父母が来て救うことのできる道理の時代は過ぎ去ったのです。 血筋が違ったために……、血筋を完全に転換した、三時代の先祖を代表する王権を受け継いだ、祝福することのできる大将たちとなった夫婦のその血統は、千年万年経ったとしても汚れた血筋を受け入れてはならないのです。純潔を守らなくてはなりません。 祝福家庭の三世たちは絶対に堕落してはなりません。堕落すれば、その血統にサタンが侵犯するのです。そうすれば、神様が唾を吐いて背を向けることによって、メシヤ、真の父母の立場に立つことはできなくなるのです。救いの道がなくなるのです。救いの時代は過ぎ去るのです。 三世が祝福を受けたならば、真の愛の血統を守らなければなりません。堕落した血統をつくってはならないのです。そのようなことは、神様は喜ばれません。一度、堕落すれば、救いを受けることはできません。皆さんが血統を汚せば、先祖たちが降りてきて罰を与えるようになるはずです。直ちに霊界に連れていってしまうこともあるのです。これ以上、そのようなことは許されません。 よく知らなければなりません。深刻です。「真の父母の名で許してください」このように先生に許しを請うことはできないのです。自分の先祖と自分の愛する兄弟たちを犠牲にすることなくしては、救う道理がありません。それでも、その血筋はきれいな血筋ではないため、表面をはがしてあげなければならないのです。純潔な血筋を残さなければならないというのです。深刻なのです。どんなことがあっても血統を守らなければなりません。 そのように知って、ここには霊界の先生の息子、娘である四人の兄弟姉妹、恵進嬢と三兄弟が霊界で祝福を受けて、それら家庭がすべて参加しています。真の父母のお父さん、お母さん、先祖たちもみな祝福を受けて参加し、その次に、皆さんの先祖十二代、二十四代が解放されて、総注目する立場にあるのです。真の父母による地上の祝福は、途方もない内容です。この祝福を、天地の平面基準で同等な価値を伝授するからには、真の父母が行ったすべてのことを長男である興進君が行うことができ、興進君が行うからには弟である顕進君も行うことができる、そのような時代になったのです。そして、皆さん三代になるときには、皆さんが興進君、顕進君の祝福を受けなくても、皆さんの家庭自体で祝福を行っていくそのような時になるのであるということを知らなければなりません。その時を神様は願っているのです。 そのような意味で、天地の創造主である神様も臨席して、全体が地上にきて自由自在に祝福家庭を中心として、いつでも統治、主管し、行動できる時代になるのです。恐ろしい時代になるのです。 皆さんが誤ったときには、昔は、悪魔の天使長が病気にしては薬をあげていたのです。罪を犯せば蕩減させて天側に導いたのです。しかし今後、皆さんが堕落するようなことがあっても、救ってくれる人は永遠にいません。自分の父母、自分の先祖たち、自分の兄弟が犠牲になって、肥やしの山になって育ててやるしかないのですが、相当な歳月がかかるのです。 一度引っかかってしまえば、神様は引っかかったその一族を、アダムとエバに接した以上に憎まれるのです。完成した子孫の血筋を汚した人は、アダムとエバが堕落した数百倍も汚れているという事実を知らなければなりません。 三代圏内にある祝福を受けた家庭たちは、何があろうとも堕落の悲しみを味わうような血族になってはならないということを警告するのです。 では今から、天地が共にある中でこの式を挙行します。ですから、私たちが記念の礼式を代わりに行い、そのような式を経て、「祝福移譲宣布式」を行います。これから式典を準備するプログラムを進行します。 今回、式を行うのですが、霊界と肉界です。悪魔は天上世界にはいません。祝福を受けた先祖たちが天上にぎっしりと詰まっているのです。今では、地上でも悪魔の勢力は失われつつあります。ルーシェルが降参したために、ルーシェルの手下たちの影はあるのですが……、宗教圏にいる祝福を受けた聖人たちをして三三パーセントのすべてを……祝福してあげた彼らを中心として、一〇〇パーセント祝福してあげるため……。蘇生・長成・完成まで……三三パーセントです。それは、天が干渉できる勝利の基盤を中心として祝福してあげたために、それを中心としてイエス様の失敗、国家的基準を立てられなかった失敗、その次には、アダム家庭的メシヤ圏を逆さに半田付けして修理するための転換式です。 天上世界の祝福と地上世界の祝福がこのようになっていたものが、相対的立場に立てられることによって、父母が主体なので主体である立場で息子の前に平面的に連結させるのです。真の父母が縦的に八段階を連結させて完成することができるようにしておいたものを、霊界の司令官である興進君が家庭的司令官となってこれを管理し、相対的基準を……、世界の境界線を合わせることができる時代がきたので、祝福移譲をして呼吸を合わせるのです。 このように呼吸を合わせることのできる、そのような家庭平面縦的な統一完成時代に進入するのです。先生が地上の勝利圏を霊界の勝利圏に代えて、霊界の勝利圏を地上の勝利圏に代えることができる同等な価値を宣布することによって、サタンはこの圏内に入ってくる道理はありません。 それゆえ、ルーシェルの手下たちが服従しなければ、宗教圏を中心として追い出すのです。一〇〇パーセントまで、三三、三三三パーセントですが、蘇生・長成・完成の三分の一は天の圏であるため、天の圏を中心として逆に……。イエス様と聖霊を中心として、孔子、釈迦、ソクラテスを祝福しました。それで、三三パーセントの功労のある人たちを自分たちが祝福したのです。それ以下のすべては、旧約時代・新約時代にアダム家庭、イエス様家庭の失敗を完成的立場に立ってすべての責任を負い、蕩減してあげたために、祝福を同じ立場で受けて、一つの先祖の立場を埋めて行くことができるために、縦的、横的に先祖の責任を継承することによって、どこでも祝福自由化圏を相続、伝授することのできる統一的時代が来た! アーメン! そのように知って、今、霊界の数千億の祝福を受けた人と数億の祝福を受けた人がここに霊的な基準で集まって、象徴的な幼い十六歳以下の少年時代-霊界もそのようになっています-と十六歳以上の祝福を受けた霊界がすべて連結され、相対的な圏が一つになってこの式を進行するということを知らなければなりません。 では、式順を代わりにしなさい。私たちの家庭を中心として……。「ところで、薫淑はどうしましょうか?(お母様)」薫淑! 薫淑はそこに座るように言いなさい。では、薫淑と信哲は、ここに来て立ちなさい。真ん中に来て立ちなさい。 立ち上がって、次にこの人たちはこちらにいてもかまいません。彼らを前にして敬礼して、その次には宗教の代表者たち、今まで行っていたように真ん中に代表者、霊界、肉界があれば統一的にして、それらがすべて終わったら、先生が立ち上がって祝福をしてあげなければなりません。 「では、興進様の家庭と霊界にいらっしゃる榮進様、恵進様、喜進様の家庭……」興進の家庭、榮進、喜進、三人は皆ここに参席して、真の父母の一族がすべてここにぎっしりと集まっていると考えればいいのです。韓国の歴史的な忠臣烈女たち、祝福した人々のすべてがここに参席し、聖人の一族も完全にびっしり集まっていると考えればいいのです。統一です、統一。 天地父母、天国の縦的な神様と地上国の横的な真の父母が一体となって、祝福行事の完成基準を準備したすべてが地上世界の完結と共に天上世界の完結……。天上世界の完結は、地上世界の完結のためであり、地上世界の完結は、天上世界を完結することができる、共に祝福してサタン世界を蕩減解消することができる祝福の権限を、今、天地間において対等な価値として宣布します。 真の父母が行ったことを、天上世界の興進君が行ったすべてを地上世界に直接連結して、神様を中心として頂上にあてて水を注ぐようになれば、真の父母を通じて興進君と顕進君を中心として、霊界の祝福家庭と地上の祝福家庭の統一的環境を配置したこの場で、全体が一か所に前進することができる、真の父母の勝利圏、真の長子、真の次子の勝利圏ですべての祝福を受けた家庭たちも家庭でそのような勝利圏に代替することができる一つの覇権的式を伝授するこの場であることを知るものである! アーメン、アーメン、アーメン! 敬礼式 (1)興進様の家庭が真のご父母様に敬礼 (2)霊界の榮進様、恵進様家庭、喜進様家庭、地上の顕進様をはじめとする真のご子女様、祝福二世と祝福一世、そして祖父母を代表した年長者たち全体を代表して九十六名が真のご父母様に敬礼 (3)この式典に参加した天上の聖人たち、祝福を受けた家庭をはじめとする全祝福家庭の代表と地上の全祝福家庭を代表してすべての参席者が敬礼した後、家庭盟誓の斉唱 み言 金孝南長老! 皆さんが知っていなければならないことがあります。それは、金孝南長老は個体ではないということです。興進君と大母様を中心として、そして忠母様と大兄様を中心として、先生の直系家庭とお母様の直系家庭のあらゆる家庭的な内容、この地上に真の父母の家庭が忠告し、教える、その内容を伝達してくれる一つの中間的媒介体としての役事を行っているのです。ですから、金孝南長老というときには、必ず興進君、大母様、忠母様、大兄様家庭の代表であると考えなければなりません。祝福家庭を代表した万人の女性ではありません。この人は先生の家族、直系の兄と真の父母の家庭の代役者として使っているのです。ですから、尊敬して仕えていかなければなりません。 軽挙妄動してはなりません。ここに入るときには常にそのような天と天国家庭に仕える厳粛な環境に立って、自分が立っている立場をすべて守って、天の威信と体面を失うことがない礼を実行することのできる群れにならなければなりません。 そして、今日このような式をするのは、第一次入籍特別修練会に女性たちが入籍することによって、その息子、娘に責任を持ち、その次に母と息子、娘が一つになって父を完全に悔い改めさせ、理想的な、堕落していない父母の立場を立てて、真の父母の後ろに従って、神様を宝座に侍り、天宙のすべてを喜びの心で旧約時代・新約時代・成約時代、万物と息子、娘と自分たち夫婦をすべて捧げるという、そのような立場に立たなければならないのです。 そうして、愛の実権を再び相続するその場が、初めて故郷の地を持つ出発の場であり、祖国光復の出発の場なのです。ですから、今や、この全体の歴史時代に願っていた祝福家庭たちが持ちえなかったすべてを蕩減して、初めて南北統一のこの混乱時代に責任を負い、私たちの手で祖国光復を実現しなければならないのです。国を求め、本郷の地を求めるこのような厳粛な課題をもって出征した兵士の母たちであり、息子、娘たちであるのです。ですから、これら天地のすべてが協力し、この道の完成に向かって一方通行することによって、勝利の一路、一路に前進していくためのこのような出征命令であるということを知らなければなりません。そして、兵士となって天の威信と伝統に汚点を残すそのような家庭、一世、二世、三世となることなく、霊界の先祖たちの前に恥ずかしくない、誇らしい家庭になることを天地父母は願いながら、祝福を受けた長男の興進君、顕進君、一族全体がこぞって願う場です。ゆえに、その目的達成に少しの間違いもなく、一体理想完結完成を……解放し、天地の勝利的王子王女となることができるよう願います! アーメン そのような意味で、これから先生が興進君を中心として父子一致理念と、その兄と弟を中心として顕進君が父子一致理念を中心として、祝福行事を天地で、どこでも、思いのままに行うことができる解放時代となります。ですから、天が頭となったので、頭に水を注げば、頭の先から足元まで流れるようになっています。空気は隙間さえあればすべて入り込み、太陽の光も入り込み、水も隙間があれば毛細管作用によって頂上まで上がっていくのです。 愛はそのようなものの中でも最も高貴な力を持っているため、隙間があるところには愛が訪ねて入っていき、低気圧となったところには空気が流れていくように、愛が流れ込んでいくのです。サタン世界に穴が開けられたところがあれば、愛で埋めなければなりません。そのような隙間があるところは、太陽の光と空気が通じるように、天上世界に隙間が生じたものをすべて埋めて、統一的な天の所有権を完全な物として前面に押し出すことができる責任を果たすのが祝福を受けて解放された、天国に向かった忠臣忠孝の道理……、真の孝子、孝女の勝利的家庭となるのです! アーメン! そのような内容を知って、そのような目的達成に総進軍することを願って祝福してあげるのです。 祝祷(※祝祷からは三男・文顯進氏の名は一つも聞かれませんでした。文興進様に「祝福権委譲」されていたものと思われます。) (最前列に信哲様、その後ろに薫淑様、薫淑様の左側に金老南長老、その後ろに九十六名を立たせられてから祝祷される) 天上天下の大主宰なる天のお父様、地上世界の大主宰なる横的な真のご父母様、縦的なお父様と真のご父母様が一体となって、天地父母の血統的因縁を九〇度の角度で四方に平準化したこの平面時代と立体世界、前後の世界の前に、共通的な価値を満たしても余りある愛の理想を中心として、家庭においては上下関係、夫婦においては左右関係、前後においては兄弟一体圏の愛を中心として、神様を標準として、全体的標準に相対圏を三六〇度の方向を備えて、存在価値に一元的な、全体球形的な内容に、いかなる二部分でも完全な完成の内容を備えないものはなく、地球星全体と天上世界全体となることを願われる、父の所願成就のこの日が来ました。 ですから、天国のすべての組織編成を新しく地上の真の父母の勝利的組織編成に合わせ、万民を解放的祝福で解放させたのと同様に、ここにも興進君を中心として祝福を受けたそのすべてが父と息子、娘の関係であるために、祝福を受けた家庭が今まで四十年間失敗したすべての傷があったとしても、父と息子、娘、天地父母に代わった地上の父、天上の息子が一つとなって責任を持つことができるようにしてくださいませ。そうして神様の前に、真の父母の立場に真の息子、娘の立場が連結し、祝福家庭も真の家庭的勝利の基準を伝統として受け継ぐことによって、旧約時代に蕩減に不備であった事実、新約・成約時代に不備であった事実を、今回三時代を通じる立場で、勝利の覇権者の立場で、天地父母を代表した地上の真の父母の勝利圏を天上世界の勝利圏に、真の父母の長子圏勝利、天上世界が一体化し、ご父母様の祝福圏を縦横に天宙の三六〇度の球形世界に伝授して、一体圏のどこかで祝福することは天の中心を中心として天地父母の地上・天上の完成を通じて祝福を受けた一意的基準を完全に越えて、統一的な中心の核の立場に可能な存在として立つことができる特権を与えるこの時間であるということを知っております。 地上の父母の祝福の実権行使を、天上の長子の使命を担った興進君、イエス様以下の数多くの聖人たち、数多くの氏族、解放の民族を中心とした祝福を全体の自分の一族の枝を過ぎ、葉まで導いて、地上完成の祝福基準の前に一致して、天上世界の解放的な天国完成の出動出発を宣言するこの時間であり、祝福の継代継承を伝授するこの場でありますゆえ、お父様……、喜びの心で歴史的な恨のすべてを蕩減清算してしまい、解放の喜びと勝利の栄光の賛美、喜びの太鼓の音と歌声で、天地を覆い尽くしても余りある天が「おお、私の愛、私の天国になった」と言って踊り、喜びの日が出発することができますように。そして、祝福完成完了の地上・天上天国完成の天地大道の高速道路に進行、自主的権限を自らの意によって主管することのできる特別な期間に立てた地上・天上世界へ勝利と栄光が億千万世にぎっしりと詰まった愛の純潔な血筋を通して開拓することができるように、祝福、祝福、祝福して下さいませ。 このように、権限の内容を地上にいる真の父母は、天上世界の長子の権限をもって今まで蕩減と苦労の歴史の旗手となるすべてと地上統一と天上統一に平準化する立場で、聖人と殺人鬼の兄弟の友愛に、サタン世界に汚した血を清算して、純潔な血筋を残すことができる統一的な一体一元化時代を迎えることによって、地上解放は天上解放であり、天上解放は地上解放、共に勝利の自主的な地上・天上天国として、あの天国の名が地上、あの地の名が天上の保護者と連結するようにしてくださることを切に請い願います。天地が死に行く中で、今、父子の因縁と兄弟の因縁を通じて、一体的理想祝福の幸福の天宙史的地上・天上天国の泉となって、復活の天上保護者と一体となるように、特権を許しますゆえ、お父様の思いのままに主導主管行使、前進されることを切に請い願います。 真のご父母様の御名で勝利したすべてを天上世界で神様の創造理想の名前と一体となった解放的創造圏を祝福で受け継いできた興進君の解放的祝福をご父母様が直接的に継承し、伝授の呼び掛けと宣言をこの時間にいたしますゆえ、宣言通りに、ご父母様が願うままに成就してくださいますことを願いながら、この時間、今から実践躬行する実績基準が、万天地にあふれて、あふれて、あふれ出て残るのである! 真の父母の御名で切に願いながら、勝利的な内容で報告いたします。アーメン、アーメン、アーメン! 祝祷後のみ言 では、柏手しましょう。地上世界の真の父母の勝利圏を、天上世界の長子権に代わった興進君を中心とした勝利の伝統で、一体的理想で伝授したことを宣布しますゆえ、天地の存在たちは感謝の心で永遠不滅の愛の国と愛の地上・天上天国を抱いて、あらゆる精誠、孝子・孝女・烈女・忠臣・聖人の道理、聖子の道理を果たすべし! お誓いいたします! お誓いいたします! お誓いいたします! お誓いいたします! 興進君は真の父母の望んだみ旨を受け継いで、今後その目的達成に前進全力を尽くすことを地上にいる真の父母と兄弟たちの前に宣布いたします! アーメン! 今、霊界にいる興進君が、好きに分けて食べるように言いましたから、皆さんと一緒に食べるという意味で、これをすべて分けて食べましょう。一つずつ手にして、あそこにいる人たちも、ここに栗もあり、餅もあります。少しずつちぎって食べなさい。あるいは、ここの飲み物、コーラならコーラを十人ほどで分けて飲んで、少しでも飲んだという条件を立ててから帰っていくようにしなさい。 では、さようなら。式を称賛する意味で、神聖なお祝いの食卓を配すべし! アーメン! (万歳三唱)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2023.12.08
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