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2023.05.02
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「家庭盟誓」について
1997年11月26日
第三回世界文化体育大典が開催されている期間も、お父様は毎朝六時から国家メシヤを中心として「訓読会」をされました。一九九七年十一月二十六日の「訓読会」において、お父様が語られた御言。


    完全否定

 「家庭盟誓」を暗唱しなさい。(「家庭盟誓」を暗唱する)座りなさい。統一教会にはこの「家庭盟誓」があります。「家庭盟誓」という言葉は、世界で初めて現れたのです。そこには、私たち統一教会の原理の中心的な骨子がすべて入っているのです。

 今まで宗教というものはすべて、出家を命令しました。「家を離れなさい」と言ったのです。家を離れて、いちばん下、難しい立場で修練を受けて上がっていかなければならないのです。それで、「家を離れなさい」と言ったのです。

 家を離れるということは、その国、民族、氏族、家庭、祖父、祖母、母親、父親、夫婦と別れ、その次に自分自身の体までもすべて、処断してしまわなければならないということなのです。サタンの血統を受けてきたので、それは不可避なことなのです。そのようにしながら独身生活をするのです。

 なぜ、独身生活をするのでしょうか。神様がいちばん嫌うことが、堕落した行動のように男女が一つになることなのです。ですから、道(宗教)の世界でも、これを最も醜悪なこととして取り扱ってきたのです。そのようにして天に背き本然の根から分かれたので、これを再び復帰しようとするために、仕方なくサタン世界を否定するのです。完全否定です。否定しなければなりません サタン世界の痕跡、堕落した痕跡があってはなりません。

 言い換えれば、結婚していた人が再びお嫁にいく場合、前の夫のもとで使っていたもの、その衣服一つまでも、痕跡のあるものを嫌うのです。堕落した世界でもそうなのに、本然の神様はどれくらいあきれるだろうかというのです。その姿も見たくないのです。それゆえ、独身生活をするのです。それゆえ、故郷を離れなければならず、独身生活をしなければならないというのです。

 天使的世界において、結婚はあり得ません。絶対否定しなければならないのです。そこに、意識的な構造だとか、概念的なものがあってはならないのです。土と同じでなければなりません。原資材として使い、創造した本然の状態と同じく、帰らなければなりません。絶対否定しなければなりません。絶対 堕落した人間が偽りの子孫として、偽りの国家、偽りの世界までつくってしまったのを完全に否定しなければなりません。

 それゆえ、統一教会の人たちは無原理圏内に落ちなさいというのです。原理のない、すべての存在物がない、創造する前の世界に落ちなさいというのです。ですから、完全否定です 皆さんがそこに徹底化されていなければなりません。

 では、今日、東洋人ならば東洋人自体が何かと言えば、東洋人は黄色人種です。これまで否定しなさいというのです。白人もそれを否定しなさいというのです。黒人もそれを否定しなさいというのです。自分が暮らしてきた根本を、完全に解体、無視してしまうことのできる完全否定過程を経させるためのものが、出家なのです。故郷を離れなさいというのです。

 その次に何ですか。(「独身生活です」)。独身生活をしなさい。これが今まで宗教が目指してきた主流思想です。それが今まではっきりと分かりませんでした。向こう見ずに、道を極め、精誠を捧げているのです。精誠を捧げるのは、彼らが願う教理の目的を達成するためなのです。違いますか。そうではないですか。それはすべて、中間世界で行ったり来たりするのです。方向もつかむことができません。中間なのです。雲のように行ったり来たりします。すべての価値的内容を地上世界に残すことはできません。すべて流れていってしまうのです。

 完全否定

 では、自分がどの立場まで行かなければならないのかと言えば、自分の姓を忘れてしまわなければなりません。韓国人ならば韓国人だということを忘れてしまわなければならないのです。東洋人ということを忘れてしまい、自分が黄色人種として生まれたことを忘れてしまい、「私は本然の神様の本郷の息子・娘である」という、その光を求めていかなければなりません。

 それゆえ、神様がアダム・エバを黒人としてつくったならば、黒人として行くのは問題ではないのです。白人としてつくったならば、白人の世界に行くのは問題ではありません。白、黒の闘争概念はあり得ないというのです。

 これをすべてだれがつくったのかと言えば、サタンがつくったのです。帰ることができないように、道を複雑にしたのがサタンなのです。それで、数多くの民族、数多くの血族を配置したのです。言語だけでも千六百以上になるのです。そのように分けてしまいました。統一的世界、心情一致圏を知るためには、表現方法が一致しなければなりません。さまざまな形でできていてはいけないのです。行く道は一つの方向でなければなりません。今、各国の言語を見ても、文章の構造が逆になっているではないですか。東洋、西洋が完全に逆だというのです。根本的なすべてのことを是正しなければなりません。再創造です。分かりましたか

    再創造の土台は家庭完成

 では、再創造するための、その土台の基盤が何かと言えば、家庭完成なのです。旧約時代の目的も家庭であり、新約時代の目的も家庭であり、成約時代の目的も家庭です。完成した家庭の上に、完成した氏族、完成した民族、国家、世界、そうして、地上・天上天国まで連結され、神様の解放圏が形成されるのです。このことを知らなければなりません。そのようなことをすべて知って、この「家庭盟誓」というものを制定しなければならないのです。

 その一番目が何ですか。今まで故郷を離れて独身生活をしたので、反対に行かなければならないのです。サタンを中心として偽りの父母によって血統的に汚されたものを完全に踏んで片付け、絶対神様を中心として、絶対真の父母を中心として、絶対的血統を中心として、還故郷をするのです。離れた故郷を訪ねていかなければならないのです。還故郷です。

 その次に何ですか。故郷に行って何をするのですか。(「地上天国と天上天国を創建……」)。地上天国は一人で入るのではありません。一人では入れません。地上天国と天上天国を創建するには、一人ではできません。アダム・エバ、二人が過ったので、再創造も二人がしなければならないのです。絶対的要因です。

 それゆえ、今まで歴史路程で女性たちが先頭に立って、犠牲の道を築いてきたのです。朝早く起きて、天上天国、地上天国を復帰するうえで、女性たちが先頭に立たなければならないのです。そのような意味で、エバ国家格である日本の女性たちが世界に配置され、再び出産の苦労をするのです。復帰です。

    どれだけ懸け離れたところで生きているか

 その次、二番目は何ですか。そこには、神様と真の父母が出てきます。真の父母を中心として天宙の代表的家庭……。代表的家庭は一つしかありません。二つはあり得ません。一つです。代表的家庭になり、その次は何ですか。(「中心的家庭です」)。中心です。代表的高い所、アダムの立場は高い代表です。その代表は中心になるのです。世界人類がこのように広がっていき、五十億人類を代表したその頂上で、それが、そのまま垂直に下りてくるので中心的家庭になるのです。ですから、代表の頂上と中心的な家庭である私に、全部関係しているのです。

 それゆえ、堕落した世界の今までの歴史的なすべての失敗は、私の失敗であり、復帰は私の復帰である、という概念がなければなりません。分かりましたか(「はい」)。そのように考えていますか。

 世界的代表的家庭とは何ですか。毎日の生活において、きのうと同じように習慣性を中心として、その言葉を使い、その国の行動をしているのは、代表的家庭ではありません。神様の御旨を中心として、絶対的な基準を中心として、神様と一つになるのが代表的家庭です。そのようであれば、私の家庭は、復活した神様の愛の祭壇に上がった、復活した家庭だというのです。神様の祭壇とその家庭が一つになっているのです。これはだれも裂くことはできません。絶対神様であられる主体の前に捧げる、愛のお膳と同じです。

 神様はそのような愛の対象を願うのであって、今の駄犬のように自分勝手に生きることを願わないというのです。考えてみなさい どれくらい懸け離れたところで生きているのかというのです 自分勝手に、自分の習慣のままに……。夫婦生活もそうです。限界を定めなければなりません。言葉だけでは駄目です。分かりましたか。代表的家庭になり、中心的家庭になって、家庭では何になると言いましたか。(「孝子です」)。孝子は世界史的です。

 今まで孝子という人たちは家庭で孝行したのですが、何か分からずに孝行しました。地を中心とした平面的な基準でしたのであって、天理とは関係ありません。私たちは天理を中心とした孝子を言うのです。いちばんの孝子というのは、いちばんの父母に侍る人です。それゆえ、真の父母にいちばん侍る人が、いちばんの孝子なのです。歴史的孝子の実だということを知らなければなりません。すべてが真の父母と連結されています。

 その次は何ですか。国では?(「忠臣です」)。忠臣にならなければなりません。その忠臣がいちばんの忠臣であり、その忠臣が忠誠を尽くす国がいちばんの国だというのです。その国が今ありません。孝子になることはできますが、国がありません。国は必ず家庭の上に立たなければならないのです。家庭の上にです。個人の上に国は成立することができません。夫婦の上に家庭が現れるのです。父母がいなくては、家庭が現れることができません。必ず、国は家庭の上に現れるのです。それゆえ、我々は今、国がない民族です。

 イエスが死ぬことによって、イスラエル民族を中心として四千年間、国家的に築いたものすべてを失ってしまいました。再び編成しなければならないのです。このとてつもない事実は漠然としたものではありません。具体的に連結された内容が主流思想として、その(家庭盟誓)中にあるにもかかわらず、言葉だけ、「ワワワワワ」と言っているのです。馬の耳に念仏という言葉があるではないですか。それと同じだというのです。何の話か分かりますか。(「はい」)。

    千年万年の恨みを抱いてこられた神様を解放する

 家庭では何ですか。(「孝子です」)。孝子もいちばんの孝子です。私しかいません。その父母が生死にかかわる指示をしたとしても、異議がないのです。絶対信仰です。その次は何ですか。(「絶対愛です」)。絶対愛、絶対服従です。

 神様が創造するときに、このような絶対信仰の上でつくりました。絶対愛の上で、絶対服従の上でです。絶対服従という言葉は、神様自身が完全になくなるということです。投入して忘れてしまうので、なくなるのです。無限な無の立場になるのです。絶対無の立場になれば、絶対力が介在するのです。

 高気圧が押し込まれると、それが回って上に上がります。ひっきりなしに投入すれば循環運動が起こります。何の話か分かりますか。パイプの中に、ひっきりなしに(投入)してみなさい、すべて循環して回っていくのです。無限に投入して低気圧になることによって、四方へと投入されたその力は、自然に追われて上に行き、垂直になって下りてくるのです。そうではないですか。

 それゆえ、地球もそうです。地球も磁力線があって、中央を中心としてこのように動くのです。運動の原則とはそのように始まるのです。一人では運動は始まりません。
 絶対孝子です。私しかいないのです。それが原因です。孝子、孝女が何かと言えば、原因になった父母の愛を、結果的立場で完全に相続しようということです。父母が死なずに生きた代身として、実として拡大しようというのが繁殖です。動物世界の繁殖とすべて同じです。

 その次には、絶対忠臣です。絶対信仰、絶対愛、絶対服従圏で絶対忠臣を要求するのです。絶対忠臣です。永遠に変わらない忠臣です。それが神様のモデル、型にならなければなりません。そのような標準を考えなければなりません。分かりましたか。(「はい」)。

 その次は何ですか。(「聖人です」)。聖人です。聖人は自分の民族だけを考えるのではありません。世界、人類を考えるのです。寝ても覚めても彼らは、自分の家庭や自分の国を考えるのではありません。自分の国が混乱の中にあるので、聖人の欲望が出てくるのです。腐敗したその社会で、環境と国家を越えて世界人類が塗炭の苦しみにあえいでいる姿を見て、世界人類を愛したいという心をもち世界を考えるのです。自分の家が飢え死にしていく恨みがあったとしても、周辺で飢え死にするのをさらに痛く感じることのできる心情的な紐帯から関係ができ、神様の代身となることのできる相対的立場に立つことによって、初めて聖人の立場に立ちます。

 聖子とは何ですか。(「天宙を考える……」)。それ(天宙)は天地を指すのです。天宙という言葉は統一教会の名詞です。他のところにはありません。霊界と肉界を指すのです。霊界と肉界の出発は、私たちの心の世界と体の世界に焦点が合っているのです。霊界全体は、私の心と焦点が合い連結されているのです。それは完全な絶対愛の定着地です。愛の絶対定着点は一つしかありません。

 個人の愛の定着地、家庭の愛の定着地、民族、国家、すべての愛の定着地は一つしかありません。それが何かと言えば、家庭を中心として繁殖していくのです。家庭、氏族、民族、国家、世界、ずっと行くのです。そのすべてが連結されるのが何かと言えば、家庭です。男性・女性を中心とした家庭なのです。

 この二人が一つになることのできるのは真の愛です。その真の愛は、男性・女性、二つの世界を分けることのできない力をもっているのです。そうではありませんか。これはだれも裂くことはできません。裂こうとすればするほど、根までめくれ上がってくるのです。

 そのように見るとき、絶対的な忠臣、絶対的な聖人……。聖人たちが教えてくれたすべての宗教の中で、どの宗教が中心ですか。お金を集め、人がたくさん集まっていた所ではありません。どんなに人が多いからといって、どうするのですか。真の愛がなければなりません。それゆえ、他の宗教とは違って、キリスト教だけがそのようなことを言うのです。神様の息子、絶対ひとり子という言葉、新郎、新婦という言葉、天のお父様という言葉を使うのです。



 そのような教理を教えてくれた宗教はキリスト教しかないのです。それゆえ、神様がこのような原則的な愛の中心者であられるならば、キリスト教を中心として世界化運動をせざるを得ないのです。

 それでは、神様が主にキリスト教を中心として今まで役事してきたことが何かと言えば、血統の転覆です。血統の転覆。分かりましたか。それは否定できません。

 エデンにおいて、青少年が堕落しました。今、十代の青少年、ティーンエイジャーが世界で問題になっているではないですか。ティーンエイジャーが堕落して、家庭破綻したのです。アダムの家庭を完全にサタン世界に委譲する事件が起こったのです。それにより、すべての万物がサタンの前に回っていったのです。

 所有権を神様がもっていて、アダム・エバに伝授して、所有の主人がアダム・エバにならなければならないはずなのに、逆になってしまいました。これを今、転換するのです。

 それゆえ、財閥だとか、全部が国家の法によって相続を無視することのできる時代になるのです。世界的大転換時代として、外的世界がそのようになっていくのです。共産主義は力をもって強制的に、そのことを成し遂げようとしました。これは、自然となさなければなりません。原理を知って、自然にそのように回っていかなければならないのです。

 家庭を中心として神様の前に孝子にならなければなりません。神様の前に孝行した人がいませんでした。家庭がないのですから。忠臣たる人がいませんでした。国がないのですから。聖人たる人がいませんでした。神様を代身し得る、世界を相続できる人がいなかったのです。それを希望として願ってきただけです。

 孝子になり、忠臣、聖人、聖子になるためには、神様の愛と関係を結んだ立場で、家庭の中心になり、国家の中心になり、世界の中心になり、天地の中心にならなければならないはずなのに、神様と絶対的真の愛を中心として一致することのできる(家庭の)基盤がないのです。分かりましたか。ないのです。

 今まで、忠臣というのは、サタン世界の忠臣であったのです。神様の前には忠臣がいません。そのような驚くべき神様を知り、心情から侍って、自分一身、全体をここに同化させ、孝子の姿で、千年万年の恨みを抱いてこられた神様を解放しなければならない、ご父母様を慰めなければならない、息子になろうと身悶えしなければならないというのです。分かりましたか(「はい」)。それは話だけでは駄目です。

    四大心情圏

 その次は何ですか。三番目は何ですか。創造本然の世界です。四大心情圏、三大王権です。エバが堕落することによって、子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情、四大心情圏のすべてを蹂躙してしまいました。

 女性たち、これをはっきりと知らなければなりません。それを知って、この地の万物の前に恥ずかしく思い、頭を垂れて行き来しなければなりません。

 四大心情圏を蹂躙したので、どのようにこれを復帰するのかというのです。蕩減復帰というのは、失ってしまったときの現象を中心として復帰されなければならないのです。それゆえ、終わりの日に来られる再臨主は真の夫として来られるので、すべての女性たちは自分の夫が問題ではないのです。自分の先祖、祖父を否定し、父親を否定し、夫を否定し、兄を否定しなければなりません。四代を否定しなければなりません。

 エバは子女を否定し、兄弟を否定し、夫を否定し、父親を否定しなければなりません。そのようなすべてのものを否定しなければなりません。だれがしなければならないのかというと、エバがしなければなりません。エバは今まで歴史の中で、それを一度もしませんでした。

 サタンの前に、エバがこのように引っ繰り返して無責任にしてきたので、永久にサタン世界の版図、天使長の堕落した世界で地獄に行く群れだけが残ってしまったのです。女性たちは、これを転覆させなければならないという考えを、夢にももたなかったというのです。それをすべて知らなかったから仕方がありません。これは先生の話ではありません。

 ですから、統一教会において、赤ちゃんから少年時代まで、十代の子女の時代、兄弟の時代、このように経てきたのです。兄弟というのは、兄弟同士で一つになるのではありません。夫婦になって、子供を中心として一つにならなければならないのです。兄弟圏というのはそういうことです。子女が行くべき、兄弟が行くべき、夫婦が行くべき道を行かなければならないのです。夫婦というものは愛を中心として結ばれるのです。これは東西南北、前後左右が逆になっても離すことはできません。愛とはそのようなものです。

 統一教会では、先生を中心としてすべての女性たちは先生に出会えば、自分の赤ちゃんの時の心情から生まれるのです。根の心情からあふれ出るのです。赤ちゃんの心情です。

 二人は双子として生まれたのと同じなのですが、いなければ自分の兄を捜しにいかなければならず、妹を捜しにいくのです。その二人だけが行く道です。たった二人です。
 その兄というのは、おじいさんの代身であり、父親の代身であり、夫の代身です。それが一つの感情であって、別々に離れていないのです。

 そのように慕い、一つになることによって、ここから未来の父親が生まれ、未来のおじいさんが生まれ、未来の夫が生まれ、未来の兄が生まれるのです。それが兄です。それが一つになるのです。一つの血統から出てくるのです。一つのふろしきから出てくるのと同じです。兄妹、双子と同じく創造されたアダム・エバを裂くことはできないのです。永遠に裂くことができません。

 双子は一緒に生まれるでしょう。女性・男性の双子はどうですか。顔がそっくりですか。双子はそっくりなのが原則ですが、男性・女性の双子は違っています。

 その女性はどうですか。下を眺め、男性は上を眺め、また、女性は左側に責任をもたなければならず、男性は右側に責任をもたなければなりません。また、兄妹の立場で、前後関係にそれぞれ責任をもつのです。違うのです。そして、だれが主体なのかと言えば、エバが主体ではないのです。男性が主体なので、男性に従っていかなければならないのです。私が男性なのでそう言うのではありません。天理の原則がそうなのです。

 そのようにして、何をしようというのでしょうか。この三つが一つになって家庭を形成するのですから、これを連結させることのできる愛の出発をなそうとするのです。そのため夫婦が愛し合うのです。夫婦の愛とはそのようなものです。

 夫婦の愛というのは、子女の愛の理想完成の定着地に立つのです。愛の理想完成の根を打ち込まなければなりません。その次には、子女から兄弟の愛の理想の定着です。一人ではできないのです。その次は、夫婦の愛の定着地であり、父母の愛の定着地です。それを裂くことはできません。これが四位基台です。東西南北、前後左右を通して、それは球形形態の絶対要素です。おじいさんも、家庭を統一させることのできる一員です。おじいさんも、自分の夫婦の愛よりも家庭統一を願うのです。分かりましたか。統一的基盤です。

 母親・父親も愛を中心として家庭統一を願うのです。家庭の統一的な基準とは何でしょうか。おじいさん・おばあさんも、その中心の前に標準をつくらなければならず、父親、母親もつくらなければならず、夫婦もつくらなければならず、兄弟もつくらなければなりません。その定着地が神様が定着する相関点です。この(ジェスチャーをされながら)基点です。この場で真の愛が生まれます。真の愛は、これ以外の所からは生まれません。上下、前後が一つになり、左右が一つになれば、球形的定着地の一点が生まれます。その一点を占領するのが、神様の愛の定着です。分かりましたか。そこから広がっていくのです。地上天国・天上天国は地上家庭・天上家庭、これが相対的に拡大していくのです。

 夫婦が愛するというのは、妻が乳児時代に愛したかった、触りたかった、ついていきたかったことを思い通りになすことであり、それができる対象が夫だというのです。兄弟の時、一緒に眠りたい、一緒にいたい、それを実際に永遠にできる決着点をなすのが愛だというのです。夫婦の永遠な決着点、父母の永遠な決着点が愛なのです。神様が臨在して定着することのできる場なのです。その場で相対的に、神様が上になり、下になって一つになるのです。これが大きくなっていくのです。

 横的なものをこのように圧縮して縮小させれば、縦的に上がっていくのです。これを拡大すれば下りてくるのです。

 今まではすべて、肉的に拡大すると神様がいなくなりました。外的なものを強化すると神様がいなくなったのです。それは、九十度、百八十度を中心として縮小する限界の警戒線を乗り越えたものだからです。警戒線を乗り越えれば、必ず破綻が起こります。無用のものになるのです。

 神様がつくった本然の赤ん坊の心情的愛の結実基盤が夫婦の立場であり、子女の結実基盤、兄弟の結実基盤、夫婦の結実基盤、父母の結実基盤が家庭だというのです。夫婦だというのです。その愛の中で、子女たちの愛が歌を歌い、兄弟たちの愛が歌を歌い、夫婦の愛が歌を歌い、父母の愛をほめたたえることができるのです。全体が喜ぶことのできる一つの基準になるのです。そうではありませんか。一つの家庭をなしたならば、父親を中心としておじいさんも喜び、おばあさんも喜び、夫婦も喜び、兄弟もみな喜ぶのです。

 それで、愛の基本形が崩れる日には、ガラガラと三百六十度に完全に分散してしまうのです。それゆえ、四大心情圏を考えなければならないのです。言葉だけではありません。

    三大王権

 その次は何ですか。(「三大王権です」)。三大王権とは何ですか。霊界と肉界、未来がありません。一代が神様であり、二代がアダム・エバですが、三代をもてませんでした。四位基台を築けなかったのです。それゆえ、中心がありません。軸がなくなりました。中心がなく、四方へと回っていくのです。未来(子孫)が自分勝手に、ばらばらになるのです。垂直線がないのです。それが堕落です。三代を継続させられなかったことが堕落です。あなたたちはそれを知らなければなりません。三代の継続です。

 それゆえ、父親の愛よりもおじいさんの愛が先にありました。アダムを愛する神様は二代を愛しましたが、三代を愛せませんでした。四位基台というのはそうではありませんか。二代が大きくなるのです。アダム・エバが大きくなって、一つになるのです。このように大きくなって一つになるのです。ここまで来たとき、アダム・エバはどこに行くべきなのかというと、愛を求めていくのです。これが垂直です。九十度です。垂直線に来て、一つにならなければなりません。公平です。男性、女性がここに行き、出会うのです。

 そこで出会うということが、幼い赤ん坊の愛の結実であり、兄弟の愛の結実であり、夫婦の愛の結実であり、男性・女性の愛の結実であり、すべての未来の愛の結実なのです。過去の愛の基地、現在の愛の基地、未来の愛の基地だというのです。分かりましたか。

 ですから、その愛の基地に立つことのできる孫というのは、神様の愛も受けなければならず、その次には父母の愛も受けなければならず、その次には子女たちの愛も受けなければならないのです。ここに三対象理想を中心とした十二数が現れるのです。天地の度数がそのように解かれていくのです。分かりましたか。(「はい」)。

 三大王権とは何ですか。おじいさんに天の国の大使として侍らなければなりません。天の国の王です。父親はこの世界の王です。天上・地上世界の王です。その二つの世界の王圏を引き継がなければならないのが、孫なのです。孫は愛をもって引き継ぐのですが、父親の愛も受けると同時に、おじいさんの愛も受けるのです。そうして、父親とおじいさん、地上と天上世界の愛を受けることによって、未来の王圏が出発するのです。

 ですから、これは自分勝手にできません。おじいさんの度数に合わせなければならず、父親の度数に合わせなければならないのです。垂直的な段階になるのです。絶対的な伝統を引き継ぐことによって、三代が結束することを知らなければなりません。分かりましたか(「はい」)。それは原則です。

 神様と真の父母を中心として三代圏に侍ったことを知らなければなりません。ところが、この者たち、すべてが自分勝手です 神様の愛を受けなければならず、父母の愛を受けなければなりません。二つの愛を受けてこそ、初めて三大王権時代が来るのです。平面的にそれが結実されているので、種としてどこにもって行って植えたとしても、このような三大王権が国民的国家形態のすべてのものに、同一な価値圏が形成されるのです。はっきりと分かりましたか。(「はい」)。そのようなことをすべて理解して話さなければなりません。

   皇族圏

 その次は何ですか。(「皇族圏です」)。皇族圏とは何ですか。今、問題は何でしょうか。先に生まれた兄がいます。先に受けた間違った愛の種が残っているのです。これを否定するようになれば、人類自体を否定しなければなりません。そこにだれが引っかかるのかといえば、天使長も引っかかり、アダムが引っかかるのです。二人とも引っかかっています。二人とも否定するので、天地を破壊しなければならないのです。創造を完全に無の状態へと、呪いとともに破壊してしまわなければならないのです。とてつもない事実です。

 ですから、先に生まれたお兄さんを収拾せずしては、弟として生まれた人は、生きる道がなく、行く道がありません。神様は避けることができないのです。では、どのようにこれを収拾するのでしょうか。サタン世界以上の愛をもって収拾してこそ、サタンが自然屈服するのです。分かりましたか。サタンが自然屈服します。相対的立場で決闘して屈服させてはいけないのです。自然屈服するようになれば、サタンの愛以上の愛をもった主人が現れて、それを消化できる道があるのです。サタン世界で対峙的愛の力で屈服させては、天国だ、復帰だ、という言葉が成立しないのです。それゆえ、弟を犠牲にするのです。

 アベルの天の側が犠牲になって、三時代の迫害を受けるのです。殺され、強奪し、ありとあらゆることをするのです。後には、愛までも強奪してしまうのです。それがフリーセックス時代まで来ました。父親が娘の愛を強カンし、母親の愛を娘が奪い、ありとあらゆることが起こります。近シン相姦関係が問題になるのです。混乱状態になるのです。全面的な蕩減復帰をするためには、そのようなところに行かなければ復帰できないのです。分かりましたか。

 「皇族圏」と言うならば、このすべてのカイン世界を解消しなければ、自分が生きる道がないのです。ですから、神様も仕方なく、数千万年の長い歳月、創造以後、アダム家庭一つを取り戻すために、今まで苦労してきました。

 完成したアダムになれるように、先生が今解説していますが、その場に行ける自分自身を発見する時まで、形成する時までが、どれくらい大変でしょうか。神様が苦労した以上に苦労しなければならないのです。この者たち、分かりましたか(「はい」)。皇族圏です。このカイン圏を消化せずしては帰る道がありません。

 生まれてみると一人でしたが、アベルとして立ってみると、尻尾にカイン世界すべてがぶら下がっています。これを乗り越えることのできる立場にアダムを立てようとするので、今日、第二次世界大戦以後、英・米・仏を中心として、英国はエバ国家であり、アメリカはアベル国家であり、フランスは天使長国家です。それらを中心としてメシヤを迎えるようにしたのですが、メシヤが来てみると、こぶがぶら下がっていたのです。

 堕落していない本然の順理的愛に触れるはずであったのに、逆理的な愛において、複雑な基準になったのです。逆理的な環境で、和平的な順理的な家庭を求めていかなければならなかったのです。そのような逆説的な道理の世界を歩んできた神様であることを知らなければなりません。先生を知らなければなりません。自然屈服させなければなりません。

 先生が復讐をしようとすれば、すべて復讐したというのです。すべて、一人残らず復讐してしまいました。このことを知ったので、悔しくても耐えていかなければならないのです。私がどんなに悔しくても、神様の悔しさよりも劣るというのです。

 サタン世界、僕の世界が、王として侍るべきその方を前に、讒訴し、「あなたの娘は私のものです。あなたの息子・娘は私の息子・娘です」と言っているのです。あぜんとするでしょう。考えてみなさい。あなたたちがそのような立場に立っていると考えてみなさい。

 それは、何かの例え話でしょうか。事実がそうだというのです。その目を見ると、サタンの目です。全部、自分のことだけ考えています。公的な神様の目と反対の立場で神様を否定し、逆説的な結果の立場で神様に対してきたというのです。後には、「神様は死んだ」とまで言うのです。そのような観点で見るその目が、「神様が死んだ」と言う時が終わりの日です。分かりましたか 皇族圏です。

    死なんとする者は生きる

 あなたたちは何の責任をもちましたか。国を越えて、日本が怨讐なのに、日本を愛しなさいというのですか。北米と南米を愛せというのですか。南米と北米は怨讐関係です。一つは天主教(カトリック)国家であり、一つは新教国家です。お互いに怨讐です。殺し合ってきたのです。これを自然に一つにしようというのですか。そうするためには犠牲になるしかありません。一から十、百までです。三代にわたり犠牲の道理を歩まなければなりません。これが神様のアルパとオメガです。

 だんだんと大きくなっていけば、さらに大きな犠牲が必要です。個人的犠牲よりも、家庭、氏族、民族、国家へと行けば行くほど、さらに大きな犠牲が必要なのです。それで、自分自体を中心として四大心情圏を築かなければならず、三大王権を中心として自然屈服させた土台の上に、アルパとオメガが(一つの)圏として設定されなければ、自分が解放的本然の世界へと帰る道はないというのです。確かですか。(「はい」)。理論的にそうです。そのことを知らなければなりません。

 自分が世界の前に何をしたのかというのです。泥棒しようと何をしたのかというのです。国で泥棒し、おなかが空けば自分のことを考えたのです。飢えながらも、国の国民と世界を考えなければならないのです。困難な家では、母親が飢えたとしても徹夜しながらその子供たちを食べさせてやるのです。そのような心をもたなければならないというのです。そのように生きましたか

 原理はあなたたちの原理ではありません。神様の原理であり、先生の原理です。その原理を伝授するためには、原理に該当する相対的実体を形成しなければならないのです。相対的、環境的、心的態度、生活的な態度、行動的な結実を求めていかなければならないのであって、自分勝手に生きますか 地上天国、天上天国を成し遂げようと考えずに、自分のことを考えるのですか。先生を忘れるなというのです。種を植えたなら自分が育てなければなりません。それが統一教会の鉄則です。

 かつて大統領の選挙の時、国からお金をもってきて、使いなさいと言ってももらいませんでした。自分が行く道に、サタンの血族と共にしたという痕跡を残したくないのです。

 あなたたちに相談もしません。今日、統一教会のだれにも一言も相談しません。いつでも先頭に立ってきました。その通りですか、その通りではありませんか。(「その通りです」)。それを考えなければなりません。

 先生は徹底しているのです。飛ぶ矢です。放たれた矢です。愛の矢です。天の心情に向かっていくのです。鉄であれ、困難であれ、どんなに混乱の中にいたとしても、私の行くべき道は、標的に向かって直行です。一瞬でも失うことはできません。深刻だというのです。どれくらい深刻でしたか。

 あなたたちは八段階蕩減復帰というものと、どのような関係をもちましたか。皆さんは先生の服と同じでなければなりません。先生のベルトになるとか、靴下になるとか、どこか一つにくっ付いて、従っていく立場に立たなければならないのです。死んでも、生きても、そうでなければなりません。死ぬといって放っておいては、自分が永久に死んでしまいます。ですから、死なんとする者は、何ですか?(「生き」)。生き。生きんとする者は?(「死なん」)。死になさい 否定しなければなりません 否定できなければ死んでしまうのです。

 さあ、四大心情圏、三大王権です。その次は何ですか。(「皇族圏です」)。自分が振り向こうとしても、振り向けないのです。ご父母様がすべて教えてあげるのです。家庭が帰ることのできる環境を残しているのです。それがやさしいことですか。そのことゆえにサタン世界で悪口を言われました。他人の子供たちを自分の娘以上に愛したのです。世の中の母親、父親ができないことを私がするのです。それで、一つになったのです。何のためにですか。愛のためにです。自分の永遠な生命のためにです。愛によって、永遠なる生命が芽生えてくるのです。生命が成長していることが分かれば、どんなに難しかったとしても、それを克服できるのです。

 統一教会の受難の道、迫害の道に疲れたこの者たちすべてを、今後、炭の穴の火で焼いて、鷲の餌にしなければならないというのです。私が復讐しようとすれば、一人も残すことはできません。先生は恐ろしい人です。つまらない人ではありません。徹底した人です。分かりましたか、何の話か

 三大王権と、その次に何ですか。(「皇族圏です」)。あなたたちがすべて取り戻さなければなりません。できないので、ご父母様が取り戻して正すのです。偽りの父母がしたので、真のご父母様が取り戻さなければならないのです。それを相続して、この群れを全部集めて、全部ここで、一人も八段階を越えられない立場から、越えていけるようにしてあげたのです。それもできなければすべて死ななければなりません。

 それが自分の包みになっては駄目なのです。個性を否定し、純粋な本然の原資材となり、再創造される立場にならなければならないのです。土の塊にならなければなりません。

    「家庭盟誓」と比較して自分自身を評価

 そして、四番目が何ですか。(「神様の創造理想である天宙大家族を形成して……」)。神様の創造理想である天宙大家族です。そのようになったので、家庭をもつことができるのです。世界的家庭が形成されなければなりません。それを整理して暗記しなければなりません。一つも外すことはできません。七つをすべて関与させて考えなければならないのです。

 「家庭盟誓」を暗記しながら、妻を考え、息子・娘を考え、子女の血統を考えざるを得ません。それゆえ、考えるときも必ず「家庭盟誓」と比較して自分自身を評価すれば、自分が何点だということがすべて分かるのです。創造理想です。ようやく、世界大家族です。すべて兄弟です。

 ここは、遠いほど価値があるのです。遠いほど歴史的なあらゆる神様の苦労と先祖たちの血統がもつれています。遠いほど先祖たちの血統が合わさった数が多いです。遠いほど先祖が多くなるのです。ですから、先祖たちの血統を加えたものが自分たちよりも多いというのです。ですから、世界を考えなければならないのです。

 このようなことを考えることによって、先祖たちと共に生き、先祖たちを愛したという立場に立つので、地上に生きていた人が天上天国に行き、その先祖たちと共に生きることができるというのです。また、彼らも会いたく思い、私たちも彼らと共に生きることを願うのです。ですから、大家族理想圏で訓練を受けなければなりませんか、受けるべきではありませんか。(「受けなければなりません」)。受けなければならないでしょう。(「はい」)。

 四番目が何ですか。真の愛を中心として?(「神様の創造理想である天宙大家族を形成して」)。天宙大家族です。あの国(霊界)は大家族です。あの国で必要ないのが衣食住です。あの国に行けば食品工場がありません。自動車工場がありません。花畑です。すべて自然の美しさそのものです。動物、植物、昆虫たちが愛の曲に合わせて踊りを踊り、歌い、楽しく話し、花は香りを漂わせ、鳥たちは歌を香りのように、人々は愛を香りのように放つのです。人がいなくては和動できないのです。

 愛によって解放され、町全体が祝宴を開けば、喜んで訪ねてきます。そうでしょう。町のどこかの祝宴をする家に行って祝賀したとしても、喜んで祝賀するのです。愛の場所に落ち着くことができなければ、すべての長い間の苦労が一瞬にして水泡に帰してしまうのです。分かりましたか。

    追いやられることを願う

 五番は何ですか。(「毎日、主体的天上世界」)。天地を考えなければなりません。地上だけではありません。毎日、毎時間です。毎日、考えますか。毎時間、考えますか。毎分、考えますか。毎秒、考えますか。(「毎秒、考えます」)。今、世界は秒時間時代に入りつつあるのです。広いこの世界が一時間圏ではありません。一日圏ではありません。分・秒圏内に入ってきました。このように一秒、「カチッ」という時、世界すべてが通じ得る時に来たのです。

 外的世界はそれに合わせるのです。毎日、主体的天上世界……。天上世界が主体です。その世界に合わせなければなりません。そこは神様の心情世界です。神様を中心とした心情の世界に合わせなければならないのです。個人ではありません。家族、氏族すべて、自分の環境的与件を合わせなければならないのです。

 その次は、対象的?(「地上世界です」)。地上世界の何ですか?(「統一に向かって」)。統一といっても、統一自体で終わるのではありません。統一に向かって?(「前進的発展」)。前進的に行くのです。その次は何ですか。(「促進化することを」)。叩きなさいということです。そうしなければ、その度数を合わせることができません。その言葉がいたずらに出てきたのではありません。「家庭盟誓」は、永遠の天国まで通じ得る内容をすべて備えなければならないのです。

 毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって……。統一して、前進的発展です。前進するのですが、前進的発展を促進化するのです。休まずに叩いて追いやるのです。そのような意味です。

 祝福も、統一に向かって前進的後退を促進化するつもりですか。(「発展を促進化します」)。叩いて追いやりなさいというのです。なぜでしょうか。行くべき道が遠いです。叩いて追いやるべきですか、放っておくべきですか。(「叩いて追いやらなければなりません」)。

 そのように追わなければならないという人、手を挙げてみなさい。頭では分かりましたね。そのように追われることを願う人、手を挙げてみなさい。一人もいないでしょう。仕方なく手を挙げたでしょう。追われることを願わなければなりません。

 更けていく夜が私を追いやり、遊び場が私を追いやり、職場が私を追いやることを願うのです。万物全体が自分を追いやってくれることを願わなければならないというのです。そうしてこそ、解放されるのです。深刻です。分かりましたか(「はい」)。

 「家庭盟誓」は雲のように浮かぶものではありません。皆さんの心の世界で、これを黄金の柱のように考えなければなりません。

 あなたたち、先生の写真だけ見ても頭を下げますか。(「はい」)。なぜですか。先生は世の中で知らない話をして、あなたたちに「そのペースに合わせなさい」と言うのです。愚鈍なので分からずに行ってみると、事実であると分かったでしょう。すべてうその話ですか。そうではありません。

 そうして従ってきて、損をしましたか、得をしましたか。どんな得をしましたか。(「さまざまな側面でたくさんあります」)。得をしたならば恩返しをしなさいというのです。私に恩返ししないで、民族と世界のために返しなさいというのです。それで、得をさせたのです。自分のために得をさせたのではありません。私はそれを必要としません。あなたたちの協助は必要ありません。先生から得たものを世界に報いなさいというのです。先生のような立場で、自分の息子・娘に恵みを与えなさいというのです。

    天運が動かす

 その次、六番は何ですか。真の愛を中心として?(「神様と真のご父母様の代身家庭として」)。神様と真のご父母様の代身家庭です。代身家庭になりなさいと、そう言っているではないですか。促進して、何をしようというのですか。代身家庭です。神様の復帰摂理全体に責任をもってこられたご父母様の代身家庭なのです。町に行けば、町の先祖の先祖です。ですから、先祖になり、おじいさんになり、全部、面倒を見てあげなければなりません。

 代身家庭として何ですか。(「天運を動かす家庭になり」)。先生が今、天運を動かしていますか、動かしていませんか。天運が先生についてくるのです。私が「嫌だ」と言っても、ついてくるようになっています。創造原則、創造理想的な内容の核がそうなので、そのように行くようになるのです。それを否定して、神様が行く道がどこにありますか。

 代身家庭として?(「天運を動かす家庭になり」)。天運がついてきますか、ついてきませんか。(「ついてきます」)。考えてみなさい。三百六十万双をできないと言ったのに……。見上げても見えなかったでしょう。先生が霊界と共に非常対策を取ってきたのです。先生と対等な祝福の権限を付与して、霊界から先祖たちがすべて協助できる因縁を開いておいたのです。祝福平準化です。

 ですから、先生が言ったことを、やってできませんでしたか、できましたか。(「できました」)。夢のような話です。夢のような話ですが、だれが動かしましたか。先生が動かしましたか、天運が動かしましたか。(「天運が動かしました」)。

 振り返ってみると、天下がすべてなくなり、前をふさぐものがないのです。天運とはそのようなものです。四方に三百六十度回るのですが、障害物がなくなるのです。頂上がそれです。頂上に登れば障害物がないでしょう。その立場に登り、立つのです。

 そのような神様の創造の心情を中心として、神様以外の第一人者の立場で全部見回るのです。かわいそうな人がいれば、お金があればすべて与えたい心が生まれなければなりません。自分の手を切って与え、自分の足を切って与えたい心が生まれなければならないのです。「自分一人が犠牲になり、十人のために橋を架けなければならない」と思える心が先立たなければならないのです。

 神様が創造した本然のエデンの園に残したすべての植物、傑作品、そこに保管されたものを無料でもらったので、私が主人たる真の父母として、エデンの園ですべて失ってしまったものを再び収拾して、種の絶滅を防止しなければならないという責任を背負ったのです。ですから、天地がすべてくっ付いて回るのです。そのように考えて行き来するのです。

 ですから、船に乗っても速い船に乗るのです。魚を捕まえても大きいものを捕まえるのです。そうしてこそ、すべての中心が決定されるのです。大きいものの前についていき、大きいものを立てて中心にしようとするのが、人間の欲望ではないですか。万物の欲望も同じです。大きな中心存在と一つになろうとするのは、愛の世界の本質です。そのような立場で万物を愛し、抱こうという、父母の心情をもって愛するのです。

 それで、そのことを今、ジャルデンでしているのです。水上を中心として餌を与えるにも、鐘をカンカンと打つとか、ボタンさえ押せばカンカンと音が出るようにして、餌を与えるのです。そうして、喜んで食べるようになれば、その出す音を聞いて入ってきて、もらって食べるのです。信号を出しておいて、魚たちを全部一所に集めて、開放的エデンの園をつくろうというのです。今、そのようにしているというのです。

 最近、イノシシも入ってきて、犬と友達になっています。犬と猿が一つの場所で寝るのです。犬猿の仲と言いますが、一つの場所で寝ます。いなければ探しに行ったりするというのです。そのようなことが起きています。

 私が一昨日も話したでしょう。カナダのカウ(乳牛)がいます。そのカウは草を食べます。本当に統率がよくとれています。その隊長が「立ち上がれ」と言えば、瞬時に立ち上がります。統一教会の教会員よりも優れています。(笑い)叫べば、サッと間違いなく後ろについてきます。「ああ、人間が主人に侍ることを、あのような動物を通して、自然的環境を通して、すべて教えてくださるのだ。教材でいっぱいに満ちているなあ」と考えたのです。

 餌を与える時、口笛を吹くのです。全く同じように私が十回しても、一頭も動かないのに、育てる人がヒュヒュヒューと吹くと、全部動いたのです。人よりも優れています。ああ、絶対服従が感じられました。統一教会の教会員で、そのような人が一人でもいますか。統一教会員、千人、万人いても、そのような人はいません。

 そのような牛を捕まえて食べるというのですか。捕まえて食べようとするなら、お願いして食べなくてはなりません。熱心にお願いして、「そうですか。食べてもいいです」と承諾をもらって食べれば、天地の和動が起こるのです。そのような生活を地上でしてこそ、神様の息子・娘の資格があるのです。どうですか そのようにしますか、しませんか。(「します」)。やってみなさい。

 八十になり、七十になり、五十を越えた者たちがこのような話を聞いて、恥ずかしいと思わないのですから、人がすべきことをいつ果たすのですか。恥を知らなければなりません。

 真のご父母様の代身家庭として天運を動かす家庭になり、その次は?(「天の祝福を周辺に連結させる」)。あなたたちが天運を動かし、あなたたちも幸せに暮らし、周囲の環境も幸せに暮らし、世界も幸せに暮らせるようにしなさいというのです。

 その次(七番目)は何ですか。(「本然の血統と連結された心情文化世界を」)。
 堕落しなかった本然の愛によって、絶対神様を中心として、千年、万年、誇る環境をなして、その血統と伝統を遵守して、永遠、不変、万世の解放圏をなしてさしあげますということです。

    統一教会の骨髄全体を注入

 さあ、そのようにすれば天国に行けるでしょうか、行けないでしょうか。(「行けます」)。神様がガツンと打つでしょうか、打たないでしょうか。(「打ちません」)。皆、そのように考えてみましたか。言葉だけ、ワワワワと叫んでいます。そのような意味を理解しなさいというのです。

 先生が盟誓文をつくるときに祈祷したでしょうか、しなかったでしょうか。統一教会の骨髄全体を注入して書かなければならないのです。一言誤れば、天下がゆがんでしまうのです。天地に傷ができます。

 じっくりと考えれば、原理を知っている人は感服するのです。このように計画的であり、秩序的であり、科学的です。論理的基準にもすべて合うのです。妄想からできていますか。よくできていますか、よくできていませんか。(「よくできています」)。どれくらいよくできていますか。神様くらいよくできています。神様もその盟誓文を聞いて、気分が良かったでしょうか、悪かったでしょうか。(「良かったと思います」)。

 歴史の根は何ですか。世界家庭定着ではないですか。平和世界ではないですか。万民解放定着、神様の血族をなして、千年、万年、天国に直行できる後孫たちをもち、アダム世界で失敗したものを復帰して、自分によって天国を再び立てるのです。

 いちばん最後の七節は何かと言えば、本然の血統と連結された心情文化世界を……。愛の世界、天国が築かれていくのです。それが私たちの願いではないですか。きれいな血統をもって、神様に直行できる後孫を残すのです。千年後にも汚れのない、傷のない完全な収穫がなされ、万年後にも完全な収穫がなされるようにです。天の祝宴に自分の血族を立て、祝宴の材料、称賛の材料、歌の材料、すべての喜怒哀楽の材料にします。それが息子・娘たる、愛の対象たる者の資格ではないですか。アーメン(「アーメン」)。

 きょう初めて、私が「家庭盟誓」の解説をしました。はっきりと話してあげなさいというのです。その場に同参するには、ご父母様がこの盟誓を考えるその環境圏内で、私がつかんで生きるのです。飛行機の翼でもつかんで放さなければ、その目的地に行きますか、行きませんか。(「行きます」)。すべて同じだというのです。

 私がアメリカに来て五十州を巡回講演しながら、四日間ずつ集会をしました。「アメリカに対する神の希望」というものです。これは皆さんが世界活動で行うべき内容です。キリスト教をすべて教化しなければならない内容です。読みなさい。
 (「アメリカに対する神の希望」を拝読する)



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2023.05.02 22:17:24
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