奇   知   外   記

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2023.05.29
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第三十九回「真の父母の日」敬礼式後の御言

1998年3月28日
漢南国際研修院
敬礼式の後、お父様は韓国語で御言を語られました。


  サタンの目的は神様の御旨を破壊すること

 今年の標語は何ですか? (「真の神様を絶対的に誇り愛することは、三億六千万双の祝福完成とサタン世界の血統断切」)。

 それを毎日のように暗唱し、祈祷する心をもっていますか? 深刻な問題です。習慣的な標語だとか宣言ではありません。これは決定的で、宿命的な宣布なのです。宿命的なことは、だれも変更することができません。

 これは三年路程を越えていくのです。三千六百万双を越えて三億六千万双を越えていくのに、家庭を中心としてすべての家庭がこれを目標としなければなりません。これをなさなければ霊界にいる家庭がすべて怨讐になり、氏族怨讐、民族怨讐、国家怨讐、教派の怨讐、思想の怨讐、地上で願うすべてが怨讐で終わるのです。怨讐として分裂するのです。完全に破壊と分裂の世界化時代になるのです。

 縦的、横的、霊界と肉界、サタン世界を中心とした地上地獄が、すべて一つになって、神様を完全に追放することができる破壊的な現象が起きるのです。その中心が家庭です。家庭をおいて見たとき、霊界に祖父母がいて、父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、すべてのものが完全に破壊されるのです。

 家庭自体でおじいさんを認めることができず、父母を認めることができず、夫婦がお互いを認めることができず、子女を認めることができず、完全に分裂してしまいました。それだけでなく、それに先んじて、一族、親戚とか民族とか、国家という観念がないのです。

 アメリカのような民主世界が、世界的なキリスト教文化圏を中心にして代表的な位置にあります。そのキリスト教文化圏、内的な思想の前に、世界の国が連結されているのですが、すべてイエスと相反する紛争の歴史になっているのです。

 それから、アメリカにいるすべての若者たちは、天地を知りません。天があるのか、地があるのか知りません。天地が分かりません。世界を失ってしまいました。世界を失い、自分の国を失い、国家の中心にならなくてはならない民族を失って、民族の中心になるべき家庭を失い、家庭の中心になるべき個人もすべて失ってしまいました。

 神様の創造理想をめちゃくちゃにしてしまいました。だれが? サタンが。サタンの目的は何かと言うと、完全に神様の御旨を破壊することです。人間が神様の懐に帰ることのできないように、環境的与件を、サタンが思うままにすべてつくってしまったのです。最後には性解放までです。その次には、男性が男性と結婚するのです。ホモ、レズビアン。嘆かわしい。それは動物の中にもありません。

 神様が環境を創造されましたが、その環境には必ず主体と対象があります。それがどんな種類であっても、雄と雌になっています。そのようになっているのは愛のためです。細菌までも、すべて雄と雌になっているというのです。三百倍にしなければ見ることのできない細菌まで、すべて雄と雌になっているのです。その雄と雌という観念が、この地上に定着するその目的はどこにあるのでしょうか? 一つになるのは何を中心にしてでしょうか? 愛だというのです。それゆえ、神様が創造をされた環境には、必ず主体と対象があるのです。主体と対象が生じたのは、その時だけあってなくなるものではありません。神様の創造理想的存在が存続する限り、その主体・対象の概念は解消されてはいけないのです。

 絶対的な中心と合わさらなければならないのです。しかし、雄と雌が一つになるための絶対的愛を中心として連結されたその位置で、神様の愛の橋を通して、小さなものから万物の霊長に至るまで、天の国まで連結しようとする愛のすべてが、みんな切れてしまったのです。そうすることができる男性・女性、男性・女性の体と心がすべて分けられたというのです。

  宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい

 二世の者たちを考えてみなさい。統一教会で一世は完全に失敗です。失敗したのです。二世を通して、これをすべて復帰しようというのです。「お父さん、お母さんは御旨を中心にして責任完遂をしたのですか」という責任追及をしなければならない時代が来たというのです。

 先生の行く道が、こんな統一家の現在の生活ですか。こんな生活が、望ましい生活であり、真の父母が望む生活であり、その後代、後孫が望む生活ですか? 違うというのです。本質的に間違ったというのです。

 そんな関係を中心にして、ご父母様と真の息子・娘の家庭の位置の関係の上に、その家庭と国家と世界が土台を築いて上がることができるのかというのです。

 皆さんの個体の上に、この宇宙全体の相対理想的真の愛を中心として、主体・対象が一つになった家庭から、氏族、民族、国家の系列全体が連結されて、自分もその愛の基盤の上に立つことができますか? それをもちこたえて平均基準を立てて、その上に立つことができますか? 話にもならないというのです。まず、心と体が問題です。体と心が一つにならなくては天国に行けません。家庭でけんかをし、自分勝手に遊んではいけません。

 皆さんに先生が教えました。家庭で神様の創造理想の本質的なすべての愛の理想を中心に為に生きなさいというのです。為に生きる、という心情を中心にして一つになっていますか? 体と心を中心にして、体が心のために生きなくてはなりません。ところが、そのように生きられないでいます。幾重にもなっています。男性、女性も同じことです。このようなことが原則的原理観にあって一致しない、不一致環境を、いつ自分自身が解消するのですか。

 先生が最も苦悩したのが、そのことです。「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」というのはどういうことですか? 体と心をどうやって一つにするのかということです。ご飯を食べたら変わってしまいます。ご飯を食べることを否定しなくてはなりません。その次に、男性、女性は情的問題において寝れば変わってしまいます。変わる可能性があるものを肯定してはいけません。否定しなければならないのです。

 それから皆さん、体と心が一つになれない存在は天が同行することができません。直行することができません。コンパスを見れば、南北を通して行く道が永遠不変な方向をぴったりと備わるのです。そこで少しでも傾けば、イエスかノーが決定するのです。このような厳格な生涯全体を整備して、自分の体と心を中心にして行く方向、行こうと願う方向が、神様の創造本性と一致しなくてはなりません。それが神様が願うすべてです。男性と女性が分けられて、ここに来て一つになるその愛の基準は、神様の心情的な出発基地と一体線上になければならないのです。歴史的方向は変わってはいけません。その方向性を中心として、皆さんの人格、家庭、すべてのことを批判するようになっているのです。これは遊びではありません。

 そのような訓練をして、邪悪な環境世界で、自分が左に何度、右に何度、西に何度、南に何度、これを知らなければなりません。知って調整しなければならないのです。
 何がこのようにつくってしまったのでしょうか? 神様がつくられたのではありません。サタンの愛を中心にしてまかれた血統的機能を通して、体と心に、血肉すべてが絡み合うようになったのです。

 それゆえ、いつも自分を中心とした、外的なことを中心とした欲望の前に、全部引きずられる良心の不祥事。この良心が何かといえば、良心は父母よりも先を行きます。良心の起源は、自分の父母が生まれる前からあるのです。良心は公平なものです。過去の人であれ、現在の人であれ、体が間違った方向に行こうとしたら、必ず忠告するようになっています。これは鉄則です。それはだれが教えたものでもありません。神様が永存する限り、永存する力が自動的にそのような方向を提示しているという事実。

 その力をどれくらい否定する自分になっているのか? 四十年信じたといって、どうなのですか? 「御旨のために行こう」と出発したのですが、回ってどこに行くのかというと、自己に行き、結末をつけるのです。回って来て、神様の前に結末をつけ、個人復帰、家庭復帰、氏族復帰と、だんだんだんだん、もっと大きな循環の道を経て、八段階の十字架の峠を越えなければならないのです。ところが、自己を中心にして主張し、自分たちが口を開き、自分たちの目で見ているのです。五官に通じるこの目を引き抜いてしまい、口を裂いてしまい、五官を全部滅亡させなければならないのです。

 毎日鏡を見るでしょう。鏡を見ない人、手を挙げてみなさい。鏡を見る人、手を挙げてみなさい。その目は二つになっています。耳も二つになっています。二つだけではありません。一千万種です。言い換えれば、三六〇度というのは、中心を中心にして連結した角度を言うのであって、中心のない三六〇度に何の意味がありますか? 三六〇度がなければ、新しく編成するために、一度、二度でも正常に合わせることができなければならないのですが、中心をなくした三六〇度を何に使うというのですか? 何の役にも立たないのです。

  絶対信仰をもって絶対愛の相対を探す

 御旨の道を発展させるのに、もっと大きな十字架の道を行くようになっているのです。個人蕩減復帰、それは言葉だけではありません。個人蕩減復帰は、体と心が一つにならなければならないのです。家庭蕩減復帰は、妻と夫が一つにならなくてはなりません。氏族蕩減復帰は、氏族が一つにならなくてはなりません。民族が一つになっていないのに、民族蕩減復帰がありますか? ですから、すべてを引き裂くようになっています。二つに引き裂くようになっているのです。

 今日、堕落した愛を中心にして生まれ、悪の血になっているので、自己がなくなるまで、その出発の起源を否定することができないのです。出発から永遠の世界まで、そのような途方もない怨讐の因縁を結んでいるという事実を知らなかったのです。

 復帰というのは、堕落をはっきりと知らなければなりません。堕落したその環境においての心情圏が、どれほど深刻でしょうか? それに比例した基準を中心にして、サタン世界を越えなければならないのです。

 天の国に行き、天宙を創造された全知全能の神様の前に立つことができる自身にならなければなりません。そのような自信をもった息子だと考え、娘だと考えることができますか? 家庭だと考えることができますか? 話にもならないというのです。否定しなさい! 否定しなさい! 否定しなさい。

 先生の個人的蕩減路程、家庭的な蕩減路程、国家的蕩減路程、世界的蕩減路程についてきた者たち、どれぐらいいますか! 結局、先生が祝福家庭を呪わなければならない時が来ました。 個人的十字架、家庭的十字架、国家的十字架、すべてを先生に任せて……。先生が世界的使命を果たせば、統一教会の祝福を受けた家庭は、国家的責任を果たさなければならないのです。それが御旨です。原理がそのように教えているでしょう。不孝者は孝者が分かりません。孝者の道がどれほど大変な道かが分からないのです。

 世界は目の前に近づいて来ているのです。その世界を私が抱いて、その上に神様をお迎えしなくてはなりません。世界を捨てて神様を迎えるのではありません。世界を抱くためには、体と心が一つになり、夫婦が一つになり、氏族が一つになり……。それで氏族編成ではありませんか? 氏族的メシヤになりなさいと言ったでしょう? そうするためには家庭的メシヤにならなければなりません。一族を越えなければなりません。七代を抱き込まなければならないのです。そうでなければ、入籍は駄目です。

 完全に一つにならなければなりません。割っても、割っても、水晶体のようにならなければなりません。水晶体を知っていますか? 千万個に割っても、その形態は同じなのです。神様は水晶体と同じです。深刻です。そのような面で自我を批判することを知らなければなりません。

 神様が願われる本当の息子・娘になりましたか? 神様が願われる家庭になりましたか? 膝に穴が開くぐらい、悔い改めなければなりません。

 盟誓文の第八節は何ですか? (「私たちの家庭は真の愛を中心にして」)。真の愛を中心にして何? (「成約時代を迎え」)。成約時代を迎えましたか? 思いで迎えましたか? 実体で迎えましたか? (「……」)。絶対信仰、次には何ですか? (「絶対愛」)。

絶対愛、次は何ですか? (「絶対服従」)。神様がそのような位置で天地創造をしたのです。神様自身が創造する時、絶対信仰です。私が言えば、私が言った通りになるというのです。その絶対信仰をもって、することは何かといえば、絶対愛の相対を探すのです。皆さんそうではないですか? 

 初めに聞くことは、「あなたは私を絶対に信じますか」ということでしょう? どんなことをするにしても、相対的関係は、必ずそのような内容を提示するのです。関係とはそうです。関係を結ぶためには、因縁がなくしては駄目です。思いが行かないところに、因縁を結ぶことはできません。考えなければなりません。思いがとどまることができることが蘇生です。因縁なくして主体・対象はありません。因縁が結ばれれば男性・女性、雄・雌となるのです。関係を結ぶためには、必ず因縁の上に立たなければならないのです。

 男性の因縁を否定することはできません。男性が女性になることはできません。女性が男性になることはできません。女性は永遠に女性であり、男性は永遠に男性です。その因縁が永遠であればこそ、関係が結ばれるのです。最近の世の中はそうではありませんか? 

 すべてが関係です。父子の関係、夫婦関係、兄弟関係、師弟関係、経済関係、政治関係、文化関係、すべて関係哲学です。関係ということ自体、原理原則があってこそ因縁を結ぶことができるのです。因縁というのはそうです。因縁というのは出発です。出発的、動機的相対圏をいうのです。動機だけでは駄目です。方向を直して、結果まで至らなければなりません。愛の関係、それが曲がればみんな壊れてしまうのです。経済関係も歪めば、国も歪み、政治関係すべてが歪むのです。

 私たちは関係の世界を抜け出すことはできません。何によって関係が結ばれるかというと、経済も、知識もその条件とはなりません。権力もその条件ではありません。心情的な条件です。これを知らなければなりません。心情的条件です。

 父子関係は心情と愛が連結され、夫婦関係も愛を中心にして連結されています。兄弟関係も愛を中心にして連結されているのです。関係というのはすべて主体・対象関係ですが、それが中心を通して一つになれば、中心に立つようになるのです。その中心が愛なのです。愛の出発です。右側が信仰で、左側が絶対服従です。絶対服従は自己を否定するのです。神様の愛を中心にして投入して忘れてこそ、大きなものが現れるのです。大宇宙の編成もすべて、投入して忘れることからなのです。自己を考えると、全部小さくなるのです。皆さんは自己を中心にしてすべて考えるでしょう。

  先生の息子・娘が全部蕩減を受ける

 あなたたち二世は一世以上にならなければなりません! 父母以上にしなければならないのです。蕩減路程を父母たちが歩んできたのです。あなたたちは解放された位置で聖別もしないで、結婚して一緒に生活しているでしょう。蕩減圏を越えた位置にいるのです。父母がしてきた以上の位置に立ててあげているのです。父母がそれをできなかったというのです。全部、その影響です。

 それらを主体・対象として結んだために、先生の息子・娘が全部蕩減を受けるのです。自分の息子に対して蕩減を受けることと同じように、先生の息子・娘が蕩減を受けるのです。祝福家庭が全部めちゃくちゃになってしまったのです。サタンが思い通りに侵入して、引っ張っていったのです。

 自分たちの行動することが、先生の家庭と先生まで十字架にかけ、先生の家庭が行く道までも台なしにしてしまったのです。どうですか? 考えだけで、先生と因縁を結ぼうと考えるなというのです。先生が教えてあげたその内容のように先生が生きたので、天が私をつかんで前進するのです。私には父母もいません。兄弟もいません。何の親戚がいますか? アダムに親戚がいましたか? 父母の代わりが神様です。兄弟の代わりが神様です。親戚の代わりが神様です。全部が神様と関係を結んでいくのです。

 最近は復帰的条件を立てなければ、サタンが付いて入ってくるので、条件を立てるのです。親戚連合会をつくったのも、みんなこのようなためです。彼らが好きでそうしたのでしょうか? 生かすためにそうしたのです。
 復帰はそうです。アダムとエバを復帰すればいいのです。しっかりしなくてはなりません。分かりましたか? (「はい」)。

 先生の教えた原理がしっかりと立っています。これを中心にして全部再び分別する時があるのです。先生が決めた標語が「宇宙主管を願う前に自己主管を完成しなさい」です。そこで一番の問題が何でしょうか? 

 おなかがすくでしょう? その次は何ですか? 寝なければならないでしょう? 食べることが怨讐で、眠りが怨讐です。その次に愛が怨讐です。それゆえ、先生自身も妻子を捨てて北韓に行きました。神様がそのように役事します。食べるものがなく、着るものがない、その場で道に出るしかない、そのような環境にあっても、捨てていくのです。人間は行くことができません。

 それゆえ、宗教ではすべて出家を命令したのです。その出家命令の御旨を解くためには、その責任者も出家しなくてはなりません。それゆえ、イスラエル民族でその生まれた地で住んだ人はいません。アブラハムから呼び出したのです。イスラエル民族も呼び出したのです。統一教会も全部呼び出したのです。故郷で御旨をなすことはできません。

 先生が語った御言通りに、皆さん祝福家庭がすべてなっているのか、なっていないのか、それを合わせる時が来ました。一つになっていないのです。分かりますか? (「はい! )。再び家庭的な基準の前に、無慈悲な先生になります。自分のお父さん、お母さんの前に、刀を当てることができる、おじいさんから、父母から、自分まで、祭物にすることができる心をもって聖別しなくてはなりません。聖別しなくてはならないのです。深刻なのです。そのような時が来たというのです。分かりましたか、何のことか? (「はい! )。

 三億六千万双をしたら、すべての壁を崩してしまいます。サタン世界の個人的壁、家庭的壁、氏族的壁、民族的壁、国家的壁、世界的壁、天宙的壁、神様の心情圏の壁をみんな崩してしまうのです。崩したその場所をすべて通過していけば、天使たちが分別するのです。百二十名の天使たちが分別するのです。「この間を通りなさい」と言うのです。そのように通る自信がありますか? 

 祝福家庭とは何ですか? 祝福を受ける時には、二十一双を中心にして、男性・女性が、その間を通過していくのです。それは条件ではありません。これから先生を訪ねてくるには、多くの霊通者たち、百二十名の峠を越えなければなりません。イエス様を殺した罪です。駄犬一匹も、そのまま通り抜けることができないのです。サタンの痕跡もあってはいけないのです。

 ですから、宗教は出家をしなさいというのです。独身生活をしなさいといったのです。独身生活を最後までして、祝福を受けなければならないのです。二世たちが祝福を受けたのは教会祝福です。国家祝福、世界祝福を受けていません。三分の二が汚くなる条件が残っているのです。この者たち、全部です。

 ここの二世たちで、違う学校に通う者はすべて整備しなければなりません。それをはっきりと知らなければなりません。違う学校へ通う者たちは、どんな学校を出たとしても用いてはいけません。先生と関係がありません。ソウル大学、私と何の関係がありますか? この者たち、統一教会をなくすことに先頭に立ちました。梨大、延大、ソウル大、みんな同じではありませんか! 先生は独りです。独り。独ドク島の歌を歌うように独りです。

 独りで統一教会を整備し、基盤を築かなければなりません。駄目なものは頭を打ってしまいます。荒野で倒れるのと同じように、家庭的な鷲のえさにしなければならない、このような時代だというのに。驚くばかりです。

 イスラエル民族は、世界に行くことができる国家を探すために、家庭を捨てました。道の世界は、家庭生活をしなさいと言いません。子供であれ、妻であれ、自分の形をもっていては、けんかのみが生じます。六十万が行く時、モーセの家庭を中心にして行きましたか? 家庭も何もすべて無視して、編成したとおりに、行路を進めて行かなければならなかったのです。

 家庭をつくっておいたら問題が起きるのです。「お父さん、お母さん」と言ってです。そうでしょうか、そうではないでしょうか? 家庭を主としたら滅びるのです。子供を抱いていて、おなかがすき、「お父さん、お母さん、ご飯をください」と言ったらどうしますか? 母親は泥棒でもしようとします。いろいろなことが起きたのです。ですから、イスラエル民族をすべて鷲のえさにしたのです。

  すべてを否定しなければならない

 すべてのことを否定しなければなりません。氏族圏を否定して、お父さんを否定して、妻を否定して、息子・娘を否定しなければ、荒野を越えることができません。荒野はサタンが支配する天地です。

 ですから、建国思想を中心にして、イスラエルの国を中心にしてカナンの七族が豊かに生活するところへ、乞食の一団が入っていって、物ごいしながら食べなければなりません。そうして、子供たちに食べさせながら、涙を流して、「おまえたちは、この国で暮らす民族の姿と同じになってはいけない」と言いながら、神様に従って行かなければならないのです。「私たちは違うのだ」と言うのです。

 受難の路程を通過し、還故郷したのですが、まだ億千万の恨みを抱いて、解放されない怨恨があるということを知らなければなりません。国を探して解放されなければならないのです。神様が望まれる国、二支派を中心として全部分けられたアラブ圏まで一つの国にすることができなければ、自己の城(国)をつくることができなければ、世界に行くことができないのです。はっきりと知りなさい。国がないのに、そこで暮らすことができますか? 死んだほうがいいのです。

 今日、私たち統一教会は、個人的四十年路程で、国を探す路程ではありません。国を中心としてイエスが失ってしまった世界を探すのです。

 イエスは祝福を与えるために来たのではありません。家庭を率いて荒野四十年を立てるのです。では、カナンの地はどこでしょうか? この地球星です。自分の一族を率いることができなければ、生き残ることができないのです。何のことか分かりますか? 自分自体が引っかかってもいけないし、自分の父母が引っかかってもいけないし、一族が一つにならなければなりません。

 それで、祝福家庭が何ですか? 百六十家庭、百八十家庭でしょう。一族が一つにならなくてはなりません。針に糸を通すときは、糸がバラバラになっていては駄目なのです。

 すべての一族を裂いて、祭物として捧げなければなりません。祭物として裂くと、サタン世界に条件を残すことはないのです。完全に一つにならなければなりません。それゆえ、ここでは物質も神様のものであり、息子も神様のものであり、夫婦も神様のものであり、愛も神様のものなのです。天の前に捧げて入っていかなければならないのです。自己の所有権はあり得ないのです。

 そのように生き、そのように行動する人、だれかいますか? 大韓民国に住んでいる祝福家庭は、自分の身内を中心に、私は私のままに、先生が苦労しようと、これでいいと……。見ていなさい。その者の子供たちがどのようになるか。先祖がそのままではいません。逆さまにしてつり上げるのです。

 先生に自己の所有観念がありますか? お金を私が着服しますか? 娘・息子を自分のものにしません。お母さん、お父さん、子供、自分のものにしません。ここに、私のもの、私の息子・娘、私の夫婦、私の一族、あり得ません。神様の一族をつくってこそあり得るのです。中心がないのに、枝がどうしてあるのですか? はっきりと知らなければなりません。

 先生は先生自身に無慈悲です。自身に無慈悲な代表です。楽な位置に立とうとしません。最も苦労の道を通過し、難しい道を通過しなければ、サタンから逃げられないようになっているのです。逃げるためには、難しい道を行くしかありません。

 神様は絶対信仰をもってつくったのです。神様が「する」と言ったらできないことがありません。絶対信仰の上に絶対愛を探そうとされたのです。友達同士が会えば、こう言うでしょう。「信じていますか? 愛するのか?」。夫婦でもそうではないですか。「どれくらい私を信じていますか?」。永遠なる神様の信仰的理想があれば、その理想の峠を越え帰ってきて、私を信じますかと言うのです。

 全体を包括して、第二の出発、新しい結婚の門を開いて入らなければならないのです。ここでは一人ではありません。個人は反対に入らなければなりません。体が自分勝手にしたので、反対の立場で行かなければなりません。妻、夫、主体はどちらですか? 為に生きる者が主体になるのです。

 これは宿題ではありません。宿命的なことです。ここで落第するようになれば、学校に行けないのです。体が幼稚園で落第すれば、学校に行けません。家庭としても行けず、国民の役割もできないというのです。家庭を中心にして一つになれなくては、家庭を代表したどんな国民だと言うこともできないのです。

 私たちの国がありますか、ありませんか? (「ありません」)。国もなく暮らしますか? 自分たちの国を探すことができますか? 国が自分の国ではなくて、神の国にならなければなりません。そうではありませんか? それが原理です。ですから、千辛万苦、ご父母様は、この地上で孝者、忠臣の、だれよりも先頭に立とうとするのです。寝ても覚めても、寝ながら夢の中でも、そのような話をして生きているのです。

  祝福家庭から再教育

 世話をかける人は主体になれません。中心存在は責任をもって世話をしなければなりません。私は統一教会で世話になりませんでした。

 先生の前で不平を言う人は、先生がそのままにしておきません。なぜ、こんなにうるさく言うのでしょうか? うるさく言わなければならないのです。ここで話すことは、霊界での審判基準です。それで、天国と地獄が分けられるのです。統一教会の先生が行く道と、皆さんが行く道が分かれるのです。それを嫌だとは言えないのです。原理がそのようになっています。そこで分かれて二つの組になったので、サタンの組が残るのです。霊界に天国に入る待合室があるのと同じように、統一教会の祝福待合室が生まれるようになっています。それを知らなければなりません。

 あなたたち! すべて、思いのままに食べ、思い通りに寝て、思い通りに遊んでいるというのです。目が黒々として元気な生きているご父母様がいます。それで、天と通じると思いますか? 通じません。

 だから、祝福家庭から再度教育するのです。新しく入ってくる者は何も知らないので、ご父母様の国を中心にして、韓国で教育するのです。お父さんがだれなのかを知らなければなりません。十四日間、四十日の代わりに教育しなさいというのです。時間を全く同じに組んで教育するのです。

 それを済州島でするのです。陸地には来れません。島国、地帰島です。地帰島とは日本をいう言葉です。漢拏山はエバの山です。雨が降ればみんな浸透してしまいます。白頭山は男です。水があふれます。反対です。それで、先生は時間があれば済州島に行くのです。済州島に行って精誠を尽くしました。統一教会、国を代表するようにつくり上げたら、済州島を最も良くつくります。土地も買っています。すべての統一教会の陸地にいる人たちは、島国へ投入しなければなりません。復帰です。大韓民国で、忠臣を流刑にしていた島ではありませんか? 歴史を否定することはできません。済州島を回って帰って来なければなりません。

 済州島といえば祭事を捧げる祭事場です。渡っていった世界です。復帰された世界という意味です。州は町という意味です。渡って何を探すかといえば、エバです。

 神様が陸地を捨てて島国を探しにいって、再び帰ってくるのです。だから、島を中心にして一生の間私が苦しんだのです。今や終わる時が来ました。

 魚を捕まえることがかわいそうでしたが、今や、捕まえる時ではないのです。ぴんぴん跳ねて血を流すようにすれば、昔はとても楽しく、サタン世界を打ちとらなければならない、と思っていたのですが、今は標準化時代が来ました。それで、アラスカのような所に行くと、ハリバットのように何百ポンドにもなるものを捕まえます。どれほど楽しいでしょうか。跳ねる音が十里以上聞こえるのです。山が鳴ります。サタンの滅亡を探究すると言いながら、興味深かったのです。しかし、今は標準化時代になりました。

 先生はどうすることもできません。見ればだれを考えるのかといえば、自分の息子・娘です。今まで統一教会の後孫たちを苦労させてきましたが、今や苦労させなくてもいい時代が来ました。同情する時が来ました。同情しなければならない時が来たのですが、同情することができる人を同情するのであって、同情をすることができない人を同情すれば、神様の位置を汚すことになるのです。

 それこそ、エリヤが「私だけが残った」という立場です。北朝が分離された位置で、統一された世界において「私だけが残りました」という、まさにそんな立場です。独り残った神様自身が、創世前から理想としていたものを中心に歩んでこられました。その神様を慰労してさしあげるのです。

 自分が悔しくて無念なすべてのことを蕩減する時、神様を慰労しなければならず、神様の位置を支えてあげなければならないのです。

 それで天地父母、何ですか? (「天宙安息圏宣布」)。何の宣布? (「安息圏」)。安息圏とは何ですか? 家です。平安の「安」の字は何ですか? 女です。お母さんの代わりです。吸う「息」は、自由の心が吸う、という息の字です。思いのままに平安に生きることができる妻を抱いて、平安に生きることができる家を探すのが、神様の復帰歴史なのです。

 先生がどれほど考えれば、そのようなことを考えることができるのでしょうか? 「天」という字は二人の人です。「義」の字は、羊を中心にした我です。義人もそうです。すべて羊のような私、犠牲になる自分、ということです。

 自分を考えてみなさい。これからどこへ行くのですか? 三十八度線を中心にして分かれているのです。捕虜収容所があった巨済島を知っているでしょう。巨済島の捕虜収容所と同じような門が開いたならば、どこに行くのですか? サタン世界は黄金万能時代です。太鼓をたたき、歌を歌い、金を使います。神様の復帰摂理において、すべて取られ、すべてなくなってしまいました。荒廃した所から建国しなければなりません。聖殿建設を自分の手でしなくてはなりません。

 父母様が愛した基準、祖先が慕ってきた解放された神様、イスラエルのように選択された選民になって、神様に侍ることができるその位置を探さなければなりません。荒廃した所から涙と共に、死なずに探しに来たことがありがたいのです。その内的心情をもち、探しに来て、帰らせるようにしてくれた天の前に負債を返さなければならないのです。倒れた聖殿を建築し、国を建国する時が来たというのです。

 ですから、私が七十日の間ここにいたのです。本来、三十日で行こうとしたのですが、六十九日になりました。七十日をきちんと満たし、お母様は四月の一日、講演があります。日にちが一日あります。そうして、だれよりも私が苦労してきたのです。

 あなたたち! すべて天の息子・娘だといって、エバ国家を守護するために送ったのに、自分勝手にしてしまいました。

 今や先生の責任は全部果たしました。韓国で「訓読大会」をしてあげました。日本で「訓読大会」をしてあげました。アメリカで「訓読大会」をしたら、先生は解放ではないですか。何日までしますか? 四月の何日まで? (「十六日までです」)。四月十七日は何の日ですか? (「復活祭です」)。復活祭です。深刻です。今からはすべて歴史を教えなければなりません。建国理念を求める統一の群れとしては、建国理念がどうなっているのか再び知って、おじいさん、お父さんお母さん、自分たち夫婦三代が合わさって、建国の伝統を立てなければなりません。建国の伝統をなくしてしまいました。

 アメリカもそうでしょう。新教、旧教が今からは先生についてくることができません。その限界線まですべてなし、先生は退きました。私の責任を果たせなかったということはできません。南北米の新教、旧教を連合するためにすべてなしました。これから韓国はウルグアイを中心にして南米と連結しなければなりません。

 歴史的なすべての摂理というのは、神様の対象圏をいつも主体の前に合わせるようにしました。三十三人を中心にして七百八十名をすべてもちました。三十三人はイエスまで入れて三十四人です。韓国も三十三人が神様を中心にしてみると三十四数なのです。

 このようなすべてのことを知らなければ摂理を成し遂げられません。復帰摂理は蕩減復帰です。その模様が同じでなければ駄目なのです。手の平もこのように見れば手は手です。堕落したのでこのようになりました。引っ繰り返して打ち込まなければなりません。それゆえ、南北は同じでなければなりません。

  神様の代わりに、食べて、寝て、行って、来る

 ご飯を食べる前にスプーンが言います。膳が言うのです。「体と心が一つになったのですか?」。一つになったことを何で証明しますか?

 蕩減の道を行くのです。この国、この地上で、最も難しい道を行くのです。ご飯を食べるべき人間が、ご飯を否定するのです。最も難しい道でしょう。眠るべきなのに、睡眠を否定するのです。愛することができる愛を否定するのです。自分の生活全部を「無」にするのです。

 人は、食べて、寝て、行って、来て、です。何のことか分かりますか? 食べて、寝て、行って、来て、これが人生です。何のために行くのか? 国のために行くのか、自分のために行くのか? 来るのも何のためか? 自分のためにしたのか、神様のためにしたのか? 簡単だというのです。寝ることもそうです。食べることもそうです。食べて、寝て、何ですか? (「行って、来て」)。人生がすべて入るのです。

 あなたたちはそのような約束、そのような条件を立てて、今まで自己を整備してきましたか? 何のために寝るのですか? 何のために食べるのですか? 神様の代わりに寝て、神様の代わりに食べ、神様の代わりに行ったり、来たり、するのです。人生はすべてここに集約されるのです。自分を中心にしてはいけないのです。

 自分が眠くなったといって、眠ることはできません。おなかがすいたといって、ご飯があるからと食べることができません。神様は人類を考えているのです。父母が息子よりもいいものを着てはいけません。よく食べてはいけないのです。そのような父母に侍る娘・息子は、自分もその伝統を受け継いで、十人いれば十人が「食べません。お父さん、お母さんが先に食べなければなりません」と、このように言わなければならないのです。子供とはそういうものです。そのような伝統を立てることができなかったのです。

 先生の息子・娘を先生が教育しましたか? できませんでしたか? 一つもできませんでした。あなたたちはカインです。弟たちを愛さなければなりません。長子権復帰としては、カインが弟を、自分のお父さんよりも、お母さんよりも、サタン側の何よりも、愛さなくてはならないのです。そのようにしましたか? 統一家の世界的な三十六家庭は、自分の息子・娘を愛し、先生の息子・娘は死ぬなら死ね、そのようになっていますか? 

 そのように処断して、そのように行動したすべての責任は、だれが取るのですか? 先生がすべてその責任を取り、先生の息子・娘がその責任を取らなければなりません。
 先生は一生の間、十字架を背負っていくのですが、家庭のために祝福を与えて、受難の道を、国の荷物をもって責任を取るのです。息子・娘まで、すべてこのために乞食にしなければならず、再び息子を引っ張って入って、再びこのカインを送って、再び救ってあげなければならない環境に落ちていくのは、だれのためなのですか? 

 あなたたちのように生きては駄目です。それで、私が話をできません。しかることができません。あなたたちの責任です! すべてめちゃくちゃです! 原理の通りに、すべてぴったりと合います。三億六千万双が問題ではありません。三十六億をしたとしても、しなければならない責任があることを知らなければなりません。分かりましたか! (「はい! )。

 あなたたちが二世ならば全部、家庭的十字架を負わなければなりません。イエスは個人的十字架を負いましたが、あなたたちの一族のお母さん、お父さん三代が全部、十字架を背負わなければならないのです。

 「私の思いではなく、お父様の御旨の通りにしてください」と言うことができる家庭を抱いて、越えていかなければならないのです。そのことを知らなくてはなりません。先生もそうです。「私の思い」はありません。そのような道を行こうとしたならば、空気を吸うことが恥ずかしく、水を飲むのが恥ずかしく、物を食べるのが恥ずかしく、草木を見るのが恥ずかしいのです。心がそのようになるのです。恥ずかしい位置に立つことができないので、この道を来たのです。

 私のお父さん、お母さんが抱きしめて、「行くな! と慟哭していたのを、足で振り切ってきた人です。一族に対してもそうです。先生が聖進のお母さんと聖進を餓死するほどにして、天に従ってきたのです。米一粒もなく、他郷の地で同情してくれる親戚もないのに、独り、独り……。天の国の王圏を探し求める人は、寂しい位置から出発するのです。七年の歳月を涙と共に過ごしたのです。そんな道、蕩減の道を経てきたのです。

 先生がそのようなことをしたならば、あなたたちはその何十倍、何百倍、しなくてはならないのです。そのことを知っていますか? 毎日のようにあなたたちの目は、何を見ようとするのですか? 目は二つになっています。サタン的な目、鼻、口、五官すべてがみんなそうなっています。体と心が一つにならなければ駄目です。絶対的に一つにならなければなりません。分かりましたか? (「はい」)。霊界に行ってみなさい。先生がどうして教えないでいられるでしょうか? 

 その目は、ために見なければなりません。自分のために見るのではありません。相対のために見るのです。生まれたこと自体が相対のためなのです。鼻もにおいをかぐのは、自分の鼻のにおいをかぐためではありません。愛の相対のにおいをかぐためのものです。その目は愛の相対のために、千年、万年、見ることが嫌ではないのです。その鼻が千年、万年、かいでも嫌ではありません。耳で聞いても嫌ではありません。話すのにどんなに話しても嫌ではありません。どんなに触っても嫌ではないのです。

 今、そうではありません。あなたたちはそうでなければなりません。批判を受けなければなりません。開拓時代において、中高等学生が帽子をかぶって開拓に出て、十里、二十里行っても食口がいないので、食口に会うために四十里の道を二十里、二十里行き、中間で会って、涙を流し、祈祷し、自分の兄弟よりも食口たちと、そのように結んできたのが統一教会の歴史です。それ以上行かなければならないのです。

  成約時代の安着

 出家をしなければなりません。そうでなければ独身生活をしなければなりません。それゆえ、体と心を一つにしなければなりません。真の父母が結婚できなかったのに、自分がどうして結婚することができますか? そうでしょう? 堕落した、よくもない者たちがです。はっきりと知りなさい。(「はい」)。

 成約時代を一九九二年に発表しましたが、それは蕩減です。先生が蕩減するのではありません。世界国家をかけて世界の十字架を負う時なのです。お母様を立てて祝福しなければならないでしょう。解放圏をもたなければならないでしょう。そうではありませんか? 九二年に入って、お母様が先生の横に立ったのです。ここからお母様を立てるのです。お母様が同じ立場に立つのです。ここには蕩減の公式があるのです。家庭を越え、氏族を越え、世界を越えなければなりません。今はそんな時です。「訓読会」が最後です。

 皆さん、何千万双の教育をどうしますか? 教育できませんか? 「訓読会」をするのです。本を分けてあげるのです。『真の父母』と『祝福と理想家庭』、その次に『南北統一』、『南北統一』に全体の内容がすべて入っています。この「南北統一」という言葉を見て、「この国の主権者たちが、この『南北統一』を読んですれば、すでに統一されているのに、文総裁を理解できずにいるこの国は、どうなるのだろうか?」と嘆きながら私に話す人が多いのです。

 深刻なのです。そのような時になり大転換時期に入ったのです。否定することができないでしょう。成約時代、九二、九三、九四、九五、九六、九七、九八年です。七年路程です。それゆえ、先生がそのような家庭的蕩減の道を開拓してきたのです。今からは家庭的定着時代です。成約時代の完成がなるのです。分かりましたか? 成約時代を発表したのが九二年でしょう。(「九三年です」)。六数、七数を掲げて越えるのです。

 そして、成約時代の安着です。これをするようになれば、伝統を譲り渡さなければならないでしょう。ご父母様の伝統。分かりますか? 伝統の歴史が残らなければなりません。ご父母様の歴史です。それで、息子・娘は父母の歴史と伝統に従って行ってこそ、初めて天国に行き、理想世界へと越えていくのです。脇道に行けば、地獄に行くのです。一つしかありません。今、全世界の祝福家庭を収拾できる人は、先生一人しかいないではないですか? そうですか、そうではありませんか? (「その通りです」)。

 それで、このすべての家庭の塀を完全に壊してしまいました。万国解放です。平準化。サタンが定着できる地上の基盤がなくなるのです。それで、十二の峠を越えなければならないのです。世界的三十六家庭、七十二家庭、一二〇家庭、四三〇家庭、七七七家庭、一八〇〇家庭、六〇〇〇家庭、六五〇〇家庭、三万家庭、三十六万家庭、三六〇万家庭です。十二峠です。天がどれくらい忙しいですか? 五月まで全部しようとした三六〇〇万双をやってしまいました。頂上から、川ではなく滝の水のように落ちて下ってきたのです。そのように忙しいのです。

 神様が全権行使して、七千万の祝福基準を越えるのです。エリヤを中心としてバアルに屈しなかった七千余の群れです。これを復帰するために、洗礼ヨハネを中心とした七千の群れがイエスに侍ったならば、イエスは滅びませんでした。

 アメリカにおいて先生が監獄に入って、七千の牧師たちを韓国に連れていき、接ぎ木しておいたのです。アメリカが韓国を捨てたならば、アメリカは身ぐるみはがされるのです。祝福家庭がサタン世界で七千万祝福を越えたのです。今、私たちの時代が来ました。

 エリヤが「私だけ残りました」と言うようなものではありません。分かりましたか? 孤独で嘆息していた祈祷ではありません。「時が来ました。お父様、お出ましになってください。従っていきます。どんなに困難だとしても私は行きます。歩いて大洋を行きます。飛行機ででも飛んでいきます」と言って飛んでいくのです。そのみ業を今しているのです。はっきりと、気をしっかりともちなさいというのです。今までの姿勢では駄目です! 皮を何枚も脱がなければなりません。個人の皮、家庭の皮です。自分は国を愛しましたか? 国を思いましたか? どうですか?

  祭物には最もよいものを喜んで捧げる

 アブラハムが失敗したのを失敗を清算するために、イサクを祭物として捧げたでしょう。同じです。公式は間違いありません。その公式の通りにすれば、サタンは讒訴できません。

 祭司長も祭壇を置いて自分の欲心のままにすれば、その祭物は汚れるのです。自分の欲心なく、最もよいものを捧げて喜ばなければなりません。そうしてこそ、初めて全部落が生き、国が生きるのです。喜びながら捧げなければならないのです。もったいないとけちけちし、出し渋れば、その者の手が吹っ飛び、体は飛んでいってしまうのです。

 祭物は三代です。信仰の子女、三子女を強調しなかったのは、一八〇〇家庭以後です。なぜでしょうか? これは世界時代へと越えていくのです。それがどこで必要なのかといえば、一つの家庭で繰り広げられるのです。今、あなたたちの祖父、父、あなたたちは、天使長の後身です。信仰の息子・娘を自分の一族から立てるのです。そのような時が来ます。それゆえ、信仰の子女を強調しませんでした。

 家庭祝福時代において、祖父が祭物となり、母親、父親が祭物になっても完成できなかったのです。その完成は孫がしたので、孫の前に犠牲になるのです。それで、祖父が孫になり、父親が息子になり、兄が弟になるのです。三代が全部息子に敬礼しなさいというのです。

 ですから、家庭的メシヤ、氏族的メシヤになりなさいと言ったでしょう。その蕩減路程を中心として、信仰の三子女も、天使長圈の世界を家庭で踏み越えるのです。先生がそのようにしたのか、しなかったのか見なさい。信仰の三子女が絶対に必要なのが、今は家庭的定着時代に入ったので、逆さまです。外的なものではありません。外的な三子女を縦的に立てるのです。そうして初めて、堕落圈全体、旧約時代、新約時代、成約時代へと越えることができるのです。これを乗り越えてこそ、息子が初めて復活して、天の国に連結されて入ります。

 家庭的三兄弟、信仰の息子・娘を立てなければなりません。祖父が孫になり、父親が何にならなければならないと言いましたか? (「息子です」)。兄が何になりますか? (「弟です」)。それゆえ、長子権復帰、父母権復帰、主権復帰です。祖父は神様の代身でしょう。父親は世の中の代身でしょう。兄はサタン世界のカインの代身でしょう。

 今、自分を中心としてこの三つを立てて、否定してしまわなければなりません。そうして初めて、本然の心情的基準の前に、蕩減が必要ない定着地へと定着するのです。それが御旨の道です。それゆえ、信仰の三子女を強調しませんでした。信仰の三子女を強調すれば、今、祝福してあげられるでしょうか? どうですか? あげられないでしょう? (「はい」)。

  御言はただ通り過ぎていくものではない、御言は憲法と同じ

 きみたちは分かったでしょうか、夢にでも考えましたか? 三十六家庭を祝福してあげる時、その祝福式は蕩減摂理だったのです。三十年が過ぎて、最近になって目を開けています。あぜんとするでしょう。先生がそれをせずに死んだりすれば、どのようになりますか? 御言をこのようにすべて語っていなかったなら、どのようになりますか? 

 あなたたち! 御言はただ通り過ぎていくものではありません。公判廷の証言です。憲法の条件と同じです。ここに一致したか、しなかったか、絶対的、相対的自分自身を確定したのか、できなかったのか、という審判過程を通過するのです。ためらうことなく、全部「訓読会」に行って聞きたがらなければなりません。自分の解放圈が繰り広げられるのです。そこに引っかかるものがあれば、どれくらい恐ろしいですか? 「訓読会」がご飯を食べることよりもおいしく、遊ぶことよりもおもしろいのです。

 ですから、今回祝福の後、九巻まで読みました。そうでしょう。(「はい」)。私は飛行機で来ながら十二巻をすべて読みました。一時間前まで読んで、出てきました。復帰路程です。そのように考えるのです。時間さえあれば読みました。

 自分の故郷を訪ねていき、故郷の道を訪ねていくのです。故郷を訪ねる地図です。ここで宝島を訪ねていく地図を持っていれば、ありとあらゆる生死を懸けて闘争する、そのような問題ではありません。それが地図です。故郷に落ちつくことのできる版図です。あなたたち、このように考えてみましたか? 

 あなたたち! 勉強がどうして必要ですか! 梨花女子大学も、ソウル大学も全部、統一教会をなくそうと反対しました。それを訪ねていった母さん、父さんたち、子供がよくなりましたか? 母さん、父さんがその子供の腹を蹴飛ばす立場に立つようになるのです。分かりましたか、郭錠煥! (「はい! )。全員転校するのです。今、救ってあげる方法です。どこへ転校させますか? (「鮮文大学です」)。

 それで理事長を命じました。女性の総長を命じました。お母様の代身として侍りなさいというのです。男性も、女性も、お父様の代身、お母様の代身として侍りなさいというのです。「統一教会の鮮文大学の理事長は、どうやってするのか? 女性の総長がどうやってやるのか?」。それが関心事です。先生のみ意の通りにするのです。そのようにしていますか、していませんか? (「しています」)。

 自分勝手にするのではありません。それで、理事長を任命してあらかじめ、「このようにしなさい」と言ったのに、その間何をしましたか? ただ切ってしまえば、全部霊界に行って引っかかるのです。先生が南米に連れていくと言いましたが、準備していますか? (「はい」)。「どの飛行場に何時に出てきなさい」と、三十分前に私が連絡するかもしれません。そのような準備をしましたか? (「しました」)。

 先生が学校を任せる時、「どのような指示にも従います。三十分以内に実践します」と、そのような決心をしなかったではないですか! (「はい」)。先生はかかしではありません。大学で何をしていますか? 滅んでいくこの国に、南北統一することのできる勇士を育てるのです。大学はいくらでも、たくさんあります。分かりましたか?

 ここで大学に通う人、手を挙げてみなさい。転校です。分かりましたか? (「卒業しました」)。何ですか? (「ここにいる者はみな卒業した」)。大学生はいませんか? (「数名います」)。統一教会から今後、鮮文大学に入るのは簡単ではありません。先生があらかじめ看板を付けています。すべての若者が夢で願う、鮮文大学とブリッジポート大学になっています。

 ブリッジポートというのは、ぴったりと摂理的な言葉です。ブリッジポートとは何ですか? 橋を架けた港です。また、鮮文大学とは何ですか? 「鮮」の字は海と陸地です。それゆえ、今まで先生が海で二十五年船に乗りました。五時に起きて、十二時、一時、二時まで船に乗りました。あなたたち、「五十年船に乗りなさい」と言えば乗りますか? 博士の学位をもらった者たちを連れていって、船に乗せようと思います。

 今は時が来たのです。私が海から陸地に上がる時ではないですか? エバが、島国が陸地に上がる時、地帰島に上がってくるのです。それで、地帰島を買いました。日本を連結させようとするのが地帰島です。それゆえ、日本に対する摂理的願いは、常に重要なことは済州島に行って話をしてきたのです。そのようなことを知っていますか? 修練会も済州島に行ってしたのです。

  純潔の伝統を立てる

 純潔大学です。単科大学をつくるのです。家庭科から全部つくって、それから、男女純潔大学にならなければならないのです。女性を立てて復帰するのです。堕落は何ですか? 天使長がエバをそそのかしたでしょう。純潔大学の出発とともに各学科をつくって、男性も編入させるのです。では、あなたたち男性は純潔の女性と結婚しますか、堕落した女性と結婚しますか? 世界の名門学校になるのです。長官、その国の学者、その国のあらゆる有名な人が、純潔大学の女性を嫁にしようとし、男性を婿にしようとするのです。分かりますか?

 純潔大学は三年以内にするのです。これを女性大学総長を中心として動かします。十の大学ですか? その大学を中心として、いっぺんに四学年をつくるのです。何のことか分かりますか? 一年生は初め鮮文大学にしておき、それから女性大学の名前を付けて、二年生、三年生、四年生と、まだ純潔な人がいれば、一つの総合大学をつくって、ソウル大学から編入させるとか、延世大学から編入させるとか、梨花女子大学から編入させるとか、そこから純潔大学二年生、三年生、四年生を編入させて、まとめておくことができるのです。卒業するときは、鮮文大学の卒業証書をあげるのです。何のことか分かりますか? 忙しいというのです。女性たちはそのようにしなければなりません。

 最近高校生たちが、ことさら実業高校の学生たちが、なぜリュックサックを背負って通っているか分かりますか? 自分の生活の道具を入れているのです。実業女子高校に通う子たちは、靴も服も入れて通います。学校をさっと出て、靴を履き替え、服を着替えて、どこに行くか分かりますか? 歓楽街に行くのです。家で母親、父親に、お金をくれというのは簡単ではないのです。

 だれかから、そのようなブームが起こるのです。梨花女子大学、女子大学のお姉さんについて回るのです。ついて回って紹介され、その遊びをして、全部そのようなありさまになったのです。それが今問題になっています。梨花女子大学は見るべきものもありません。ですから、純潔の女性を探すことは、金脈を見つけることよりも難しいのです。サタンが、このようにして滅ぼしてしまったのです。

 では、先生はそれを見て、じっとしていなければなりませんか、すべて手術しなければなりませんか? (「手術しなければなりません」)。手術するのに、どこを手術しなければなりませんか? 下部手術です。だれがこれに責任をもちますか? 文教部も今大騒ぎです。京畿高等学校も大騒ぎです。そこで、純潔の看板を公式化させようというのです。大学、中・高等学校、私たちの仙和学校に、そのような看板をつけようというのです。

 この子供たちが煙草を吸うことがあれば、きっちりとその学校の生徒たちが処理しなければなりません。この運動をしなければなりません。酒を飲むことがあれば、道端に行って、二人の友達が呼んで責めるのです。二人が一人、三人が一人を処理するのです。何のことか分かりますか? (「はい」)。この大学で煙草の箱をもって回る学生は、さっさと退学です。それをしなければなりませんか、すべきではありませんか? (「しなければなりません」)。

 祝福を受けた者たちが、その先発の旗手にならなければなりません。純潔の伝統を立てて、純潔の兵士として、天地の前に英雄として出動しなければなりません。純潔を守る男性・女性にならなければならないのです。そのようになればこの道を行かざるを得ません。世界はそのように行くことが分かるのです。純潔単科大学を三年内に、お金があればきちんと建てられます。

 私は、天安に純潔大学を建てようと考えています。博物館をつくった所に、今後、純潔大学を建てようと思います。女性大学をつくって、三年になったなら、純潔の女性で大学に入学させたい人は、入ってきなさいと言うのです。女性は、純潔かどうか、医者が鑑定すれば即刻分かりますが、男性は分かりません。ですから、女性から純潔大学に入学しなければなりませんか、男性から入学しなければなりませんか? 「女性から入学しなければなりません」)。女性から入学しなければならないのです。

  すべてを捨てて先生に従う

 このようにして原理の御言を知るようになれば、事実をありのままに話すようになっています。終末になれば事実をありのままに話すのです。

 「父母」も主体の文字が先に来ています。「夫婦」も、「兄弟」もそうなっています。ところが、「左右」は右左にならなければならないのに、間違っています。逆になっているのです。

 左右が分かれたので、前後も分かれるのです。ですから、闘いが起こるのです。次には、「赤白」です。白的にならなければならないのに、赤的になりました。「白黒」にならなければならないのに、「黒白」になりました。これはサタン世界の主流です。良心が告白するのです。「私は右側です」と言って、初めて神様の前に立つのです。アベルがいなくてはカインが立つ場がなく、カインがなくてはアベルが立つ場がありません。それゆえ、左側を右側にしようとするのが復帰です。投入して忘れ、自然屈服させ、長子権復帰して、「左右」が「右左」になるのです。赤的が白的になるのです。

 事実をありのままに話さなければなりません。事実をありのままに話さなければ神様の前に立てません。あなたたちも事実をありのままに話さなければなりません。自分が統一教会のどのような者なのか、すべて自分が分かるでしょう? 二世、自分がすべて分かりますか、分かりませんか? 良心はだませません。すべて知っているというのです。自分が自分のことをすべて分かるでしょう? 

 悪いことをするとき良心が默っていますか、忠告しますか? 忠告するでしょう? (「はい」)。体が良心に忠告しなければなりません。「この良心! 自分はいいことをしなければならないのに、なぜ、善いことをしなさいと、しきりに忠告できないのか」と反対に考えなければなりません。善いこととは何ですか? 体を打つことでしょう? そうではありませんか? 善いことが何かと言えば、サタン側を打つことです。体を打つことです。

 食べて、寝て、その次には、来て、行って。来て、行くのは、学校に通うのは、だれのためですか? 自分の相対を見つけるためのものであり、国を求めるためのものです。相対がいなければ国がありません。相対を求め、家庭を求め、国を求めるために、行くのです。相対に先立って家庭が必要であり、家庭に先立って国が必要なのです。家庭を犠牲にして国を求めるという、そのような心をもっていますか? もっていないではないですか。

 私はお母様の教育をそのようにしました。女性は最後まで教育しなければなりません。教育するのですが、条件に引っかからないように常に注意しなければなりません。一つ、二つ、三つは、常に(自分が妻よりも)優れているという立場に立たなければなりません。それゆえ、いいかげんに生きることはできません。

 夫も他人です。一歩間違えば、サタン側の夫になるのです。父親も一歩間違えば、他人の父親になります。他人の父親が自分の父親、他人の妻が自分の妻、他人の家庭が自分の家庭になるのが簡単ですか? 全部、他人の家庭でしょう。すべて失ってしまったでしょう。自分自身も他人であり、自分の家庭も他人のものであり、一族も全部、サタンのゆえにすべて失ってしまいました。これを取り戻そうとすれば自然屈服しなければなりません。

 「すべてを捨てて、真の父母にだけ従っていきます」とならなければならないのです。統一教会はそうなのです。先生が言えば、どこに行ったとしても動こうと考えるでしょう。あなたたちのお母さん、お父さんも、そうですか? そうではありませんか? 原理をあなたたちが賢く覚えて、千回、万回読んだならば、お母さん、お父さんをさっと鑑定して「自分の母親は何点だ」と、点数をあなたたちがつけなければなりません。自分たちの神様はこうでなければならず、自分たちの父母はこうでなければならないということを、子供たちが決定するのです。

 あなたたち、「訓読会」を嫌うでしょう。先生は原理を未知から見つけるために身悶えしたのです。あなたたちは原理をすべて体得するために、先生の何倍も苦労しなければならないのです。分かりましたか? (「はい」)。

 教育するのです。きょうの朝に、祝福を受けたその伝統を中心として、もう一度分析するのです。世界復帰して天国に入る門を開き、愛の門を開いて、地上天国の解放圏を築くための、そのような祝福家庭であったか、その基準を中心として、どれくらい不足だったのかを知らなければなりません。先生自身も今祈祷しているところなのですが……。

 警告するのです。食べて、寝て? (「行って、来て」)。そうなのです。どこに行ったとしても、何のために行くのですか? 世界を取り戻すために、人類を取り戻すために、神様を解放させるために、です。ぴったりと公式がそのようになっています。行って駄目ならば、二倍の努力をしなければなりません。寝るのを削らなければならず、食べることを忘れてしまわなければなりません。世の中をそのように簡単に考えるのです。すべて入るでしょう? 食べて、寝て、行って、来て。ここで解放されなければなりません。六数を踏んで飛翔しなければなりません。

 その目もそうです。見るのは、何のために見るのですか? 五官、すべてそうでしょう。行こうとすれば、見なければならず、聞かなければならず、すべてそうではないですか? すべてここにかかっています。ぴったりと公式化されています。

  サタンの血統断切

 ますます深刻だというのです。それゆえ、サタンの血統断切ということを考えただけでも、「解放の日が来る」と叫び、のどに染み得るその瞬間を見て、倒れても恨みがない、そういう心をもたなければなりません。天がどれくらい願ったことですか? 堕落した人類始祖から、歴代の血を流した救援摂理の道理では、祭物の道を逃れることのできない人類の解放が、そこにあるのです。そのことを考えるとき、万民が、世界人類が、私たちの後孫が、万々歳を叫ぶことのできるその瞬間に向かって、自分が誓いをして、最後の決定的な勝利の旗を揚げることができるよう前進しなければなりません。そのことを考える時、深刻なのです。分かりましたか?

 あなたたち! 「三六〇万双を祝福したその気迫を緩めてはいけない」と言ったではないですか? 何度頼みしましたか? 緩めてしまえば問題になるのです。復帰の道は延ばすことはできません。頂上へ、頂上へと越えていくのです。峠がありません。峠がないということは、何かといえば谷がないということです。息詰まる復帰の道を延ばしていては、千年延ばしていては、万年延長されるのです。決勝戦に臨む選手においては、息がふさがりそうになれば、息をせずに、十歩、百歩でも走らなければならないのです。そのことを知らなければなりません。そのような時だというのです。

 ところが、自分の羽を広げて眠り、関係なくいるならば、その者の家庭がどのようになりますか? 私は無慈悲な人です。

 それで、六三年度から狩りに高い山に行って、鹿一組を捕らえて、刃物で心臓を裂きました。なぜこのようなことをしなければなりませんか? 復帰です。それで、狩りが必要なのです。山でしたので、海でもしなければなりません。それゆえ、魚も養殖し、動物も育て、その比準差が変わらないように保護するべき責任があります。ですから、パンタナルとアマゾン川で、魚と動物と一緒に生きるのです。そこに関するものを探査し、今年の「父母の日」を迎えたのです。

 一番幸せなのが郭錠煥です。体が半分にしかならない女性を連れて暮らそうというのですから。たまには愚痴をこぼしましたか? (「こぼしました」)。愚痴をこぼしても、郭錠煥は自分の妻を愛していました。統一教会の幹部すべてがにぎにぎしく座っているときに、郭錠煥が、幹部が座っているその次に座ろうとするとき、妻が「退きなさい」と言って夫の前に来て座るのですが、じっと見ると、郭錠煥は喜んでいるのです。

 統一教会の郭錠煥にそのような面で賞を与えようと考えています。郭錠煥が妻ゆえに烈男になり賞金をあげるのですが、妻がよくしてくれて賞金をもらうのではありません。それをすべて理解して越えることができ、条件に引っかからず、解放された立場に立っているので賞を与えるのです。

 「愚痴をこぼそうとすれば、便所に行きなさい」という話をみな知っているでしょう。夫が忙しくて帰ってくるとき、間違いなく女性たちは、「愚痴をこぼすだろう」と思っているのです。夫が帰ってきて「ああ、忙しい。服を脱がせなさい」と言えば、妻が服を脱がしてあげませんか? そうして、夫が便所に行って約三十分そこにいて帰れば、すべて終わるのです。そのように研究しなければならないのです。戦争が起これば、銃弾を浴びないで済む秘法を学んでおかなければならないではないですか? けんかして利益になるものはありません。

 お母様も先生に対して理解できない分野がたくさんあります。「あの人があのようにするときは、間違いなく火のような性格だから……。どうすればあのようになるのか?」と思うのです。一八〇度、他のことをするのです。そのような時は、男性たちがコントロールしなければならないのです。

 そして、親は息子・娘に涙を見せてはいけません。涙を見せてはならないのです。涙を見せてその伝統を受ければ、どのようになりますか? どんなに夫婦同士で腹を立てたとしても、朝、息子・娘があいさつをしにくる音さえ聞けば、「だれか来る」と思えば、二人が昔の姿に戻らなければなりません。このような訓練が必要なのです。
 ですから、家庭解放をしなければなりません。分かりましたか? 二つの心をもって妻を愛するなというのです。

  真のご家庭の囲いとならなければならない祝福家庭

 今から何だと言いましたか? 体と心を統一し、それから何ですか? (「夫婦統一です」)。夫婦が一つになり、それから何ですか? (「子女統一です」)。先生は子女教育を一つもできませんでした。

 国進が十数歳になって、「お父さんは統一教会の父親ですか、三十六家庭の父親ですか、私たちの父親ですか? このように優れた、賢い息子・娘の父親ではないのですか?」と言ったのです。その通りなのです。「お兄さんが愚かなのですか、だれが愚かなのですか? 顔を見ても、どのような面においても、すべてのことに人に先立つことのできる兄弟たちを、あなたはなぜ愛さないのですか?」と……。とても賢い息子たちです。

 彼らをいつ愛したことがありますか? 「統一教会の人たちが、十分の一でも愛していたら、私たちは理解するはずなのに、なぜ、兄弟が涙を流すようにしていたのですか?」と言うのです。それが親がすることなのか、ということです。私は忠告を受けても、言葉なく過ごしていたのが忘れられません。賢い息子たちです。だれよりも冷静に批判します。「自分が父親になればこのようにはしない」と。それで、言った言葉が、「分別をつけなさい。おまえは二十歳に早くなりなさい。お父さんが悪いか、善いか、分かるだろう」。原理が分からないのです。

 しかし、この三十六家庭を中心として、先生の家庭の囲いになり、保護しなければならないのに、先生の息子・娘を中心としてどうだこうだと言っているのです。自分たちが堕落して、引きずっていこうとするのです。ありとあらゆることをすべてしているのです。

 皆さん自身もそうです。体と心が一つになり、夫婦が一つになり、息子・娘が一つにならなければなりません。先生の息子・娘が引っかかっています。それを一つにして、越えていくことのできる統一家であり、先生から祝福を受けた父子の関係の家庭形態を、新しく氏族を中心として民族を編成することのできる、伝統を引き継ぐことのできる家庭であるということを知らなければなりません。

 最近、祈祷するのを見れば、一番最後に仕方なく、イースト・ガーデンにいる先生の子女たちのことを祈祷しています。そのようなものはすべて通じません。本当に愛しているのかというのです。自分の息子・娘よりも、自分の両親よりも、愛したのかというのです。それが公式なのです。

 私はあなたたちをだれよりも愛しました。愛しましたか、愛しませんでしたか? 率直に話しなさい。(「愛されました」)。飢えた者の群れが飢え死にしてしまうので、会社をつくり、このように苦労をするのです。来られる主は、会社をつくって、飢えた者の群れを食べさせるために来たのですか? 

 問題は簡単です。体と心が一つになったのか、ということです。毎日のように鏡を見て、これはだれの目ですか? あなたの目が本当に神様の目に似ましたか、両親の目に似ましたか? 「神様の目に似ました。両親の目に似ました。それゆえ、私の目ができました」と、そのように考えなければならないのです。鼻もそうであり、五官もそうなのです。愛ゆえに生まれたのです。

 真の愛で、すべての霊と肉が一つになるのです。真の愛を通して見る目は、地上で霊界をすべて見ることができるのです。自分が行くべき所がすべて分かります。きょう何をしなくてはならないのか、祈祷すれば分かるのです。すでに体が分かるのです。それが習慣になって、(瞬時に反応するアレルギーのように)信仰のアレルギーができます。体が分かるというのです。そうでなければ保護することができません。動物はすべて何の動物であれ、臭いをかいですべて分かるでしょう。大きな獣がいるときは隠れ、小さな獣がいるときは餌食にしようと、寝ていても起きあがるのです。分かって生活するのです。同様に、皆さんもそのことを知らなければなりません。信じるのではありません。分かって、行動するのです。

 良心はすべて分かるでしょう。(「はい」)。良心は全部分かるのです。
 妻、夫、よく考えなさい。女性が父母を捨て、一族を捨て、自分のところに来て、どれくらいかわいそうですか? おじいさんの代わりに、父親の代わりに、夫の代わりに、兄の代わりに、男性を訪ねてきたのではないですか? ですから、おじいさんの代わりに保護しなければならず、母親、父親の代わりに保護しなければならず、夫の代わりに愛してあげなければならず、兄の代わりに保護してあげなければならないのです。そうではありませんか? 

  天宙の法、憲法を中心として治める

 それで、新しい自分の王圈を成立させなければならないのです。エバがなくては王圈は生まれません。絶対必要なのです。最初は体と心。二番目は? (「夫婦です」)。三番目は? (「子女です」)。私ももう家庭に帰って、子供たちをつかんで悔い改めさせなければなりません。それで、法が必要なのです。今まで正式にこのことをできなかったのです。法的にすべてしなければならないのです。

 ですから、国を早く建てなければなりません。何のことか分かりますか? 家庭は国が治めなければならないのです。国の法に従っていかなければなりません。そうでしょう。(「はい」)。国の法と国がないので、今まではそうでしたが、国があれば、国の法を中心として治めることができるのです。国の法が生まれれば、国を治めることができるのです。世界も、天上世界の天宙の法、憲法ができれば治めることができるのです。

それが原則的だというのです。それゆえ、すべてそれを考えなければなりません。

 自分の息子・娘を治めることができなければなりません。祝福家庭の子女で、世の中の結婚をしたすべての人は今後、責任を追及するのです。だれがするのでしょうか? その子供たちがするのです。「お母さん、お父さん! 原理をこのように見たのですか」と言うのです。その孫をどのように愛するつもりですか? 何をもって孫を愛する条件を立てるのですか? そのようなあらゆる問題が生まれます。分かりましたか? 

 今後、統一教会の神学大学院もそうです。今まで祝福を受けた家庭が、どうしたこうしたと言って「教授になる」と言うのですが、その条件に引っかかった人は教授になってはなりません。今からそのような整備をしていかなければなりません。後で問題になります。デモするのです。 そして、あなたたちもそうです。今後、鮮文大学を経なければ、難しくなるのです。見ていなさいというのです。「大学を出た」という話をするでしょうが、すべて何の学科であれ、否定してしまうのです。私たちの事業分野に入っていれば、引き抜いてしまいます。先生の息子・娘が大学院に行くというのを、行くなというのです。それが間違っていますか? どうですか? 伝統を知らず、上下を知らず、反対に回れば、罪になるのです。

 尹博士にも「今、父親を伝道しなさい」と言ったでしょう。祝福を受けさせなさい。何回言いましたか。そのご老人が、私と何の関係があるというのですか? そうしてこそ、尹博士が学校を辞めたとしても、全部抱くことのできる解消の方法があるのです。自分の父親が鮮文大学の総長であっても、自分の兄、自分の一家は、鮮文大学に行ったり来たりしなかったですか?

  氏族メシヤにならなければならない

 さあ、分かりましたか? (「はい」)。すべて体と心が一つになり、次に夫婦が一つになり、次に子女が一つになるのです。そうでなければ、どこに出ることもできないのです。そのような面で、二世の立場がどれほど恐ろしい立場ですか? 

 新しい時代へと入っていくのです。きょうは特別な日です。何の日かといえば、三十九回です。きょうが過ぎれば、年数で四十数に移っていくのです。この二年間に勝敗を競わなければなりません。どのようなことでもしなければなりません。分かりましたか! (「はい! )。そして今回、訓読会をすればすべて分かるのです。

 私は息子として北韓に行って、母親の墓に行きました。その時、姉が慟哭し、妹が慟哭したのです。「お母さんが恋しがっていた、お兄さん、弟が帰ってきました……」。断腸の思いです。そこで涙を流してはなりません。「私はここに来たのではありません。お父さん、お母さんのお墓参りに来たのではありません。私が国王の姿を備え帰ってきて、墓参りする時は、国が侍り得るその道を築いて来ます」と言ったのです。その約束のゆえに、北韓を捨てません。

 郭錠煥も今後、氏族的メシヤにならなければなりません。(「はい」)。郭氏を全部一か所に追い込まなければなりません。宗親連合をつくらなかったのですか? 入籍する場合は、七代です。これが氏族です。これは絶対的です。入籍をしなければなりません。入籍する国がありません。大韓民国を南北統一させることのできる、周辺、後続処置を強化しなければなりません。

 家庭を中心として恥じない家庭をつくりなさいというのです。
 今年の標語を完成しなければなりません! 分かりましたか? (「はい」)。昔のそれの十倍です。簡単です。環境的世界のどこであれ、祝福する伝統ができているので、どのようなことをしたとしても反対しません。

 そして、今後、聖酒式を中心として、重生式、復活式、それから何ですか? (「永生式です」)。今後、道をふさぎ、高速道路をふさぎ、車のある所で全部やるのです。国で新聞に広告を載せて、道をふさぎ、「キャンディーを食べて行きなさい」と言って分けてあげるのです。そうして、一人も漏らさないように、町内までもそのようなキャンディーを持っていって与えて、赤ちゃんに食べさせなさい。そのようになれば、健康になりありとあらゆる奇跡が起こるのです。奇跡が起こるのです。今、そのようなことを始めるのです。


一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2023.05.29 22:36:10
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