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2023.10.13
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​※ 
​信仰が否定されても、それを信じていき、愛を否定されても信じていかなければならず、従順を否定されても信じていかなければならないのです。そうして、怨讐を愛する立場まで行かなければならないのです。​

​  天の父母 、真の父母、「天地父母」もそのようにしたので、皆さんもそのようにしなさいというのです。皆さんもやはり、それを相続しなければなりません。その愛から血統、生命を受けなければなりません。そのような生命を持ったので、そのような生命に見合う、そのような血統、そのような愛を持たなければなりません。​

 それゆえに、そのような真の愛を中心として、個人生活や家庭において投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人がセンターとなるのです。中心存在となるのです。そのことを知らなければなりません。

※ 「真の父母」は過去にも、現在にも、未来においてもただ一組です。
 真の父母は二組ですか、一組ですか? (「一組です」)。一組しかいないのです。 それは、絶対、唯一、永遠、普遍なる人です。そうすると、その真の父母の前に地上世界、天上世界で祝福を受けた家庭は、「ただ一人」ということと同じなのです。同じ価値があるというのです。そうですか? (「はい」)​




​​​​​​​​​​​​​​​​​​

天宙は私の故郷と祖国
成約七年 1999年12月19日(聖日)
ニューヨーク州ベルベディア


 皆さんの故郷と祖国はどこですか?。どこの国の人ですか?。ここには、世界の人々が皆、集まっていますが、故郷が皆違い、祖国が皆違うというのです。「天宙」という言葉は何ですか?。この世界には故郷も多く、祖国もたくさんあります。「天宙」とは天地のことです。天地というのならば、故郷と祖国は一か所しかありません。

 この世界には、いくつもの祖国といくつもの故郷がありますが、「天宙」と言うとき、「天」とは文字どおり天のことであり、「宙」とは家のことです。「天」という字は「二人」と書きます。「宙」の「ウかんむり」は家を表します。「宙」という字の「由」という字は「自由」の「由」を表すのです。ですから、「天宙」とは、「思いどおりにする自由な家」ということです。

 英語では、このように内容が複合的に含まれている言葉はありません。東洋には表意文字があります。すべてこのようになっているのです。その意味は、いつでも上下を考え、左右を考え、前後を考えるということです。いつでもその三つのことを考えるのです。それゆえに、宇宙を表すのは、「天・地・人」という言葉です。その三つの中にすべてが含まれているのです。

 人間は小宇宙なのですから、皆さん自身にも霊的「天・地・人」と肉的「天・地・人」が含まれているのです。すべて二人です。二人で暮らす「私の家」なのです。そしてこの二人は、相対的なのではなく、一つであることを象徴するのです。ですから、二人が共にいる所には、いつでも神様が共にいらっしゃるのです。それゆえに、東洋思想は幅が広いのです。

 そして西洋の人は、仕事をさせるにしても一つだけさせなければならないのであり、二つも三つもさせたら何もできません。東洋人は数を数えるとき、一、二、三、四、五までは指を折って数え、六、七、八、九、十は、折った指をこのように広げながら数を考えます。

 ですから、西洋の人に「何々をしなさい」と言って、一度に十のことをさせても、一番、二番、三番、四番、五番と、指を折ったりせずに一つずつ数を数えて決めます。東洋では、指を折って数えるというのです。指で数を数えるのを見ても、折った指を今度は広げていくので、最後まで数えれば、今度は帰ってこなければなりません。行くものであれば、帰ってくるようになるのです。

 それゆえに、東洋文明と西洋文明が違うところは、東洋思想は総合的であり、西洋文明は方向性を持っているというところです。西洋文明は、進んで行っても帰ってくることを知りません。西洋文明は、最後まで行っても帰ってくることができないというのです。帰っていこうとすれば、しかたなく東洋人にしがみついてこそ帰ってくることができるのです。

 なぜかというと、西洋人は、大宇宙の家、膨大な家のすべてのものを捕まえようとするので、そのようになるのです。ですから、東洋と西洋が一つにならなければならないということです。

 このような話は、きょうの題目の序論にしかなりませんし、常識的な話なのです。皆さんも、西洋文化圏内にいる人は、必ず東洋文化を保護しなければなりません。そうしてこそ、内外が編成されるのです。





 上下、左右、前後が(板書される〈図〉)このようになってこそ、自己の位置が定まるのです。上下、左右、前後を定めてこそ、位置が定まるというのです。ですから、前だけを知っているのではいけません。後ろも知らなければなりません。未来と現在と過去を知らなければなりません。東洋と西洋と現在です。文化でいえば、西洋文化、東洋文化、世界文化になるのです。そのような関係になっているというのです。一つだけ知っているのではいけません。

 皆さんが眠るとき、うつぶせになって寝たり、横向きに寝たり、右を向いて寝たり、左を向いて寝たりするでしょう?。どれが原則ですか?。ヘンドリックス氏。(「上を向いて眠ることです」)。必ず、上向きに眠らなければなりません。

 なぜ、必ずそのように眠らなければならないのかというと、すべてが「解放である」というのです。足も解放、腕も解放、すべてが解放だというのです。横を向いて寝れば拘束です。腹ばいに眠るのが楽なのではないかと思うかもしれませんが、頭が苦しいのです。(ジェスチャーをされる)(笑い)上を向いて両腕を広げて眠るのが「解放」です。分かりますか?。すべてのことは、道理にかなっていなければなりません。

 この中で、腹ばいに眠る人は、手を挙げてください。それは七十点です。横向きに寝る人はいますか?。それは五十点です。(笑い)この二つが一つになれば、百点を超えるのですが、上向きに眠るのが百点です。このような話は面白いですか?。

 ですから、自己の位置は上下、前後、左右で決まります。「上下」というときの「上」は天であり、「下」は地であり、左右は男性、女性であり、前後は兄弟だというのです。父子関係、夫婦関係、子女関係、ここにすべて含まれています。そのようになってこそ、球形になるのです。

 すべての存在は、球形になっています。そこには必ず、上弦、下弦、右弦、左弦、前弦、後弦、すべてが含まれているのです。そのセンターがこれ(板書されたものを指し示される)です。センターには、何もありません。空です。そうではないですか?

 この一点を中心として、球形のすべてが連結されているのです。ですから、これが一、二、三、四、五、六、七です。七がセンターです。それで「七」のことを「ラッキーセブン」というのです。そうして一番ラッキーな所がどこかというと、神様がいらっしゃる所(中心点)です。

 それで神様は、目に見えないのです。見えない中心点にいらっしゃるのです。神様は、霊界に行っても目に見えません。神様は、わたしたちのように日常生活のすべてを指導することができ、話すこともでき、すべておできになるのですが、目には見えないのです。

 上下においても、「上」は見えません。「下」は見えます。この上下が一つになってこそ、完全になるというのです。一つの完全なものになるのです。それぞれ一つでは、不完全なものです。二つが一つにならなければなりません。

 皆さんにも見えない心と体があります。これが一つにならなければなりません。左右があるでしょう?。右側一つだけがあるのですか?。右側が行けば、いつでも左側が行き、左側が行く所にはいつでも右側が行って一つになるというのです。それから何ですか?。上下、左右、前後です。

 自分が前に進むというときにも、自分が動くときには必ず前後というものがあります。そうして、自分の動きに伴って空気が動けば、自分が今までいた所には、いつでも空気が入ってきて空いた空間を埋めて、水平にならなければならないというのです。左右関係も水平にならなければなりません。前後関係も水平にならなければならないというのです。

 それゆえに、自分一人で個人主義を主張する愚か者は、この宇宙のすべてのものを破綻させるのです。放棄してしまうというのです。天があり、地があり、左右があり、男性と女性がいて、未来の後孫がいるというのです。三つが一つにならなければなりません。

 この図を見れば、上下も一つのカップル、前後も授け受けするので一つのカップル、それから左右も授け受けするので一つのカップルです。カップルになるというのです。種は上下の殻、左右の殻、前後の殻をかぶって出てくるのです。種は、必ず固いのです。そして二つでできているというのです。

 種は長細くなっていたり、このようになっているのですが、プラス・マイナスです。これが球形になっていますが、前後になっています。プラス・マイナスです。それで、父母が必要なのです。これが男性ならば、女性が必要です。そして、これは何かというと、兄弟が必要なのです。父母を持たなければならず……。

 父母が上下であると同時に、父母が左右であると同時に、父母が前後なのです。ですから、前後が育って夫婦となり、そして上下(父母)になるのではないですか?。すべてそのようであるというのです。そうですか? (「はい」)

 ですから、父母を否定する人は落第であり、夫婦を否定する人は落第であり、子女を否定する人は落第です。宇宙の原則から外れているのです。無価値です。公式のとおりになっていません。

 人は、いくら愚かでも、優れていても、父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、息子、娘がいなければなりません。アダム、エバも、息子、娘が育って夫婦となり、父母となったのです。それは必然的な内容であり、わたしたちが行くべき道なので、わたしたちにもその三つが絶対に必要であるという結論が出てくるのです。

 子女、それから夫婦、それから父母、このようになったのです。連結されているのです。上下、左右、前後合わせて一つなのです。そしてこれが、家庭の種です。ですから、あなたの家庭には、必ず父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、子女がいなければなりません。

 そのようになっていてこそ、回っていくのです。これが理想的存在のモデルです。それで、父母の愛を完全に受けなければならず、そして夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから子供を生んで、息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。

 それでは、神様はどのようなかたなのでしょうか?。どこから先に始まったのですか?。上からです。「上下」と言うからです。「上下」です。東洋の言葉は、「右左」ではなく、「左右」となっています。それは、堕落したからです。そのことを知らなければなりません。本来は、「右左」にならなければなりません。それでは、どこから先に始まったのかというと、上を考え、それから右側を考えなければならず、それから前後です。分かりますか?

 この殻のようなもの(図)が、種です。神様が共にいらっしゃってこそ種になるのです。神様を中心として上下が一つになり、左右が一つになり、前後が一つになったので、神様を中心として一重の殻、二重の殻、三重の殻になったのですが、中心の神様がプラスであり、種がマイナスです。それは、原因と結果です。ですから神様のようにならなければなりません。

 「四位基台は、三対象目的を完成することである」と原理は主張しています。これは宇宙の根本です。愛の関係を持った植物や動物の世界は、この原則と法度の内容によって成り立っているということを、皆さんは知らなければなりません。

 そこの女性は、種になることができますか?。そのようになろうとすれば、父母にならなければならず、妻にならなければならず、娘にならなければなりません。そうしてこそ、この宇宙の中で永存し、回っていくというのです。一年で一回りして、千年万年、回り回っていくのと同じように、永生するのです。

 この中で、父母が嫌いな人は手を挙げてください。「わたしの思いどおりにできるのが父母である」。そうですか? 「父母は子女には勝てない」。そうですか?。違います。一体、世の中のどこに、そのような言葉がありますか?。それは、堕落したためです。堕落したので、転がっていくのです。転がって離れていったので、そのようにいうのです。

 上がなくなれば、プラスがないので転がっていきます。左右で、夫がいなければ引っ張られていくのであり、息子、娘がいなければ後代がいなくなるので、この地上の歴史から追放されるのです。価値否定です。夫がいなければ、女性も滅びるのです。息子、娘がいなくても滅びるのです。一代で終わってしまいます。分かりますか?。それは事実ですか? (「はい」)

 では、何によって連結されるのですか?。力によって左右、上下、前後を連結することができるのですか?。お金でも知識でも権力でもありません。お金ではバランスを取ることはできません。知識ではバランスを取れません。

 一つでも多くの知識を持っていれば、「おまえはわたしの言うことを聞きなさい」と言って、それで高い低いということを判断するというのでしょうか?。それでは一つになる道がありません。また、力でも一つになることはできません。分かりますか?。バランスを取れるものは、愛しかありません。それで、神様はこの中央の位置にいらっしゃるのです。「ラッキーセブン」です。分かりますか? (「はい」)

 バランスを取ろうとすれば、上下を一つにし、左右を一つにし、前後を一つにしなければなりません。上下、左右、前後を一つにするものは、愛なのです。神様を中心として、すべてのものがバランスを取らなければなりません。それが宇宙の完成です。この原則について見るとき、中心がなければならないでしょうか、あってはいけないでしょうか? (「なければなりません」)

 皆さん、サッカーボールがあるでしょう?。太陽のように丸いものがあります。それは、内部の中心から圧力で上に押してあげ、下に押してあげ、前後に押してあげ、左右に押してあげるので、サッカーボールは丸いのです。その中心はどこですか?。引っ張ればつぶれてしまいます。それでは、どうしてバランスを取って、共に押し合うのでしょうか?

 つかんで引っ張ったり、引きずり降ろせば、ぺたっとつぶれてしまうというのです。中で何かがバランスを取ってあげ、共に押してあげるのです。何が全体を円滑に大きくしているのかということです。それは何ですか?。愛なのです。真なる愛は、投入することです。受ける力ではありません。与えるので、そのようになるのです。それゆえに、「真の愛を中心として、中央においてために生きる世界は、自然に完成する」という、このような結論になるのです。

 そこには「自分」というものがありません。「自分」を絶対無視して出発する点が、中心点であるゼロ点です。ゼロ点の中には、何が入ってきても「オーケー」です。そして与える力が永続し、入ってくる力が永続するので、永遠に球形になるのです。もし、中心点のゼロ点から外に向かう、与える力が弱くなれば、外からさあっと入ってくるのです。

 この世界は空です。ぽっかり空いているというのです。この宇宙のことです。天宙は、その全体が空いているというのです。そして、「ラッキーセブン」のような神様がいらっしゃって、そこに投入されるのです。天運は、それを受け止めて回してあげるのです。回転運動をすれば、大きくなります。分かりますか?

 そして、この空間世界を引き入れることのできる力の動機は、与える力であり、それがあるがゆえに、そのようなことができるのです。与える力があり、それが入っていくことのできる力となって返ってきて運動することによって、中心点が永遠に運動するのです。

 愛は流れていきます。空気も流れ、水も流れ、愛も流れていきます。光はどうですか?。月の光が流れていって、どのように回っていくのですか?。空気も回り、水も雲になって回り、空気も回っていくのですが、太陽の光は回っていきますか?

 皆さん、月にかかる暈というものがあるでしょう?。太陽の暈はどうですか?。太陽があれば、その中で数万種類の元素が作用しており、同じ元素は、その運動を宇宙に発散し、展開しているというのです。そのようにしながら、それが月の暈のようにすべて連結させて入ってくるのです。

 光があれば、物質があるところでは反映して運動しているのです。光がある方向に流れていくということは、その流れていく方向が、その流れていった光が再び帰ってくることのできる方向になっているので流れていくのです。そうでなければ、流れていきません。ですから、損害を被る運動をするものは、この天宙にはありません。

 きょうの題目は、「天宙は私の故郷と祖国」ですが、天宙は、存在する万物の家なのです。すべての万物が入っています。神様は、球形の位置、無形の位置から、天宙をサッカーボールのようにつくられるのです。

 それでは、その存在はどのようになるのですか?。受けたので、今度は自分が返してあげなければなりません。反射と同じです。必ず返してあげなければなりません。そして返すときには、神様から受けたものに、よりプラスしようとするのです。もっと大きいものを返してあげるというのです。ですから、与えれば大きいものが返ってくるので、もっと大きくなり、どんどん大きくなっていくのです。

 善なる人とは、どのような人ですか?。受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対してプラスさせて返す人は善なる人なのです。それゆえに、父母の中で、「子女は自分よりも低くなれ」と言う人はいません。自分よりも高くなることを願うのです。また夫は、妻が自分よりももっとりっぱであることを願います。

 さらに、兄は弟がそうあることを願い、弟も兄がそうであることを願うのです。そうなのです。受けたものよりももっと大きいものを返す人は、父母の願いや兄弟の願いやすべての万物の願いや、全宇宙の願いにかなっていなければなりません。アーメン。簡単です。

 皆さん、だれが話していても、聴衆の中の一人だけでも、より喜んでいる人がいるとすれば、どんどん続けて話が進むのです。見ることもそうです。見ていてもっと喜べば、どんどん大きくなっていくのです。

 夫婦でキスするときもそうです。初めは遠慮していても、後から「アイゴー、死ぬー」と言いながら大きくなっていくのです。原理であれ何であれ、自然の道理がすべてそうなっているのです。このことさえ知れば、すべてが解決します。さあ、統一教会の教会員として、だれが一等になるでしょうか?。受けたものよりも、もっとたくさん送り返そうとすれば、一等になるのです。

 「訓読会」のみ言です 「そのみ言の内容よりも、自分はもっとなそう」と思ってすれば、統一教会の「ナンバーワン・メン」になります。一番、最高になるのです。それは正しいことですか、正しくないことですか?。正しいですか、正しくないですか? (「正しいです」)与えたにもかかわらず、踏み倒してばかりいると、空になるというのです。前進ではなく、後退してしまいます。

 あなたたちは、米国や世界の歴史を通して、今まで多くの世話になった結実として生まれたのですが、自分が世話になった以上に与えようとしてこそ、世界全体の前に基準となることができ、それが高くなって与えてあげることができることによって、引っ張っていくことができるのです。簡単です。皆、分かりますか? (「はい」)

 目もそうです。美しいものがあれば、目がぱっと開くのです。見ているものに内容がなかったとしても、自分が協助してあげれば、その価値が高くなるのです。平常時に聞いていた言葉よりも良い言葉を聞けば、耳が踊りを踊りだします。においも同様であり、口も同様です。分かりますか?

 「天宙は私の故郷である。私の祖国である」と、そのように言うことのできる人は、天国に入っていけば個人的に歓迎され、家庭的に歓迎され、国家的にもっと歓迎され、世界的、天宙的に最高に歓迎される神様の息子、娘になることができる、という結論も出てくるのです。

 天宙が私の故郷であり、私の祖国であるならば、きょうのこの図の中で、どのような位置になるのでしょうか?。例えば、任意の点のここが故郷であるとするならば、その点と中心までのこの距離が、どれほど遠いでしょうか?。そのような場合、この二点間以外のすべてのものは、忘れてしまうのです。

 ですから、この全体の中のどこの位置においても永遠に万歳、ここも万歳、ここも万歳、ここも万歳、あそこも万万々歳と言うことのできる故郷は、どこですか?。祖国がどこなのかというのです。

 目には見えなくても、この世界すべてにぎっしりと満ちている、そのような人にならなければなりません。天宙も、目には見えないけれども、ぎっしりと満たされているということを知って、そのようなものを見ることができ、そのように暮らすことのできる人にならなければなりません。

 この完全に空いた中心の位置に入っていってみると、その周りは見えません。(板書されながら、み言を語られる)周りをのぞき見ても、見えないというのです。中心に入っていけば、見えないものを中心としてではなく、中心点は内的世界を見ることができると同時に、外的世界まで見ることができるのです。神様がそうであられるというのです。何のことか、分かりますか?。無の境地を通過しなければ、本当の世界と本当の天と神様を見ることはできないという結論が出てくるのです。

 米国(韓国語で「ミグク」)とは、わかめスープ(韓国語で「ミヨツクク」)のことですか?。だから落第です(わかめは、ヌルヌルと滑るので、韓国語で「ミヨ グル  モクタ〈わかめを食べる〉というと「試験に落ちる」の意になる)。「わかめスープを食べれば、(試験に)落ちる」と言うではないですか?。ですから落第です。米国が見えません。

 米国を否定し、米国社会、自分の会社、すべてを否定し、そして、ジャンプして飛び越えて、中心点に入っていけば、神様しか分からなくなります。神様は、いらっしゃっても神様であり、いらっしゃらなくても神様です。神様しかありません。なぜですか?。神様が核に入っていかれるようになるときは、外にあるものは浮体のように引き込まれていくので、核の神様の位置に入っていけば、その浮体と骨までが、見えない霊界の世界、つまり見えない神様が見える世界、神様が相対的に見える世界をみな感じることができるというのです。

 この八段階で見れば、どうでしょうか?。否定するということは、簡単なことではありません。否定することが簡単ですか? (「難しいです」)。ですから、(すべてを否定して)この世界には何一つないという状態にまで達したとき、その世界に入っていって出てこなければ、世界に対する事実を知ることはできないというのです。

 ないところから大きくなってこのようになったので、その何もない世界に入っていって再び出てきてこそ、この二つの世界を知ることができるのです。創造のみ業をなさるときが、そうではないでしょうか?。無から始まってこの万物までつくられ、そして人間がつくられたので、人間が創造された時点から、この創造前の何もない位置まで戻って、根源的なものを中心として神様と一つになってみてこそ、神様が見える世界になるというのです。

 それは何かというと、神様がつくられたものをすべて消化してしまいなさいということです。分かりますか? (「はい」)。生き残るものを消化できる力を持つ存在が生き残るということを知らなければなりません。消化して栄養分を補給し、大きくなっていくことができなければなりません。このようにして大きくなることのできる存在は生き残りますが、ふさがれて大きくなることのできない人は、いなくなるのです。

 皆さんは、どこで暮らしたいですか? (「故郷です」)。故郷と祖国とどちらですか? (「天宙です」)。天宙というものは、そこに地球も入るのです。故郷は天宙の中にありますが、地球や祖国は、神様がいらっしゃる所です。先祖が神様なのです。分かりますか?

 それでは、あなたたちの故郷はどこですか?。天宙であるというのです。それゆえに、分けて話をしませんでした。天宙というのならば、あなたたちは空中で生まれたのですか?。地球であり、この世界です。故郷の地はどこですか? (「韓国です」)。韓国ではありません。地球です。地球が故郷なのです。その故郷が地球のどこなのかというとき、このフロリダであるとか、ワシントンであるとか、それらが異なってくるのです。

 皆さんが「故郷である」と言い、「祖国である」と言うものは何ですか? 「それは、米国の限界圏内に囲まれたものである」と言いますか?。それは違います。あなたたちの故郷は、どこであるというのですか?。この米国の者たち。「自分の故郷は米国のフロリダやワシントン、日本、韓国である」と言うのは、愚かな人です。堕落した者たちがそのような話をするのであって、堕落していない本然の者たちは、そのような話はしないということです。

 故郷は世界、天宙です。それが故郷です。なぜですか?。自分の父、息子、娘、一緒に生まれた兄弟が暮らす所が故郷であり、父母が暮らす所が故郷なのですが、「堕落していない地球が、私たちの故郷である」と言うことは正しいのです。それでは、生まれてみると黒人が生まれ、黄色人が生まれ、白人が生まれました。それは、だれの息子、娘ですか? (「神様です」)。それを見たのですか?。見ましたか、見ていませんか?

 見ていても見ていなくても、主人は一人しかいません。それは、「お山の大将主義」ですが、宇宙のここでも大将、東に行っても大将、西に行っても大将、上下に行っても大将、左右に行っても大将、あらゆる大将がいますが、その大将の中の大将が、「ラッキーセブン」である神様であられるというのです。神様が大将であられるので、神様は父ということにならざるをえません。

 白人と黒人は、皮膚の色が違うだけではないでしょうか? 「白人は立って歩くけれども、黒人ははって歩く」というのであれば、それは、どこかが違うかもしれません。
 しかし、白人は黒人に「あなたはわたしに似ている」と言うことでしょう。白人が歩くのを見て、黒人は「自分と似ている」と思うのではないですか?。ですから、「同じである」ということです。

 黒人がはって歩くのであれば、白人は「自分と似ていない」と言うかもしれませんが、黒人も当たり前のことですが、もちろん歩くのですから、それを見れば、白人は「自分に似ている」と言うということです。同じなのです。

 白人がすることで黒人にできないことはなく、黒人がすることで白人にできないことはありません。すべて似ています。ご飯を食べるのも手で食べますか、足で食べますか? (笑い)猿は、足でも食べ、手でも上手に食べるのですが、白人も黒人も手で食べます。ですから、白人と黒人で似ていないところが、どこにありますか?

 男女が愛してキスすることも、白人と黒人は同じであり、それどころか黒人は、愛することにおいてももっと情熱的に愛し、優れたりっぱな所が多いというのです。黒人同士で話すのを聞くとき、「あれは猿が話している」と言うでしょうか、「人間たちが話している」と言うでしょうか?。男性の手と女性の手は同じです。男性でも女性でも、トイレに行って小便するのも大便するのも同じです。男性と女性は同じです。動物たちは、うつぶせになって用を済ませるのですが、人間は皆、同じだというのです。

 すべて同じでしょう?。家族もあり、肉もあり、骨もあり、血もあり、その肉も同じなのです。皮を脱げば同じです。血も同じであり、骨も同じです。白人と黒人は、何が違うのですか?。皮膚の色です。それは、なぜそのようになったのでしょうか?それは、だれがそのようにつくったのですか?。もちろん、神様がつくられたものなのですが、自然がつくりました。気候がつくったのです。

 この南北米大陸のインディアンを、だれがいなくなるようにしてしまったのですか?。黒人ですか、黄色人ですか? (「白人です」)。なぜですか?。白人が最も悪いことをしたというのです。これをどのように解釈するのですか?。しかし、キリスト教を紹介したので、白人は残っているのです。

 ひぐまと北極ぐまが出会って一緒に暮らせば、自動的に結婚するでしょうか、しないでしょうか?。それは、自然ですか、人為的ですか?。自然にそのようになるというのです。牧場を見れば、白い馬もいるし、黒い馬もいますが、それでも混ざって結婚するというのです。しませんか? (「します」)

 ですから統一教会は、自然にそのようなことを喜ぶのです。自然界では、白いものと黒いものと黄色いものが自然に結婚しているのですが、先生も自然が好きなので、しかたなく同じことをせざるをえず、自然なことをしているのです。しかし、世の中でわたしを好む人は一人もいないというのです。

 黒人と白人が結婚することは、北極と南極が一つになることと同じです。黒人は、すべて熱帯圏です。それゆえに、白人や黄色人は、黒人と結婚することを好めば、健康な後孫を生むと思うのです。鳥もそうです。渡り鳥を見ると、熱帯地方にいるものが、温帯や寒帯地方で生まれたものを食べるためにそこに行き、そして子を産むのです。そのように入れ替わるというのです。

 気候は、千態万象の差があるので、生まれた地域だけで暮らしていてはなりません。世界、地球上のどこに行ったとしても、自分が好きなものを探していきながら、世界のものをすべて食べてみなければなりません。

 それでは、三代が四位基台を形成するので、わたしたち統一教会の祝福家庭は、三代を中心として、白人の嫁と婿、黒人の嫁と婿、黄色人の嫁と婿、このように混ざっている家庭を持つことが理想的ですか?。それとも白人だけ、黒人だけ、黄色人だけの家庭が理想ですか? (「混ざっているものです」)。混ざっているものですか? (「はい」)

 あなたたちは、ミックスされた食事が好きですか? (笑い)それゆえに、東西南北、朝は春の食事を食べ、昼食のときには熱帯地方の食事を食べ、夕方は秋を象徴するので、秋の食事を食べ、夜は冬の食事を食べれば、健康によいのです。そのようにすれば、健康だというのです。

 そのようにすれば、どこに行って寝ても、どこに行ってもおなかを壊しません。東の方で水を飲んでも、西の方で飲んでも、南の方、北の方、どこに行って飲んだとしてもおなかを壊しません。

 朝食は米国で食べ、昼食は日本に行って食べ、夕食はロンドンに行って食べ、夜はサンパウロに行って食べれば、どれほどよいでしょうか?。一日をそのようにして食べれば、毎日のようにおなかを壊すでしょうか、おなかを壊さずに一年じゅう健康でしょうか?。考えてみてください。

 どこに行っても、一年じゅう、生涯そのように訪ね歩き回りながら食べたとしても、おなかを壊さずに健康だというのです。それをすべて消化できるからです。あなたたちは、辛くて塩辛い韓国の食事を食べれば、おなかを壊すでしょう? (笑い)先生は、それを食べ、ここでハンバーガーを食べ、ステーキを食べ、スープを飲んでも、何を食べても大丈夫であり、南の方に行って何を食べても、肉を煮て食べ、生で食べてもびくともしません。それゆえに、どこに行ったとしても生きていくことのできる訓練ができているので、「ありがとうございます。神様」と言っているのです。

 それでは皆さんは、そのように世界を歩き回りながら、毎日のように朝と夜が違う生活を送り、世界のどのような食事であっても食べて消化する生活をして、喜んで楽しく暮らしたいですか、一つの所にしがみついて暮らしたいですか?。就職して十二か月、十年間を同じ所で暮らしたいですか? (「お父様と一緒に暮らしたいです」)。お父様と一緒に暮らすのではありません。神様と一緒に暮らすのです。

 神様は、どこであっても、人間が食べるものはすべて食べたいと思われるでしょうか、食べたいとは思われないでしょうか? (「食べたいと思われます」)それでは、わたしが一匹の大きなわにを捕まえておいて、「おい、わにの肉をおいしく食べよう」と言えば、ムシャムシャと食べますか、わあわあ言いながら食べますか?。

 自然界では、何の肉であっても我先に自分が食べようと大騒ぎし、動物でも大騒ぎするのに、人間世界では皆、えり好みをして「食べない」と言うので、人間世界は長く生きられないというのです。

 そのように考えると、自然界では人間がびりでしょう?。そして、その中でも文明人たち、米国人が一番びりなのです。神様は、すべてのものを人間のためにつくられたので、これをすべて食べてこそ、体も丈夫になるようになっているのであって、偏って食べれば、はんぱにしかなりません。

 ですから人間も、どこに行っても暮らすことができ、何を食べたとしても、昼に食べても夜に食べても、熱い所で食べても寒い所で食べても、寝ながら食べても起きて食べても、下痢をせずに健康でなければならないというのです。ですから神様は、世界のすべてのものを一度食べて、味わってみて「死にそうだ」と言っている人を好まれるでしょうか、それとも、隅の方で限られたものだけを食べようとする人を好まれるでしょうか? (「前者を願われます」)

 万物を神様以上に愛して食べるところには、病気はなく、健康なのです。虎よりも健康であり、万物よりも健康であり、草木よりも健康であり、どのような万物よりも健康に暮らすのです。ノーメンではなく、アーメンです。(「アーメン」)

 愛を嫌うものはいません。真の愛を嫌うものはいないのです。あなたたちが、家で十人の家族で暮らしていても、家で飼っている猫を赤ん坊がもっと愛すれば、猫は赤ん坊の所に行って抱かれるのであって、父親と母親が嫌えば、猫はそこには行かないというのです。そうではないですか?

 猫は、赤ん坊を見れば「ニャオ、ニャオ」と言いながらそこに行きますが、おじいさんを見れば、「ニャオ、ニャオ、ニャオ」と言いながら、そこには行かないというのです。(ジャスチャーされる)(笑う)人間の世界にだけ、受けたものを返さない強盗団、詐欺団がたくさんいるのですが、そのような人は地獄に行かなければなりません。

 さあ、ここに集まった五色人種には、各国の故郷と祖国がありますが、一つ間違いないことは、真の愛を中心として見たときに、すべての者にとっての祖国と故郷には、ただ一か所しかなることができないということです。ところが、愛がないので、すべて分かれてしまったのです。そうですか?ですから、この地球は故郷になることができますが、わたしたちの祖国にはなることはできないというのです。祖国は、父が暮らす所が祖国なのです。

 日本の食口は手を挙げてください。十年たてば、日本人が米国の地を占領してしまいますね。日本人は息子、娘をたくさん生みなさいというのです。どんどん生むのです。西洋の人は、赤ん坊を生まずに逃げていきます。フリーセックス、ホモ、レズビアンは「自然滅亡」です。

 統一教会の祝福を受けた家庭は、どんどん子供を生むのです。それは「ブレスト・カップル」ですか、「プラス・カップル」ですか? (笑い)わたしたち祝福家庭は、今から「プラス・カップル」というのです。(「アーメン」)。二〇〇〇年まで、十日程度しか残っていません。十日を超えたならば、「プラス・カップル」と呼ぼうというのです。(笑い)(拍手)

 プラスしようとするので、妻にも負債を負わず、夫にも負債を負わず、お互いに負債を負わずにプラスする「プラス・カップル」となるのです。「プラス・カップル」になれば、プラスの子女が生まれるというのです。分かりますか? (「はい」)。それで、二十一世紀の統一教会は、「プラス・カップル」であるならば「ブレスト・カップル」である、というのです。

 それから、何のレイス(人種)ですか?。「ユニフィケーション・レイス(統一の人種)」です。そこには白人もいて、黒人もいて、五色人種がいるのです。あなたたちは、白い服がよいですか、茶色の服がよいですか、黒の服がよいですか? (「レインボーです」)。(笑い)ミックスしたものが良いのです。混ざらなければなりません。まだらになっているものです。

 あなたたちの故郷はどこなのですか? (「地球です」)。本当の故郷は、今はありません。考えてみてください。一番重要なものが何かというと愛なのです。愛、血統、それから三番目は何かというと、生命です。三位一体です。色も三原色であり、肥料でも三元素があるのです。分かりますか?

 愛が存在するためには、愛には血統がぶら下がっており、血統には生命が連結されています。愛には神様が連結されているのです。神様は、先祖であられるというのです。こうして神様から血統を通してつながって、上下、前後、左右を中心として家庭となるのです。そこに愛があり、血統があり、生命があるのです。

 それゆえに、愛は歴史と連結された愛であり、生命と連結されたものが愛なのです。分かりますか?。血統が連結されておらず、生命が連結されていない愛は、偽りの愛です。そこには、すべての四肢百体が一時に動員されなければなりません。方便的、手段的愛になることはできないということを知らなければなりません。分かりますか?。これは、だれも変更することはできません。

 この愛と血統と生命のうち、血統一つを抜いてしまったとしても、すべて壊れていくのです。生命があったとしても、すべて壊れていくのです。生命があったとしても、この生命が愛を中心として血統的因縁ができていなければ、生命が連結されないというのです。

 愛は、永遠の歴史をつくるためのものです。過去、現在、未来と、神様の血統がくねくねと曲がることはできません。神様の血統は、まっすぐなのです。数千代、数万代がこのようにまっすぐになっているのです。生命も同じです。愛も同じなのです。

 その一代一代が、どこに連結されるのですか?。愛に連結されるのです。真の愛は、どこであっても真の生命と血統に連結されるのです。それゆえに、どこに行ったとしても、一代で同じ実を結ぶことができるというのです。真の愛、真の血統、真の生命。ですから、「永生」なのです。一つだというのです。それゆえに、祖国に自動的に帰るのです。分かりますか?

 ゆえに、「真の愛を持ったのかどうか」ということが問題なのです。真の血統を持ったのか、真の人になって、真の愛と真の血統と真の生命を後代に残すことができるのかどうかということが、神様が創造理想として願われる結論である、ということを知らなければなりません。

 そのようになれば、どのようになるのでしょうか?。神様のような理想的で永遠の愛、永遠の血統、永遠の生命の主人に似た人々が、完全な天の国の息子、娘になるのです。アーメン。

 なぜ、結婚しなければならないのでしょうか?。この伝統を過去と同じように今日、今日と同じように未来に残すためなのです。東洋、西洋、どこであっても永遠に同じ家庭をつくるためなのです。そのことを知らなければなりません。分かりますね? (「はい」)それゆえに血統をつくらなければなりません。それは、どのような血統をつくらなければならないのでしょうか?

 女性で言えば、ごちゃ混ぜの血統をつくるのですか、純粋な血統をつくるのですか?。純粋なものは一つです。それは、本来の夫を通してつくられるのです。あなたたちは、他人が食べたご飯を食べるのがよいですか、それとも新しいご飯を食べますか? (「新しいご飯です」)。新しいご飯ですか?。皆、そうでしょう?

 この目ですが、赤ん坊は、生まれてから目を開けるときに、何を先に見るでしょうか?。だれを先に見ますか?。父親を先に見るでしょうか、母親を先に見るでしょうか? (「母親です」)。なぜ母親ですか? 「マム(韓国語で「心」の意)」を与える「マム(英語で「母親」の意)」なので、マム(母親)を先に見なければならないでしょう? (笑い)

 そして、何をまた先に触ろうとしますか?。母親の口を先に触りたいと思うでしょうか、父親の口を触りたいと思うでしょうか? (「母親です」)。母親なのです。お乳を上げるからです。(笑い)これが宝です。最も貴いことなのです。

 東洋では、しゅうと(義理の父)の前で胸を見せれば、女性の中で最も悪い女性と思われるのですが、赤ん坊を生めば、裸になって両胸を見せて、このように乳を飲ませても、それは善になるのです。愛がそこにあるからです。真の愛があるというのです。それは、最高の善です。主人が変われば、そのように変わることができるのです。

 赤ん坊は、母親を触り、母親の顔を触り、父親は取り残されます。それでは、その赤ん坊を育ててくれるのはだれでしょうか? (「母親です」)。それと同様に、動物世界においても、子を育てるのは母親です。それは公式です。子を育てることは、父親にはできません。母親がすべて育てるのです。ライオンでも虎でもそうです。

 それでは、母親の愛がもっと良いですか、父親の愛がもっと良いですか? (「母親の愛です」)。なぜですか?。どうしてですか? (「……」)。どうしてなのですか?。それは、赤ん坊は母親の体の分身体だからです。母親の体の分身体だからなのです。赤ん坊は、血、肉、骨、すべてを母親から分け与えられて生まれました。それゆえに、赤ん坊は、親の愛の実体です。すなわち、自分の体、「第二の私」なので、愛さざるをえないというのです。

 アダム、エバは、神様から分かれて出てきました。ですから、神様は、アダム、エバを愛さざるをえないというのです。堕落する前のアダム、エバは、神様に対して触ることもでき、見ることもできましたが、堕落した後のアダム、エバは、神様に触ることもできず、見ることもできず、考えることもできなくなってしまったというのです。これは、どれほどあきれ果てることでしょうか?

 血統の貴重性というものを、わたしたちは考えてみなければなりません。アダム、エバは本来、どの血統を受け継いで生まれるはずだったのでしょうか?。神様でしょうか、どこの血統でしょうか? (「神様です」)。神様なのです。

 それでは、アダム、エバが神様の血統を受け継いでいたならば、血統を延長するためには、何を通さなければならないのでしょうか?。アダムの息子、娘が神様の孫にならなければならないのですが、アダムの息子、娘は、神様の孫になることはできなかったということを知らなければなりません。

 カインとアベルは、だれの血統を受け継いだのですか?。大きな声で答えてください。(「サタンです」)。サタンです。サタンとは何者ですか?。神様の愛の怨讐です。それは、神様の怨讐なのです。分かりますか?。ですから姦夫なのです。それは、最も悪い者です。

 愛の怨讐のことを「姦夫」というのです。姦夫の「姦」という字は、女性が三人と書きます。愛の怨讐です。分かりますか?。今まで、そのようなサタンが何者であるのかを知りませんでした。サタンは神様の怨讐ですが、どのような行動をする神様の怨讐なのかというと、それは「淫乱の神」です。サタンは、「淫乱の神」の先祖なのです。

 それでは、サタンがエバの胎中に入っていって、その子宮にカインを妊娠させるとき、神様の息子を妊娠し、神様の娘を妊娠しなければならない子宮であるのに、サタンの息子、娘を妊娠した子宮と、そのエバの体全体が、どれほど悲惨であったであろうかということを考えてみてください。

 そこで女性が生まれるとき、「私は今後、王子に侍ることのできる私である」と考えたのではなく、「アイゴー 痛哭する立場に立った、サタン世界のマフィアのような者に出会うのだなあ」と思って、どれほど悲しんだであろうかということを考えてみてください。

 そこから、神様の愛の世界とサタン世界は、完全に分かれてしまうのです。そこに神様が共にいらっしゃることはできません。そこから皆さんを宿し、皆さんが生まれてきたのです。そういう皆さんは、父親と母親の堕落した血統を受け継いで生まれた後孫なのです。そのことを考えてみましたか?

 そのようなことを考えてみるとき、本然の「私自身」とは、神様のみ前に平和と愛の中で抱かれ、喜び楽しむことのできる「私」であるべきにもかかわらず、神様の怨讐の根を受け継いで、それが食い込み、震えて悲惨な姿になり、どうしようもない「私自身」になってしまったということを感じなければならないというのです。

 これが事実であるならば、どうでしょうか?。皆さん、毎朝鏡を見ないという人は、手を挙げてください。いないでしょう?。鏡を見るとき、髪の毛一本からして「これは神様の怨讐だ」ということを感じなければなりません。いくらよく着飾ったとしても、神様の怨讐です。自分を輝かせるために身だしなみをするならば、もっと怨讐になるのです。

 この目を見るとき、「おまえもサタンの目だな、神様の怨讐の目だな」と思い、鼻も、口も、耳も、体も全部そうであると思わなければなりません。体全体の中で、神様が歓迎なさることのできるものは一つもない、ということを知らなければなりません。

 女性で言うならば、このようなことです。例えば、あなたたちの夫人が本来の夫を中心として赤ん坊を宿すべきであるのにもかかわらず、強盗に強カンされて赤ん坊を生んでしまったというとき、その赤ん坊を見るすべての人がどのようになるでしょうか?

 そのような場合、背を向けなければならず、見るのも嫌がるというのです。それを見ても、においをかいでも、反発するのです。同じ怨讐との間で二人の息子、娘がともに、そのようになってしまったということとぴったり同じです。堕落した世界の人であってもそうであるというのに、本然の神様ならば、どうであられるでしょうか?。百八十度違うというのです。

 そのような体をもって、女性が愛そうとして男性を求めて現れ、それに対して、そのようなとんでもない男性が愛そうとして現れる、その状況を神様がごらんになるとき、神様は「おお、良いぞ」と言われるでしょうか?。雷で打ってしまいたいと思われるのです。

 神様は、「結婚しなさい」と言われるでしょうか、死ぬほど「結婚するな」と言われるでしょうか?。何がフリーセックスですか?。ホモ、レズビアンですか?。ですから、神様の目から火が出るでしょうか、出ないでしょうか?。地獄に逆さまにして投げ込むというのです。

 血統的に誤った愛による血統を通して生まれた、誤った生命を持っている「私自身」であるということを自覚しなければなりません。もし、神様が悲しく恨めしい心を解き、怨讐に思うその心を解こうとされて、この体のすべてのものの節々まで細胞のようにして飛ばしてしまい、その細胞が飛んでいくのを見たとしても、それでも気分が悪いのです。もっとしないと気が済まないというのです。それほどまでに思って、火で燃やしてしまわれたいのです。

 愛の怨讐、血統の怨讐、生命の怨讐が、このように恐ろしい境界になっているということを知らなければなりません。これをどのようにしなければならないのでしょうか?
 そのような怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも愛さなければなりません。怨讐の息子、娘を自分の息子、娘くらいに愛すれば、すべてがなくなった位置になるのです。何も生まれなかったという立場だというのです。

 ですから、自分の息子、娘よりももっと愛さなければならないという立場が、神様の立場なのです。もっと愛して、少し残れば、それを中心として育てて救援しようというのです。救援摂理とは、そうなのです。投入するのです。

 白紙に墨で文字を書いて、それを消しゴムで消すのではなく、水で洗うとすれば、千年、万年たっても洗うのは難しいというのです。ですから消耗しなければなりません。生命を生かすためには、堕落した生命よりももっと投入しなければ、生かすことはできません。

 女性の腹中に赤ん坊が入っていて横になっているとすれば、その赤ん坊は、どれほど息が詰まるでしょうか? 「わたしが行く世界はどこか?」というのですが、生まれてからどこに行くのでしょうか?。この母親の体は、堕落した体です。ここには、父親の精子と母親の卵子を中心として、父親の種が入ってきているというのです。それも堕落によってです。偽りの愛による偽りの血統によって、偽りの生命が生まれるということ、それ自体がどれほど悲惨であるかというのです。

 神様は、腹中に妊娠した赤ん坊が悲惨であるということを耳にするでしょうか、耳にすることができないでしょうか?。ご存じでしょうか、ご存じではないでしょうか? (「ご存じです」)。ご存じであるという神様が、「アイゴー、おまえはかわいそうだ」と言われることができるでしょうか?。あきれ果ててしまうことです。それが数千代です。一つ、二つの家庭ではありません。六十億人類、おびただしい数の家庭になっているというのです。

 赤ん坊は、母親から生まれてどこに行くのでしょうか?。母親の腹中の水中時代、それから陸地時代に出てくるのです。胎中から出てきて、万物を食べて生きるのです。母親の腹中と同じものが地球です。母親の腹中で栄養をもらって育つことと同じように、母親の胎を破って生まれてきたこの地が「第二の父母」なのです。そのように考えましたか?

 ですから、地を愛さなければなりません。地が人間に愛されたことがありますか?。神様は、地を最も愛されるのです。宇宙を愛されるのです。それは、それらが人間のために犠牲になるからです。こうして水時代から空気時代、それから太陽時代です。空気時代は陸地時代であり、地球星時代です。

 口は水を表し、鼻は空気時代を表します。口は水を飲まなければならず、鼻は空気を吸わなければなりません。この目は、太陽時代ですから光を表します。ですから、目は神様に似ているというのです。

 このように、水も流れ、空気も流れ、太陽の光も流れるというのです。目は、それを見ることによって、均衡が取れているか、ゆがんでいるかを観察するのです。水中時代、それからは陸地時代、太陽時代。これはすべての人に与えられる三時代なのですが、これらが一つの範疇に含まれているのです。太陽時代、愛時代が霊界です。

 太陽を中心として見れば、太陽系は昼といえます。地球には昼と夜がありますが、霊界は常に明るいのです。言い換えれば水時代、空気時代、それからは愛時代です。愛は、常に消えてはなりません。太陽の光のように、昼でも夜でも愛がなくてはならないというのです。朝でも昼でも夜でも、北極でも熱帯地方でも南極でも、どこでも愛は変わりません。霊界は、春夏秋冬のすべてのものが実となったものを取り込んでおく倉庫のような所です。

 それでは、この太陽時代に行くことができる人々は、本来、堕落せずに、本然の基準を通じてすべてのものが、愛で和していなければなりません。父と母の愛を中心として、それ自体も愛の実として喜びの中から生まれでて、万物を神様の代わりに愛し、神様の代わりに愛する立場で、万物を食べるにも愛によって食べるようにしていかなければならないのです。しかし、このすべてが反対なのです。

 霊界には、夫婦で入っていかなければなりません。それゆえに、神様の血統を受け継ぎ、神様の真の愛と血統が連結された生命から出生した人は、歴史上に一人もいませんでした。ですから、天国に入っていった人は、今まで一人もいなかったというのです。ですから、神様は今まで独りで、孤独な身でいらっしゃったのです。

 それでは、このような本然の人々が地球に生まれたとき、その人々にとって故郷とはどこでしょうか?。そのような人々の故郷は地球なのです。そこには米国というものもなく、あらゆる雑多なものがありません。

 本来、そうなることができた世界において、偽りの愛、偽りの血統、偽りの生命とは、一体どういうことなのでしょうか?。これが神様の嘆息なのです。ですから、神様が悲しく、地が悲しく、人間が悲しく、万物が悲しい世界となったということを知らなければなりません。「そうではない」と言うことはできません。

 全知全能なる神様、宇宙を創造された神様が、なぜ世の中をこのような姿のまま、悪魔の世の中、滅亡の世界のままにしておかれたのでしょうか?それは、そうならざるをえなかったのです。ですから皆さんは、本然の世界を創造された神様が、こうならざるをえなかった実情をただ見詰められるしかなく、そのような中で本然のものを失われたということを知らなければなりません。その神様の心が、どれほど苦痛であり、どれほどかわいそうであるかということを知らなければなりません。

 ですから、神様を愛することができず、神様を信じることができなかったということを中心として復帰しなければなりません。そうするためには、世の中をすべて否定しなければなりません。父母であろうが国であろうが、すべてを完全に否定した中で、神様を絶対的に信任することができ、信じることができる人をいかにして捜し求めるか、ということが問題です。

 そのような人を、神様はどのようにつくりあげるのかということが歴史的な宿願であった、ということを知らなければなりません。神様が信じることができる人は、一人もいません。このようなすべての血統をどのようにして清め、生命をどのように変更させて、どのように真の愛の位置を取り戻すのでしょうか?。

 そのような位置に立つことができ、解放され、主人となることのできる一人の男性が必要です。それが旧約時代、新約時代を通じて主流となり、標準となった思想なのですが、この一人のかたこそがメシヤであり、これがメシヤ思想なのです。

 そのメシヤとは何でしょうか?。偽りの愛の主人が悪魔となり、偽りの愛の生命、偽りの愛の血統の主人が悪魔となったので、真の愛の主人が神様となり、真の愛の血統と真の愛の生命の主人が神様となられなければなりません。

 そのような血統的関係で結ばれた父子の関係が、神様とメシヤとの関係です。父子の関係は、血統が連結されなくてはなりません。そのように連結されることができる息子が、この地上に生まれたのがメシヤであり、それがメシヤ思想です。

 それで選民を準備し、メシヤが生まれて、そのメシヤに接ぎ木され、同等の価値を中心として世界化させようとしたのです。しかし、そのすべてのことは、イエス様が来られたにもかかわらず、失敗してしまいました。

 そのことによって再臨主が来たのですが、再臨主も同じようにその役事をなして、絹の反物のような思想をもって愛の巣をつくらなくては、父母の位置を経て天国に連結させることはできないというのです。それで「天地父母」が必要であるというのです。

 真のオリーブの木、野生のオリーブの木があります。それで、接ぎ木された後には、どのようになるのでしょうか?。それは、メシヤの体のようになるので、天と地がすべて歓迎し、天地が歓迎することのできる代表的な立場から出発するのです。

 それでは、メシヤはどこから出発するのでしょうか?。メシヤは家庭から出発するので、家庭を中心として基盤を持たなくてはなりません。メシヤは、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりももっと神様に栄光をお返しし、もっと素晴らしく神様に侍ることができる孝子、孝女とならなければならないのです。そのような原則を知らなければなりません。そうでなくては、蕩減して残るものはありません。

 メシヤとは何かというと、真の愛を中心とした父の立場から、真の愛の血統を先だって連結し、真の愛の生命を初めて出発させる主人なるおかたであり、真の父母であるというのです。その真の生命の父母は、エデンの園のアダムとエバの何百倍、何千倍以上の価値の存在として感じられなくてはならないというのです。それで、このような血統的な赤ん坊として再び生まれ出ようとするので、重生や復活というものを通さなければなりません。

 それで、真の父母はサタン世界の愛をすべて否定するのです。このすべての人類がいるとすれば、それをすべて否定するのです。そうして百点の男性と女性、百点の家庭、百点の氏族、百点の民族、百点の国家、百点の世界を願うのです。

 ところで、皆さんはどうですか?。先ほど言いましたが、祝福を受けた家庭とはどのような家庭ですか? (「「プラス・カップル」です」)。言葉は知っていますね。それでは、内容はどうですか?。それが問題です。サタンの血統がありませんか?

 それを知らなければなりません。それ自体が、サタン世界の要素を洗い清めるために涙を流し、血と汗を流さなければならないのです。ここで、この地上で先生を通して帰っていけば、霊界の天国の門には入るのですが、入ってからも八段階の道が残っているのです。

 その世界に行ってからは、この地上において一年ですることを千年かけても浄化することはできません。地上が問題です。ですから、ために生きなければなりません。何百倍、何千倍、地の人々のために生きなければなりません。(「アーメン」)。「アーメン」と言うことは簡単ですが、それを実際に行うことは簡単ですか?。いずれにせよ、これはしなければなりません。いずれにせよ、成さなければなりません。

 この世の終わりの日となるので、先生がはっきりとすべて教えてあげます。分かりましたか?。血統と血筋がどれほど恐ろしいものであるかということを知らなければなりません。

 神様の血統を立てるために、これまで億千万世にわたって苦労し、数多くの人間たちが神様の血統を受け継ぐために苦労をしてきたのです。血統を受け継ぐのです。血統を受け継ぐことは、真の愛によらなくては血統を受け継ぐ道はないということを知らなければなりません。

 真の愛というものは、自分の生命を超えて、堕落した世界の生命を犠牲にさせながら、喜びつつ歩んでいくことができる立場を執らなくては、真の愛はありません。これは、永遠なる願いです。分かりましたね? (「はい」)

 それでは、皆さんは今、このような基準から見るときにどれくらいのレベルになっていますか?。女性が腹中から生まれるときに願う望みは何かというと、自分のために生まれたのではなく、将来、生まれる男性のために生まれたというのです。

 腹中時代を経て、幼児時代から兄弟時代、約婚時代、夫婦時代、父母時代、祖母時代、女王時代まで八段階の段階を歩んで行くべき希望的な女王の位置に立って、王である男性の王妃となって、天地の大主人となるという目的のために生まれてきたということを知らなければなりません。八段階です。それを皆さんは考えたことがありますか?。

 ですから、女性が成長してこのように大きくなって男性に出会い、女王の立場にまでなるのです。そして、男性は男性の王となり、天の国の王子となって、天の国のすべてのものを継承する相続者としての位置まで行かなければならないというのです。

 イエス様に約婚時代があり、結婚時代があり、父母時代があり、祖父時代があり、王の時代があったでしょうか?。ありませんでした。人間の願いがそのことであるのに、それを失ってしまわれたのです。ですから、その位置に行かなければなりません。

 先生が生まれたことも、そのような段階を通じて腹中時代から幼児時代、兄弟時代、約婚時代、結婚時代、父母時代、祖父時代を経て、王の位置まで行かなければならないのです。

 世界で生きるのは、男性として生きるのです。ですから、この世の中のすべての女性たちを解放しなければならない先生であるということを知らなければなりません。女性が、そのような位置を捜し出すことはできません。母を通して、その条件を代わりに立てているということを知らなければなりません。

 堕落しなかったならば、どうなっていたのでしょうか?。本来、女性が妊娠したならば、王と皇后の位置に向かって八段階の過程を行くのです。そのような神様が立てられたモデル過程を経て行かなければならないのです。

 皆さんは、神様を「天のお父様」と言うでしょう?。神様も父であられ、真のご父母様も父なのです。天の父は見えない父であられ、真のご父母様は目に見える父なのです。親子関係は上下関係、左右は父母であり、それからは兄弟関係です。アダム完成、それから夫婦完成、神様完成なのです。

 真のご父母様が、そのようなアダムの完成基準の氏族長、民族長、国家長、世界長、天宙長の勝利圏を中心として祝福してくれたということは、それ自体を祝福してくれたのですから、皆さんの家庭がすべて従って上がっていくのです。

 八段階が、一点にすべて集まるのです。それでこの点を中心として、皆さんたちを中心として、ここも連結され、すべて連結されなければなりません。同じなのです。内外になっているのです。

 このような真のご父母様を中心として蕩減復帰したすべてのものを、祝福によって皆さんの夫婦ふたり、プラスとマイナスが世界を中心に一つになったものに連結させ、ここでプラス、マイナスとなるのです。

 そうして祝福をしてあげるのです。家庭によって堕落したために、家庭でそれを復帰しようとするので、それをすべて家庭的に接ぎ木するのです。したがって、先生がプラスであるならば、皆さんはマイナスです。真のご父母様がプラスならば、世界のすべての祝福家庭は皆、マイナスです。分かりますか?。それで、真のご父母様が生んだ息子、娘と同様に、皆さんたちの息子、娘たちもそのまま垂直に上がっていくことができるのです。上がっていけば良いのです。皆さんは、そのことを知らなければなりません。

 一点を中心として、皆さんを中心として個人の中心となりたいのであり、家庭の中心となりたいのです。それを中心として個人の中心、それからは家庭の中心、復帰はここからなされるのです。個人復帰です。一、二、三、四、五、六、七、八。皆さんは、初めから終わりまで少しも変わりなく、同じでなければなりません。

 皆さん個人を中心として、自分が個人の中心となり、家庭の中心となりたいのであり、国家の中心となりたいのであり、天宙の中心となりたいのです。そのようにすれば、どのようになるのですか?。何度も投入して忘れてしまわなければなりません。

 それで、最初から最後まで少しも変わりなく同じ調子であるためには、出発して戻ってきたものが、すべて同じでなければなりません。変わることがあってはならないのです。そうして、この一つを中心として投入しなければなりません。すべて投入して、さらに投入することによって氏族が生じるのです。

 それから、個人が家庭に投入し、それから家庭が氏族に上がっていき、また投入しなければなりません。民族が国のために生きていって、そのように投入することができてこそ、上がっていくのです。上がっていき、八段階を蕩減していくのです。分かりますか?

 このときは、必ず蕩減があるのです。再び、成したものを投入しなければなりません。それで個人は、家庭のために犠牲とならなければならないのです。そのように生きてこそ、最初から最後まで少しも変わることなく同じになるのです。そうして、もっと大きくなろうとすれば、この家庭が投入しなければならず、民族がもっと大きくなろうとすれば、氏族が投入しなければなりません。

 それゆえに、八段階において、より大きなものに向かわなければなりません。全体のために投入する者、そのような者が犠牲となることによって、大きな世界の蕩減の道を開拓して上がっていくことができるということを知らなければなりません。

 皆さんは個人的な蕩減時代、家庭的蕩減時代、氏族的蕩減時代、民族的蕩減時代、国家的、世界的、宇宙的蕩減時代を経て、霊界解放、地上解放時代が来るのです。全体を蕩減しなければならないのですが、真のご父母様以外には蕩減法を知りません。そうしてこのような勝利をすべてなしたので、すべて越えることができるのです。

 ゆえに、全世界が蕩減が必要な時を乗り越えて、左回りに回っていたものが、反対に回るのです。逆に回っていた世界が、新たに時計の針のように回るのです。それが一次、二次、三次と移り、堕落したアダム時代から復帰時代を経て第四次アダム時代へと移っていくのです。

 蕩減時代の世界にはサタンがいて、反対を受ける時代なのです。サタンがすべて引き裂くのです。父母同士、または兄弟同士、食口同士がねじれて、世界が数百、数千民族となっているのです。

 これを宗教圏を中心として四大文明圏を編成し、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教、四大文化圏を中心とした統一体制をつくっていくのです。それを真のご父母様が来て消化し、蕩減し、第四次アダム圏へと移っていくのです。そのような新しい創造理想時代に移っていかなければならないのです。

 この地上には、数多くの国があります。皆さんの故郷と祖国が米国にもなり、フロリダにもなり、日本にもなって、すべて違います。国を中心として、そのようになっているのですが、これは堕落した以後の世界です。必要のない世界なのです。

 それで、蕩減時代を過ぎた今、地獄と天国が高速道路で結ばれています。私たち統一教会の教会員たちは個人完成、家庭完成、氏族、民族、国家、天宙完成をどのようにするのかを皆、知っています。よく知っているのです。知らない人はいません。

 一番下から垂直に上がっていくことができるのですが、それは何によってかというと、ために生きることです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、ために、ために、ために生きるのです。そうして、すべてために生き、ために生きる環境でいっぱいになれば、サタンは逃げていくので、この解放時代から天国を成し遂げるのです。

 真のご父母様によって祝福を受けた血統です。そのような血統が連結された、生命圏を持った人の主人の位置に立つのです。それでサタンは、地獄に落ちていったでしょう?。それは、影のようなものでしょう?。神様に連結された所は日の光であり、サタンはすべて真っ暗な所です。

 祝福を受けた家庭は、手を挙げてみてください。わあ。全員ですね。祝福家庭(ブレスト・カップル)が、どのような家庭になるのですか? 「プラス・カップル」です。世の中とは異なるのです。「ブレス」とは、平面のことをいうのですが、「プラス」は垂直のことをいうのです。

 上に上がろうとすれば、個人が家庭のために生きて上がっていくのです。垂直です。真のご父母様は、このようにして上がっていくことができる道をすべて蕩減したのです。皆さんは今、地獄の底にいるのです。一番上に天国があれば、皆さんは地獄にいます。一番下が地獄です。しかし、蕩減時代に経てきたすべての八段階の蕩減条件を、すべてなくしたので、天に入っていくことができるのです。

 皆さんが四年前にジャルジンに行ったときには、そこには何もありませんでしたが、現在、ジャルジンには「世界平和統一家庭連合教育本部」があります。そこに先生が四年前に行ったとき、 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 を伝えたのです。 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 です。

 神様がこの宇宙をつくられるとき、神様は 絶対信仰 をもってつくられたのです。それから、二番目は 絶対愛 です。創造主としてパートナーを 絶対愛 でつくられました。そして、 絶対服従 です。 絶対服従 は何かというと、自分自身までも、すべてなくなるのです。完全投入です。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことなのです。自分の概念まですべて投入するのです。分かりますか?

 それで神様は「ゼロポイント」です。信仰もすべて注がれたために「ゼロポイント」であり、愛もすべて注がれたために「ゼロポイント」であり、従順もすべて注がれたために「ゼロポイント」なのです。

 そのかわり、別の方からは受けることができるので、真の愛は必ず大きくなってくるというのです。真の愛を投入すれば、大きくなってくるというのです。真の愛です。真の愛は、運動すれば必ず大きくなっていくのであって、小さくはならないというのです。

 この自然世界の運動は、運動すれば消耗しますが、真の愛はどんどん大きくなっていくというのです。ゆえに、繁栄するのです。分かりますか?それで皆さん、絶対信仰なのですが、それは、だれを絶対信仰しなさいということですか?。神様です。 先生も神様を中心として絶対信仰し、絶対的に愛し、絶対服従したのです。 ですから、「私自身も」神様の前にそうなのです。

 信仰が否定されても、それを信じていき、愛を否定されても信じていかなければならず、従順を否定されても信じていかなければならないのです。そうして、怨讐を愛する立場まで行かなければならないのです。

天の父母 、真の父母、「天地父母」もそのようにしたので、皆さんもそのようにしなさいというのです。皆さんもやはり、それを相続しなければなりません。その愛から血統、生命を受けなければなりません。そのような生命を持ったので、そのような生命に見合う、そのような血統、そのような愛を持たなければなりません。

 それゆえに、そのような真の愛を中心として、個人生活や家庭において投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人がセンターとなるのです。中心存在となるのです。そのことを知らなければなりません。

 より「ために生きる」人が中心存在となるのです。このことを今まで知りませんでした。十人の家族が暮らしているとすれば、おじいさん、おばあさんを中心として、すべてが序列になっているのですが、幼い子供、孫であっても、だれよりももっと全体のために生きるようになれば、その孫が将来、そこの中心存在となり、すべての中心存在となるのです。

 中心存在は、さまざまな所から押してくれるので、押されて上がっていってセンターになるのです。そうしてトップとなり、中心存在となるのです。家庭において、父母を中心として息子、娘が十人どころでなく、どんなに多かったとしても、そこにおいて、より中心的な存在となることができる人は、投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまう人です。そのようなことを継続的に行う人が、そこの中心者となり、全体の相続者となるのです。そして孝子の中の孝子となります。アーメンです。(「アーメン」)

 それは、国の愛国者も同様です。全国家のために投入して忘れてしまうのです。そうすればそうするほど、中心となるのです。聖人もそうです。投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことができる人が、聖人となるのです。「聖子」を中心としても、やはり同様です。

 神様が、神様となられることができたということは、神様がどのような存在よりも、ために投入して忘れてしまうということにおいて、一番の存在であられたからです。そのように、神様は、歴史の初めから歴史の終わりまで、投入して忘れてしまわれるということを永遠に継続なさることができるために、永遠に「ために生きる」者たちの王となられることができるのであり、先祖となられることができるのです。アーメン(「アーメン」)

 統一教会が、どのようにしてすべての世界と天と地を統一することができるのかというのです。それは、より「ために投入して忘れてしまう」ということによって可能なのです。先生を見てみなさい。全世界が反対したのです。全世界が反対し、世界宗教が反対し、サタンまで動員して反対したのです。しかし、先生は彼らのために生きたのです。彼らを生かしてあげようとしたのです。彼らの息子、娘を生かしてあげようとし、彼らの父母を生かしてあげようとし、彼らの王圏を生かしてあげようとし、そのすべてを生かしてあげようとしました。

 そのように反対を受けた統一教会が、どうして今まで発展してきたのでしょうか?。皆、そのことを知りませんでした。神様の戦略は、「打たれて取り戻す」戦略であり、サタンは、「打ってなくしてしまう」戦略を採るのです。キリスト教、米国、ソ連、共産党、すべてが反対しましたが、今は皆、レバレンド・ムーンに従ってくるのです。(「アーメン」)。そうですか? (「はい」)。(拍手)ここには、五色人種が集まったのですから、強く拍手しなさい。(拍手)

 五色人類をこのように集めて、レバレンド・ムーンは「わたしの言葉を聞いて結婚しなさい」と言って結婚させてあげました。皆さんがそのように願ったので、結婚させてあげました。願ったのでそのようにしたのですか、強制でそのようにしたのですか? (笑い)(「願ってそのようにしました」)。ですから、不平がありますか、ありませんか? (「ありません」)。ありません。

 ですから、夫婦が一つとなるのですか、なりませんか?。米国人とドイツ人を結婚させてあげれば、米国人とドイツ人と結婚する、その次の瞬間から彼らは夫婦となるのです。米国とドイツの全国民が、すぐさま、瞬間的に交差結婚するというときには、この時間から完全に統一がなされるのです。

 東洋人と西洋人が、「では、この時間から神様が全世界に命令して交差結婚をする」と言うとき、即刻、地上に天国、天上に天国が成されるのです。それは、どうしてですか?。交差結婚した後に、ふたりは座ってけんかをするのですか、キスをするのですか? (笑われる)分かりますか? (「はい」)

 レバレンド・ムーンは、天と地を結婚させたでしょうか、させなかったでしょうか?。何億万年前の人と、今の人とを結婚させるならば、何億万年前と今が愛で和するのです。統一教会の食口の中には、何千年前のおじいさんやおばあさんたちと結婚して、何千年前の夫、妻をもらったという人がたくさんいます。その人たちが霊的に地上に来て、今、地上で一緒に暮らしています。だれが「そのように暮らしなさい」と言ったのでしょうか?。神様はできません。真のご父母様のみ、それをすることができるのです。

 偽りの父母である人間が過ちを犯したので、復帰は人間がしなければならないのであって、神様がなさるのであれば、神様は最初から堕落をさせなかったのです。天国は、家庭と夫婦が入っていくのですが、愛し合う家庭が入るようになっているので、地上において西洋人、東洋人、そして霊界が真のご父母様の前に祝福を受けて、愛し合って夫婦となった人は、どこでもすべて入っていくことができます。一つとなることができるのです。

 真の父母は二組ですか、一組ですか? (「一組です」)。一組しかいないのです。それは、絶対、唯一、永遠、普遍なる人です。そうすると、その真の父母の前に地上世界、天上世界で祝福を受けた家庭は、「ただ一人」ということと同じなのです。同じ価値があるというのです。そうですか? (「はい」)

 皆さんたちは兄弟です。「祝福家庭兄弟」です。何千年前に引き裂かれたすべての人々が、祝福家庭を通していっぺんに出会うことができる宴の日が今、地上で繰り広げられているのです。分かりますか?。生命、血統、愛なのですが、何の生命であり、何の血統であり、何の愛ですか?。 そのような解放時代を迎えました。

 そのように考えると、今まで皆さんが、それぞれ自分なりの米国の故郷と祖国を持っていたということは、恥ずかしいことです。それが恥ずかしいことであるということを知らなければなりません。そのような考えは、完全に一掃しなければなりません。私たちの故郷はどこですか? (「地球です」)。分かりましたか? (「はい」)

 皆さんの「米国が故郷である」という考えを捨ててしまいなさいというのです。それは、サタンによって、堕落によって伝授された恥ずかしいものなのです。神様のみ前に恥ずかしい言葉です。理解しましたか?

 皆さんが今、英語を使っていますが、それは何の言語ですか?。偽りの言語です。日本語はどうですか? (「偽りの言語です」)。偽りの言語。それでは、韓国語はどうですか? (「天国の言語です」)。違います。それも偽りの言語です。しかし、そこに真の父母が生まれたので、そこから偽りの言語をリバイバルして、善い言語となるのです。

 それでは、先生の故郷はどこでしょうか?。どこですか?。皆さんの故郷と先生の故郷は違うでしょう?。しかし、地球が故郷であることには間違いありません。地球が「本故郷の地」であるのですが、この「本故郷の地」の地球は同じですが、場所が異なるのです。すべて異なるでしょう?

 皆さんの故郷がどこであるかといえば、米国になりえます。しかし、祖国は異なるというのです。そこではありません。そうすればよいでしょう?。そのようになろうとすれば、皆さんの国が祝福を受けた地とならなければなりません。しかし、なっていないでしょう?。ですから、これからは「本故郷の地」を決定する時代が来ました。それができていなくては、「祖国である」とは言えません。

 私はきのうも話しましたが、父の国、母の国、長子権の国、この三つの国を完全に一つにしたもの、それがホームランド(本郷の地)の出発であるということを知らなければなりません。それらは、一つの国です。

 それでは、そのホームランドの決定は何によってなされるのかというと、家庭が定着しなければなりません。ですから、嫁に来た女性は、ホームランドが変わってしまうのです。本来の理想的ホームランドは、家庭が定着することのできる場所がホームランドであったので、祝福家庭がとどまることのできるホームランドを捜し出していかなければならないというのです。

 ドイツ人と米国人がいれば、ホームランドは二つですか?。それは、一つとならなければなりません。祝福を受けた家庭が訪ねていくべき、一つのホームランドを取り戻さなければなりません。そうしてこそ、堕落していない家庭的位置を取り戻すことができるのです。分かりますか? (「はい」)

 今回、祝福を受けた家庭、四億三千万双の祝福を受けた家庭は、北側から南側に一回りしなければなりません。ジャルジンを中心として、この祝福家庭が入籍することができるホームランドを決定するためには、先生と写真を撮らなければなりません。真の父母とともに写真を撮って、一つの家庭のようになって入っていかなければならないというのです。

 それはどういうことかというと、一つになった真のご父母様とわたしたち祝福家庭が一つになり、さらに息子、娘まで一つになった、そのような写真が必要なのです。何によって入籍を証明するのですか?。ジャルジン修練所で手続きを踏んだので、そこにおいて、天国に入ることのできるチケットをもらうのです。それで国に入籍することができるのです。

 入籍が何であるのかというと、本郷の国に入ることです。それは父母の国、お兄さんが暮らしていた国です。アダム家庭を中心とした父母が暮らし、長子が暮らすことができる国です。長子権復帰、父母権復帰、王圏復帰。それで、これを今から配置するのです。

 これは、真なる皆さんの家庭が暮らすことができる故郷を訪ねていく道である、ということを知らなければなりません。そこに神様がいらっしゃり、真の父母がいて、皆さんの夫婦がいて、息子、娘がいるのです。分かりますか?。ホームランドです。そこに神様がいらっしゃって、父母がいて、夫婦がいて、子女がいて、息子、娘がいるのではないですか?。それから、父母の国、長子の国があるのでしょう?

 それで、総生畜献納祭をして、修練に行かなければならないのです。修練に行けない祝福を受けた人は、献納金というものを前もって預けておくという条件を立てれば、その修練課程をいっぺんに教育することができるのです。その国に移動するとき、移動する前に、前もって教会にささげておくのです。そこに蕩減条件として百六十数の条件を立てて越えていき、すべて清算するのです。

 所有権に関しても、豊かに生活している人は、刃物や武器で、血を流させて無理やり財物を持ってきたということが多くあったのです。そうしておきながら、「優れている」とか「劣っている」などと言っているのです。

 わたしたちは、百八十軒を中心として祝福してあげました。七代を象徴した七数を中心として、七×八=五十六です。ここにいる祝福を受けた人たちで、ジャルジンに行って教育を受け、先生と写真を撮った人たちは、抽選をして韓国、日本、米国から配置するのです。三国を抽選するのです。しかし、どこに行くか分かりません。米国人が韓国に行くのかもしれません。そうすれば、韓国は人口が四千万ですから、すぐに終わってしまいます。その場合、四千万からこぼれたそれ以外の人は、どうなるのでしょうか?

 ですから、四千万になる前に、早く祝福を受けなければなりません。祝福を受けられなければ、大移動が起こるのです。韓国という国は、六大州からありとあらゆる人々が混ざり合うのです。分かりますか?ですから、白人、黒人などの人種差別がなくなり、裕福と貧乏の均衡が取れるのです。そうならなければなりませんか、そうなってはなりませんか?。そうすれば、祝福に反対し、統一教会に反対する二億四千万の米国人は、一番びりになって、アフリカの奥地に行かなければなりません。けれどもしかたありません。そのようになれば、すり替えるのです。

 見てください。第二次世界大戦の後の七か国です。韓国、日本、ドイツ、英国、フランス……。七か国を中心としたキリスト教文化圏を中心として摂理したのが、失敗したのです。そうして、キリスト教を信じる国々を中心として、すべて反対することによって、キリスト教信者たちを主とした大移動が起こり、祝福はキリスト教でなくても、一般の回教であっても、祝福を受ければ同じ価値の基準を認定されるのです。平準化です。

 既成家庭、結婚家庭、結婚を嫌がる者たち、そして青少年まで祝福して、霊界でもそれに合わせて行いました。そして十六歳までの年齢で、子供のまま死んだすべての人々が、霊界ですべて皆、祝福を受けたのです。ですから、祝福を知らない人はなく、「祝福を受けなければいけない」ということを知らない人がいません。ですから、道をふさいでおいて祝福をしてあげてもよいのです。

 全世界の祝福を受けた人をすべて抽選して、人がいる所にはすべて割り当てます。そうして、自分のホームタウンを中心として、地球を祝福家庭のホームタウンとしてつくり上げれば、地上天国がなされ、天上天国が成されるのです。

 しかし、地球のどこに行くのか分からないでしょう?。それでも行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? (「行かなければなりません」)。行かないというならば、行かないでいてみなさい。追い出すというのです。

 精誠を尽くして、早くその国全体が祝福を受ければ、その国自体が、そこにそのままとどまります。しかし今、それがないではありませんか?。ですから、大移動が起こるのです。それで、この祝福を受けた人は、神様を中心とした「一つの国」です。それで、そのわたしたちの国を中心として税金を納めなければなりません。分かりますか? (「はい」)。そうしてこそ、わたしたちの国が生まれるのです。

 それでは、大体分かりましたか?。ですから、天と地が「私の故郷と祖国」です。天の国の前に、天宙の中に米国もあり、この地球もあるために、その中にすべて入っていることによって、「天宙は私の故郷と祖国」になるということです。

 血筋、血統を残したのです。ですから、皆さんは祝福を受けた夫婦として、どのように清い血統を残すのかが問題です。そうすることのできる家庭が、主流として先生の一族と祝福をどのように受けるのかという問題が生じるのです。垂直と連結されるのです。

 一つの家庭に五色人種を率いて暮らすことができる訓練をしなければなりません。霊界も、このような組織の編成が起こるのです。分かりますか? (「はい」)ですから、自分が生活していたすべてのものを否定し、すべて捨てていくよりは、天のみ前に前もって所有権を伝授して教会に預けて行けばいいのです。そうすれば、その教会の管理は天の国の管理であるので、それは残るのです。しかし、そうしないでいたならば、すべて捨てていかなければなりません。

 それは、預けていったとしても、将来においてまた、それと関係を結ぶことのできる道があるのですが、いつであろうと、時の時にそれをしないのならば、その人はだめなのです。何の話か分かりますか?

 それで「新天地」となります。新しい血族を通して新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界となるのです。分かりますか?。来年からするのです。(「アーメン」)。先生の八十歳の誕生日を過ぎるときから、そのことが起こります。

 昨年を中心として、三年、三年、七年路程で、歴史は大変革が起こるのです。それで九七年から統一教会がどれほど発展したか分かりますか?。「天地父母」を中心として「天地祝福」を成して、蕩減時代を過ぎ、解放時代を過ぎていくことができる時代を宣布したのです。分かりますか? (「はい」)

 その世界に行って、先ほどとは反対に、堕落した怨恨の世界を清算して、神様が直接、住まわれることができる時代となるのです。ですから、神様と真のご父母様と写真を撮るのですが、今後は何かというと、自分の一族が写真を撮らなければなりません。一族が教育を受けなければなりません。今は家庭教育時代ですが、一族、七代が集まって教育を受けなければならないのです。

 国家が教育を受ける時代になります。そのために、今は何かというと「訓読国家時代」を準備しています。超国家、超民族、超大学連盟であるとか、超言論機関であるとか、超民族的準備をしているのです。それが、国連を通して超えていくのです。それで、国が入籍する時代になるのです。ですから家庭的入籍、氏族的入籍、国の入籍となります。分かりますか? (「はい」)

 もう、すべて分かりました。皆さんたちが何をすべきか、すべて分かるというのです。個人完成をどのように成し、家庭完成をどのように成し、氏族完成をどのように成すのか、分かりますね?

 個人は家庭のために犠牲となり、家庭は氏族のために犠牲となり、氏族は民族のために犠牲となり、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は天宙、天宙は神様、神様はわたしたちのために投入されるのです。そのように回っていくのです。(「アーメン」)。それが統一です。

 祖国は一つです。分かりますね?。それを知って、そこに向かって、皆さんは不足であるということをよく知っているのです。そして、どのようにして行かなければならないのかということを、すべて知っているのです。自分たちがどのような位置にいるのか、ということを知っているのです。

 ですから皆さんは、「それをすべて清算して、真のご父母様がどのような命令をなさるとしても、百回死ぬような命令をするとしても、『絶対に私は行こう』と言うことができる決心をして、 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 の天理を踏んで、早く飛んで行かなければならない。走るよりも飛んで行かなければならない。アーメン」と言わなければなりません。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2023.10.13 21:31:46
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