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2023.10.14
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「真の御父母様の摂理観的責任完遂」宣布

一九九九年十二月二十六日、アメリカのベルベディア修練所で三百余名の食口が参席する中、新千年を迎える最後の聖日の朝に、「真の御父母様の摂理観的責任完遂」が宣布された。


 「摂理」とは何ですか? 摂理とは神様がどのようにみ業をなしていかれるかということです。神様の摂理に関するすべての責任的完遂、神様は摂理観的な責任を完遂されましたか? 今まではできなかったのです。

 さあ、摂理観的責任完遂、摂理観的責任を完遂すれば、すべて終わるのです。それでは、誰が責任を完遂するのですか? 神様です。創造された後で堕落したので、今まで神様は、救援摂理という願いもしなかった事をしてこられました。本来、救援摂理というものはなく、摂理観的な完成のために創造理想を立てられたのですが、人類始祖がサタンと共に堕落して、本来とは異なる世界になることによって、摂理史的な責任分野はなくなり、今まで救援摂理観的な責任を果たしてこられたというのです。

 今までは、摂理観的な歴史ではなく、救援摂理観的な歴史でした。これは、神様ご自身が責任遂行をすべて失ってしまわれた位置におられる歴史でした。神様が主人になられていたら、偽りの主人は現れず、この被造世界全体を息子のためにつくったので、神様と人間は、父と息子の関係になっていたのです。そして、神様の摂理史的なすべてを会得することができ、それが完全に現れるはずでした。ところが、他の主人が入ってくることによって現れることができず、すべてを未知の歴史、未知の摂理史と思ってきたのです。

 ですから、人間は何も知らないのです。人間はサタン圏内、堕落圏内に入っているので、根本に関する問題、神様に関する問題、摂理観に関する問題が全く分かりませんでした。堕落した世界の混沌と未知の歴史過程において、それらの内容を模索してきたのが、人類の姿だったというのです。それは歴史的な事実です。

 それでは、真の父母の摂理観的な責任完遂の内容とは何ですか? 摂理観についてのすべてのことを解明し、未知の事実を明らかにし、それを明らかにするだけでなく、この未知の内容が抱えてきたすべてのことを清算し、創造当初の本然の摂理的基準を完全に連結させる役事をしたのです。誰がしたのですか? 神様を中心として、真の父母がその責任を完遂したというのです。それでは、真の父母が完成すべきことは何であり、また完遂したこととは何ですか? 真の父母によって、堕落以降の救援摂理史ばかりか、それ以前に神様が理想としていた歴史を中心として、今までの人類歴史すべてを知るようになりました。堕落した歴史がどのようになり、なぜこのようになったのかという、分からなかったことをすべて分かるようにしたのです。

 堕落する前に神様が立てられた摂理的な創造理想の完成、神様を中心とした地上世界と天上世界、神様と子女の関係がいかに地上と世界に連結されるか、などについて知るようになりました。そして、それを完成した個人から家庭、氏族、民族、国家を中心として、天上世界と地上世界の天国を完成できる理念的な事実を、私たちは個人観、家庭観、氏族観、民族観、世界観、宇宙観、天宙観、神観、神様自体の観において、すべてを知るようになったのです。

 神様がどのような方か知っていますか? 神様はどのような方なのですか? 真の父たる神様です。真の父の神様となって、真の子女に対する関係が一つとなったとき、真の愛が成立するのです。ですから、初めは真の父です。真の愛の父なのです。となると、その父は誰の父ですか? 人類の父なのです。

 ですから、人間とは何か、人間と歴史の関係とは何か、人間と神様の関係とは何かについて知ったということです。神様は私たちの父ですが、どのような父ですか? それは、「知情意を兼ね備えた、真美善の父」ということです。人格的な神様であるということを知らなければなりません。人格神です。人格的な父です。人格神であると同時に人格的な父です。それでこそ、人間と関係を結ぶことができるのです。

 ですから、神様に関すること、知情意に関することを私たちは完全に知っています。真美善が愛を中心とした、そのようなすべてを知るようになったのです。驚くべきことです。ですから、人格的な神様です。人間にも知情意が必要であり、真美善の息子になれば、完全に一つになって離れることのできない、永遠で立体的な理想圏に立つようになるのです。

 知情意と真美善の本体は誰でしょうか? 神様です。その神様は、何を中心として存在しておられるのでしょうか? 神様も生きていらっしゃるので生活をされるのですが、生活するにあたって何を中心として生きるのでしょうか? 真の愛の心情圏をもって生きてこられたということを知らなければなりません。環境的な与件を、すべて愛で治めながら生きてこられたのです。

 人間はそのようになっていますが、万物は人間のためにつくられたのです。それは象徴的なものであり、形象的なものです。人関を実体としてつくったので、万物は象徴と形象的な存在として、神様の心情圏・愛の圏内で共に治められてきました。すべての存在は神様の愛の圏に存在し、そこから離脱したものは一つもありません。愛の圏さえ所有すれば、神様と同じ愛の圏をすべて占有し、神様と対等な価値を持った位置に入っていくことができるのです。なぜでしょうか? 父なる神がそこにおいて初めて一つとなって、すべての相続が始まり、一回りして大きくなっていくのです。

 摂理観的なすべてが完成したならば、その神様が父なのです。その父が動けば、息子である人間も共に動くようになり、息子のために存在する形象体も、すべて一つになって神様が動かれる通りに動くのです。お互いに一体となって、個人的に動いても完全であり、家庭的に動いても完全であり、氏族、民族、国家、世界、宇宙永遠の世界が、それぞれ範囲は異なったとしても完全な実体として動くはずだったのです。

 ですから、神様がおられる限り、すべてのものは完全、完成したものとして、完全完成の価値を持って一つの実体圏、一つの理想的な局面が生まれたのです。人間と神様が一つになった、その下にある万物は、人間を養育し、人間を保存します。人間が便利に暮らすことのできる環境的条件が、実体万物創造の世界なのです。

 それでは、神様はどのような方でしょうか? 神様もやはり一人で暮らしたいと思われる方ではありません。今まで、相対関係をもって成長してこられ、暮らしてこられたのですが、内的な面に定着した立場においては、刺激を感じることができないので、これが「正」から「分」となり、「合」の目的を再び成就することによって刺激を感じるようになるのです。

 極と極、北極と南極、東西すべてが一度に刺激を感じて笑うようになれば、全体が笑うことができ、全体が喜ぶことのできる立場に立つのです。相対関係、内的な存在圏を外的な相対圏に拡大させ、衝撃的な愛を感じるようになるのです。そのようにするために万物をつくられ、息子を持たれたのです。四位基台や三対象目的など、すべては、神様が笑われれば全体が笑い、神様が喜ばれれば全体が共に和勤し、共に楽しむためにつくられたのです。

 それでは、ここに様々な国の人々が座っていますが、人間の種類は何種類ですか? 国家には多くの種類があるのですが、人間には男性と女性の二種類しかないのです。

 それはどこから出てきたのですか? あなたたちの父親と母親からです。父親と母親、二人の中から出てきたのです。その父親と母親は何人の中から出てきましたか? 二人の中から出てきました。そのまた父親と母親……。そのようにずっと先祖をさかのぽっていっても、男性と女性の二種類しかありません。また、人間を中心として見るとき、父とは何ですか?  神様ご自身も二つから成っているのですが、その二つは、皆さんの心と体のように一つになっているので、刺激を感じることができません。男性ならば、男性だけの形態になっているのです。二性性相の格を持ってはいますが、格位としては男性型なので、独りぽっちの男性や女性の立場に立っていて、おもしろくないというのです。

 それでは、神様は見えない所から出てこられたのですが、その見えない神様はどんな方ですか? 二人が一つになった神様でなければなりません。父親と母親の性格を持った神様であらざるを得ないのです。これは理論的です。そのような神様を半分ずつ二つに分けたので、男性も堕落する前は神様のような立場、女性も堕落する前は神様のような立場に立っていて、心と体の二つを、見えるものと見えないものという性相と形状を、自体の中に持っていたのです。そのようになっていながらも、格位においては男性格や女性格といった違いがあるのです。男性と女性に生まれたのは、分かれたということです。

 何のためにそのようになったのですか? 男性が喜んで興奮し、女性も興奮して、お互いにぶつかるときには、静かにそっとぶつかるのではありません。プラスとマイナスの電気が一つになればスパークするのと同じように、爆発して、ぱっと全天地をひっくり返すのです。電線がスパークすれば、どのようになりますか? ぴたっとくっつくのです。そうなれば離すことができません。

 電気もプラス、マイナスであって、プラスは凸、マイナスは凹なのです。そのようにくっつけば、どのようになるでしょうか? 音もしますが、光を放つのです。愛は、音がして光を放ちます。愛は、全体の前に「おい、愛だぞ!」と言って光を放つのです。そうすると、すべてがそこに集中するのです。

 曇りの日に、稲光がして雷が鳴るのはどうしてかというと、自然界の見えない電気が、見える雲を通して愛し合うからです。それで音が鳴り光を発するのです。同じです。電気の場合は炭素のようなものが落ちますが、そこには何か落ちるのかというと、雨が落ちるのです。そのように考えなければなりません。

 稲光がして雷の音がすれば、雨が降りますか、降りませんか? その雨は何かというと、自然界が全体を動員して、自然をカバーした電気、すべての環境、雲などが一つになって、結婚式を挙げる祝福のかけらです。それはさながら祝宴と同じなのです。ですから、すべての万物は「うわあ!」と口を開けて喜びます。魚も喜び、植物、動物、すべてが喜ぶというのです。なぜ喜ぶのですか? 雨が降った後は、すべての万物が育つので、食べ物が豊富になるのです。洞穴に入って暮らす動物も、雨が降ってくると飛び出してきます。「雨よ、なぜ降るのか!」と恨むでしょうか、「雨よ降れ! もっと降れ! この雨がやめば、草木が茂って、我々のえさも豊富になる。ありがとう、ありがとう」と言いますか、どうですか? 恨むでしょうか、喜ぶでしょうか? 喜ぶのです「わーい、わーい!」と言いながら喜ぶのです。

 それでは、人はどのように喜ぶのでしょうか? 皆さんは草を取って食べます。取って食べるのです。動物たちは毎食、植物を取って食べるのです。植物を殺しているのです。そうですか、違いますか? 植物は雨が降ると喜ぶのですが、人間は雨が降るとどうでしょうか? 「よく食べて肥えたすべての万物を、私が食べなければならない。食べてあげたい」と、このように思わなければなりません。それで、動物たちが育つことができ、植物が育つことができるようにしてあげるのは誰のためでしょうか? 人のためです。

 では、すべての万物たちは何かというと、「神様を愛することのできる息子を、もっと愛することのできる立派な人にしてあげるために、私たちも協助しよう。だから、その体を助けるために全力を注いで体に入り込まなければならない」と言うのです。

 では、雨が降った後、よく育ったものを自分の食物として喜んで食べるのと同じように、神様がご覧になるとき、人間世界における雨に該当するものは何でしょうか? 空中では雨が降るのですが、陸地の雨は何ですか?何でしょうか? 雷や稲光を通して、私たち万物はそのかけらである雨を吸い込んで大きくなるのですが、人間は何をもって神様が吸い込むことのできるものをつくるのかというのです。

 見えない愛の雲が浮かんで、見える人間が絡まって充電し、ぶつかるようになるとき、雷や稲光が光を放つのです。二人の男女は雲のようであり、その見えない電気は本然の神様の愛なのです。それが一つになって雷が落ちることによって、その愛のかけらを中心として霊界が生き、神様がそれを食べて生きることができる! アーメン! 神様と共に雷を落とすのです。愛の糧を食べて生きなければならないのです。

 ですから、頻繁に雨が降って、喜んで雷が落ちるようになれば、神様のようになって、すべて神様が喜ばれるのです。それゆえ、万物もこれを協助するために自分のすべてを動員するのです。それを普及するために、吸収できる犠牲的な道に従わざるを得ないというのです。アーメンです。

 ですから、男性、女性の夫婦が愛し合うときは、雷が落ち、稲光が光るのと同じことをしているのです。それは自然の結婚式と同じなのです。男性と女性は、東西が一つになって、上下が一つになり、その次には息子、娘が一つになって、愛で家をつくるようになるので、神様は眠くても、うとうとすることはできないのです。

 神様の愛は、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛です。この三つが一つになって雷を落とし、それが明るければ、宇宙いっぱいに満ちあふれます。町内にそのような夫婦が暮らしていれば、その町内はその夫婦の愛の圏内に入るようになるのです。「私たちも、あのようにならなければならない。ありがたいことだ。明るく照らしてくれる環境はすばらしい。あそこには食べるものが豊富だ!」と、お互いが一つになるためのみ業が展開するのです。

 では、プラスの雲とマイナスの雲が一つになるというとき、どのようになるでしょうか? 神経や何かの五官があれば、そこに向かって一か所に集まるでしょうか、集まらないでしょうか? 集まります。では神様はどうでしょうか? 極が生じたというとき、神様のすべての触覚もそこに集まり、三つの触覚がぶつかるのです。

 神様の愛とは何かというと、父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、この三つですが、この三つが一度に合わさるので、この宇宙のすべてのそのような性稟に似た人はみな踊るようになっているのです。また、その音がどれほど大きいでしょうか?

 全宇宙が「おおお!」と言うのです。すると神様は、「皆さん、毎日のように愛し合いなさい」と言われるでしょうか、「毎日のように、喧嘩しなさい」と言われるでしょうか?「愛しなさいと」言われるのです。「毎日そのように愛しなさい」と言われるのです。神様が「愛とは、愛すれば愛するほどに良いものだ。ハハハー」と言って笑われるのです。

 雷が落ちて、雨が降って洪水になり、それがこの宇宙を満たし、すべてがなくなったとしても、「ああ、神様と人間が幸福ならば、万事がオーケーだ。愛の審判を願う」と言うのです。万物が歓迎して「万歳!」と叫ぶのです。そのときに「うううう!」と笑えば、神様が「この者め、泣くものだとばかり思っていたら、悪口の一つも言わないのか?」と言われるのです。それで神様も「ううう!」と喜ばれるというのです。ジャンプしながら踊るのです。

 皆さんが夫婦で愛し合うとき、雷の音がしますか? 猫も春になって愛するとき、「ニャオ、ニャオ」と鳴き、ネズミも「チュッチュッチュッ」と大騒ぎするのですが、皆さんは声を出しますか、出しませんか?

 それでは、人間と神様が愛する瞬間の声は、大きいでしょうか、小さいでしょうか? 大きいとしたら、どれほど大きいでしょうか? 五万通りの声です。人間は、鳥の声、動物の声、すべての声を出すことができるのです。そこには、五万通りの音があるので、動物も(人間に食べられて、)死んでいなくなっても、「動物よりももっと喜ばしい存在だ!」というのです。神様がそうして抱いて「私はうれしい。私は幸福だ!」とおっしゃるのです。

 統一教会の教会員の中で、農作業をする人がいれば、外に出て苦労して働いているとき、雲がかかって雷が鳴れば、家に帰ってきて、疲れているので寝るのです。休むとき、布団を敷いて寝るでしょうか、そのまま板の間に寝るでしょうか? 疲れているので、板の間で寝るというのです。

 では、やがて寒けがして、ベッドの上に上がっていくでしょうか、畳の上に上がっていくでしょうか、オンドルの上に上がっていくでしょうか? オンドルに上がっていくというのです。オンドルなので熱くなり、着ていた服を脱ぐのです。するとお尻が熱くなり、そうして一枚ずつ脱いで、服を全部脱いで、下だけを覆って眠るその時間がどれほど幸福でしょうか。下は熱くても、お腹は寒いので覆って寝るのです。そのようにして眠る時間が、どれほど幸福でしょうか。

 そのようにして男性と女性が寝ているとき、愛する人が「フフフフ!」と近づいてくるとき、足でけりますか、かじりつきますか? かけていた服を外して近づいてくるとき、けり飛ばすのでしょうか? 我知らず、さっと抱き寄せて……夫であっても押し倒してしまうのでしょうか? その時間が幸福なのです。

 皆さんが激しく愛し合ったあとには、ぐっすり眠らなければなりませんか、眠ってはなりませんか? 寝なければなりません。眠っているというのは、死んでいるということですか? それは、晴れわたった大空です。晴れわたった大空と同じように、静かにしているのです。

 結論は簡単です。自然が結婚式をしながら音がすれば、私たちも飛び込んでいって音を出す準備をして、稲光がすれば、私たちも稲光を放たなければならないというとき、天地がそのようにして稲光を放ち、それに対される神様は、心と体が燃えるように雷が落ちることによって、どれほど強い衝撃を受けられるでしょうか? そのとき「ああ、私の創造理想、億万年万々歳! アーメン!」とそのように言われるのです。

 そのようになれば、神様は「私の願いはすべて成し遂げた。これ以上のことはない。このような日が永遠に続くことを願う。アーメン」と言われるので、愛も永遠であらざるを得ないというのです。

 しかし、そのようにだけ愛する人になってはなりません。そのような人になれば、万物が不満に思って、「なぜ神様は、アダムとエバだけを愛して、ご自身だけ喜んでいるのですか? 私たちも喜ぶようにしてくれるべきだ」と言うのです。ですから、鉱物も結婚するのです。植物も、チョウも、ハチも、すべてが、五万通りのあらゆるものが入り混ざった創造物は、神様のように、人間と共に愛する喜びで一つになるのです。そのように喜びに酔いしれる万物を神様に捧げなければならないのです。人間の前に「食べてください」と言うようになるのです。

 万物も相対を探し求めていくので、海で暮らす万物は淡水に訪ねていかなければならず、淡水で暮らす万物は海水を訪ねていくのです。そこで相対を結んで二つが一つになる調和の法度において、生命が躍動し、すべての万物が育っていくのです。二つの世界を通さなければ産卵することはできないという事実を、皆さんは知らなければなりません。

 それゆえに、渡り鳥も遠くまで飛んでいくのです。自然もそのようになっています。それゆえ、海の魚たちは、ペアで来て淡水でも「ワワワワ」と言い、淡水の魚たちは海に行って「ワイワイワイ」とするのです。二つの世界が、大きいものと小さいものが喜んで生産するということも、宇宙の結婚式と一連の関係を結んでいるというのです。このようなことを考えるとき、私たちは、そのような愛をもって万物を主管しなければならないのです。アーメン。

 皆さん、摂理観とは何ですか?「観」というのは、英語のビュー(view観点)とは異なります。「観」というのは、愛を中心として言うものです。「観」というものは、すべて見えることを言うのですが、この観は、その後ろまでもずっと連結して見ることができるということを言うのです。後ろまでも連結して、その次には下まで戻ってくることができることを言うのです。

 「一日」の観の中では、昼と夜が動いているのです。すると、一日一日を合わせて三十通りとなり、「月」という観が生じるのです。十二の月を中心として、「年」という観が生じます。このようになるのです。年を越えて、「世紀」が展開し、世紀が集まって「ミレニアム(千年紀)」となるのです。二千年を中心とした世紀観です。これらは連結されているのであって、別々ではありません。

 今日、そのような観がありません。人間が生活するにおいて、個人観、家庭観、氏族観、民族観、国家観、世界観、天宙観、神観を主張しますが、観がそのように連結されていないので、事故が起き、混乱と混沌が生じるのです。お金がすべてであると思い、政治がすべてであると思い、学問がすべてであると思い、自分が生きていることがすべてであると思っているのです。

 「真の御父母様の摂理観的責任完遂」、これは何ですか? 今日のこのような自然の結婚が私たち人間の結婚と天の国の結婚と通じるという観と責任を教えてあげた人が先生であり、その責任完遂するために努力するのが先生の使命でした! アーメン! このようになるのです。

 観の主流は何ですか? 生命ですか、血統ですか、愛ですか? 愛です。愛から始まりました。どのような愛ですか? 絶対、唯一、永遠、不変の愛です。ただ一つです。二つではありません。そのような愛が連結される存在も自動的に絶対、唯一、永遠、不変の存在になるのです。違いますか?愛によってのみ、そのような存在になり得るのです。

 真の愛とは万物世界が四方の門を開けて歓迎するものです。鉱物の世界では、そうした植物の主人が訪ねてくることを好み、他のすべてのものも、より次元の高い真の愛の主人が訪ねてくることを歓迎するのです。そうした愛でなければ、真の愛を結実することができません。

 それで万物は、より愛することのできる主人を慕い、その人が自分を食べてくれることを願っているのです。私たち人間も、神様の愛の中で、自分が死ぬことのできる道を行くことを願います。同じことです。

 ですから、万物というのは神様の創造理想に合格していますが、その万物が、より高まることのできる愛の実体完成に向けて、この世界は献身して犠牲になることを願っています。そうした世界の前に、恥ずかしい主人となってはならないのです。

 すべて分かりましたね? 雨が降れば雷の音がして、稲妻が走って歓迎するのだと考えなさい。雨の降る中、雷の落ちる中で一度脱いで愛してみよう、それでエデンの園では裸で暮らしたのです!アーメン!

 これ(服)は堕落の産物です。一度脱いで暮らしてみますか? エデン復帰の愛の理想を完成した家を探していくには、そのように暮らした者だけが「アーメン」と言えるのです!

 それでは、裸で暮らす女性たち千人がいて、そこに美男子が十人いたとすれば、十人のうちで自分の夫は一人しかいないとしましょう。その一人しかいない夫が一番見た目が悪かったらどうしますか? 一番美しい女性が見た目の悪い男性の生殖器を求めていきますか、一番美男子の生殖器を求めていきますか? 十人の男性がいますが、一番美男子の妻が一番見た目の悪い女性であり、一番美しい女性の夫が一番見た目の悪い男性であるとき、どうするかというのです。一番見た目の悪い男性を求めていかなければならないのです。

 心配するなというのです。どんなに見た目の悪い女性でも、真の愛で三度愛するだけで、最高の美しい女性になるのです。夫も同じです。美しいものには甘みがありませんが、自分の相対は三度だけ愛すれば、とても甘みが出ます。蜜の味よりも甘いというのです。

 それでは、その女性が不細工な男性を訪ねていって抱かれるとき、男性がどれほどありがたがりますか? 十倍以上も感謝するのです。キスをしても舌を切って食べてしまうほどでしょう。唇を切って食べてしまうほどなのです。骨髄が出てくるのです。事実です。骨髄が出てくるので、世の中にある蜜のうち、それ以上の蜜の味はないというのです。そのようにするとき、目を開けてキスをしますか、目を閉じてしますか? そこには十倍の力が入るため、衝撃的な愛の感動は天下がすべて引き込まれていくほどなのです。

 ですから、真の父母の摂理観的な責任を完遂できる言葉ですか、完遂できない言葉ですか? 言ってみなさい。創造原理を知っているでしょう? 私たちは創造原理を通じた理想観を知っています。個人完成がどうであり、家庭完成がどうであり、氏族完成がどうであり、民族、国家、世界、神様の解放まですべて知っています。真の愛です、真の愛。真の愛は投入して忘れてしまうのです。億万年投人して忘れてしまえば、億万年よりも価値のある相対が常に創造されるという、有り難い結論を出してあげたのは、真の父母の恵沢であり、神様までも解放できる真の父母の使命であった! アーメン!

 すべての万物も、愛のうちに生命をかけているのです。それは合っていますか、間違っていますか? 私たちの家庭で、個人は家庭のために犠牲になり、家庭はより大きなもののために犠牲になります。万物世界も同じ公式です。小さな存在は大きな存在のために投人して犠牲になるのと同じです。同じ公式の原理であり、同じ結論です。

 創造についてもすべて知っています。堕落についても知っています。これを復帰するための摂理史を中心とした救援摂理観がありませんでした。摂理観がなかったのですが、今日先生が摂理観を立てました。アダムはどうであり、ノアはどうであり、アブラハムはどうであり、モーセはどうであり、イエス様はどうであるという観を立てました。復帰摂理観を知っています。復帰摂理観を知り、復帰歴史を知っています。個人的な歴史、家庭的な歴史、氏族的な歴史、民族的な歴史、国家的な歴史、世界的な歴史が一つの観にかかっていますが、私たちの時代、時代に分別された歴史を知っているのです。そして、サタンの処理方法、サタンがどうだということまでも知っているのです。

 天国とは何ですか? いつも反対する群れ、泣きわめく群れであってはならないと知って、「解放されて平準化され得る、地上・天上天国を解放完成するので、感謝、栄光、賛美します!」と言うときの、その世界についても知っています。

 今日、アメリカにいる統一教会の食口は、今からアメリカを中心とした統一教会が行くべき道、世界に、天の国に入っていくとき、入籍するということを皆知っています。堕落によって、故郷を失い、祖国を失ってしまいました。しかし、地球が私たちの故郷であり、永遠なる神様がいらっしやる所が私たちの祖国であるということを知っているのです。どのようにして孝子となり、どのようにして忠臣となり、どのようにして聖人となり、どのようにして聖子となることができ、どのようにして王の位置にまでなるのかをすべて知っています。知らないことがないのです。

​ 今、「 第四次アダム圏時代 が来る」と言いましたね?ですから、「七・八節」を中心として、真の父母の完全定着を宣布し、そして「九・九節」を中心としてサタンを清算してしまい、サタンの手下までも一つの方向に向かって清算し、「三・十節」を中心として解放圏を宣布したのです。偽りの父が堕落することによって、神様が創造されたすべてのものを失ってしまい、破壊してしまったものを、真の父母が来て再創造し、すべてを復帰完成することによって、それらが分かれていない、統一的世界、家庭理想一体の地上天国時代を成し遂げたのです。​

​ 解放圏を中心として、「 第四次アダム圏 」という堕落していない本然のアダム世界、何千年間、空っぽだった天国を一度に埋めつくすことまで、すべて成し遂げたのです。そして神様が解放され、サタンまでも赦して、天国に入っていくことのできる基盤をすべて成し遂げました。​

 今や先生も解放されなければなりません。解放されて立派な先生が天の頂に先に上がっていくのでしょうか? 最も深い谷底に行って、再び羊の群れを追って天国に行かなければならないというのです。ですから、ウルグアイを中心として四か国、ブラジルのジャルジンを中心として、教育的な家庭的整備運動をするための修練所をつくったのです。そこからは蕩減時代ではなく、個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代に連結して、世界的に配置することのできる準備をすべて終えました。この作業を今しているのです。

 ですから、「総生畜献納祭」です。裂きません。二つとも抱いていくのです。地上世界・天上世界、東洋世界・西洋世界、南北の貧富の統一、全体を一つに抱いて入っていくのです。理想的な家庭、真の父母を中心として個人的な写真、氏族的な写真、民族的な写真、国家的な写真を自由に写せる、持つことのできる時代圏内、解放時代に入っていくのです。

 皆さんは、八段階を越えられなかったでしょう? それを絶対信仰、絶対愛、絶対服従で越えることができるのです。そこには自分というものはありません。先生の影と同じです。そのようにして八段階を越えることができないものを四千年を、四十日で蕩減復帰するのです。そこで何をするのかというと、み言を尊重視することで、どのようになったということをすべて知り、再整理するのです。父がしたことをすべて学ぶのです。「自分のためにこうも苦労されたのか」ということが分かるようになるのです。サタン世界のすべてのことを拒否したとしても、これだけは残さなければならないのです。

 そして、七代が一つになって、一八○家庭を中心として天国に入籍する時代が来ます。サタンは存在しません。サタンの手下から、天運が保護することのできる時代に越えてきたので、第四次アダム圏時代となるのです。蕩減が必要のない時代です。

 今まで皆さんが苦労したことによって、数千年間、失ってしまったものを蕩減復帰しましたが、今からは蕩減なく、皆さんの努力で天国に入籍するのです。そっくりそのまま貯蔵される時代なのです。そのような「第四次アダム圏時代」に委譲したのです。
 それで今、韓国本部では、ここに参席したすべての祝福家庭と食口を中心として、手本をつくり、韓国、日本、アメリカに新しく故郷の地をつくり、分かれていた世界が一つになったその上で、新しい父母の国、父の国、母の国、兄の国に、新しく入籍することのできる環境が始まるのです。

 ここを経た人々は、韓国人であっても、また韓国で生まれたとしても、兄と一つにならなければならないということを知らなければならず、母と一つにならなければならないので、どこに行っても私の家なのです。なぜですか? 父と母が一つの体、父母と息子、娘が一つの体なので、兄弟は皆一つの家族の間柄なので、どこに行っても私の地なのです。

 それでアメリカに二億四千万、日本に一億二千万、韓国に四千万、それで四億双です。四億双さえ終われば、他のすべての人たちが故郷として定めることのできる時が過ぎていきます。それから七か国です。第二次大戦の主要七か国からアフリカヘと広がっていくのです。

 今までに四億三千万以上を祝福しました。アメリカに住んでいた人々が配置されるとすれば、どのようになりますか? 家庭的なすべての「総生畜献納基金」を捧げて清算した、その順序に従ってなされます。いくらアメリカに住んでいたとしても、すべては兄弟の国です。アフリカならアフリカに行ったとしても、父母と一つになっている兄と弟であり、一つの家族であるので、地球星のどこに行ったとしても父母、私たちの家になるので感謝せざるを得ないのです。

 ですから、早く地球を抱かなければなりません。早く地球星を抱かなければなりません。誰もが重生式、復活式、永生式をしなければなりません。道をふさいで行うのです。ですから、ジャルジンの四十日の教育が重要なのです。先生がいなくても、過去の真の父母の伝統的歴史を再び知ることによって、私の責任を分配し、先生は天地を整備しましたが、私たちは私たちの氏族、私たちの民族、そしてその地にある国を復帰するにおいて、先導的な先祖的責任を果たすことによって、神様が本然の堕落していない長子圏、次子圏の兄弟を中心とした、天の家庭的立場に立てるのです。そうすることによって、神様の眷属を解放し、地上天国市民になることができるのです。アーメンです。

 祝福家庭が先生の時代まで行おうとすれば、イエス様のときは一二〇家庭でしたが、再臨主のときは一八〇家庭、もしくは一六○家庭です。一八〇家庭が原則ですが、この数字を中心として、一九九七年から二〇〇三年までの七年間で消化するのです。ですから、世界はすべて一九九七年から整備運動をしてきました。霊界と肉界すべて……。

 それで今後、父母の国に行って、一人が千二百家庭ずつ配置したからには、これは四億双にもなりません。何千万家庭、何百万家庭です。これを編成すれば、あらゆる民族感情、国境線、五色人種、分裂、そして文化の格差、そのようなすべてのものがなくなって、一方通行で神様を中心とした故郷が出発し、天国が形成されるのです。

 今、霊界では、自分の怨讐であった人と結婚しているのです。今、聖人と殺人鬼の息子、娘が結婚する時が来たというのです。アダム家庭のカイン、アベルが兄弟です。すべて等しく祝福して一つにするのです。

 「境界線をなくすためには、聖子の息子、娘と、殺人鬼の息子、娘が結婚しなさい!」と言うのです。国境を設定したならば、すべてが怨讐になるので、怨讐をなくすためには、国境を持った二つの国が交差結婚せよというのです。国際結婚だけが天国に向かう「直短距離」なのです。天国から地獄を救ってあげるのです。アベルを自分の王のように、自分の父母のように、自分の兄弟のように侍れば、すべてのものが一つになるのです。そこで分かれたものが一つになるというのです。

 すべて終えましたか、終わろうとしていますか? どちらですか? 皆さんは、全員まだ終わっていないのです。先生はすべて終えましたが……。先生は父です。絶対的な父です。父の絶対性稟、唯一性稟、すべてが似ているのです。すべてを相続したので、父の成したことと一つになった息子、娘になったので、その峠を越えて同じ祝福の場に立つことができるということをサタンは防ぐことができず、神様が否定する道理はありません。偽りの父母がそのようにしたので、真の父母がこのようにすべてをひっくり返して、「神様、お受けください」と言えば、喜んで受けられるでしょうか、泣きながら受けられるでしょうか?

 先生が聖人と殺人鬼とを結婚させるとき、神様は気分が良かったでしょうか、悪かったでしょうか? 神様が「いやだ」と言われたとしても「神様、そのようにしてはなりません。アダムが堕落して誤ったので、ひっくり返して治すのは私の責任です。ですから、神様は監督だけしていてください」と言えば、「そうだ」と言われるのであって、「この者め、そのようにしてはならない」と言われるでしょうか?

 また、サタンに「おい、この野郎! 私がこのようにここにいて、神様がここにおられるが、おまえは地獄に行く運命だ。アダムとエバ、人類の一番後ろについていくというのが本然の位置ではないか?」と言えば、「その通りです。極めて当然なことです」と言うのです。そのようなものを神様の前に連れていき、「この罪人を赦すべきですか、殺すべきですか?」と言えば、「やりたいようにしなさい」と言われるのです。神様もそのようにしか答えられないのです。サタンも、神様に感謝する前に、先生に感謝しなければなりません。それから、先生が「おい、神様の前に感謝しなさい」と言えば、神様は赦したくなくとも赦さざるを得ないというのです。

 神様とサタンが闘っていますが、誰がその闘いを止めなければならないでしょうか? 神様も止めることができず、サタンも止められません。自尊心があり、威信があるのです。サタンも威信がありますね? 完成したアダムはどうでしょうか?「神様、こちらに来てください」「サタン、こっちに来い、この野郎」「私の言うことを聞いて、闘いを止めてください。言うことを聞いてください。闘いは偽りの父母がもたらしたのですから、偽りの父母のすべてのことを、私が取り消す責任を持ったので、一つになり得る本然の基準を立てるのは私の責任です。一つになってください!」と言うとき、神様とサタンは一つにならなければならないのです。

 「神様、サタン! 私の言葉に従わないと!」という言葉に従って、その二人が互いに抱き合い、一つになれば、天上天国、理想世界に入っていくのです。そのようなとき、絶対万歳、唯一万歳、不変万歳、永遠万歳となるのです。

 ですから、真の父母の摂理観的責任を完遂したという結論になるというのです。それで、地獄撤廃! 天国の門よ、開け! 理論的です。

 理論体系に基づいてみるとき、一から百千万までが、この一つの結論に到達するようになるので、誰も不平を言うことができない、最高の知識の位置、最高の勝利的栄光の位置、最高の主体的位置、中心の位置に立つことができるのです。
 このようなことを知っているので、頭の大きい者たち、世の中に号令をかけてきた政治界の頭、言論界の頭、宗教界の頭、銀行界の頭、大学街の頭、そのような人々をすべて集めて、「この者たち!学びなさい!」と言うことができる内容です。そのようにできる内容なのです。

 「八十年の期間は、全体再出発完成解放の期間だった、アーメン!」。これが、二千年にぴたっと終わるのです。八十は再出発なのです。この八十年間に世界的なすべてのもの、今まで歴史においてなされてきたすべてのことを蕩減するのです。

 それでは、そのように知って、解放された統一的な民族として、活気に満ちて出陣しなさい。アメリカの軍隊よりも、ソ連の軍隊よりも、ドイツの軍隊よりも、いかなる国の軍隊よりも、勇猛で堂々とし、率先的にならなければならないのです。

​​ 統一教会の統一天下の子女たちは……、女性がサタン世界の国を統治することができる時代になったというのです。男性には負けません。すべての職場では、夫婦が同参することのできる時代が来たということを知らなければなりません。 軍隊に出ていくとき、夫と妻の二人が、息子、娘と四人が並んで立ち、一線に出て闘えばどれほどすばらしいでしょうか? 女性が弱くなれば、娘は父親が引っ張ってあげ、母親は息子が引っ張ってあげるのです。どれほどすばらしいですか? 一度、出陣したいと思いますか、思いませんか? ​​

 それは何かというと、他の国の軍隊をすべて占領するために、家庭がすべて出動して降伏させるのです。すでに屈伏させることのできる準備がすべてできているのです。祝福を受けるようになっているのです。祝福を受けたならばすべて降伏するのです。どんなに統一教徒たちが憎くても、その中心たるレバレント・ムーンはあまりにも有名です。世界のすべての国家が歓迎しているのです。世界のすべての人たちが歓迎しているのです。

 今、家庭が壊れて、若者たちが没落しており、エイズが蔓延しています。そのすべてのことをどのようにして防ぎますか? 絶対的な家庭の基盤を整備する道しかありません。ですから、いやでも行かざるを得ない時がきたので、絶対的な夫婦になって進んでいくのです。今や、世界統一も目前に来たということを知って、そのような自信を持って前進しなければなりません。
 ですから、ジャルジンでの四十日の教育を終えれば、すべての人々は荷物をまとめて、命令が下る日を待ちなさい。家があれば売るか、手持ちの預金通帳があればすべて引き出して、新しいところに預金して、土地を買う準備をして、すべてを売って、かばんにまとめて待たなければならないのです。

 これまで私たちは、本郷の地、祖国を失っていました。今や、真の父母が本郷の地と祖国を立てるのです。それを皆さんに許諾するのです。それをどのように否定しますか? それを否定すれば、サタンよりも悪い者になります。

 ですから、全世界の人たちが韓国に来ようとするのですが、韓国には国もありません。IMF(国際通貨基金)に引っかかって国、文化がすべて空っぽになったのです。先生の命令に従って定着するのです。五色人種、百八十か国の人たちがすべて入ってきた韓国を、「北朝鮮の金日成の言葉を聞いて韓国を統一する」と言うでしょうか? 国連においても百八十か国が反対するのです。「だめです。先生に従っていかなければなりません」と言えば、口をぴくぴくさせながらも「イエス」と言うのです。

 「日本はみなレバレント・ムーンの後ろについて韓国についていけ!」と言えば、「いやだ」と言いますか?「アメリカも韓国も日本の後ろについていけ!」と言えば、「いやだ」と言いますか? 「サタンまでも後ろについていくのに、何ですか、この者たち!」と言うのです。反対する親玉についていき、腐った根が抜かれて臭いのするものについていくのですか?

 それで今、国連が統一教会の運動を支持する時が来ました。アメリカもそうなのです。第二次大戦以降に、世界の七か国が韓国を支持し得る時代に入ったのです。アメリカが長子の立場で父母の国と一つになれば、その弟である世界の国が従ってくるでしょうか、従ってこないでしょうか? ですから教派……、カイン、アベルに分かれた宗教を統一するのです。

 アメリカは、キリスト教国家です。旧教と新教を一つにすれば、この国は必ず長子の国になるのです。宗教を一つにし、世界理想圏において真の父母に侍ることができるということが、すべてが晴れわたった日のようなものです。統一的な環境が世界に展開するということを思うとき、統一世界、地上天国、天上天国は自動的に来るというのです。アーメンです。(三一三-二六一、九九年十二月二十六日)​​​​​​​​​​




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2023.10.14 22:59:23
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