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2023.11.24
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第四回「七・八節」記念礼拝の御言
成約八年 2000年8月6日(陰暦七月七日)
天宙清平修錬苑 天城旺臨宮殿

 天宙清平修錬苑の天城旺臨宮殿 大聖殿で行われた第四回「七・八節」記念礼拝語られたもの。


 きょう、この「七・八節」は、善い日ですか、悪い日ですか? (「善い日です」)。なぜ善い日なのですか?。理由があって「善い」と言うのならば、なぜ善いのかというのです。天地父母天宙安息圏、安息できない所がどこにもありません。安息圏宣布の日です。ですから、どれほど善い日でしょうか?

 「天地父母」とは何でしょうか? (「……」)。答えなければならないでしょう? 「天地父母」とは何ですか? 「宇宙父母」です。そうではないですか? 「天地父母」とは何かというと、根源的な父母であると同時に、いつでも永遠に父母であることをいうのです。

 「天地父母」、それから何ですか? 「安息圏」です。安息とは何ですか?。平安の「安」という字は、ウかんむりの中に「男」という字を書きますか、「女」という字を書きますか?。ウかんむりは「家」を意味するのです。ですから、「家の下の女性」のことを「平安」だというのです。

 ですから、わたしたち人間が生まれた根本自体を分析してみるとき、父親の骨髄の種を受けて母親の腹中に入っていき、その赤ん坊が母親の体を安息所として、配給を受けながら大きくなって息子になり、娘になり、その家庭の孝子、孝女になるのです。(胎中で)体全体を育ててくれたのは、父親の体ではなく、母親の体なのです。分かりますか?

​ 「十月 (とつき) 目に生まれる赤ん坊の体は、百パーセント近く母親の骨と肉と血をそっくりそのまま配給され、分配されて生まれたのが息子であり、娘ではなかった」のです。「ではなかった」のです。(「だったのです」)。「ではなかった」のです (「だったのです」)理解していることは理解しているのですね。​

 それでは、神様は平和を好まれるかたでしょうか、嫌われるかたでしょうか? (「好まれるかたです」)。嫌われないでしょう?。好まれますね?。神様は平和を好まれます。どれくらい好まれるでしょうか?。絶対です。一度言ってみてください。「絶対」(「絶対」)。最々高々ーに好まれるというのです。(「最々高々ー」)。限りなく好まれるというのです。

 ですから、神様が平和をごらんになることができなければ、神様は死んでしまわれるでしょうか、生きていかれることができるでしょうか?。つまり、神様も死ぬことを好まれるでしょうか、好まれないでしょうか?。好まれないので、しかたなく神様も平和の世界をつくらざるをえません。

 それでは、神様おひとりで平和の世界をつくることができるでしょうか? (「できません」)。平和というものは、一人を前提として言う言葉ではありません。非常にたくさんのものが水平を成した、そのことを前提として言うのです。均等になったということです。千人、万人が暮らしていても、全員が同じ資格であり、同じ内容を備えた、そのようなことを言うのです。

 「平和」がよいですか、「和平」がよいですか?。言葉をきちんとしなければなりません。「和平」がよいですか、「平和」がよいですか? (「『平和』がよいです」)。「平和」が始まって「和平」をつくることができるのですか、「和平」を通して「平和」が訪れるのですか?。どちらですか?

 万事を成してこそ平和になりますか、平和になってこそ万事が成されるのですか?。万事が成されて、すべてのものが「和」してこそ「平」になるのです。「和する」ということですが、化学の「化(ファ)」という字は、本質が変化することです。木が石のような別の物になることを化学作用というのです。しかし、「和する」の「和(ファ)」という言葉は、そっくりそのままで形が変わることをいうのです。 (注:韓国語で「和(ファ)」と「化(ファ)」は発音が同じことから、そう言われる)

 ここにいる人は何人ですか?。七千人ですか?。何人ですか? (「七千人です」)。七千人が集まったので、座っている人たち各自の価値は、七千分の一の価値しかありません。そのように言えば、気分が良いですか? 「七千分の一」と言えば気分が悪いのです。それでは、「七千人がわたし(真のお父様)に似た」と言うときはどうですか? 「わたしに似たので、わたしのものだ」と言うときは、気分が良いというのです。

 自分を中心として「同じだ」と言うときには、すべて自分のものになるのです。それでは、一人一人違うというときはどうでしょうか?個体は朴パク氏、金キム氏、あらゆる人がいます。日本人も来て、西洋人も来て、ありとあらゆるさまざまな人々が集まっていますが、これが和合しましたか、平和になりましたか?。和合もせず、平和にもなっていなければ、どのようになりますか?。和合がなければ平和になりません。分かりますか? (「はい」)

 それでは、今朝、食事をするときに、ここでパンを食べましたが、パンを食べずにおかゆを食べようという人は、和合する群れですか、和合しない群れですか?。そのような者がいれば、おなかがすいて、どのような病気になるのですか?。盲腸になって、手術しなければならないというのです。分かりますか?

 自分が食べなければ、自分が食べなかったものを(他の人が)食べたとしても、それを「ありがたい」と考えなければならないのであって、おなかが痛い人は罰が当たっていなくならなければなりません。天もそのように考えるのです。分かりますか?

 文総裁を好むならば、皆さんも好んでこそ「和する」というのです。わたしが「良い」と言えば、皆さんは「悪い」と言いますか、「良い」と言いますか? (「『良い』と言います」)。文総裁、良い (「良い」)。(拍手)

 七千人が、「私も良い」と言って、拍手しなければならないでしょう?。拍手して何も言わないというのは、どういうことですか?。文総裁、良い (「私も良い」)。(拍手)そして拍手するのです。拍手の音が、「良い」という声よりももっと大きいですね。文総裁、良い (「私も良い」)。(拍手)そのようにしてこそ、調和するのです。

 さあ、それならば簡単です。神様が平和を好まれるのですが、どのようにすれば、平和が成し遂げられるのでしょうか?神様が嫌われる怨讐という群れは、すべて追放……。しかし、神様は殺すということをしてはなりません。追放するにおいても、しかたなく逃げていくことができるようにしておけば、平和になるのです。簡単でしょう? (「はい」)。

 若い人たちは、答えがはっきりしていなければなりません。朝食は食べましたか? (「はい」)。それでまた、昼食を食べるのですか?。答えることもできない群れが、座って昼食を願うのですか?。はっきりと答えなければなりません。「私は平和の王子、王女になりたい」と思う人は、手を挙げてください。やあ 皆、わたしより優秀ですね。

 さあ、簡単です。 問題は、「国境線を撤廃すれば、平和の世界はやってくる」ということです。 (「アーメン」)。国境線がなくなれば、平和の世界は自動的に成し遂げられるのです。(「アーメン」)。ああ、わたしたち統一教会は「アーメン」と言ってはいけません。「感謝します(カムサハム ニダ)」と言うことにしたのです。(「感謝します」)。(拍手)分かりますか?

 国境線がなくなるときには、平和統一の世界が自動的にやってくるのです。(「感謝します」)。「アーメン」と言わずに「感謝します」と言わなければなりません。「アーメン」と言うのは、神様のみ旨成就は千年万年願ってきたことであり、神様から歴史的にずっと、過去、現在、未来のために長い間待っていたことなので、それが「み言のとおりになりますように」という意味で「アーメン」と言った、そのときの言葉を中心として答えた言葉ではないですか?しかし、今のこのようなときには「アーメン」では合わないので、「感謝します」と言わなければなりません。分かりますか?。感謝しましょう。(「感謝しましょう」)。

 鄭壽源氏 (笑い)「感謝します」の歌を一度聞いてみましょう。出てきてください。(拍手)きょうは、わたしがこのようにプログラムを組んでいきながら進めていくことが良いのか、悪いのか分かりません。神様が喜ばれれば、万事がオーケーです。歌ってください。(鄭壽源先生が「感謝の歌」を歌うが、声がかれていて、歌詞がよく聞き取れない)

 そのまま立っていてください。わたしは、それが何の歌なのか、一言も聞き取れません。(笑い)静かにして、はっきりと歌う言葉を注意して分析しながら、心の世界の門を開いて、拍子を合わせてください。分かりますか? (「はい」)。分からない人は、居眠りしてもかまいません。さあ、はっきりと歌ってください。(笑い)

  「感謝の歌」

 感謝します
 感謝します
 生命の自由を取り戻したので感謝します
 生命の自由を取り戻したので感謝します
 愛情の自由を取り戻したので感謝します
 愛情の自由を取り戻したので感謝します
 自由にふるまう元のサタンを葬ったことを感謝します
 自由にふるまう元のサタンを葬ったことを感謝します
 うれしく感謝だ 新しい主人が来た
 うれしく感謝だ 新しい主人が来た
 サタンに勝利したことを感謝します
 サタンに勝利したことを感謝します
 栄光 栄光 私が享受できる栄光を感謝します

 世の中のサタンの権勢がすべてなくなり 天の主の御声
 が聞こえてくる
 新しい天地に 顔を上げてみると 光明のさすエデンの
 園が開かれているなあ

 エデンの園 善い私の体の中に 無窮な生命の川の水
 が流れていく
 新しい天地に 新しい主の役事で死んでいた霊魂が復活
 したなあ

 さあ、もうみ言の内容はすべて聞いたでしょう?。時間がずいぶんたちました。「先生が代わりにしてくれた」と思って終わりにしましょう。終わりにしようというのです。なぜ答えないのですか?。八十歳になった老人を、まだこき使おうということですか?

 先生がみ言を語らなくても大丈夫です。きょうは善い日なので、少し休まなければならないでしょう。それとも、まだ汗を流さなければならないのですか?。簡単なのです。国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的にやってくるのです。(「感謝します」)。(拍手)

 皆さんが記憶すべきことは、国境線の主人はだれかというと、それは神様でもないということです。国境をつくり始めた親分は、サタンです。国境線のある所には、必ず悪魔が潜んでいるということを知らなければなりません。

 三十八度線がありますが、三十八度線にだれが潜んでいるというのですか? (「悪魔です」)。悪魔と悪魔の実体が潜んでいるというのです。東洋と西洋の文明圏を中心として、お互いに国境線を大きくつくっているのですが、ここにだれが潜んでいるのですか? (「悪魔です」)。悪魔が潜んでいるのです。

 文化の背景、伝統の背景、人種の差別や、あらゆる差別を生み出して国境線をつくったのは、神様ではありません。神様は統一の世界、一つの世界です。国境のない世界を……。

 神様には国境がないので、「怨讐を愛しなさい」ということを言われるのです。「恨みを晴らせ」と言えば、国境は存在し続けるのですか、なくなるのですか?。怨讐を愛して一つになる所では、国境が崩れていくのです。

 それゆえに、神様の戦略戦術である「怨讐を愛しなさい」ということには、偉大な戦略的な内容と、偉大な戦術的な内容があったということを、今日の人類歴史は知らず、今現在、生きている人間たちも知りませんでした。

 そのような、歴史が知らず、四大聖人も知らなかった神様の戦略戦術を、今、統一教会の教会員たちは歴史を代表して、全体を代表して知ることができるのです。と同時に、これを相続して実践することができる人になったので、自動的に平和を成し遂げることができる親分になるのです。アー、アー。(「メン」)。「アー、メン」ではありません。アー、「感謝します」。(「感謝します」)。(拍手)そのとおりですか?

 皆さんの心が喜ばないところには国境ができ、体が喜ばないところにも国境ができ、自分の行動が喜ばないところにも国境ができ、自分の言葉が喜ばないところにも国境ができ、自分の見るものが喜ばないところにも国境ができるのです。また、五官を通して一つにならないところに、ありとあらゆる国境がどれほど多いかということを考えてみてください。

 また「怨讐を退治しろ、国境をつくったものを処断しろ」と言えば、目も抜いてしまわなければなりません。目は二つのものを見ることができます。これもよく、あれもよいのです。聞くものも、善なる善いみ言、真理のみ言を聞くことも好み、流行歌、踊る姿もすべて好むのです。

 それでは、どちらが事実なのですか?。ですから心配なのです。統一教会では「流行歌を歌うな」と言いながら、「文総裁、絶対に流行歌を歌うことに反対した」、それとも「歓迎した」、どちらですか?。尋ねているではないですか?

 名曲を歌おうと、歌謡曲を歌おうと、どのような曲を歌ってもよいということです。「それを消化することができるのか?」、「良くすることができるのか」ということが問題です。国境がなくなるように、神様が喜ばれることのできる無制限の橋を架けることができるという人は、流行歌を歌おうと、どのような悪い言葉を言おうと、何も問題にならないというのです。

 それゆえに、「自分には、すべての五官を通して感じる感覚、あるいは歴史的伝統を残して暮らしている今の生活環境において国境がある」というときは、サタンの身内になるのです。それでは、「国境がない」というときは、どのようになるのでしょうか?。神様の側になるのです。

 サタンは、国境をたくさんつくるためのチャンピオンであり、大王陛下です。神様は、国境をなくすための大王陛下です。国境を最も嫌う大王陛下であられるということを知っていますか、知りませんか?。知っているのなら、こちらのほうだけ拍手してください。(拍手)そのとおりに拍手するのですね。

 今度は、知らなければ、こちらのほうだけ拍手してください。(何人かの人が拍手する)(笑い)知らなかったのですか、この者たち? (笑い)(「分かりました」)。直ちに審判されています。話を理解しなければなりません。

 さあ、それでは「神様は、絶対に国境を好まれない大王陛下であられる」ということを意を決して理解する人は、四本の手足をたたいてください。「このように四本の手足をたたかなければならないでしょう?。このように、「七・八節」の記念行事の中で、四本の手足をたたいたということは、夢にも忘れられない」と思えば、偉大な人になるのです。分かりますか? (「はい」)

 それでは、三十八度線があることを歓迎する大韓民国は、神様が好まれる者たちですか、嫌われる者たちですか? (「嫌われる者たちです」)。嫌われる者たちです はっきりと知らなければなりません。

 それでは、「三十八度線をなくそう」という人は、神様が最も好まれる悪い者ですか、チャンピオンですか? (「チャンピオンです」)。知っていることは知っているのですね。あなたは、チャンピオンになりますか、悪い子女になりますか? (「チャンピオンです」)

 わたしがいくら悪口を言っても、「自分とは関係ないので、悪口を言われたとは思わない」というのです。「あの文総裁、公的な席で牧師が、教主があのようにいいかげんに話してもよいものか?。えへん。儒教の観点ではいけないのだが」と考えるならば、その人はだめな人です。

 悪口を言うならば、讒訴する人がいなければならないでしょうが、そんな人はいません。神様は、ごらんになって喜ばれるのです。わたしは、死ぬとしても三十八度線を残しては死にません。(拍手)

 韓国人が南北韓を合わせて七千万なら、七千万国民のだれもが「三十八度線を絶対に残すことはできない」と思う人になればよいのですが、それはやさしいことです。「三十八度線を好む人は悪魔の側、サタン側だ」ということを知っていればよいのです。間違いありません。

 分裂を造成することは、悪なる大王、悪なる悪魔のチャンピオンが願うことです。三十八度線を嫌うことは、善なる大王陛下が好まれることです。そうですか、違いますか? (「そうです」)。分かりましたか、分かりませんか? (「分かりました」)。これ以上、話さなくてもよいでしょう?。話そうとすれば、何十年間話しても終わらないので、このくらいでやめましょう。

 三十八度線がある所は、サタンが主人になっているのです。なくなった所には神様が主人になるので、統一教会の教会員は三十八度線を消化して、三十八度線をなくして国境線を撤廃させるのです。

 そうして、怨讐たりうる者同士のふたりが、お互いに「結婚しなければならない、息子にし、嫁にしなければ生きていけない」という人にさえなる日には、統一天下が自動的に形成されるのです。(「アーメン」)。(拍手)

 それでは、「七・八節」にわたしが贈るプレゼントは何かというと、間違いなくプレゼントを贈るのです。三十八度線がある所には、必ず悪魔の身内が暮らしているのであり、三十八度線がなく、「お互いに愛そう」というときは、間違いなく神様の身内、血族、血筋です。神様の血族が暮らしているのです。拍手しなければならないでしょう? (拍手)

 それで今回、わたしが国連に提案しようとしていることは、国境線地帯は超国家の立場に立った国連の所有にしなければならないということです。(「アーメン」)。(拍手)そうすれば、三十八度線をつくり、そこで背を向けて暮らしている国の民も、国連の国として吸収されなければなりません。(拍手)

 それで、そのような地域を見れば、今日の統一教会で「趣味産業」と言えば、興味津々で「それは何か?」と言うのです。趣味産業は、景色のいい所、だれもがそこに行って暮らしたいと思う所、そのような所は、趣味として願う喜望峰です。

 そのような所は今後、超国家連合ができれば、その超国家連合を中心とした国連が、その所有主となり、あらゆる国境地帯全体は、超国家的主人である国連の名によって従属しなければなりません。分かりますか?

 それで統一教会の文先生は、頭が悪くてそのようにするのか、知恵があってそのようにするのか分かりませんが、「統一教会の教会員たちは、総生畜献納をしよう」と言ったのです。

 それでは、超国家国連の所有にするためには、昔のように、旧約時代、新約時代、成約時代のように、割いて神側とサタン側に取り分を分けて、祭祀の供え物をささげていた時代はなくならなければなりません。

 旧約時代は万物を割いて血を流し、左側はサタン側であり、右側は神側というようにして、二つの側が得たり与えたりという闘いを続けてきました。そのようなことを完全否定して、一度に旧約時代は物質世界……。

 わたしたちの家に関して見れば、夫婦がいて、子供がいて、物質があるので、旧約時代とは、わたしたちの神様の家庭において、物質を分けてサタンの取り分まで分けてあげた時代が旧約時代です。そのような旧約時代のみ旨を信奉したのは、子供が祭物にならないようにするためでした。

 ところが、旧約時代が失敗することによって、サタンと神様は、「昔のように割かれた万物を持つのは嫌だ」と言うのです。サタンもそのように言うのです。万物を割くことにおいて失敗すれば、息子を割かなければなりません。

 それゆえに、神様の長孫であられるイエス様が、この地に来られて血を流され、イエス様の体はサタンが所有し、イエス様の心は霊界に行くようになったのです。それで、再び体を取り戻さなければならないので、再び来られなければならないのです。それは、息子を割いて立てるということです。

 それで、その息子が割かれることによって、霊界をはじめとして、このようにすべてのものが分かれて大変なことになったのです。男性と女性が分かれ、心と体が分かれたので、これを統一させるために、霊界の所有権を持たれたイエス様が、地上の所有権を再び合わせて一つにするために地上に来られなければならないのです。

 地上に来て、何をなさろうというのでしょうか?。結婚しなければならないというのです。子供を分けた立場においては、男性であるひとり子を分けてあげたならば、娘まで分けてあげたいと思うでしょうか、首を切って分け、それを持とうとするでしょうか?

 長子であるイエス様の体を中心として、地上世界はサタンが所有し、天上世界は神様が所有するのです。そのように分けて所有するために、サタンがイエス様の体を捕らえて殺したのです。思いどおりにしました。サタン側は死亡です。

 それで霊界に行かれて、二千年間基盤を築かれ、天上世界の、すべての心の世界の方向が一つになって、地上でも一つになってカイン・アベルとなり、旧教と新教が闘うのです。怨讐になるのです。一つは神側であり、一つはサタン側です。長子はサタン側になり、次子は息子の側になります。

 このように、常に国境的な内容、闘争的な概念を抱いて歴史は発展してきました。これを解消するのです。それで、来られる主が天の国を統一し、地上のユダヤ教と選民を中心として、その統一圏を中心として初めて天と地、男性と女性、分かれていたものが地上に来て初めて結婚式を行うというのが、キリスト教で言う「小羊の婚宴」なのです。(「アーメン」)。(拍手)

 天の国と地上のキリスト教の国が統一されたのが第二次大戦後であり、キリスト教文化圏が全世界を統一しました。そして、霊界の統一的主導権を持たれたイエス様が、霊界の勝利者となられたので、地上に統一されたキリスト教の時が訪れたのです。

 そのことによって、イエス様と聖霊が地上に来られて、体である実体の夫と聖霊の相対である新婦が一つになって結婚式をすることによって、二つに分かれて闘っていた心と体、二つに分かれて闘っていた男性と女性がすべて……。

 世の中のよこしまな問題が何かというと、男性と女性の闘いであり、心と体の闘いです。心と体の闘いと男性と女性の闘い、これを解決すれば、天下は平和の王宮に入っていくことができるのです。(拍手)

 これは漠然としていますが、具体的な問題を中心として考えてみれば、宗教の目的とは何でしょうか?。男性と女性が神様を中心とし、神様の愛を中心として、神様が直接に呼ばれて、「おい、息子、娘よ」と言われて結婚式をしてあげられたというとき、「十双をしてあげる」と言われたでしょうか、最初に一双をしてあげなければならないでしょうか?

 答えるべきでしょう?。十双を一度にまとめてしてあげられるでしょうか、一双をしてあげてから十双をされるでしょうか? (「……」)。そのようなことを知らずに、ここに来て座っているのですか?

 神様の創造理想から見るとき、だれから先に結婚式をしてあげるようになっていますか? (「アダム(アダム)です」)。今言った「ア ダム」ですが、その「タム(韓国語で「垣根」の意味)」が、どれほどたくさんあるでしょうか?。国境線がたくさんできたというのです。エバ(ヘェワ〔韓国語で「してきた、つくってきた」の意味〕)です。それを崩して……。

 それは、だれがつくったのですか?。エバ(ヘェワ)がつくったので、それを崩して平らにし、新郎新婦……。アダムが堕落して壁ができる、その前から出発し、平地をつくり、エバがすべての壁を崩したその前で、エバを先頭に立てて踊りながら世の中に登場し、個人から世界の果てまで歓迎される道を行くのです。

 そうして、天の国にいるすべての先祖も、神様までも歓迎することのできる環境において、地球星を行く所まで行き、海を渡って反対側に帰ってくれば、夜も昼もない地上天上天国になるのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手)

 人類歴史において、そのような日はありませんでした。そのような日がなかったというのです。そのような日がなかったので、今まで無数の境界線にからまり、苦しんで呻吟し、苦痛にあえいできたのです。この境界線をどのように打破するのかという問題が、平和の起源にかかわるということを知らずにいます。

 どのように打破するのかということは、真の父母の名を持った文総裁だけが初めて先に知り、それを教えられて祝福を受けた群れがここに来て座り、「七・八節」の祝賀に参加している者たちだったのです。「感謝します」と言わなければならないでしょう? (「感謝します」)。(拍手)

 さあ、「自分は、国境線が百万個あったとしても、問題なく撤廃することができる」、「できない」、どちらですか? (「できます」)。どのようにしてですか?。どのようにしてですか? (「真の愛でします」)。真の愛で。

 真の愛は、どこにありますか?。これが問題です。「どのようにして、することができるのか?」と言うとき、それはできないのです。なぜでしょうか?。神様でもできないのです。(「お父様がされました」)。お父様がどのようにするのですか?。神様でもできないのに、お父様がどのようにしてするのですか?。したのかしていないのか、うそかどうか分かりますか?

 「神様のように知ることができなければ、撤廃することはできない」。これは合っていますか、合っていませんか?。合っていますか、合っていませんか? (「合っています」)。神様を一八〇パーセント以上知らなければなりません。知っていますか?。知っていますか? (「……」)。なぜ黙っているのですか?。どれほど分かっていないことでしょうか?

 昼と夜も分かりません。昼が分からなければ、夜だけでも分からなければならないでしょう。二十四時間、昼のように(はっきりと)分からなければなりません。そして霊界を見れば、天国は昼であり、地獄は夜ですが、天国と地獄が分からない人が、天国の国境線を主管することはできません。分かる人は自動的に主管することができるのです。

 ですから、地獄までも分かり、分かっている人は主管することができるので、撤廃させることができるというのです。分からなければできません。分かりますか?。神様は、毎日のようにごらんになって分かっているので、だれでも分かるので撤廃することができるのです。分かりますか?

 ですから問題は、「神様を知らなければならない」ということです。神様を知っていますか? (「……」)。なぜ黙っているのですか?。さっき皆、「知っている」と言ったではないですか?。神様を知っているのですか、知らないのですか? (「知っています」)。どのくらい知っているのですか?

 「神様はお金を好まれるので、私もお金しか知りません。神様は権力を好まれるので、私も権力を好みます。神様は知識を好まれるので、私も知識を好みます」という教会は、分かっていないのです。いくら慕っていたとしても、絶対に解放することはできません。

 それでは、神様をすべて知り、サタンを完全に追放することができ、完全に解消させることのできる能動的な内容とは、一体何でしょうか?。神様を知ったとしても、神様の何をもって、国境線を撤廃することができるのだろうかというのです。重要でしょう?。そうですか? (「はい」)。そうですか? (「はい」)

 神様が主人であられるのならば、主人が暮らす町があり、その国がなければならないということです。そうですか?。神様を知ろうとするならば、神様が暮らす国には中心と環境がありますが、その場合、神様が中心ですか、国が中心ですか? (「国が環境です」)。国が環境ですか?。尋ねているではないですか?。はっきりと答えなければならないでしょう。神様が中心ですか、環境が中心ですか? (「神様です」)。間違いありません。

 環境とは何ですか?。相対圏です。何の相対ですか?。神様が必要としている万物を国境が妨げているので、その国境を撤廃して解放することによって、神様がすべてを愛されることができるのです。分かりますか?。神様がどうなさることができるというのですか?。すべてを愛されることができるというのです。

 それでは、すべての被造万物は、「神様の主管を受けたい」と思うでしょうか、「境界線によって分けられて呻吟し、苦痛にあえぎ、迫害を受けながら、悪魔に支配されたい」と思うでしょうか?。自己主張する立場で、「解放されて喜んで暮らしたい」というのが万物なので、「神様の主管圏内に入っていきたい」というのが願いの中の願いであり、希望の中の希望であり、「懇切に、懇切に願います」という祈祷をしているのです。そのような内容になるのです。そうですか、そうではないですか?

 ですから、神様を知り、神様が暮らす環境を知らなければなりません。環境とは何ですか?。天国のことです。天国のことを知っていますか?。天国のことを知っているのですか、知らないのですか? (「知っています」)

 何も見えない目になって、神様も分からず、神様が暮らす家も分からず、故郷も分からず、国も分かりません。ですから、分からない世界はすべてサタンのものなので、サタンがふさぎ、神様に苦痛を与え、神様の自主権を崩そうとするのは間違いなのです。

 それゆえに、国境撤廃というものは、神様を自主的で解放的な神様にする近道なのです。分かりますか?「そのようにすることのできる自分になればよい」と思う人は、両手を挙げ、拍手して歓迎しましょう。わあ、拍手している光景は本当に良いので、一度見てみてください。

 さあ、前の列だけ立ってください。前列、起立 前列、起立して回れ右。今、拍手した人、もう一度、両手を挙げて元気よく拍手してください。(拍手)わあ 本当に良いですね。雨ならば、夕立の中の王の雨であり、和動ならば、和動の中の王の和動であり、それ以上に素晴らしいものはありません。

 ここにいる人たち、全員見たでしょう?。気分は良いですか、悪いですか?。良かったですか、悪かったですか? (「良いです」)。「一度、踊ってみたい」という思いはしませんか? (「します」)。ああ、(本当に)踊ったら困ります。思いだけでもそのように過ごしてこそ、きょうの記念日が名節を守る日として記憶されるのです。

 さあ、これからは、神様をはっきりと知り、天の国をはっきりと知らなければなりません。それでは、神様をはっきりと知り、天の国をはっきりと知れば、その国の伝統と文化の内容、生活の行動はどのようなものなのでしょうか?。分かりますか?。国境を撤廃することのできる……。

 神様がおられ、天の国があるとしても、千々万々の国境によってふさがっているのはどうしてなのでしょうか?。神様を知り、天の国を知っている人がいないからであり、天の国の伝統的生活の内容を知っている人がいないので、それが不可能だったのです。その内容さえ知れば、霊界も地上世界も解放圏が展開するのです。(「アーメン」)。はっきりと知らなければなりません。分かりますか?

 サタンが身動きできず、「おい、サタンよ」と言えば答える位置に立てば、サタンは呼ばれれば、答えるべき主体をはっきりと知っているのです。それが、どのような主体なのかというと、天の国と神様の心に一致することのできる文化的背景を持った、伝統的思想によって生きる人です。その方法を知っているので、そのように生きるのです。その方法とは何でしょうか? 「ために生きる愛」です。そのような愛を持った人(が主体)なのです。分かりますか? (「はい」)

 自分のために生きる愛を求める人ではありません。相対を愛の主人にしてあげ、相対が愛を通して踊りを踊ることができるようにしてあげようという人が、神様を知り、天の国を美しく装って保護することができ、(そこで)生活することのできる後継者となるので、サタンは神様の後継者を防御する道がないのです。(拍手)

 さあ、二人の人がけんかをしているとします。そして二人の人がけんかをして、「こいつ」と言ってなぐって、相手のあごを外してしまったというのです。なぐられた人は、どれほど悔しいでしょうか?

 しかしそれで、なぐった人が、あごを一発なぐっておいて、「ああ、気分が良い。こいつめ」と言うのではなく、なぐった相手に対して痛哭して、「ああ、なぐってしまったが、これはかえって、自分の息子があごを外されるよりももっと悔しく、親があごを外されるよりももっと悔しく、自分の愛する妻があごを外されるよりももっと悔しいなあ」と言いながら、「千回、万回なぐって、私のあごを百回外してください」と言ったならば、なぐられた人は、どのようになるでしょうか?。どのようになるのか考えてみてください。

 このようなとき、あごを外された人は、なぐった人を怨讐のようになぐるでしょうか?。どのようにするでしょうか? 「これはどうしたことか?」と思うのです。なぐった人が、「自分の息子があごを十回外されることよりも、愛する父母や愛する妻が、十回あごを外されることよりももっと心が痛み、もっと悔しい」と言うとき、あごを外された人は、「それでも恨みを晴らしたい」という気持ちがあるでしょうか、ないでしょうか?。気持ちがありますか?

 相手のあごを外したのならば、その相手の涙を止め、悲惨な姿を感動させることができなければなりません。相手の涙を止めることができなければなりません。危害を加えてしまった相手に対して、自分の子供以上に愛する立場でそのようにすれば、被害を受けたほうも、「ああ、この人は私よりもできた人だ」と思うようになるのです。

 ですから、ために生きなければなりません。ために生きる心を持ち、自分が誤ったことの何十倍、「もっとために生きよう」という心を持ってこそ、その過ちが取り消しになり、ために生きて何十倍の環境を天国化させることのできる「占領力」がその場に拡大されるのです。そのような事実があるので、国境は自動的に撤廃されざるをえません。(「アーメン」)

 それゆえに宗教では、終末には「自分の身内の者が敵となるだろう」と言ったのです。自分の家族が、いっぺんにめちゃくちゃになって死ぬ、そのこと以上に怨讐を愛しなさいというのです。死ぬことを悔しく思う以上に怨讐を超えて愛すれば、怨讐の世界を支配することができ、サタンが退くことによって怨讐の世界まで占領することができるのです。ノーメンですか、アーメンですか? (「アーメン」)

 こういうときは、一緒に大きく「アーメン」と言ってください。「アーメン」。(「アーメン」)。大きく、「アーメン」(「アーメン」)。七千人が、わたし一人の声にも満たないですね。もう一度、大きく力いっぱい言ってみてください、この者たち。(「アーメーン」)。息が切れましたか? (皆のまねをされる)(笑いと拍手)

 池承道ハルモニが祈祷の中で「懇切に(カンジョリ)」と言うときは、町内の鳥たちが飛んできて「見物したい」と思うのです。「カン(懇)、カン(懇)、カン(懇)」と鳴きながら、カン(肝〔注:韓国語では「懇」と発音が同じ。ここでは、「気持ち」や「心」の意味〕)が一言一句ごとに引かれていくのです。最後まできちんと締めくくらなければならないでしょう。分かりますか?

 ために生きるにおいても、父や母、町内の人、とても愛している一族であっても、それを火で燃やしてしまい、他の町内、怨讐をだれよりも愛して、そのまま祭壇をささげるほどであるならば、サタンは、そこに座ってそれを食べるでしょうか、逃げていくでしょうか?。座って食べることができますか、逃げていきますか?。答えてください。逃げていきますか、座って食べますか? (「逃げていきます」)。逃げていくのです。間違いなく、逃げていかなければなりません。そのようになれば、神様が来られて千倍万倍、報いてくださるというのです。

 さあ、そのようなことが分かれば、そのように生きなければならないでしょうか、生きてはならないでしょうか? (「生きなければなりません」)。手足を挙げて拍手したでしょう?。さあ、もう一度しますか?。十回でも千回でもしなければなりません。「したい」と思う気持ちがありますか、ありませんか?。ありますか、ありませんか? (「あります」)。「ある」と言うので、したこととして認めましょう。本当にしたならば、どれほど時間が逃げていくでしょうか? (笑い)

 神様を知り、天国を知り、その伝統的骨髄思想、サタンが八方に逃げていく秘法とは何かというと、ために生き、ために笑い、ために愛そうとすることです。そのようにすれば、間違いなくサタンは国境線を捨てて逃げていくのです。逃げていくにしても、そのままでは行くことができません。「ああ、国境線を崩してから来い」と言って、手下の者たちが残って崩していくのです。

 それでは、手下の者たちに出会えば、たたき殺さなければならないでしょうか、どのようにしなければならないでしょうか? 「ああ、手下の者たち。夕食でも食べていき、朝食でも食べていきなさい、ご飯をあげるから」と言うのです。

 そのようにして、「いいえ、もう二度と来ません。もう二度とお世話にはなりません」と、最後のあいさつまでしてから行くようにしたならば、そのとき初めて地上に平和の世界が到来せざるをえなくなるというのです。(「アーメン」)。(拍手)

 それから、どのようになりますか?。サタンが出ていくことによって、地獄に直行していた死亡の生命が、天の国に上昇できるという「永生の道理」が訪れてくるのです。そこで永生するというのです。神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想である「ために生きる愛」を「千年万年、万々年、続けていきたい」と切に思う群れとなることによって、主体であられる神様を「お父様」と呼ぶことができるのです。

 ですから、そこにおいては、「永遠の血筋を通して、血統を通して永生の論理と永生の伝統が、「私」とともに結実するということは、間違いない真理だった」というのです。(「アーメン」)。(拍手)

 永生というものは、神様の本質的な愛から(始まるのであり)、創造されるときに、神様ご自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従され、「世の中は縮小していっても、わたしの愛は永遠に永遠に永遠無窮に、より大きくなっていく」という心情を持って投入されたのです。

 そのように投入される心情を持って生きるかたが神様であられるので、「神様の前に主管されない存在や、神様を絶対、唯一、永遠、不変の主人として侍らずに相対的な理念を持った存在は、絶対にない」ということを知らなければなりません。明確でしょう?。分かりますか?

 永生不滅の息子、娘が生まれるのです。それで、神様の国が自分の国になるのであり、神様が自分の神様になるのであり、神様と天の国の伝統の主人となる生活方法に自らが一致し、神様の息子、娘であることが間違いないので、永生不滅は自動的な結論なのです。「はい」ですか? (「はい」)。ありがとうございます。(「ありがとうございます」)。感謝します。(「感謝します」)。(拍手)さあ、それで「ああ、きょうのような大きな記念日は、大祝賀の日なのに、皆が知って余りある話をまた蒸し返す先生が、私は好きだ」、「嫌いだ」、どちらですか?

 漢方薬を飲むときに、二番煎じを好む人がいますか?。絶対にいません。文総裁の二番煎じの話を「その話も皆、知っている話なのに、このように話すのは初めて聞くが、みんな知っている話を、またそのように誇らしく話すのか?。きょうの記念すべき日に記憶できる内容でもないなあ」という人は、引っ繰り返って死んだほうがよいかもしれません。このような者たちは、間違いなくサタンが担いでいって地獄の祭壇で殺し、自分の祭物にするのです。

 「死なんとする者は……」、何ですか? (「『生きる』です」)。「生き、生きんとする者は……」、何ですか? (「『死ぬ』です」)。これが嫌だと思うならば、引っ繰り返って死んだほうがよいというのです。分かりますか?このようにすることによって、国境がなく、どこでもこのような心、このような心情を持って対する世界は、神様とともに対することのできる、勝利の覇権の王圏に超えていくことができる場であるので、サタンは跡形もなく自動的に屈伏せざるをえないというのが、天理大道の原則だったのです。(「アーメン」)。(拍手)

 さあ、一幕は終わりました。一幕が終われば、やめなければなりませんか、二幕までしなければなりませんか? (「……」)。一幕が終わったのですが、二幕を始めようというのですか、やめようというのですか?。すべて知っている人たちです。何を聞こうというのですか?。やめてもよいでしょう。

 すべて知っている人が、何を聞こうというのですか?。知らない人は知らないようですが。(「第一幕でたくさん恩恵を受けたでしょう?」(郭錠煥会長が皆に向かって言われる)(「はい」)。終わろうということですか? (笑い)

 これを知らなければ、神様の前に行っても、「わたしがあなたを祝福した」という証書は、受けることができなくなるのです。天国に入っていくことのできる環境的条件にはなりますが、神様に出会って、神様が「あなたが、わたしの息子であり、わたしの天下を相続させてあげる」という証明書を受けることができなくなるのです。それでも終わろうというのですか?

 証明書がないのに、天の国に行って何をし、天国に行って何をし、ために生きて何をするのですか?。証明書がないとき、サタン側に行けば、受け入れてくれるのですか?。足で蹴飛ばされるのです。そのような人は、ここでも信じられず、あそこでも信じられないというのです。

 地獄に行く道もないという、そのような寂しい人になるのですか、ならないのですか? (「なりません」)。もう答えてしまって、「先生のみ言が嫌だ」と言ったので、その責任をすべて執らなければならないでしょう?

 さあ、二幕です。二幕を出発するのですか、しないのですか? (「します」)。(拍手)二幕は簡単です。神様がいくら優れたおかたであるとしても、今まで愛の主人になってみたことがあったでしょうか?。真の愛というものは、一人ではできません。愛というものは、一人では成すことができません。男性の前に必要なものは女性であり、女性がいることによって、男性が女性を愛することのできる主人の資格を決定することができるのです。驚くべき話です。

 女性がいなければ、男性がいくら優秀な男性であっても男やもめ……。「男やもめ」とは何か、知っていますか?。一人で暮らす父親です。かわいそうでしょう?。男やもめというのは、神様と同じです。一人で暮らす父親です。それは幸福ですか、不幸ですか? (「不幸です」)

 その男性には愛があります。愛があるでしょう。神様から伝授された愛があり、生命があるのです。血統もあるのです。精子を持っています。それから良心があります。すぐにかっとなりますが、水平を取る良心があります。

 このように、すべてあるのですが、それが「ある」と言える価値を現すのは、いくら優れているといっても、一人では永遠に現すことはできません。なぜですか?。男性は頭半分の存在であり、いくら優れているといって頭を振り回し、総裁になり、王になり、大統領になったと大きなことを言いながらも、それは半分にしかなりません。

 男性のかたたち。あなたたちは何ですか? 「半分」の反対は何ですか? 「分」というのですから、「完分」ですか、「一分」ですか?。何でしょうか?。わたしには分かりません。

 「半分」と言えば、その反対語は何というのですか? 「完全だ」ということなら「完分」ですか?。それとも「完全分」ですか? 「半分」の相対といえば、「完分」になるのかというのです。「えん分」ですか? 「えん」というのは丸い「円」という字ですか? 「オン(韓国語で『すべて』の意味)」と言えば、「半」と通じますか? 「オン」は韓国語ですね。男性が半分だということは、間違いないでしょう?

 では、なぜ男性は半分なのですか?。男性には凹と凸がありますか?。尋ねているではないですか?。男性は凸凹を両方とも持っていますか、凹だけ持っていますか? (「凸だけ持っています」)。凹が必要なのですが、その凹を必要とするものは何ですか? (「凸です」)。凸です。凸が必要とするものが何ですか? (「凹です」)

 それを「絶対に必要ない」と言う人は、絶対にさんざんな恥をかくのです。存在することができません。それは、絶対的に明瞭なことです。「凸凹を絶対的に一つにすることで絶対的な理想圏が連結される」という論理を否定して生きる人々が、この地上には多いのですが、儒教思想であれば絶対に反対です。

 この郭錠煥氏は、わたしが凸凹の話をするので、五年間くらい膨れ面をして、「先生は、どうしてあのような話をするのか?。しなかったらよいのに」と、そのように思って暮らしていたのではないですか? (「はい」)。ところが、凸凹の専門内容を世界に発表してから、「ああ、今、分かりました」と言うのです。

 他の人たちは、太鼓をたたいてらっぱを吹き、祝宴をしながら飲み食いし、皆、旅行に行ってだれもいないのに、「今、分かりました」というのは、「理解した」といえるのですか?。その分、差があるので、欠点になるのです。

 ですから、男性という動物は半分にしかなりません。半分のかけらである男性というものは、もう半分のかけらである凹が絶対に必要なのです。それがたとえ醜いものであったとしても、自分の生命や財産をすべてはたいてしまい、生命を売ってでも、それを持ってこそ、男性として生き残ることができるのです。正しい話ですか、正しくない話ですか? (「正しい話です」)

 この男性たち 今まで、半分のかけらであるということを知りませんでした。この女性たち、その半分のかけらを「完分」の価値にする権限が自分にあるということを知らずに生きてきました。今からは女性解放だということは、半分のかけらの女性が半分のかけらの男性を敷いて座り、引っ張っていかなければ完全にすることはできないということです。それが神様の堕落した人間に対する解決秘法です。女性たち、分かりますか? (「はい」)

 ために生きる女性の本性があるので、僕のために生きて居着いてしまったというのです。本来は、女王にならなければなりませんでした。その女王の中には、伝統的先祖がついており、先祖であるお父様が一つになっているのです。お父様が一つになっているのですが、お父様の位置は心の位置であり、息子の位置は体の位置であり、二つが真の愛によって接ぎ木されて永遠に一体となることができるはずだったのですが、それが接ぎ木することができませんでした。

 神様が、人間の肉身を愛することのできる理想的な九十度の愛の焦点の位置において、ハンダづけしようとしていたのが、成長して祝福結婚式を行うことのできる日なのです。アダムとエバの結婚式は、平面的に神様の「内的な結婚式」と「外的な結婚式」であったという事実を知りませんでした。神様が内外ともに一つになり、外的な神様の血筋が混ざって連結されなければならず、神様の孫を生んで三代になるべきでしたが、そのような孫がいないのです。

 そのような血が三代かけて混ざって、この地上に繁殖し、間違いなく神様が願われ、アダムが願う息子、娘の種となり、どこに行って植えておいても、本然の息子として天国に行くことができるようになります。それは、修養の道や宗教が必要なく、天国に直行することのできる息子、娘の位置であり、父母のお乳を飲み、父母の後についていけば、自動的に天国に行くことができるようになっているのです。

 しかし、堕落することによってお父様が来られる血筋をふさいでしまい、天使長が入ってきてしまいました。天使長の血筋をアダムの体に連結して繁殖させたので、皆さんの体には、サタンの血統がうごめいているという事実です。それゆえに、かみそりで動脈を切り、十回、十二回と血を抜いて死んでも生き返る、そのようなことをしなければならないというのです。しかしそれでも、血液型がO型ならO型で変わらないように、そのサタンの血統は変わりません。これは大変なことです。

 皆さんの体が、そのようになっているということを考えれば、考えただけでも……。億千万世の怨讐の血が、自分の骨と肉を包んでうごめいているという事実です。このようにして体が心を占領し、蹂躙しているという凄惨な自らであるということを知りませんでした。しかし統一教会は、理論的にはっきりと知っています。

 二十世紀の科学文明では、理論的な事実を実験によって証明することは、だれでもできるのです。理論に合うので、そっくりそのまま実践躬行(実際に自分自身で行為に表すこと)することができ、そのようにすることによって解放され、「半分のかけら」が「完成品」になることができるのです。

 それゆえに、これを誤って合わせたというのです。南北に合わせるべきなのですが、東西に合わせてしまいました。これが堕落です。東西に合わせてずれてしまったものを、どのように南北に合わせることができるのでしょうか。それを再び離して合わせる修理方法が、再び祝福し、再び血統を転換する統一教会の結婚式であったのです。(「アーメン」)。(拍手)

 そして、神様がごらんになるとき、アダムとエバが堕落しなかったならば、間違いなくアダムとエバは、神様の愛を中心とした血筋が連結された立場に立っていたのであり、そうすれば、内的お父様、外的お父様となったものを……。

 絶対的な神様の愛と一つ所で暮らす人類の肉的な先祖が一つになって、外的なお父様と内的なお父様が愛の焦点で一体となることができ、接ぎ木することのできる時間が、アダムとエバが神様を中心として一つの体となる結婚式の初夜の愛の時間だったのです。それを失ってしまいました。

 ですから、神様は、人間に対して夫婦の愛を植えようとされたのですが、植えることができる場を持つことができずに失敗した神様であられるのです。分かりますか、分かりませんか? (「分かります」)

 堕落して追い出してしまったので、神様はおひとりで愛を成すことができるでしょうか? (「できません」)。女性がいくら素晴らしい美人だとしても、醜くても男性の形態はなければなりません。女性の心の中に愛があり、生命があり、血統があり、良心があるとしても、男性の形態が現れる前には激動しません。愛が発動せず、愛を中心として生命が発動せず、そして血統が沸きたたず、そして良心が相対に立ちません。

 相対が現れることによって、女性によって初めて男性の愛がぼこぼこと、男性の生命がぐらぐらと、このようにして血統が沸きたつというのです。それゆえに、熱が出て……。頭に熱が上がって、心が迷い乱れるほどになるのです。

 初愛を慕っていくうちにそれに出会えば、胸がさわさわとしますか、どきどきしますか?。どうですか?。なぜどきどきするのですか?。男性の胸もどきとし、女性の胸もどきとし、それでどきどきです。さわさわでもかまいません。男性の胸はさわさわで、女性の胸はふわふわです。そのように相対語をくっつけてこそ、言葉の調和が取られるのです。分かりますか? 「どきどき」と言ってみてください。(「どきどき」)

 それでは、純潔な処女が「男性はどうなのだろう?。神秘の王宮であり、目を見ても不思議で、鼻を見ても不思議で、体を見ても私と違う、どれほど神秘的だろうか?」と思いながら、自分でも知らないうちに男性の手をさっと触ってみれば、電気が通りますか、通りませんか?。わたしには分かりません。女性たち 電気が通りますか、通りませんか? (「通ります」)。通りませんか、通りますか?。この女性たち (「通ります」)。悪口を言えば、気持ちがしゃきっとしっかりするのです。

 アダムとエバが、十六歳を超えて十八歳になれば、どうなるでしょうか?。神様がじっとごらんになっていると、それまでお互いの顔をそれぞれ九十度、違う方向に向けて伸びていき、男性は男性の方向に向かい、女性は女性の方向に向かっていたものが、十四歳、十五歳、十六歳になると、女性は男性の肩を見詰め、男性は女性のおしりを見詰めるのです。分かりますか?

 ですから、電車の中で男性と女性が整然と並んで座れば、おしりのほうが大きい女性と、肩幅のほうが大きい男性を交互に合わせるようにすれば、ぴたっとはまるのです。それで、女性は男性の肩を好み、男性は女性の何ですか?。何ですか? (「おしりです」)

 女性たちは、男性の肩が好きですか?。肩の大きい男性が好きですか、女性のようにおしりの大きい男性が好きですか?。どうしてそれを尋ねることがありますか?。バスに乗っても四角になるのです。これが大きいので、これが大きく……。

 男性の絵を描くのは簡単です。逆三角形にして二本の足を書けばよく、女性は何かというと、三角形に二本の足をさっと書けばよいのです。これをぴたっとつければ、ちょうど四角にあてはまるようになっています。合うようになっているのです。

 男性と女性は、合うようになっていますか、合うようになっていませんか?。いくら事故が起きても、病気になった男性と女性を合わせたとしてもぴたりと合い、赤ん坊を生めない人はいないというのです。

 この中で、赤ん坊を生んだことのある女性は、手を挙げてみてください。喜んで生みましたか、嫌々生みましたか? (「喜んで生みました」)。どれほど喜びましたか?。天地の森羅万象が踊りを踊ることができるので、天地の調和を成すことのできる息子、娘が自分の家門にもたらされるのです。

 子供を生むときは、うれしいですか、悲しいですか? (「うれしいです」)。天下がすべて訪問するのです。それは、何がそのようにさせたのですか?。口がさせたのですか、目がさせたのですか、おしりがさせたのですか、胸がさせたのですか、凸凹がさせたのですか? (「凸凹です」)。いいえ、いいえ、おしりがさせたのでしょう。凸凹がさせたのですか、おしりがさせたのですか?。では、おしりが喜びますか、凸凹が喜びますか?

 では、男性と女性が愛するとき、堂々とした肩の男性がぞくぞくさせて、上からしっかりと抱いてあげて、おしりから押し上げるのです。そして、ふたりが一つになって息を詰まらせて、ハトも「クククク」と鳴き、猫も「ニャオーン」と鳴くでしょう?。男性が、砕けるほどに抱いてくれるのがよいですか、そのままほうっておくのがよいですか?。おかしいと思ってはいけません。そのように思うのは、下品な人です。先生が話すことが、正常なのです。

 女性は、自分が女性になることを願って生まれましたか、男性は、自分で願って男性として生まれましたか?。男たる者、りっぱな男性が「自分は男性として願って生まれたので、女性は必要ない」と言えば、死んだほうがましです。行けば行くほど地獄です。滅亡だというのです。

 「結婚を喜ぶ群れは、滅びなければならない」。そうですか?。滅びなければなりませんか?。結婚するのが嫌いなら、それを切ってしまわなければなりません。女性は、セメントで埋めてしまうのです。男性は切ってしまうのです。それをぶら下げてまわって、何をするのですか?

 それでは、女性の前で「愛する男性のものを切ってしまう」と言えば、喜ぶ女性がいるでしょうか、いないでしょうか?。答えてみてください。女性たち (「いません」)。「早く切ってください」と、そのように言うことのできる女性がいますか? 「ああ、死んでもいけません」と、そのように言うでしょうか、「好きなようにしてください。早く切ってください」と言うでしょうか、どちらですか?。どちらなのですか?。この女性たち

 文総裁は、悪口を言う「世界チャンピオン」です。「あの人は優しそうで男らしく見えるが、女性の悪口もよく言い、女性に対して気合もよく入れる」と言うのです。それでもしきりに「文総裁が好きだ」と言うので心配です。あのヒマラヤの山頂、エベレストの頂上でろうそくをともして座っていても、女性たちが橋を架けて訪ねて来るというのです。

 さあ、「そこに訪ねて行かない」という女性は、手を挙げてください。一人もいませんね。「訪ねて行く」という女性は、手を挙げてください。手を挙げてください。事実か、そうでないか、調べてみましょう。手を挙げてください。全員が手を挙げるのですね。

 それでお母様は、お母様の立場なので、そのような女性に悪口を言うのではなく、祝福してあげるのです。「だれが、より良く先生のために生きるのか?。お父様のために生きるのか?」と思うのです。父親のために生きるのではないですか?。娘は、父親のために生きなければならないでしょう?。そうでしょう?。お母様の前では、女性たちは娘なのです。(録音がしばらく途切れる)

 お母様は、それを称賛します。「お母様のほうが、お父様よりもよい」と言うような女性たちが多いのです。女性は本来、父親を愛するようになるものです。分かりますか?。愛していますか、いませんか? (「愛しています」)。愛しているという女性は、一度拍手してください。(拍手)

 さあ、愛が良いのか悪いのか、わたしも分かりませんが、あなたたちは皆、愛が好きでしょう?。ところで、皆さんは奥の間が好きですか、書斎が好きですか? (「奥の間です」)。何ですか? (「奥の間です」)。奥の間は、母親がいる部屋ではないですか? 「奥の間の女房」と言い、「書斎の父」と言うではないですか?

 それは、子供を生んで育てる部屋を「奥の間」と言うのです。愛する部屋というのは、いくら女性が赤ん坊を育てるのに苦労しているとしても、奥の間でなく、書斎を訪ねていってこそ、暖かい懐に抱かれて愛を受けることができるのです。ですから、書斎(注:韓国の伝統家屋で、客間を兼ねた主人の書斎のことをサランパン〔「舍サラン房バン」、あるいは「斜サラン房バン」〕と言う)のことを「愛の部屋(サランパン)」と言うのです。分かりますか?。豊かに暮らす名家はそうなのです。

 さあ、このように見るとき、神様も「「奥の間」の愛」、「書斎の愛」をしたいと思われたでしょうか、思われなかったでしょうか?。神様は、奥の間で赤ん坊を連れて、母親と一緒に愛してみたでしょうか、できなかったでしょうか?。してみましたか、できませんでしたか? (「できませんでした」)

 神様が、なぜかわいそうなかたであられるのかというと、愛の大王陛下であられるのに、「人類始祖とともに、一つの体となって愛したい」と思っていた位置を失ってしまわれたからです。一人でいくら愛を欽慕したとしても、それは「男やもめの愛」であり、寡婦の愛なのです。ですから、愛の心を持った相対を失ってしまった神様がどれほど、どれほど、どれほどかわいそうでいらっしゃったでしょうか?

 その神様の家庭において理想的な相対となり、愛の主人の位置の烙印を押して解放させるべき責任が、アダムとエバにあったのですが、そのようなことができなかったのです。ですから、一生の希望が何かというと、神様の前において、夫婦として愛の主人の位置に立つことができるようになることなのです。そうして、夫婦を愛することのできる主人の位置に神様を迎えてさしあげなければならない責任が残っているということを知らなければなりません。

 それでは、統一教会の祝福というものは、最初の条件が何であるのかというと、神様の新郎新婦の位置で愛することのできる伝統を失ってしまったことを、自分たち夫婦によって、これを満たしてさしあげることです。そのことによって、神様が自分たち夫婦を愛することのできる主人の位置に立たれるので、その愛を否定しない限り、永遠万年、私は神様の子女となり、神様の血族になるということは間違いない、ということを知らなければなりません。分かりますか? (「はい」)

 神様が、男性と女性を愛することのできる血統的関係の因縁を結ぶ愛の主人の位置を、だれがつくってさしあげるのかというと、その息子、娘以外にはいないのです。しかし、神様はその息子、娘を失ってしまわれたのです。

 ですから、今まで神様は、神様の息子、娘が結婚して新郎新婦となる、その愛の主人になってみることができなかったという事実を、真の父母が来て主人の位置を蕩減してさしあげるのです。「アーメン」です。はっきりと知らなければなりません。

 それで皆さんは、先生の前で祝福を受けて血統転換式をしました。そして、皆さんの夫婦も先生夫婦と同じ価値であり、種は同じなのです。千代、万代を経たとしても、父母が子女を愛する愛は同じであり、子女が父母を愛するのは同じなのです。

 その愛の伝統の種となる真の父母の愛の伝統を分けてあげることができるのが、全世界の数億の祝福家庭です。ですから、祝福家庭は、神様が夫婦の愛を成すことができなかったすべての恨を解いてさしあげる主人の資格を、自らの家庭の夫婦によって蕩減復帰して解放してさしあげなければなりません。

 そうすることによって、自分たちの家とともに永遠に暮らすことのできる因縁を設定してあげることができるのです。そのためのものが、祝福家庭の夫婦の生活であったのです。(「アーメン」)。(拍手)

 その生活は、一日ではありません。千年万年続き、その愛を中心として解放された愛圏を持つようになるのです。そこで自分の妻が妊娠するようになるときには、神様が妊娠した腹中の赤ん坊に対する愛の主人になります。今まで、それができなかったのです。そのことを知らなければなりません。分かりますか?

 神様は二性性相なので、自分の妻を通して息子と娘を妊娠して生むのは、未来の神様の性相が分立されて生まれただけであって、息子と娘の価値は同等であるということを知らなければなりません。(「アーメン」)。(拍手)

 息子と娘の価値は同等であることを知って、神様が愛していた夫婦の愛を自分たち夫婦によって代わりに満たし、神様が腹中の赤ん坊を愛することができなかったことを代わりに愛し、自分たちの家庭に生まれる赤ん坊を通して息子の主人、娘の主人、そして、乳児時代の主人となるのです。

 今まで、兄弟の主人になることができず、思春期の主人になることができず、結婚の主人になることができず、息子、娘の主人になることができませんでしたが、自分たちが息子、娘を見ることによって初めて、神様が孫を見ることができるようになるのです。

 神様が一代であり、アダム・エバが二代なのですが、三代に当たる孫を悪魔が奪っていったのです。ですから、神様の代わりに愛の主人の立場で蕩減条件を完成し、結婚して息子、娘を生んで愛さなければなりません。そのようになれば、そこから神様が第二次的な父母として認定されるのです。

 それは、アダムとエバを愛していた位置と同じ「父母の位置」です。同じなのです。価値は同じです。このようにして三代を経て初めて、子孫万代に完全な種となり、三代目の種として神様の孫をおじいさんが愛し、父親が愛し、二代を合わせた愛を受けるようになるのです。

 おじいさんは霊的世界の代表であり、第二代となるアダムは精神世界の王圏の代表です。二つの国の王の愛と血筋を受けて生まれたので、孫は未来における天の国の霊界と地上の王圏を代身した、結実の価値を備えて余りある者となり、そのようになることによって初めて、息子の代において三世代から万世代に至るまで、すべてが地上天国に直行することのできる実として結ばれるのです。そして刈り取るままに……。

そこでは、宗教は必要ありません。父母の言葉だけを聞いて、一つになって生きていけば、すべての人が天国に行くようになっているのが、創造理想の愛の八段階理想における本然の形態だったのです。

 これを再び取り戻してあげてこそ、天上世界の十二真珠門、地上世界の国境を超越して統一的な一族となり、地上の解放世界と天上の解放、統一の王国、地上、天上天国が開門するのです。(「アーメン」)。(拍手)

 腹中時代、乳児時代、思春期時代、結婚時代、子女時代、それから母親時代、祖母時代、女王時代の八段階です。その八段階の愛の盤石な伝統基盤を備えられなかったことが、神様の恨なのです。それでは、どのようにして八段階の愛の主人になることができなかった恨を解いてさしあげるのでしょうか?

 それは、真の父母がサタン世界の秘密と天の国の秘密をすべて知り、これを教えてあげ、これを満たしてあげることによって可能なのです。八段階に穴がぽかんと開いていたとしても、サタンが出入りする門が完全に閉ざされ、天国だけが開かれて愛の門が開かれるのです。分かりますか?。血筋の門だけが天国に行くのです。

 サタンが八段階に穴を開けておいたものを埋め、神様の愛の伝統的血筋を連結させることによって、その一つの系代を通して天国に入っていくことができるのであって、八段階に穴を開けた者たちは、天国に行くことはできないというのです。分かりますか?。分かりますね? (「はい」)

 あなたがた一人の男性をとってみれば、それはアダム完成者です。腹中で神様を主人にしてさしあげ、そして乳児時代においても神様の愛の相対となり、約婚時代にも神様の相対となり、結婚時代にも、父母時代にも、祖母時代にも、女王時代においても、「私」は神様の愛の相対的実権を持ち、それを成して完成してきた「半分のかけら」なのです。

 そのような者は、見える実体圏と見えない神様の実体が一つになり、心と体が一つになった愛の伝統の血筋を受け継いだ者なので、それは天上世界と地上世界の統一圏の世界に自動的に連結されて天国の民となり、天国の家庭とならざるをえません。そのような解放的な息子、娘であり、天国の解放的な主人だったのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手)

 それゆえに、男性と女性は、神様の相対的実体として、妻を中心としては、無形の性相と有形の実体の形状的な相対となっています。そのことを中心として、「私」は実体的な形状の実体であり、形状的な実体を抱いて愛さなければならず、霊肉が一つになって愛さなければならない、というのが、統一教会の祝福家庭が暮らす生活の伝統であったのです。アーメン。言ってみてください。(「アーメン」)。アーメーン。(「アーメーン」)。アーメーン。(「アーメーン」)

 その「アーメン」の声には、天下、過去、現在、未来のすべての宇宙の存在が「感謝します」と言うのです。そのような伝統的血筋が連結される主人となることが、妻の道であり、子女の道です。

 そのような氏族が連結され、国と天宙が連結される血筋が重要であるということを知らなければなりません。愛というものは横的です。一世は横的です。血筋が連結されています。それゆえに、血筋に従って民族が形成されるでしょう?

 大韓民国は、檀君の血筋に従って国ができたのです。血筋が通じてこそ、家庭と氏族、民族に統一された血筋が連結されるのです。この血筋を通して神様とも連結されて初めて、天の国に行くことのできる家庭となるのであり、天の国の一族が地上に連結されれば、天の国を連結させる一族となり、天の国を受け継ぐことのできる一族になるというのは理論的なのです。分かりますか? (「はい」)

 それゆえに、なぜ結婚するのかというとき、半分のかけらの男性と、半分のかけらの女性が出会うことによって、完全なかけらになるのです。神様は、半分のかけらを取ることはできません。完全であられるからには、神様も性相と形状が一つになって入って来られ、愛の関係を結ぶことによって、縦的な愛の伝統が生まれるのです。

 ですから、先祖を尊重しなければなりません。そして、その民族を愛し、その王圏を中心として民族と一つにならなければなりません。その王というものは、民族を失ってしまってはならないのです。そのような王は詐欺師です。悪魔の後継者だというのです。国境をつくる王になるのです。はっきりと分かりましたか?

 祝福家庭は、神様が八段階の愛の主人になることができなかったすべての事実を、自分の息子、娘を中心として一次息子、二次息子、三次息子……。それでできなければ、十回、百回、息子、娘を生むとしても、そのような基準に合わせようとするので、生きていくにおいては一人息子ではいけません。

 何双かを経て、そのような心情圏に到達し、不完全な兄、あるいは姉がいるとすれば、それを備えて弟妹と一体となることのできる祝福をして、天の国に登録しなければならないのです。このような時があるということを知らなければなりません。分かりますか?

 ですから、統一教会も入籍登録時代が来るのです。今や、入籍……何ですか?。入籍……何と言いましたか?。入籍修練会ですか?。これは家庭入籍ではありません。分かりますか?。一族ではありません。個人です。女性たちの入籍です。エバである女性が問題です。女性が問題だというのです。

 女性がサタンと組んでサタンの血筋を通して子供を生み、その血が動じ、その血が混ざったものを残しているというのです。それを革命しなければなりません。分かりますね、修練生たち? (「はい」)。修練生、分かりますか? (「はい」)。革命をしなければなりません。

 愛の門を破壊したことを、自分の家庭を通して解怨することによって、すべて築いておいたものを皆、開くためには、その愛の絶対主人である神様が……。自分たちが主人ではありません。根本ではありません。結果的存在は、原因に対して 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 する道しかありません。それゆえに、そこにおいて完成があるのであって、自分が異議を提示するときには二つの主体が生じることになるので、破壊的な国境が生じるということを知らなければなりません。

 今から皆さんは、愛の道において国境をつくるようなことをしてはならないというのです。「夫も私を愛しなさい。息子、娘も私を愛し、父は愛するな」と言う女性は、死ぬほかはありません。分かりますか?

 女性は、子供を抱いて、父親の愛を受けなければなりません。女性は、男性とともに、母とともに、子供を大きく育てて、夫の愛に報いてこそ、神様に属するようになるのです。

 今日の女性たちは、離婚すれば、「子供は自分のものであり、夫は必要ない」と言うのですが、夫が中心です。種が女性から生まれるのですか?。根本的に逆さまに打ち込まなければなりません。女性たち、分かりますか? (「はい」)この女性のために、神様の八段階の愛の起源が破壊されたので、女性が何よりも精誠を尽くして男性を再創造し、息子、娘を再創造しなければなりません。

 そうして、祝福を受けた家庭において、八段階の愛の主人を神様の前に完成させ、天下のどこに行っても、天国の十二の真珠門に行っても、地上、天上天国の個人から家庭、世界、天国まで歩いて回っても、誇って余りある愛の王子、王圏を備え、神様の血統を完成させて余りある資格者とならなければなりません。そのような者にならなければ、天上世界と天の国の民となることはできないということを、はっきりと知らなければなりません。分かりますか?

 それゆえに、「七・八節」とは何かというと、「天地父母天宙安息圏」です 国境があってはならず、愛の主人となってこそ、安息圏が生じるというのです。二つの条件を知っているでしょう?

 「国境」。言ってみてください。国境 (「国境」)。真の愛の主人 (「真の愛の主人」)。神様をそのようにしてさしあげ、自分も主人の相対的存在にならなければなりません。一体とならなければならないのです。そのようになることによって解放され、天地父母天宙、どこであっても休息することができるのです。

 「安息」のことは、先ほど話したでしょう?。平安の「安」という字は、「家の中に女性がいる」ということです。そして、女性は赤ん坊の家です。「息をする」の「息」という字は、「自由な心」がそこにあるということです。安息です。分かりますか?

 女性が赤ん坊を抱いて愛することのできる位置において、赤ん坊も自由であり、母親も自由であり、夫まで自由なのです。自由な心で平安に休息することのできる位置が、福地安息所なのです。アーメン。(「アーメン」)。(拍手)

 この二つです。最初は何ですか? (「『国境撤廃』です」)。国境撤廃 二番目は何ですか? 「八大愛の主人になることができなかったお父様を、八大愛の主人にすることのできる孝子、孝女の家庭になること」です。それが、わたしたち家庭の、わたしたち夫婦の願いだったのです。そうですか、そうではないですか?

 「そうだ」と思う人は、目を見開いて、口を開け、耳を開き、五官をさっと開いて、四本の手足を空中にぷかぷかと浮かべて一周回ってください。回れないので、このように、このように、このように。(ジェスチャーをされる)

 さあ、きょうの「七・八節」に、国境撤廃、国連の国境撤廃、宗教の国境撤廃、民族の国境撤廃、地獄と天国の国境撤廃ということを忘れてはいけません。それは、偽りの父母がつくったので、それを撤廃するのは、真の父母以外にはだれもできる人がいないというのです。神様もサタンもできません。分かりますか?

 それゆえに、国境撤廃と真の愛の完成は、真の父母以外には絶対にできません。神様もできず、サタンもできず、だれもできないということを知っています。ですから、真の父母をどのくらい尊重するのかということは、お父様をどのくらい愛しているのかという基準と通じるので、万世において限りない愛と限りない福を受け、限りない祝福の解放世界に行くことができるのです。愛してもまた愛し、また愛し、また愛し、また愛し、また愛しても損害を受けることはないのです。万国、万民がそこにおいて万々世の歴史が継続し、地上、天上解放圏が永遠に継続するのです。(「アーメン」)。(拍手)
 きょうの最初は、「国境撤廃」 (「『国境撤廃』」)

 世の中には、「自分は美男子(美人)だ」と自慢する愚かな人と、国境がどれほど多いでしょうか? 「自分は大学を出て、英語もでき、UTS(統一神学校)を卒業し……」。そんなことを、ぺらぺらとしゃべるなというのです。それは、野良犬のような者たちが言うことです。分かりますか?

 見てください。いくら美人や美男子であっても、霊界に行けば関係ありません。そこでは、差別を受けている黒人であっても、霊界に行けば、神様の愛を受けて愛した人は、美人の中の美人だというのです。光彩が明るいのです。この電灯を見れば、そこにフィラメントという真っ黒なものがあります。電気が通れば、それは黒いままですか、明るくなりますか?。同じことではないでしょうか?

 見かけが醜くても、醜女であっても、み旨のために霊的な神様の愛を受けていけば、美人の中の美人になるのです。それゆえに、このような愛を一生の間続ければ、醜女、醜男たちが美人、美男として天の国の宝の倉庫に記録され、そこに入っていくようになるのです。何のことか分かりますか? (「はい」)

 最初は何ですか?。先ほど何と言いましたか?。撤廃です。神様を知り、霊界を知り、その内容である真の愛を知り、永生することができ、ために生きる人は、国境が撤廃されるのです。そこには国境がありません。分かりますか?

 そして、天の国の王宮と関係を結び、神様と垂直関係を結ぶためには、愛の血筋を中心として、八段階の愛の主人の位置を決定することによって、内外の二重的……。国といえば、国には国法があり、王宮法があるのです。そうでしょう?。それと同じです。地上世界でもそうならば、天上世界でもそうなのです。霊界の国と霊界の国法があります。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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 それゆえに、自分の国の国法を通じて解放的な行動をするためには、そのような国境撤廃の訓練をするためには、ために生きる人と愛の主人であられる神様とともに一致して血統的関係を備えた種とならなければなりません。どこであっても、そのような種にならなければならず、完全な木となって……。


 最近、細胞繁殖をするではないですか?。木の葉を取っても、そこに木が生えてきて、枝を接ぎ木することもできるということを知らなければなりません。分かりますか?。そのような本体、神様を代身した本体が、この地上で暮らすのです。ですから、神様が「私」とともに暮らされるのです。


 そのようになれば、祈祷もする必要がありません。自然と、神様が来られて導いてくださるのです。さあ、そのような解放的な決心を、きょうの「七・八節」において忘れず、心の深い所の骨と肉に記憶してくれることを願いながら、先生が勧告のみ言を終えようと思います。


 これは、勧告です。(「はい」)。勧告のみ言と、忠孝のみ言を大切に守ってくれることと思い、安心しながら終わりにしようと思います。(「感謝します」)。(拍手)





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Last updated  2023.11.24 18:34:59
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