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私たちの家庭はどうすべきか
2001年1月29日(陰暦一月六日) ニューヨーク

「真のご父母様 ご聖誕日」記念礼拝における御言



 きょうの主題は、「わたしたちの家庭は、どうすべきか」です。どうしますか? このアメリカで暮らしますか、韓国で暮らしますか、天国に行きますか? (「天国に行きます。」)どこですか? (「天国です。」)天国を知っていますか? 天国が、どこにあるのか、知っていますか? どこから出発しなければなりませんか? (「“私”からです。」)“私自身”からです。

 天に地獄もあり、天国もあるのと同じように、皆さん自体にも地獄があり、天国があるのです。本心が願うままに行けば天国であり、肉身が願うままに行けば、地獄です。

 それで、わたしたちの体の中に二人の自分がいるのと同じように、二つの世界があり、善なる世界と悪なる世界、善なる人と悪なる人、善なる“私”と悪なる“私”がいるのです。

 しかし、この二つが闘っているのです。この闘いが終わり、平和の基地に連結した心を中心として、完全に一つになってから行く所が、天国だったのです。

 今、ここに参加している人々は、心と体が闘っていますか、闘っていませんか? 神様が暮らす世界において、神様に似るとするならば、その世界に闘いがありますか、ありませんか? それが問題です。

 それは、どういうことかといえば、二つの血統が入っているということです。本然の心には、神様の血が連結していて、堕落した体は、サタンの血が連結されているのです。これが、一つになることができません。

 女性で例えれば、本来の夫と結婚しなければならないのに、他の夫に引かれていったということです。もし、結婚したとすれば、血統が変わるのです。その赤ん坊は、他の血統になります。

 そこで、本然の夫の立場から見れば、他の男性が入って妊娠した、その赤ん坊を触りたいですか、触りたくないですか? 会いたいでしょうか? 愛したいでしょうか? (「ノー。」)なぜ、「ノー。」ですか? 大勢の人がいるのに、なぜ返事をしないのですか? なぜですか? どうして、「ノー。」ですか? 怨讐の血が入って、怨讐の子女が生まれたというのです。そのような怨讐なのですが、それは、どのような怨讐ですか?

 怨讐の息子だとすれば、怨讐の愛を中心として、怨讐の生命と怨讐の血が一つになって、結実した息子なので、これを愛することはできません。完全に否定するのです。

 それでは、堕落したサタンとは、何ですか? 神様の愛の怨讐です。それは何ですか? 愛の怨讐です。愛の姦夫なのです。その子女が、いくら美しく、いくらりっぱであったとしても、それは、見るのも嫌だというのです。百八十度違います。

 このように考えるとき、女性は、夫が死んで、独りで生きるようになったとき、再び結婚できるでしょうか、できないでしょうか? (「できません。」)なぜですか?

 それは、わたしたちは、神様の息子、娘であるがゆえに、神様に似なければならず、神様と同じように生きなければならないからです。

 神様は、愛の怨讐を見ることも嫌われ、会うことも嫌われて、永遠に怨讐視されるので、そのような場合、絶対に二人目の相対的存在がいてはならないのです。神様に従っていくわたしたちは、二度の愛の関係を結ぶことはできません。二度の結婚はできないのです。

 堕落していないアダムとエバは、だれに似なければならないのでしょうか? (「神様です。」)その神様とは、何ですか? 神様は、“私”のお父様です。今、神様は何だと言いましたか? (「“私”のお父様です。」)

 では、本当に神様は、皆さんのお父様ですか? (「はい。」)本当に、そのように思っていますか? (「はい。」)神様の心と体は闘うでしょうか、闘わないでしょうか? (「闘いません。」)

 それで、絶対であられる神様は、心と体が統一されることにおいても絶対であり、唯一であり、不変であり、永遠であられるのです。どうですか? なぜ、黙っているのですか?

 では、皆さんの体は、こちらに行こうとするのですが、心は時々、反対の方向に行こうとするときがありますか、ありませんか? (ジェスチャーして語られる)(「あります。」)そのような渾沌としている所に、神様は、いらっしゃることができるでしょうか?

 ですから、心と体が闘う者は、神様と永遠に関係を結ぶことはできない、という決定的な結論を下さなければなりません。

 それでは、「お父様」とは、一体何なのでしょうか? “私”は息子なのですが、その「息子」とは、一体何なのでしょうか? 父母の血統を受け継ぎ、その血統と一つになっており、そして父母、男性と女性の生命が一つになっており、さらに、そのうえに母が愛する父と、父が愛する母、二人が一つになっているのです。愛と生命と血統が絡まって生まれたものが、“私”です。

 さあ、それでは、このミスター金キム(通訳の金キム孝律ユル先生のこと)が皆さんだとすれば、ミスター金の愛を、しっかりとつかんで引っ張れば、そこに生命と血統がついて来るでしょうか、ついて来ないでしょうか? (「ついて来ます。」)

 この三つが、すべて一つになることができますか? この三つが、いつも一つにならなければなりません。(「そうです。」)本当にそうですか? (「はい。」)あなたは、本当にそうですか? (「はい。」)あなたは、神様より優れているのですか? (笑い)

 堕落した人間が、行ったり来たりするので、それを正すために、神様もどれほど行ったり来たりされただろうかということを、一度、考えてみてください。

 神様も、しかたなく、あちらに行かれたり、こちらに行かれたりされたでしょうか? それとも、一方通行だったでしょうか? (「一方通行でした。」)それでは、皆さんが神様を妨害するようなことは、したことがないということですか? (「少しあります。」)(笑い)笑っているのを見ると、全員“そうだ”ということです。

 それでは、若者と老人の肉身と心を比較すれば、若い人のほうが、より闘いが激しいでしょうか、老いた人のほうが、もっと激しいでしょうか? (「若者です。」)なぜ、老人は、そうではないのですか? (笑い)
 老いた人は、子供がいて、家庭があるために、そのことを集中して考えるのですが、若い人は、何の考えもせずに、思いどおりに走るので、比較すれば、若い人のほうが闘いが激しく、老人は、自然に闘いが弱くならざるをえない、ということを知らなければなりません。

 さあ、それでは皆さん。統一教会を信じることは、簡単ですか、難しいですか? 簡単ですか、難しいですか? (「難しいです。」)それは、どれほど難しいことでしょうか?

 皆さんはすべて、渾沌としてさまよい、先生は、この“信じ難いことを信じる”という、統一教会の食口を率いて、正しい道を行こうとするのです。ですから、その先生の頭と考えは、複雑でしょうか、簡単でしょうか? (「複雑です。」)

 それでは、先生がそうであるならば、神様の頭は、どれくらい複雑でしょうか? 統一教会の食口は、アメリカでは何人になるのですか? 何百万になるのではないですか?

 それならば、この宇宙を支配される神様は、地上、霊界、過去、現在、未来の人に対して、すべてを正しく導くために、“一筋の道を行くようにしなければならない”と考えておられるのですから、その神様の頭は、どれほど複雑であられるだろうか、というのです。

 皆さんは、先生を愛していますか? (「愛しています。」)“好き”なのですか、“愛している”のですか? (「愛しています。」)

 アメリカの人々、アメリカの女性や男性が、「愛しています。」と言うとき、それは、あまりにも安物です。(笑い)そのことを知っていますか? (「はい。」)フォーム(枠組み、形)をつかむことが、できません。フォーミュラ(公式)が、分からないのです。(笑い)

 “先生は知らなくても、私は先生よりも、もっと愛している”という人、手を挙げてください。(全員、手を挙げる)そうですか。ありがとう、ありがとう。どのくらいですか? 愛しているのならば、「その証として、指一本を切ってきなさい。」と言えば、切る人がいますか? (「はい。」)

 それでは、「この手首を切りなさい。」と言えば、どうしますか? (「はい。」)目は、どうですか? (笑い)笑ってはいけません。深刻なことです。「目を一つ売りなさい。」と言ったら、どうしますか? (「はい。」)鼻ならば? (「はい。」)口は? (「はい。」)

 聖書を見れば、“死のうとする者は生きて、生きようとする者は死ぬ”ということが書かれているのですが、愛するならば、死ぬこと以上に愛さなければならないということが、定義になっているのです。
 それでは、天国に行くのに、先生よりも、もっと良い所に行きたいですか、悪い所に行きたいですか? (「良い所に行きたいです。」)それでは、わたしが首を十回切れば、皆さんは、百回でも問題ないということですね。問題ありませんか? (「二百回でも切ります。」)(笑い)笑うのではありません、笑ってはいけません。

 人間の体内の腸を伸ばせば、九メートルを超えるのですが、五臓六腑の代わりに、“私”が決意して手を挙げたとすれば、内臓すべてが手を挙げたことになるのです。

 生命構造全体を代表して“愛する”と考えましたか? それとも、ただ習慣的に“「愛している。」と言えば、喜ぶから”と思って、「愛している。」と言ったのですか? 深刻な問題です。

 神経、血、すべて一つにして、「愛している。」と言ったのですか? (「はい。」)本当にそうですか? どれくらいですか?

 先生が、皆さんのポケットの中にある物を持っていったとすれば、「先生、私の物を、なぜ持っていくのですか?」と言いますか? それとも、「ああ、先生。よくぞ持っていかれました。」と言うのですか?○ (「『よくぞ持っていかれました。』と言います。」)さもなくば、「それは、いつでも持っていかなければなりません。」と言いますか? (「はい。」)

 女性の一着しかない洋服を、すべて持っていったとすれば、どのように言うでしょうか? 「なぜ持っていくのですか?」と、言うのではないですか? (「言いません。」)

 先生が、女性に対して、「皆さんが、『先生を愛している』と言うのならば、どれだけ愛しているのですか? 自分の体のおしり以上に愛していますか? そうならば、見てみましょう。」と言えば、見せることができますか? (笑い)心配が、大きな泰山のようですね。

 では、“先生を愛している”というのですが、わたしにも分かりません。皆さんが「愛している」と言うのならば、わたしにも分からないというのです。昼食になって、おなかがすく時間になったので……。

 ですから、わたしも知りません。どのように愛するというのですか? さあ、心は二つですか、一つですか? (「一つです。」)それも、分からないではないですか。心が、行ったり来たりし、上がっていったり降りていったり、上がったり下がったりするではないですか。

 それが、本当に一つになり、目標を撃破できるような、何かになっていないのではないですか? そのようなことができる、何かがないではありませんか?

 皆さん。女性が道を歩いていて、向こうから美男子が歩いてくるとき、関心を持ちますか、持ちませんか? また、それが美人であるならば、男性は関心を持ちますか、持ちませんか? (「持ちます。」)

 そのようなとき、“ああ、この美人に関心があって見ているのだが、どのような声なのか、一度聞いてみよう。”と思って、「ああ、苦しい! 死にそうだ。」と言えば、「どうしたのですか?」と、声を掛けてもらうことができるのです。

 美人に関心があって、見ているのですが、近づいて来たときに、“声を一度聞いてみたい”と思って、「ああ、わたしは死にそうです!」と言えば、その女性は、そのまま過ぎ去っていくでしょうか、それとも「どうなさったのですか?」と言うでしょうか? 女性ならば、“治療をしてあげよう”と思わなければなりませんが……。それで、声を聞きながら、“においも一度、かいでみよう。触ってみよう。”(笑い)

 そのようなとき、その心は“一つ”でしょうか、それとも、上がったり下がったりしているでしょうか? 

 そのようなとき、その心は、渾沌とした心ですか、 それとも泰然とした心ですか? (さまざまな答えが飛び交う)

 さあ、そのように渾沌とするとき、女性にキスすれば、それは、真の心でキスしたのでしょうか、渾沌とした心でキスしたのでしょうか? (さまざまな答えが飛び交う)

 見るときに変わり、聞くときに変わり、においをかぐときに変わり、触るときに変わり、キスするときに変わるのではないですか? それは、どれほど悪い人でしょうか? そのように、渾沌とした分だけ悪い人なのです。

 さあ、そのように渾沌とした中で、「私は、そのようなことは嫌だ。私は真だ。」と言うことができる心が、ないでしょうか? それが宿題です。そのような心を持つことができますか? (「はい。」)

 問題は、いくら自分に渾沌とした心があるとしても、その心を、そのままにしておくのではなく、“自分の利益のための、自分が喜ぶための渾沌とした心は、すべて必要ないが、いくら困難があっても、その人を幸福にし、その人を私の何百倍も喜ばせてあげるときには、そこから精神が収拾されて、垂直に行くことができる道がある。アーメン。”と、このように思わなければなりません。

 神様は、混乱して渾沌とした心を持っていますか、持っていませんか? (「持っていません。」)なぜですか、人と同じでしょう? そのような心がないのですか? 見る心、聞く心、感じる心、触りたい心、良い心、すべてあります。

 いくら混乱していて、いくら環境が乱れていても、神様の結論的行動は、その人を生かして、その人を幸福にしてあげて、その人を喜ばせて、全体が福を受けることができるようにするために、そのようにしたとすれば、その混乱もすべて収拾されるのです。

 “真の愛”とは何であり、“偽りの愛”とは何ですか? 世の中が引っ繰り返ろうと、何がどのようになろうと、愛する心は変わりません。そして、彼のために利益となる、愛の道を行こうとするときには、すべてのものが収拾されていく肥料になるのであって、妨害にはならないというのです。それゆえに、神様は混乱されないのです。

 さあ、先生が忙しい生活をするときには、一日に何か所も行き、何人もの人に会い、いろいろな人に会って、いろいろな所に立ち寄るのです。それは、どれほど複雑で、どれほど環境が千変万化でしょうか? 自分の利益を中心としてすべてのことを考えて、“ここに来ていくらの利益だ、ここに来ていくらの利益だ”と、このように計算すれば、それだけでも大変です。それを記録するだけでも大変なのです。

 ですから、投入して忘れてしまい、ために生きれば、自分が何をしたか、すべて忘れてしまいます。与えても忘れてしまうのです。どれほど簡単でしょうか? 引っかかるものがありません。出発して、複雑な道を回ってきたとしても、ここに立てば、いつもそのまま、ぴったりと合います。ぴたっと垂直なのです。

 皆さんも、一度、そのように暮らしてみたいですか? (「はい。」)ポケットにあった十銭がなくなれば、それを捜すために歩き回って、大騒ぎするのですが、そのようなことが、一日に十回もあったとすれば、気が狂ってしまうほどに混乱するはずですが、そのように生きることができますか? なくしてしまったら、“私よりもおなかをすかせた人が、それで昼食を買って食べれば、私が買って食べるより良い。”と、このように考えれば、どれほど簡単でしょうか? 

 さあ、そして、わたしがどこかに行って、だれかに会うことができなくても、どうして不平を言うことができるでしょうか? “ああ、わたしは、その人に会うことができなかったが、帰る途中で、もっと良い人に会うかもしれないではないか?”と思って、会えなくても希望を持てば、眠るときに楽で、夢見が良いというのです。

 いくら混乱していて、いくら複雑だとしても、その相手のために生きて、彼らを愛して、ために生きてあげれば、神様が“私”を保護してくれるのです。そうして、神様の愛の圏内に浸り、神様と同じ雰囲気に包まれていくので、生涯において、つらい生活を克服できる道が、いくらでもないことはありません。アーメン。

 まして統一教会の群れたちは、蕩減法を知っているのです。ですから、例えば、足がなくなったというときでも、“ああ、世界人類に事故が起きて足が切れてしまっていたところを、私一人の足が切れて、千人が救いを受けることができるのだ。”と考えれば、どれほど幸福でしょうか? 

 さあ、統一教会の食口の皆さん。「蕩減」という言葉は、良い言葉ですか、悪い言葉ですか? 答えてみてください。(「良い言葉です。」)どれほど、良い言葉ですか?

 そのように考える人は、幸福な人ですか、不幸な人ですか? 誤解を受けて、手錠をかけられて監獄に行くとき、“ああ、なぜ監獄に行くのか? 何をしに行くのか?”と思って、“死にそうだ”と思うのですが、天下とともに死ぬ境地に行くのですから、生きる道も、いくらでもあるのです。英雄や豪傑たちには、そのようなことが多いのです。それを、“福を受けるために行くのだ”と、だれが知っているでしょうか?

 “私”が神様を愛することと、神様が“私”を愛することと比較できますか、できませんか? ですから、神様が“私”を愛するのですが、“私”のほうが、もっと愛すると思って、「私に蕩減を下さい。」と言い、“死なん”として、その道を行けば、神様は、“私”をそのまま死なせるでしょうか、生かされるでしょうか? (「生かします。」)

 そのとおりです。神様は、この六十億人類と、世界の数多くの国々を一つにして、あたかも一つの国と一人の人間が神様を愛するかのようにしたいと思われるでしょうか、思われないでしょうか? (「思われます。」) One nation, one cosmos, under God です。

 アメリカの人々は、 One nation under God. と言います。そして、「その中心国家、一つの国とは、アメリカのことです。」と言うのです。(笑い)ぷっ……。(笑い) One world, one cosmos, one universe under God. です。(拍手) One nation under God ですか、 One cosmos under God ですか? (「 One cosmos under God です。」)皆さん、知っていることは、知っていますね。どこに行っても、 One universe under God です。そのように言うので、統一教会は嫌われるのでしょう? (ジェスチャーされる)(笑い)しかし、そのように統一教会を嫌っていては、すべて滅びるのです。

 さあ、皆さんは、統一教会で洗脳されましたか、されませんでしたか? (「されませんでした。」)なぜですか? そのように、価値観が大きく変わったのに……。

 このように考えれば、アメリカ人が誇ることは一つもなく、アメリカに学び、アメリカを手本とすることは一つもないということになるのではないでしょうか? アメリカには、大学がたくさんあるのですが、わたしは、大学をつくることができます。新聞社をつくろうと思えば、つくることができます。アメリカ政府以上のものをつくることができます。

 しかし、それは、どのようにしてですか? 独りで、どのようにするのですか? 神様は、“私”の神様です。わたしを好まれるのです。夜も好まれ、昼も好まれ、どこに行っても好まれるのです。(「アーメン。」)

 先生は、たくさん苦労しましたか、しませんか? (「たくさん苦労しました。」)皆さんを洗脳して、売り飛ばそうとしている、といううわさが立ったではないですか? (「はい。」)

 そうならば、皆さんを売って、先生のお昼ご飯でも補充してくれましたか? 一日でも、“先生のために生きよう”と考えましたか? 「息子、娘を捕まえて、売り飛ばした。」と言っていた家が、すべて滅び、悪口を言っていた家が、後で生活が苦しくなって、「息子、娘が死にそうなので、助けてください。」と言ったのです。

 そのような過去のうわさは、今では忘れてしまいましたか、まだ残っていますか? (「忘れました。」)残っています。「そのときの話は、正しいかもしれない。再び、そのようなうわさが立つときが来るかもしれない。」と、このように言っているのです。

 考えてみてください。“統一教会に入れば、 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 で出発しなければならない。”と思いながら、混乱した世界の考えで、あれこれとかき回して疑い、心配して統一教会に入ってきたではないですか。

 ですから、いつ、そのまま昔の姿に返るか、分からないでしょう? 心が、清くなっていないではないですか。例えば、一度、け飛ばせば、「履き物で頭をけるような牧師が、どこにいるのか? ひどいやつ!」と、すぐに言うのではないですか? そのように、すぐに警察署に電話するのが、アメリカの女性たちでしょう?

 レバレンド・ムーンが、詐欺師とか盗賊とか、ありとあらゆる悪名を、すべて着せられているのではないでしょうか?

 もし、わたしが本当に、詐欺師のように、一度でも女性をだましたり、盗賊のように盗みを犯したりして、一度、詐欺の大将のようなことをしていたとすれば、今、残っているものがあるでしょうか、ないでしょうか?

 そのような先生のことを考えるとき、世界のすべてが悪口を言い、「ああ、詐欺師、盗賊め!」と言う声を、どれほどたくさん聞いたことでしょうか? 世の中で悪いと思われる言葉、ありとあらゆる悪い罪名をすべてくっつけて、「こいつ。死ね、死ね。」と言ったのですが、死なずに今、八十を超えたのです。

 それで、先生の神経は麻痺して、感覚が鈍くなったのでしょうか? それとも、訓練を受けて、繊細になったのでしょうか? どうでしょうか? 考えてみてください。( strong.) strong(強い)よりも sensitive(繊細)です。 strong は、じっとしていますが、 sensitive は、どれほど混乱が起きるだろうかというのです。

 八十歳を超えれば、“ぼけ”というものがあるでしょう? そのようなとき、皆さんは、どのようにするのですか? もっと混乱が起き、「先生が来る。」と言えば、皆、隠れるのではないですか?

 先生は、あなたたちが、「 絶対信仰、絶対愛、絶対服従 する。」と言うことを、信じることができますか、できませんか? (「信じることができます。」)顔には、五官の穴が七つありますが、一つの穴でもぺちゃんこになれば、皆、見向きもしなくなります。「何だ?」と言うのです。(「そのようには、しません。」)

 それでは、七つの穴の中で、いくつかがふさがってしまい、すべてふさがってしまい、顔の皮まではがれてしまえば、どのようにするのですか? すべてふさがってしまい、皮まではがれれば、どのようにするのですか? (「ノー。そのようには、しません。」)それを信じることができるのですか? 今の「ノー。」とは、何ですか? 盗賊が、そのように言うのです。詐欺師と盗賊は、避けるために、「ノー。」と言って、反対のことを言うのです。

 さあ、本当に、「世の中がどうであろうと、先生が一日じゅう、何の話をしても、私が先生を愛していることに間違いはない。」と言う人、一度、元気よく手を挙げてください。(拍手)

 さあ、それでは、ここでわたしから祝福を受けた人、手を挙げてください。さあ、あなたたち、新婦を愛していますか? (「はい。」)先生よりもですか? (「はい。」)(「違います。」)(笑い)ああ、現実的に追求していかなければならないでしょう? 「ノー。」と言うことは、「ああ、新婦よりも先生を、もっと愛する。」と言うことですが、そのように答える人、手を挙げてください。夫のことなのに、女性がなぜ挙げるのですか? (笑い)これは、一人もいませんね。

 それでは、きょう、皆さんが手を挙げたことを妻たちが見て、「夫は手を挙げた。八十歳の老人を、先生よりかわいい新婦、三十代の新婦よりも、もっと愛すると言った。」と言って、家に帰ってから黙っているでしょうか、不平を言うでしょうか? (笑い)(「違います。」)わあ! それは、アメリカの女性ではありません。(笑い)

 アメリカの女性たちは、足でけ飛ばしたり、手で引っかいたりし、馬乗りになったりまでするというのです。(笑い)本当に、そのようなアメリカの女性になってはいけません。警告です! (「はい。」)

 それでは、そのような話を聞きたくなければ、一つ例えを話します。

 あなたたちの愛する夫が、だれかの隣に座るという場合、妻である自分よりも十歳年上の女性で、ふくよかな恵まれた女性の横に座るのがよいですか、それとも、三十代の若い男性の横に座るのが、よいですか? 

 つまり、「自分の夫が座っているのですが、若い青年のそばに座っている場合と、太った女性のそばに座っている場合と、どちらが嫌ですか?」と、尋ねているのです。

 女性は、自分の夫が、太った女性のそばに座るときに嫉妬しますか、それとも、とても若い人のそばに座っているときに嫉妬しますか? どちらが、より嫉妬しますか? どちらが、嫌なのか、ということです。(「……。」)(笑い)どちらを、より嫌いますか?

 どのような女性であっても、自分の夫が、女性のそばに座れば、すべて嫌い、若く美しい人であっても、それが男性であれば、夫が、その男性のそばに座っていても、何の関係もない、ということです。

 夫が、老いた女性のそばに座ることと、若い男性のそばに座ることとでは、大きく違います。夫が男性のそばに座ることは関係ありませんが、老いた女性であっても、女性のそばに座れば、大いに関係があるというのです。何の話か、今、分かりましたか? (笑い)

 妻は、自分よりも十歳も年上の女性であっても、夫が、女性のそばに行って座ることは嫌がるというのです。しかし、自分より年の若い男性のそばに座ることは、何の心配もしません。そういう話です。

 相手が女性なら、年を取っていても若くても、すべて嫌うのです。分かりますか? (「はい。」)

 それでは、アメリカ人の女性の夫が、東洋の年老いた女性のそばに座れば、そのときはどうなのでしょうか? 同じです。同じことを感じるのです。女性という女性は、すべて好みません。自分の夫のそばに、黒人の女性が来て座ろうと、東洋の女性が座ろうと、西洋の女性が座ろうと、年老いた女性が座ろうと、女性は、自分の夫のそばに女性が座ることは、好まないのです。

 では、夫は、自分の妻が他の男性とダンスすることを喜ぶでしょうか、嫌うでしょうか? (「嫌います。」)(「お父様ならば、よいです。」)わたしは、アメリカの女性のことを知らないので、学ぼうと思って話しているのです。どうですか? (「嫌います。」)ですから、すべて同じです。同じなのです。

 それでは、遊びの大会や踊りの大会で“スターになってみたい”と思うのは、女性が多いですか、男性が多いですか? (「女性です。」)

 では、女性のほうが、男性より良い面が多くありますか、男性のほうが、女性より良い面が多くありますか? (「男性です。」)そのように思っているのですか?

 それでは、今日のアメリカの家庭では、女性が、すべて女王のようにふるまって、男性を働かせているのですが、その家は、栄えなければなりませんか、滅びなければなりませんか? どちらなのですか? ですから、統一教会員を好まないのです。(笑い)

 それでは、天国に行くときに、女性が大勢、天国に行くのでしょうか? 男性を働かせた女性が、大勢、天国に行くのでしょうか、それとも、良心的な男性、“それでもよい”と考える男性が、大勢、天国に行くのでしょうか? (「男性です。」)(「分かりません。」)(笑い)分からないのは、愚かな人です。それは、ごみ箱に入っていってしまいます。(笑い)間違いなく、そうです。地獄に行くのか、天国に行くのか、分からなければ、実際に天国に行ってみなさいというのです。

 アメリカに来ているレバレンド・ムーンは、アメリカの人々に間違ったことをして、悪口をたくさん言われましたか、それとも、良いことをしたにもかかわらず、悪口をたくさん言われましたか? (「良いことをしたのに、悪口をたくさん言われました。」)あなたたちは、“ムーニー”なので、そのように言うのです。

 “ムーニー”ではなくても、そのような……。最近では、“ムーニー”ではなくても、皆さんよりも、もっと、「レバレンド・ムーンがナンバーワンだ。」と言い、手紙を送ってきたり、称賛する人が、本当に増えたのです。ここに六百人の人がいますが、世界の中で“我こそは”という、名立たる人が、すべて集まって……。

 きのうも、わたしが百人くらいの人を集めて、ハッパをかけ、悪口を言っても、それでも不平を言わないで、「ああ、悪口を言われるに値します。あなたが、そのように言われるに値します。」と、そのように言うのです。(拍手)皆さんが拍手するのは、おかしいのではないのですか? おかしな雰囲気になりましたね。

 皆さんが誇ることとは、何ですか? (「真のご父母様を知っていることです。」)真の父母を知っていて、何の関係がありますか? お父様が必要ですか、先生が必要ですか? (「お父様です。」)王が必要ですか、お父様が必要ですか? (「お父様です。」)

 なぜ、お父様ですか? そこから愛と生命と血統が、もたらされるからです。生命と愛と血統は、過去、現在、未来を表します。それが、一代に代表されているのです。血統は永遠です。

 そのことを知らなければなりません。西洋人は、血統というものが貴いということを知らない、でたらめで愚かな人たちです。

 さあ、このミスター金キムの体の中には、何千万代の先祖の細胞があるのです。この脳だけでも、千億個の細胞が入っています。体全体の数十兆の細胞の中で、先祖の血が、すべて生きています。生きているのです。

 「メンデルの遺伝の法則」というものがあります。遺伝法則によれば、自分の先祖の中に黒人がいれば、いつの代にでも、黒人が生まれてくる可能性があるのです。そのことを知っていますか? そのような要素は、死にません。分かりましたか? それは、永遠なのです。

 アングロ・サクソン民族の血統を中心として、「アングロ・サクソン、白人が一番だ。」と、このように主張しています。旧教とは何ですか? 南米は何ですか? ラテン民族です。彼らの血統が、怨讐になっているでしょう? 

 それでは、神様の血統を持って生まれてこなければならないのに、サタンの血統を持って生まれたのですから、これが一つになるでしょうか、ならないでしょうか? 分かりましたか? (「はい。」)

 統一教会は、何を主張しているのかといえば「天の血統」です。サタンの血統は、地獄に行きます。体が願うとおりにすれば、地獄に行きます。良心が願うとおりにすれば、天国に行くのです。皆さん自体において、地獄と天国が闘っています。ですから、心と体を統一しなければなりません。

 この体が喜ぶことは、食べること、寝ること、愛することです。そのようにして、自分を中心として引き込むのです。体は、自分のために生きるのです。しかし、天は、「断食しなさい。奉仕をしなさい。犠牲になりなさい。祭物になりなさい。血を流しなさい。」と言われるのです。

 ですから、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死ぬ。」という総結論が下されるのです。

 さあ、天国に行きたい人は、手を挙げてください。一番、簡単なことです。それは、一番、簡単なことです。地獄が、どこかということを、はっきりと知ればよいのです。そうすれば、血統が変わるのです。体が、心を引っ張っていくのです。分かりますか?

 それでは、心が体を引っ張っていくようにするためには、どのようにしなければなりませんか? 堕落するときに、サタンとエバが愛した堕落の愛が、体から先に始まり、それが、愛を知らない心よりも強かったということが、問題なのです。

 成長していない若い人に、男女関係の火がつくようになれば、すべてが破壊される、ということと同じです。愛は、自分勝手にするようには、なっていません。神様がいらっしゃって、完成したアダムとエバ、先祖がいて、自分の親戚の公認を受け、彼らが喜ぶことができるところにおいて、愛さなければならないのです。

 アメリカとは、何ですか? 小学校、最近では、十歳になった子供にまで、何を分けてあげるのですか? (「コンドームです。」)そのように、コンドームか何かを分けてあげているのです。そのようなことをするこの国は、滅びなければなりませんか、滅びてはなりませんか?

 そのような女性や男性たちは、父を知らず、夫を知らず、妻を知らず、息子、娘を知りません。そうして、終わりの日には、近親〇姦が起こり、おじいさんが孫娘と暮らし、さらに嫁と暮らそうとする現象が展開するのです。それは、滅びなければなりませんか、滅びてはなりませんか? 動物世界でも、そのようなことはなく、昆虫世界でもありません。

 ローマ帝国は、そのことゆえに滅び、ソドムとゴモラもまた、それで滅んだのです。生殖器は、最も恐ろしい武器なのです。

 サタンは、天下を壊し、神様の天国を壊そうとするのです。このアメリカの人たち。この若い者たち。それは、自分のものではないのです。自分の体は、天国の民族を生むための“父母の体”です。このことを知らなければなりません。

 この体は、神様の愛を受けることができる、天国の民族をつくるための“代表的父母”になるのです。

 アダムとエバも、そのことを知りませんでした。アダムとエバは、その生殖器を“自分のものだ”と思っていたのです。

 しかし、それは、自分のものである前に、神様のものです。宇宙のものなのです。そのことを知りませんでした。

 それから、自らの兄弟を愛するようになっています。全体のために生きる位置に立って、初めて自分のために生きるのです。そうでなければ、消えてしまわなければなりません。分かりましたか? 

 それは、自分のものではないのです。特に女性。それは、自分のものですか? 胸は、自分のものですか? おしりは、だれのものですか? なぜ、女性のおしりは、このように大きいのですか? それは、自分のためのものですか?

 子宮というものがあります。その子宮は、自分のものですか? (「赤ん坊のものです。」)だれのものですか? すべて、赤ん坊のものです。赤ん坊のためにあるのです。自分のためにあるのではありません。

 顔は、どうですか? ひげが多い男性は、柔らかいものが必要なので、ひげのない女性を必要とするのです。男性は、“骨”と同じであり、女性は、“肉”と同じです。女性が、かわいらしいのは、女性自身のためですか? だれのためですか? 男性のためです。

 “凹凸”とは、何ですか? それは、何をするためのものですか? 女性のものは、だれが、その主人ですか? 自分が、主人なのではありません。男性ゆえに、それはあるのです。この女性たち。永遠の主人は、男性です。

 それでは、男性の“凸”の主人は、だれですか? 妻です。そのことを知らなければなりません。そのように、すべて、自分のものではありません。男女の生殖器の主人が、“入れ替わっている”ということを知らなければなりません。主人が違います。

 女性のものは、皆さんのものになる前に男性のものであり、男性のものになる前に父母のものです。そして、父母のものである前に神様のものなのです。それを知らずに、それを自分のもののように自分勝手に扱うのですか?

 独身生活は、罪の中の罪です。先祖を否定して、男性は女性を、女性は男性を否定して、夫婦は、子女を否定する罪の中の罪です。それは、天地法度をすべて無視するのです。そのようにすれば、一代で、すべてなくなります。

 霊界は、どれほど大きいでしょうか? その膨大な国を、ぎっしりいっぱいに満たすために、地上で、すべての人々が夫婦を成して、子供をもうけるのは、あの世における民族をつくるためです。それにもかかわらず、独身生活をすれば、どうなるのでしょうか? 天国が空いてしまいます。そうして、一代で、すべてなくなってしまうのです。

 ですから、白人たちが好む“ホモ”について行ってはいけません。黒人と有色人種たち! 警告します。そのようなことをしていると、将来というものがなくなってしまいます。滅亡です。世代を下っていくにつれ、家庭という概念がなくなってしまいます。「家庭は要らない。夫婦は要らない。子供は要らない。いかなる関係も必要としない。」と言って、滅びてしまうのです。罰が当たります。

 そのことを、よく知らなければなりません。間違いなく滅びます。ホモは、一代でいなくなるのです。フリーセックス、エイズがうつって、今、アフリカは滅びの危機に瀕するようになっています。

 さあ、女性たち! 若い男性と女性たちが、滅びることを願いますか、発展することを願いますか? 繁栄しようとすれば、どのようにしなければなりませんか? 天の血統によって、サタンの血統をなくしてしまわなければなりません。明確です。わたしたちは、このようなことをはっきりと知っているので、神様の血統にならなければなりません。

 それでは、これは何ですか? (板書されたものを指されながら)「私たちの家庭」とは、何ですか? “神様の血統を受け継いだ家庭”のことを言うのです。しかし、それは、真のご父母様の血統ではありません。神様の血統があって、その次に真のご父母様の血統が続いているのです。皆さんは、三代目です。
 メシヤを送ったのは、神様の血統を再び、移植するためです。それで、救世主がいて、イエス様が、それを成そうとしたのです。

 皆さんの良心が、「こちらに行きなさい。」と言うとき、体が「やー、やー、行くな。」と言って、躊躇させようとするときには、「やー、サタンの血統よ、神様の血統よ! どちらが強いか? 神様の血統のほうが、もっと強いだろう。」と言って、け飛ばしてしまわなければなりません。

 全世界の若者は、「レバレンド・ムーンの祝福を受けなければならない。」という国連の決定が下されれば、全員、その道を行かなければなりませんか、行ってはなりませんか? (「行かなければなりません。」)なぜですか? エイズを防ぐことができ、青少年の淪落と家庭破綻を防ぐことができる、初めての組織であり、特効薬であるからです。(拍手)

 それらの問題は、この世界で最大、最悪の問題であり、世界のいかなる種類の力をもってしても、これを防ぐことはできません。

 世界のいかなる政府によっても、知識や教育、学会、武器、軍事力、経済力等の、いかなる力をもってしても、この由々しき、渾沌とした状態を防ぐことは不可能であり、ただ、レバレンド・ムーンによってのみ、解決可能なのです。そして皆、成しました。

 その処方箋、解決方法は、特許であり、そのことによって、天国に入ることは問題ありません。(「アーメン。」)両手を挙げて、「アー、アー、アー。」(「アー、アー、アー。」)「メン、メン、メン。」(「メン、メン、メン。」)

 「私たちの家庭は、どうすべきか?」ということを、今、分かりました。「この女性、この男性、私は離れられない。」それは、真の父母でも分けられません。(ジェスチャーされる)(笑い)私たちの家庭は、このようになるのです。

 「真の父母とは、何をするのかと思えば、私のために、天国に直行することのできる道を築いてくれる使いであるが、使いの中でも“使いの大王”だなあ。」と言うのです。「橋よ、出てこい。」と言えば、橋が、がたっと出てきて、山が高ければ、飛行機を持ってきてくれたり、天国の天使たちが、抱いて運んでくれるというのです。そのようなことを手伝ってあげることができる、最高のかたが、真の父母です。
 知識が必要ならば、知識の力、パワーが必要ならば、パワー、政治的な力、知識の力、何でもすべてです。(「アーメン。」)

 それが必要ならば、片方の手を広げるのではありません。両手と両足の二十本の指まで広げるのです。

 これから千代にわたって、わたしたちの後孫がいて、また、先祖も千代にわたっていますが、その中で“ナンバーワン・カップル”になるというのです。神様の純潔を守る絶対、唯一、不変、永遠な神様のように、神様が第一の先祖ならば、“私”は第二の先祖です。それが、“祝福の中心家庭”である“私”の立場なのです。

 わたしが、神様について行かなければなりませんか、神様が、わたしについて来なければなりませんか? 神様も、どうしようもありません。真の父母が、解放してさしあげなければなりません。偽りの父母がつくったものを、真の父母が崩さなければなりません。

 さあ、先生は、もう成すべきことは、すべて成したでしょう? 「神様王権即位式」をしてさしあげたのですから、それ以上、何をするのですか? (歓呼と拍手)人間として、それ以上することのできない、最高のことを、してさしあげたのです。

 それでは、何をすることによって、それを成したのでしょうか? 神様の血族をつくり、血統をつくり、それを守るために個人、家庭、氏族、民族、国家を中心として、世界四億双以上の祝福をすべて成して国連の頂点に立ち、国連の名によって祝福命令を下さなければならない時になったのです。

 国連が、どのような所なのか、また、統一教会の祝福家庭が、それに見合う、どれほどりっぱな存在なのか分かりませんが、国を代表する大使たちも勝手に話もできない国連で、祝福をしたではないですか?
 そのように、全世界で、統一教会と祝福を受けた人に反対した者たちが、口を開いて称賛できるようにしたのですから、すべて終わりました。滅びるものは、すべて滅びたのですが、わたしたちは栄えて、発展したのです。わたしたちの権勢圏を中心として、一族を中心として、一時に、国全体を完全に、真の愛で占領してしまうのです。(歓呼と拍手)

 右手には、神様王権、人類解放祝福、左手には、国連と、すべての国の解放祝福。そうすることによって、真の父母は、神様の王権を復帰して即位式を挙行してさしあげたので、世界人類は、真の父母の王権を復帰して、即位させて解放する責任が残っているのです。このことを知らなければなりません。

 真の父母は、カップルです。そして、カップルとして「神様王権即位式」を成しました。ですから、皆さんも、王のカップルなので、各国を神様の前に解放してさしあげなければなりません。そして、真の父母の解放が残っているということを知らなければなりません。(「アーメン。」)(拍手)

 そこで、「私たちの家庭は、どうすべきか?」というところに還るのです。

 分かりましたか? 皆さんの家庭が皆、真の父母の国を取り戻してあげなければなりません。皆さんが総動員されて、各国々のすべての大使館を通して、そのことを成さなければなりません。分かりましたか?

 恐れることはありません。きょう、決心しなければならないというのです。

 何があっても自分の国を……。真の父母が、神様と大宇宙の王権解放即位式を成したのですから、皆さんは、自分の国と自分の一族を解放して、即位式をしなければならない責任がある、ということを知らなければなりません。

 それで、家庭的即位式、氏族的即位式、民族的即位式、世界的即位式、天宙的即位式をしてこそ、神様の解放と真の父母の解放が完結され、「地上天国、天上天国完成、万歳。」と叫ぶことができるのです。そのことを知らなければなりません。

 そのようなことは、すべて、真の父母を送ってくださり、この一日を迎えるために数多くの宗教を犠牲にして、数億千万人の血を流したのです。先生まで血を流して、皆さんを解放してあげたのです。

 ですから、先生が、すでに、歓迎を受けることのできる基盤を、すべて手に入れたのですから、皆さんが自分の国を救うことは、何でもありません。今や、“自分の国は、自分が復帰してみせる”と言って、真の愛で捕まえ、占領しなさいというのです。

 二〇一二年までです。神様と先生の約束です。やりますか、やりませんか? (「やります!」)本当ですか? (「はい。」)首が、十回も切られてしまったとしても、それでもですか? (「それでもします。」)
 それでは、立ってください。“する。”という人は、立ち上がり、“しない。”という人は、座っていてください。

 さあ、どこに行くのか、すべて分かったというのです。神様の解放はもちろんであり、真の父母の解放はもちろんであり、私たちの国と私たちの家庭の完全解放、それを地上天国とともに解放しようというのです。(「はい!」)

 解放することは、何の問題もありません。そして、世界を平らにするのです。いかなる障害もありません。家庭から地上天国まで至る道のりに、いかなる問題もなくなるのです。神様と真のご父母様が、すでにそのような高速道路の基盤を造成したのです。

 ですから、何の問題もありません。「ノー・プロブレム(問題なし)」ですか、「プロブレム(問題あり)」ですか? (「『ノー・プロブレム』です。」)永遠に「ノー・プロブレム」です。変わることなく、絶対に「ノー・プロブレム」なのです。

 そのような基盤を造ることにより、自由を手にしました。完全な自由です。神様と真のご父母様、そして全人類の解放は、一つ一つの家庭の中にとどまります。すべては、つながっているのです。

 いわゆる歴史の終着駅とは、地上天国と天上天国です。分かりますか? そこには、自由があるでしょうか? そこは、自由の故郷であり、自由の国なのです。そこには、幸福のすべてがあります。そのような価値ある所です。分かりますか? 完全に理解したのであれば、決断をしましょう。

 さあ、両手を挙げて、万歳を言って、誓いましょう。

どんなに難しくとも、私たちは前進するのです! それを乗り越えていく決意をして、手を挙げて、万歳をしましょう!

 〈万歳三唱〉




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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Last updated  2024.02.28 21:19:13
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