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人生も60過ぎると、オリバー・ベアマンや野田樹潤といった才能ある新たなヒーロー・ヒロインの誕生に立ち会うより、眩いばかりの才能に溢れていた彼ら彼女らの突然の退場に出くわすことのほうが圧倒的に多くなる。hpiレーシング1/43 ランサーエボリューション1994年サファリラリー 2位#4 篠塚健次郎 / ペンティ・クッカラ 日本のレース界から世界に打って出たパイオニアの一人である篠塚健次郎氏が亡くなられた。自動車部品会社の開発にいた頃、訪れた岡崎研究所で氏を見かけたことがある。多分40代だと思うんだが、ラリーアートのチームジャケットを身に纏った氏には精悍なオーラといったものは感じられず、なんならディーラーの中堅セールスマンが打ち合わせに来てると言われてもまったく違和感なく、ラリーカーを走らせる際には「やる気スイッチ」みたいなもんがきっとあるんだな、と思ったものだ。R.I.P.
2024.03.19
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悲劇的な出来事で幕が引かれたグループB時代、すでにWRCの本流は4WDターボカーだった。しかしグループBの終焉があまりにも突然だったため、それまでの勢力図はご破算になった。ランチアと丁々発止の鍔迫り合いを演じたプジョーは撤退、4WDの先鞭をつけたアウディは衰退、のちにグループAの中核となる日本車は未だ強力な4WDターボカーを用意できず、そこにラリーチームとしては新参者のプロドライブとサーキットレース由来のM3の付け入る隙があった。 元々バストスだけ予約してたんだが、ショップで実物見たらロスマンズも買ってた(笑) クルマとしてどこかバランスが狂ってるグループBラリーカーに比べ、なんともシンプルなグループA。オンロードとオフロードの区別がつかないどころか、そこらへん走ってる市販車とも区別がつかないその平凡さこそがグループAの魅力とゆーことになる。スパーク1/43 BMW M3 “1987年ツールドコルス 優勝”#10 ベルナール・ベガン / ジャン=ジャック・レネ フルターマックとゆー特殊な路面状況と「100m直線が続いたらそこはコルシカではない」と言われるコースレイアウトが有利に働いたのか、4WDでもターボでもない後輪駆動車のWRC優勝。トップを走るランチアデルタがパンクで後退するラッキーはあったものの、そーゆー時にトップを盗れる位置にいられることも実力のうち。 ハコのレースカーにおけるロスマンズ・リバリーは大抵このようーに上部ホワイト、下部ブルーで境界に赤金ラインで決まりだけど、そこにリアトップをトタルの赤で塗りつぶしてるのが新鮮。ロスマンズは相も変わらず追加デカールだけれど、元々の「Rot_mans」に欠けた「h」だけを貼るパターン。これってボディサイドやルーフの「h」ならいざ知らず、例えばフロントスポイラーのちっせえロスマンズの「h」なんて位置合わせが超大変(泣)出来るなら昔ながらのロスマンズ全部貼りにしてくんないかなー。スパーク1/43 BMW M3 “1989年ツールドコルス 2位”#14 フランソワ・シャトリオ / ミシェル・ペリン ベルギーローカルのタバコ・バストスが全面スポンサードのM3。こちらは何故かデフォルトで貼りつけ済み。ま~ベルギーローカルの銘柄だから、大手メーカーに比べて文句言われないのかな?このご時世タバコメーカーとしては声を大に言えないが、宣伝になってラッキーとか思ってるのかも。 バストスは、セリカやスープラ、ラリー037、シエラ、エスコート、911もスポンサードしているけど、どれも今の目でみたらちょっとね的なミニチュアばかりで、今回ようやく初コレクション。フランソワ・シャトリオは、そもそもプロドライブチームのエースドライバーだったベルナルド・ベガンが87年シーズン中に病欠した際に、交代要員としてベガンが推薦した経緯でチーム入りしたんだが、チーム代表のデイビッド・リチャーズに気に入られ、結果ベガンがチームを追い出されるとゆーセナプロを彷彿とさせるオチ。ミニチャンプス1/43 BMW M3 グループA車両の外観が、いかに市販車と変わりばえしないかの比較に引っ張り出してきた。最近廉価マキシチャンプスで再リリースされたけど、これは当時物。つか、内装の塗装を簡略化してコストダウンを図るってコンセプトのマキシチャンプスだけれど、元々が黒一色の内装でシートベルトのソケットが赤く塗られてるくらいのM3のどこをどう省いたんだろ?
2021.06.24
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去年中止を余儀なくされたモンテカルロがグランプリに戻ってきた。たとえ実質オーバーテイクゼロのパレードだろうが、あの特権階級の醸し出す華やかさはやはり別格だ。つってもF1グランプリを観たんじゃなくて(過去タダで観てたものに金払うことにはどーしても抵抗が)前座っつーか併催っつーのかわからんがBSフジのフォーミュラEを観たんだが。 マシンサイズの違いなのか車速の違いなのか知らんが、F1じゃありえねーってとこで抜きにかかったり(ボー・リバージュでアウトからとか)なかなか面白かったがね。そんなモナコグランプリウィークに合わせるかの如く発売されたラリーモンテのクルマ。 旧A110がラリーモンテで初優勝してから50年目の節目に再びの美酒。とか知ったかぶってるけど、スパークから発売アナウンスが出るまでこんなのが参戦してるなんて全く知らへんかった(汗)スパーク1/43 アルピーヌ A110 ラリーRGT “2021年ラリーモンテカルロ 22位(クラス優勝)”#43 マヌ・ギグー / アレクサンドル・コリア 調べてみたら、実は2011年から導入されてたグループR-GT。WRC御用達のFF2輪駆動ラリーカー(RC3~5)とは別の、読んで字の如くGTカー(2輪駆動限定)のためのカテゴリーで、2015年からはFIA主導のR-GTカップがWRCやERCに組み込まれてて、往年のフランソワ・デルクールがチャンピオンを獲ったりしている。 ただ参加車輛は多い年で10台くらいで(今年のモンテはA110が5台だけ)また開催イベントも年数回とぶっちゃけ大きなムーブメントにはなってない。現役バリバリのWRCドライバーがエントリーするでもなく(このクルマのマヌ・ギグーはフランス選手権ラリーが主戦場の人)今のところは何とも中途半端なクラスと思える。 なのに、フランスの血(プロバンスムラージュ)が混ざってるスパークだからなのか、モンテ参加の5台全部リリース予定ってのが何とも凄い(しかもこの#43号車は完売御礼で、早くも6月に再販決定だってさ!推しがすげえ)出来映えの方も、フランス車ってことで気合が入ってんのか、とっても良い。マシンのガワはあまり弄れないレギュレーションだから、あ~元車の新A110ってこんな感じだよねーとちゃんとイメージできる。つってもA110はたった一度だけ、銀座で路駐してたのをしげしげ眺めただけだけどね(汗)
2021.05.31
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以前に書いた記事に「Bの時代」とゆーのがあって、どーゆー理由か知らんが書いて何年か経った後にアクセス数が急増した時期があって、結果うちの記事の中でもトップクラスのアクセス数を稼いでいる。たった3車種並べて「(グループ)Bの時代」とはおこがましいのだが、あれから月日が過ぎて車種(カラバリ含む)も増え、更に先週「グループBと言えばコレがなきゃ」な車種も納品されてきたんで、もいちど記事にしてみよか~とゆーことで。 グループBの緩いレギュレーションはもっけの幸いとばかりに、各メーカーが持てる技術の粋を結集して好き勝手やりたい放題やった結果、多種多様なマシンがまさに百花繚乱(笑)HPIレーシング1/43 ランチア・ラリー037 “1983年モンテカルロラリー 優勝”#1 ワルター・ロール / クリスチャン・ガイストドルファー グループBカーによるラリーイベントは1982年から始まるが、初年は旧規定グループ4との混走であり、翌83年こそがグループB元年(諸説あります)その83年の開幕戦モンテカルロを制したのがこのロールの037。グループ4時代のアウディクワトロの出現によって、もはやラリーは4WDじゃなくては勝てないだろうと考えられてきたが、ランチアの考え方はちょっと違った。 他社に先んじてグループBラリーカーを開発スタートしちゃってたってこともあるんだが、たとえライバルが全部4WDになったとしても、みんな4駆レースの経験なんかないんだからすぐさま勝てるわけじゃないだろ。相手が熟成に手間取る間に、手慣れた2WD車で勝てるだけ勝っちまおうって短期決戦を目指したわけで、この作戦はまんまと成功。グループB元年のマニュファクチャラータイトルを奪取したのは2WDの037だった。イグニッションモデル1/43 トヨタ・セリカ・ツインカムターボ “1983年1000湖ラリー 6位”#12 ユハ・カンクネン / ステファン・ペターソン シーズン半ばも過ぎて8月末の1000湖ラリーでデビューしたセリカ・ツインカムターボ(TA64) ランチアがミッドシップ2WDを出してきたのに対して、トヨタの回答はFR。とはいえ、ランチアのように短期決戦に持ち込もうとしたのではなく、当時のトヨタの台所事情としてWRCを戦える4駆乗用車がなかったから。会社創設DNAにモータースポーツが組み込まれていない日本メーカーが、ラリー参戦のためだけに一般受けするかどうかわからない、下手すりゃ在庫の山となるクルマを作れるわけがない。選択肢は既存の市販車を改造の一択、とゆーのは当時の状況としては仕方がない。(ラリーありきでクルマを作り、バブルの恩恵もあってそれがまたバカ売れするのはもう少し後の時代)それでもラリーバージョン専用のフロントグリルやブリスターフェンダーなどレーシングカーとしての雰囲気はバッチリ。デビュー戦6位入賞も立派だが、TA64の白眉は84年からのサファリ・ラリー3連覇だろう。過酷なサファリゆえに、複雑な4駆システムより耐久性も信頼性も高くメンテも楽なFRだからこその勝利だな。全方位的に勝負できるマシンは「222D(実際はグループBよりパワーダウンしたグループSだが)」に託す筈が、グループBおよびグループS廃止によって計画はプロトを2台作っただけで頓挫。MR2ベースのモンスターマシンが、砂塵を巻き上げてカッ飛んでいくところは見てかったなぁ。スパーク1/43 ポルシェ 911 SC/RS “1984年イープル・ラリー 優勝”#6 ヘンリ・トイボネン / イアン・グリンドロッド WRCじゃなくてヨーロッパラリー選手権、ベルギー伝統のイープル・ラリー(昔はイプルーって言ってたけど、今は英語発音でイープルとゆーのが標準らしい)で勝ったトイボネンの911。トイボネンはある意味グループBを象徴するドライバー。 ポルシェはグループ4からグループBへの移行に当たって貧乏くじを引いた側の代表選手。グループBってぶっちゃけ2座であることと排気量別の最低重量とタイヤサイズが決まってるだけで、その他はどーでもいい超ゆる~い規定だったけど、その最低重量のところで3リッターオーバー(過給機係数1.4掛け後)の車輛はグループ4時より95キロも重くなってしまうことになった。これじゃあ勝負の権利を失ったも同然。 後継としてグループB専用マシン959を開発するもWRCには参戦せずだが、現代の911カレラ4にも通ずる4駆システムをこの時開発出来たと考えると意味深い。スパーク1/43 プジョー205 ターボ16 “1985年モンテカルロ 5位”#8 ブルーノ・サビー / ジャン=フランソワ・フォーシル グループBを象徴する、あるいはグループBの方向性を決定づけたといっても過言ではない一台。見た目はどうってことない小型大衆FFカーと同じでも、その内側はまったく異なるミッドシップターボエンジンの4WDカーを初めて具現化した。本来エンジンが鎮座している筈のボンネット下にはスペアタイヤとフロントデフが収まっている。この「ぱっと見は市販車、中身は全然別物」スタイルがグループBを発展(というよりは暴走)させ、グループB廃止を速めた原因にもなった。 開幕モンテではまだ市販車の名残があるが、ツールドコルスから投入されたターボ16エボ2は、なりふり構わずルーフにアホみたいにデカいスポイラーを装着して大変身。アウディの追撃をかわしてドライバー・マニュファクチャラーの2冠に輝いた。翌86年もランチア相手に(失格騒動を経て)連覇。ヘッドライナー1/43 ルノー マキシ5ターボ “1985年ツールドコルス DNF”#12 フランソワ・シャトリオ / ミシェル・ペラン プジョー205ターボ16以前、旧グループ4時代に同じようなことをやった先達がルノー5ターボ。小型大衆FF車のルノー5の駆動方式をまるっきりひっくり返して、ミドシップエンジンの後輪駆動としてターボで武装し小型軽量+大パワーを信条とした。(このコンセプトは広く一般に受け入れられて、ホモロゲ規定数以上の3000台もの大ヒットとなった)しかし重量級「アウディA1、2」によって大型ボディで重かろうが4WDならば勝てることが証明され、小型車はいろいろな面で不利になり、ターマック限定で強さを発揮するものの選手権争いの主導権を握ることは出来なかった。結局トップ争いを演じるよりも、参加台数の面でイベントを下支えする存在になったルノー5だが、やっぱりメーカーとしては参加してるだけじゃあなぁ!と欲も出ちゃうのは仕方がない。最低重量は増すことになるが、太いタイヤを履くためにあえて排気量を上げてターマックでの戦闘力を上げる作戦にでた。それが5ターボから5年も過ぎたツールドコルスでデビューしたマキシで、シャトリオ#12号車はミッショントラブルでリタイアするも、僚機フィリップスカラーの#3号車が目論見通りデビュー優勝を飾った。 「既存メーカーがコラボして業界のトップブランドを目指す」がコンセプトのヘッドライナー(京商とイグニッション)だが、そうは言ったもののしのぎを削る競合メーカー同士ゆえうまくいかない部分もあったのか長続きせず、ほんの一時の徒花に終わった。イグニッションはレースカーをやめて、ヤンキーガレージべったりの体制へ舵を切っちゃったから、きっともう出ないだろう。スパーク1/43 アウディ スポーツ クワトロ S1E2 “1985年サンレモ 優勝”#5 ワルター・ロール / クリスチャン・ガイストドルファー 今回のグループB車輛の一気出し企画を思いついたきっかけになったマシン。ようやく納車の運びとなりました。とゆーのも、ちょっと前に86年モンテ仕様が出てて、そいつは17年のオートモビルカウンシルで実車に遭遇してもいるから↓こっちにしよっかな~とも思ったんだが、やはりそこは戦績重視で。3位4位のモンテコンビのどっちかよりかは、唯一優勝の85年サンレモ狙いでしょ?とスルーしたんだが、とにかく待つのが苦手なもんで、モンテ仕様をカートに入れては削除を何回繰り返したことか(笑) 小型軽量が命だったラリーカーの歴史を、4WDを武器に一気に塗り替えてしまったアウディクワトロもグループB時代に入るとやはり大柄なボディにフロントエンジンそして重量が足枷となって思うような戦績があげられず、シーズン後半ついにチバラギ車もかくやとばかりにエアロで重武装。デビュー3戦目のサンレモでシーズン初優勝するも遅きに失した感あり。翌86年は開幕モンテで3位4位となるもワークス欠場の第2戦をはさんだ第3戦ポルトガルでの事故(フォードのマシンが沿道の観客に突っ込んだ)を受けてアウディ・ワークスはWRCから撤退を表明。結局アウディ渾身のモンスターマシンS1E2がステージを駆け抜けたのはたったの5戦。なのにグループBと言われて(真っ先にとは言わないまでも)これを思い出すのは、それだけ強烈な印象だったってことだよね。 最近オミットされがちな(タバコだからね)HBロゴもシカトで再現されててバッチグー(笑)HPIレーシング1/43 ランチア デルタS4 “1985年RAC 優勝”#6 ヘンリ・トイボネン / ニール・ウィルソン マシン、ドライバーともに良くも悪くもグループBの象徴。“もっとも美しい”ラリー037を引退に追い込んだプジョー205ターボ16に対するランチアの答えは「スーパーチャージド・ターボ4WD」ターボラグが発生する低回転域は、スーパーチャージャーが加給することによってシームレスにパワーを引き出した。パワーウェイトレシオが5程度ならアマチュアが操るレベルとしてなら上出来、35GT-RやRCFでも3前後なのに、S4はなんと1.5!あまりにカッ飛ぶその狂馬は当然乗り手を選び、S4をまともに御すことが出来たのはトイボネンただ一人だったと言われ、最終戦RACラリーでデビューウィンを飾る。本格参戦となった86年は幸先よく開幕モンテで1-2フィニッシュ、続くスウェーデンで僚友マルク・アレンが2位と順調に加点するも、ポルトガルは観客を巻き込む事故で全ワークスが撤退。仕切り直しのツールドコルスで最悪の事故が待ち構えていた。 インフルエンザが完治しないまま参戦したトイボネンだが、最初の17回のSS中12回でトップタイムをたたき出して2位を3分近く引き離したブッチギリの単独トップ。しかし続くSS18で、トイボネンのS4は山間部の下りコーナーを接触跡もブレーキ跡も残さずに直進し、崖から落下して爆発炎上、コ・ドラのセルジオ・クレストとともに死亡。 85年コルスのアッティリオ・ベッテガの死亡事故、86年ポルトガルの観客を巻き込む事故、そしてトイボネンの死亡事故をもって、グループB(並びにパワーダウンしたグループS構想)は廃止されることとなった。 当時、後発メーカーでラリーカーとCカーに特化していた今は亡きHPIのデルタは、脂がのってた時期の商品で、これはもう決定版といってもいーんじゃないか?HPIミラージュ1/43 フォード RS200 “1986年アクロポリス DNF”#2 スティグ・ブロンクビスト / ブルーノ・ベルグルンド 他社がどうしても市販車外観の縛りから抜け出せなかったのに対して、フォードは市販車にはないレーシングカー然としたスタイリング、そしてメカ面でも最適重量化を計るためミッドシップエンジンからトランスミッションを切り離してフロントに持っていく比類なき発想でグループB戦線に登場した。しかし如何せんその登場は遅すぎた。巨額の製作費をかけて(何しろ1台作るごとに200万円以上の赤字だ)WRC参戦はたったの4回。 大企業ゆえの紆余曲折、決定の遅れだのトップ交代による方針変更だのドイツ(ツーリングカー)とイギリス(ラリーカー)での部品共通化をめぐるゴトゴタだのによって、開発計画は常に後ろ倒し状態で86年になってようやくデビュー。しかし3月のポルトガルでは姿勢を崩して沿道に鈴なりの観客に突っ込み、6月のヘッセン(ERC)でも姿勢を崩し立ち木に激突、炎上しコ・ドラが死亡。どちらも100%クルマが悪いわけではないが、クルマの速度や挙動をドライバーが制御しきれなくなっていることを如実に証明したカタチだ。特にレーシング然としたRS200は、アンジュレーションに富んだ公道ではエキセントリックだったのだろうか。 それでも心機一転、悪路で名高いアクロポリスで、最終的にリタイアするものの一時は1-2体制を構築するほどの可能性を見せた。87年以降もグループB(あるいはS)が続いていたら、熟成の進んだRS200がシーズンを席巻したかもしれない。とはいえ、統括団体(FISA)も度重なる死亡事故を全スルーするわけにもいかず、グループB(およびグループS)を86年限りで廃止する以外の選択肢はなかった。 フロントエンジン4WD、ミッドシップ2WD、ミッドシップ4WD、ミッドシップ4WD+トランスアクスル等々エンジニアがアイデアを絞りだし持てる技術の粋を集めたグループBラリーカーは、まさに百花繚乱。残念ながら「ヒューマンフレンドリー」とゆー発想がそこにはなかったため、たった5年でその幕を閉じることになった。短くも峻烈だったからこそ、そこに惹かれちゃうんだろね~シトロエンBX4TCとかMGメトロ6R4とか新規で出ないかな。。。(メトロのプラモ買っちゃおうかなぁ)
2021.04.13
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例年、年も押し迫ってくるこの時期の記事は、たいていクリスマスケーキを背景にしてハイエンドミニチュアカーの画像ってのが恒例だったが、換気が悪い上にコロナなどどこ吹く風のバカ(若)者でごった返して感染リスクMAXのデパ地下に出掛けるなど起きようはずもなく、今年はなし。(この分だと「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」もパスだな、円盤を待とう)そもそもこの未曽有のパンデミックに生き残れるかもわからんのだから、もう欲しいもんは我慢しないで生きてる間にさっさと買っちまおう!を合言葉に、エレキギター10本(!)とか笑っちゃうくらいとか買いまくっちゃったからね。いわば年がら年中クリスマスだったわけだから、聖なる夜に特別なプレゼントを、とかゆー気分には全然ならんわ。てなわけで、ケーキの背景はなく量産ミニチュアのみで(色だけはクリスマスっぽいな)笑スパーク1/43 ランチア ストラトス HF “1975年ツール・ド・フランス・オートモビル 優勝”#180 ベルナール・ダルニッシュ スパークからはすでに何種類かストラトスが発売されているけれど、ストラトスは名作の誉れ高いHPIがかなりの数残っているから、およそスルーしてたんだが(実店舗でも視界に入れないように)シャルドネの真っ赤なボディにマルボロロゴってのに見事にしてやられた。どーしてオジサンはマルボロに反応しちゃうんだろうねぇ(困ったもんだ)このマシンは、1975年のツール・ド・フランス・オートモビルの優勝車。オートモビルってわざわざ断りを入れるのはツール・ド・フランス(TDF)には自転車もあるからね。つか、そっちのほうが一般的か。ちなみにTDFはWRC開催じゃなく、かといって欧州ラリー選手権(ERC)でもなくって、その下のフランス国内選手権のひとつ。決して有名どころの個体(アリタリアとか)を商品化しないのが、さすが玄人好みのスパークだわ。 奥はHPIの赤シャルドネ、WRC1975年ツール・ド・コルスの優勝車。2台は同一車輛(EE-72930)であり、故に現実ではあり得ないツーショットだ。時期的には、TDFが9月開催でコルスは11月。どちらもオールターマックで車高ベタベタなんだけれども、ストラトスの代名詞ともいえる4連のライトポッドをつけずリトラの目もオープンにしてない、且つアンダースポイラーを装着したTDFのフロントセクションは、ぱっと見フェラーリみたいでちょっと新鮮。(そっから後ろはまごうことなきストラトスそのものだけど)ミニチュアの出来映え的には、ひと手間かけてフロントカウルやアロイホイールにスミ入れしてるHPIに対して、ストラトスの窓ってこんだけしか開かないんだぜをわざわざ再現したスパーク。どっちもどっちで甲乙つけがたく五分の勝負引き分けってところだな。
2020.12.29
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いっこ前の記事で「入庫したけど調べものが終わらなくてアイドリング状態」って書いてたクルマがようやっと出発進行。調べものした結果は一言「結局よくわからん」(笑)「ラリーカーズVol.5」が出版されたのは2014年だから、6年経ってようやく共演。当時はユニバーサルホビーのしか発売されてなくて(多分)、あれは出来映えがまぁアレなんで食指が動かず、もうちょっとマシなのが出ねえかなぁ~って思ってからの6年。持って生まれた粘着質の執念深さから、スパークから発売アナウンスが出たらば即予約(笑)スパーク1/43 ポルシェ 911 カレラ RS3.0 “1978年モンテカルロラリー 優勝”#3 ジャン=ピエール・ニコラ 南仏モンペリエにあるジャン=マリーとジャックのアルメラス兄弟の経営するファクトリー、アルメラス・フレールから生み出されるポルシェ911のコンペティションマシンは70年代前半から評判を呼び、多くの有名ドライバーがアルメラス・ポルシェをレンタルしていた状況下の1978年。 本来3台体制だったアルピーヌチームが、資金の問題から急遽2台体制へ変更したため、仕事に溢れたジャン=ピエール・ニコラが大慌てでスポンサーを探して、そのお金でアルメラス・ポルシェを借りて滑り込みエントリーしたところからの、まさかの優勝。これだから「勝負はゲタを履くまで分からない」とゆーより「宝くじは買わなきゃ当たらない」だな。ニコラが探し出したスポンサーがジタンタバコだったので、当時衣料品メーカー「エミネンス」のスポンサードをうけて赤白カラーがデフォルトのアルメラスのマシンが鮮やかなフレンチブルーに彩られることになった。あまりに大急ぎだったんで、車検の直前になってまでこんなことをやっている。 ドライバー・スタッフ総出でスポンサーステッカーを貼る、の図。ここで気になっちゃったのが、ボンネットのジタンの大きさ(片方が小さい)ちょっと見にくいけど向かって右の「ジタン」が小さい。そして、ヘッドライト脇に「カストロール」がない。こりゃあスパークの野郎、またやりやがったな!ってのが調べものの発端(いつものこったけどよ)ところがさ。。。この画像じゃ右の「ジタン」が逆にでっかくなってるし、カストロールも貼ってあるし。。。マシンの後方についてもね、 リアまわりにカストロールのステッカーなんか全然ないし、バンパーに修理跡のような白テープもない。てかリアバンパーの色自体が全然違う。 ホイールのカラーリングも、ハブ周りはフレンチブルーじゃなくて黒だよね、どーみても。あげくにフェンダーの「ジタン」が二重貼りされてんじゃん。じゃあ、先行発売の1/18スケールはどうじゃったろ? もう、なんつーか色云々どころじゃなくてホイールのデザイン自体が違う。(これって市販車とおんなじホイールだよねえ?)まぁラリーは一日で完結するイベントじゃないから、要はある日ある時、路面状況とかコースの法面に突っ込んだとかで外装修理のついでにステッカーも貼り直した、と結論付けるっきゃないね。どれが正解かわっかんねーもん(つかどれも正解?)だから「結局よくわからん」とゆーこと、でした。今回得た教訓「ラリーカーは深掘り厳禁」ってことかなー(笑)あ~そうそう、商品名の「カレラRS2.7」だけは確実に間違いで、正解は「RS3.0」これだけは間違いなし!
2020.11.30
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ミニチュアモデルを買ってくると、生来のものぐさから大抵の場合ブログアップするまで間が空くのが常なんであるが、今回はめずらしく買ってすぐ撮って出し。とゆーのも、素材のクルマにも関連イベントにもさほど思い入れがないんで(じゃ買うなよ)いつものよーに重箱の隅つつくために調査考証する手間がいらないからだ。スパーク1/43 アルピーヌ A110 “1971年モンテカルロラリー 優勝”#28 オベ・アンダーソン 最近、40年振りに復活したアルピーヌのA110は、一度間近で見る機会に恵まれて、ありゃあなかなか良さげな佇まいだったことを覚えておる。この佇まいってのが結構大事でね、スペックなど数値も大事は大事だが、乗ってる人間はともかくも走ってる姿停まってる姿を見る路傍の人々には、馬力や排気音よかよっぽど心に留まるわけで。いい雰囲気を醸し出してる佇まいのクルマは、結局いいクルマっつーのが持論。でもってそのニューA110の元祖が1963年から77年まで製造されたこの初代A110。発売当初からルマンに出たりして(戦績は伴わなかったが)ルノーのモタスポの象徴でもあった。やはり有名なのはラリーでの活躍。まだ世界ラリー選手権(WRC)が勃興する前の単独イベントだったこの71年と、WRC設立の73年のモンテカルロラリーを制した(73年は初代マニュファクチャラーチャンピオン獲得)また、BS朝日の「カーグラフィックTV」のオープニング映像でもお馴染み。140馬力程度のエンジンだが、なんたって車重がバカ軽い。およそ700キロくらいでパワー・ウエイト・レシオは5だもんね。V6やV8で400馬力とかの重装備もいーけど、こんな「軽さこそ正義」もいーよね。もはや乗れるチャンスはないだろうけど。 まあ、実車についてはこのくらいで許してやろう(何様)今回スパークのA110を買ったのは、ひとえに比較のためだ。前:スパーク 1971年モンテ優勝車#28号車奥:ヘッドライナー 1973年モンテ2位車#15号車(記事はこっち)ドライバーはどっちもオベ・アンダーソン。本来、同年同イベントでの比較が好ましかったんだけど仕方がない。どっちがどうってゆーのもそもそも価格がダンチなんで、単純に横並びは出来ないんだけども・・・こうしてみればよく分かるが、フロントタイヤとフェンダーの隙間!#28号車はまるでリアにトラクション掛けすぎてフロントが浮いちゃってます的な。#15号車は逆に「フェンダーとタイヤの隙間は指一本」とゆーキング谷口(信輝)以上のベタシャコ。こんなんじゃ雪のチュルニ峠なんか走れねーだろ(73年が降雪ラリーだったか知らんが)で、実車はどーだったんか?↑個体は違うけど71年のモンテ(2位入賞車)↑同じく個体は違うが73年モンテ(優勝車) 見ての通り車高はスパークがまったく正しい。なんなら73年のほうが隙間がデカい(大雪降ったのか?)ヘッドライナーつったって元はシャコタン命のイグニッションモデルなんだから、要はやりすぎ。けれど佇まいは圧倒的にヘッドライナーだったんだよね、こうして調べるまでは。どんなに佇まいがよかろーが、実車を再現するのがミニチュアカーの本懐とするならば、ヘッドライナーのアレンジはダメよって結論。ま、そゆとこが実車至上主義者の困ったところでもあるんだけど(笑) でね、正しいスパークのほうもさ、フロントガラスのリム、なんとかなんなかったのかよ?他のアルピーヌ車じゃ問題なかったのに、大本命のA110だけリムのサイズミスはねえだろーが。縦はともかく圧倒的に横幅が短い。それを片側のAピラー基準で接着すっから、実車じゃありえねえよーな隙間だよ(怒)
2020.11.03
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コロナの影響から番組制作に遅延があったりで、秋クールのテレビ番組はスタートも横並びにならずに話数も短縮だったりと、現場はさぞかし大変なこったろう、と外野は涼しい顔で眺めておるのだが、そーゆーことに起因してんのか判らんが、BSでやってる大好物の「名車再生!クラシックカー・ディーラーズ」が週いちの通常放送に加えて「名車再生(クラシック)」と銘打ったシリーズ初期のエピソードも放送を始めた。まさかの同一シリーズ二段重ね二時間ぶっ通しは、ファンには嬉しいサプライズ。 その通常放送のほうで「フォードエスコートRSコスワース」をやってた。ランチアが抜けて日本車グループA全盛期に、唯一立ち向かった欧州勢としてもっと人気が出たっていいと思うのに、まったくもって(ミニカー的に)報われないエスコート。そりゃあ日本車最強時代の日本で、正規輸入もされなかったクルマだから人気もへったくれもないのかも知れんが、個人的にはとっても好きなのだよ。 当時、クルマ仲間がセリカGT-FOURやインプWRXを装備しだして、それならばと乗り換えを検討した唯一のラリーベース車。提携つか傘下にあったマツダで買えんじゃないかと期待したんだけど結局輸入は見送られたんでこのハナシは幻に終わり、結果33Rを装備することになったのだった。イクソ1/43 フォード エスコート RS コスワース “1994年モンテカルロ 優勝”#6 フランソワ・デルクール 元々、先代フォードシエラのリア羽根が好きで、だけどもレースカーとしちゃあちょっとボディが長いよなぁと思っていたところに、ラリーフィールドに忽然と姿を現した(当時は事前情報なんて仕入れたりしなかったからね)。このちょっと短い、けどシエラよりもよりアグレッシブなリア羽根を持つエスコートには、もう願ったり叶ったり(何が?)。しかもデルクールのドライブでめっちゃ速え。とゆーか、他のどのドライバーよりも唯一デルクールのためのマシンであったよーに思うておる。 デビューイヤーの93年は3勝してランクキング2位。翌年も開幕モンテを制し、今年もイケるぞと思った矢先に好事魔多し。余暇に遊びでドライブしたF40が事故り、あわや両足切断とゆー事態で長期離脱を余儀なくされ、結局94年モンテがWRCでのデルクール最後の勝利となった。 そんな来歴だから、そりゃあミニチュアモデル化もされないよねー。タミヤからはそれなりにプラモが出たけれど、最新のレジンミニカーが欲しいのよ(スパークとしちゃ「これからよ!」ってことなのかもしれないけれど) そして話は戻るがクラシックカー・ディーラーズ、エスコートの回。 いつもどおり中古を適当な値段で仕入れて、あれこれ技を駆使してリフレッシュ&ブラッシュアップ。うまくいけば儲かるはずです!(決まり文句)とゆー流れのなかで、珍しくMC以外のゲストが登場。なんとこのクルマのデザイナーで、これを皮切りにBMWミニ、マセラティMC12、フェラーリF430、マクラーレンMP4-12Cなどを手掛けることになるフランク・ステファンソンその人。「リアのデザインには理想があって、もっと良くなるはずだった。ヒコーキ好きなんでフォッカーDR1の三枚翼をリアセクションにブチ込もうと思ったんだけど、採算がとれなかったんで不採用になっちゃったんだ。つまりね、フォッカーDR1の三枚翼を・・・↑赤い彗星シャア同様に赤い機体で有名な(逆だ)マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの愛機フォッカーDR1(これは緑色やから量産型やね)その3枚翼を、こんな感じに・・・↑チャチャっと絵を描くフランク・ステファンソン(さすが)これがパーフェクト・エスコートだよ」(ここで羽根なんて飾りです、と思っちゃいけない)そんな内輪話を聞かされちゃあ、テレビ番組的には作らんわけにゃあイカンやろってことで・・・ワンオフで中ウイングを製作。これによってリアのダウンフォースは11キロ増!ってゆーんだけど、後方視界は最悪だよねえ。まぁ基本前しか見てないラリーなら問題ないだろうけど(笑)。もしもホモロゲ生産車だけでも実際に三枚翼だったら、もっとラリーで勝ててたかなぁ。 フォードのホエール・テール兄弟(笑)奥のオートアート製エッゲンバーガー・シエラについてはこちらをクリック(9年も前かよ)。当時よく判らなかったこのクルマの出自。「スピードハンターズ」ってゆー外国ウェブサイトの2012年の記事によると・・・ これ(シャシー#99269)は、1989年まで欧州(ETCCとDTM)で走ったあとに、海を渡って青と黄色にリペイントされ全日本ツーリングカー選手権に参戦。↑寺田陽次郎 / 赤池卓 組のアートネイチャー・シエラ#3号車。真夏の筑波、レース・ド・ニッポンで2位表彰台に上ったりした。(ネットにもっといい画像ねーかなぁと探したけど見つからなくて、結局自分の蔵書から引っ張った) シーズン終了後にフジモーターミュージアム(原本ママ←バイク博物館だったんじゃ?)に売却されて2002年までモックアップ保存。その後イギリスのコレクターの手に渡って黒赤のテキサコ・リバリーに再々ペイントされた。 それを今度はニュージーランドのフォードディーラーのオーナーが買い取って、お店のショールームに3年間ほど飾ってたんだとさ。そのオーナー氏が飾ってるだけじゃ勿体ないと思い始めて、レーシングカー修復に実績のある地元の会社に頼んで、走れるようにそれこそボルトとナットからリストアした個体である、とゆーことが判明。 だから当時思ってたオフシーズンテスト車両とかってことじゃ全然なくて、なんちゃってレースカーでした、と。(市販車にデカール加工だけ施した所謂レーシングレプリカとは違った意味合いだけどね)。故にゼッケン1にルトヴォッヒ / ソパーって組み合わせもテキトーだった、と。 要はオートアートが細かく考証せずに実車があるからってことで、まんま商品化したってことだね。商品名もRSコスワースってなってるけど、転戦してるうちにRS500に進化してるからそこもまた間違いってわけだよ。 あぁ、9年経って判明したこの事実。ま、長いことやってるとそーゆーこともあるんだねえ(笑)ってか。
2020.10.28
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「フォードvフェラーリ」を観てからこっちというもの、昔のレース映画をあれこれと見直してる。するとタイミングのいいことに、映画の劇中車がアマゾンで半額以下で売りに出されてるの発見して、この度めでたく登場と相成った次第。 来年に会社を畳むことになった石原プロモーション製作の「栄光への5000キロ」(69年)海外長期渡航なんて夢の時代ゆえの巨額の製作費4億円(今だと13億くらい)もかけたんだから、撮ったフィルムは全部使うんだとゆー日本的勿体ない精神で上映時間3時間弱、やたらと長い。 物語は、およそ3部構成。まずラリー・モンテで五代高行(石原裕次郎)が事故って重傷を負う。傷の癒えた五代が日産常務・高瀬(三船敏郎)の要請でワークスR381を駆り、FISCOで開催された日本グランプリで元同僚のピエール・ルディックと競い、その走りで翌年のサファリラリーへの参戦を獲得する。サファリラリーのスタート順は抽選によるもので、運悪く90番手スタートとなった五代は、猛烈な追い上げで2位まで挽回し、首位のピエールとつばぜり合いを演じたのち、ピエールのアクシデントリタイアによって優勝する。これにファッションデザイナー坂木優子(浅丘ルリ子)、フランス人デザイナー・シャブロルを交えた恋の三角関係の行方、さらにライバル・ピエールとアンナ夫妻の恋愛模様まで放り込むもんだから、そりゃ長くなりますわな。しかも、そんだけ詰め込んだのに、恋の顛末はどーにも中途半端な尻切れトンボ(笑) 個人的には恋愛エピソードなんざどーでもいいし、スポンサー様の大人の事情でねじ込まれて時間を割かざるを得なくなった(と思われる)日本グランプリのシーンもいらねーだろ。(今となっては貴重な富士の30度バンクが見られるとゆーモタスポ史的な価値は認めるけど)もっとシンプルに、モンテで負傷した五代がサファリで再生するとゆー構成で十分。そうすりゃ2時間枠で収まって変な中だるみもない。クルマのシーンはどれも良かったのにくだらない愛情劇で損をしてる、ってゆーのが評価。イグニッション×トミーテック1/43 ダットサン ブルーバード 1600SSS "1969年サファリラリー 優勝" #90 五代高行 / ジュマ・キンゴリー 版権の問題だけとは決して思えないぼったくり価格で有名なイグニッションとトミーのコラボ商品。普段だったらこんなぼったくり商品には絶対に手を出さないけれど、高額ゆえか売れ残ってアマゾンで処分に困って半額以下の叩き売り(笑)それなら買うじゃんってことでポチっと。出来映えに関しては、大きく外すことのないイグニッションなんでカタチ的にどーのこーのはないが、問題点は、これに限らずレースカー全般に言えることだがスポンサー関係。値段がクソ高えくせに、真面目に版権取らない。本来は、後ろのドアにコカ・コーラがついてんのよ。 それが見事にスルー。イグニッションお得意の後貼りデカールキャンペーンがあったのかも知れないけれど、他人様のブログを見てもコカ・コーラ有りのバージョンにはお目にかかれてないんで、きっとやんなかったんだろう。コカ・コーラ(の日本法人)はどこに対しても版権許諾を出し渋ることで有名だから、頑張っても取れなかったのかもな。とにかく、クソ高いのに(つっても半額で買ってるが)画竜点睛を欠くてんじゃ興ざめだよなぁと思っていたら。。。 本編の後ろのほう(スタビライザーブラケット交換シーン)でコカ・コーラなし仕様を発見!これ、スタビが壊れて中継ポイントにたどり着いた時は、コカ・コーラが貼られているのに、修理完了して走り出すときにはついてない(笑)だから、このモデルは「スタビ修理再出発仕様」とでも呼ぶことにしよう。 さらに最終盤にも、コカ・コーラなし仕様が現れるんだが、これについては、ドライバー名に注目。五代高行/ジュマ・キンゴリー組じゃなくてエドガー・ハーマン/ハンス・シュラー組となっている。本来はポルシェで参戦予定だったが、何らかのトラブルで車両が届かず出場断念するしかなかったハーマン/シュラーに「撮影車で追加エントリーだから最後尾スタートになるけど乗る?」と声をかけ、ゼッケン90で走ることになった(ゆえに劇中の五代車もゼッケン90を背負うことに)最後尾スタートにもかかわらず、ハーマン/シュラー組は着実に順位をあげて総合5位に食い込む殊勲。この実績を買われて、翌年は正規に日産からエントリーして見事総合優勝することになる。 映画のストーリー的にはクソだったが(個人の感想です)、当時のレース業界の一端が垣間見える点にこの作品の存在価値はある。一時期、日産実験部でそれこそブルーバード四駆(U12)用のトランスファーユニットとビスカスカップリングの開発に携わった身としては、一度テスト車両に乗せてもらったことのある日産村山のテストコースやカメオ出演してる櫻井眞一郎氏の映像はなんともノスタルジー。今年度の赤字が6700億円(それで存続してるのもすごいが)だの、技術の日産と謳いながら実質ブランドロゴを安っぽいヘンテコなエンブレムに変えることくらいしかしてない今の経営陣。一回この映画観てみたら?今のアンタらにこーゆーことできるクルマ(と人材)ある?って問いたいね。
2020.07.29
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ま、いつもの通り世間一般はスルー決め込んでるが、トヨタがWRCでマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。オット・タナックが僅かながらドライバーズチャンピオンの可能性を含んだ状態でスタートした最終戦オーストラリアラウンド。タナックはトップに躍り出るものの最終日に痛恨のコースアウトリタイアで万事休す。けれども僚友ラトバラとこれがトヨタラストランのエサペッカ・ラッピが踏ん張りポイントを上積みしてマニュファクチャラーズタイトルを確定。が、トヨタおめでとう!とかゆーよりも、あの妬み嫉み僻みが国是である民度の低いクソどもが作ったクルマがタイトル獲らなくてよかったわー!って(笑)(だから、ヤフコメなんかでネトウヨがもっと騒いでトヨタ褒め称えてもいいと思うのに、ネトウヨですらモタスポなんか眼中にないんだね)トヨタ世界ラリー選手権への足跡。グループBのセリカツインカムターボ、グループA時代のST165~205、ワールドラリーカーのカローラWRC。ヤリス以外は全部hpiレーシングとイグニッション製。 とゆーネタを、カルロス・ゴーン逮捕の報を聞きながら書いておる。ヤフコメなんかだと「これで面白い車を出してくれる」とか「日本を向いた販売になる」とか待望論があるが、正直どーかなぁ?長年日産陣営に身を置いていた人間からすると、責任回避でなにも判断しない出来ない連中が、良いも悪いも右向け右!と号令かけるカリスマを追い落として果たしてマトモに運営できるか疑問だね。「ガバナンス上、一人に権限が集中しすぎた」とか言ってるが、そもそも権限の曖昧さをタテに言い逃れして誰も責任とらないから低迷したんじゃねーかよ。所詮、財閥の殿様商売、親方日の丸、寄らば大樹の陰が心底身についた企業風土。結局ゴーンがやって来る前の、クソ面白くもない上に売れない姉妹車(オースター・スタンザだのリベルタビラだの)を臆面もなく展開してホンダに抜かれそうになってた時代に戻るだけだろ。そんでまた会社が傾く、と(笑)ま、この先日産車買うこともないだろうから、どーなろうと知ったこっちゃないけどね。
2018.11.20
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何か月か前に「天国と地獄」ってネタを書いたんだけど、そん時そういやぁ。。。って思い出したことがあったんよ。そん時はブツが手元になかったんで、そのうち手に入ったらやるまいか、とアタマの隅っこに記憶しといたんだが、縁あってブツが手に入ったんでね。1995年のランサーエボリューションⅢ(ロスマンズ)と96年のランエボⅢ(ウィンフィールド) それまで関連メーカーを小口のスポンサーとして勝てそうなイベントだけ選んでWRC参戦していたミツビシラリーアートだったが、1995年からマニュファクチャラータイトル争いは全戦参加が義務付けられたため、資金確保のためだか知らんがロスマンズをスポットスポンサーに迎える。翌年はタバコ会社側の推しブランド変更に伴ってウィンフィールドを纏うことに。ミツビシのコーポレートカラーが赤なのにロスマンズブルーはやはり違和感が。 ちなみに、前の記事の画像は。。。 ウィリアムズFW19とFW20(いずれもタメオ1/43)。ロスマンズで栄華を極めウィンフィールドで没落したウィリアムズ(笑)。対するランエボはロスマンズで取り損なった王冠をウィンフィールドで奪取。つってもあくまでスポットスポンサーで、しかもメイクスタイトルを賭けてウィンフィールドで臨んだイベントでは大不調。やっぱりウィンフィールド=ダメブランド、疫病神、と。hpiレーシング1/43 三菱ランサーエボリューションⅢ1995年ニュージーランドラリー 5位#10 ケネス・エリクソン 95年シーズンはランエボⅡでスタート。第4戦ツールドコルスからエボⅢを投入し第5戦ニュージーランド(と第6戦オーストラリア)で突如ロスマンズを纏うことに。しかしスポットスポンサーとゆーには大げさ、もはやタイトルスポンサー扱いだよこれ。hpiレーシング1/43 三菱ランサーエボリューションⅢ1996年ラリーサンレモ 8位#8 ディディエ・オリオール 2年目のエボⅢはトミ・マキネンとのコンビネーションで5勝を挙げ、前戦オーストラリアで早々にドライバーズタイトルを獲得。残るマニュファクチャラータイトルも確実にするために、サンレモではたまたま失業中だったオリオールを雇う。絶好調のマキネンに加えてターマックスペシャリストのオリオールで上位独占大量得点を狙ったんだが、マキネンはラリー開始早々リタイア、練度に問題があるのに頼みの綱にされちゃったオリオールもセッティングが煮詰めきれない上にトラブル発生で不発。スバルに逆転されて結局タイトルを攫われる。 ロスマンズと同じデザインでカラーリングされたウィンフィールド仕様のエボⅢ。サンレモとカタルーニャだけのスペシャルカラーリング。やっぱ青よりも赤は見ていて落ち着くね。 さて、エボⅢが出たんだから、どーせならエボやエボⅡもまとめとくか。hpiレーシング1/43 三菱ランサーエボリューション1993年ラリーモンテカルロ 4位#8 ケネス・エリクソン ランサーエボリューションのデビュー戦。それがグループAの特徴じゃんと言われりゃあその通りなんだが、市販のランエボと何ら変わらない外観のワークスマシン。ラリー開始早々エンジンがグズり出して優勝戦線から脱落するもエリクソン4位、アルミン・シュバルツ6位と、デビュー戦としてはまずまずのリザルト。hpiレーシング1/43 三菱ランサーエボリューション1994年サファリラリー 2位#4 篠塚建次郎 参戦資金の関係から、出場するイベントを選ぶワークス(ラリーアートヨーロッパ)にかわりタスカ・エンジニアリングがエントリー。アニマルガードにシュノーケル、強力白色ライトなどサファリと言えばコレってゆーアイコン満載の特殊架装がグッド。hpiレーシング1/43 三菱ランサーエボリューションⅡ1995年スウェーデンラリー 優勝#10 ケネス・エリクソン ランサー参戦3年目にWRC初優勝は訪れる(アジアパシフィックラリー選手権では既に前年に優勝)。しかもエリクソンとマキネンが他を圧倒してのランサー同士の熾烈な一騎討ち状態で。力を入れ過ぎて両車共倒れに陥ることを懸念してエリクソン先行のチームオーダーを発令。今でこそオーダーを出す側の人間になったマキネンも当時はまだ血気盛んな頃。オーダー無視して突っ走り、トップのまま最終SSゴール手前で1分間停車して、エリクソンがトップタイムになることを確認してから再始動し2位チェッカー。やろうと思えば各SSで時間調節して自然にチームオーダーに従うこともできるのに、俺の方がはるかに速いけどチームオーダーだから嫌々お前に譲ってやったんだよ感を醸しだす方法論は、91年鈴鹿F1の最終周の最終コーナーでベルガーに譲ったセナの如き。後から考えれば、この時のこれがあったから翌年以降のドライバーズタイトル4連覇があったのかも知らんな。三栄書房ラリーカーズ誌が言うところの第一世代ランエボ(1993~1996年)。 hpiレーシングはもう無くなっちまったけど、この続き、少なくともエボⅣからVIはイグニッションで出してくんないかなぁと切に願うよ。
2018.10.27
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まあまあストライクゾーンなタイトルではある。とはいえ「18年振りの優勝」とかどストライクの直球じゃなく、アウトローぎりぎりから逃げていくスライダーみたいな。 「地球の走り方」言わずと知れてるかどうか判らんが、テレ朝で不定期月イチかな?でやってるWRCダイジェスト番組である。トヨタのWRC復帰にあわせて2017年より始まった。2017年こそ本戦ダイジェスト30分、残り30分を芸人ブリリアンによる舞台裏レポートだったんだが、今シーズンは全体30分で殆ど芸人による舞台裏レポートだったりMCアンジャッシュのぐだぐだ掛け合いだったりで、わざわざスバルSTI元社長の娘まで出してんのに殆どラリーシーンなんざありゃしない。結局、トヨタが復帰しよーが勝とうがモタスポが持ってる数字が低いんですべて縮小ってことだな。だったらわざわざ芸人の現地ロケなんかやんないで、FIAの持ってるダイジェスト映像を買ってきて流すほうがよっぽどいいのに、なんでバラエティに寄せるのかねえ?視聴率アップ?バカじゃね?ホント、わかってねえんだよな。 トヨタとすると、1999年の第11戦チャイナラリー以来の優勝。その時のマシンはカローラWRC。こうして2台並べると、ヤリスつまりヴィッツのなんとデカくなったことか。つかカローラ縮尺間違えてねーか?って思うくらい小さい。それがおよそ20年の進化なのだよと言われればそーなのかも知れんが、どうしてもカローラ>ヴィッツってイメージがアタマから離れん。スパーク1/43 トヨタ ヤリス WRC "2017年スウェーデンラリー 優勝"#10 ヤリ=マティ・ラトバラ 復帰第2戦にして早々と優勝を決めた(地球の走り方的に)ラトバラ先輩のヤリス。追加ポッド装備は2台同時スタートのSSSで絶対王者オジェに勝った時の再現やね(多分)ガズーお得意のヘンテコ迷彩カラースキームのせいで全体像が掴みにくいんだが、サイドインパクト強化のために市販車に比べてボディサイドがえらく張り出してる。事実ラトバラ先輩はそこをテーブルにしてマックのバーガーセットを置いて食事してたらしい。 開幕2戦で表彰台に上がって、こりゃWRC楽勝じゃんと思ったのもつかの間、ここがラトバラ先輩とヤリスのクライマックスだった(笑)ヤリス自体はこのあとエスペッカ・ラッピやオット・タナックがといった新世代が優勝したりしてるが、ラトバラ先輩は落ちる一方、2018年6月の時点でもうチャンピオン争いから脱落、そろそろ来年のシート心配したほーがいーんじゃね?イグニッションモデル1/43 トヨタ カローラ WRC "1998年ニュージーランドラリー 優勝"#5 カルロス・サインツ ヤリスの前に最後に勝った1999年チャイナラリーの一回前に勝った1998年のカローラ。98年は最後の最後までチャンピオン争いをしてたのに(一昨年のルマンみたいにゴールまであと300メートルでエンジンが死んで十中八九手にしてたチャンピオンがこぼれ落ちた)翌年は9月になるまで勝てなかった。ホントはその99年のチャイナ優勝車があればよかったんだが、今さらディアゴスティーニのラリーカーコレクションでもねーだろってことで。 オーバーフェンダーやエアロパーツでゴテゴテと武装したヤリスに比べてなんともスリークなカローラ。その成り立ちやあれやこれやは昔書いたんでそれを見てもらうとして、この大人しいカローラの何がいいって、ボディサイドのデザインイラストにつきる。ニュージーランドなんでカストロールカラーのキウイ。他にも、サファリがシマウマ柄、カタロニア(スペイン)がフラメンコダンサー、アルゼンチン水牛、アクロポリス古代ギリシア兵、フィンランド針葉樹林、サンレモ薔薇、オーストラリアカンガルー、ウェールズ雨傘、こーゆーユーモアはいいよねえ。今じゃあボディの何センチ角でいくらってこと細かく決められてる世知辛い世の中。そーゆー几帳面の代表格みたいな日本(実際はドイツのTTEだけど)がやってるのが興味深い。 さて「地球の走り方」次回は8月13日だそうで。爆走ジェントルマン改めやらかしジェントルマンのクリス・ミークがマシン壊し過ぎでシトロエンをクビになっちゃったんで(チェザリスみたいだ。。。)面白み半減なんだが(笑)しかしヤリスはいいかげん、アクシデントだのパーツ破損だの負の連鎖から抜け出してもらわんとな。Mスポーツフォードはまあ仕方ないとしても、韓国ごときのクソ車に負けてんのは容認出来んよ。
2018.07.08
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昨夜、ちょっと近所のスーパー行こうと思って玄関出てみたら、なんと雪だよ\(◎o◎)/!まあね、考えてみたらまだ2月なんだから寒いし降雪ってのは全然不思議じゃないんだが、現に2年前は物凄い豪雪で市内完全ホワイトアウト、電車・バスは止まったは信号はどこでも点滅だったわ、なことがあったわけだし、それなのに映画「ラッシュ」観に行ったら客が7人だったりして。だから雪が降ろうと格別騒ぐことじゃないんだが、しかして前の日の気温が気温だっただけにねえ、年寄にゃカラダが気温の乱高下についていかんよホント。結局、小一時間で雪はやんじゃったんだが、買い物するには機を逸して、夕飯自炊しなくてはならなくなった、と。それはともかく、雪といえばモータースポーツファンには絶対「チュリニ峠」であろう。今年のモンテが雪だったのかどうか知らんが、はるか昔にモンテを駆け抜けたリトルジャイアントが今日のお題。ヘッドライナー1/43 アルピーヌ・ルノーA110 "1973年ラリーモンテカルロ 2位"#15 オベ・アンダーソン/ジャン・トッド 前身のhpiレーシングは震災復興企画でエブロと組んだことがあったが、さすが元々タミヤ時代から仲の悪い者同士、震災復興ってお題目がなければコラボの目はなかったと思うが、プロジェクトが早々に空中分解する前にhpiレーシングがミニカー事業から撤退。あとを受け継ぐカタチのイグニッションモデルは京商とコラボブランド、ヘッドライナーを立ち上げたその第一弾が1973年のモンテを走ったアルピーヌA110だ。後だしジャンケンの特権で、出来栄えは既発売のものよりも当然よく、カタチに関しては今のところ決定版と考えていんじゃないか?売れ行きも好調で、優勝車#18は早々にソールドアウト(今じゃ#15車も#21車もほぼ売り切れ状態)まあ、私的には#18車はイクソ製を持ってるんで、もともと購入リストに入ってなかったし、買うんだったら#15と決めてたんで無問題。なんつったって、#15車はクルーがオベ・アンダーソンとジャン・トッドだからね。ご存じトヨタチームヨーロッパ(TTE)の首領と、プジョーで一時代を作ってF1フェラーリでも前人未到の6連覇達成のチームマネジメントの鬼の超強力コンビ。後にそれぞれの率いるチームで、メーカーの威信をかけたWRCの派遣を争うことになるとは、この時思ってたんだろうか。。。まさに、昨日の友は今日の敵、である。手前#15ヘッドライナー、奥#18イクソこう眺めると、イクソも全然捨てたもんじゃないし、むしろコスパ的には有望株。だが、ミニカーは一期一会、欲しい時には売ってないのが常。昔はさほど値も高騰してなかったし、ショップであれもこれもと手を出せたんだけど、今の時代はさすがにねえ。。。 ウェブサイトを見ると後続のラリーカーがいろいろと考えられてるようだが、果たしてアルピーヌ以降のがちゃんと出てくるかイマイチ怪しい(笑)ま、そのラインアップのほとんどはすでに収集済みだから出ようが出まいが私的にはどーでもよろしいんだけど。
2016.02.16
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F1ばっかりやってると、ときどき無性に違うモノを扱いたくなる。そんな時にもってこいなのがラリーカー。実世界の得意科目は、日本車バリバリの頃のグループAなんだが、ミニチュアとなるとやっぱ何でもありのグループBってことになる。イグニッションモデル1/43 セリカツインカムターボ "1983年1000湖ラリー 6位"#12 ユハ・カンクネン ミッドシップだ、4WDだ、ターボとスーパーチャージャーのダブルチャージだと、およそ考えられることは何でもありだったグループBにあって、ごくごくシンプルなFR(トランスアクスルレイアウトですらない)で、大したエアロパーツも持たない直線基調の無骨なボディワークは、異端なクルマ群の中で異端、Bのトレンドといやぁ唯一オイルクーラー内蔵のリアスポイラーくらいなもんだ。故に、理屈上勝てるはずのないセリカツインカムターボがサファリで3連覇を果たしたのは、綺羅星の如きBの時代の大番狂わせの奇跡だったに違いない。 そんなセリカツインカムターボのデビュー戦1983年1000湖ラリーで、いきなり初入賞したマシン。ほんとは3連覇したサファリがよかったんだが、思いのほか売れ行きがよかったらしくソールドアウト。1000湖ラリーも売り切れ寸前のところ滑り込みセーフだったくらい。でもサファリってなかなか車高が高いんでモデルにしてみるとイマイチかっこ悪いから、ま、これでいーか(^^ゞま、なんだかんだリクツつけても、要はこれやりたかっただけなんだよね(笑)
2016.02.04
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本が売れない、出版不況と言われてはやン十年。クルマ系では、今思えば、その始まりはGPXの山海堂の倒産だったように思えるが、レーシングオンも週刊、隔週、月刊と発行形態を次々変更し(今のところ)隔月で細々とやってる(かどーかわからんが、ホント取扱店が減ってて店頭で買うのにえれー苦労すんだ)のはずなのに、F1系の「GPカーストーリー」ラリー畑の「ラリーカーズ」と次々と買うもんが増えてる昨今、当然それらとミニカーは狙ってるのかいないのか微妙にリンクしてるんで、雑誌とともにミニカーも増えるとゆー状況。モデルオートドリームズ別注スパーク1/43 ポルシェ911SC/RS "1984年ERCイプルーラリーウィナー"#6 ヘンリ・トイボネン 正直、グループAマシンがオンタイムだったんでラリーのポルシェっつーのはどうかなぁ、と。それは「ラリーカーズ05」でWRCはともかくもERCじゃあ結構無敵だったってえのがわかった今でもそう思ってんだが、コイツだけはちょっと別格。ロスマンズとポルシェの黄金コンビだし(っても、956ほど似合ってねーよね)それ以上に何といってもトイボネンってことよ。1990年代恵比寿はMr.クラフト絶頂期世代として、同店会報のサラ・イイネス描くところのトイボネン、ベロフ、ジル、ベッテガの刷り込みはすさまじく、おかげで今でもここらへん絡みにはピっと反応しちまうんだよね(^^ゞやはり「志半ばで」ってえのにどうも弱いらしくて、そういう括りでいるからセナにはさほど感情が動かないんだな(歳喰ってラウダのよーに若いシューマッハの後ろでポイント拾いまくって王者獲得する老獪なセナってのも見てみたかった気もするが)雑誌とミニカーのコラボ、ここじゃよくやるパターン(笑)
2014.06.28
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連日、帰宅がテッペン近いんでいきおいテレビも深夜帯をちょろっと観るだけの日々なんであるが、最近は使いまわしで元を取り戻すっつーか、厳しい予算内ゆえ再放送で埋め草しちまうって魂胆か知らんが、ゴールデン帯放送の番組をすぐさま深夜でリピートしてくれるんで非常に助かる。(そんなことだからゴールデン、プライム、オンタイムでの視聴率が稼げない温床にもなるんだろーが)つい先週も、見逃した「SONGS」を早速リピートしたんで助かった。 平成の世のテレビで、昭和と決定的に違うのは「ヒットパレード・ベストテン」型歌番組の不在(とプロ野球の不在)だと思うんだが、私的には「ヒットパレード・ベストテン」的歌手集合型プログラムは嫌いなんで、「SONGS」「僕らの音楽」的個人掘り下げ型の乱立は喜ばしい限りだ(その典型が、アーティストひとりどころか、たった一曲について一時間かけて掘り下げるBSの「SONG TO SOUL」だろう)まあ、出演者の好き嫌いでそっぽを向けられて安定した視聴率が稼げないはずの個人型音楽番組がそれでも潰れないのはいろいろと裏の事情があるんだろうが、それはともかく、件の「SONGS」、今回は浜田麻里。「RETURN TO MYSELF」が最大ヒットで、そのタイトルアルバムもオリコン1位となったけど、実はあれはあんま好きじゃなく、ベストを挟んだ後リリースしたオリジナルアルバム「COLORS」と「TOMMOROW」が双璧と思ってんだが。てことで、ものすごく久しぶりにバックヤードから引っ張り出して聴いた「COLORS」そーいえば、5曲目の「ノスタルジア」テレ朝のパリダカ番組のタイアップだったよなぁ、っつーことで急遽、買ってきた。ミニカーコレクションのネタ振りに取るに足らない話題を探してくんじゃなくて、もはやネタありきでミニカーを漁る本末転倒である(^^ゞhpiレーシング1/43 三菱パジェロ "1993パリ-ダカール・ラリー ウィナー"#206 ブルーノ・サビー/ドミニク・セリエス 今は亡きhpiの断末魔の商品。出来は、末期ガン商品にありがちな雑な感じは一切なくきっちりカッチリと作られてて、それが逆に如何に急な撤退だったのかを如実に語ってる気がしてな。 古参のコレクター諸氏からは、一体何がしたかったのか最初から最後までわからなかった中途半端なメーカーとして総括されてるhpiであるが、それは名作と言われれるあれやこれやを適正価格ですでにコレクションしている側の言い分であって、これからコレクターとなる人間にとっては単純明快、(今では信じられないが)バカみたいなプレミアオークションで出回ってる過去品に対するアンチテーゼ、欲しいものを適正価格で(しかも新しい解釈、技術で)買うことが出来る新参コレクター応援ブランドって位置づけだったと思うが。。。ただ、確かに最後期は日産偏重とか、まるで三栄ムック本に連動するようなセリカターボだったり、クエスチョンがないわけではなかったけど、それでも随分と世話になったし概ね高評価してんだ。しばらくはレジンがメインのigモデルとして続けてくみたいだが、さて乱高下のビジネスラリーレイドを果たして生き残れるだろうか。ノスタルジア収録の「COLORS」とともに。。。って「COLORS」発売はプジョー・シトロエン全盛期の1990年。時代が合ってねーじゃん(^^ゞチャンチャン
2014.03.02
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そーゆー名前のガンダムがあったもんだが、正真正銘フランス語の「C’est la Vie」訳せば「ま、人生なんざこんなもんだわな」っつーハナシ。思えば、時速300キロにもならんとするF1を、クラッシュによる骨折はあったものの、命に関わる大事故大怪我に最後まで無縁だったのに、F1マシンからすれば殆ど止まってるに等しいような超低速で事故にあった赤い皇帝。とか、当時最強エンジン最強シャシーのパッケージを手にしながら、開幕からノーポイントのまま天に召された音速の貴公子。とか、自らのポカで予選中段に埋もれた挙句のもらい事故、とかみんながみんなセ・ラ・ヴィと思ったかどうか知らんが(誰もそー思ってねーだろ)、そんなハナシは数え上げたらキリがない。そしてこの男(いや別に全然息災なんだが・・・)スパーク1/43 シトロエンDS3 WRC "2013ラリー・ド・フランス"#1 セバスチャン・ローブ 同じセバスチャンのベッテルがF1連覇とか連勝記録とか、シューマッハが5連覇含む7回王者とか、セナのモナコ6勝とかゆー数字と同等以上のものがあるのに、日本の地形的環境からまったくウケないカテゴリーゆえ、その知名度がイマイチなセバスチャン・ローブ。あまりの強さに玉座を脅かす者があらわれず、レースの度に相手は自身の過去タイムのみとゆー状況に飽き飽きしたのか、そもそもラリーのそういった一台アタックに嫌気がさしたかのかよくは知らんが、ローブの2013年はセミリタイア状態でシリーズ中4戦のみの参加。あとは来季参戦予定のWTCCの習熟に努めるっつーわけで。 参戦168戦、シリーズ9連覇、78勝、表彰台フィニッシュ116回、896ステージウィン、1619獲得ポイントを示すスペシャルカラーリングは、引退試合となった地元ラリー・ド・フランスに用意されたが、しばらく実戦から遠ざかっていたからか走りに精彩を欠くものの、最終日を残した段階で総合4位。トップから5秒遅れは、決して挽回出来ない差ではない。地元開催を逆転勝利で引退に花を添えたいと思ったとしても不思議はない。が、そーゆー欲が出るところに好事魔多しっつーわけだ。最終SSたったの1kmでまさかのコースオフ、天地がひっくり返ってあっけなくリタイア。玉座を賭けて戦っていた時には、確実に2位狙いでいったはずのローブもやはり人の子、地元勝利で引退に花を添えたいと私欲が出たときに限って、いままで経験がないほどのクラッシュでリタイアとは、まさに「人生こんなもんよ」ってな感じだ。 9度王者の引退記念カラーは黒字に金色数字の地味派手カラースキームがい~感じ。なんだが、ボディの地色が艶消しなのはどーなのかいな?写真見たりしても、どうにもマットって感じがしないんですけど(-_-;)あと、アンテナが若干オーバースケールなのもオシイ。そこに目を瞑れば印刷も素晴らしいし「買い」だ。何せ絶対王者の引退記念車なんだから。
2014.01.13
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本がなかなか売れない時代と言われて久しいが、個人的にはあれやこれやと書籍が増えて増えて。。。ことにレース関連本は、現行レースのつまらなさも相まって、過去へ過去へのオンパレードで大日本のクロヒスの後継のよーなMFHの「ジョー・ホンダ」本だったりなんだりかんだり月に一冊は増殖してる。そんな「あの頃はよかった」系大得意の三栄ムックから「ラリーカーズ」ストラトス、セリカターボと出て、最新三作目はプジョー205だ。スパーク1/43 プジョー205T16 "1985モンテカルロラリー5位"#8 ブルーノ・サビー グループBによるWRCは、ミッドシップエンジンのラリー037と四輪駆動のアウディクワトロの一騎打ちで幕を開け、序盤こそ開発初期トラブルによって星を落としたアウディだが、熟成が進むにつれ何物も寄せ付けないほどの強さを発揮し、もはやWRCに4WDは不可欠であり、アウディクワトロの天下はしばらく続くと思われた。しかし、そのアウディクワトロにもフロントエンジンゆえの旋回性能に問題があることを見抜いたプジョーは、ミッドシップ4WDという、037とクワトロのいいとこ取りしたようなコンポーネントコンセプトをWRCに持ち込み、連戦連勝でシーンを席巻してしまった。外観こそセールスサイドの要請で市販205の対面を保っているものの、その中身はエンジン搭載位置、駆動方式などまるっきりの別物。この後、巨大なウイングを背に纏いE2へと進化するわけだが、私的には控え目なエアロでより市販205に近しい初期型(E1)がいいのよ、っつーことで1985年モンテカルロで5位に入ったブルーノ・サビーで(気がついた時には1位バタネン車も3位サロネン車も品薄で、あちこち探すのメンドーだったし、そこまで執着ないし、かわりにかなりにバーゲンだったからさ)笑hpiレーシング1/43 ランチアデルタS4 "1985RACラリー2位"#3 マルク・アレン ミッドシップ4WDで時代を築いたプジョーだが、その施政はわりかし短命に終わることになる、このデルタS4の登場によって。890kgの軽量ボディを引張るエンジンは1.8リッター直4ツインチャージ(ターボ+スーパーチャージャー)456馬力で、パワーウェイトレシオはなんと!驚異の2kg/ps。いかに4WDで路面を的確に捉えるっつったって、そんなクルマはふつーじゃねえぞっつーわけで、乗り手を選ぶっつか要するにトイボネン・スペシャルであり、トイボネンのみが全開で操れた、と。そして運命の1986年ツールドコルスSS18コルテ-タベルナ。さほど厳しくはないコーナーでトイボネンのS4はコースオフし、そのまま崖下に落下炎上。セバスチャン・ロウブにもなりえた未完の大器の夭折とともにモンスターグループBもその幕を閉じることになる。 年内で業界を撤退するhpiの幕引きが、グループBラリーに引導を渡したデルタS4っつーのも皮肉なもんだわな(つってもこの#3号車は、トイボネンがデビューウィンを記録した85年最終戦RACの2位アレン車だけど)ミラージュ1/43 フォードRA200 "1986年アクロポリスラリー"#2 スティグ・ブロンクビスト プジョー205T16、ランチアデルタS4が、まがりなりにも市販車の名称・外観にあわせた意匠づくりをしたのに対し、市販車とはまったく関係ないラリー専用車としてデビューした唯一のグループBカーだが、そうしたフォードの意気込みが成果を生むことなく、グループB消滅とともに華やかな表舞台から消え去った悲劇のマシン。大体、デビューの時からゴタゴタ続き(-_-;)翌年の本格デビューを前に、様子見に1985年最終戦RACラリー参戦を目論んだんだが「連続する12か月間に200台以上の生産」っちゅー初歩の初歩がクリアできずに、B規定よりも70kgも重い市販クラスでエントリー(笑)リザルトは言わずもがな、である。翌1986年も開発はずれ込み、伝統のモナコに間に合わず、ようやくB規定で参戦したスウェーデンは初期トラブルで全滅、続くポルトガルは地元ヨアキム・サントス駆るRS200が沿道の観客に突っ込み死傷事故を起こしてしまう。一時撤退のあと参戦再開したアクロポリスでもRACでも大した戦果を挙げられずグループB消滅とともに第一線から退くことに。直線基調のグループBにあって、この丸まっちいデザインは好きなんだけどなあ。翌年もグループB規定が生きてれば面白い存在になったかも知れんな。
2013.12.27
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いつものようにミニカー関連情報をネットで漁ってたら、hpiのHPで「12月20日を以ってミニカー業務より撤退」なんだそーで(>_<)787B(だったよな)からスタートしておよそ8年、大陸人件費の問題やら販売曲線の鈍化が原因っつーことらしい。んでもって、あっちゃこっちゃのミニカーコレクターブログを覗いてみたんだが、「最後まで何をしたかったのかが見えなかった」「後出しジャンケンで漁夫の利を貪るコソ泥」的イメージである意味ざまあみろ意見が多かったな。確かに、出すクルマ出すクルマみいんなどっかのメーカーの焼き直し感が高く、そこは「出したいものをやっていく」のが謳い文句ってことなんだが、万人に賛美とともに受け入れられたアルファ155DTMにしても、初年度と最終IRLしか展開がなく、もしココを押しポイントと思うなら当然あって然るべきな中間年モデルが完全スルーであり、そこら辺がコレクター諸氏から敬遠され、コアなファンを獲得できなかった所以なのかもしれない。けど、私的なことを言えば、市場残存数が少なくプレミア覚悟の先行PMAなどを追っかけるなら後出しだろうとなんだろうと、リリースしてくれることに意義があったとも思うのだが。事実、結構世話になってるんだわな、155とかストラトス、マクラーレンF1GTRなどなど。だから、撤退はちっと勿体ねえなあと思ってるんだが、そーゆーのはきっと超少数派なんだろね(^^ゞ撤退前の最後のダイカストが、既存品のカラバリっつーのが、なんか苦しい台所事情を如実に表してるよな(-_-;)
2013.12.17
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ここのところずっと、マクラーレンホンダ(セナ)、フェラーリ640、マクラーレンホンダ(プロスト)、ポルシェ917K、アヴェンタドールっちゅー感じでハイエンドモデルが続いて、サイフの中身はすっかり氷河期なんだけど、それでもコレクションは進んでくってなわけで、ホント久しぶりにおサイフに優しいローテクモデルが登場。イクソ1/43 ランサーエヴォリューションVI "1999年ラリーモンテカルロ"#1 トミ・マキネン 今から15年ほど前のWRCは日本車による日本車のためのイベントだった。トヨタ・スバル・ミツビシが帝王ランチア(デルタ)に挑み、これを凌駕し我が世の春を謳歌し、また当時のレギュレーション(グループA)故に、ラリーカーをデチューンした公道モデルもまたよく売れた。てか、この「市販モデルが売り出せるし、実際よく売れた」とゆーことが日本車優位の原点だったわけで、つまりはルマンのポルシェ956同様「吊るし」の状態でもラリーを戦える、しかもポルシェよりも相当安価で、ラリーのラの字も知らないようなおとーさんですら買えちゃうって、ある種異常な状況だわな。高品質でもパーツ価格を抑えられる日本独自の系列企業制ありきのラリーカー開発がなせる業で、欧州企業には逆立ちしたって到底出来ない芸当だった。そういった日本車の追い風(ミツビシの場合は電気式アクティブ・デフ)を目一杯うけてトミ・マキネンは1996年からWRC4連覇して一時代を築いた。そんな時代のラリーカーを、老舗イクソが今やミニカー素材としては風前の灯火状態のダイキャストでリリース。まあ、グループAラリーカーとして一時代を築いたマシン故に様々なカラバリが作れること前提のダイキャスト金型であるわけだが、内装もバッチシでさらに隠しタバコデカールも付いて定価4500円はかなりお安い(実際は量販店割引でもっとお安いのがフツーだし)コイツを見ちゃうと、企業ロゴ使用のロイヤリティとか素材価格の高騰とか色んな要因はあろうとは思うがレジン並みの価格帯に移行しつつある他社は一体何様だ?と思ってしまうわけで、今年まだ残り半分あるけど、もしもミニカー業界で公的にコストパフォーマンス部門ってなもんがあるなら文句なしにナンバーワン決定っつーくらいコスパが高い「買い」のモデルだと思うわ。
2013.06.30
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今はどこぞのバカチビタレントの話題で喧しいが、ちょっと前には「著しい不品行」があったってことでジャリタレのなれの果てが事務所クビになったっちゅーのがちょっとばかし話題になった。いったい不品行っつーのなんなんだ?ってなことで。そのころネタにしよーと思ってたんだが、今となってはあ~あ~そんなハナシもあったよなぁ程度の記憶しか残ってねーよな、きっと。つか、このクルマのハナシ自体も、多分あ~あ~そんなこともあったよなぁくらいの記憶しか残ってないかも知れん。まさに光陰矢のごとし。hpiレーシング1/43 トヨタセリカGT-Four "1995ツールドコルス"#1 ディディエ・オリオール 1993年、1994年とWRCマニュファクチャラータイトルを制覇したトヨタ(TTE)は、3連覇を目指して1995年にブランニューST205を投入したんだが、95年シーズンはライバル車の熟成が進み、またエンジン出力抑制のためのレギュレーションが強化され(吸気制限)たこともあって苦戦が続く中、やっとこさ(シーズン唯一の)勝利をあげたのが第4戦ツールドコルス。ところがシーズン終盤(第7戦カタルーニャ)にTTEの内部告発によってセリカのエアリストリクター違反が発見される。走行中に規定量以上の空気がエンジンに流れ込むようエアリストリクターに細工を施したものだが、エンジンを始動して負圧がかかった時のみリストリクターがスライドするようになっており、つまりは静止単体状態で行われる車検では発見されないように意図したことが悪質と判断され、95年の全ポイントはく奪と翌年の参戦禁止処分の重いペナルティ。絶え間ない努力で勝ち取ったと思われていたコルスの勝利もこうなってはキナ臭い。 シリーズの活性化のためには一社でも多くの参戦が必要なはずのFIAによるトヨタ閉め出しは、結局のところ日本車ばっかりが参戦して活況を呈することがイヤで、欧州車がチャンピオン争いをする中で時折日本車が勝つのは活況だが、常に日本車がチャンピオン争いを繰り広げるのは活況ではない、とゆー判断なんだろう。(多分ランチアあたりが同じことをしたとしても、そのレースリザルトから除外する程度の軽いペナルティで済んだんじゃねーか?)しかしながら、そうしてトヨタを排除しても、ざっくり言ってセバスチャン・ローブの登場まで日本車中心のWRCが続いていくのは皮肉なもんだ。 そんなこんなだからかミニカーに恵まれないST205セリカ、このhpiにしたって「出しますニュース」から2年も経ってようやくの発売だ。別に造形的に難しいところとかあるわけもなく、要はトヨタが忘れたい黒歴史を思い起こさせるアイテムだから、モデル化になかなか首を縦に振らなかった、そーゆーことだろう。そう邪推すると、今後のバリエ展開も再発売も期待できない奇跡の一台ってことになるかも知れんな。
2013.06.01
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本格的な夏到来で、ド古い建て屋で密封性が悪く冷房が効きにくい上に節電節電で高温多湿な仕事環境ですでにバテバテであるが、ミニカー業界も酷暑に夏枯れ状態っつーか、先月あたりからどーもピタっとハマるアイテムが出なくて食傷気味。それはそれでおサイフに優しいからいいんだが、そいじゃあタダでさえ放置プレイのブログがちっとも更新しねえなあと思ってたところに、飛んで火に入るなんとやらで、はるか昔に予約してたのがドンピシャのタイミングで出てきた(^^)hpiレーシング1/43 ランチアデルタHFインテグラーレ16V “1989サンレモ DNF”#5 ディディエ・オリオール 今更説明もいらないほどグループA統制下のWRCで勝ち続けたランチア大帝国の覇者デルタ。それでも、一般生活では殆んど必要ない機能満載のホモロゲカーが死ぬほど売れちゃうってゆー常識外れの国からの攻勢で、アップデートを余儀なくされた1989年最終戦サンレモに遂に登場したブランニューマシン(だが結果はリタイア)。デビューから数えて第3世代のデルタは16バルブヘッド搭載のために大きく膨らんだエンジンフードが特徴。。。。なんだけど、それよかこのラリー唯一戦のみで姿を消した赤ベースのマルティニカラーが「買い」の一番要素だろう。 翌年の開幕モンテカルロでは、いつもどおりの綺麗だけど面白味のない白ベースに戻されちゃって、「幻の」扱いされてる赤マルティニ(モンテで白に戻されちゃったから実車も残ってない)だが、当時のチームマネージャーのよれば、16V待望のデビューを記念して赤車体にしたんだが、マルティニに事前連絡せずに「どうです?いいっしょコレ」ってフタを開けてみたら意に反して「なんじゃこりゃ(-_-;)」ってすこぶる評判が悪く、スポンサー様のご意向でモンテからは白ベースにせえやっつーハナシ。ここらへんはラリーアンドクラシックス第5巻「ランチアの矜持」に詳しいが、じゃあなぜ「なんじゃこりゃ(-_-;)」だったのかまでは記されてないんで想像するに、過去には銀地のマシン(ポルシェ917)だってあったんだから赤地だっても別に問題にゃならんはずで、まさか事前連絡なかったからへそを曲げたっちゅーよーなガキの理由でもないだろうから、マルティニといったら青紺赤のストライプ、このストライプってのが曲者で、赤マルティニはどうみたってストライプじゃあないもんね、そこいらへんがお気に召さない要因だったんじゃねーかと思うんだがどうじゃろね。 まあスポンサー様がお気に召さなくとも、いや、だからこそ、なのかもしれないが、マニアにゃ圧倒的人気の赤マルティニだから、こっちもついついアツくなって(^^ゞhpiレーシング1/43 ランチアデルタHFインテグラーレ16V “1989サンレモ 優勝”#1 ミキ・ビアジオン 日本車の台頭で、安穏と王座に胡座していられなくなった1989年のデルタだが、このサンレモでも状況はそれ以前と似たようなもので、セリカに圧倒的大差をつけられて2位キープかと思われた最終ナイトセクションだが、ドライバーの地力なのかそれともチームがマシンになにかやったのか(リストリクター径の改ざん?)ビアジオンの爆走につぐ爆走で、それまでの大差をひっくり返しまさかの大逆転優勝を演出したデルタのまさにそのナイト仕様を再現したhpiウェブ限定(といーながら、市井のショップでも売ってたし、そっちで仕入れた)の#1号車夜間仕様。やっぱ、実物目にしたら買っちゃうっしょ?ライトポッドだけじゃなくてちゃんとホイール違いも再現してて、さすが芸が細かいhpi。
2012.07.29
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ラリーのためだけに生まれたストラトスや037をもってしてもなかなか勝ち星に恵まれなかったサファリラリーのランチアだが、より市販車に近いグループAの時代に名機デルタでようやく初制覇した、そのデルタの3度目にして最後のサファリ優勝車。hpiレーシング1/43 ランチアデルタインテグラーレ16V #6 ユハ・カンクネン ストラトスに続いてこれまた名作の誉れ高いhpiのデルタなのに、ストラトスに比べて余りに市販車然とした姿のためか、あるいは日本車の台頭を退け続けた因縁から日本で不人気なのか、あまりバリエ展開に恵まれていなかったが、ついに一世代前のモデルをリリース。サファリ特装のアニマルガードやスプラッシュガードで武装してはいるが、スーパーデルタ(HFインテグラーレ)より狭められたブリスターフェンダーやリアウィングの廃止でとても市販車らしく、本来のグループAらしい佇まいの16V。現実には、ブリスターフェンダーが狭められたとかリアウィング撤去という「退化」じゃなくて、16Vのアップデートとしてフェンダーの拡大やウィングの新設した「進化」だったわけだが、ミニカー的にはその逆となったわけだが、超マッチョなスーパーデルタよりもデルタといったらこの若干控え目なエボリューションである16Vというファンも多いんじゃなかろーか?灼熱のサファリだから遮温のためのウィンドシールドは仕方がないけど、せっかくの内部再現が見えないところがタマにキズ、ではあるな。
2011.11.05
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ホビーショーネタが終わったら再びいつものペースで更新が滞っちまってるが、正直、未消化のミニカーがあれやこれやありすぎて、一体何からどーすればいーのかアワアワとお祭り状態なんである(^^ゞ買っとくとそれで満足して、箱から出して眺めてもいないってな状況で、写真すら撮ってなかったり。。。だもんで、新作っちゅーにはかなりトウが経ってるけどしゃあない、ま、先入れ先出しは在庫処分の基本だしね。hpiレーシング1/43 ランチア ストラトス#3 サンドロ・ムナーリ 今でこそラリーはシトロエンやプジョーのフランス車が席巻してて、イタリア車など影も形もないが、その昔にはランチアやフィアット、フェラーリ(!)までもが悪路に挑み、イタリア車がラリーの華だった時代があった。まさにラリーのために生まれ、幾多のレースで勝利の美酒に酔ったランチアストラトスだが、ついに栄冠に届かなかったラリーイベントがサファリ。欧州のツイスティなコース特性に合わせたエアロでショートホイールベースなストラトスだが、ツイスティどころかコース自体が閉鎖されてなく、ストレート区間が70km近くもあったりするサファリでは、そのデザインメリットが逆に災いしたか。サファリの優勝車を眺めてみると、意外と普通のクルマが勝ってたりするんで、奇を衒ったラリー専用車では荷が重いのかも知れないが、イタ車の優勝も他のイベントに比して少ないんで、単純にイタ車の信頼性の問題なのかも知れない。とにかく様々な新機軸でラリーに旋風を巻き起こしたランチアは、結局フルビアでもストラトスでも037でもS4でもサファリには勝てず、初制覇は1988年の(普通車ベースの)デルタまで待たなければならなかったのは、なかなかにエスプリが効いてる。 そんなストラトスの初期1975年のサファリに出場し、サファリでのストラトス最上位2位表彰台に滑り込んだ(っちゅーよりはやっとこさ辿り着いた)名手ムナーリの3号車。ストラトスといえばhpiってくらいど真ん中ストライクな造型で定評のあるhpiストラトスがついにグラベル仕様に衣替えして新登場。サファリ特別装備の前後のアニマルガードが雰囲気よく、さらにスペアタイヤの位置も後からバリエ展開してる屋根にのっけるバージョンよりもなんとなくカッコよか(^^)b地味な旧アリタリアカラーも、桜島1号みたいで(なんのこっちゃ)いーかんじなのよ。
2011.11.03
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ま~ナンといーましょーかね。後発ブランドとしての立ち位置獲得のために一念発起の金型制作、なんつっても業界に殴り込みをかけた割にはパッとしなかったCカーシリーズの結果にめげずに資本投下しといてよかったねえって感じ(笑)まさか、右肩下がりの経済に未曾有の震災が追い討ちをかけて、ここまで景気が底冷えするとは思ってなかったろうが、今となってはこの金型がある限りある程度の需要は見込めるからね。こうして新規にモデル興してもいいし(つっても重箱の隅状態だけど)過去商品のリメイクでもやってけるしな。hpiレーシング1/43 ランチアストラトスHF “1976 ツールドコルス WINNER”#1 サンドロ・ムナーリ 今更なんじゃかんじゃグダグダと書くこともあるまい、ってな訳でサッサと書いておわらせちまうのだ。ストラトスっちゃあ点けても点けてなくてもフロント4連装ライトポッドが定番だけども、こうして更地のフロントセクションもウェッジシェイプが強調されていいやね。とはいえ、そろそろこの毒皿も、次作のアニマルガードガッチリのサファリ仕様で打ち止めとすっかねえ。。。
2011.08.07
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なんつーかね、高い金出して金型作ったんだから、とっことん利用してやんべえ!的な発想はわからんでもないんよ。世の数多あるカラバリなんて全てこの発想が原点なんだし。ただ、この人のこの仕様は正直ハテナ?な部分が多々あるわ、今回は。 hpiミラージュ1/43 ランチアデルタHFインテグラーレ “1993 ツールドコルス”#6 アンドレア・アギーニ 前年よりランチア・ワークスが撤退し、カラーリングこそご存知白地にマルティニ・ストライプだったもののジョリークラブによる参戦に切り替わっていたデルタHFだが、そのマルティニすらスポンサーを降りていよいよ落日迫った1993年は、ある意味ジョリークラブ伝統のTotipカラーが復活。こじんまりと2台体制の1台はしかし、トヨタがオイル系をレプソルからカストロールに変更したがために泣く泣く移籍の憂き目にあったカルロス・サインツがここぞ!とばかりにレプソルカラーにリデザイン(緑のラインを濃紺に置換)したので、純Totipカラーはこのアギーニ車のみ。過去に037、デルタS4でTotipを出してるhpiだから、デルタHFでTotipがあるなら出さないほうが不自然。ドライバーがビッグネームじゃなくても(期待の若手ではあったが)そんなの全然無問題っつーノリでのリリースも、まあ良しとしようか。けど、アギーニを出すとゆーなら、まずマルティニカラーの1992年のサンレモだしょ?本人(現時点で)唯一のWRC優勝で且つデルタHF最後の優勝を記録したサンレモ。つか、デルタのラストウィンでアギーニの初優勝でもある、って云われ方がよくされるね。(アギーニ本人には大迷惑だろーねえ)だってTotipのデルタHFがどうしても出したかったんだよう!ってなハナシに納得するとして、アギーニ的見地に立つなら、んじゃ、どーしてコルスなんよ?と。予算縮小で全戦エントリーもままならず、たったの5戦のみの戦績の中で、わざわざリタイアしたコルスってのはねーんじゃね?ポルトガルじゃ3位表彰台でアクロポリスは4位だったんだからさあ、なしてそこを出さんのかね? 種を明かせば、今のところデルタHFはターマック仕様しか売り出してないし、93年のターマックラウンドは絵に描いたように全戦リタイアだったんだからしゃあねえじゃんっつーことなんだろうけど、車高調くらい今後のバリエを考慮してチョイチョイとやっつけちまってもよかったんじゃね?まあ、戦績うんちゃらまで拘ってるのは重箱の隅っつーことで、素直にTotipのデルタをわーい!と喜んどけばいーんでしょーけど。
2011.07.31
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ウチのミニカーコレクションの3大柱のうち、「ラリー」「Cカー」ときたら残るは「F1」となるはずで、実際タマもいくつか手元にもあるんだが、そっちよか出したいネタがちょこまかと発売されるもんだから、さて、F1はいつになることやら。。。イクソ(KB)1/43 スバルレガシイRS “1992 RACラリー”#20 パー・エクルンド 実のところhpiのレガシイよりも随分と前に発売アナウンスがあったものの、業界の慣例に従って開発スケジュールは遅れに遅れて、その間に後出しジャンケン大得意のhpiにまんまと出し抜かれたイクソ。実車の再現度はお世辞にも上等とはいえないイクソ(このレガシイは結構マトモに出来てるけど)だからこそ「速さ」だけが武器だったのに、それすらなくなっちゃ売り上げにもかなり影響あんだろ、元々日本じゃサッパリなラリーカーだしさぁ、とか余計な心配してたんだが、そこにはさすがに策士(国際貿易)が暗躍してたわけで(笑)今回発売は、(555、ロスマンズ、スバルCIとhpi商品と全てカブっちゃってるんだが、そこにはワールドワイドな展開をはかるhpiでは出来ない、国際貿易発信のよもやのタバコロゴ完全再現とゆーアッとビックリな隠し玉が用意されてた。もちろんイクソ自体はワールドワイドだけど、タバコロゴ全面オーケイという世界的に稀有な日本事情を逆手に取った日本国内流通分だけならいいじゃん!とばかりにタンポ印刷で対応したイクソの小回りにちょっと拍手(^^)とはいえ(555もロスマンズもhpiのが既に手元にあるし、ダブり買いするほどレガシイに思い入れはないから唯一カブってないクラリオンキャメル号にしてみた。超一流ドライバーとゆーわけでもなく、ましてや優勝したわけでもない(12位完走)マシンの発売に至ったのはひとえに、ボディ全体にこってりたっぷりとかかったキャメルソースに他ならないだろ。黄色っつーのは、ちゃんと白色で下地処理しないでダイキャストに直塗りするともう惨憺たるモンになっちまうんだが、これはかなりいい発色をしてるのが好印象(実物見て発色悪かったら買うのやめようと思ってたもん)。そして、なんか最近は自動車レースのサポートからはご無沙汰の「キャメル」そりゃ随分と散財して、んで、F1はじめどのジャンルでも大した戦績が得られなかったんだから、やめてもしゃあないと思うが、すっかり懐かしのそのキャメルが、タバコロゴなのにイギリス開催のRACでなんで堂々と?とよく見れば、「CAMEL」じゃあなくて「CAME1st」になってんじゃん。これ、模型ならではのインチキじゃあなくて、実車もそうなってんのよ。WESTタバコのスポンサードをうけながら、しっかりとWESTのロゴつけてルマンを走ってたマクラーレンF1GTRがあって、タバコロゴはマズイんじゃねーの?いやいやウチのメインスポンサーはWEST放送局だから!ってハナシがあったけど、それに匹敵するくらいウケる(^^)すくなくとも、マルボロのバーコードとかロスマンズのレーシングやらラリーイングみたいな能のないデザインよりはエスプリが効いてていいよね。
2011.07.30
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ここんとこ、かなりの更新遅れだが、別に他ブログで云われてるように目ぼしいネタがないわけじゃなくて、いろいろ買い込むための資金作りで連日アフター5から閉店までエヴァスロやってっから、どうにも帰宅してからモニター見る気力がわかないからだ(^^ゞ 世の中、活字離れは増す一方で、朝夕の通勤電車の中だって文庫本広げてるのは、一部のアナログ人間(と思しき連中)ばっかで、若僧や小娘は携帯にかかりっきりだ。こちとら携帯なんざ週に1回開くかどうかなのに。このコレクター趣味を充実させるために、流行の「断捨離」を実行してっからさぁ、知人友人とか下らない人間関係を断って、過去のしがらみを捨てて、浮世から離れる・・・って意味が違うって?これで定年退職したら、待ってるのは独居老人孤独の死だな、おい(爆)そんな時流のせいで、出版業界も岐路に立たされて、今までの形態のままで生き延びることが出来ないホンもいろいろ出てきている。我が敬愛するレーシングオン誌をかかえるイデア・三栄も変化を受け入れざるを得ず、しかして現状のレース業界の閉塞感からか、はたまた開き直りからか膨大な過去を掘り返すナイスな事業に精進はじめ、おかげでこっちはホンが増えていく一方だ。今月も、まるごと一冊ランチアという素晴らしいムック本「ラリー&クラシックス」が刊行された。そういうタイトルなんで、耐久のLCシリーズとかサーキット系はオミットされてんのがナンではあるものの、フルビア→ストラトス→037→S4→デルタと続く系譜を過不足なく、しかも廉価にまとめたホンはとってもありがたいわ(^^) そんなホンの発刊と歩調を合わせるかのごとく(なんかさぁ、そこらへんオトナの事情の匂いがふんぷんとすんだけどさぁ)ランチア神話の中核を成す名機がドカンと新発売である。 hpiミラージュ1/43 ランチアストラトス “1981年モンテカルロ 6位”#4 ベルナール・ダルニッシュhpiミラージュ1/43 ランチアストラトス “1981年ツールドコルス 優勝”#10 ベルナール・ダルニッシュhpiミラージュ1/43 ランチアストラトス “1981年ツールドフランス 2位”#2 ベルナール・ダルニッシュ 経営難からフィアット傘下に収まったランチアが、ストラトスをもって親会社を喰う活躍を続けるのを良しとしないフィアット上層部の意向で、ワークスの座をアバルト131に譲ったあとのストラトスは、しかし今度はプライベーターの標準装備としてラリー選手権を支え続けることとなり、ストラトスワークス時代からサテライトとして機能したいくつかのチームは優勝戦線にも踏みとどまる。フランスチームながらストラトスを使い続けたシャルドネの1981年は、ストラトスのホモロゲが切れるまでの最後の煌きを与えた(コルスの#10号車はストラトス最後の優勝車) モデルは、ストラトス決定版の呼び声高いhpiレーシング。 ミニカー・プラモどころかクルマ自体が売れないこんな世の中で、新規の商品開発がなかなか出来ない難局は、生み育てた孝行息子に恩返ししてもらう以外乗り切る手はないってなわけか、一般に旧金型を引っ張り出して再生産をしない業界にしては珍しく、あれこれ手を変え品を変え出してくるhpiであるが、まあ、そーゆー事情もわからんでもないし、むしろそうであれば中途半端な新商品を出してくるよか、パンダカラーとか滅多にモデル化に恵まれない珍車も含めオールストラトスをラインナップしてもらいたいもんだよね。
2011.07.17
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振り返れば年明けからこっち、殆んどオープンホイールばっか取り上げてんだけど、実際ハコ車は全くと言っていいほど買ってないんでしゃあない。興味を惹かれる商品がなかったわけじゃあないけど、正直F1の旧車よか購買意欲がわかなかったんだが、半年たってようやっとハコ車ラッシュが来たよ。(つっても、既発売品のカラバリだらけだから、やっぱ面白い興味を惹くブランニューはないわけだが) hpiミラージュ1/43 ランチアストラトス1977年モンテカルロラリー 6位#14 クリスティーヌ・ダクレモン もうミニカーコレクターの中ではど定番となってるhpiのストラトス。あと出しジャンケンのアコギな商魂だろーと、いいモノには自然となびいちゃうのが人情。WRCにて一時代を築いたストラトスゆえ、活躍できずに歴史の闇に埋もれてしまったプライベーターがまだまだ沢山ありそうだが、コイツは優勝はないものの有名な一台。クリスティーヌの名のとおりレース業界には珍しい女性ドライバーのモンテカルロ6位入賞車は、歯磨き粉メーカー“アセプトジル”のスポンサード。一見ショートケーキのよーな美味しそうなカラーリングは、実は健康な歯と歯茎をあらわしてんだそーだけど、白とピンクはわかるが健康な歯茎が真っ赤って、おのれは歯槽膿漏かい(笑)(まあ、下半分の赤はアセプトジルのっつーよりは、エッソの赤なんだろーけど)モデルの出来は、過去の売上げ実績が示すとおり現時点43スケールの中ではバツグン。当初は高めだと思ってた価格も、メイドインチャイナ神話の崩壊と同時に値上げの続く現在では良心的な価格になっちまったね。 けど制作費が高騰する一方の新規製品を開発するんだったら、その前にワークス・プライベーターひっくるめてのオールストラトスを出しちゃったら如何かね?
2011.06.25
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今よりちょっと前の時代。モータースポーツといえばタバコブランド、これがないと始まらないっつーくらいにいろんなタバコブランドを纏ったマシンがサーキットの花形だった。誰でも知ってる吸ってるマルボロやマイルドセブンにラークにキャビン、大人渋い黒金JPS、見るからにバタ臭いキャメル、タバコよりもむしろマシンのカラーリングでしか見た事ない(555などなど、まさに百花繚乱状態。そして忘れちゃならないブランドのひとつがロスマンズ。WECポルシェやF1ウィリアムズなどわりかし質実剛健なチームをサポートするブランドってイメージのロスマンズは、青白に金赤ラインのパッケージをまんまマシンにラッピングしてるんだが、その色使いのわりにはどのマシンも上品な出来映えで人気だが、中にはこりゃどー見てもカッチョよかねーなぁのハズレマシンもあるわけで。。。hpiミラージュ1/43 スバルレガシィRS “RACラリー”#21 コリン・マクレー 英国国内ラリーで頭角を現し、毎年自国開催されるRACラリーにゲストっつかワイルドカード的に参戦してたコリン・マクレーだが、1991年は栄えある英国チャンピオンの肩書きをひっさげての登場。国内レースでも使い慣れたレガシィRSをブン回しての豪快ドリフトは観客を沸かせるものの、ハイリスクハイリターンのドライビングは時々やりすぎてあっけなくリタイア(笑)それもまた「マクラッシュ」らしいけど。まぁ、チャンピオンも獲っちゃったし翌年のWRCフル参戦も決まってるしで、さほどプレッシャーもなくラリーを楽しんだ結果っつーことかも知れないが。その1991年RACラリーでのレガシィRSはロスマンズのパッケージを纏い、イングランド初冬の曇天を駆け抜けていったわけだが、正直、このカラーリングはどーなのよ。サイドビューに赤金ラインを回りこませるために中途半端な位置での線引き色分けで、なんかマシンのアウトラインがボケてるし。例えばフロント部分を白でリア側をブルーに塗り分けてその境界部に赤金ラインを引くとかさぁ。ミニカーとしてはヒジョーによく出来てるから買うんだけど、正直実車のデザインもうちっとなんとかならんかったかなー(-_-;)
2011.04.04
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ニュージーランド仕様が、スバル初優勝レガシィ初優勝(で最後の優勝)でマクレー初優勝のトリプルファーストウィンのメモリアルだから、モデル化するならこれっきゃないでしょ的アイテムなのはわかるんだが、じゃあこっちは何でモデル化されたんか皆目わからん。。。(-_-;)hpiレーシング1/43 スバルレガシィRS “1993ツールドコルス”#8 コリン・マクレー 1993年第5戦ツールドコルスをデルクール、オリオール、シャトリオー、サインツに次ぐ5位フィニッシュしたマクレーのレガシィRSなんだが、 別にマクレー初入賞でもなければ、レガシィ初ポイントでもなんでもなく、特に稀に見る激戦でもトップとのタイム差がコンマ代の接戦て記憶もなくホント何のメモリアルだか見当もつかんが、多分、オールターマックラリーのローダウン仕様もラインナップしたかったってことなんだろう。ま、フランス開催なんで「(555」が元々使えないスバルロゴ仕様がメチャかっちょいいから、理由はどうあれ無問題、熱烈歓迎ではあるけれど。や~地味なクルマだけど、いー味だあねえ。
2011.01.23
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濃紺シリーズ第2弾。かなり前からリリースアナウンスがなされた結果、メーカー曰く「初回で既にメーカー完売」とかいうわりには、ショップで全然平気に買える(笑)だからって、それが出来の良さをスポイルするわけでもなく、むしろヒジョーに良い出来のものが焦らずじっくり品定め出来るとゆー、考えてみればしごく一般的な販売状態にあることを喜ぶべき。ちょっと個体差があっても、現実にものがない!最後の1個!となれば若干目を瞑っても買っちまう。なんつっても売り切れ御免で再販しないってゆー慢性品薄状況がおかしいんだよ。hpiレーシング1/43 スバルレガシィRS#7 コリン・マクレー 大袈裟な空力パーツもなく、まるっきりの市販車吊るし状態の外観が魅力のグループAラリー。自分の乗ってるのとまんま同じクルマが豪快にぶっ飛んで滑り曲がってくその姿を眺めるのは至福の時だったろーし、その活躍を見て購買意欲も高まるって相乗効果がまだまだ約束されていた旧き良き時代のマシン。 先代レオーネの勇退をうけて1990年から参戦を続けるレガシィ最終年の1993年。ポテンシャルはあるがポディウムの頂点を逃していたレガシィが、コリン・マクレーという新進気鋭で粗さはあれどそれまでのドライバーとは一線を画す乗り手を得て、ついにポディウムの頂点に。トヨタのディディエ・オリオール、フォードのフランソワ・デルクール(懐かしい!)との激烈な巴戦を征して歓喜のシャンパンファイトにあびた第8戦ニュージーランドラリー仕様。つってもタバコだめよなオトナの事情で「(555」が三日月模様になって些か寂しくはあるが、そのうちデカールキャンペーンもやるし、ま、そこはしゃあない。。とかいーながら見つけちった。フロントウィンドシェードの向かって右側、ライセンス証?の下になってるロゴが「(555」のまんまじゃん(^^)vだからどーなのよってハナシだけどね。 単純なカタチなんで、どこのメーカーが作ってもさほど差が出ないのかも知れんのだが、全方位死角なしのhpiレガシィ唯一の難点は、黒色ステンレス鋼線を使ったルーフアンテナ。普通のステンレス鋼線に後塗装したんじゃなくて、黒染めのステンレス鋼線をちょん切ってるんで切断面がステンカラーに光ってるわけだ。だもんで、プライマー塗ってクレオスのセミグロ黒をチョチョっと塗るとより見映え良くなるぜ。~2021年3月11日追記~ 記事のクチコミテーマ変更再登録にあたって、キャンペンデカール貼り付け後の画像を載っけてみた。
2011.01.23
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日々、様々なカテゴリのレースマシンに手を出しては、あーでもないこーでもないと屁理屈をこねくり回して主に限定予算に起因する取捨選択を繰り返してる訳だが、どーにもこーにも予算や節度を度外視して、まるでパブロフの犬のように条件反射しちまうクルマがある。2000年以前のF1、Cカー、そしてストラトスからデルタに至るランチアラリーの系譜。hpiミラージュ ランチアラリー037#11 ファブリツィオ・タバトン 1984年のサンレモでベッテガのワークス(マルティニ)、ビアシオンのジョリークラブ(トティップ)に次ぐ4位でフィニッシュしたランチアサテライトでシャルドネと並び賞されるグリフォーネのラリー037。ファブリツィオの親父ルイジ・タバトンが興し、息子がドライバーを務めるプライベーターの雄。グリフォーネといえばデルタ時代の黒金エッソが有名だが、この紺黄オリオ・フォアットの通称「ティターンズカラー」(誰も言ってねえ)もなかなかよろし(^^)つか、マルティニ、トティップで考えられるマシン仕様の殆んどを作り倒した感ありありのhpi037だけに、ここがピンポイントと的を絞った塗り分けとデカールは気合が入りまくり。更にリアウィンドウから眺めるエンジンディテールも手馴れたもので、個体差はアンテナくらい、となれば買わないテはないじゃろ? んでもって、せっかくの「ティターンズカラー」(誰も言ってねえって)なんだから色繋がりで。。。 スケールはまったくもって合っちゃないが、ティターンズ主力量産機RMS-154バーザム改と。紺と黄色のコンビネーションで勝手に“ティターンズカラー”って命名したけど、直あわせてみると意外とコントラスト違うじゃん(^^ゞ
2011.01.16
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なんか知らないうちに集まっちゃってるアイテム、ってあるんじゃない?あるいは1個買ったが最後、矢継ぎ早に出るバリエーション展開を半ば執念半ば諦観で買い続けてありゃりゃこんなになっちまったい!的なアイテム、R32GT-R軍団だったり、ルマンのポルシェだったりするんだろうが、私的なそれはトヨタセリカ。トヨタ好きってわけじゃなく、むしろ嫌いなメーカーに属するトヨタのセリカなんだが、どーゆーわけか出ると買っちゃってる。同時期にはスバルもミツビシも同じフィールドで覇を競っていたんだが、トヨタに肩入れしてんのは多分、覇王ランチアデルタに挑み、あともう少しのところでいつも勝ちきれないトヨタだったからなんだろう。ミツビシだって苦杯を舐めた時期は当然あったが、どうも楽して連覇してるってイメージがあって判官贔屓の対象足り得ないってところだろうね。そんなセリカも気がつけばST165デビューからST185ラストイヤーまでの8シーズンのマシンが勢揃い。hpiレーシング1/43 セリカGT-Four#5 ケネス・エリクソン1988ツールドコルス6位(ST165デビュー戦)hpiレーシング1/43 セリカGT-Four#1 ユハ・カンクネン1989オーストラリア優勝(ST165初優勝)hpiレーシング1/43 セリカGT-Four#3 ビョルン・ワルデガルド1990サファリ優勝hpiレーシング1/43 セリカGT-Four#2 カルロス・サインツ1991ツールドコルス優勝hpiレーシング1/43 セリカターボ4WD#8 カルロス・サインツ1992サファリ優勝hpiレーシング1/43 セリカターボ4WD#1 カルロス・サインツ1992ツールドコルス4位hpiレーシング1/43 セリカターボ4WD#3 ディディエ・オリオール1993モンテカルロ優勝hpiレーシング1/43 セリカターボ4WD#1 ユハ・カンクネン1993サファリ優勝 hpiレーシング1/43 セリカターボ4WD#1 ユハ・カンクネン1994モンテカルロ2位hpiレーシング1/43 セリカターボ4WD#3 藤本吉郎1995サファリ優勝 固定ライトやリトラオープン、補填ライトの有無、車高の違い、ホイールの違いなどなどひとつとして同じ外観のないhpi製セリカシリーズ。 この、ものの売れない時代に一念発起、高額なダイキャスト金型を起こして一気呵成の攻勢に出たhpiレーシングだが、充分モトは取れたんでないかい?オーラスのTTE痛恨の鬼子ST205が「ミラージュ」ブランドのレジン製ってのが、画竜点睛を欠いてるけど、あれはバリエ展開が見込めないし、まあしゃあないか。。。以前ほどレジンに対して違和感ないしな(^^ゞ
2010.11.12
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さて、前回から思わぬ時間が経っちまったが、ホントは連続して一気にやっつけたかった一台、これまた「ラリーアンドクラシックス」新刊にタイミングを合せるかの如きバーゲンセール(^^)どーも、売り方が憎いね、このぉ(笑)hpiレーシング1/43 ランチアラリー037#1 バルター・ロール/クリスチャン・ガイストドルファー 時は1981年、それまで1から8までの数字で区分けしていたレギュレーションをアルファベット(AからFとNとT)に改め、主にグループ4車輌で競われていたWRCは生産台数とベース車輌の改造範囲を大幅緩和したグループB規定で競われることになった。この規制緩和は、オイルショック以降WRCから離れていたカーメーカーをラリーに呼び戻すのに非常に魅惑的であり、事実グループB発行以来、各国のカーメーカーがこぞってWRCに参戦し隆盛を極めることになるのだが、そのグループBへの移行は段階的に行われ、まず1982年は旧グループ4車輌との混走で、完全移行はさらに一年後の1983年から。そのグループB元年の開幕戦モンテカルロを征した歴史的な一台がバルター・ロールの037。普通、開幕戦を征したものがチャンピオンシップを有利に戦い戴冠に到る確率が高いもんなんだが037は2位アウディに僅差でマニュファクチャラーズタイトルはものにするものの、ドライバーズタイトルに関してはハンヌ・ミッコラに大差をつけられて2位に甘んじる。勝利数はランチア・アウディともに5勝とイーブンだが、ことドライバーベースで見れば、ロール3勝ミッコラ4勝とこの差がタイトルを分けた。ラリースペシャルな037に対して、あくまで量産車ベースであり続けるアウディの唯一といえる4WDクアトロシステムが他のネガティブ全てを凌駕した形であろう。リアミッドシップエンジンと後輪駆動というストラトスの実績を踏まえ、より洗練進化させた037のレイアウトはターマックでは圧倒的だったが、グラベル・雪上・氷上とステージを選ばない4WDの汎用性は瞬く間にグループBを席巻していくことになるんだが、この年は後輪駆動でもまだ勝機はあり、そこをきっちり勝ちきったランチア、チームとして一日の長あり、である。hpiレーシング1/43 ランチアラリー037(EVO2)#1 ヘンリ・トイボネン/ユハ・ピロネン ものごと始まりがあれば終わりがある。 狂熱のグループB時代の殆んどをリアミッドシップ2WDターボで乗り切ってきたランチアもついにリアミッドシップ4WDへの移行を決め迎えた037のラストステージ、サンレモ。マシンは排気量を2.2リッターにスープアップ、ボディ材変更により軽量化も実践してEVO2と呼ばれる進化を果たしてはいたが、連戦の疲労色濃く残るシャシーは最初から捻じ曲がり直進すら難しい状況で、有終の美ともいえる3位フィニッシュにもっていったのはひとえに若武者トイボネンの才能。その後、怪物デルタS4を得て輝かしい未来が示されていたはずだったのに。。。EVO2(右)といっても外観上の差異は殆んど見受けられない。唯一の違いは軽量化の一環で外されたリアバンパー。デルタS4へも継承される。 とゆーことで、ようやく先々月の分が終了。酷暑のシーズンもやっと過ぎつつ、ちょっとペースアップをはからんとあかんね。次回は、白いのにするか黒いの?赤いの?赤白?それとも紫?ネタは山ほどあるんだが、こーゆー風に内圧かけていかないとね(笑)
2010.09.08
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禍福は糾える縄の如し、とか。 怒涛のミニカーラッシュ(結局、総勢17台だよ)の殆んどを、エヴァスロ儲けで切り抜けた夏。いつかどっかでその揺り返しがやって来るんだろうなぁと漠然とは思っていたのだよ。それがまさかエヴァスロで大敗とかってんじゃなくて、体調に来るとはお釈迦様でも気がつくめぇ。いや、スロットで負けるってのはある意味予定調和だから、君子危うきに近寄らず。やらなきゃ全然予防出来る訳で、それは揺り返しじゃあないんだな、きっと。でだ、つい10日ほど前、朝会社に行こうと思って、ウチは最寄り駅まで延々と下り坂なんだが今日も仕事はテキトーにアフター7でエヴァに全力とか思って、ホクホクと歩いてたらなんか唐突に右ヒザが痛えんだよ。そいえば、何日か前にヒザぶっけたよなぁ、やだねー歳とるとさ、すぐに出なくてとか思ってそこらへんにあった湿布を貼っといたんだが、ちっとも好転しない。どころか湿布にまけちまって貼ったところが軽度の低温やけど状態で真っ赤っか(-_-;)痛いんだか痒いんだか、まさに踏んだり蹴ったり。(と、前から思うんだが「踏んだり蹴ったり」ってアクティブだよねえ。本来は「踏まれたり蹴られたり」が正しい表現じゃないかと。。。ま、どーでもいいけど)一晩寝ると若干痛みは好転するんで、次回の休日まで足を引き摺り引き摺り誤魔化して、やっと病院行ったら、ヒザを曲げ伸ばしする腱が炎症おこしてるんだそーで。しかも打撲か関節炎かと思ってヒザに湿布貼ったのに、病根はヒザでもなんでもなくてもっと下の脇のほうで、ヒザ頭のかぶれはてんで必要のないもんだったOrzで、痛みは注射一本でウソのようになくなったんだが、結局早めの養生が肝要ってわけだね。 そんな足の状態でもミニカーが入荷したっていやぁすっ飛んでいく訳だが、新品に混じってこんな上物がタイミングよく叩き売り(^^)まさに、禍福は糾える縄の如し。hpiレーシング1/43 ランチアデルタS4#7 ヘンリ・トイボネン/セルジオ・クレスト 三栄書房から「ラリーアンドクラシックス~よみがえるグループB」が出版されるタイミングでグループBの代表格S4の叩き売り、お世辞にも万人受けするとは言い難いS4の在庫処分、テンチョの見事な作戦に、もんどりうって引っ掛ったね(笑) 1986年開幕戦モンテカルロを征した若き才能ヘンリ・トイボネン。ターボをスーパーチャージャーの併用で暴力的なまでのパワーを誇るじゃじゃ馬S4を御せる才能もこのモンテでは努力の人。リーダーで迎えたラリー2日目、唐突にコースに飛び出したギャラリーのクルマに激突、大破。シャシーはひん曲がり、サスもステアリングも外れたマシンをメカニックは必至に修復したったの39分で再び戦場に送り出す。その後もタイヤバースト、タイヤ選択ミスとトラブルのオンパレードで、ついに2位に後退。再びトップに戻るためには、アイスバーンをドライスリックで走りきる大ギャンブル。何度も壁に接触し、それでもコースに留まり続け、遂にトップを奪い返し自身3度目の優勝。これまた、禍福は糾える縄の如し。しかしこのポディウムの代償がツールドコルスの悲劇っていうのは、なんとも間尺に合わないよね。やっと世界と戦えるマシン(しかも他の誰もが手なずけられなかった)を手にし、これから幾度もポディウムの真ん中に立つだろう若き才能が、たったの3勝で全てをなくすとは。 デルタS4。 ターボとスーパーチャージャーで武装し、たったの1.8リッターで400馬力を発揮するエンジンをリアミッドに積むランチア初の4WDは、まさにトイボネンのためのマシン。速く走るためならリアのバンパーなんて必要なしと割り切った純ラリーマシン。ゆくゆくはS4エボリューションへ進化し、真の名車となるべきS4はトイボネンの死によって翼をもがれ、その血脈はデルタインテグラーレへと引き継がれていく。。。
2010.08.29
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知らん人には、なんのこっちゃかまったくわからんタイトルかね?いずれも「ガンダムW」登場のMSで、攻撃特化型と防御特化型のMS。まあ「泣いた赤鬼(浜田廣介)」ってタイトルでも、何だったら床屋の回転灯でもいいわけだが、要は赤と青の対比であればいいわけで。コイツは「出会い頭」っちゅーわけじゃなく、前から売れ残ってるのは知ってたんだけど、つい新作のほうに資金を回して、ショップ行く度に「まだ残ってんな」と確認してホッとするって具合で、なかなか心臓に悪い状況だったわけだが、こないだスロットでバカ勝ちしたのを契機にようやく手元にやってきた、とゆーわけだ。 hpiレーシング1/43 ランチアストラトスHF#6 ベルナール・ダルニッシュ もはや説明の必要もないほど完璧で死角のないhpiの出世作ストラトス。真紅の#6号車は、ランチアワークスじゃなくフランスディーラー(プライベーター)チーム「シャルドネ」のマシンで1975年ツールドコルス優勝車。ランチア連覇を賭けた75年シーズン終盤戦。アルピーヌの追撃をうけるランチアは、ここで勝てば!の天王山で名手サンドロ・ムナーリとラファエル・ピントの必勝体制ワークス2台がまさかのリタイア(゚o゚)唯一残ったシャルドネに、ランチアはワークス・プライベーターの垣根を越えて完全サポートし、その期待に応えてダルニッシュは自身二度目のコルス制覇。最終戦を待たずにランチアのマニュファクチャラーズタイトル連覇の重責を果たした記念碑的な赤シャルドネは、その後黒く塗られてブルーノ・サビーが仏国内選手権で愛用したあと、さらに白ピンクに塗られたりしたが、現在はオリジナル赤に完全リストアされて現存。 ランチアのタイトル死守の重責を果たしたスーパーサブ、ダルニッシュが再びレジェンドとして語り告げられるエピソードは1979年、雪のチェルニ峠。燃料が合わずマシン調整に手間取り出遅れたストラトス。優勝には絶望的な6位で最終日のチェリニ峠越えを迎えるが、ここで徹夜でエンジン調整に成功したストラトスは息を吹き返し猛然とラッシュ。~今宵のチェリニ峠は君のためにある~スタート寸前にセッティング出しに成功した徹夜明けのメカニック、クラウディオ・マリオーリがスタートに向かうダルニッシュにかけたと言われる名言。その言葉どおり、終わって見れば首位131アバルトに6秒の差をつけ大逆転。この年、すでに親会社フィアットの意向でワークス参戦を見合わせたランチアストラトスのこれが結果的に最後のWRC優勝となった。その時のマシンが↓hpiレーシング1/43 ランチアストラトスHF#4 ベルナール・ダルニッシュ これは、ず~っと前、出たときに買った「シャルドネ青」今回のネタにあわせて久々の登場。 ストラトスといえばアリタリアカラーが定番、なんだろうけど、何かいま一歩ドラマないよねぇ?(こっちが知らないだけかもしれないけど)それに比べてストラトスエピソードのワンツーを持ってるシャルドネ侮り難し(笑) やっぱ、いーよねーストラトス。現代まで夜間走行にはライトポッド必須だけど、どのマシンも後付け感ミエミエで、ここまでボディと一体化してんのはないね(つか、最初にポッドありきで、ポッドないほうがマヌケ)あとは白サンレモとアリタリア極初期型(なんかタイガーIみたいだ)があれば一応揃うかな~揃えようかなぁ~(^^)
2010.07.16
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ペトロナスSC430とST185×2で7月の予定購入品は打ち止め。こっから先はイレギュラー。実店舗でネットで、様々な局面での「出会い頭の一発」的な第一弾は、再販なったST165。今年のニュルンベルグのトイショーだったかその前だったか知らんが、欧州のほうから「なんで(こっちで)出さないの?」とさんざっぱら文句言われ倒したらしくて、大至急で再生産した、と。だったら国内だってもう一度売るかぁ?ってなもんで。ST185の横でひっそりと売られてた。hpi・racing1/43 セリカGT-Four#1 ユハ・カンクネン/ユハ・ピロネン 前回のカストロールST185と同じカンクネンとピロネンのユハ・コンビのクルマ。1989年の第10戦オーストラリアラリーのウィナーでこの年はこの1勝のみで年間3位。ってくらいのことしか書くことないよなぁ、いいかげん(笑)4台目だもんなー、ST165も。んじゃ、特にイベントにもドライバーにも思い入れはないのに買ってしまったのは何故かといえば、ひとえにそれが1989年モデルだったから。何の気なしに1990年サファリを手にしてから結局、出るもの出るもの買い足して、逃したのは極端に生産数が低かった1989年のみ。8月発売の1993年コルスのオリオール車も予約済みだし、となるとWRCセリカの歴史ですっぽり抜けてるのは89年のみって状況は、コレクター魂に痛烈に反するわけでキモチ悪い(笑)そゆこと。(なかったことの)ST205は、まぁ商品化されることもないだろうから、クロニクル完成まであと一台。揃ったらばまた「一気通貫」だなや(^^)
2010.07.04
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6末新製品ラッシュも残りわずか。景気底這いの昨今、新規金型投入による新製品も他に転用が利くよーなアイテムじゃないとなかなか企画が通りにくい、とゆーことを如実にあらわすよーなこの新製品。普通は、ある程度インターバルを置いてからカラーバリエーション展開を計ったりするのにすぐにでも資金回収したかったのか、まさかのカラバリ同時発売。hpiレーシング1/43 セリカターボ4WD#1 ユハ・カンクネン/ユハ・ピロネン TTE代表オベ・アンダーソン夫人デザインによるシャープな赤白ST165を、よりグラマラスな曲線基調へ変化したST185にあわせてブラッシュアップした通称「ちちうしセリカ」はデビューイヤー92年にいきなりドライバーズタイトルを獲得。しかしながらメーカーとしてより重要なメイクスタイトルは宿敵ランチアのもとへ。そこで冠スポンサーに過去からトヨタに縁の深いカストロールを迎え磐石の体制を敷き打倒ランチアを目指した93年は年間7勝(うちカンクネン5勝)で悲願のメイクスタイトル獲得しカンクネンもドライバーズタイトルに輝き、トヨタ栄光のダブルタイトル。開幕モンテを不本意な5位フィニッシュで終え出遅れた感ありありカンクネンの分岐点となった第3戦サファリをモデル化(つってもホントにちちうしのカラバリで、実車もそうであるのかイマイチわからんが。。。)かなり入り込んだ赤緑のカストロールデザインを、hpiの代名詞であるフルタンポ印刷でかくも鮮やかに再現。ミニカー的見映えもインパクト高く、まさにセリカ決定版、と断言してもよいのでは?購入時のチェックポイントとしては、毎度お馴染みアンテナに加えてアニマルガードの金網とリアマッドガードの取り付けに個体差がありそう。
2010.07.01
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どうやら世間はラリーよりもルマンがお好きなよーで、ミニカーブロガーの話題は全部トヨタGT-One(TS020)が独占しちゃってて、ペトロナスSC430同様まったく話題にもならない。前例から売れると踏んだか、けっこうリキ入れて数作ってんのにな。hpiレーシング1/43 セリカターボ4WD#8 カルロス・サインツ 4年の長きにわたり戦い続けたST165の後継として1992年からトヨタの大看板を担うST185セリカは、ラリーでは致命的とも思えるそのひとまわり大きくなったボディのわりには戦闘力が高く、デビュー戦モンテカルロでいきなり2位、ポルトガルの3位をはさんで迎えた第3戦サファリは横綱ランチアデルタを52秒後方に押さえ込んで堂々の優勝。その後ニュージーランド、カタロニア、RACでも勝利してデビューイヤーにしてサインツを2度目の王者に導いた。カラーリング的には全っ然速そうに見えないんだけどねー(^^ゞそのST185初優勝のサファリ仕様をhpiが商品化。渡河時にエンジンが死なないように上方排気としたエキゾーストやアニマルガード、室内温度上昇を抑える断熱フィルムなどサファリ独特のフォルムを完全再現。こんだけやっても話題にならんのは、結局ラリーがクルマ対クルマのガチンコ勝負じゃなくて特にテレビ的にはドライバーテクニック披露の場にしか見えず、素人受けしないからだろう。まぁST185自体、シャープなST165に比べてモサ~っとした印象で人気がないのかも知れないが。。。いずれにせよ個人的にベタ褒めなST185が、ちっとも売れないのはちょっと残念だなぁ(-_-;)
2010.06.27
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5日ぶりの更新には理由がある。事前の予想通り、見事にEVA廃人だったわけだ(笑)連日「破Ver2.22」を見終わると、あとはおねんねの時間っつーわけでな。劇場の2.0からどう変わってんのかと思ってたんだが、そもそも劇場1回しか観てねーんだから違いもへったくれもわかるわきゃないわな(^^ゞま、目的不達成はともかくも、DVD払った分の元は全然取れたんで結果オーライね。つーわけで、通常営業(つか、元々はアニメ・フィギュアメインだったはずだがね)に戻って5月発売購入品のオーラス。hpiレーシング1/43 セリカGT-Four#2 カルロス・サインツ まるっきり新規新発売ってわけじゃなく、高い金出して金型起こしたんだからあれもこれも作って減価償却するんだよっ!的なバリエ商品。メーカー本体が、不況の間は極力レジンでしのいで、好景気になったらダイキャストに精進するって宣言してる以上、ダイキャスト商品だってだけで御の字だって喜ぶべきなのか。。。つか、逆説的にバリエが期待出来ないクルマはダイキャストでの商品化は難しいってことだ。。。ヤレヤレ(-_-;) そんなhpiレーシング3台目(シリーズ5台目)のセリカは1991年ツールドコルス優勝車。操るは、イル・マタドールこと西班牙の英雄カルロス・サインツ。なんの追加装備もない素のボディがいーねえ。前回、同様の89年オーストラリアを買い逃してるだけに。(正確には固定ライト仕様なんで、リトラクローズドの今回とはビミョーに違うけど) 91年のサインツは、チャンピオンのランチア・カンクネンと同数の5勝するも、入賞回数の差で僅差のランク2位に泣いたかたち。どうもサインツつかTTEには詰めが甘いところが多々あって、たとえトップを快走中でも最後まで大丈夫なんかいな?とゴールするまで固唾を飲んで見守り、終わるとどっと疲労感(笑)あ~懐かしいことよ。 現状赤いスクエアのタバコマーキングは、来月にはキャンペーン始まるんで各自ドレスアップってなことで、当然応募はするが実際貼るかどうかは正直ビミョーなハナシで。勢揃いhpiセリカ。奥から、ワルデガルドのサファリ(90)、ビアシオンのコルス(88)、サインツのコルス。三者三様いや三車三様の面構え。あらゆるライトフル装備、固定ライトに6連フォグ、そしてリトラ全閉。お、そーいえばIXOのもあったんだっけか。プラス、サインツのモンテ(91)これだけあって全部顔つきがちゃうのはコレクター冥利につきるね。
2010.05.30
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先週末、ネット世界に数多存在するミニカーサイトのごく一部で、同じ題材についてのネタを一斉にアップしようってな催しがあった。その題材は「トヨタ・スポーツ」40を越える参加者が思い思いのクルマ(ミニカー)をアップしてるのを覗いて見てまわったんだがその殆んどがMR2とか2000GTといったロード-カーで、私的に「スポーツ」という語感からセリカWRCとかSC430などのレースカーが多々ラインナップされんだろうってな期待はものの見事に裏切られた(笑)まあ、トヨタでレースカーってイメージが元々希薄なのか、それとも今は閉鎖しちゃった某サイトで一時期議論沸騰した「レースカーなんざミニカーの邪道、ロードカー収集こそが王道」って主張のロードカー至上主義がやはりコレクターの大多数だからなのか。。。いずれにせよ、そんな状況だからどこともダブることがなくてラッキー(^^)v悠々とあとだしジャンケンである(笑) ビテス1/43 カローラWRC#5 カルロス・サインツ/ルイス・モヤ ST205セリカのエアリストリクター不正行為の制裁(出場停止)があけ、WRCへ再参戦を開始したトヨタチームヨーロッパが選んだのはスペシャリティでもラグジュアリーでもない、大衆車の「カローラ」といっても、それは外観のベースと欧州販売戦略上の名前であって、その実はFIAにごり押ししたセリカ4WDターボをまるごと移設した(スーパー)カローラだった。本来は、車種ラインナップに設定されているエンジン駆動系しか使っちゃいけないという規定を同一メーカーのエンジンなら使用したっていいじゃんか、と泣きつかれて、メーカー系エントリーが減少傾向だったFIAは仕方なくそれを承認し、鳴り物入りで登場のカローラだったわけだ。確かに狭くツイスティなラリーコースに、大柄でロングノーズショートデッキのセリカでは時代にそぐわないことは明白だったわけで、ハッチバックスタイルへの移行は至極当然。 コンパクトなボディのカローラは、「カローラ」っていう日本での言葉のイメージとは裏腹に意外にも善戦し(そりゃプロのラリー屋なんだから勝算なきゃ投入などしないよな)復帰2年目の1998年には、カルロス・サインツがランエボVのトミ・マキネンとチャンピオン争いを演じ、最終ラリー・オブ・グレートブリテンの最終日ゴール直前の300メートル手前までは9分9厘チャンピオンをその手にしていた。ラリーGBをランク2位で迎えたサインツは、ランク首位のマキネンがラリー初日早々クラッシュで戦列を離れたのを尻目に快走を続け、あとはゴールするのみのそのゴール手前残り300メートルでエンジンが息絶えたそのマシンがこれ↑。 今はなきビテス製で、これまた今はなきMr.クラフトで叩き売り800円で仕入れたもの。出来はまあまあ、現代のixoにも受け継がれてる品質レベルだけど800円ならOKっしょ? ビテス1/43 カローラWRC#6 ディディエ・オリオール/デニス・ジロウデ さらにもう一台。これまたクラフトで叩き売り800円。同1998年のフィンランドラリー4位入賞のタコあたま(笑)ことオリオールの6号車。これまたixoレベルだけれど、この2台の何が素晴らしいってボディサイドのカラーリング。英国(グレートブリテン)で思い出すのが雨が多いイコール傘の絵。フィンランドはもちろんタイガだから針葉樹林をモチーフにってな感じ。他にもニュージーランドやオーストラリアは確かキウイやらカンガルーの絵柄だったしこうした遊びがあるのが余裕があるよーでいいじゃん。そうやろうって考えたTTEも、んでもって、じゃあ全部再現して売っちゃろう!ってビテスも。ある意味一番いい時代だったかもね~。
2010.04.19
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ウチの会社はヘンテコで、社員を無理矢理休ませる。しかも前日も夕方になってから唐突に上のほうから“休め指令”が出る。要は、有給取得率100%維持っつーか年度末に有給余らせるな、ちゃんと社員のことを気づかってて休みやすい職場です、を装えってこと。まったく大きなお世話だ。有給は計画的取得をって習わなかったかよ?急に休めたって何の計画も立たんだろーがよ。とはいえ、いえ、人手も足らんし出勤します!ってほど意欲も体力もないんではぁさいですかと休むんだが、今回はたまたまグッドタイミングで。 hpiレーシング1/43 セリカGT-Four #5 ケネス・エリクソン 先月発売のバリエーション商品、セリカGT-Fourの1988年はデビュー戦6位入賞のエリクソン5号車。前作サファリのアニマルガードごちゃごちゃ仕様とは違うプレーンボディに6連ライト、タバコ問題も関係ない完成された商品(笑)そんな魅力満載で完売続出、まさかの争奪戦である。たまたま今日が休みで、エブロの新作が出揃ったんでショップに受け取りに行って残り3個に間に合ったわけで、その時点ですでに同時発売の89年初優勝カンクネン車は完売。そーゆー話を聞いちゃうとさ、サファリは手にしてることだしさほど熱心じゃかったのにレジに持ってちゃうのがコレクターの性(^^ゞま、そんなコレクターアイテムが貯めたポイント併用でたったの364円。いや~いい買い物だったな。 しっかしね、クルマの魅力云々以前に生産数が少ねえんだよ、基本的に。800って何だよ(-_-;)サファリ瞬殺って前例があって、売れるとわかってんのに、バカじゃないの?イケイケドンドン拡大路線がここへきて大幅生産数ダウン。一体何が?っつーと、どうもR32が原因らしい。購買サイドのウケが良かったR32シリーズなんだが、あれかなりショップ泣かせのシロモノ。調子にのってバカバカ作ってバリエ増やして、そんなに財力ねえっつーの。中には全車種制覇な勢いの強者もいるが、フツーはピンポイントでお気に入りのひとつふたつを買ったらおしまいだろ?で、ショップにゃ在庫のヤマ。しかも、hpi自身が、こないだのアキバミートでもそうだったが、B級品販売を積極的にやる。つまり焦って飛びつかなくてもいつか安価で買えるだろう雰囲気をメーカー自身が演出しちゃって、ショップとしてはふざけんな、と。そーゆー突き上げがあっての生産数激減っつーハナシらしい。ま~我々コレクターサイドからすりゃ、いつでも買いたいときに買えるっつーのが一番でそれが安価ならバンバンザイなんだが、それでショップやメーカーが潰れちゃ困ったもんだしなかなか難しいわな。
2010.02.19
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最果てのアクシズから、クワトロ・バジーナを名乗り地球圏に舞い戻ったシャア・アズナブルがティターンズに傾きかけた議会のモメンタムを再びエゥーゴへ手繰り寄せるべく、自らの出自を明らかにし、人の将来を地球の未来を全世界に問うた地、ダカール。などというおとぎ話とはなんも関係なく(^^ゞ日暮里はイケダで買い求めた超バーゲン品。実のところ趣味じゃないんだよ、こーゆークルマは。けど秀逸な出来と破格値段でしっかり買い物カゴの中に(笑)ミニチャンプス1/43 フォルクスワーゲンレーストゥアレグ#310 ユタ・クラインシュミット パリを出発点に始まったパリ-ダカールラリーも、回を追うごとに複雑な社会情勢下で変遷を続け、2005年はスタートがバルセロナに変更。そのバロダカ(正式名称:テレフォニカダカール2005)で、連覇中のパジェロに次ぐ3位表彰台に登った女性ドライバー、ユタ・クラインシュミット駆るレーストゥアレグ。不整地踏破性確保のために、バカみたいに拡げられた足回りは、ショックアブソーバが丸見えでもの凄い車高なんだけど、よく見るとボディ自体はさほど厚くないんだねえ。その辺のバランス感覚が、トラックとは紙一重でレースカーサイドに押しとどめてんだな。そんなトゥアレグを、自国のクルマなら任せとけ!なミニチャンプスが入魂一発。ミニチャンプスなのに殆んどタンポ印刷で再現されたスポンサーロゴに、ちゃんとストロークするサスペンションアーム(つってもサスアームが撓んでるだけだけど)、更に写真入り台紙と異様に力が入ってる。(そのわりには冠スポンサーテレフォニカがバーコードなのは、なして?)実車はともかく、ミニカーとしては大正解のレーストゥアレグ。一家に1台、どーよ(笑)しっかし、このショックが底突きする状態って、乗ってる人間は一体どんな感じになるんかね?いや~絶対乗りたかねーなあ(^^ゞ
2010.01.22
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今週発売品のなかで個人的大本命(^^)つか、全体的に見ても本命か。久々に発売即完売的展開を見せている、DTM155以来のヒット作の誕生か?って感じの1台。hpiレーシング1/43 トヨタセリカGT-Four#3 ビョルン・ワルデガルド 1988年よりWRC参戦開始したトヨタ“流面形ST165”セリカGT-Four。王者ランチアに追いつけ追い越せを目標に苦闘2年ついにカルロス・サインツがタイトルを獲得した1990年のサファリ優勝車。参戦3年目にして初サファリで初優勝の初づくしはしかし、ドライバーのワルデガルドにとっては結果的に30年(!)にわたるラリー人生の最後の優勝となった。(なお、齢47歳での優勝はWRC最年長優勝者として現在でもレコードホルダー)そんなマシンを、今後展開されるGr.Aセリカシリーズの初っ端として、いかにも売れ線な王者サインツのクルマじゃなくて持ってくるあたりがヒネリが効いててよろし(^^)蛍光じゃないベタ赤でのマルボロライクなカラーリングは、TTE監督オベ・アンダーソン夫人のデザイン(リアフェンダーにサインあり)後年のカストロール赤緑カラーがしばらくトヨタ全体のモータースポーツイメージカラーだったがそっちよりも個人的思い入れはあるんだな。カタチ的にも、後年のST185、205よりもFFベースとは思えんエクステリアがいいッス。(今のWRCじゃ絶対勝てないレイアウトだけどね)笑実車とのコラボ。こーゆーのがミニカーやってていっちゃん楽しい醍醐味だぁね。(ホントなら実車のエンジンフードに乗っけてみたいなのが本望だけど、まずムリだからさ)
2010.01.21
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ネット見てたら、スパークからCLK-GTRのスズカ優勝車が出るってんで仕事終わりにちょっと遠回りしてショップに行ってみたんだが。。。なんかね、ちょっとイメージがちゃうのよね、これ。タイヤのサイドウォールが分厚いのが影響してんだか、なんかモサっとした印象でもっとシャープなイメージなんだよね。つか、それって思いっきりタミヤの出来に引っ張られてんのかもしれないけど今回はスルーすることにしたわけで(とゆーことは2度と機会はないな)ま、大スケールのプラモと比較したらミもフタもねーハナシなんだけどね(^^ゞでもって、折角の遠出でボウズでしたじゃ面白くもねえってんであれこれ物色。その釣果がこれ。叩き売りの半額セール。 hpiレーシング1/43 スバル・インプレッサWRC2006#5 ペター・ソルベルグ優勝3回ドライバーランク2位を確保したとはいえ、王者ローブにダブルスコア近く引き離されて、惜敗とゆーよりはむしろ惨敗だった前年から心機一転、捲土重来を期して開幕戦から新型車を投入する気合の入れようも、オイル漏れでまさかのリタイア第一号に。その後もウォータープールに突っ込む度にフロントが潰れる問題を解決することが出来ず屈辱の年間未勝利。若干ウェッジシェイプになったフロントセクションは、見た目カッチョよくて、こりゃあ今年はイケんじゃね?と思ってたんだがねぇ。。。(-_-;)きっとhpiもそう思ったんだろう。こんな駄馬だったと知ってたなら、モデル化契約なんかしなかったんじゃねーか?当然、たいした見せ場も作れずにタイムチャートの下のほうに沈む一方の戦績じゃミニカーの売れ行きも低迷だろうし、この叩き売りは、まあ納得。しかし許せんのは、勝ってる時はいざ知らず、負けが込み始めると不況を理由に自分勝手にさっさとケツまくるメーカーの無責任さ。いくら14年間連続ワークスフルエントリーがWRC史上最長記録だっつったって後ろ足で砂かけるような撤退劇ですべて帳消しだ。二度と表舞台に出てくんなって感じ。ま、首脳がアホでもマシンに罪はないんだけどね。 2代目インプレッサ(GD)勢揃いの図。左から所謂、丸目・涙目・鷹目。強かった頃はエクステリアデザインがイマイチで、デザインがよくなると戦績低迷って(笑)結局、勝てるクルマが何たるかを、開発人がまるっきり判ってなかったってことね。
2009.10.30
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いっこ前のミニカーは日産ざんした。あれもそうだっていえばそうなんだが、日産といやぁ昔のワークスはトリコロールカラー。しかも赤も青もやたらにくすんだ野暮ったい色合い。カラーリングデザインも推して知るべし。。。同じ色を使ってもファッションの本場の面目躍如、イタリーのチームはこんなにオシャレ。粋っちゅーのはこういうことよ!ってなわけで。(いや、別に日産カラーはそれはそれで好きなんだがね) hpiレーシング1/43 ランチアデルタHFインテグラーレ#4 ディディエ・オリオールおんなじ赤青白使って、この違いはどうよ!って感じ(笑)1992年の開幕戦モンテカルロラリーのウィナー、最速タコさんことオリオールのデルタ。最早ある意味6年落ちのマシンだ。ところがどっこい、熟成に熟成を重ねてまだまだ一線級の戦闘力を有してた。(とゆーか、参戦初期の面影はねえっつーくらいあちこちいじってるんスけど)モンテのあとは、ツールドコルス、アクロポリス、アルゼンチン、1000湖、豪州と順調に勝ち星を挙げ貫禄のチャンピオン獲得!と思いきや。こんだけ勝ってもチャンピオンはトヨタのサインツにかっさらわれてタコさん涙(笑)オリオールのチャンピオンは2年後のことになるが、その時のマシンはセリカ。そう、ランチアは92年のマニュファクチャラーチャンピオン獲得を置き土産にワークス参戦を止め、翌年以降は有力プライベーター・ジョリークラブにマシンをまかせたがさすがにデルタの神通力も続々登場するライバルマシンには通じず。静かにWRCから去っていった。。。出すもの出すもの、こだわりの造形でファンを魅了し続けるhpiレーシングのこれはかなり初期の商品。hpiは、まれに再生産をやってくれる(しかも価格据置)ので、多分その時の一台だろう。アルファ155(BTCCのヤツ)なんかに混ざって置いてあったんで、拾ってきた。ウチ的には、カラーバリエのレプソルに始まって次がグリフォーネときてるんで、先祖がえりっちゅーことになるわな。出来に関しては、これはもうなにもゆーことはないッスね。ブリスターフェンダーの具合といい、マルティニストライプといい、文句なし。できることならさぁ、たった一戦だけの赤マルティニ、出してくんないかしら?
2009.09.08
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世の中、不景気不景気で新商品開発もままならないことも多々ありそれは一般製造業に限ったハナシじゃなく、ミニカー業界も御他聞に洩れずで新規金型のミニカーがなかなか出ない。もちろん新規参入のhpiなどは金型を作るしか商品を売る手立てがないわけでガンガン金型を作るわけであるが、それでもあとあとバリエーション展開して使いまわしができる車種を選んでいるような状態だ。既存のメーカーは、そこを積極的に利用してこの不景気を乗り越えようというのか評判だった旧作のバリエ展開が激しい。ってな具合に後ろ向きな理由であるものの、バリエ展開については儲け主義の権化!と青筋立てることは個人的にはない(今のところ)なんとなれば、前に買い損なってたものが色違い、レース仕様違いではあるものの新たに手にできるチャンスが増えたってことだから。今回は、そんな一台。イクソ1/43 ミツビシランサーWRC#22 アルミンド・アラウージョつい先日、ついにラリーレイド(パリダカ)からも撤退を表明して、長いモータースポーツ活動から完全に姿を消すことになったミツビシの、一時代を築いた名機ランサー(エボ)の末裔だが、散発的な参戦では当然よい戦績など残せるはずもなく、2007年ポルトガルラリー出場のこの22号車もあえなくリタイア。ドライバーは、同年のP-WRCにも参戦していたポルトガル出身のいわばご当地ドライバー。ミツビシといえばラリーアートのイメージカラーと長いことマルボロスポンサードの関係で、赤ベースのマシンってイメージがあるが、白基調のこんなカラーもなかなかオツなもの。ちなみに、tmnは例の著作権詐欺のヤロウがスポンサード!してるわけじゃなく、ポルトガルの 携帯電話会社だそうであしからず(笑)ちなみにこのミニカー、買ったときは気がつかなかったんだが、長いほうのアンテナがついてなかった(゚o゚)不良品じゃん!って名ばかりのカメラ屋に突っ返して交換を要求してもよかったが、あそこは純粋なミニカー屋じゃないんで、同一品の在庫なんか置いてないだろうし、なによりも一度出掛けるのもかったりーから、黒いプラ色の伸ばしランナーで自作。いや、相手(ショップと製造元)の品質意識改善のために、ぎゃあぎゃあ騒ぐのが正論で、めんどいしーとかって自作しリカバーしちゃうのは、ホントはいかんのだろーな(^^ゞ
2009.03.09
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想像以上の出来映えで、はやくも今年のベストミニカーか?とか叫ばれるhpiスカイラインGr.Aの影でひっそりと咲いた黒い花。ミニカーブログの管理人も、みんなGT-Rのレビュウに勤しんでてこっちはすっかりお留守状態だぁね(^^ゞヘタすりゃ、予算の殆んどをGT-Rに割いて、完璧スルー状態を決め込んだか?ま、こっちが本命的人種にとっては、そういう状況のほうがありがたいんだけどね。なにせ、ウチの近所の店舗は、hpiはいつどんだけ入ってくるのか皆目わからないから予約受け付けません状態だから。ただ、今回GT-Rを各々4000台近くブチ込んだことで、安定供給への道筋が出来たって評価が得られて、また予約復活すっかもしれないね(そうならないかなー) hpiレーシング1/43 ランチアデルタHFインテグラーレ#12 ギルバート・ピアネッツォーネワークス・ランチアマルティニレーシングが前年いっぱいで活動停止したのをうけ1993年のデルタは、すべてプライベーターからの参戦ということになり、中でも、レプソルカラーのジョリークラブは、マルティニデータを譲り受けたセミワークス待遇だったわけだが、カルロス・サインツ駆るレプソルデルタが2位フィニッシュするも燃料違反で失格になり4位から繰り上げ3位に玉突き入賞したご存知黒字に金のエッソカラーを纏った1993年サンレモでのデルタ。エントリーはジョリークラブと肩を並べるイタリアプライベーターの名門、ファブリツィオ・タバトン(当時はオヤジのルイジ率いる、かな?)率いるグリフォーネ。今じゃ、なんと日本支部まで出来てるそうな(゚o゚)グリフォーネといい、ジョリークラブといい、シャルドネといい、海外には歴史あるかっちょいいネーミングのプライベーターチームがあっていいね。hpiといえばストラトス!と十中八九はそう答えが返ってくるくらい、ストラトスで名を上げたhpiだけど、それ以前に発売されたデルタもイイ出来なんだよね。スキッドやヴィテッセからも随分と発売されてはいたんだけど、どれも帯に短しなんたらで。とくにマッチョなスーパーデルタは、モデル末期であまり華々しくなかったせいもあって商品に恵まれなかった。そこを突いてくるあたりがhpiのhpiたる由縁でもあるわけだが、デルタに関してはロードカー側からのアプローチもしっかりやってんのに、軒並み無視状態(笑)もうちょっと評価されてもいいミニカーなんじゃないの?ま~日本的には、毎年毎年、今年こそセリカ!って期待をことごとく阻止しまくった憎っくきデルタってイメージのほうが強いのかもしれんね。 スーパーデルタといえば、レースマシンはモデルエンドには恐竜的進化を遂げてベースとは似ても似つかないものになるという恐竜的末期進化論(ティレルP34、ZZガンダムが有名)にのっとってブリスター化されたフェンダーが大きな特徴。左のスッとしたナローボディと比べれば一目瞭然。ちなみに、これ、スーパーデルタから6年前の1987年に、同じサンレモで5位入賞のファブリツィオ・タバトン駆るデルタで、ソリッドから出てたヤツ。
2009.01.27
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年が明けた。つっても、昨日の去年の連続なだけであって、年が明けたからっつって唐突に状況が変わるわけもなく。ただ、日々のテレビ番組がますます下らなくつまらなくなるだけ。おかげでプラモが進む進む(笑)国民的歌番組と呼ばれる番組も、出演者のどこが国民的で、どの歌が年度を代表する歌なのかもはっきりせず、当然スルーだ。つか、30年くらい見た事ないね、紅白は。同じ紅白でも、こっちはサイコーな紅白。発売日にソッコー買ったけど、ここまで引っ張った隠し玉(笑) hpiレーシング1/43 ランチアストラトス#2 サンドロ・ムナーリ伝説の始まり。1974年第4戦サンレモでデビューいきなり優勝。後年のようにルーフスポイラーもリアスポイラーもなくストラトスといったらコレ!とゆーくらい特徴的なフロントライトポッドもなくいたってシンプルな外観がいかにもデビュー戦って感じでいーね。こんな素の状態でも勝っちゃうんだから、さすがラリーの申し子というしかない。なんにもないツルンとした外観にこのカラーは、まんまマルボロの箱(笑)このご時世にタバコブランドありは、当然デカール後貼りで、個人の責任でお楽しみくださいってヤツだ。デフォのミニカーはこんな。 デカールは、劣化(黄ばみ)なんかがあるんで出来れば使いたくはないんだけどやっぱりこの状態じゃ間が抜けてるし、結構迷ったけど結局貼った。なるべく黄ばまないように、カルキを飛ばしたろ過水に浸して、乾かしたあとにタミヤモデリングワックスを薄く塗って拭き上げた。あとはなるべく灯りにあてないようにしまっとくだけだが、そうすっと何のためにミニカー買ってんだか?ってハナシよ。もうさあ、海外で売るのやめて、国内限定でタバコマークもタンポ印刷にしてちょーよ。
2009.01.01
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