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今や、世界のトヨタがWRCでマニュファクチャラータイトル4連覇しようが、朝刊スポーツ面にほんの10行程度の記事しか割かれない日本でも、猫も杓子もモータースポーツという時代はあった。後から考えれば、すでにバブルは崩壊し「失われた30年」が始まっていたのだが、その認識はまだ一般的ではなく、自動車産業とは直接かかわりのない企業もモータースポーツにおカネをばら撒いていた。そういった状況をカネの匂いに敏感なF1業界人が見逃がすはずもなく、搾り取れる間に出来るだけ搾り取っちまおうって魂胆で、日本にふたつめのグランプリを画策した。もちろん招致は日本側からのアプローチだが、その気がなければ頑として首を縦に振らないFIAなのも事実。真実は闇の中なれど、兎にも角にも岡山県TIサーキット英田(現・岡山国際サーキット)でパシフィックGPは開催された。レーシングオン特注スパーク1/43 ジョーダン194ハート1994年パシフィックGP DNF#15 鈴木亜久里 アイルトン・セナに次ぐブラジル期待の新星ルーベンス・バリチェロと全日本F3000で日本に馴染みの深いエディ・アーバインのコンビでスタートした94年のジョーダン・グランプリだが、開幕早々多重事故を引き起こしたかどでアーバインは出場停止処分。急場しのぎで白羽の矢が立ったのがF1浪人中でJTCCに参戦していた鈴木亜久里。とはいえ本人はスポット参戦には旨味を感じず(慣れないクルマでのぶっつけ本番はメリットよりもデメリットが大きいので)乗り気じゃなかったが、スポンサー筋のしがらみで出場することに。 予選20位からスタートして地道に10位まで順位を上げた44周目、最終コーナーのアプローチに入った刹那、左フロントのステアリングアームが壊れて舵が利かずにコーナーを直進、タイヤバリアにヒットしてジ・エンド。結局は亜久里の思った通り、本人には何のメリットももたらさず終わった。ただ、ピットに戻った時のピットレポーターとのやりとりで「(亜久里選手)次、頑張って下さい!」に即答「次、ないんだ」は名言の如く残ったけどね(笑)。 低速サーキット必須の空力トレンドだったメゾネットウイングを装備したサソル・カラーのジョーダン194はかなり美しい。F1デビュー以来コロコロとエンジンを変えて、その度にリアセクションの作り直しに追われじっくり腰を据えた継続開発どころの騒ぎじゃなかったけど、194は2年連続で同じエンジンを搭載ということになって開発に余裕が出来た(デザイナー談)。その甲斐あって初表彰台や初ポールポジションを獲得出来たが、ハートエンジン自体はスピードも信頼性もイマイチで、来期はまたまたエンジンスイッチということに。 奥は、初ポールを獲ったベルギー仕様(インダクションポッドのグラスメディック・ロゴが黒地になってるのとスポンサーロゴのないディフレクターから推測)のミニチャンプス製。ちょっとアンテナがリアルじゃないけどそこ以外は充分及第点のこれがあるなら、別にスパークなくてもいいんじゃね?とも思わんでもないが、結局「次、ないんだ」含め当時を思い出すよすがだからね、ミニチュアは。
2024.11.29
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ちょっと前に、アイルトン・セナ没後30年の節目にちなんで、セナのF1マシン年代記を扱った。その時にミニチャンプス製モデルの出来が悪いんでスパークのを買い直す予定って書いたそのスパークの新製品が入庫したんで。スパーク1/43 ロータス 97T ルノー1985年ベルギーGP 優勝#12 アイルトン・セナ 前年、(ロリー・バーン作ながら)お世辞にも名機とは言い難いトールマンTG184で大雨のモナコ表彰台に上り注目を集めたセナが、当時まだ名門だったロータスに移籍してまたもや雨絡みで2勝。その2勝目をモデル化、とゆーか97Tをモデル化するならエストリルかスパしかねえでしょ。初優勝エストリルは最初クラシックロータスが特注し、そのクソ高え価格設定に完全スルーを決めてスパを予約したんだが、あとから通常営業のエストリルも出ると知って、やっぱ初優勝よねぇちょっと早まったかぁと後悔しても後の祭り、というドタバタがあってのスパ仕様。まぁウィニングローレルが2枚(エストリルのセナとサンマリノのデ・アンジェリス)貼ってあるしってことで納得しよう(笑)。 でも、どーしても納得できないことがひとつ。そもそも最初にスパークから発売アナウンスが出た時は、通常フォーマットどおりドライバーフィギュア付きだったがすぐに発売中止。次に発売アナウンスが出た時には「ドライバーフィギュアは付属しません」。まぁ個人的には、フィギュアなしのほうが高級感あると思ってるんで、そこは別にいいんだけど、実際商品を手にしてみると。 ドライバーフィギュアどころか、マシンに貼られてるはずのドライバー名も台座のドライバー名も、アイルトン・セナを匂わす文字はひとつもない。聞けば「セナ」ブランドを統括管理する「アイルトン・セナ財団」から「ウチに何の断りもなく勝手にセナの名前をつこーてもろてはあかんがな」と横やりが入った模様。つまり「どうしても使いたいゆーなら、それなりのもん用意してもらわな、な?」とゆーことらしい。ブラジルの恵まれない子供たちのために使われるんだから、スパークもそんくらい払ったれやと思わんでもないが、ワールドワイドなデアゴの「隔週刊ロータスルノー97Tを作る」ならいざ知らず、たかだか1ロット千個たらずの商品ではペイ出来ないくらいの額だったんだろう、きっと。斯くして、全世界的にタバコロゴNGの時代に堂々とJPSが貼られる代わりにドライバー名のない妙ちくりんな商品が出来上がったわけだが、個人的にそんな状態を許せるはずもなく勝手に修正する(笑)。 タメオのデカールはともかくも、今って「アルファック・デカドライ(インスタントレタリング商品)」なんてどこ探しても売ってないのね。カセットテープ全盛期(いつだよ)にゃどこでも手に入るありふれたものだったのに。で、なんか代用品はねえかなぁと色々検索すると、ネイルとかスマホのデコシールってのがあったんで即行購入。 デガドライと違って厚みがあるんで、タンポ印刷っぽくはならなくて違和感はあるが、売ってないものはしょうがない。タメオデカールの色味もちょっと違うんだけど、ないより全然マシだ。セナ没後30年ってことで出したんだろうけど、だったら若干赤字になろうとも(勝手なこと言ってら)ちゃんと公認うけて完璧な商品として出して欲しかったよな。そもそもの出来がいいだけに。 そして、30年ってわりには世間は大人しいよね。当時あれほどセナ様セナ様だったフジテレビがBSあたりでなんかやるかと思ったが完全スルー。ネットフリックスが全6話のドラマをやるのと、ブランドアンバサダーだったタグ・ホイヤーが「カレラ・トゥールビヨン・クロノグラフ×セナ」を出して、あとサンパウロGPでルイス・ハミルトンがMP4/5Bでデモランしたくらい。 当時の熱量を知ってる人間としてはいくばくかの寂寥感を感じるが、それもこれも財団がいろいろと締め付けてるからじゃね?と勘繰ってしまうわな。ガンダム世界同様に財団ってヤツはまったくもう。。。(いや、やってることは至極まともなんだろうけどね) 当初、ドライバーはシークレットで、やれアラン・プロストだ、ホンダとの関係でジェンソン・バトンだ、ホンダに加えてセナとの関係でルーベンス・バリチェロだ、いやいや単純にブルーノ・セナだろ、とか言われたが、現役ドライバーでセナに一番憧れをもつハミルトンだった(個人的には、フェルナンド・アロンソだったら面白れえなあと思ってたけど)。そのおかげで(マルボロのマの字もないのは仕方がないとしても)ペトロナスに配慮してシェルのロゴまで消されてるのがなんだかねえ。。。故人を偲ぶのんだからもっとおおらかに出来ないものかねえ。
2024.11.07
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2023年のF1、レッドブルのシーズン全勝を阻んだのはカルロス・サインツ駆るフェラーリSF-23で、それは価値ある一勝と言えなくもないが、シリーズチャンピオンを獲ってこそのF1では、たったの一勝かよの感は否めない。 では、今やフェラーリのモタスポ活動のもう一本の柱となった耐久レースはどうかと言えば、ル・マン24時間レースは499Pが、ニュルブルクリンク24時間レースは296GT3がそれぞれ制覇している。 特に、世界三大耐久レースからは外れるものの、車種のるつぼであるニュルブルクリンク24レースを勝ったことは、なかなかに感慨深い。こんなこと言っちゃなんだが、日本では「走行中の車が炎上」のニュースがあれば、それはフェラーリ(かランボルギーニ)というのが定番。速いが信頼性乏しく長時間走行なんてもってのほかというイメージが出来上がっているからね。トラブルフリーのドイツ勢を押しのけての勝利は一勝以上の価値があるように思う。実は、同じ心臓(120度V6ツインターボエンジン)を持つ2台。プロト用にスペシャルエンジンを作らず、市販車エンジンを持ってきたことがル・マン勝利の一因だったかも。ルックスマート1/43 フェラーリ499P2023年ル・マン24h 優勝#51 ジェームズ・カラド/アントニオ・ジョビナッツィ/アレッサンドロ・ピエール・グィディ シリンダ容積を車名にするというフェラーリ(レーシング)スポーツカーの伝統に則り499と名付けられた58年ぶりのワークスマシン。 トヨタオンリーだったル・マン・ハイパーカー・クラスにポルシェ、プジョーというル・マンお馴染みブランドやキャデラック、ヴァンウォールという新参者がエントリーして、やっとコンペティションが戻ってきた感のあるル・マンで勝利をもぎ取った。それをレース十日前に実施された不可解なBoPのおかげと言うのは簡単なれど、それと24時間壊れずに完走するのは別問題。まぁ100周年の記念大会を「トヨタ6連覇」よりも「復活のワークス・フェラーリ、58年ぶりの優勝」で飾りたいといういう下心がACOやFIAにあっただろうことはアホでもわかる。ライバルが出揃うまでハイパーカーの屋台骨を支えたトヨタからすれば、そりゃねえだろぉなハナシだが、ルール遵守を美徳とする日本と違いムービング・ゴールポストは彼ら彼女らの常套手段だからね。 その58年前の優勝車250LMと。実車と違ってこんな具合にホイホイと時空を超えてツーショットが撮れちゃうのがミニチュア蒐集の醍醐味(笑)。ところで、250LMはN.A.R.T.からのエントリーなのに、伝統の白字に青ラインじゃないのはなんでなんだろ?そしてニュルを制した最新ピッコロ・フェラーリ(サイズ的には全然ピッコロじゃないけど)とも、ちょっこし関連があるのです。 60年代後半のディーノ以来のV6エンジンを背負った市販フェラーリの296GTBは、公式ページによると250LMのデザインエッセンスを取り入れている、と。垂直リアウインドウを含むBピラーの処理や、リアフェンダーのエアインテークなどがそれにあたるが、素の296GTBはともかくも派手なカラーリングにエアロ武装されたGT3では、それはあんましって感じ(汗)。ルックスマート1/43 フェラーリ296GT32023年ニュルブルクリンク24時間 優勝#30 アール・バンバー/ニッキー・キャッツバーグ/フェリペ・フェルナンデス・ラサー/デビット・ピタード 前述のように296の心臓は499Pと同じV6ツインターボのティーポF163で、市販車の命名法に基づいて2.9ℓの6気筒で「296」。しかしねえ、実際には1気筒499ccの6倍で2994ccって最早3リッターじゃん(汗)。本来「フェラーリ306」とすべきところだが、プジョーが306とゆーか「真ん中がゼロの三桁数字すべて」を商標登録しているところから、したくても出来なかったなんだろう(ポルシェ911も同様)。 この296は、お馴染みのAFコルセじゃなくて、地元でニュル常連のフリカデッリ・レーシングチームのクルマ。チーム創始者クラウス・アッベレンの実家の稼業は食肉加工会社(アッベレン)で、そこからチーム名を「フリカデッリ(ドイツ料理のミートボール)」とした思われ。そしてアッベレンのCIカラーである白地に赤(多分「赤身肉とサシ」をモチーフにした)のリバリーがなかなか新鮮だ。前年までポルシェで参戦していたチームが、どういった経緯でフェラーリにスイッチしたんだろ?もしかしてニュルで勝ちたいフェラーリ側からのアプローチがあった?なにせフェニックスやブラック・ファルコンなどの有力チームは、ドイツメーカーと強固な関係を築いているから、フェラーリの付け入る隙はない。そこで選ばれたのがベストセカンドのフリカデッリだった、とかね。まぁ真相はもっと単純で、参加数の多いポルシェで戦っててもなかなか浮上のきっかけは掴めないから、だったらフェラーリにでもスイッチしてイチかバチかのギャンブルにでたろかってな具合だったんじゃないかしら。ま、どういう経緯にせよフェラーリへのスイッチは大正解でニュル初戴冠とあいなった。ル・マンにせよニュルにせよ24時間耐久レースでの一勝ってのは、F1と同じ一勝なのに何故か特別視してしまうね(笑)。
2024.10.15
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BSフジが放映をやめた2015年以降、F1グランプリ一戦丸ごとを(テレビで)観戦することはなくなった(最近じゃダイジェスト動画すら観ない)。そんなことだから当然F速も買わず、情報はネットのレースレポートと年末のF速総集編のみなので、レース展開や各々のマシンに対して一家言持つことも少ない。なのでミニチュアについてもシーズン十把一絡げでお茶を濁そうと(汗)。 基本スパーク製なのでシーズン終了からさほど時間もかからずにまとめられるじゃろとタカ括ってたんだが、ウィリアムズが周回遅れで、今頃今更の出稿、である。 まぁこれに関しては、そもそも最初はミニチャンプスを予約してたところ、あとになってスパークからも(バーレーン仕様が)出ることを知ってまずそっちに乗り換え。さらにイギリス800戦記念仕様が出ることになってまた乗り換えた。そのイギリス仕様が出たのが今年6月。バーレーンにしときゃあ1月には手元に、初志貫徹でミニチャンプスにしといても2月には手元に来ていた勘定で、結局こっちの優柔不断が遅延を招いた結果だ(汗)。とはいっても発売予定なんてあってなきが如しのお高いミニチャンプスをのほほんと待ってるほど寛容ではないし、スペシャルカラーが出るなら(そしてそれが琴線に触れれば)そっちにするのが人情よね、と自己弁護。とまれ6月には(ハースを除く)全車揃ってんのに3カ月も放置プレイなのは、言い訳のしようもないわけだが。 2023年シーズンはF速総集編によれば「伝説のシーズン」で、レッドブル22戦21勝とか開幕14連勝とか新記録づくめの、レッドブル&マックス・フェルスタッペンの圧勝劇だったわけで、ウィナーもレッドブルの二人の他にはフェラーリのサインツの計3人。ウィナーが3人というのはハミルトンVSロズベルグの絶頂期の2014年15年以来だが、この2年はハミ・ニコ外のウィナーはそれぞれ3勝しており、23年のように3人目が優勝一回だけというのは、かのマクラーレン・ホンダ退屈症候群の1988年以来のことになる。では、コンストランク順に一気出し(但し諸事情によりハースはオミット)。スパーク1/43レッドブル RB19 RBPT (コンストラクターズチャンピオン)#1 マックス・フェルスタッペン(ドライバーズチャンピオン)2023年バーレーンGP 優勝 かのマクラーレンMP4/4を超えて史上最強となったRB19なんだけど、正直前年モデルとどこがちゃうのか、カラーリングのマンネリ化も相まってちっともわからん(汗)。ついでに言っちゃえば赤く塗り替えてフェラーリだっつってもわからんかも知らん(笑)。スパーク1/43メルセデスAMG・F1 W14 Eパフォーマンス(2位)#44 ルイス・ハミルトン(3位)2023年オーストラリアGP 2位 ゼロポッド・コンセプトは間違いない!と強がってたがシーズン途中でついに諦めた。唯一我が道を行くのボディワークだったのに、メルセデスまでが似たりよったりデザインになっちゃったのはちょっと残念。ルックスマート1/43フェラーリ SF-23(3位)#55 カルロス・サインツ(7位)2023年バーレーンGP 4位 レッドブル圧勝劇のなか、唯一土をつけたサインツ・フェラーリ。それを予知して予約したんじゃなくて、単純に予約時点ではシャルル・ルクレールを上回っていたから。SF-23は一発の速さはあるものの、それはつまりはタイヤに厳しいわけで、その速さをレースディスタンスで発揮できなかったのが敗因。スパーク1/43 マクラーレン MCL60 メルセデス(4位)#81 オスカー・ピアストリ(9位)2023年オーストラリアGP 8位 F1モデルを買い集める楽しみの一つに、海の物とも山の物ともつかぬ新参ドライバーを青田買いするってのがあるが、当然当たりはずれはある。ピアストリはアタリの口だ。23年はスプリントで勝ち、今年は本戦でも優勝を経験。前半から頭角を現していたらコンスト3位も夢じゃなかった?スパーク1/43アストンマーティン AMR23 メルセデス(5位)#14 フェルナンド・アロンソ(4位)2023年バーレーンGP 3位 「老いてなお盛ん」という言葉(誉め言葉です)を送りたくなるマタドール・アロンソ。AMR23は地の速さはあり、前半戦は優位に立ったがアップデートが思うように運ばず、ライバルの伸びしろに埋もれるかたちになった。スパーク1/43アルピーヌ A523 ルノー(6位)#10 ピエール・ガスリー(11位)2023年バーレーンGP 9位 アルファタウリからガスリーが移籍してきてオールフレンチチームとなったアルピーヌだが、オールフレンチに拘るとロクな結果にならないっていうルノーやリジェの前例を知らんのかね?スパーク1/43ウィリアムズ FW45 メルセデス(7位)#2 ローガン・サージェント(21位)2023年イギリスGP 11位 FW45についてはすでに別記事に。オスカー・ピアストリ同様に青田買いのローガン・サージェントは、ハズレの口かな。広い心をもってみれば一年目の不調はまあまあ仕方がないが、翌年もロクな戦績がない上に、アップデートを施したなけなしのニューマシンを、必要もないプッシュで大破させちゃったりしたら、そりゃクビになるわな。スパーク1/43アルファタウリ AT04 RBPT(8位)#21 ニック・デ・フリース(NC) 青田買いドライバーの3人目はまさかのシーズン途中降板。その走りはフォーミュラEで見てきたし、チャンピオンも獲得、前年はウィリアムズからスポット参戦で9位入賞したもんだから、けっこうイケるんじゃないかという個人的期待を大きく裏切った。 まぁ、シーズンを席巻したチームの2軍とは思えないほど、マシンもストラテジーも最低なチームに入っちゃったというのが間違いのもと。後ろ盾だったメルセデスがフォーミュラEから撤退しちゃって、行き場がなくなって藁にもすがる思いだったのかもしれないが。スパーク1/43アルファロメオ C43 フェラーリ(9位)#24 周冠宇2023年オーストラリアGP 9位 アルファロメオとして最後の年。といっても実質は裏ザウバーなわけでマシン名称もザウバーお得意の「C連番」が脈々と続いているわけで、単純に冠スポンサーが変わるだけということ。そこもまたアルファロメオのロゴを大々的に纏ってはいるものの、実質はサイドポンツーンの「キック(オーストラリアの動画配信サービス)」がホントの冠スポンサー。といっても「キック」もある意味ダミーで、ラスボスはオーストラリアのオンラインカジノ「ステーク」。カジノ広告が規制される国のグランプリではグループ会社である「キック」を前面に押し出すという、なんだかとても怪しいロンダリングである(笑)。カラーリングはいっちゃん好きだわ。 とまぁこんな感じの23年モデルだが、世は既に24年モデルも発売開始されてて、この次はもうちっとタイムリーに出稿せんとあかんな、と反省。
2024.09.26
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スーパーGTの運営母体「GTアソシエーション」から、GT車両のモデル化はスパークが独占製作販売(2023年1月13日付け)の一報が流れた時には、エブロはスーパーGTから手を退けと長年言い続けていたことがやっと実現した感慨にふけったもんだ。 GTAのアナウンスから遅れること3カ月。スパークから発売アナウンスされた時点で予約入れといた2022モデルがようやく揃った。エブロ時代は渋々チャンピオンマシンだけ買っていたけど、スパーク独占契約のご祝儀にってことで、GT500ワークスそれぞれ一台、ランキングの最上位マシンを選択した。スパークのことだから2023年内には軽く出揃うもんだと思ってたけど、23年モデルに先を越されるかたちとなった。 レース車両のミニチュアには、レーシングチームがスポンサー等お世話になってる方々へ配るノベルティグッズの側面をも担っているから、来年の契約更新用の土産とするには何年も昔のマシン持ってったってオハナシにならないっつーニーズがあって、だから23年モデルの完成を優先したと思われ。そしてそういうことが何年にもわたって出来なかったから、エブロはGTAから切り捨てられたんだろうよ。スパーク1/43 カルソニック・インパルZスーパーGT2022年 シリーズチャンピオン#12 平峯一貴 / ベルトラン・バゲットスパーク1/43 スタンレー・NSX-GTスーパーGT2022年 総合3位#100 山本尚貴 / 牧野任祐スパーク1/43 エネオスXプライム・GRスープラスーパーGT2022年 総合5位#14 大嶋和也 / 山下健太 まあなんつーか、ガワのカラーリングでイメージは違って見えたりもするが、基本は23年モデルと大して変わらない。実車よりもノーズがちょい長くてAピラーもちょい寝てる気がするけど、パースが狂ってるってほどじゃない許せる範囲(何様?)笑。 それにしても、まさかエブロそのものが潰れるとは思いもよらなかったわ。なんとなくミニカーはやめてオールドF1プラモに軸足を移してくんだろうなぁと思ってたからね。だいぶ前の話で模型誌だったかモタスポ誌だったか忘れたが、ミニカーコレクターってのは「あそこが違うここが間違いだ」と口煩いだけで、モデラーのように自分で何とかしてやろうという気概がない。そのクリエイティブのなさに幻滅したとミニカー否定ともとれるコメントしてたんで、心優しいプラモの世界に戻るんだろう、と。 そのプラモの開発予算はスーパーGTマシンの売り上げが賄っていたのだろうし、だからミニカー事業にやる気が失せてもスーパーGTは続けなくてはならなかったんたが、ついに自社工場を持つことはしなかった。それが結果的に首を絞めた。中国の委託先に足元を見られて価格を吊り上げられた挙句、生産自体は後回しにされるということが日常茶飯事、という話を業界の事情通から聞いたことがある。下請けが勝手に納期を先延ばしにするなんてことが許されるのかねえ?と思わんでもないが、同じ自社工場を持たないミニチャンプスもそんな感じなことがあるし、当たらずとも遠からじというところか。 理由はどうあれエムエムピーという会社は存続しないようなので、破産倒産以前には売り払っちまおうかなと思ってたチャンピオンマシン以外のGT500マシン、結構な数あるんだけど立場が微妙になっちゃったな。過去マシンも出すって言ってるスパークが全てリカバリーできるわけもないし、出たとて財政的に買えるかわからんし。まぁ寝かせば価値が上がるってもんでもなさそうだけど、しばらく静観ってとこだな。
2024.08.30
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フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズの時に、女性ドライバー(レッラ・ロンバルディ)の話が出たところにタイミングよく女性ドライバー絡みの新作が来たもんで、珍しくパッと出し。スパーク1/43 ブラバム BT60B ジャッド1992年南アフリカGP DNQ#8 ジョバンナ・アマティ 1950年から続くF1世界選手権において、女性ドライバーは5人。創成期のマリア・テレーザ・デ・フィリップス(マセラティ、ポルシェ)から、レッラ・ロンバルディ(マーチ、ウィリアムズ)、ディビナ・ガリカ(サーティース、ヘスケス)、デジレ・ウィルソン(ウィリアムズ)と続き、5人目が今回登場のジョバンナ・アマティ。それまで参戦したフォーミュラレースでは全くリザルトを残せぬままF1デビューを飾れた背景には、レース主催側にとってもチーム側にとっても客寄せパンダになると当て込んだからだろう。他に選ぶ人材がなかったわけじゃなく、実際アマティが脱落した後のシートにはデイモン・ヒルが収まったのだから、アマティ選択の理由は客寄せパンダ以外思いつかない。 女性ドライバーで唯一ポイントを獲ったレッラ・ロンバルディ(このマシンで、ではないけれど)と開幕3戦すべてで予選落ちのアマティ。その不甲斐なさに持ち込みスポンサーも出資を惜しみ、シート料未払いであえなくクビ。以来F1に女性ドライバーは登場していない(2014年にFPを走ったスージー・ヴォルフをF1ドライバーとするか微妙なところではあるが)。 名門ブラバムの終焉を見届けたBT60は、悲惨な戦績のわりに何故かモデルには恵まれ、リアルタイムで京商が発売し、スパークでもヤマハ時代とアマティ後の聖飢魔Ⅱカラーがもれなくラインナップされてる。 ブラバムチームお得意、濃紺と白のネガポジカラーリング。日本人オーナー下で日本企業が寄ってたかったヤマハ時代と、バブル崩壊ですっかりスポンサーをなくしたアマティ時代だが、どっちにしても聖飢魔Ⅱカラーよりやっぱ全然マシやんな。
2024.08.19
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今年はアイルトン・セナ没後30年ということで、セナが搭乗したマシンをトールマンとロータス時代、マクラーレンとウィリアムズ時代で記事にしたが、今回はそのオマケ。 といってもレースカーじゃない上にセナが乗ったわけでもないんで同列に語るのもどうかなぁ、ではあるんだが、そもそもはこちらの方がセナF1マシン総ざらえ企画よりも先にあった。じゃあ思い立ったが吉日ですぐ書けよって話なんだが、そこはそれ基本ぐうたらなもんで(汗)。 今では単なるレース屋ではなく、ハイソでスーパーな市販車を生産する立派な自動車メーカーとなったマクラーレン(・オートモーティブ)。そのフラッグシップモデルはアルティメット・シリーズとしておよそ10年に一度のスパンでラインナップされる。TSMモデル1/43 マクラーレン・セナ(2017) レースカーだったら参戦レース結果とかデザイナーの話とか何かしらのネタを捻りだせるんだが、ロードカーの場合は4リッターV8ツインターボ、7速DCT800馬力のミッドシップくらいしか書くべきことがない。まぁ思い入れがないっちゃあそれまでなんだが(汗)。 このクルマ(実車)があるって知った時は、果たしてセナが存命なら出たろうか?と思った。自動車メーカーとして、高性能なスーパーカーをラインナップに据えるのは必須だから、このスペックこのエクステリアデザインのクルマが形として存在するのは当然として、問題はそれをセナという名前にするか?という意味でだ。なんとなくだがセナが存命ならレース業界クルマ業界からはきっぱりと足を洗ってただろうと勝手に思ってるんで、いくらマクラーレンとはいえ名前貸しにはNG判断したんじゃないか、と。セナのいない現実では、売上の一部をセナ財団に寄付することで名義貸しが成立したみたいだけどね。オートアート1/43 マクラーレン・P1(2013) マクラーレン・セナの先代フラッグシップモデルがP1。ポジション・ワンを意味するP1は3.8リッターV8ツインターボプラス電気モーターのハイブリッド、7速DCT916馬力を発するモンスター。最大300馬力程度のクルマしか乗ったことのない身には、2駆で900馬力なんておっそろしー以外の何物でもないが、まぁアウトバーンもない国内であれば、さほど恐怖の瞬間ってなこともないのかもな。とはいえ、たとえ法規がどうだろうと、出るなら出しちゃうのがヒトの性。いまのところ、よくニュースで耳にする「高級外車がどこそこで暴走、事故」的な映像にマクラーレン車が出てくることは記憶にない。マクラーレンのオーナーは出来た人が多いということだろうか。単にフェラーリ・ポルシェに比して母数が少ないだけかもしれんが。。。あ、そうそう、公道じゃないが浅間ヒルクライムで某有名自動車専門誌のクズドライバーが事故って廃車にしたことはあったなあ(笑)ミニチャンプス1/43 マクラーレン・F1(1992) メルセデスとの共同開発SLRマクラーレンを挟んで、マクラーレンがアルティメット・シリーズの始祖と位置付けるマクラーレン・F1は、マクラーレン(現行マクラーレン・オートモーティブではなく前身のマクラーレン・カーズ)初の市販車。三角断面モノコック・ファンカー・MP4/4などで有名なゴードン・マレーが統括した。ホンダNSX(NA1)をベンチマークに「世界最速で最良な市販車」を目指し、当初はあくまで市販車だけの展開であり、後のル・マン優勝車であるF1GTRは、レース好きなオーナー連のリクエストで渋々バリエーションに加えたものだった。6リッターV12自然吸気、6速MT627馬力は今の目からは可愛いもんだが、いかにも空力良さげなスタイリングやセンターシートレイアウトなど、個人的に遅れてきたスーパーカーブーム(カウンタックなどの昭和スーパーカーブームにはリアタイなのに関心がなかった)だった。CGTVでは、ミカ・ハッキネンを招いて伊豆のイクルスポーツセンターでテストまで実施した。ちなみに自転車競技関連の設備兼用で路面状況に気を遣うのに、ハッキネンが路面を悪化させるスピンターンを行ったためにCGは出禁となった。CGTVといえば矢田部とサイクルスポーツセンターだったのに、まったく使われなくなった理由はこれ(一年前のメモワール回で初めて知った)。 こうして歴代のアルティメットシリーズを眺めると、セナと名付けるからにはという気負いがあったのか判らんが、セナのデザインは突出している(同一線上にない)。決してベストデザインとは思わないが、それだけセナという名は特別ってことなんだろう、ということで納得しよう(笑)。
2024.08.05
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(幼年期の終わりからつづく) 量販フォーミュラカーを購入して参戦するカスタマーチームから、自社でマシンを設計製造するコンストラクターへ舵を切った「フランク・ウィリアムズ・レーシング・カーズ」ではあったが、マシン設計の知見も予算も十分とは言えず、そうして出来上がったマシンは戦闘力もお世辞にも高いとは言えず、マシンのネーミングライツと引き換えに得た大口スポンサーにも見放された、というのがここまでのオナハシ。 マルボロがスポンサーから退いた(完全撤収ではないようだが)ため、マルボロパッケージを模したカラーリングを廃止、マシン名も「イソ-マルボロFW」から「ウィリアムズFW」へ変更せざるを得なくなったが、考えてみればこっちが正常状態だ。3台建造したFWをシャシーナンバー毎にFW01、02、03と振り分けて、FW02と03(製造年が一番古い01はTカー)がシーズン序盤を戦う。新車FW04がデビューするのは1975年第4戦スペインGPから。ただし資金不足で用意できたのはレギュラードライバーのジャック・ラフィット用の1台だけだった。スパーク1/43 ウィリアムズ FW04 フォード1975年アメリカGP DNS#20 レッラ・ロンバルディ 毎度毎度の資金不足で2台目のFW04が登場するのはなんとシーズン最終戦。チームは運営資金を捻出するために1台には必ず資金持ち込みのドライバーを起用したが、ここワトキンズ・グレンではそれまでマーチで参戦していたイタリアの女性ドライバー、レッラ・ロンバルディに新造シャシーを委ねた。因みにレッラの持ち込みスポンサーは母国のコーヒー会社ラヴァッツァだ。初めて2台のFW04が揃ったアメリカGPだったが、レッラ・ロンバルディはイグニッショントラブルで、同僚ジャック・ラフィットは体調不良により、いずれもスタートできずと散々な結果。 スパークのFW04なら奇跡の2位表彰台を果たしたラフィットのドイツGPなのかもしれないが、現時点(そしてこれからも、だろう)で、決勝を走りポイントを獲得した唯一の女性ドライバーという観点でロンバルディ車を選択。スポーツカーノーズにチョイ足しのフロントウイングもイカれててよろし(笑)。スパーク1/43 ウィリアムズ FW05 フォード1976年アメリカ東GP DNF#21 ワーウィック・ブラウン 冠スポンサーなしでも、ペイドラの持ち込み資金でなんとか一年を乗り切れはしたものの、このままではジリ貧状態を抜け出すことはままならない。そんな状況をこれ幸いと狙う者が「お金も出すけどクチも出していい?」とばかりにすり寄った。北海油田で一山当てたカナダの実業家、ランボルギーニ愛でも有名なウォルター・ウルフである。チーム存続のためには背に腹は代えられないフランク卿はこの条件を呑み、チームの株式60%を譲渡して自分はチームマネージャーへ降格した。 新体制となった1976年は、シーズン当初から新車FW05を投入出来た。ただしそれは資金面での不安が払しょくされて新車開発が軌道に乗ったということではなく、前年思わぬ好走し優勝までしたヘスケス308Cを知的財産権ごと買い取って改修したもので、FW04との繋がりはない。 前年の優勝実績から、イチから新車を開発するより金もかからんしある程度は結果も期待できる、つまるところコスパよしと判断したのかわからんが、大事なことは後のワールドチャンピオン、ジェームズ・ハントがドライブしたからだってことがすっかり抜け落ちてる。ここら辺ウィリアムズというチームの(というかフランク・ウィリアムズのといったほうがいいか)の哲学「いいマシンさえありゃドライバーなんざ誰でもいい」の萌芽が見て取れるね。B級とまでは言わないが少なくとも超一流ではないジャッキー・イクスとアルトゥーロ・メルツァリオのドライブでは優勝どころか入賞すら出来ない始末。 この体たらくを好機とばかりに、76年末にウォルター・ウルフはフランク・ウィリアムズをチームから追い出して新たにウォルター・ウルフ・レーシングを名乗った。 のちに跳ね馬126C2やティレル019を創り出すことになるハーベイ・ポスルスウェイトが統括設計しFW05を大改造したWR1が、77年開幕戦で優勝し、デビュー戦で勝利という栄誉に浴する。他方、チームを追い出されたフランク卿は新たに「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」を興し、77年はマーチを購入して参戦した。その間にアラビア語を勉強してサウジアラビア企業の資金援助を確かなものとし、長年のジリ貧状態から遂に抜け出してFWシリーズとして初めて戦闘力の高いFW06を生み出す。 その2台のマシンの分岐点として位置するFW05は、もしも開発予算が潤沢だったなら名車となってたかも知れない。
2024.07.28
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F1参戦800レースの節目を迎えて「うちらの起源は1977年」とあらためて宣言した感のあるウィリアムズ・レーシング。創業者であるフランク卿が、それ以前の活動について黒歴史と思っていたかどうか今となっては知る由もないが、決まったタニマチがいない貧乏所帯の大黒柱として金策に奔走する日々だったことは想像に難くない。金のために下げたくもない頭を下げる毎日は少なくとも楽しい想い出とは言えんだろう。そこを汲み取って「起源は1977」としたなら、現運営母体(ドリントン・キャピタル)も大したもんだと思うけど、はてさて。 1977年に心機一転、現代に続く「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」を旗揚げする以前、ブラバムやマーチといった市販レーシングカーを購入していた「フランク・ウィリアムズ・レーシング・カーズ」時代については過去記事(カルロス・パーチェのマーチ711)でも触れたが、今回はレーシングカーを購入する立場から自社でマシンを製造するコンストラクターへと脱却しつつある時代のハナシ。タイミングよくリリースされたんで。 ウィリアムズとタバコといえば、即答で最強時代のキャメルやロスマンズ。対してマルボロは毎年のように丁々発止を繰り広げたマクラーレンの代名詞であり、ウィリアムズとマルボロは直結しないイメージなんだが、それは両者が組んだこの時代に疎遠の芽が生まれたのかも知れない。 そもそもウィリアムズチームが冠スポンサーを迎えることが出来たのは、ロータスがゴールドリーフカラーを纏ってから4年もあとのこと。ご存知モチュールとイタリアの玩具メーカー・ポリトイが名乗りを上げ、濃紺のマーチにロゴをデカデカと広告した。さらに資金を投入してウィリアムズ製マシンの製作を後押しした。その見返りは「マシン名はポリトイにしてね♡」。ウィリアムズが自分の名前を殺してでもコンストラクターとして立ちたかったのは、コンストラクターになってFOCAに加盟すれば、転戦旅費がFOCAから支給されるからだ。↑アンリ・ペスカローロ駆るウィリアムズ初の自製マシン「ポリトイFX3フォード」。1972年イギリスGPでデビューを果たしたが、その一戦でクラッシュ大破。修理費を賄えないチームは即座の修理を断念した。この不甲斐ない結果が大いに不満だったのか、ポリトイはたった一年でスポンサーを降りた。 翌73年は、どういう魔法を使ったのか知らないがこの業界になくてはならないマルボロに加えてイタリアのスポーツカーメーカー・イソを引っ張ってきた。今度は自分の方から「マシン名はそっちの名前でいいですよ」と言いくるめたのかも知れない。スパーク1/43 イソ-マルボロ FX3B フォード1973年南アフリカGP DNF#20 ジャッキー・プレトリウス ウィリアムズの魂ともいえる濃紺のボディから、マルボロの赤そしてイソへの配慮からかグリーンを加えてトリコローレ・イタリアーノとし、マシン名をイソ-マルボロとした。FX3Bの名称どおり、前年イギリスGPでクラッシュ大破したポリトイFX3を時間をかけて修理し小改造を施したもの。第3戦南アフリカ・キャラミではレギュラードライバーのナンニ・ギャリが他カテゴリレースで負傷したため急遽地元ドライバーのジャッキー・プレトリウスがドライブすることとなったが、オーバーヒートによりリタイアという戦績で、FX3Bは序盤3戦をもって引退し、73年のレギュレーション(衝突安全性)により合致したニューマシンが投入されることになる。スパーク1/43 イソ-マルボロ IR フォード1973年イギリスGP DNF#26 グラハム・マクレー 73年のF1レギュレーションでは、衝突安全性とくに側面衝突時にドライバーと燃タンを保護する目的で衝撃吸収構造が義務付けられた。FX3Bでも燃タンを保護するため発泡素材(もしくはゴム素材)が取り付けられて(ボディサイドが子持ちシシャモのようになって)はいるが必要十分とはいえず、トレンドはラジエーターやその吸気口を衝撃吸収材としても兼用することであり、ウィリアムズもそれに倣うことにした。ただし設計年が古いFX3系を全面大改造するよりは一から作った方が手っ取り早いという判断で開発されたのがIRだ。同期デビューは一時代を築くことになるヤードレー・マクラーレンM23だが、それに比べるとかなり武骨な印象で、素人目にもお世辞にも速いマシンとは思えん(笑)。この年のウィリアムズはハウデン・ガンレイをエースドライバーとして、セカンドドライバーはペイドライバーをとっかえひっかえ。ボディがマルボロカラーで染まり、さぞ潤沢な予算がと思いきやそうでもなかったのか、あるいはマルボロ・マネーはそれまでの借金返済に消えてしまったのかも知れんね。スパーク1/43 イソ-マルボロ FW フォード1974年イタリアGP 4位#20 アルトゥーロ・メルツァリオ 今と違って同一シャシーの年をまたいでの使いまわしが当たり前の時代。IRを改修(主にサスジオメトリー見直し。ジャンパオロ・ダラーラが担当)した。イソからの資金提供が滞り始めて、それならマシン名にふたつもイソの名を冠する必要も忖度も必要ねえだろということか、IRあらためFWとした。またマシン全体のカラーもイタリアに固執する必要がなくなりイタリアン・トリコロールからマルボロ一色に改められた。 この年のエースは、マルボロを体現したテンガロンハットの男アルトゥーロ・メルツァリオ。南アフリカで6位、モンツァでも4位に入ってひとり気を吐いたが、それ以外は大抵リタイアさらにセカンドのペイドライバーは予選落ちを繰り返して全体的な戦績は低迷した。それが理由かわからないがイソに続きマルボロもスポンサーから撤退した。 冠スポンサーを失ったので、翌75年はイソ-マルボロの看板を外してウィリアムズFWとして参戦することになる。因みに、3台あるシャシーすべてに番号を振り当ててFW01、02、03としたが、現代の括りで言えば同一の車種である。(この項つづく)
2024.07.16
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まぁ直近の記事で画像出しちゃってるんで、次はこれだろってド直球の予定調和。とはいえここに登場するまでに紆余曲折。そもそもウィリアムズは基本ミニチャンプス独占販売ってことでまずミニチャンプスで予約。ところが23年はスパークからも出ることが判って、まずミニチャンプスからスパークに鞍替え。さらに開幕戦仕様の他に800戦仕様がでることになってそっちにシフト。したら発売が押しに押して最近やっとこ手に入った、と。 正直、ミニチャンプスFW44がミニチュアとして非常に小綺麗な出来映えだったんで(かなり気にっている)、FW45もミニチャンプスと思わんでもなかったんだが、やっぱ価格がねえ・・・。差額千円くらいだったら有無を言わさずミニチャンプスなんだけどさっ!。スパーク1/43 ウィリアムズ FW45 メルセデス2023年イギリスGP 11位#2 ローガン・サージェント 2023年の第10戦イギリスGPで、ウィリアムズはF1グランプリ800戦目を迎えるというわけで、ユニオンジャックを背中に纏うスペシャルカラー。なかなかカッコいい。本当は洪水で中止されたエミリア・ロマーニャありきの第11戦イギリスGPが800戦目だったので、エミリア・ロマーニャなしの一個ズレ状態だと第11戦ハンガリーGPが800戦目なんだが、イギリスで800戦を祝うってことが大事なんだろう、799戦目でも予定通りに登場した。 ところで800戦ってどこから数えてなんだろ?とふと思った。コンストラクターとして自社製マシンで初めて参戦したのは1972年のイギリスGP(この一戦のみ、そして全損)。シャシー名に「FW」が初めて用いられたのは1974年シーズン。どちらから数えても23年のイギリスGPは800を優に超えちゃうよ?その答えはスペシャルカラーのエンジンカバーにあり。「EST.1977」とあるからここから数えてってことだ。けれども77年はコンストラクターとしては参戦してないんだよ(マーチ761を購入して参戦)。↑パトリック・ネーブがドライブするマーチ761(ベルギーGP)。ベルヴューはベルギーのビール醸造所。ゼッケン27とマシン後方のサウディア航空が翌年以降のウィリアムズを想起させる(これ、買い漏らしてんだよなあ~)。 このマシンで決勝を走った11戦を起点とすると確かに800戦になるんだけど、それでいいの?なんかモヤモヤする。ついでに言えば「EST.1977」の前の矢羽みたいなロゴは、現ウィリアムズ・レーシングとはまったく繋がらない、ある意味でフランク卿黒歴史の「フランク・ウィリアムズ・レーシング・カーズ」時代のロゴだし、整合性がねえじゃん。ちゃんと調べてねえのかよ。愛がないよねえ。まぁ創業者が亡くなって家族経営も終わっちゃって、悪い意味で名前だけ借りてる状態だから、こんなもんなのかねえ・・・。
2024.06.25
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今は創業者一族がチーム運営から身を引いて「ウィリアムズ」とは名ばかりのチームとなってしまったが、それでも1977年から一貫してF1に参戦を続けているウィリアムズは老舗のチームと考えても差し支えないだろう。 けれど今回のブログタイトル「老舗の底力」というのはウィリアムズのことではない。残念ながら今のウィリアムズには底力といえるものはないからね。底力どころかマシンの実力は延々と底這い状態。ここでの老舗とはミニチャンプスのことである。ミニチャンプス1/43 ウィリアムズ FW44 メルセデス2022年バーレーンGP 13位#23 アレクサンダー・アルボン ぶっちゃけFW44に関するトピックは、せいぜいメルセデスを真似たゼロポッドが失敗で、シーズン途中でフェラーリ型の造形に鞍替えしたとか、重すぎてどんどん塗装を剥がしたとかそんなことくらい。レース自体はダイジェストでしか見ないから、トップ争いでもしない限り画面に写り込まないし、走ってるとこすら見たことない(汗)。なので実車の色つやを正確に再現してるかはっきり分からんのだが、このミニチャンプス、相当出来がいい、ように思う。なにしろデカールの貼りつけが見事だし、デカール自体の発色もいい。近年のF1マシン塗装はRBが始めた艶消しというのがトレンドで、そういう意味では一緒に写したスパークのFW45がバリバリの艶消しで(写真のウデがないんでよくわからんが)、それが正解なのかも知れないが、二台並べると小綺麗さが際立つ。それが色艶からくるのか組み立てなのかはたまたパッケージのせいなのか、どこがどうと明確には言えんのだが、そこが「老舗の底力」たる所以、ノウハウ、総合力、さすが30年の歴史ということなのかも知れんね。ただ2万を超える価格がネックなんだよなぁ。いいことはわかってても全チーム買うとなるとちょっと敬遠しちゃうよ(実際23年モデルはスパークに切り替えたし。つかスパークはよくぞ発売にこぎつけたな!)
2024.06.20
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アイルトン・セナがイモラ・タンブレロコーナーに散ってから30年。たった11シーズンのF1キャリアをミニチュアで振り返ったろかという無謀な企画の後半戦。時代はプロスト、ピケ、マンセルとの四天王による王座争奪戦から、セナVS誰それというタイマン勝負の時代へ。 前回を同じ画像じゃ能がないっつーわけで、おフランス製JFクリエーションのヘルメット(1992年型1/12スケール)を添えてみた。1989年トゥルースケール1/43 マクラーレン MP4/5 ホンダ1989年モナコGP 優勝アイドロン1/43 マクラーレン MP4/5 ホンダ1989年日本GP DNQ セナ大得意のモナコは、前年のポルティエ単独クラッシュを肝に銘じたか、ポールから一瞬たりともトップを譲らない完璧なレース運びでモナコ2勝目、というかプロストが妖怪通せんぼジジイに遭遇してしまったせいで、レース自体がぶち壊しになった印象しかない。マクラーレン2台のギチギチの鍔迫り合いが見たかったのに。そんなマクラーレン2台のギチギチの鍔迫り合いの結果が天王山鈴鹿のシケイン。 その要因の一つがリアウイングのエンドリップなのは発売当時に書いた。そういう再現度が高額アイドロンの魅力なのは今も変わりないが、今回引っ張り出してきて気がついちゃったんよね。サイドポンツーンのラジエーター開口部の下の部分(シェルロゴの下)はカーボン剥き出しじゃなくて(トゥルースケールのように)白塗装が正解なんだよね。こーゆーのは後述のMP4/8でもあって結構考証が甘いんだよねえ。スパークみたいに安けりゃ(もう安くもないけど)まだあれだが、その3倍もするんだからちゃんとやって欲しいもんだが、今回アイドロンのHP見に行ったらフォーミュラ関連は完全削除されてんし(黒歴史ってか?)もうやらないだろう。 89年の革新技術といえば、セミオートマ。まだまだ熟成には至らずリタイアを積み重ねたが、開幕ブラジルGPでは大方の予想もドライバー本人の予想も裏切って優勝しちゃった。どうせさっさとリタイアだよと早めの飛行機を予約してたマンセルは、表彰式のおかげでチケットが無駄になった(笑)。そしてマクラーレンの最強エンジンパワー全開で車体は大きなウイングで押さえつける方法論が効力を失い始めた年でもあった。 ホンダに切られたロータスに残留した中嶋悟は、大雨のオーストラリアGPで日本人初のファステストラップを記録。3シーズンのロータス人生に花を添えた。1990年アイドロン1/43 マクラーレン MP4/5B ホンダ1990年アメリカGP 優勝アイドロン1/43 マクラーレン MP4/5B ホンダ1990年日本GP DNF エンジンパワーが少々劣っていてもボディ全体でダウンフォースを稼いで、結果サーキットコース全体でのスピードが上がるデザインが主流となっても、ホンダパワーに依存せざるを得なかったマクラーレンは旧態依然としたシャシーに大袈裟なディフューザーを付け加えることくらいしかできなかった。そのご自慢のバットマン・ディフューザーもシーズン半ばには廃止され、結局この年もホンダパワー依存で乗り切った。ホンダエンジンという宝玉を手にしたが故にシャシー開発を疎かにしたツケは、翌年以降支払うことになる。 前年鈴鹿のアクシデントやそれまでの本人の言動から「セナは危険なドライバー」包囲網が当時のFIA会長ジャン=マリー・バレストルによってひかれ、その下らなさに辟易したセナのモチベーションはダダ下がり。開幕戦が始まってもテンションは上がらない元ワールドチャンピオンの横っ面を思いっきりひっぱたいたのが新進気鋭のジャン・アレジ。まぁ直角コーナーばかりで速度の上がらない市街地コースだったことも後押ししたんだろうが、非力なティレルでトップ快走、セナに抜かれた次のコーナーで差し返すドッグファイトを展開。このバトルに刺激を受けてやる気が戻ったとセナは後のインタビューで語っている。 そして運命の鈴鹿。去年の意趣返しとばかりに1コーナーでプロスト駆るフェラーリに特攻。セナプロ対決クライマックスの丁々発止を期待した多くのファンを失望させた。今年の日本グランプリの時、もしこの年も春先に開催されてたらどうなってたろうなぁと思ったよ。シーズンは開幕したばかりの手探り状態だから、あとあとの事を考えて特攻なんてことはあり得ないし、フェラーリ対マクラーレンの真っ向勝負が繰り広げられたかもしれないわな。 この年、日本人レギュラードライバーが二人に。最先端トレンドのマシンを与えられた中嶋悟とコンサバなシャシーに高出力エンジンという旧態依然のマシンの鈴木亜久里。体力的にマシンの性能を出し切れなかった中嶋に対して、前年全戦予備予選落ちという辛酸をなめた鈴木亜久里が鈴鹿で値千金の3位表彰台。1991年アイドロン1/43 マクラーレン MP4/6 ホンダ1991年ドイツGP 7位アイドロン1/43 マクラーレン MP4/6 ホンダ1991年日本GP 2位 前年のフェラーリの速さに刺激を受けたか、完成が大幅に遅れ開幕フェニックスにあらわれたMP4/6の外観はフェラーリそっくりだった(セナ大好きのモータージャーナリストI氏をしてフェラーリのフェイクと言わしめた)。それもそのはず空力関連のデザインをフェラーリからやってきたアンリ・デュランが努めたのだから当然っちゃあ当然。本家のフェラーリがフロントウィングに関するレギュレーションを甘く見積もったために失速し、代わって台頭してきたウィリアムズの追撃を辛くもかわして、ぶつけ合いなしの王者獲得(とはいえ、同僚ベルガーに「優勝くれてやるよ」事件はあったが)。意外なことにV12エンジン搭載車のチャンピオン獲得は長いF1史でもこのクルマだけ。ドイツGPのマクラーレン・ロゴはせっかくタミヤがプラモ化するのにバーコードロゴじゃなぁ、ということでタミヤファンのロン・デニスがフィリップモリス社と交渉した成果。 本来一番のライバルは同じマシンに乗るチームメイトであるわけで、ベルガーがその気になれば第二のセナプロ抗争が勃発したかもしれないのに、早々に白旗を挙げてオフタイムの悪戯にばかり精を出す体たらく。「ワールドチャンピオンになるためにマクラーレンに来た」筈なのに譲られた鈴鹿の一勝だけじゃあねぇ。とはいえある意味歴史的な出来事なんでちゃんと鈴鹿仕様のベルガー車も確保してあるけど、ここでは前期型(ウインドスクリーンなし、赤バックミラー)のモナコ仕様を。1992年フラットアウトメモリアル1/43 マクラーレン MP4/7A ホンダ1992年モナコGP 優勝 ホンダパワーがあれば万事解決という開発姿勢を続けたために、シャシー技術や空力、コンピューター制御のハイテクデバイスといった新しい波に完全に乗り遅れたマクラーレン。92年になってようやくセミオートマや雌型モノコック、ドライブ・バイ・ワイヤなどライバルがとっくに採用してる技術が実践投入され始めたものの、信頼性に欠け完走率は50%を下回った。更にアクティブサスを搭載した4/7Bも投入予定だったが新機構の熟成に手間取りデビューは見送られた。そしてバブル崩壊とヒット商品を生み出せなかったツケが経営を圧迫して、ホンダはF1からの撤退を表明。88年からの常勝黄金コンビがついに終焉を迎えることになる。 フラットアウトは、タメオやBBRのメタルキットをモデルガレージロムのお抱えモデラーが製作した完成品で、このMP4/7AはイギリスGP仕様のタメオキットを改造してモナコ仕様にしたもの。 92年はまったくもってハイテク・ウィリアムズとマンセルの年であって、セナとマクラーレンにとっては(てか拙にとっては、かな)「ここはモナコ、モンテカルロ!絶対に抜けない!」でお馴染みのモナコGPラスト8周の大立ち回りが唯一のハイライトだろう。荒法師の「俺を誰だと思っているんだ」走法をもってしても抜けなかった鉄壁のディフェンスを手に汗握ってリアタイ出来たのは僥倖だった。 引退した中嶋悟と入れ替わりでF1サーカスの仲間入りしたのはカミカゼ・ウキョーこと片山右京。鈴木亜久里が在籍したラルースの血を引くヴェンチュリーからエントリー。鈴木亜久里はラルースを出て日本のフットワークエクスプレスが買収し無限ホンダエンジンを積むアロウズに移籍。いずれも目立った活躍はせず。1993年BBR1/43 マクラーレン MP4/8 フォード1993年ブラジルGP 優勝アイドロン1/43 マクラーレン MP4/8 フォード1993年モナコGP 優勝アイドロン1/43 マクラーレン MP4/8 フォード1993年オーストラリアGP 優勝 ホンダ撤退によって最強ワークスエンジンを失ったマクラーレンだったが、それが逆に奏功したカタチのMP4/8。パワーはあるが大きく重たいホンダエンジンにかわり軽量コンパクトなフォードHBエンジンを積んだおかげでマシンバランスが向上。アクティブサスやセミオートマといった流行りのハイテクシステムも搭載して優勝5回、ホンダを失ったマクラーレンはもうおしまいという評判を覆した。 雨のドニントン、ドライバーズサーキットのモナコ、予選重視のハンガリーなどでは最強FW15Cに一泡吹かせることもあったが、パワー重視のサーキットではルノーV10には歯が立たず、ワークスフォードを積むベネトンと競り合わなければならなかった。 ミニチュアモデルに関しては、一見してバランスの悪いBBRに対してアイドロンはイメージばっちりなんだが、ディテールが残念なのは過去記事(モナコはこちら、オーストラリアはこちら)を参照してもらうとして、どこのGP仕様でもいいから決定版っつーの出してくんないかしら。。。1994年ミニチャンプス1/43 ウィリアムズ FW16 ルノー1994年パシフィックGP DNF そして運命の1994年。2年間ウィリアムズと格闘してきて、その強さ速さに「ウィリアムズに乗れるならギャラなんかいらないよ」とまで語るなど恋焦がれ、ついにそのシートを手に入れたセナがまさかの開幕3戦連続リタイアのノーポイントでシーズンを終えるなど誰が想像したろうか。ハイテク装備に全力投球した結果が、出る杭は打たれるの典型で94年はハイテク全廃。加えてエイドリアン・ニューエイの悪癖(レイトンハウス時代もあった空力の突き詰めすぎ)からセンシティブなマシンとなったFW16でセナがフルシーズン戦ったとして、はたしてチャンピオンを獲得できたかどうか。それはもう神のみぞ知る世界。 素直にハイテクを取り外したウィリアムズと巧妙に隠し残したベネトン。どちらが勝つにしても94年シーズンはこの二人を中心に回った筈。 セナ亡き後、本来なら「絶対王者セナVS新興ヤングガンズ」というFOCAの筋書きは崩れ、マンセル・プロスト・セナの豪華リレーで3連覇を目論んでいたルノーの計画も風前の灯火。そこで登場するは大看板マンセル。参戦中のCARTスケジュールの合間を縫って仏、西、日、豪の4戦にエントリー。ウィリアムズのコンストラクター制覇に力を貸した。 まぁセナがいたらばマンセルの復帰はあり得なかったろうが、セナとマンセルのコンビというのも見てみたかった(きっとうまくいかないだろうけど)。 セナ没後30年ってことで、セナの時代をさらっと振り返るってことだったが、ここに記した以外にもあれやこれやが思い起こされたんだけど(撃墜事件や激怒事件①VSシューマッハ、激怒事件②VSアーバインなどなど)、再現するためのミニチュアがなくて泣く泣くオミット。もしもセナが存命なら今年で64歳(!)。当時のF1ドライバーは選手生命が短いから2000年までは走ってないだろう。最後は美味しいランチのお礼にロハでミナルディにのって引退しただろうけど、その後どう生きたんだろう。父親の事業を引き継いで会社経営?政治に打って出る?可能性としてはそんな感じなんだけど全然イメージが湧かないわ。スーツ姿なんて想像つかないし、結局いつまでたってもお腹にでっかくバンコ・ナシオナルて書いてある赤いレーシングスーツのドライバーであり続けるんだな。
2024.05.21
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音速の貴公子アイルトン・セナの事故死から30年。33回忌法要という風習のない欧米では30年というのは節目の年だろう。サンマリノGPは紆余曲折あってエミリア・ロマーニャGPと名を変え、現役ドライバーで一番歴の長いフェルナンド・アロンソであってもセナとは競い走っておらず、時の流れを感じざるを得ない。かくいう拙も当時は生粋のアンチ・セナだったのが、美味しいランチのお礼に無給でミナルディに乗る姿を見たかったし、モチベーション低下とか理由はともあれ事故なんかじゃなく自分の意志で引退するラストレースを見たかったとか思うようになったわ。今となればセナが嫌いなんじゃなくて、セナ様セナ様とやたら持ち上げるメディアとそれに唯々諾々と従う一見さんにわかファンが嫌いだったんだなあと思い至るわけで、まぁ若気の至りというわけだ。そりゃなんたって30年前だもんよ。 セナのいた季節は、1984年から94年までの11シーズンだが、日本においてはフジテレビが全戦放映を始めた87年をセナ様元年とすれば8シーズンか。ターボ全盛期からホンダ排除の全車NA化、ハイテクデバイスの隆盛と衰勢といった時期。そんな時代をセナの搭乗マシンを縦軸にざっくり浚ってみようかというのが今回の趣旨だ。1984年タメオ1/43 トールマン TG184 ハート1984年モナコGP 2位 英国F3を制してウィリアムズ、マクラーレン、ブラバムのテストを受けるもチーム事情スポンサー都合でシートに空きはなく、下位集団から脱皮しつつあった新興トールマンよりF1デビュー。雨天によりマシンの性能差が小さくなったモナコで大暴れ。2位に躍り出てあわや優勝かというところでレースは強制終了。細かいことはこちらの記事で。 84年と言ったらこの3台のドライバーだろう。モナコのハーフポイントが響いてチャンピオンを獲り損なうアラン・プロストと、非力なノンターボ・ティレルでセナの更に後方からスタートして3位に滑り込んだステファン・ベロフ(のち失格)。 どうみてもプロストタイプというよりセナタイプのベロフは翌年耐久レース中に事故死。若くて速いセナとベロフがツインタワーとして引っ張ったF1サーカスはどんな世界だったろうね。それはともかく、セナはこの洗練されたとは言い難いマシン(けど、デザインはのちにベネトン・フェラーリで大輪の花を咲かせるロリー・バーン)で3度の表彰台を記録するも満足することはなく、契約が残っているにも拘らず翌年ロータスに移籍。強引な移籍劇でロータスを追い出されることになったのは、大英帝国の愛すべき息子ナイジェル・マンセル。1985年ミニチャンプス1/43 ロータス 97T ルノー タバコ問題でJPSがないのは仕方ないとして、モノコック側面のゼッケンやサイドポンツーン上のウイングレット、同じくスリット状のエアインレットから初期型(開幕戦と第2戦)なんだが、リアウイングの構成がそのどっちにも当てはまらないというなんちゃって97T。まぁセナ初優勝のポルトガルGPを再現したかったのかもしれないが、それにしてはレインタイヤじゃないし、急改造リア翼端板の段差もないし補強ロッドも再現されてない稚拙な考証だが、それでも発売時は喜んでホイホイ買ったもんだ。スパークから新作がアナウンスされてるんで(予約済み)それに期待しよう。1986年アルタヤ1/43 ロータス 98T ルノー1986年ブラジルGP 2位 前年の初優勝(プラス1勝)で若手有望株の一人から完全に脱皮し、98Tでも2勝しチャンピオン争いに名乗りを上げた。 ロータスのセナ、ウィリアムズのピケとマンセル、マクラーレンのプロスト、所謂F1四天王。良くも悪くも90年代前半にかけてのF1は四天王を中心に回っていく。1987年レーヴコレクション(スパーク)1/43 ロータス 99T ホンダ1987年モナコGP 優勝タメオ1/43 ロータス 99T ホンダ1987年アメリカ東GP 優勝レーヴコレクション(スパーク)1/43 ロータス 99T ホンダ1987年日本GP 2位 セナが嫌い言う割に揃っちゃってんじゃん、セナ大好きやん自分(笑)。いやまあF1を歴史的に集めようとすれば避けて通れないっつーか、好き嫌いなど言ってられず否応なしに揃っちゃうわけで。当時はNPBじゃないが「実力のウィリアムズ、人気のロータス」で、戦績の割にはモデルに恵まれてるよね。てか戦績が悪いから突貫工事でグランプリごとにあれこれいじくりまわしてくるわけで、その分ミニチュアのバリエーションも広がるという好循環(実車としては悪循環だが)。 セナはこの年も2勝を記録。アクティブサスという足枷がなきゃもっと望めたかも知れないが、そこはそもそもセナ本人が執着したからで仕方がない。それは97T→98T直系の(変わりばえしない)99Tでは何勝かは期待できるがライバルを完全に出し抜くためにはサムシングエルスが必要と直感したのかも知れない。結局JPSよりも潤沢と言われたキャメル・マネーは、アクティブサス関連の高額部品代に消えていき、チーム・ロータスの終わりが始まった。 1987年はやはり(好き嫌いに拘らず)日本人初のレギュラードライバーの誕生、だろう。明らかにホンダのバーターであり、チームメイト選びには極めてナーバスだったセナもさすがに無碍に扱う訳にいかず、色々と教え導いた。その結果がイギリスGPでのホンダ1-2-3-4フィニッシュに結実。1988年デアゴスティーニ(イクソ)1/24 マクラーレン MP4/4 ホンダ1988年イギリスGP 優勝アイドロン1/43 マクラーレン MP4/4 ホンダ1988年日本GP 優勝 2023年にレッドブルRB19によって記録が破られるまで最高勝率93.8%(RB19は95.5%)を誇った最強マシン。他のどのマシンよりも低いシルエットに高出力エンジンの組み合わせでシーンを席巻した。このマシンで、セナは(後年に比べれば)比較的穏やかにワールドチャンピオンを獲得。1988年シーズン16戦の勝者。たったの3人。とはいえフェラーリの1勝も殆どセナのミスとは言わないが、プロストリタイアでトップ独走状態の慢心が招いた結果と言えなくもない。この年はモナコの自滅リタイア等まだ青さが残っていた。 そしてセナの電撃移籍であおりを食った四天王たち。 ピケは辛くもホンダエンジンは確保できたが、それを載せるシャシーがウドの大木でマクラーレンに大きく水をあけられた。それでもマンセルよりはまだマシかもしれない。チーム運営への不満からエンジン供給をバッサリと切り捨てられたウィリアムズは、ジャッドエンジンを積むしか手立てはなく。。。 もう一台。20“16”年に発売された、1988年戦日本GPの決勝“16”周目にプロストをかわしてラップリーダーとなったゼッケン“16”のマーチ881。マシンデザインは、昨今その去就が喧しいエイドリアン・ニューウェイ。もちろんセナ最後のマシンとなったFW16(おお、ここも16だ)もニューウェイのデザインであり、ノーズセクションやホームベース型のコックピット開口部をはじめ随所にその萌芽が認められる。 と言う感じで、F1デビューから初戴冠までのセナとその周辺を相当ざっくりと浚ってみたが、次回はいよいよ昼ドラも真っ青なドロドロの愛憎劇へご招待(んなわけない)。
2024.05.09
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この間、ショップに予約してたミニチュアを引き取りに行った時のこと。つかその前に自分のミニチュアの買い方っつーのは、馴染みの店のウェブショップで予約するんだけど、送料払うのが勿体ないってケチ根性で店頭受け取りってパターンだ。実店舗まで時間かけてガソリン使って、これ送料払ったほうが実際安上がりなんじゃね?と思わんこともないんだが、確実に確保出来て且つ店頭在庫を比較チェック出来るから、まぁ新着ミニチュアカーについてはこの方法がベストと思っとる。まぁそんなわけでショップに行ってみたらば、ウェブのほうでは完売御礼となってた新着品がまだ店頭に残ってた。理由を訊ねたら、在庫ありったけをウェブに振り分けちゃうとすぐさま売り切れちゃって、誰も実店舗に足を運ばなくなるからウェブの割り当てを少なくしてるんだそうだ。実は買うかどうか迷ってる間にウェブ完売しちゃって、あぁ縁がなかったなと諦めたミニチュアカーだったもんでこれ幸いとばかりに即購入。やっぱ実店舗に足を運ぶってのは大事よね。モデルガレージロム特注スパーク1/43 プロスト JS45 無限ホンダ1997年ハンガリーGP 6位#15 中野信治 第二期F1ブームの立役者である中嶋悟から数えてレギュラー・スポット含めて8人目の日本人ドライバー中野信治だけれど、どうも影が薄いよね(個人の感想です)。スポット参戦だけどトラブったマシンにブチ切れ、ステアリング投げ捨ててマシンの横っ腹を蹴っ飛ばし、中嶋悟に「あんな奴は大成しない」と公開ダメ出しされた服部尚貴のほうがよほど印象に残ってる。 シーズン通して、オールフレンチを妄信するチームに冷遇され「無限エンジンのおまけ」「元々おフランスはジャポネが嫌い」「英語喋れるのにわざとフランス語しか使わない」とか楽屋雀の噂話ばかりが印象に残ってる(汗)。のちに本人が、差別とかそーいうんじゃなくて、単に「来た、乗った、速かった」タイプのドライバーじゃなかったから、とインタビューに答えているが、とにかく戦績が低空飛行だった。マシンは前年モナコ優勝のJS43の、さらに遡ればチャンピオンマシン・ベネトンB195にたどり着く。シューマッハスペシャルであるから強クセではあるものの、正しく操れば確実に速いマシン。現に同僚オリビエ・パニスは一桁フィニッシュ連発し表彰台もゲットしている。パニスがクラッシュで戦線離脱し、急場しのぎでミナルディから引っ張ってきたヤルノ・トゥルーリがまさに「来た、乗った、速かった」ドライバーだったんで、中野の評価は更に下がっただろうし、フランス人お得意のオールフレンチ病で、翌年はプジョーエンジン搭載が決まってたことが「乗せたくもないお荷物」感を煽ったのも想像に難くない。 逆境ともいえる環境を乗り越えて6位入賞を果たしたハンガリーでも、スペアカーでペースの上がらないシューマッハとタイマン勝負など見せ場はあったが、話題はデイモン・ヒル快走でヤマハエンジン初優勝か!にさらわれちゃった感じがなんともツイてない。「来た、乗った、速かった」ヤルノ・トゥルーリとツーショット。ミニチャンプス製との比較。さらに言えばダイキャストとレジンの比較。発売時期にはなんと四半世紀(!)の差があれど、先行ダイキャストのミニチャンプスのほうがシャープな造形っていうのが、やっぱミニチャンプスって凄かったのね~と改めて思わせられる。ちなみに商品パッケージでは謳ってないがトゥルーリ車はタバコ禁止のフランスGP仕様(移籍デビュー戦)だ。予選でも決勝でも中野を圧倒し、そりゃチームとしちゃあ即戦力を使いたいってのは全くもって正論だわな。翌年は無限ホンダとともにお払い箱となり片山右京の抜けたミナルディに滑り込むことになるんだが、そこでも爪痕は残せず。まぁなんだかんだあっても(なくても?)F1ドライバーになったことそれ自体が爪痕だと言えば言えるんだけどね。
2024.04.08
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人生も60過ぎると、オリバー・ベアマンや野田樹潤といった才能ある新たなヒーロー・ヒロインの誕生に立ち会うより、眩いばかりの才能に溢れていた彼ら彼女らの突然の退場に出くわすことのほうが圧倒的に多くなる。hpiレーシング1/43 ランサーエボリューション1994年サファリラリー 2位#4 篠塚健次郎 / ペンティ・クッカラ 日本のレース界から世界に打って出たパイオニアの一人である篠塚健次郎氏が亡くなられた。自動車部品会社の開発にいた頃、訪れた岡崎研究所で氏を見かけたことがある。多分40代だと思うんだが、ラリーアートのチームジャケットを身に纏った氏には精悍なオーラといったものは感じられず、なんならディーラーの中堅セールスマンが打ち合わせに来てると言われてもまったく違和感なく、ラリーカーを走らせる際には「やる気スイッチ」みたいなもんがきっとあるんだな、と思ったものだ。R.I.P.
2024.03.19
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文筆の世界では、単行本から文庫本へ移行する際や重版するタイミングで、加筆修正する場合がある。それは読者からの指摘であったり、時流に沿った表現に変更したりと理由はさまざまだ。なかには「マークスの山」のように、ミステリなのに犯罪件数を減らしたり謎解き自体を全然変えちゃったりと題名こそ同一だがまったくの別物といってもいいくらいに改変しちゃう場合もあったりする。 何の話かと言えば、ミニカーを入手したらそれなりに新規の文章を添えてアップするもんだろうが、過去ネタに画像を追加して増補・改訂版とすりゃあ流行りのタイパが計れるやん、てなわけで。 最新のスパーク製R390GT1とちょっと前のスパーク製アシェット(ルマン24時間レースカーコレクション)のニスモGT-R LM。これらを3年前の記事にブチ込んでインスタントに仕立て上がり(笑) 今の時代、クルマ本体の訴求ポイントを紹介する無難なCMが全てだが、昭和の時代にはそれこそドナルド・トランプの選挙CMもかくやとゆー感じのキャッチコピーがあった。「プラス100ccの余裕(1リッターサニーに対する1.1リッターカローラ」「隣のクルマが小さく見えます(1.1リッターカローラに対する1.2リッターサニー)」のやり合いが発端となって、かの有名な「名ばかりのGT達は、道をあける」に行きつく。 ツインカムエンジン搭載のセリカに対してツインカム設定がないスカイライン(=名ばかりのGT)を揶揄したトヨタのCMキャッチコピーなんだが、まさか未来にこの「名ばかりのGT達」がモタスポの主役を担うカテゴリになるなんて当時は誰も思わなかったろう。 1992年をもってグループCレースがNA化スプリント化によって瓦解してしまうと、FIAやACOはとても困った。次なる選手権の核となる車輛を何にしたらよかんべ?と。目を付けたのはスーパーカーが大挙参戦することから、いちローカルレースであるにもかかわらず活況を呈していた「BPRグローバルGTシリーズ」。こいつを世界選手権として乗っ取っちゃえばいいじゃん(FIAお得意の手法)と。GTカー(ほぼスーパーカー)だったら迫力もあるしパフォーマンス面でも文句なし、けどスーパーカーを用意できるのは限られたメーカーだから、車種は少なくなっちゃう。より多くのメーカーにエントリーしてもらってシリーズを盛り上げるには「市販車輛が一台あればレース車輛としてOKよ」とゆー敷居のとっても低いルールにした。 それでスーパーカーをラインナップしていないメーカーも、超ハイスペックな市販車を一台作って参戦する流れが出来た。本来、量産車のGT(グランドツーリング)を改造してレースカーに仕立てるのが本来だったはずなのに「レースカーありきで一台だけGTカーをつくる」とゆー本末転倒な状況を皮肉って、これら名ばかりのGTマシンを「なんちゃってGT1」と呼称した。 スパークから最新フォーマットでR390GT1が発売されたんで、「なんちゃってGT1」時代のマシンを一挙に、とゆー企画。 hpiレーシング1/43 日産 ニスモGT-R LM1995年ルマン24h DNF#23 星野一義 / 鈴木利男 / 影山正彦 日本に冠たるスカイラインGT-R。ルマンの主役がGTになったのならば「このクルマで行くっきゃないっしょ!」と満を持して登場。ただし「スカイライン」という名称はつかないんだな。何故なら「同一車種に4ドア車があってはアカン」とゆーヘンテコルールがあったので、スカイラインではエントリー出来なかったのだ。そこで「市販車を一台だけ作ればいい」とゆールールが活きてくるわけだ。レース仕様を公道用にデチューンして「ニスモGT-R」とゆー名前で売れば、4ドア縛りは回避できる(ここでは販売することが大事で、売れた売れないは関係ない)。そーゆー経緯で、晴れの舞台でスカイラインを名乗れないGT-Rが誕生したというわけ。市販車自慢のアテーサ4WDも搭載していない純レースカーのGT-Rは、総合7位まで上がったところでギアボックストラブルが発生しリタイア。hpiレーシング1/43 日産 ニスモGT-R LM1995年ルマン24h 10位#22 福山英朗 / 近藤真彦 / 粕谷俊二 いけいけドンドン!は#23号車にまかせて、後詰め・抑え的なスタンスで淡々と距離を稼いで、狙い通りの完走・入賞(クラス5位)。この#22号車は、2015年に完全レストアされて動態保存されている。タミヤ1/43 日産 ニスモGT-R LM1996年ルマン24h 15位#23 長谷見昌弘 / 星野一義 / 鈴木利男 前年の弱点(駆動系)を克服できぬまま参戦した96年。全開で走ったら24時間は絶対もたないっちゅーことで「レブリミットを1000回転低く、ギアチェンジはしっかりクラッチを切ってから優しく丁寧に!」を合言葉にレーススタート。しばらくはきっちり守って安全走行していたが、結局は、誰よりも速く走りたい、がドライバーの業。星野が協定破りして全開走行を開始(笑)。長谷見、鈴木がエンジニアに「あれヤバイよ。絶対壊れるよ」と詰め寄るも、ゾーンに入った鬼神・星野に誰も物申せるわけもなく。そのうち長谷見も「オレも」とばかりに全開走行。唯一チームのコントロールがきく鈴木だけが当初の約束を守って走行させられるが、星野と長谷見に酷使され続けたミッションは、まさか一番丁寧な鈴木のドライブ中に音を上げる(そーゆー貧乏くじってあるよねー)。修理のためにピットストップを余儀なくされて結局15位完走(クラス10位)。 43スケールの96年型GT-Rは、この古いタミヤとスパーク(アシェット・ルマン24時間レースカーコレクション)だけ。TSMから18スケールで出るらしいから、その流れで出るかな?と思ったが今のところアナウンスなし。まぁスパークのアシェットは観測気球だって思ってるんで、そのうち本家から出るでしょ。アシェットルマン24時間レースカーコレクション1/43 日産 ニスモGT-R LM1996年ルマン24h 15位#23 長谷見昌弘 / 星野一義 / 鈴木利男 まあそのうち本家スパークから出るでしょ、とは思ってたもののなかなか出ないのでオークションで安いのをゲット。ルーフアンテナが欠損してるのが安価の理由だろうけど、そんなもんはお得意の0.3mm洋白線を木工用ボンドで接着すれば問題なしだ。 タミヤのに比べて、ライトの表現とか当然進歩してるんだけど、赤がねぇ。。。ホント単なる赤なのよ。日差しや時間帯によっては真っ赤に見える場合もあるんだけど、もっとピンク寄りっつーか赤紫っぽいっつーか、とにかく単純な赤じゃない。本家スパークから出れば(出るでしょ)買っちゃうんだろうけど、ここは是非とも改善してほしいなぁ。 スパーク1/43 日産 R390 GT11997年ルマン24h 12位#23 星野一義 / エリック・コマス / 影山正彦 GT-Rでは世界の牙城に歯が立たなかった日産が「総合優勝を目指す」として開発したGT。見ての通りグランドツーリングのイメージはまったくない「なんちゃってGT」である。そもそもの目論見は、Cカー最優良シャシーの誉れ高いジャガーXJR-14シャシーにCカー最強エンジンのひとつである日産VRH35Zエンジンを載せよう(つまり前年優勝したTWRポルシェと同じ手法だね)だったんだが、どーゆーわけか計画は頓挫した。「それだとあまりにも日産車のイメージがなくて、単なるエンジンサプライヤーじゃんか」的なダメだしが日産上層部から出たのかも知んない(個人の感想です)。とにもかくにも計画がおじゃんになったんで、急遽TWR内に売れ残ってたジャガーXJR-15を持ち出してあれこれ部分的に作り直して日産エンジン積んでなんとかでっち上げた。 ほぼぶっつけ本番に近い状況下では好成績は望めるわけもなく、3台エントリー中唯一生き残った23号車が10位(クラス5位)完走が精いっぱい。クラス5位っつってもさ、上との間に格下LMGT2のトップ3に割り込まれちゃダメでしょ。 R390最後発のスパークの出来映えはさすがの一言。そして近年の日産Eダムス(フォーミュラE)にも通じる赤黒リバリーはとってもカッコいい。 京商1/43 日産 R390 GT11997年ルマン24h DNF#21 マーティン・ブランドル / ヨルグ・ミューラー / ウェイン・テイラー いやね、ちゃんと昔のもの(14年前!)もキープしてるのよってことで。全員日本人クルーの#23号車に対して全員ガイジンクルーの#21号車。誰がドライブしてた時かわからんが、139周目にスピンオフしてリタイア。京商1/43 日産 R390 GT11998年ルマン24h 5位#30 ジョン・ニールセン / ミハエル・クルム / フランク・ラゴルス 前年のシックなカラーリバリーから一転して、一体どうしちゃったんでしょ?なチェッカー柄。どうしてもチェッカーフラッグまで走り切って欲しいと願かけしたのかな(笑)。前年のデータを検討してロングテールに改造するのはルマンの定石。それらが効いたのかエントリー4台すべてがトップ10フィニッシュ。 R390は京商・スパークの他にイクソからも出ていて、それも当然所有しているけれど、イクソのダメさ加減は前にも書いたけど、ノーズがしゃくれ上がっちゃっててとってもヘンテコなのでここではオミット。スパーク1/43 日産 R390 GT11998年ルマン24h 3位#32 星野一義 / 鈴木亜久里 / 影山正彦 一大物量作戦に出たグループC時代に結果を残せなかった日産陣営が、ついに表彰台へ。しかも日本人クルーのドライブする日本車として初の表彰台というオマケつきの#32号車。速さを諦めて信頼性のみを武器として淡々としたペース走行が奏効しての表彰台。我慢の効かない星野がよく抑制できたもんだとも思うが、逆にそこまでしても結果が欲しかった、ということなのだろうきっと。日産のレース車輛は大抵23号車と相場が決まってて、この年も23番は誰も使ってなかった。けど前後の番号は他チームに押さえられてて、それゆえ苦肉の策として32号車だったんだろうね。 アシェットのR390は手にしていないけど、ルーフアンテナがスーパーGTモデルでも使われてる最新型に更新されてる(けど、あんまカッコよくないんだよね、コレ)。BBR1/43 日産 R3911999年ルマン24h DNS#23 鈴木亜久里 / 影山正美 / エリック・ヴァン・デ・ポール R390GT1の後継R391。 予選が始まると一人目のエリック・ヴァン・デ・ポールがテルトル・ルージュで大クラッシュ、赤旗中断。本人は脊椎損傷して病院に運ばれ、クルマはモノコックに穴が開くほどで、とっても短時間に修復できるもんじゃなく即刻欠場が決定し、鈴木や影山はまったく予選を走れずに終わった。レースをスタートした僚機#22号車も順位を4位まであげたものの、電気系トラブルでコースサイドにマシンを止める。 R391は「なんちゃってGT1」じゃなくて、れっきとしたプロトタイプ(LMP)だからここで取り上げるのもなんなんだが、GT1時代の流れに無理やり押し込んだ。系譜から言えば16年後の「やっちゃった日産」で有名な駄馬「GT-R LM ニスモ」の先代にあたる(つか、なんであれをR392にしなかったんだ?)。 BBRのR391は、BBRキットを岐阜在住のプロモデラーが完成させたもの(を中古で入手)。当然、出来映えは他のGT1よりも一枚も二枚も上。日産耐久車輌のアイデンティティーだった日産トリコロールを大胆にアレンジして使ってるとこがイイネ。リアのでっかい日産マークもグッド。 1999年の企業としての日産には、カルロス・ゴーンがやって来てコストカットの嵐が始まり、ルマンどころの騒ぎじゃなくなって、Cカー時代から勝てそうでまったく勝てなかった日産のルマン挑戦は終わることになる。ご存知の通り、今は複雑なハイブリッド・パワー・ユニット主体の時代だから、今後ルマンで日産の新型マシンを見ることは、悲しいかなもうないだろうね。
2024.03.04
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それまでエブロが更新していたと思われるスーパーGTモデルカーの独占製作販売のライセンス契約をスパークが締結してからおよそ一年が経って、商品が順調に市場に流れだした。2023年モデルについてはほぼ全車(GT500)が発売されてる。本当ならリリースアナウンスに準じて22年モデルが勢ぞろいって予定だったんだが、何故か23年モデルが優先された。まぁエブロの出す出す詐欺に辟易していた我々コレクターからすれば、22年モデルだろうが23年モデルだろうが、リリースアナウンスを出した商品がオトナの事情による発売中止などなく、ちゃんと順調に着実に発売されること自体が喜ばしいことだ。 個人的に念願だったスパーク独占製作販売をお祝いして、最近はチャンピオンカー以外は遠慮していたGT500を3メーカーを買い揃える気になった。auトムスGRスープラ、モチュールオーテックZに続いて23年モデルのトリがコレ。スパーク1/43 ARTA無限NSX-GT2023年スーパーGTシリーズランキング8位#8 野尻智紀 / 大湯都史樹 カテゴリーは別だがSFチャンピオンの野尻に、当代きってのスピードスター大湯というコンビで開幕前に大いに注目され、実際開幕岡山戦では3位入賞をはたしたARTAだったが、まさかそこがシーズンのクライマックスだったとはお釈迦様でも気がつくめえ、だ。第二戦から連続ノーポイントでチャンピオン争いから早々に脱落。第六戦菅生でポールポジションから(繰り上げだが)優勝し反撃開始か?と思われたが続くオートポリスではFPクラッシュ決勝リタイアと空回り。その責を問われたか、大湯はホンダ陣営を抜けて、引退したスピードスター立川祐路の後釜としてセルモへ移籍する。 市販前のコンセプトGTから含めNC1ベースのNSXはちょうど10年。市販車販売終了を契機としてNSX-GTも23年がスーパーGT最終年となった。まぁ販売終了云々と言ってはいるが、現行GT500車輛としては最古参となって、「フレッシュ」なフェアレディZやGRスープラには太刀打ち出来なくなってきたのがホントのところじゃないの、と勘繰ってしまうわな。実際10年間のチャンピオン獲得数はトヨタ5回、日産3回、ホンダ2回と最少だったし。そのチャンピオン2回もチーム国光が獲り、前NSX(NA1)時代のエース格だったARTAは、たまに優勝しはするもののすっかりレイブリッグの影状態。ゆえに強い野尻に速い大湯を組み合わせたオールスターチームでNSXの有終の美!の思いは強かったんだろうが、得てしてそういう時は空回りしがち。 無類の強さで、最終戦までもつれることなくチャンピオンを獲得した最強NSXと。 思えばFR前提のスーパーGTにNSXで参戦すること自体がどうだったのか?他に車両がなかったんだから仕方ないじゃんと言うそもそも論は置いといて、そのためにホンダ(とミドシップNSX)のスーパーGT参戦は、切った貼ったの無間地獄となった。ターボ化したりエンジンを縦置き(しかも前後逆)にしたり4駆不採用やハイブリッドシステムを降ろしたり、挙句は自身のアイデンティティ)あるミドシップからFRレイアウトへと、勝つためならなんでもやった(ある意味ホンダスピリット?)。余談だが、FR元年に快走しチャンピオンを手にしたNSXなんだから、もう市販車だって価格高騰の一因であるミドシップ&ハイブリッドなんかやめちゃってFRで売り出したらええやん、と思ったもんだ。 どうせならついでに最強NSXの画像も貼っとこう(多分初出)。エブロ1/43 ARTA NSX2007年スーパーGTシリーズチャンピオン#8 伊藤大輔 / ラルフ・ファーマン チャンピオン争いは大体最終戦までもつれるスーパーGTにおいて、最終戦前にチャンピオンを決めた最初のマシン。この最終戦仕様では、ボディに「チャンピオンでござい」とばかりに大々的にアピール。この頃には、後年には権利問題からかまったく再現されなくなるコカ・コーラの小さいロゴがちゃんと再現されてる。エブロがやる気があったというよりはスポンサー側の意識が低かったんだろう。 ウチの23年モデル勢ぞろいの図。しかし、まさか3台とも24年のドライバーラインナップが変わるとは。まぁ今年コンビ不変なのは15チーム中5チームだけだから、予約時点で不変チーム3台を予約する方が難しいわけだけど、果たしてこの移籍合戦はどのチームに吉と出るのか興味は尽きない。
2024.02.20
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こないだコロナに罹患したんだけど、幸運にも微熱が続いただけですんで、巷間言われるようなのどの痛みとかは全然なくて。それでも会社からは出社厳禁と言われ5日間もぽっかり空いちゃったんで、手近な(つまりは出しっぱなしの)ガンダム系円盤をあれこれ、劇版ファーストとか∀とか今話題のシードとかデスティニーの総集編とか片っ端から見直して。当然その中にゃ新訳Zも含まれるわけで、まさか全快したタイミングでZ(勿論ガンダムじゃない)が発売されるとは(笑)どうせならテレビ版ZガンダムのファーストOPテーマになぞらえたネタにしたろうかいっちゅーことで。 2台の間には19年もの歳月が流れ。Z33ときたらもはやスーパーGTですらない(JGTCラストイヤー)。スパーク1/43 モチュールオーテックZスーパーGT2023年シリーズランキング3位#23 松田次生 / ロニー・クインタレッリ 23年開幕戦を制した日産陣営筆頭チームだけれど、開幕戦優勝車はチャンピオンにはなれないというジンクスどおり、またラウンド3での大クラッシュから3戦連続ノーポイント。後半復調し年間3位に滑り込めたのは、中盤の低迷から考えれば御の字というところかな。なお10年続いた松田・ロニーのコンビは、23年をもって終了。ロニーは残留、松田はコンドーレーシングへ移籍。エブロ1/43 ザナヴィニスモZ全日本GT選手権2004年シーズンシリーズチャンピオン#1 本山哲 / リチャード・ライアン 多分、ザナヴィZは初出だと思うんだが(ブツはちゃんと当時モノ)、どんなシーズンだったかもうすっかり霧の中。日産と日立が鳴り物入りで創ったザナヴィも今はもう亡く、ただただ時の流れを感じるのみ。とか言ってるがそんなもん仕入れた時にちゃんと記事にしとけよってハナシだわな。
2024.02.05
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ル・マン24時間レースを支えているのは、ワークスのプロトタイプマシンと市販スポーツカーベースの耐久グランドツーリングマシン(LMGTE)であると個人的に思っている。LMP2クラスはWECシリーズ戦として見れば面白いけど、24時間レース単発イベントとしたらちょっと弱い。なんたって基本は量産型プロトタイプ(暴言)だから、カーメーカーの威信をかけてってゆー気概がちと足らないかな。 2011年から始まったLMGTEクラスは、プロクラスが2022年をもって、一年以上昔の型落ちマシンで戦うアマクラスは2023年をもって終了し、今年からはLMGT3マシンへと移行する。スパーク1/43 ポルシェ 911 RSR-192022年ル・マン24h 28位(クラス優勝)#91 リヒャルト・リーツ/フレデリック・マコヴィッキィ/ジャンマリア・ブルーニ かつては、ダッジ・フォード・シボレー・ポルシェ・フェラーリ・アストンマーティン・BMWらがGTカー世界一の座を競って鎬を削ったGTEも、今やポルシェとフェラーリが残るのみ。参戦しているチームからすれば、まわりはすべて敵なので、参戦車種が多かろうが少なかろうが自分が勝つことが第一義なので関係ないのかも知れないが、見ている方としてはいろいろな車が競争している方が楽しいもんだ。ポルシェが世界制覇のために、市販車では頑なに守り続け唯一無二のアイデンティティでもあるリアエンジンを捨ててまで開発したRSR-19もこれが見納め?見事ル・マンクラス優勝で有終の美を飾った。タイヤ一つ分ワイドになったフロントセクションなど、ロードバージョンとは大きくかけ離れてしまっているけれど、スーパーGT500車輛のように空力付加物がないから、正面から丸目二灯を眺めればまごうかたなき911なところが素敵(笑)。 せっかく車種豊富なGT3クラスに移行したんだから、ランボルギーニやアウディに日産、レクサス、マクラーレン等スパやニュル並みの多メーカー混走が見たいもんだがル・マンがWEC全戦参加を前提にするなら結局、今年もポルシェとフェラーリだけだったりして。
2024.01.25
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ついに我が家にもコロナがやってきた。といっても一人住まいだもんで嫁や子供からうつされたっつーわけではなく、そもそも誰かと近距離でしゃべくることもないから感染経路は全く不明である。幸いにも38度の熱が二日続いただけで味覚とか臭覚とかに異常は出ず、まぁ軽症の部類でよかったけど、検査結果で「コロナ優性」と出るとそれなりにショックはある。さすがに死を覚悟とかゆーことはなかったが、それでも万が一とゆーこともあるから、そん時に思ったことは、若いころから続いてるいまだ終わりの見えない小説や漫画、その最後がどうなるのかを見届けるまでは未練が残るぞとゆーこと。大体ね、昭和の頃から好きで追っかけてるものが終わらなすぎるのだ。まさかたかがマンガやラノベが40年経っても終わらないなんて第一巻買った時にゃ思いもよらんよ。キマイラ(1982~)しかりFSS(1987~)しかりブギーポップ(1988~)しかり。比較的新しい部類の姫川や北海道警にしたってもう20年選手だ。ガンダムだって手を変え品を変え気がつけば45年。エヴァが26年でどうにかこうにか終わったのはホントに僥倖だった。 書籍の世界だけじゃなくて、そこより浮き沈みが激しいと思われるテレビの世界でも気がつけば40年選手、とゆーのが「CGTV」。40周年記念回とゆーことで40がらみのクルマを特集。 デアゴスティーニのGT40(アメリカンカーコレクション)とレッドラインのフェラーリF40。どちらもモータリゼーションの至宝であると番組はまとめていたけど、まさにそのとおり。今後こんなに語り継がれるクルマは多分あらわれないと思うわ。ただ、モタスポ至上主義の拙ブログではやはりロードカーを並べるんじゃなくて。こうじゃなくっちゃね(笑)。 CGTVと同時期の「新車情報(TVK)」の後継番組「クルマでいこう!」も頑張ってはいるが、こちらは流行りのSUVとEVとミニバンをループするだけでちっとも魅力を感じない。一応毎週録画は入れてるが毎回タイトル確認して観ずに消去してる。それに比べてCGTVは、小林彰太郎氏はすでに亡く田辺さんも出演しなくなって久しい(川口がーちゃんや葉ちゃん、どうしてるんだろ)が、番組の芯は全くブレてないところが素晴らしい。昔は意地でも外車礼賛にもってく姿勢が少々気に障ったが、国産新車に何の魅力も感じない今では、それすら気にならない。こちらの気持ちがCGTV寄りに変わったってことなんだろうけど、このままずっと続けてもらいたいものだ。
2024.01.21
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本来、年次総括っちゅーのはその年のうちにやっとかないとアカンもんやと思うんだが、なかなか思うように運ばないのもよくあることよということで、すっかり年初に定着しつつある。 昨年を振り返ると、手元に入って来たミニチュアカーは30台。データが残ってる過去5年間では最低数で、2020年のMAX83台の4割弱という少なさ。但し23年中に予約済みで未発売のモデルが11台あるのでそれを含めると41台。それでも最盛期のおよそ半分というわけだ。その要因は、収集に注力しているカテゴリの過去車がまずまず揃ってきたから、ということが大きい。つまり今年からは、ル・マンにしろF1にしろ基本的に新シーズンのマシンだけを追っかけときゃあいいということになり、多分今年はもっと減るんじゃあないかなと予想出来る。 入手済み30台については、全車がレースカーで市販ロードカーはゼロ。例年、国産名車とかアメ車とかを買ったりするんだが食指の動いたモノがなく、結果偏食ここに極まれりという結果になった。購入経路についてはネットと実店舗が比率がほぼ1対1になり、ここからも購入リストの穴が埋まって来たので過去発売車をネットで見つけてポチッ!が減っていることがわかる。ここで今年購入した30台を入手順に列挙してみると、1.トヨタGR0102.ロータス56B 3.フェラーリ126C 4.フェラーリ126CX5.ヴァンウォールVW576.フェラーリ126C2(アンドレッティ)7.フェラーリ126C2(タンベイ)8.ティレル0019.マーチ70110.アルファロメオ8C2300LM11.ロレーヌ・ディートリッヒB3-612.フェラーリ500F213.ベネトンB19414.クーパーT5315.アルファタウリAT0416.ベントレー3リットルスポーツ17.レッドブルRB1918.マクラーレンGen319.アルファロメオC4320.マーチ82121.ロータス6322.アストンマーティンAMR2323.アルピーヌA52324.ポルシェ911(991.2)GT3R25.マクラーレンMCL6026.ダラーラSF2327.アウディR8LMS EvoⅡ28.ミナルディM19729.フェラーリSF-2330.auトムスGRスープラ すでに記事に取り上げたミニチュアには背景色をつけたが、その割合およそ6割強。その大小は置いておくとして、記事にならなかった4割については、企画記事のため全部揃った時点で一挙出ししたいのに出来なかった分だよといえば聞こえはいいが、いやいやまとめ出し云々よりまず単品で記事書いてからってのが基本でしょ、と反省。今年はなるべくそーゆーことがないようにしていきたいものだな。 最期に、2023年の1台いわゆるCOTYを選ばにゃあかんのだが、今回はauトムスGRスープラに決め。 最強マシンの称号を35年ぶりに塗り替えたレッドブルRB19と競り合ったんだが、あっちはなんか毎年変わり映えしない見てくれだし、それよりなにより長年滞っていたスーパーGT500クラスマシンの安定供給が確約されたことが受賞の理由。ってことはつまりスープラの出来が云々とかじゃなくて、業界出来事大賞じゃん(笑)。
2024.01.12
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スパークから「独占製作販売ライセンス契約を締結」とのアナウンスが出てからおよそ1年。スーパーGT500クラスマシンが発売され始めている。拙ブログでは8年余、事あるごとに「エブロはとっととスーパーGTから徹底しろ」と書き続けてきた人間としては感慨深いものがある。 直近で最後に買ったエブロ(レイブリッグ)と待望のスパーク。ロボットアニメや特撮ヒーローでいうところの主役交代劇とゆー本来ならいっちゃん血沸き肉躍るところなんだが。。。けれど実際のところはどうなんだろう。購入サイドとしては、これからはシーズン内にフルグリッドが確約されたことは喜ばしいが、5年もの長きにわたりエブロが出す出す詐欺を働いたこと、それをGTAが看過した(実際は知らんが、はた目にはそう見える)ことは、スパークと契約してこれからは安定供給よ、でチャラになるようなものではないだろう。まぁ、空白の5年間で一番被害を被ったのは、多分ミニカーコレクターよりも「今年1年のサポートありがとうございました」とスポンサー筋にミニチュアを配ることが出来ず、不義理をせざるを得なくなった各チームなのでは?と思ったりする。それは2020年、エブロのあまりの怠慢ぶりにしびれを切らして、GTAに近しいウェッズスポーツがスパークに独自特注をかけたことからも推測できる。もちろんGTA側の観測気球があげやすいチームという側面もあるだろうが、理由はともかくこれ以上ミニチュアが出ないことに憤っていたことは想像に難くない。 F1やル・マンのように鮮烈な物語を持たぬスーパーGTマシンはぶっちゃけ旬が命だ。今更2019年最終戦のワコーズVS.auトムスの鍔迫り合いとか言われたって、セナ・マンセルの92年モナコみたいに鮮明に蘇ってこないだろ?だから何年も前のマシンをフルグリッド出したってそうそう売れるわけがない(実際、懇意のショップの売り上げは芳しくないらしい)。個人的には究極チャンピオンマシンだけありゃそれでいいやって思うもんよ。まぁスーパーフォーミュラ然りなんでもフルグリッドに拘るスパークだから、売れようが売れまいが出すんだろうけど、少なくともエブロが詰んだ時点で後詰が出来ていれば、もっと簡単に売り上げが見込めたろうに。まぁいちコレクターとしては「売れ行きよくねえしやっぱや~めた」とならないようにちょこちょこ買おうとは思っておる。スパーク1/43 auトムス GRスープラ2023年シリーズチャンピオン#36 宮田莉朋 / 坪井翔 というわけで、あれこれ何台か予約している中からトップでウチのガレージに収まったのは、幸か不幸か今年のチャンピオンマシンだ。予約の始まった春先の時点で、各陣営でチャンピオン争いに絡みそうなヤツってことで選んだのは正解だったが、エブロの頃からチャンピオンはチャンピオンボックスでという縛りが保てなくなっちゃったのは残念。とはいえ「待望の」スパーク製であることには変わりがない。エブロとの比較は今後のNSX-GTでするとして、まずはコイツを愛でたい。そして願わくば2000年代年を追うごとに変なデフォルメが入り、実車とはかけ離れたものになっていった初代NSXをじゃんじゃか出して欲しいものだ。
2024.01.08
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ちょっと変化球なフォーミュラE&F1の組み合わせよりはずっと素直で、そういうお題を出したら誰でも考えそうな組み合わせ(笑)。 F1直下のF2よりもよっぽどコンペティティブなシリーズなのに、極東の島国オンリーの開催だからかあまりにガラパゴスだからか、F1ライセンスポイントなどFIAの覚えめでたくないスーパーフォーミュラ。けれどわかってる人はわかってるのか、レッドブルは誰かしら手駒を送り込んでくるよね。スパーク1/43 ダラーラ SF23 Mテックスーパーフォーミュラ2023年シリーズ2位#15 リアム・ローソン 2019年より採用されたダラーラSF19シャシーを基本に、材質をカーボンコンポジット材からBcomp社製バイオコンポジット材に変更し、横浜ゴムのワンメイクタイヤもリサイクル材と再生可能原料を含んだものを採用した、いわばカーボンニュートラルマシン。今年もスパークから全チーム発売される。SF19はご祝儀気分でトヨタ・ホンダ陣営に加え日産系トヨタ陣営の計3台を手に入れたが、今年はさすがに3台はいらないやということでチーム無限の#15号車を選択。 もちろん選定理由には、レッドブルF1と並べてみるこの企画が頭にあったわけだが、他にレッドブルが推してくるガイジンドライバーに青田買い的な意味で興味もあった。F1前夜のシューマッハーみたいに、あのチャンピオンの修業時代に思いを馳せながら一杯やるのも乙なもの(いや、酒は一切やらないんだけどね)。まぁリアム・ローソンがチャンピオンになるか以前にF1レギュラードライバーにたどり着けるのかも定かじゃないけど。スパーク1/43 レッドブル RB19 RBPT2023年バーレーンGP 優勝#1 マックス・フェルスタッペン 勝率の面で最強といわれたマクラーレンMP4/4から35年。ついにその勝率93.75%を破り最高勝率95.45%の金字塔を打ち立てたRB19。そのいずれもがホンダエンジンという巡り合わせ(厳密には違うけど)。1988年シーズンは「マクラーレン退屈症候群」と言われたが、その時はまだセナとプロストどっちが勝つかというチーム内競争があったからマクラーレンホンダファンはそれなりにアツかったと思う。それに比べて今年はもう「フェルスタッペン退屈症候群」とでも呼ぶほどフェルスタッペンの独壇場だった。なにしろノーポントがゼロ、シンガポール本戦とアゼルバイジャンスプリントを除いてすべて1位と2位というウルトラスーパーな戦績。 それを可能にしたRB19は実は突然あらわれたエポックメイキングなマシンではなく、前年RB18のほとんどを流用した、クリスチャン・ホーナー曰く「切って貼ったマシン」だった。そういう意味ではマクラーレンMP4/4というよりはウィリアムズFW14と14Bの関係に似ている。しかし極似のFW14と14Bには2年にわたるマクラーレンとの丁々発止があるから、4/6や4/7Aと並べてあれこれ語れるが、RB19は。。。。。物語に恵まれない最強マシンには面白みがまったくないね。
2024.01.03
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正月のテレビといえば、決まりきったフォーマットで進行する所謂おせち番組、近年だとヒットドラマの一気見再放送、いずれにしても制作側の気概も新機軸もない番組をタレ流すという、視聴者を舐めきった状況が続いてたが、それを是とは思わないけれど実は幸せなことだったのだということを否が応でも知らしめられた新年の幕開けである。 コーリン・チャップマンという稀代の偏執狂がつくった規格外のF1マシンについては、直近では昨年、さらに13年前と12年前に記事にしたのだが、久々に変態的なマシンが発売されたのでパート4を。スパーク1/43 ロータス 63 フォード1969年フランスGP DNF#14 ジョン・マイルズ 名機フォードDFVエンジンを搭載し大成功したタイプ49の後継機であるタイプ63は、葉巻型ボディを捨てたことと4輪駆動を採用したことで独創的なマシンであるが、独創的故に問題山積みで結局モノにならなかった。レギュラードライバーのグラハム・ヒルもヨッヘン・リントもこのマシンを危険だといいタイプ49に乗ることを優先した。しかしチャップマン御大はタイプ63こそ次世代マシンと信じて疑わなかったため(典型的な頑固ジジイ)、結局開発ドライバーを兼務するジョン・マイルズが乗ち続けざるを得なくなったが、レジェンドドライバーの言う通り、リアウイングをあれこれいじっても箸にも棒にも掛からないシロモロに終始した。 ただしどうにもならない4輪駆動システムはともかくも、後にウェッジシェイプと呼ばれることになるノーズを極端に薄くしたクサビ形ボディのアイデアは、後継機タイプ72で花開くことになる。さらにエンジン剥き出しが当たり前の時代で、だからこそDFVはドラッグ軽減のためにロータスのボディ形状に合わせてデザインされたわけだが、ここでは更に一歩進んでエンジンをフルカバーした。これはさらに遠い未来のブラックビューティー、タイプ79で一世を風靡する。 このようにチャップマンは転んでもタダでは起きないんであるが、失敗作に乗せられる人間は「ちゃんと完成させるまで勘弁してくれよ」と嘆いていたに違いない。
2024.01.02
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1986年創刊のレーシングオン誌通算500号を記念して、読者アンケートをもとに特注されたミニチュアモデル。気がつけば誌上発表から4年もの長き歳月を経てようやく発売された。読者アンケートで選出されたんだから「読者待望の商品化」なわけで、つまり抽選販売で完売御礼が約束された商品だったはずなのに、蓋を開ければ実に売れない(笑)。予想に反してあまりに売れ行きが悪いんで、予約抽選申し込み期間をひと月延期したにも拘らず枠が埋まらず、未だに売れ残ってる。打てば響くようなタイムラインで発売できなかったのが原因なのだろうか。戦績はともかくミニチュア映えするマシンなのにな。レーシングオン特注スパーク1/43 ミナルディ M197 ハート1997年日本GP DNF#20 片山右京 山あり谷ありだったティレルを後にして、以前にも声をかけてくれていたフラビオ・ブリアトーレのミナルディに移籍。「参加することに意義がある」がモットーのちんたらチームを戦闘集団へと変貌させる役割を担うが、如何せんマシン自体に力がなく実績が伴わなければチームの士気も上がる筈もなく。自身の伸びしろが同僚のルーキー、ヤルノ・トゥルーリとは比べ物にならないくらい少ないことを理由に、日本GPの予選後に電撃引退を表明、鈴鹿ラストランとなるもたったの9周でエンジンが息絶えた。 一年間世界を駆けまわってからの母国レースというのは感慨深いものがあるのだろうが、どうにもこの人は鈴鹿に愛されていない。6回走ってリタイア5回はひどくない?F1前夜のF3000時代は4年間16戦で12完走だったのだから決して鈴鹿が鬼門というわけじゃない。結局、基礎体力のないマシンを乗り継ぎ続けたからということにつきる。返す返すも(取り巻きの状況もあったのだろうが)ベネトン移籍を蹴ったのが残念でならない。 商品は、マーチ821やベネトンB194の例を出すまでもなく、監修作業が皆無と思われるスパークにしては珍しく、パッケージの不手際を改修するってアナウンスが出た。まぁスパーク側じゃまったく気付かずに、レーシングオン誌側からのクレームで渋々というのが実態かも知れないが。
2024.01.02
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F1というかモタスポというか、なんならテレビ・雑誌からタバコ広告が消えて久しい。昭和にはゴミ箱やら紙バッグやらカセットテープ収納ケースなんてのまでに進出したタバコ柄、あのカラフルでファッショナブル(あれをファッショナブルって言っちゃう自体レトロ人だわ)なリバリーは、実車だけじゃなくミニチュア映えが抜群なんだけど、PL法があるかぎり自主規制は続くんだろうね。 タバコ柄といえば、エフワン最盛期のマルボロ・キャメルその前後にマイルドセブン・JPSがすぐに思い浮かぶけれど、そのマイルドセブンに負け続けたロスマンズはちょっとイメージが弱い(個人的感想です)笑。そもそもロスマンズは最強グループCポルシェでタバコを吸わない一般層にも名が知れたとも思えるが、当時耐久レースよりもエフワンを優先していた人間としては、ゾルダーのビルヌーブ事故にも絡んだマーチのほうで知れた。スパーク1/43 マーチ 821 フォード1982年アメリカ西GP 8位#17 ヨッヘン・マス 戦績はともかくもこのカラーリバリー、直感的にカッチョいい!と思ったんだよね。後年のウィリアムズFW16-19の青基調リバリーよりも断然こっち。商品をパッケージしてんだから当たり前のハナシではあるんだが、耐久だろうがラリーだろうが統一感をもたせたカラーリングを揃えるってのがまた楽しいのよ。ということで個人的には待望のマーチ821だったんだが、スパークお得意の浅い浅~い考証が水を差す(怒)。堂々と「アメリカ西GP」仕様を謳ってるわけだが、その画像をググってみれば コックピット開口部のスポンサー(JOKER)とサイドポンツーンのゼッケンとロスマンズの位置関係が違ってるのよ。コックピットがフレンチタバコの「リズラ+」でサイドポンツーン前方からロスマンズ-ゼッケンと続くのは第二戦ブラジルGPのみ(開幕戦は全身リズラカラー)但しブラジルGPはフロントウイングなし。レースランド特注でフロントウイングなし仕様は出してるから、どーしてもウイングありを発売したかったのかも知れんが、だったらもうちっとリサーチしろよっつーの。そんなわけでなんとも中途半端な商品というわけなんだが、スパークのあれもこれもと手を拡げる短期開発はコレクターにとってメリットも多大だけれど、こーゆー落とし穴が口を開けてるのもダイハツ同様だ。かといって出荷停止問題とかにはなんないけどね。
2024.01.01
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新年あけましておめでとうございます。 旧年中は、流行り(?)のダブルワークなんぞを下半期に始めた関係で余暇に裂ける時間が減ったり、それ以前にそもそも手に入ったミニチュアが少なかったりで記事更新が御無沙汰気味だったいうのが大反省点。なので今年はちょこちょこと更新するのが目標、月に2本とか入手後何日以内にとか具体的な数字を示さず曖昧な表現にしてるところがミソだな(笑)。オニクス1/43 パノス LMP1 スパイダーS2000年ル・マン24h 8位#22 土屋圭市 / 飯田章 / 近藤真彦 今年は辰年なんで、辰にちなんだクルマっちゅーことで。最初はコレ(↓)にしようかなとか思ったんだが、 スパーク1/43 BRエンジニアリング BR1 ギブソン2019年ル・マン24h DNF#10 ヘンリック・ヘドマン/ベン・ハンリー/レンガー・ヴァン・デル・ザンデ これのなにが辰なんじゃ?といえば、これをオペレーションしてんのがアメリカのドラゴンスピードレーシングだからっつーのはあまりに捻りすぎだから、あえなくボツ。んで、パノスのほうはっつーと、ご覧の通り、黄金の竜が刺青されてっから。チーム名も「TV朝日・チーム・ドラゴン」っつーんだけど、それだけだとBR1と同じになっちゃう。やっぱ実際に龍が描かれてるってのがポイントよねってことで。
2024.01.01
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経費節減ため、警備会社に委託してた業務の一部を自分らでやるようになり、閉店後の静謐な駐車場に放置されてるショッピングカートを回収する時に思うことがある。ここでラジコン走らせてぇ!。 そういう思いが主催者にもあったのだろう(あるわけない)、1/1スケールのラジコンが市街地コースを走り始めてからじき10年が経ち、24年にはついにトーキョーでもEプリが開催される予定だ。 カテゴリー立ち上げ当初は、全速で走ると完走できないのでマシン乗り換えが必要とか、狭いコースではドラテク云々じゃなく結局マシンのぶつけ合い、とか低評価だったが10年近くもやってりゃそれなりにカイゼンもされるし、なにより環境保全・SDGsな世の中ではクルマ屋レース屋が完全スルーでそっぽを向てるわけにもいかず、それなりにメーカーが参入してそれなりに盛況だ。 F1マクラーレンも、今や市販スーパーカー市場でも一定のシェアをもつカーメーカーとなり、電動化の流れにもいっちょ噛みしとかんアカンやろとゆーことなのか、なんと撤退したメルセデスチームを居抜きで買い取って2022-23年シーズン(シーズン9)にエントリー。スパーク1/43 スパーク Gen3 ニッサンネオム・マクラーレン・フォーミュラEチーム#58 レネ・ラスト メルセデス居抜きといっても、元々マシン(シャシー)自体は全チーム共通のGen3なので、主にピット設備や裏方スタッフを買い取ったと言うほうがいいのかも。マシン的には(カタチは違えど)シルバーアローからパパイヤオレンジってゆー劇的色変化が面白い。F1じゃまずあり得ないからね。さらにPUは日産である(笑)。 今シーズンから導入されたGen3。フォーミュラとしては違和感ありありのカメムシなんだが、ウチで唯一ペイパービューじゃなくて見られる4輪レースとして全戦見続けると、近未来のレーシングマシンって感じでそれなりに愛着が湧くのが不思議。お台場で実際走るところを見てみたいかも、とは思うものの実際は仕事都合で行ける筈もなく、きっとBSフジで録画観戦だろう。 レネ・ラストはDTM(チャンピオン経験者)やル・マン、ニュル24hで走るハコ屋ってイメージだが、純フォーミュラドライバーだが若い同僚ジェイク・ヒューズよりは戦績上位だろうと当て込んだんだが負けましたな。 日本に馴染みの深いニック・キャシディ(エンヴィジョン)やサッシャ・フェネストラズ(ニッサン)を買うテも考えたんだが、そこまでの思い入れはないし、なにより記事の企画としてエフワンと並べようゆー思いのほうが先に立ってのマクラーレン一択。そのF1マクラーレンのほうは。。。スパーク1/43 マクラーレン MCL60 メルセデス2003年オーストラリアGP 8位#81 オスカー・ピアストリ なんか無塗装(黒色)部分が多ければ多いほど(最低重量の関係で)マシン開発に失敗してんじゃね?と思えちゃう今日この頃。アルファロメオみたいにうまくカラーデザインとして落とし込めればまだしも、このマシンのカラーパターンはなんかだかなぁ?と思っちゃう。実際シーズン中盤にアップデートするまでは中の中、中の下って感じだったその時代をモデル化したのがコレ。スパークの場合、シーズン後半仕様とか〇〇GP優勝仕様とか後出ししてくんのは重々わかってんだけど、絶対出すって確約はないから、やっぱ最初のリリースアナウンスに無条件に反応して予約ポチっちゃうんだよね(反省)。 ドライバー選択は、新人がいるチームは戦績よりもなるべくそっちを買って(一年でいなくなっちゃう場合があるからね)戦績はあんま気にせず、ピアストリもその例に洩れずなんだが、まさか予選スプリントとはいえ常勝レッドブルを差し置いて優勝しちゃうとは、まったく想像せなんだよ。だからって来年以降の躍進が約束されたわけじゃないが、さすが獲得に際してアルピーヌと二股かけるだけのことはあるんだな、と記憶しておこう。
2023.12.28
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世界三大耐久レース(ル・マン、スパ、デイトナ)に次ぐ24時間レースとして有名なニュルブルクリンク24時間レース。その優勝車については2018年と2019年と二回にわたって記事にしたんだが、スパークから発売予定だった2021年優勝車が発売中止になったんで、あぁこの先ニュル優勝車の記事更新は無理だな、と。というのも、優勝したマンタイレーシングって、自分とこでメーカーに特注して主にドイツ国内で売ることが多いから、多分スパークは版権取れるか不明なままダメもとで発売アナウンスを出してみたけどやっぱダメでしたってとこなんだろう。とゆーことは日本には大々的には流通してこんし、入るにしても並行輸入パターンで高値(逆に2018年の優勝車はよくスパークが一般販売したよなって感じ)。なのでスパーク発売中止のアナウンスが出た時点で、こりゃシリーズ終了だな追っかけるのを諦めちゃった。 ところが、ネットのフィルターバブルやレコメンド機能のおかげで、リーズナブルな価格で売られてるのを発見、今回の記事に繋がった、というわけ。 唐突にシリーズ継続となったんで、真剣にサーチせずに結果スルーとなってた2021年の優勝車も慌てて手配したよ。しかしレース展開とかドライバー経歴とかまったく興味なしで、いわばシリーズ存続のためのみにミニチュア買うって、好きなクルマを集めるってゆーミニチュアカー本来の楽しみ方からは完全に逸脱してんな(汗)ドイツ限定(?)イクソ1/43 ポルシェ911(991.2)GT3R2021年ニュルブルクリンク24h 優勝#911 マッテオ・カイローリ/ミカエル・クリステンセン/ケビン・エストレ イエローとグリーンの蛍光カラーに彩られて矢印のアイコンを纏ったマンタイ・レーシングの911。スポンサーはシェーラーグループ(VW、アウディ、ポルシェ、マセラティ、シュコダ、セアト取り扱いの自動車ディーラー)とKÜS(フリーランス自動車専門家の自動車検査機関)。アウディ特注スパーク アウディ R8 LMS EvoⅡ2022年ニュルブルクリンク24h 優勝#5 ロビン・フラインス/ケルヴィン・ヴァン・デル・リンデ/ドリス・ヴァントール/フレデリック・ヴェルヴィッシュ ニュルブルクリンク地元のフェニックス・レーシングチームのR8。アウディ・ディーラーのシェーラーグループがメインスポンサー。フォーミュラの「Halo」みたいな「HYLO」は高速スピン時に車体が浮き上がる現象(ハイ・ヨー・リフトオフ)を抑えるためのデバイスのこと。スパーク1/43 BMW M6 GT32020年ニュルブルクリンク24h 優勝#99 アレクサンダー・シムズ/ニッキー・キャッツバーグ/ニック・イェロイ ドイツの潤滑油メーカー・ロウを母体とするロウ・レーシングのM6。ポルシェ、アウディ、メルセデスが変わりばんこに優勝してるイメージのニュル24hのなかで、ひとり置き去りの感があったBMWが優勝。このモデルはメーカー特注じゃなくスパーク本体から発売(2021年6月発売)された当時物。だけど上記マンタイの911が発売中止になっちゃったんで行き場を失くしてた状態で、今回やっと陽の目を見た感じ。 と思わぬ形で復活したニュル・ウィナーズなんだけど、ドイツ車優勢のなかで一矢報いるかたちの今年の優勝車フェラーリ296GT3がルックスマートから出る筈だったのに、またまた発売中止の憂き目に(泣)。果たして今後も買い揃えることが出来るのか、前途は多難だ。
2023.12.21
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ほんの少し前まで、今日も真夏日だの最も遅い猛暑日を記録だの言ってたのに、雨のせいもあってか唐突に15℃近く下がりやがって、年寄りにはそういうのがいっちゃんキツいのよ、ホンマ。なんか秋をすっとばして冬の気配が、とか勘弁してもらいたいもんだ。秋の気温湿度ってのはクルマのエンジンにはもってこいの状態で、ある意味今がモタスポ日和っつーわけなんだが、鈴鹿F1じゃあ会場近辺のPR用ののぼり旗が大量に盗まれる事件がニュースになっただけという全く盛り上がらない現実がある。今月のレーシングオン誌特集「セナプロ対決」をリアタイしてた身としては、なんとも寂しいことよ。というわけで(ということでもないんだが)往年のF1ネタという、満を持しての大型企画の登場である。 歴代ルマン優勝車を取り上げた拙ブログ内フリーページ「ルマン・ウィナー」(本稿としては「追憶の夏至祭」)と同趣旨の、F1世界選手権72年の歴代チャンピオンを取り上げる「王者が御したクルマ達」の開幕でございまする。 まずはF1世界選手権が始まった1950年から、今と違ってドライバーズタイトルだけが争われた1957年までを。この7年間のチャンピオンは3名。 ル・マン24時間レースと比べて、ツボにはまったレースカーは(年次改良はあるにせよ)数年間は優位が続き、チャンピオンが連覇しがちな傾向にあるのがF1の特徴と言えるかもしれんな。現在までの73年間でドライバーズチャンピオンは34人、コンストラクターに関しては更に少なくわずか15チーム。ならミニカーもコンプすんのは楽勝!とゆーわけにはいかず、なにせこの時代あたりのモノがなかなかなかったわけよ。企画自体はルマン・ウィナー(追憶の夏至祭)と同時期にもかかわらず、何台かがどうしても入手出来なくてねえ。なんならないところは実車画像でも載っけてお茶を濁すかとか考えたりしたが、まぁとっくにコンプしてんのにぐずぐずとルマンの記事をの伸ばし伸ばししてる間になんとか揃ったんで(笑) 今から73年前の1950年5月13日、シルバーストン・サーキットで開催されたイギリスグランプリからF1世界選手権は始まりました。フロントにエンジンを積んで、現代からは考えられないくらい細いタイヤを履いたF1マシンには安全装備などありません。ドライバーは常に死と隣り合わせだったからこそ、一番速く(生きて)完走したドライバーは勇者と称えられ、年間を通じて一番速かったドライバーには世界王者の称号が与えられたのです。参加車輛はほぼアルファロメオやマセラティといった市販車を販売する自動車メーカーのレーシングカーであり、レース専用車両を設計開発するコンストラクターという発想はまだない時代です。1950年から数年は欧州大陸系自動車メーカーが強く、チャンピオンの駆ったマシンもほぼイタリアンレッドという時代です。1950年ドライバーズチャンピオン:ジュセッペ・ファリーナ(伊)デアゴスティーニF1マシンコレクション1/43アルファロメオ 158 直列8気筒1.5リッタースーパーチャージャー付エンジン1950年イギリスGP 優勝#2 ジュセッペ・ファリーナ 完走数と優勝回数は同僚でランキング2位のファン・マヌエル・ファンジオと同数(4完走3優勝)でしたが、残るひとつの戦績が明暗を分けました(ファリーナ:3位表彰台、ファンジオ:6位入賞)1951年ドライバーズチャンピオン:ファン・マヌエル・ファンジオ(亜)ブルム1/43アルファロメオ 159 直列8気筒1.5リッタースーパーチャージャー付エンジン1951年ベルギーGP 9位#2 ファン・マヌエル・ファンジオ 前年最終戦で苦汁を飲んだファンジオが捲土重来。しかしながらシーズン後半に自然吸気4.5リッターV12エンジン搭載のフェラーリを駆るアルベルト・アスカリに追撃されるも、最終戦のタイヤ選択に失敗して自滅、なんとか逃げ切ることが出来ました。因みにエンツォ・フェラーリの有名な「私は母親を殺してしまった」はこの年のイギリスGPでアルファロメオを破り初優勝した際の言葉です。設計初年度から13年経ったマシンは年次改良も限界でしたが、新型車を開発する資金的余裕のなかったアルファロメオはこの年限りでF1から撤退しました。1952年ドライバーズチャンピオン:アルベルト・アスカリ(伊)アシェット公式フェラーリF1&レーシングコレクション1/43フェラーリ 500F2 直列4気筒2リッター自然吸気エンジン1952年ドイツGP 優勝#101 アルベルト・アスカリ フェラーリはF1マシンを保有していましたが、屋台骨だったアルファロメオがF1から撤退して参加台数不足が懸念されたため、この年の世界選手権はF2マシン(2リッター自然吸気エンジン)で争われることになりました。都合が悪くなるとゴールをずらすのはF1世界の常識です(笑)。フェラーリは元々V12エンジンの166F2と212F2を有していましたが、わざわざ4気筒エンジンを新規設計し、これを搭載した500F2とアルベルト・アスカリは8戦6勝と圧勝しました。1953年ドライバーズチャンピオン:アルベルト・アスカリ(伊)ー2度目ブルム1/43フェラーリ 500 F2 直列4気筒2リッター自然吸気エンジン1953年イギリスGP 優勝#5 アルベルト・アスカリ この年もフェラーリの優位は揺るがず、不参加のインディ500を除く8レースで5勝しました。 この53年型500F2は、ブルムが過去販売していた商品にドライバーフィギュアを追加して再販したものですが、クルマ本体は52年型モデルを流用していると思われます。53年型はノーズが延長されていてラジエーターグリル開口面積も小さくなっている気がします。またドライバーが若干スケールオーバーな感じもしますが、当時の画像などを見てみるとこれで正しいのかも知れません。1954年ドライバーズチャンピオン:ファン・マヌエル・ファンジオ(亜)ー2度目エディションズアトラス1/43メルセデス W196 直列8気筒2.5リッター自然吸気エンジン1954年スイスGP 優勝#4 ファン・マヌエル・ファンジオ 52年の王者獲得後、アルファロメオの撤退や自身の事故など運気の性ッていたファンジオが復活。シーズン序盤、前年も所属していたマセラティで2勝したのち、開発遅れで欠場していたメルセデスへ電撃移籍して6戦4勝を挙げ、二度目のタイトルを奪取しました。W196というとシャシーとタイヤをすっぽり覆う流線形ボディ(ストリームライン)を思い浮かべますが、実際のところ図体が大きくなってツイスティなコースでは取り回しに苦労して、最初の2戦こそストリームラインでしたが、その後はオープンホイール・ボディで走ることが多かったのです。1955年ドライバーズチャンピオン:ファン・マヌエル・ファンジオ(亜)ー3度目デアゴスティーニF1マシンコレクション1/43メルセデス W196 ストリームライン 直列8気筒2.5リッター自然吸気エンジン1955年イタリアGP 優勝#18 ファン・マヌエル・ファンジオ 前年は途中参戦だったにも関わらずグランプリを席巻したW196の優位性は翌55年も変わらず、「世界」選手権という名目を保つだけの目的で日程に加え、実際には欧州人は誰も見向きもしなかったインディ500を除いた6戦で5勝(うちファンジオが4勝)と再び圧勝での戴冠でした。この年はシーズン殆どをオープンホイール・ボディで戦い、イタリアGPが唯一ストリームラインでした。そういう意味で、このモデル化は「デアゴスティーニわかってるねぇ!」と思います(笑)。1956年ドライバーズチャンピオン:ファン・マヌエル・ファンジオ(亜)ー4度目アシェット公式フェラーリF1コレクション1/43フェラーリ D50 V型8気筒2.5リッター自然吸気エンジン1956年ドイツGP 優勝#1 ファン・マヌエル・ファンジオ 55年を最後にメルセデスが撤退してしまったため、フェラーリ入りしたファンジオがマセラティ駆る元同僚スターリング・モスの追撃から逃げきって4度目の王座に輝きましたが、開幕戦と最終戦で自身のマシンがリタイア後に同僚のマシンに乗り換えて(当時のルールでは認められていた)のポイント加算であったため、薄氷の勝利だったと言えるかもしれません。ちなみにメルセデスの撤退は、ル・マンの大惨事が原因と思われがちですが、確かにそこに起因してモータースポーツ活動を停止はしましたが、F1に限ってはそれよりも前に「市販車開発にリソースを注ぐために今年限り」を明言していましたので、仮にル・マンの事故がなかったとしても撤退していました。 D50は、元々ランチアが設計開発したマシンでしたが、ランチアのF1撤退に伴って6台のD50および資材一式がフェラーリに譲渡されて、それをフェラーリがモディファイしたものです。1957年ドライバーズチャンピオン:ファン・マヌエル・ファンジオ(亜)ー5度目デアゴスティーニF1マシンコレクション1/43マセラティ 250F 直列6気筒2.5リッター自然吸気エンジン1957年モナコGP 優勝#32 ファン・マヌエル・ファンジオ フェラーリで4度目のタイトルを手にしたファンジオですが、エンツォ御大との関係が悪化して(ファンジオは誰もが認める紳士ということから、アクの強いエンツォがきっと悪いのでしょう)たった1年でチームを去り、古巣マセラティに移籍します。マセラティの主力マシンは4年落ちの250Fでしたが、ファンジオは4勝を挙げました。一方のフェラーリのほうはというとD50を大幅改造した801Fが不発でシーズン未勝利に終わり、結果的にファンジオの移籍は大正解ということになりました。ニュルブルクリンクで開催されたドイツGPではピットストップのミスで、ワン・ツーで走るフェラーリ勢から38秒もあったギャップを鬼神の如き追い上げでひっくり返しての大逆転勝利。これがファンジオのグランプリ最後の勝利となり、翌年は母国アルゼンチンとフランスの2戦だけスポット参戦しフランスGP後にF1から引退しました。
2023.10.10
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まだまだクソ暑い日々が続いているのに、NFL2023シーズン開幕である。アメフトっていやぁ冬の代表的スポーツで、ドカ雪が降る中でボールもフィールドのラインも見にくい状況でもゲームやるってイメージがいまだに強くて、少なくともTシャツ半パンで観戦するスポーツじゃないわな(笑)。ま、それはともかく明日からおよそ半年、短くもアツい戦いに身を投じるのだ(観るだけだけど)。その前に、シーズン展望にはまったく役に立たないプレシーズンマッチもダイジェスト観戦したけど、今期もあれ?あの選手がここにいんの?的な驚きがそこここで見受けられた。そこで主な移籍選手(オフェンスプレイヤーだけだけど)を列挙してみる。 アダム・シーレン(WR):MIN→CAR ブランディン・クックス(WR):HOU→DAL ジャマール・ウィリアムズ(RB):DET→NO ジミー・ガロポロ(QB):SF→LV トレイ・ランス(QB):SF→DAL マイク・ゲシキ(TE):MIA→NE マーカス・マリオタ(QB):ATL→PHI エザキエル・エリオット(RB):DAL→NE デレック・カー(QB):LV→NO ガードナー・ミンチュー(QB):PHI→IND アーロン・ロジャース(QB):GB→NYJ ベイカー・メイフィールド(QB):LAR→TB テイラー・ハイニケ(QB):WAS→ATL ジャコビー・ブリセット(QB):CLE→WAS ジュジュ・スミスシュースター(WR):KC→NE アンディ・ダルトン(QB):NO→CAR デビン・シングルテリー(RB):BUF→HOU マイルズ・サンダース(RB):PHI→CAR ディアンドレ・ホプキンス(WR):ARI→TEN サム・ダーノルド(QB):CAR→SF ロバート・ウッズ(WR):TEN→HOU トレバー・シーミアン(QB):CHI→CIN 今期は乱暴に言っちゃえば下り坂選手のオンパレード。まぁサラリーキャップとか緒問題はあれどもほっぽり出されるにはそれ相当の理由があるってわけで。上り調子あるいはピーク維持での移籍ってのはビルズのメインRBだったシングルテリーとライオンズで覚醒したジャマール・ウィリアムズくらいじゃない?アーロン・ロジャーズ御大や若林イチ押しのディアンドレ・ホプキンスといえどもフィジカルは大分落ちてるだろうから個人的には疑問符はつく。結局こういうところに名前の出ないチームがシーズンを引っ張っていくのかも知らんね。とはいえ、それと自分の推しとはまったく観点が違う(笑)。今シーズンはようやく新ロゴのヘルメットが届いたコマンダーズにしたろか?と思っておる。現行と一個前のスローバックデザインってのは結構持ってるけど3つ持ちってのは初めてのことだし。チームの戦力が揃ってない上に、チーム自体が身売り話でフロントがガタガタで好成績は全く望めないけどね。それと今年もこのスーパーボウル未出場4チームは推してくつもり。ジャガーズとライオンズは結構いいところまで行けんじゃないかと期待はしてんだけどね、さてどうなることやら。。。
2023.09.08
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「一週間のご無沙汰でした。」というのは故玉置宏(玉木宏ではないよ)の名セリフだが、こちとら一週間どころか一か月のご無沙汰だよ(汗)。 とにかく新作ミニチュアが出ないのである。いやまあスパークとしたら新製品はちゃんと発売してんだから、当方が欲しいと思って予約したのがなかなか出ないと言うのが正しい物言いだな。そういう時の常套手段はフリーページ用に起こした原稿の焼き直しである。つかフリーページってPC画面だとすぐ見つけられるけど、スマホ画面の場合は(PC版サイトにしない限り)通常記事を延々とスワイプしてかないと出て来ないのね。最近スマホに機種変して初めて知ったよ(汗)。なので今後はフリーページに記事出すときはメイン記事も同時にしないと、つかメイン記事にあげてからフリーページにコピペするようにせなアカンということやね。 いままではその時代区分で印象的な優勝車両画像をトップに持ってきてたんだけど、GT1時代はなんといってもこの画像のインパクトがデカすぎて(ま、一応優勝車両も写り込んでるし。。。) 晴天の霹靂のようなグループCの終焉(そう思っていたのは主催者側だけですが)を迎えて、次なるルマン24時間レースの主役は、GTカーとアメリカで主流になりつつあったオープン2座スポーツカー(WSC)に委ねられました。 本来市販ロードカーの発展型であるべきルマンGTカーですが、グループC崩壊からすぐさま代用GTカーが用意できるメーカーは限られていることから、門戸を広く開けるために市販車が1台あれば参加を認めるという施策をとったため、外観だけは市販車で中身はワンオフという「なんちゃってGT」が幅を利かせることになってしまいます。グループC最強のポルシェ962Cに保安装備を施して「ロードカーでござい」と開き直ったダウアー962LMなどはその最たるものでした。そして生真面目に市販車をレースカーに仕立てたトヨタ・日産は完全に力負けでした。結局GTカーで勝つためにはメーカーの沽券にかけて莫大な資金と技術を投入せざるを得なくなり参入の足枷となって衰退していきます。 一方アメリカにおいて開発費用高騰の反省から生まれたオープン2座WSCは、グループCカーの部品が再利用できるなどローコストを謳いルマン・プロトタイプ(LMP)と名称を変えて来たる2000年代の主役として栄華を極めます。1994年スパーク1/43 ダウアー 962LM#36 マウロ・バルディ / ヤニック・ダルマス / ハーレイ・ヘイウッド走破距離:4685.70km平均時速:195.24km/hスポンサー:FATインターナショナル(運輸)1995年キッドボックス特注hpiミラージュ1/43 マクラーレン F1GTR#59 J.J.レート / ヤニック・ダルマス / 関谷正徳走破距離:4055.80km平均時速:168.99km/hスポンサー:上野クリニック1996年スパーク1/43 TWRポルシェ WSC-95#7 マヌエル・ロイター / デイビー・ジョーンズ / アレクサンダー・ヴルツ走破距離:4814.40km平均時速:200.60km/hスポンサー:サネックス(化粧品)、ブラウプンクト(自動車音響)、オートバックス1997年スパーク1/43 TWRポルシェ WSC-95#7 ミケーレ・アルボレート / ステファン・ヨハンソン / トム・クリステンセン走破距離:4909.60km平均時速:204.19km/hスポンサー:FATインターナショナル(運輸)、ハゲヌク(携帯電話)1998年スパーク1/43 ポルシェ 911 GT1-98#26 ローレン・アイエロ / アラン・マクニッシュ / ステファン・オルテリ走破距離:4773.60km平均時速:199.32km/h1999年アシェット(スパーク)1/43 BMW V12 LMR#15 ヨアヒム・ヴィンケルホック / ピエルルイジ・マルティニ / ヤニック・ダルマス走破距離:4982.97km平均時速:207.62km/hスポンサー:デル(コンピューター)
2023.08.29
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「インプリンティング(刷り込み)」とは、孵化したヒナが初めて見た動物を親と認識しちゃうという例えで有名なあれである。この間発売されたスパークの001なんだが、なんかしっくりこない。別に出来映えがーとかスポンサーロゴがーとかじゃなくて、その原因は「ハンマーヘッド」と呼ばれるフロントノーズ形状だ。いや寸法的に間違ってるとかそーゆーんじゃなくて、あのボディだったら絶対にスポーツカーノーズなんだよ!ってゆー単なる個人の思い込みの問題なんで、スパークにしたら迷惑なハナシこの上ないね(汗)。しかも001にはスポーツカーノーズは着かないのが史実だから、カン違いの大間違いなのであるが。ミニチャンプス1/43 ティレル 003 フォード1971年ドイツGP 優勝 これだよこれ。ティレルといったら誰が何と言ってもこのスポーツカーノーズなのよ(笑)。情報をリーズナブルに得られる手段がプラモデルの組み立て説明書だけ、という環境の1970年代の小学生にとってはティレルと言えばタイレルのことで、模型店のレジ奥(高額商品ゆえ子供に勝手にいじくられないようにという配慮)に鎮座ましましてるビッグスケール「タイレルフォードF1」こそが全てだったわけで。 今でこそ再販品のボックスアートには「タイレル003」と明記されてるから、あぁこの前に002とか001があるんだなと解りもするけど、当時は「タイレルフォードF1」だからねぇ。さらにマシンは戦績によってシーズン中にもモディファイされるもんだなんて考えてもみなかったから、タイレルフォードはこのカタチが全てと刷り込まれてしまったわけだ。しかしタミヤ、020ホンダはちゃんとティレルって記してるのに、これ(とP34)はあくまでタイレルで通すんだねえ(笑)。 ティレル003は、市販マーチに見切りをつけて開発したオリジナルシャシーの3台目。3代目じゃなくて3台目というところがミソ。当時のティレルは今のように「モデル形式○○の第△番目のシャシー」という表現じゃなくて、まったく同一スペックのシャシーでも作った順に番号をふっていた。1970年の最終盤にジャッキー・スチュアートの手でデビューしたのが001。その年のセカンドドライバーはずっとマーチ701を使っていたので、翌71年は001と002(身長の高いフランソワ・セベール用に001よりモノコックを延長して作られたマシン)でスタート、第2戦スペインGPからモノコック幅を狭めた003へ進化。この時点ではノーズはハンマーヘッドのまま。モナコ・オランダを経てフランスから新型スポーツカーノーズが登場する。003はハンマーヘッドでもスポーツカーノーズでも勝利(10戦6勝)してチャンピオンマシンとなる。 003と001。こうして並べたらやっぱり003のほうが個人的にはしっくりくる。が、ミニチャンのはさすがに古いモデルなんでいろいろとあれだから、最新スパークフォーマットで欲しいところだ。ちょうど72年参戦車がポッカリ抜けてるんで、72年のセベール002車が希望なんだが、まぁ出ないだろうなあ。
2023.07.18
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NHKの「アナザーストーリーズ運命の分岐点」式にいえば、運命の分岐点は1970年9月18日(金)、カナダはモン=トランブラン・サーキットで開催されたカナダGP。 1968年からマトラのセミワークス(マトラ・インターナショナル)としてグランプリに参戦したティレル。翌69年にはダブルタイトルを獲得。しかしマトラが経営難からクライスラー傘下に入ったため、名機フォードDFVエンジンが使えなくなった。なにはなくともフォードDFVだったこの時代を生き残るためにはマトラと決別するしかなく、新興マーチの市販シャシー701を使うこととなった。 シーズン序盤こそよく走ったマーチ(ノンタイトル戦含む4戦で3勝3PP)だが、シーズンが深まるにつれ戦力は右肩下がり。これじゃダメだと秘密裏に設計開発していたオリジナルマシンがついに本戦を走った。コンストラクター・ティレルの誕生である。 そのティレル初のオリジナルマシンの前に、まずは開幕からイタリアGPまで走らせていたマーチ701を。カルツォ1/43 マーチ701 フォード1970年スペインGP 5位#16 ジョニー・セルボ=ギャバン 後年、バブル日本のレイトンハウスと組んで名を馳せることになるマーチのF1デビュー作。わずか3カ月で設計製作された。1969年9月のチーム創設時に創設メンバーのマックス・モズレーが「来年のF1に参戦するよ」とか言い出しちゃったもんだから、おいおいマジかよとあたふた作り上げた割には序盤の滑り出しは良かった。特徴的なボディサイドの造形物は取り外し可能な燃タンで、サーキットによっては取り外して走った。翼断面をしているがグラウンドエフェクト効果はなく、せいぜい整流効果とほんのわずかなダウンフォースが得られたのみだった。 ティレルは吊るしの701に独自のモディファイを施し、ノーズコーン一体型フロントウイングを切り飛ばして仰角調整可能にし直したり、サスマウント位置を調整したりした。 ジョニー・セルボ=ギャバンは、F1参戦と並行してF2も走り、69年の欧州チャンピオンを獲得した前途洋々たる若者だったが、シーズンオフに目を怪我してドライビングにも支障が出て、モナコ予選落ちを契機にシーズン途中で引退した(後任は元祖貴公子フランソワ・セベール)。スパーク1/43 ティレル001 フォード1970年カナダGP DNF#3 ジャッキースチュワート カナダGPにデビューするやいきなりポールポジション獲得。ジャッキー・スチュワートは開幕戦でもマーチを駆ってポールポジションを獲っている。新興コンストラクターがデビュー戦でPPを獲ること自体が珍しいのに、それを同一年に二度もやっちゃうという珍記録(多分唯一無二)。こうなるとクルマが優れてるのかドライバーが凄いのか判断に苦しむところだが、多分マーチの時はドライバーが凄くて、ティレルは翌年タイトル獲ってることからしてマシンも凄かったんだろう、ってことじゃないかしらん? 001を設計したのはティレルの古巣マトラにいたデレック・ガードナー、のちにかの有名な6輪車を手掛けることになるが、001が初めて設計したF1カーである。ハイマウントのフロントウイングやリアウイング等がどことなくマーチに似通っているような気もするが、ティレルの実働部隊があーでもないこーでもないとマーチをいじくる姿を横目で見てて、知らず知らずのうちに刷り込まれたのかも。 70年シーズンのラスト3戦を走った001は、3戦全てリタイアと言う結果だったが、どのレースもフロントローからスタートというバカッ速。信頼性さえ確保できればタイトル獲得は当たり前状態のクルマが、F1カーの設計は生まれて初めてというデザイナーから生まれたのはほんとビックリ。
2023.06.29
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「夢、夢のあと」っちゅーのは、WBCシーズンになるとテーマ曲としてテレビでひっきりなしに流れる「セパレイト・ウェイズ」で有名なジャーニーの“埋もれた”アルバムである。ちょうどスティーヴ・ペリーが加入して難解なプログレからライトでポップなロックへ路線変更を果たしてちょぼちょぼヒットを飛ばし始めた3部作「インフィニティ」「エヴォリューション」「ディパーチャー」と、世界的大ヒットとなった「エスケイプ」「フロンティアーズ」の狭間の、しかも映画のサントラ盤だし、世界のケンゾー・タカダの作った映画「夢、夢のあと」もコケたし、だからまぁ知る人ぞ知るといったアルバムではある。池田満寿夫の映画「エーゲ海に捧ぐ」がそこそこヒットしたもんだから、柳の下を狙ってケンゾー・タカダを引っ張り出した時点で結果は見えてたようなもんだが(笑)。それはともかくケンゾー・タカダの頭の中の、舞台は中東モロッコ→砂漠→キャラバンサライ→サンタナというイメージか、さすがにサンタナは無理筋だろうが、キャラバンサライ制作時のメンバー2人が在籍するジャーニーならイケんじゃね?ということだったのか、来日公演の合間に、新宿にあったCBSソニー信濃町スタジオでバックトラックから歌入れまで一週間の突貫作業でつくりあげたアルバムは、サンタナ狙いということもあって初期ジャーニーのプログレ・フュージョン臭の強い内容だから、「セパレイト・ウェイズ」」から入った人にはまったくもってお勧めできないシロモノだが、ライブのセトリに入ったこともある「哀愁のロマンス」と新生ジャーニー節全開の「リトル・ガール」、この2曲が聴けるので個人的には価値がある。 という長い前フリはさておき。。。 せっかく前回・前々回とフェラーリ初のV6ターボマシンの「夢」の部分を書いたんだから、「夢のあと」も書いとかないとなんだけど、どうせなら126Cを総括的にCKもC2も再録して、とゆーわけですわ。バンク角120度1.5リッターV6ターボ搭載マシン達の、1980年から84年までの波乱万丈の物語。ブルム1/43 フェラーリ 126C1980年イタリアGP 予選#2 ジル・ヴィルヌーヴ 本来1981年シーズンでの使用を検討していたが、走らぬ312T5に手を焼いて、地元イタリアGPの予選に登場。直線はバカっ速いがハンドリングがぐにゃぐにゃで改善の余地ありとして一端お蔵入り。GPレプリカズ1/43 フェラーリ 126CX1981年アメリカ西GP フリー走行#28 ディディエ・ピローニ ストップ&ゴーの市街地レース用にスロットルレスポンスに優れたブラウン・ボベリ製コンプレックスチャージャーを搭載。しかしながらターボチャージャー搭載時よりも重心が高くなって、もともと芳しくないハンドリングがより悪化したためフリー走行を走っただけでターボに換装された。タメオ1/43 フェラーリ 126CK1981年アメリカ西GP DNF#27 ジル・ヴィルヌーヴ ターボに換装されて予選本戦を走ったマシン。ミニチュアメーカーのデフォルメの違い(上下方向の厚さやノーズの長さ)でなんとなく異なる印象を受けるが、実車の外観上はエンジンカバーのBBC(ブラウン・ボベリ・コンプレッサー)ステッカーの有無のみ。ブルム1/43 フェラーリ 126CK1981年モナコGP 優勝#27 ジル・ヴィルヌーヴ 過給機をターボチャジャーに固定したら、お次はサイドポンツーン上面排気から側面排気へ変更。ブルム1/43 フェラーリ 126CK1981年イタリアGP 5位#28 ディディエ・ピローニ 126CK最終版はフロントウイングを312シリーズのようなハイマウントタイプへ変更。ブルム1/43 フェラーリ 126C21982年アメリカ西GP DSQ#27 ジル・ヴィルヌーヴ 126CKの鋼管フレーム+アルミパネルの旧態依然としたセミモノコックから、アルミハニカムパネルのフルモノコックに変更したら、思った以上にシャキッとなった126C2。 ロングビーチ・オンリーのダブルウイングは、ウィリアムズやブラバムといったFOCA系チームの水タンクなどという小賢しい作戦に対する当てつけ。ブルム1/43 フェラーリ 126C21982年サンマリノGP 2位#27 ジル・ヴィルヌーヴBBR1/43 フェラーリ 126C21982年サンマリノGP 優勝#28 ディディエ・ピローニ 苦い思いだけが残った遺恨の1-2フィニッシュ。じゃじゃ馬126CKで2勝のヴィルヌーヴに対して4位止まりだったピローニだから、勝てるマシンを手にして野心が沸き上がったか。ヴィルヌーヴ先頭でゴール直前に追い抜いて勝利。騙し討ちと感じたヴィルヌーヴは次戦ベルギーでピローニのタイムを破ろうとコースに出るも接触事故で帰らぬ人に。ランクトップをひた走るピローニも雨のドイツ予選の接触事故でドライバー生命を絶たれる。しかしレギュラードライバーを2人とも失おうとも“F1は続いていくわけです”。ということで急遽代役に立ったのがこのお二人。 左:マリオ・アンドレッティ(#28)、右:パトリック・タンベイ(#27)マリオのレーシングスーツを飾るのは、マルボロ(タバコ)にジャコバッツィ・ランブルスコ(酒)、モリナリ・サンブーカ(酒)、そして酒のアテにはミズーラ(クラッカー)とおよそ不健康(笑)。対するタンベイもジュール(香水)はともかくも胸にデカデカとムーラン・ルージュ(キャバレー)とはこれまた退廃的(笑)。今なら全部アウトだな。まぁそれはともかくこの代役が大当たり。最終2戦に登板のマリオ、特にイタリアGPでのPP獲得に話題がいきがちだけども、背中を痛めながらグランプリ初優勝を含む6戦5入賞のタンベイが頑張った。ブルム1/43 フェラーリ 126C21982年イタリアGP 2位#27 パトリック・タンベイデアゴスティーニ1/43 フェラーリ 126C21982年 イタリアGP 3位#28 マリオ・アンドレッティ 結局のところ誰が乗っても速かった126C2。じゃじゃ馬からたったの一年で駿馬に早変わりはスクーデリアの低力を見る思いだが、それ故にレギュラードライバー2人がそのまま乗っていたらどんなシーズンになったろうかと思わずにいられない。因みに上2台は前後ブレーキダクトをサンドイエローでリペイント(#27はフロントウイング翼端板もブラックで。ついでにヘルメットのマルボロも手持ち在庫を貼付)。本来BBR#28のように茶系の半透明が正解なんだけれど、そんなんどうしようも出来ないからね。まぁこうやって手間をかけることでパッと見の見映えは良くなるから、ジルの2台もそのうち塗っちゃろうと思っておる。ヘコ・モデル・ミニチュア1/43 フェラーリ 126C31983年ドイツGP 優勝#28 ルネ・アルヌー 2件の死亡事故(必ずしもクルマのせいとは言い難いが)とドライバーの身体的負担増を鑑みてグラウンドエフェクトカーが禁止された83年シーズン。サイドポンツーン下面で得られるはずだったダウンフォースは、前後のウイング面積を増やすことで補填した。禁止決定が82年末だったため新規にマシンを用意する時間的余裕はなく、シーズン前半はC2改良型C2Bでやり過ごす。第9戦イギリスGPでようやくデビューしたC3は、C2Bのモノコックをアルミハニカムからカーボンファイバー製に変更したことが特徴で、アルヌーが2優勝を含む表彰台連発でドライバーチャンピオンにあと一歩まで迫った。シーズン前半はパトリック・タンベイが、後半はアルヌーが活躍してコンストラクターチャンピオンは死守。 ヘコはフランスのハンドメイドミニチュア。小奇麗にカッチリとつくられてて好感触(ボール紙ベースのディスプレイケースには閉口だけどね)。ブルム1/43 フェラーリ 126C41984年ベルギーGP 優勝#27 ミケーレ・アルボレート フラットボトム過渡期といえる84年シーズン。翼断面が形成できないならサイドポンツーンなど無用の長物と言わんばかりに極力縮小されて、リアグリップ確保のためにラジエータなどの重量物は後方に持っていくアローシェイプで始まったC4。 このブルムはコレクションの最古参で、多分89~90年あたりに今は亡き恵比寿のミスタークラフトで最初に買ったもの。30年近く経っても塗装の浮きもなく、当時の合金素材は今のものよりも良質だったのだろうね。タメオ1/43 フェラーリ 126C4-M21984年ヨーロッパGP 5位#28 ルネ・アルヌー シーズン中盤、ラジエーターを縦置きから水平置きに改めたことによりサイドポンツーンが前方に伸び(C4M)、最終2戦では新たな空力トレンドであるリアディフューザーとそこへ至る空気の流れを整流するサイドポンツーンの絞り込み(所謂コークボトルライン)がアップデートされて初期C4とはまるで別物のC4M2。こうなると中間仕様のC4Mも欲しくなるところ。トップマルケスが1/18サイズを出す予定だから1/43サイズでも出してくんないかしら。
2023.06.06
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126CKのまとめネタを書いたなら、お次はコレっつーのはある意味予定調和である。ただワンシーズン通しての総括をやるにはやるんだけど、個人的には序盤のイモラ(あるいはゾルダー)で終わっちゃってるんでね、それ以降についてはあんま熱がない(汗) フェラーリのお膝元、アウトドローモ・ディーノ・フェラーリ(当時名称)での”誤解”がなければ、あるいはレース後にチームが下手くそな事後処理(エンツォ御大が頭ごなしに和解を強制)をしていなければ、果たして82年シーズンはどう転がっていったろうか。それ以降のF1サーカスはどう展開していったろうか。ブルム1/43 フェラーリ 126C21982年アメリカ西GP DSQ#27 ジル・ヴィルヌーヴ グラウンドエフェクトによる強烈なダウンフォースとV6ターボエンジンのパワーを受け止めきれなかった鋼管フレームにアルミ板リベット止めによるセミモノコックを先進的なアルミハニカムモノコックへ進化させた途端、ハンドリングが安定して一線級のマシンへ変貌した。 まぁなんていうのか、掟破りのダブルウイングが有名なロングビーチ仕様であるが、こういうスペックを堂々と出してくることがすでにドライバーのストライキや不可解な違反判定、重大事故が頻発する不穏なシーズンの兆候と言うか。英国バックヤードビルダー系チームが「水タンク」というインチキをやってくるなら、こっちはこういうテ(ダブルウイング)で対抗するまでよ、という性能向上よりも敵対勢力に対するイヤミが原動力のダブルウイングではある。結局3位フィニッシュしたもののウイング違反で失格。 相変わらず126C系ならまかせとけ!なブルムの、主にタイヤを品質向上したアップデート版(それとともに値段もアップ)。元々ボディ形状はイメージドンピシャでカッコいい126C2なんだが、唯一ブレーキダクトが黒いのが超残念。実車のような半透明は無理としても、茶系で塗装するとか出来んかったかねぇ。ブルム1/43 フェラーリ 126C21982年サンマリノGP 2位#27 ジル・ヴィルヌーヴBBR1/43 フェラーリ 126C21982年サンマリノGP 優勝#28 ディディエ・ピローニ 運命のイモラ、サンマリノGP。 今では考えられないイギリス系チームの参加ボイコットで、レースは実質フェラーリVSルノーの一騎打ちだが、ルノーは2台ともリタイアしフェラーリの1-2体制。ガス欠を心配しピットからは「SLOW」の指示が出ると、ヴィルヌーヴはこれをこのままポジションキープと理解。他方ピローニは単にガス欠に注意せよとだけ理解した。こういうときは79年のように2位は堅持するもんだ(仮に自分が2位でも抜かない)というヴィルヌーヴと、仮にもジョイントナンバーワンと言われて加入してんだからトップ争いしても何の問題もないと考えたピローニ、という二人のボタンの掛け違いが原因。味方に背中から打たれたと怒り心頭のヴィルヌーヴは、次戦ベルギーGP予選で、スロー走行中のドライバーとのボタンの掛け違いから接触。マシンは宙を舞い、シートごと投げ出されたヴィルヌーヴは絶命。 相変わらず黒いブレーキダクトのリニューアル版ブルムだけど(てかサンマリノの27号車はフロントはブレーキダクトレスだよ)、BBRはちゃんと半透明の樹脂を再現してさすがお高いだけのことはある(さすがに28号車だけに追加装備された蛇腹ホース製ダクトは再現されてないけど)。デアゴスティーニ1/43 フェラーリ 126C21982イタリアGP 3位#28 マリオ・アンドレッティ ヴィルヌーヴに続いてピローニまでもが事故で再起不能に陥るという前代未聞の事態に、スクーデリアはまず27号車にヴィルヌーヴの友人パトリック・タンベイを、その後28号車にマリオ・アンドレッティを招聘。およそ10年ぶりにフェラーリのシートに座ったマリオは、ぶっつけ本番に近い状態にもかかわらずモンツァでポールポジションを獲得しレースも3位入賞、結局代役二人で7回出走6回入賞と期待に応えフェラーリのコンストラクターチャンピオン獲得に尽力した。 個人的にはイモラ(あるいはゾルダー)で終わった、といってもそこにミニチュアがあれば(しかも安価で)これ幸いとばかりに買っちゃうのが蒐集家の性。隔週刊F1マシンコレクションのアンドレッティ車はちゃんと後期型をモデル化していてエラい。鋼管フレームのセミモノコックからアルミハニカムフルモノコックへ変更して駿馬に生まれ変わった126C2の唯一のアキレス腱がタイヤとのマッチング。タイヤの摩耗を抑えるためにロッキングアーム+プッシュロッドのフロントサスをプルロッド式に大改造。そのあおりでアッパーカウルもフロントサスカバーがなくなる変更を受けた。デアゴは他シリーズの金型を流用するんじゃなくちゃんとここを再現してんだけど、さすがにサスアームまでは手が回らなかったね。件のブレーキダクトもフラットホワイトでそれらしくしてんだけど、黒よりマシとは言うもののここはひとつサンディブラウンで塗ってみた。なかなか雰囲気いいんでブルムのもやってみようかしらん。 シーズン16戦中、2台揃って出走したのが7戦しかないのにコンストラクターチャンピオンに輝いたのは、それだけ126C2が駿馬だった証拠だろう。それは急遽乗ることとなった代替ドライバーでも優勝争いに絡めたことでもわかる。 けれど、もしも126C2が126CKと同様のじゃじゃ馬だったなら、せいぜいが入賞争いする程度のマシンだったなら、ヴィルヌーヴとピローニは走らぬマシンを前にああでもないこうでもないと良好な関係のままでいられたんじゃないかと、翌年もその先もグランプリで走ってたんじゃないかと思えて仕方がないのだよ。
2023.05.19
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ここひと月ばかりは「シン・エヴァ」「シン・ウルトラマン」の円盤が立て続けにリリースされて、既発売の「シン・ゴジラ」と併せて3作品をとっかえひっかえ観るという「シン祭り」状態。なので今回は過去作品を庵野視点でリブートする「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」シリーズになぞらえて12年前の記事を再起動としゃれこんだ(新作ミニカーが出ないからね!)。まぁ12年も経ちゃあ見る目も変わるし評価も全然違ってくるじゃんねというわけで、言ってることはむかしと全然違ったり(笑) 12年前はアシェットとブルムしかなかったけれど、今ではご覧の通り。もちろん専用資料(MFHレーシング・ピクトリアル・シリーズ)なんかもなかったしね。ブルム1/43 フェラーリ126C1980年イタリアGP 予選#2 ジル・ヴィルヌーヴ チャンピオンマシンの継続開発で戦闘力を維持できるはずだった312T5が、蓋を開けたら箸にも棒にかからないシロモノだったから、かねてから開発中の120度V6ターボエンジンを搭載する「ちゃんとした」グラウンドエフェクトカー126Cを、地元イタリアGPの予選に投入。しかし直線スピードやラップタイムこそT5よりも速かったが、どうにもままならないハンドリングのため、結局残りのシーズンもT5を継続使用することにして126Cは一端お蔵入りとなった。本格運用の81年仕様に比べて、フロント部分のカウル形状にまだT5の意匠を垣間見ることが出来る。 ドライバー付きのブルムは何気に初めてなんだが、ミニチャンプスとタメ張るとまでは言わないが、スパークよりは出来がいいね。トップマルケスGPレプリカズ1/43 フェラーリ126CX1981年アメリカ西GP フリー走行#28 ディディエ・ピローニ フェラーリ初のターボエンジンはパワーはあれどターボラグも相当なもので、その解決策としてKKK製ターボチャージャーをブラウン・ボベリ製コンプレックスチャージャーに替えて搭載したマシンが126BBC(最終的には126CXと改められた)。 チームとしては市街地ストップ・アンド・ゴーのロングビーチ戦はスロットルレスポンスに優れるCXで戦う目論見だったが、出力はターボチャージャーに劣り車体重心も高くなって元々芳しくない操縦性がさらに悪くなるということで、126CXは急遽ターボチャージャーに換装されて決勝レースを走ることはなかった。 フェラーリF1モデルとしてはルックスマートとBBRの中間あたりの価格帯で臨む新興トップマルケス。確か元々BBRの系列(下請け?)だったと記憶しているが、BBR譲りのきめ細かさと若干お安い価格設定が最大のウリだろう。塗装や組付けに何の問題もないけどちょっとノーズが長いかなぁという印象。長いというかスリムすぎるんだな。もっと根元がエラ張ったように三角形だよな実車は。あと前進角のついたリアウイングフラップはアルミ無塗装じゃなくて白塗装されてんだけど、それが再現されてないのも残念なところ。タメオ1/43 フェラーリ126CK1981年アメリカ西 DNF#27 ジル・ヴィルヌーヴ ブラウン・ボベリ製コンプレッサーチャージャー(頭文字をとってBBC)を急遽KKK製ターボチャージャーに換装して決勝を走ったマシン126CK。エンジン補器を一部変えただけだから外見上は126CXとは変わらない。エンジンカウルにBBCステッカーが貼ってあるかどうかで区別できる。 新時代V6ターボグラウンドエフェクトカーの門出は17周でドライブシャフトが壊れてリタイアという結果。同僚ピローニは67周まで走り続けたが肝心かなめのエンジンがブローしてアウト。ブルム1/43 フェラーリ 126CK1981年モナコGP 優勝#27 ジル・ヴィルヌーヴ 開幕からの南北アメリカ大陸遠征はオールリタイアと多難なスタートだったが、ヨーロッパラウンドの開幕と共に復調。モナコではヴィルヌーヴがついに金星。予選2位からスタートして一時3位に落ちるも上位2台(ピケ=ブラバムとジョーンズ=ウィリアムズ)が次々とトラブルに見舞われ後退しての1位フィニッシュ。ピローニも17位からしぶとく生き残って4位に滑り込んで、完走7台のサバイバルレースをシーズン唯一のダブル入賞で締めくくった。 BBCをまったく使わなくしてまず動力系統を安定させた126CKの次は冷却系に手をつけて、それに伴ってボディ外装も変化。開幕ロングビーチでは上方排気だったラジエータアウトレットはボディサイドのルーバーに変わった。ブルム1/43 フェラーリ 126CK1981年イタリアGP 5位#28 ディディエ・ピローニ 126CK変遷の最終形態は、フロントウイングをノーズコーン上面に取り付けて312Tシリーズのようなフルワイドウイングにした事だ。翼面積を増やすことによってダウンフォースが強くなりフロントがバタつくのを抑えたかったのかわからんが、ノーズコーンの小さな三角形分の面積が増えたからってそんなにダウンフォースが変わるのかねえ?と素人は考えちゃうけど、のちのティレル019でもアンヘドラルにしたことでボディ下面のダウンフォースは増えたけど翼面積が減った分フロントの喰いつきは悪くなったって言ってるくらいだから、ちょっとの面積増加でも絶大とは言わないまでも微妙には効くんだろうね、きっと。 けれどこのモディファイが行われた第9戦イギリスGP以降、当然他チームもあれこれと変更してくるわけで、相対的に戦績は右肩下がりの尻すぼみ。結局コンストラクターズランクは5位(前年よりはマシ)、ドライバーズランクはヴィルヌーヴ7位(優勝2回)・ピローニ13位(最高位4位)でシーズンを終えた。っていうくらいのじゃじゃ馬?駄馬?な126CKなんだけれども、仕様違いが出るたびに買い増しちゃうのはやっぱゼッケン27・28の呪縛と言うのか伝説と言うのかわからんが、まぁそんなとこなんだよね。
2023.05.04
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4月。春の訪れとともに様々なレースシリーズが本格開幕して、フットワークの軽いスパークからは早くも今シーズンモデルの発売アナウンスがなされている。F1はもちろんWRC、フォーミュラE(お呼びでない?)や(話題の)スーパーフォーミュラ、今シーズンものじゃないけど(待望の!)スーパーGT等々百花繚乱だ。もちろんF1各チーム1台、フォーミュラEとSFは選びに選んで1台ずつ、スーパーGTはGT500ワークス各陣営1台ずつ予約を入れたけれど、出来上がってくるのは早くても夏以降なんだよね。てなわけでもう2ヶ月も入庫がない。いやまあお金が出ていかないんで助かるっちゃあ助かるんだが、同時にココの更新も滞るわけで(汗)。だからといってまたフリーページの転載じゃあなぁ。。。といっても他にネタもなし。まぁもうちょっとしたら(ミニカーをバックヤードから掘り起こしたら)新シリーズを興そうとは思ってるけど、スパーク以外のモデルはどこにどう収まってるのか、発掘には手間取りそうなんよ。というわけで。。。 グループC規定の始まりからポルシェの独走が続きましたが、ポルシェに追いつけ追い越せとばかりに他メーカーが奮闘したことで、ポルシェVS他メーカーという構図が出来上がり、どこがポルシェを打ち破るのかという話題で大いに盛り上がりました。 燃費のいいマシンが勝つというグループCレースは、オイルショック以降のカーメーカーにとってはもってこいの原動力になったのだと思います。グループCレースで勝つ=低燃費をアピール=市販車販売実績に反映という図式で、多額の費用をつぎ込んでマシン開発に没頭した結果、多種多様なマシンが参戦してグループCレースは隆盛を極めました。またポルシェが956や962Cを広く市販してプライベーターの受け皿となって、参加台数を下支えしたことも大きかったように思います。 しかしながら、グループCは長時間レースで玄人好み、F1と同じフォーマット(2時間スプリントレース)にしたらもっと分かりやすくなって集客できるんじゃなかろうか?ついでにエンジンもF1と同一規格(3.5リッターNA)にすればF1からのエントラント流入も見込めるぞと踏んだFIAが、燃費という理念をグループCから取り払ってしまうと既存のエントラントは撤退を決め、F1側からの参加もなくあれだけ盛り上がったグループCはあっけなく崩壊してしまうのでした。1988年スパーク1/43 ジャガー XJR-9 LM#2 ヤン・ラマース / ジョニー・ダンフリーズ / アンディ・ウォレス走破距離:5332.79km平均時速:221.67km/hスポンサー:シルクカット(タバコ)1989年スパーク1/43 ザウバー C9 メルセデス#63 ヨッヘン・マス / マニュエル・ロイター / スタンリー・ディケンズ走破距離:5265.12km平均時速:219.99km/h1990年スパーク1/43 ジャガー XJR-12#3 マーティン・ブランドル / ジャン・ニールセン / プライス・コッブ走破距離:4882.40km平均時速:204.04km/hスポンサー:シルクカット(タバコ)1991年アイドロン1/43 マツダ 787B#55 フォルカー・バイドラー / ジョニー・ハーバート / ベルトラン・ガショー走破距離:4922.81km平均時速:205.23km/hスポンサー:レナウン(アパレル)1992年スパーク1/43 プジョー 905 Evo1 bis#1 デレック・ワーウィック / ヤニック・ダルマス / マーク・ブランデル走破距離:4787.20km平均時速:199・34km/hスポンサー:エッソ(石油)1993年スパーク1/43 プジョー 905 Evo1 C#3 ジェフ・ブラバム / エリック・エラリー / クリストファー・ブシュー走破距離:5100.00km平均時速:213.36km/hスポンサー:エッソ(石油)
2023.04.17
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海外ではWRC、WEC、F1が開幕。早速スパークが2023シーズンF1マシンのリリース案内を発信して各ミニカーショップで絶賛予約受付中であるのは結構なことだが、昨年の未消化分がいまだに入って来ないのはちょっと困ったチャンだ。 というわけで、ニューリリースが停滞してる時の定番、フリーページからの使いまわしでお茶濁しの巻である。 1970年代当初、強すぎるポルシェ917を締め出すため3リッタープロトタイプマシンによる競技が始まります。当初はマトラ・シムカやミラージュが活躍しましたが、1976年にポルシェが「936」という3リッタープロトタイプマシンの最適解を導き出すに至り、再びポルシェの独壇場となってしまいます。 これではレースに対する興味が失われてしまうという危惧と、第一次オイルショクの影響でレース活動を控えているカーメーカーの「レースに参戦する大義名分が欲しい」という意見が相まって、レギュレーションに「燃費」を組み込んだ新しいスポーツカーレース、グループCの時代が幕を開けます。 燃料はこれこれしか使えないので、今までのように大排気量高出力のエンジンで只々速く走るだけじゃ駄目ですよ、というわけです。この足枷によって、それまでトップを快走していたマシンがガス欠に陥って、目立たず淡々とペースを守って走行していたマシンが大逆転優勝するといったカタストロフィが生まれ、ゴールの瞬間まで気が抜けない面白いレース展開は空前の盛り上がりを見せるのです。 しかしグループCのレギュレーションを誰よりもいち早く読み解いたのはやはりポルシェで、傑作機「956」および「962C」によってル・マン24時間レースで破竹の6連覇を成し遂げます。1982年ヴィジョン1/43 ポルシェ 956#1 ジャッキー・イクス / デレック・ベル走破距離:4899.09km平均時速:204.13km/hスポンサー:ロスマンズ(タバコ)1983年ヴィジョン1/43 ポルシェ 956#3 バーン・シュパン / アル・ホルバート / ハーレイ・ヘイウッド走破距離:5047.93km平均時速:210.33km/hスポンサー:ロスマンズ(タバコ)1984年スパーク1/43 ポルシェ 956B#7 アンリ・ペスカローロ / クラウス・ルトヴィク走破距離:4900.28km平均時速:204.18km/hスポンサー:ニューマン(タカキューのオリジナル衣料)、ピエルラン・インペリアル(酒銘柄)1985年スパーク1/43 ポルシェ 956B#7 クラウス・ルトヴィク / パオロ・バリッラ / ジョン・ヴィンダー(ルイス・クラージェス)走破距離:5088.51km平均時速:212.02km/hスポンサー:ニューマン(タカキューのオリジナル衣料)1986年スパーク1/43 ポルシェ 962C#1 デレック・ベル / ハンス=ヨアヒム・シュトゥック / アル・ホルバート走破距離:4972.73km平均時速:207.20km/hスポンサー:ロスマンズ(タバコ)1987年スパーク1/43 ポルシェ 962C#17 デレック・ベル / ハンス=ヨアヒム・シュトゥック / アル・ホルバート走破距離:4791.78km平均時速:199.66km/hスポンサー:ロスマンズ(タバコ)
2023.03.21
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マックス・フェルスタッペンとレッドブル・レーシングの連覇で幕を閉じた2022年シーズンからわずか3ヶ月ばかりのインターバルで開催された2023年シーズン開幕戦バーレーンGP。上位3強チームの中で唯一リタイア無得点となって早くも暗雲垂れ込めるシャルル・ルクレール、ここからどうする?といったネタではまったくない。 バーレーンGPの数日後、永野護2年振りの新刊「ファイブスター物語14」がリリースされた。月刊ニュータイプを読まなくなって久しく、単行本が初見ということになってそれまでの内容はすっかり忘却の彼方なので新刊読む前に既刊を読み返す作業がマストなのだが、まぁなんちゅーか魔導大戦編に入ってから随分経つんで、結局ひとつふたつ戻ったのでは事足りず20年前の11巻から読み直し。しかもつっかえつっかえ読み進んで未だに最新刊へは至らず、という(汗)。 ハイブレン・ボスヤスフォート率いるバッハトマ魔法帝国のハスハント侵攻に端を発する魔導大戦は、自星の寿命前にこの地に移民国家を打ち立てたいフィルモア帝国を始め、各国それぞれの思惑で魔導大戦に参戦することとなり、魔導大戦は図らずも各国の主力MH(新設定ではGTM)が集う博覧会の様相も呈した。この状況、年初に相次いで発表された独レオパルト2、英チャレンジャー2、米エイブラムスのウクライナへの供与という、決して同じ土俵に並ぶと思わなんだ欧米主力戦車(MBT)がウクライナの地で勢ぞろいという絵面に重なって見えたので。。。 今やないことになっているL.E.D.ミラージュV3インフェルノ・ナパームを下敷きに右からレオパルト2、チャレンジャー2、エイブラムス。 不謹慎の誹りを免れぬかもしれんしマンガと現実をごっちゃにするなってハナシなのだが、いちAFVファンとして欧米MBTの揃い踏みはすげえな、と。ドラゴンアーマー1/72 チャレンジャー2BATUS(イギリス陸軍サフィールド訓練部隊)所属 2023年1月14日、独米に先駆けてイギリスがウクライナへ供与(現状12台)を決定した第3.5世代MBT(主力戦車)。ドラゴンアーマー1/72 レオパルト2A6第403戦車大隊第3中隊所属 イギリスに続き1月25日にドイツがまず14台の供与を決定したドイツ第3世代MBT。他国に供与している車輛のウクライナへのまた貸しも承認し、最終的には100台が戦線投入の見込み。ヘンロン1/72 M1A2エイブラムス2003年「イラクの自由作戦」参加車輛 ドイツと同日、ウクライナへ31台を供与すると発表されたアメリカ第3.5世代MBT。 1/16スケールの格安ラジコン戦車で名を馳せたヘンロンだが、小スケール商品は子供だましのおもちゃと割り切ってるいるのかしらんが、転輪の塗装は適当、CIP(砲塔脇の敵味方識別パネル)なんかランナーから手でもぎってる(今時ガキでもやらんよ)。仕方がないから転輪ゴムはタイヤブラックを筆塗り、CIPは欠損部をタミヤラッカーパテで埋めて成形してからサンディブラウンでリタッチ。そもそもドラゴンアーマーと比較するもんじゃないんだろうが、千円程度のオモチャに完成度を期待してはアカンとゆーことだが、それでもちょっと手を加えるとよくなる。今度は茶系でスミ入れでもしてやろうかね。 そして第二次世界大戦中にエル・アラメインやアルデンヌで派手な戦車戦を展開した英米独が、決して早々にとは言えないがウクライナに戦車供与を決めたのに対して、大戦中はドイツにやられっぱなしでいいとこなしだったフランスはまたも置いてけぼり、というかAMX-10RC偵察戦闘車を供与して最新MBTは出し惜しみ状態。デアゴスティーニ(イクソ)1/72 ルクレールT5アラブ首長国連邦陸軍所属 新年早々、他国に先駆け偵察戦闘車AMX-10RCの供与を発表して、どの国もやらなかった拠点制圧陸上兵器供与をフランスがやってやったぜと鼻高々だったが、英米独が虎の子の最新MBTを貸し出す事態になって、一転「なんだ偵察戦闘車だけかよ、出し惜しみすんな」という流れに。これに焦って今更「ルクレール出しまっせ」と言ったところで他人の尻馬に乗っかってる日和見主義者と見なされるだけだから、きっとルクレールの出番はないんだろうなぁ、残念。 ミニカー分野ではミニチャン、スパークが新商品出すたびに値上げしてんのに対して、価格を抑えつつも中の上あるいは上の下くらいの品質を維持して好印象のイクソだが、ルクレールはデアゴにコストを叩かれたのかなんとも中途半端な出来映え。そりゃ戦車命のドラゴンと比べちゃ酷かもしれんが、スミ入れもウォッシングもなしの車体はのっぺりしてリアリティがない。逆に言えばそれらをこちらで補填してやればもうちっと見られるモノになるかも。とはいえ唐竹割りパーティングライン丸出しの燃タンにはやる気を削がれるねぇ。。。 一方、NATO側の最新MBT戦線に対するロシアのMBTとしてはT-14であるべきなんだろうがウチにはストックなし。とゆーことで手持ちのT-80並びにT-54を。いずれも旧ソ連時代の代物だが、そんなもんを延々と使い続けるのがなんとなくロシアの国民性らしく感じてね。デアゴスティーニ(イクソ)1/72 T-80BVソビエト連邦陸軍第4親衛戦車師団第1中隊第2小隊6号車 1975年生産開始という前世紀の遺物だが、ところがどっこい開戦当初から戦線の一翼を担い、しかもウクライナ(ハリコフ)でも生産されていたために、最前線で両軍所属のT-80が撃ち合う結果に。砲塔周りの爆発反応装甲をはじめとする火器装備のゴテゴテ感がソ連らしくないね。こちらの出来映えもルクレール同様、スミ入れすればそれなりの見てくれになりそうだけど、コイツも燃タンがなぁ。。。イージーモデル1/72 T-541968年チェコ事件(プラハ制圧戦)参加車輛 T-80の1975年どころか1947年量産開始という東西冷戦時代の遺物、けれども未だに旧共産圏じゃ現役という、そしてこれまたウクライナはハリコフ製という。この車輛はチェコスロバキア政府の自由改革路線を瓦解すべくソ連率いるワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアになだれ込み全土掌握したチェコ事件で、プラハに侵攻した制圧部隊の一台。ソ連製の武器を使うチェコ軍との識別のため白線が描かれている。。。のだけれど、あれ?イージーモデルのT-54は何か変。 識別のためだってのに車体前面に白線がないじゃんねえ。常時こうやって砲塔後ろ向きってわけじゃないだろうし、まぁ識別の識別みたいなことでこの車輛だけ白線なしって可能性もあるかもと画像を漁ってみたら。。。なんだよ、ちゃんと白線描かれてんじゃんか。つーことはメーカーの考証不足もしくはコストダウン目的でわかっててやらなかったパターンか。いずれにせよ判っちゃったら修正せずにはいらんないわけで、マスキングしてベースホワイト吹いて、そんでもって色調あわせに水性フラットクリアーを全体に軽くスプレーして前掲の画像の如く。そこ以外はイージーモデルの出来映えは上々。燃タンはイクソ同様唐竹割りだがパーツの合いがよくてイクソほど目立たなくて良し。デアゴスティーニ1/72 10式戦車陸上自衛隊富士学校 富士教導団 試作1号機 ついでといっちゃあ何だが、最後に欧米MBTとは絶対轡を並べることはないであろう10式戦車を。これどこ製なのかわからんが(まぁイクソじゃないだろう)、なかなか良い出来映えなんじゃないの? とまあウクライナにかこつけて各国MBT揃い踏みしたわけだが、現実にはこんなもんが相対してドンパチ撃ち合いなんざやらないに越したことはない。そうならぬようにと切に願う。
2023.03.20
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自動車メーカー各々の思惑でWECから離脱して、好むと好まざるとに関わらず無双状態となったトヨタだけに、ル・マン5連覇を達成しようとテレビ新聞など一般メディアは一顧だにもしない。またレース雑誌とても初優勝の時のような特集を組むでもなく、ウィキペディア日本語版に至ってはトヨタ初優勝以前に更新が止まっている。ウィキ英語版などでおおまかなレース展開は読めるけれどアクシデントやトピックといった小ネタがまったくもって伝わってこないので、ミニチュアが手に入ったはいいけれどこれどう処理しようか?と悩むことしきり。 一方、戦前のル・マンなんて昔過ぎてこれまた情報皆無。いや深く調べりゃなんかしら出てくるんだろうけど、少なくともチャチャっと日本語版でってのは無理筋かな。「それ見たことか、だから思い入れのないクルマを単なるシリーズの一環として穴埋め的に買うのはご法度って言ったでしょ」と”やぶにらみミニカー師匠”の教訓が蘇る(笑)。けれどそれぞれ単独では扱いに困ったものでも、二つ揃ったなら点と点が線で繋がるようにネタとして組み上がってめでたしめでたし。 およそどこの自動車博物館でも並んで展示されることはないだろうと思われる組み合わせ(笑)。共通点は唯一ル・マン優勝車(あと奇しくも同じゼッケン8)。2022年と1932年、90年のレーシングカーの進歩が見て取れる。こういうところもミニチュアの醍醐味で、たとえリスト穴埋め買いであってもメリットはあるのだよ、と言い訳しとこう。スパーク1/43 トヨタ GR0102022年ル・マン24h 優勝#8 セバスチャン・ブエミ / 平川亮 / ブレンドン・ハートレー走破距離:5177.17km平均速度:215.40km/h ディーゼル車不正問題とか電動化の流れとかでアウディとポルシェが撤退しちゃってトヨタ・オンリーのワークスとLMP2を無理やりLMP1に仕立て直したプライベーターではなんとも盛り上がらないから、LMP1を廃して新しいクラスを作っちゃおう、どうせなら市販の高性能スポーツカーの改造も参戦可能にしたら盛り上がるべ!と立ち上げたル・マン・ハイパーカーだけど、初年度は引き続きのトヨタと性懲りもなくLMP2改造で参戦したアルピーヌに完全新作はグリッケンハウスのみと初っ端から主催者側の目論見は大外れ。この2022年になってやっとこ本命(?)のプジョー9X8が出てきたけれど、それにしたってたったの4ワークス、決して盛況とは言えないでしょ。 まぁアウディ・ポルシェ・トヨタの3ワークス時代でもそれなりに盛り上がったじゃんと言われればその通りかもしれないが、主催も観客もグループCやGT1時代の幻影を追っかけてるから、とうてい満足できるレベルじゃない(それはいつまでも終わった夢にしがみつく老害、と言えなくもないが)。 それはともかくライバル不在のハイパーカークラスを連覇したGR010だが、21年型との外観上の相違点はシャークフィンの形状をゼッケンくらいとゆー素人泣かせのマシン。せめてレース・トピックとかがあればネタを膨らませられるがそれもなし。せいぜいが初参戦で優勝の平川亮は国内でのアンラッキー続きが払拭できてよかったね、くらいのものだ。スパーク1/43 アルファロメオ 8C 2300MM1932年ル・マン24h 優勝#8 レイモンド・ソマー / ルイジ・キネッティ走破距離:2954.04km平均速度:123.09km/h 時代はGR010から遡ること90年。ベントレーとともにサルテを席巻したアルファロメオの傑作機8C。バカ長いフロントセクションに収まるのは8Cの名前の由来になった2.3ℓ直列8気筒エンジン。そら鼻づらも長くなろうというものだよねぇ。スーパーチャージャーで加給するこのエンジンは142PSを発揮し、MAXスピードは200km/h超えという韋駄天ぶりだった。 フランスはアルデンヌ地方の裕福なカーペット製造の家(後の仏自動車内装大手ソメール・アリベール社)に生まれたレイモンド・ソマー(仏人だから”レイモン・ソメール”が正しい?)。お金持ちのボンボンにありがちな自動車レースに興味を持ち、クライスラーCD8を買いこんで1931年のル・マンに出場するも開始2時間でラジエータートラブルによりリタイア。翌32年はパリ・サロンで目をつけていたアルファロメオ8CコルトMMを買い、アルファロメオの代理店をやっていたルイジ・キネッティに、やれ燃タン増設だのやれ流線形のフェアリングをつけろだのあれこれ改造を指示しレーシングカーに仕立て直した。この作業をこなしたキネッティをパートナーにル・マンに参戦、無茶ぶりの改造作業ですっかり体調を崩して運転どころの騒ぎじゃなくなったキネッティを尻目に、20時間以上をひとりで運転してトップチェッカー。いやはや恐るべきお坊ちゃまである。 ちなみに相棒ルイジ・キネッティ、第二次大戦後にアメリカへわたり旧知のエンツォ・フェラーリの車すなわちフェラーリのディーラーとして北米市場を開拓し、また白ボディに青ラインでお馴染みのノースアメリカンレーシングチーム(N.A.R.T)を創設したレジェンド。 レーシングカー90年の進歩は、ル・マンのスタッツからも明らか。24時間の走破距離も平均速度もは1.7倍強に伸びた。クローズドボディは大気を味方につけてストレートでもコーナーでも安定し、また無線、パワステ、室内空調完備といったドライバーエイドもばっちり。けれどエアロダイナミクスという概念もなくか細いタイヤにプアなブレーキで暴れる車体を腕っぷしひとつで抑え込み、ほぼ一人で24時間走りきっちゃうことが多々あった戦前ドライバー恐るべし、である。
2023.03.13
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71年イタリアGPのマーチ711を取り上げてようやく堰が切られたんで、マーチ絡みでもういっちょ、とゆーことでこちらの商品も購入から5年ほど寝かせております(笑)。スパーク1/43 マーチ 711 フォード1972年ベルギーGP 5位#16 カルロス・パーチェ マーチ・エンジニアリングはご存知の通り自チームで走らせるだけじゃなく、他チームにもマシンを供給した。この711は1972年にフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズが運用したもの。現代のウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリングを興す前にフランク・ウィリアムズ卿が創設したレーシングチームで、毎年運転資金に事欠きカナダの大富豪ウォルター・ウルフに援助を申し出たのが運の尽き、株式の60%を抑えられてチームオーナーからマネージャーへ格下げ、その後には完全に乗っ取られ(フランクはクビ)チームはウォルター・ウルフ・レーシングとなってデビュー戦優勝という偉業を成し遂げたのは周知のとおり。 それはさておき創業時のフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズは自前のマシンは用意しないカスタマーチームであったのでブラバムやマーチを買ってレースに出場していた。72年はマーチの新型721と型落ち711の2台体制。裏では初の自作シャシー、ポリトイFX3が同時進行していたが、開発は遅々として進まず(そりゃそうだ初めてだもの)、しかもデビュー戦で虎の子の一台がクラッシュ半壊状態となって、結局2台のマーチで戦わざるを得なくなった。因みにウィリアムズのクルマなのにポリトイというのは、開発資金を出した大手玩具メーカーのポリトイが援助の見返りにネーミングライツを要求したため。そしてたった一年で資金を引き揚げたポリトイに代わってイタリアのスポーツカーメーカー・イソとマルボロが資金提供してイソ・マルボロFX3Bとなり、その後継機イソ・マルボロIRが初代のFWとなるわけだが、今は711のハナシ。 英国王立空軍の至宝スピットファイアの翼形状を参考ししたと言われる特徴的なフロントウイングで名を馳せた711も、パーチェ初戦の南アGPこそストック状態で走行したが続くスペインGPからはノーズセクションを刷新。この改良が奏功したのかスペインで6位、ベルギーで5位と型落ちシャシーで望外のリザルトを得た。しかしポイントを獲ったことよりも、カルロス・パーチェという生きのいい若者を発掘したほうがF1史には重要じゃあないかな、とパーチェ好きは思う。ここでの好走がなかったらサーティースを経てブラバムのコックピットに座ることもなかったし、タミヤビッグスケールNo.16の組み立て説明書表紙のレイバンをかけたポートレート(当時はカルロス・ペイスと紹介)をカッチョいいと思うこともなかったわけで。未だ国内DVD化されないF1映画「ボビー・デアフィールド」でアル・パチーノのスタンドインを務めるくらいカッチョいいから、同郷のペドロ・ディニスがパーチェをリスペクトしたヘルメットデザインにしたのも頷ける。 フロントセクションから後ろはまったく変わり映えがしないという証拠。しかし「ティートレイ」と呼ばれた円盤型フロントウイングが特徴なのに、それは持っていないという天邪鬼(笑)
2023.02.21
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1971年のイタリアGPを取り上げたんで、1位から5位までが0.61秒差という大接戦ゴールの遥か後ろでこんなのが走っていたよ、というお話。主役がロータスということで、ヘンテコロータス車につけるタイトル「博士の異常な愛情」が約11年ぶり(!)に復活。デアゴスティーニ1/43 ロータス 56B プラット&ホイットニー1971年イタリアGP 8位#5 エマーソン・フィッティパルディ ロータス56Bの概要はWikiでも前の記事(くどいようだが11年前だ)でも見てもらうとして、今回は本来タバコカラー(ゴールドリーフ)のはずのカラーリングが何故に金黒?というハナシ。といっても分冊百科付属の冊子の受け売りだけど(汗)。1971年シーズンにロータス72Cや72Dと併行して使用された56B。本家が72でサテライトチームが56Bという棲み分けで、運用チームが違うからカラーリングも違う、ということじゃなく、下の画像のように56Bだってゴールドリーフカラーを纏っている。因みにこれはグランプリと並行して開催されていたノンタイトル戦、ブランズハッチでのデイリー・メール・レース・オブ・チャンピオンズ参戦車。 イタリアGPでは、前年にヨッヘン・リントが事故死しており当事者であるチーム・ロータスと当事車ロータス72が罪に問われたり司法当局に押収されるたりするのを回避するため、せっかく72の改良が奏効して戦力が上向きにあったにも拘らずチーム・ロータスとしてレースにエントリーしなかった(当時は全戦参戦義務はない)。そこでチーム・ロータスとしては欠場するが、モンツァ・サーキットと相性よさげなガス・タービンエンジン車を別チーム名義(エントリー名はワールド・ワイド・レーシング)で送り出した、とかなんとか。この件に関して公式発表とかはないんで真相は闇の中ではあるが、いろいろ画策した甲斐あってか56B全史で唯一完走を果たした。 デアゴスティーニの56Bは、新品でスパークの半分以下の価格ながらいい雰囲気。マッハGoGoGoの覆面レーサーマシン然としたカラーリングも、近未来的な56Bのフォルムにはゴールドリーフよりも似合ってるような気がする。スパークの中古を必死に探すより安くて楽に手に入って結果オーライ。
2023.02.16
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1個前の記事のフォードGT40、購入してから塩漬け1年だったんだけど、今回のは調べたらそんな可愛いもんじゃなかった。塩漬け期間はなんとおよそ7年!いやはやなんともぐうたらものぐさもここに極まれり、だなぁ(汗) 1971年のイタリアGPは、トップが26回も入れ替わる史上稀にみる大混戦。最終的にはBRM駆るピーター・ゲシンが僅か0.01秒差で優勝。その辺はネットで調べりゃ詳細にわかるし拙ブログBRMの回でも簡単にまとめてる。 その時のゴールシーン↑。ピーター・ゲシンは勝利を確信して拳を振りかざしてる。まだゴール前なのだけれど1時間強ドッグファイトを続けていると相手に余力が残ってるかどうか自然とわかるのかも知れんな。この0.01秒というマージンはF1で最も僅差の勝利として記録されている。但し当時は百分の一秒までの計測で、2002年アメリカGPでは0.011秒差での勝利が記録されているから、現代では「百分の一秒計測時代の僅差勝利」と但し書きが必要かも知れん。それはともかく今回は何度もラップリーダーに名を連ねてレース全体を引っ張ったにもかかわらず最後の最後で優勝をさらわれた側にフォーカス。スパーク1/43 マーチ 711 フォード1971年イタリアGP 2位#25 ロニー・ピーターソン マーチ711といえば「ティートレイ」と呼ばれるヘンテコな形のフロントウイングで有名だが、シケインもなく直線をコーナーで繋いだだけの高速モンツァ・サーキットではドラッグになると、きっぱり捨て去ったボディは丸っこくて意外と可愛かった(笑) 一般的なマーチ711。特徴的なフロントウイングは、メッサーシュミットBf109と激闘を繰り広げ英国の制空権を守った名戦闘機スピットファイアの形状を模していると言われる。個人的にはフロントウイングない方がいいなあ。最後は致命的な事故に遭ってしまったけど、基本的にはバカっ速ロニーとモンツァの相性はいい方だと思う(3回優勝)。ウイングレスの効果で直線スピードが伸びて8回もラップリーダーになったのに、300km強走って0.01秒差で敗けるのは運がなかったとしかいいようがない。もしくは毎ラップ前へ出るためにタイヤを酷使して最後の踏ん張りが利かなかったのかも。ツキ云々よりもそのほうがロニーらしい気がする(マンセルにも通じる猪突猛進タイプ?) 2011年にBRMを手にしてから、いつかはやろうと思っていた僅差ワンツーネタが12年経ってようやく完結したけど、7年の空走期間はさすがにやべぇとちょっと反省。これからは塩漬けしないように気をつけよう、ということを一年の計にしよう(今更かよ)。
2023.02.10
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♪エンド・オブ・ジ・イノセンス♪ イーグルスのドン・ヘンリーの3枚目のソロ・アルバム及びアルバム・リード曲のタイトルだ。共作者ブルース・ホーンズビーの奏でるピアノが印象的な「子供の頃はなんの憂いもなく過ごしていたけど、純真無垢な時代はもう終わってしまった(いつまでもそうであるべきだったのに)」と唄うノスタルジックな詩の裏に、ロナルド・レーガン政権下の政策批判などを潜ませてるシニカルがドン・ヘンリーらしい。歳を喰ってくると「夢が、希望が」っていう前向き曲よりもこういう感傷的・郷愁的な歌詞が響くのよ(笑)。他にも「バンド・リーダーの贈り物(ダン・フォーゲルバーグ)」「孤独のランナー(ジャクソン・ブラウン)」「アゲンスト・ザ・ウインド(ボブ・シーガー)」「アレンタウン(ビリー・ジョエル)」などなど挙げればキリがないわ。と、別に音楽談義をするわけじゃなく。実は「エンド・オブ・ジ・イノセンス」をタイトルに使うのは2度目。およそ5年前にはウイリアムズFW16を取り上げたんだが、そもそも「エンド・オブ・ジ・イノセンス」を結び付けるには記事の1ヶ月前に遡る。 2018年8月26日のCGTVは「メモワール レプリカの最高峰フォードGT40の思い出」。1991年2月に放送された回の再放送だ。英国GTD社製GT40レプリカを紹介する番組最後の総括パートで、修善寺の日本サイクルスポーツセンターを走る2台のGT40のスロー映像に被せたBGMが「エンド・オブ・ジ・イノセンス」だった。因みに番組冒頭にも同アルバム収録曲の「ラスト・ワースレス・イヴニング」が使われてた。アルバム発売が1989年で番組初回放送は1991年、つまり3年落ちということだが、音楽と何の関係もないクルマ番組の、しかも曲名すらテロップにならない使い捨てBGMとなれば3年くらい経たなきゃレコード会社の許可が下りなかったんだろう、知らんけど。それはともかく20年ぶりに耳にしてすぐさまCDを買い求めて、いやなオトナになっちまったなぁというブログの内容からそのタイトルに使ったというのが経緯(なげ~よ)。 時代は下ってつい先週のCGTV。時期的に新車が閑散期なのかアネスト岩田ターンパイク箱根が雪で使えないのかわからんが、ちょいちょいメモワール放送を挟んでいて前述GT40の回が二度目の再放送されたのをいい契機に、昨年買ったはいいけどネタ的に持て余して一年近く塩漬けにしてたミニチュアがやっと陽の目を見る、CGTVさまさまだ。デアゴスティーニ1/43 フォード GT40 Mk.Ⅰ GT40が何であるのかは今更説明不要だろうが、簡単に言えばまずヘンリー・フォードⅡ世が自らの会社のブランドイメージアップのため経営難のフェラーリを買収しようと画策。しかし老獪なエンツォ・フェラーリのほうが一枚上手で、フォードの買収話に乗るとみせかけて実はフィアットに身売りするための当て馬でしかなかった。フォード傘下のフェラーリでル・マン制覇してフォード車の売り上げアップという青写真を描いていたヘンリー・フォードⅡ世の可愛さ余って憎さ百倍がGT40を生み出すことになるのだから、フォードⅡ世には悪いがエンツォ、グッジョブ!である。 成り立ちがレーシングカーありきなGT40だから、レース仕様のミニチュアは数多発売されるがロードゴーイングバージョンはなかなか見かけないところに、待ってました!の廉価ミニチュアがデアゴの隔週刊アメリカンカーコレクションから発売。 GT40の開発に尽力したケン・マイルズの66年ル・マン参戦車と。ル・マンの数か月後、のちにMk.IVとなる試作Jカーのテスト走行中にケン・マイルズは事故死。享年47歳。じっくり見比べればいろいろとちゃっちい部分は見受けられるが、値段を考えればコスパ充分、これでいいのだ。
2023.02.09
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ディビジョナルの回で、スーパーボウルはベンガルズと49ersがいいなぁなどとほざいたら、ものの見事に両方とも負けちゃって、春日の呪いもかくやといった疫病神ぶりではある。けど言いたいこともあるのだよ。ブロック・パーディが第1Q中盤で右肘UCL(内側側副靭帯)断裂しなきゃ、仮に結果は変わらずとももっともつれて納得できる試合となったろうに。しかも代役QBのジョシュ・ジョンソンまでも脳震盪でゲームから除外されて、投げられないパーディが再び登板せざるを得ずランオンリーのオフェンスを始めた時点でもう万事休すだ。いかに快速クリスチャン・マカフリーといえども、まったく退いて守る必要がなくRBのみに注力してりゃいいだけのイーグルスディフェンスは破れんよな。 ここまでのシンデレラストーリーでポスト・ブレイディの第一候補と見なしてきたけど、ここ一番でのこの運のなさはポスト・カーソン・ウェンツまっしぐらだな。 もっとひどいのはAFCチャンピオンシップ。がっぷり四つに組んで第4Qまで五分五分で、さぁオーバータイムで仕切り直し!と誰もが思った残り16秒、敵陣47ヤードからのチーフスのサードダウン4ヤードの攻撃は、パスプレーが崩れてマホームズのスクランブルで4ヤード進み、残り9秒で60ヤード近い距離のフィールドゴールが決まっちゃったらまぁ仕方がない、キッカー凄かったねで終わるプレーのはずだった。それがベンガルズの間抜けなディフェンスエンド(#58)の、オーバータイムのためにQBを潰してやろうという意図がミエミエの姑息で卑劣なレイトタックルで状況は一変。アンネセサリーラフネスで15ヤードもらって45ヤードのFGならハリソン・バッカーの有効射程距離内だ。これを悠々決めてチーフスはベンガルズ、というか愚かなディフェンスエンドに勝ちを譲ってもらったカタチだ。これにはベンガルズの仲間もロッカールームに戻る際に「何であそこで手ェ出すかな(このアホが)」と怒鳴り散らす始末。本人は「QBがインバウンズで倒すつもりでいたが、二人とも外に出てるとは気づかなかった」と見苦しい釈明をしてるがそんな言い訳通じるか。インバウンズで相手を捕まえて絡み合ったままアウトオブバウンズに出てそれがレイトタックルと判断されたなら、試合の行方を左右するくらい微妙な判定だったなぁで納得するが、どうみたって相手が外に出てから追いついて押し倒してんじゃん。あんなあからさまな反則見たの日大の悪質タックル以来だよ、まったく。ところがこの件についてベンガルズのHCが「我々が負けたのはあのプレイのせいじゃない」とか擁護を始めやがったが、いやいや何言ってんのアレが全てでしょうが。繰り返すがあそこで反則なく60ヤードのFGになって成功したなら、チーフスのキッカー凄えな!で終わるハナシ。またFG失敗してオーバータイムにもつれ込んで、マホームズ・マジックでTDを決められて敗けても、やっぱチーフス強えわで終ったハナシ。すべては間抜けなジョセフ・オサイのせいで消化不良だよ。もう海外のツイッターでも「間抜けなオサイ」「クビだよ、クビ!」のオンパレードで大荒れ。逆にそんなにベンガルズファン多いのかよと妙に感心(笑)。 いろいろグチったが仕切り直して、いよいよ再来週に迫ったアリゾナはフェニックスで開催される第57回スーパーボウルは「鷲と酋長」の戦いに(なんだか西部劇のタイトルみたいだ)。レギュラーシーズン中のカンファレンス違いチームは4年に一度しか対戦しないんで、2000年からの戦績を見てみるとちょうど3勝3敗。だけどここ12年チーフスは3連勝中でそれを考えるとチーフスが優勢か?まぁどっちも嫌いじゃないんで、どっちが勝つか云々よりも無駄な反則だのミスジャッジだのないクリアなゲーム展開を期待するよ。
2023.02.02
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唐突だが、2023年の色は「優しく穏やかで、そっと癒し明るい気持ちにしてくれるルミナス・イエロー」だそうだ。ファッションの流行色といったカラートレンド情報を広く発信してきた(一社)日本流行色協会(JAFCA:ジャフカ)が選定したんだそうだ。このジャフカ、ファッション業界だけでなく自動車業界に対しても、乗用車に限らず毎年優れたカラーデザインのモビリティを顕彰する「オートカラーアウォード」を1999年から始めている。近しいところではレクサス車の「ソニックチタニウム」「銀影ラスター」、マツダ車の「ポリグレーメタリック」「マシーングレープレミアムメタリック」、ホンダ車の「ガーデングリーンメタリック」といった外装色が受賞しているが、果たしてこのアウォードの影響力や如何に?ということなんだけれども、どうも一般的にはこの賞とったからこのカラーにしよう!って流れにはなっていないような気がするんだよね。受賞色をまとった車が街中をうろちょろ走ってるかといえば甚だ懐疑的だ。京商1/43 レクサス IS500 Fスポーツパフォーマンス 2年後には電動自動車の大量投入が決定事項となってるレクサスラインナップに抗するように、このご時世に純アイスの5リッターV8。同じ心臓のRC Fほどは高値じゃないけどほいほいと買えるもんでもないから代わりにミニチュアを買ってひたすら愛でる、と(笑)。ボディカラーは新色の「チタニウムカーバイトグレー」をチョイス。 なんでも近頃の自動車業界の流行色はグレーだそうで、確かにテレビやカー雑誌ではグレーを纏ったクルマがたびたび紹介されている。先日のCGTVなんかでもケイマン718GT4RSがグレー(実際はアークティックグレーという青がかった灰、とゆーか個人的に言わせりゃ塩ビ管の色だよ)だった。 この他にも、それこそオートカラーアウォードを受賞したマツダのポリメタルグレーメタリック(車両はマツダ3)とか、 日産のステルスグレー(GT-Rニスモ)、 ホンダのソニックグレーパール(シビック)、 スバルのオフショアブルーメタリック(クロストレック)。 かように各社塩ビ管カラーのオンパレードだ。そう考えると確かに業界がグレーを流行らせたい意図を持っているようだが、如何せんバイヤー側がそこに乗っからない。だってどう見てもホームセンターに転がってる安っぽい塩ビ管の色だもん。実車を見れば違った印象なのかも知れないけどなんか塗装面がボテっとしてるというかぬめっとしてて生理的に嫌だなあ。グレーと言えばカッコいいけどこれはどっちかっていうと「ねずみ色」だもんね。 ただ、世界的にグレーは人気というのは本当らしく、アメリカの塗料老舗アクサルタ(旧デュポン)の「世界の人気自動車ボディカラー調査報告(2019年版)」では日本を除く南北アメリカ、欧州、ロシア、アフリカ、アジア、中国、韓国、インドでグレーカラーは定番色のシルバーを押しのけて3位以内に食い込んでいる。日本では赤と同率5位で占有率は6%しかなかったということは、やっぱみんな塩ビ管のイメージ持ってんじゃない? ウチのぬめっとしたグレー系の車両。ひとこと地味だよねぇ~(笑)。そりゃ同率だっつーのに赤いクルマの方が街中に溢れているように思えるわけだ。
2023.01.31
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今週はディビジョナル・プレーオフが行われていよいよもってシーズンも押し詰まった感がするが、やっぱりここまでくるとアップセット大番狂わせジャイアントキリングなんて簡単には起きないもんだ。横綱相撲で地区を勝ち抜いてきたチームばかりだから、実質的に勝ってジャイキリ成る!と称えられるのはジャイアンツとジャガーズだけってわけだが、さすがに壁は高く厚かったね。そして思いのほかすんなり終わちゃったねというのが降雪下のビルズ対ベンガルズ戦。地元で悪天候も味方につけてもっとビルズが奮戦して例えばOTまでもつれるんじゃないか?なんて予想したんだけど、あっさりと裏切られて3ポゼッションの大差で敗退。まぁあれだ、ホームアドバンテージも雪も春日の呪いの前には赤子も同然ということだな。 となると残るはベンガルズとチーフス、イーグルスと49ersどちらが勝ち残るかっていうことだけれど、実際問題どこがスーパーボウルに駒を進めても不思議はないし、どこもかしこも推しチームなのでチャンピオンシップは比較的フラットな気分で臨める。ただどういう組み合わせにロマンを感じるかといえば。。。 レギュラーシーズン(第7週)でも一昨々年のスーパーボウルでもあったチーフス・49ersはちょっとおなか一杯だし、イーグルス(のジェイレン・ハーツ)よりもトム・ブレイディの登場にイメージが被る49ersのブロック・パーディをスーパーボウルで見てみたいのよ。そしてこのベンガルズ・49ersってゆー組み合わせは、1988シーズンの第23回スーパーボウルを否が応でも思い起こさせる。第4Qジョー・モンタナ「ザ・ドライブ」のあの一戦だ。ベンガルズファンにとっては8割9割がた手にしていた勝利がするりとこぼれ落ちて、以来30余年低迷を続けるきっかけになった一戦のリベンジマッチということではなかろうか。まぁジョー・バロウら現役選手にとっちゃ生まれる前か新生児のころのことなんざ知らへんよってことだろうけど、長年観てる側からすればこれはロマンだ、と(笑)。そして相手がまたドラフト最終ピックのQB、モンタナにもブレイディにも負けず劣らずのスター性のあるシンデレラボーイとの対戦は、なんか後世に残る激戦となる気がするんだよね。なんつってチャンピオンシップであっさり負けてチーフス・イーグルスってカードになったらどげんしようか(笑)。つか泣いても笑ってもあと1時間くらいで結果が出ちゃうんだけどね。
2023.01.30
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いよいよ始まった、負けたら終わりのポストシーズン。NFL箱推しとはいえ好きなチームはいくつかあるわけで、そこは全部レギュラーシーズン止まりだったからポストシーズンは割と平常心で観てられるんだが、唯一肩入れするとすれば、スーパーボウル未経験四天王のひとつであるジャガーズがポストシーズンに進出しちゃったから、頑張れジャガーズの気分はある。 そのジャガーズが初手からやってくれた。というかやらかしたというか(笑)。 レギュラーシーズン第3週で大勝ちしてるとはいえ、シード順こそ下にいるがチーム力としては格上と思われるチャージャーズ相手に勝利。しかもいきなり5ターンオーバー(うち4つはトレバー・ローレンスのパス)を喰らって史上3番目となる27点差をひっくり返して逆転勝利。良くも悪くもローレンスがゲームを勝手に引っ掻き回した感じだ。そもそもレギュラーシーズン9勝のうち6勝が逆転勝ちという強いんだかなんだかよくわからないチームなのだ。逆転するだけの底力があるんだったら初っ端からそれを発揮せえよってハナシだよ。 なんつっても自陣ゴール直前でのファンブルリカバー・リターンタッチダウンに尽きるね。あのままQBダイブでTD取られてたら、正直ベンガルズ危なかったんじゃね? オードリー春日いわく「優勝したてめえの地区の下のチームに敗けないでしょうよ」なビルズだったが、終わってみたらFG一本差の薄氷を踏むが如しの勝利。ドルフィンズがタゴヴァイロワ出てたら勝ってたんじゃね?くらいの感じ。これぞ春日の呪いか? 対カウボーイズ戦キャリア7戦全勝で且つプレーオフのためにWEEK18のゲームを捨ててブレイディを温存したバッカニアーズとWEEK18で格下相手に温存なしのガチ勝負でボロ負けしたカウボーイズの一戦は、バッカニアーズオフェンスの低空飛行対PAT4連続失敗というグダグダの泥仕合。ブレイディはレッドゾーンオフェンスでインターセプトを喫する判断力の悪さや、やたらWRがドロップするパスも、もしかしたら本人の意思とは裏腹にボールが届く直前に失速してんじゃ疑惑もあり得るな。いろいろ衰えがきてんだよ(本人は絶対認めないだろうけど)。まぁ稀代の負けず嫌いだけに来シーズンはFA行使して別のチームで捲土重来か。 レギュラーシーズンでも突然調子を崩す(そして次週にはなにもなかったかの如く復活する)不可解なオフェンスの悪い癖がここぞという大一番で出た。対してポストシーズンになると大化けする傾向にあるジャイアンツがジャイキリ。もしかするとイーグルスも喰っちまうか? ワイルドカードプレーオフ唯一の無風勝利と言えるんじゃないかの49ers。ドラフト最終ピックである意味誰にも期待されず、控えの控えが何の巡り合わせか先発に収まると負けなしの11連勝。次代のスター確定ブロック・パーディは出方がブレイディに重なる。 今週は、とゆーかあと少しでディビジョナルプレーオフが始まる。ビルズ・ベンガルズは春日が憑いてない分ベンガルズが有利か?ジャガーズ・チーフスはまぁまぁチーフスだろうけどジャガーズに勝って欲しいもんだ。カウボーイス・49ersは勢いのある分49ers有利かな。ジャイアンツ・イーグルスはジャイアンツが再びジャイキリすんじゃないかな。さて結果は如何に!?
2023.01.22
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昨年に予約しておいたミニチュアの殆どが入庫して、またゼロコロナから方針転換したかの国は現在旧正月の真っ只中ということもあって、新製品の入荷状況は無風状態だろうから新しい記事も当然ない。ならば年次総括で明らかにしたように、買っといて放置しているミニチュアの記事に精進せいよとゆーのも尤もだが、あれらはあれらで抱き合わせの相棒の発売待ちとか様々な理由があって放置してるのであって、時期が来たら載せるのだよ、と聞こえの良い言い訳をしておこう。という訳で、こういう時恒例のフリーページのコピペでお茶を濁すことにする。 企業買収に端を発するフォード対フェラーリの6年にもおよぶ激闘の影で、密やかに牙を研いでいたポルシェがいよいよル・マン24時間レースの表舞台に躍り出ます。 しかし年々モンスター化していくマシンに、もはや大資本のワークスでなければ優勝は叶わないからとエントラントの減少を危惧した国際自動車連盟(FIA)やフランス西部自動車クラブ(ACO)は、レギュレーションを変更して出場車を3リッタースポーツプロトタイプカーに限定してポルシェやフェラーリを締め出す大鉈を振るいます。 これが功を奏して1970年代前半はマトラ・シムカやガルフ・ミラージュ、リジェといった決して大きくないメーカーが覇を競いますが、後半は3リッタースポーツプロトタイプカー(実際は2.1リッターエンジンにターボ係数1.4を掛けて3リッター)を完成させたポルシェのトップコンテンダーになっていきます。 また70年代から、F1グランプリにおけるゴールドリーフ・ロータス~マシン全体を企業広告で覆う~というコペルニクス的転回がサルテ・サーキットにも波及して、それまでのおよそ単色のナショナルカラーに塗られたボディに控えめな自動車関連の広告というリバリーから、タバコや化粧品アパレルといった自動車業界とは縁のない企業の広告を全身にまとったカラフルなマシンがサーキットを埋めることになります。1970年ヴィジョン1/43 ポルシェ 917K#23 ハンス・ヘルマン / リチャード・アトウッド走破距離:4607.81km平均時速:191.99km/h1971年ヴィジョン1/43 ポルシェ 917K#22 ヘルムート・マルコ / ジィズ・ヴァン・レネップ走破距離:5335.31km平均時速:222.30km/hスポンサー:マルティーニ・エ・ロッシ(酒造会社)1972年スパーク1/43 マトラ・シムカ MS670#15 アンリ・ペスカローロ / グラハム・ヒル走破距離:4391.34km平均時速:195.47km/h1973年ミニチャンプス1/43 マトラ・シムカ MS670B#11 アンリ・ペスカローロ / ジェラール・ラルース走破距離:4853.95km平均時速:202.25km/h1974年スパーク1/43 マトラ・シムカ MS670C#7 アンリ・ペスカローロ / ジェラール・ラルース走破距離:4606.57km平均時速:191.94km/hスポンサー:ジタン(タバコ)1975年スパーク1/43 ガルフ・ミラージュ GR8 コスワース#11 ジャッキー・イクス / デレック・ベル走破距離:4594.58km平均時速:191.48km/hスポンサー:ガルフ石油1976年スパーク1/43 ポルシェ 936#20 ジャッキー・イクス / ジィズ・ヴァン・レネップ走破距離:4769.92km平均時速:198.75km/hスポンサー:マルティーニ・エ・ロッシ1977年スパーク1/43 ポルシェ 936/77#4 ハーレイ・ヘイウッド / ユルゲン・バルト / ジャッキー・イクス走破距離:4671.63km平均時速:194.65km/hスポンサー:マルティーニ・エ・ロッシ1978年スパーク1/43 ルノー・アルピーヌ A442B#2 ディディエ・ピローニ / ジャン=ピエール・ジョッソー走破距離:5044.53km平均時速:210.19km/h1979年スパーク1/43 ポルシェ 935K3#41 クラウス・ルトヴィク / ビル・ウィッテントン / ドン・ウィッテントン走破距離:4173.93km平均時速:173.91km/hスポンサー:ヌメロ・リザーブ(雑誌)、フィリップ・サルベ(時計メーカー)1980年スパーク1/43 ロンドー M379B コスワース#16 ジャン・ロンドー / ジャン=ピエール・ジョッソー走破距離:4608.02km平均時速:192.00km/hスポンサー:ル・ポワン(雑誌)、ファコム(工具)1981年スパーク1/43 ポルシェ 936/81#11 ジャッキー・イクス / デレック・ベル走破距離:4825.35km平均時速:201.06km/hスポンサー:ジュール(クリスチャン・ディオールの香水)
2023.01.17
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