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小学校に上がる際は母が小学館発行の「 小学一年生
」を買ってくれた。南小倉駅前のマーケットの小さな本屋だったが、おそらくH氏に買ってくれた 第2番目の本
だったと思うので良く覚えている。
付録にはボール紙に、今思えば、粗末な印刷で、切り目や折れ線の入った「ひな祭り飾り段セット」が入っていたので、家に帰り早速作り始めたのを覚えている。毎号は買ってくれなかったが、教室にもあったし、左程不自由は感じなかったのは、小さいながら、家庭の事情を知っていたからだろう。
それでも、付録の組み立て等はやってみたくてしょうがなかったので、一二年生と同級の友達で、木町市場の漬物屋の田中君の店の二階に上がり込み、彼の手伝いをする振りしながら、ほとんど難しい所は、H氏が引き受け、はさみと糊で「 エンパイヤステートビル 」を作り上げたのは忘れられない。

昭和24~5年当時も今も、アメリカさんの文明の象徴で、高い処の昇るのが好きなH氏だが、生憎、今だその夢は果たしていない、先日世界一高い台湾の101ビルに昇ったのがせいぜい・・・完成品は当時の身長とほぼ同じくらいの高さがあったと思うので、恐らく、70cmは有ったような気がする。
物欲はないので、作り上げると満足する方だからそのまま帰ったが、彼が親にどう報告したのか・・後で父兄会で話題になり、ウチの母の耳にはいったが、結局は、「ウチの息子だけでは出来上がる筈がないので、・・」との報告だったらしく、「今後も、又家に来て、内の息子と遊んでやって下さい」と喜ばれた由、母親としては、喜んでいいのか、買ってやれないばかりに、つらいと思ったのか・・・
そんな訳で、よく他の友達の家にも顔を出したが、大体の親は歓迎して、御菓子を出して、好きな本も自由に読まして貰えたのは、いまだに、感謝したい気持で一杯・・・。
以降も小学館の学年雑誌にはずっとお世話になり、結局「 蛍雪時代
」まで、それは続いたが、付録のテキストや、辞典まで大事に使用したものだ・・・・
H氏が母親に買ってもらった本の一番最初は、まだ小さい頃、当時は田町にあった、旧小倉駅前の例の白い、いすず自動車の木炭バスを待っている折、待合室にあった、2色刷りの、小冊子の絵本。
これは例えば1ページにヨットのイラストが書かれ、そこへ、カタカナ、ひらがな、それに英語で Yacht と書かれていて、おそらくアルファベット順に並んでいたのだろう・・・B5サイズ位の赤い表紙の本・・・それが最初で、繰り返し々々、絵を眺めては、年上の兄弟に、これ何と読むの?英語で何というの?と聞いては煩がられた。
小学5~6年頃、各組には「 学級図書」 があったが、家庭の事情を知っていた担任の女先生は、その補充をH氏に任せてくれ、「君の好きな本を買いなさい」とお金を渡してくれた。
だから、その当時読みたかった 保育社
の小学生向けシリーズで高額の為、母親にはどうしても切り出せなかった、 理科や気象や航空や地理・天文その他のミニ百科事典
のシリーズものを、毎月、喜んで買いにでかけたものだ・・・・
ご存命のその折の担任の三喜先生には、まだその節のお礼を申し上げていないのが、気掛かりだが・・・
最後の戦中派に属するH氏にとって、どうしても、もう一冊の本を紹介してみたい。
それは「 坂井三郎空戦記録 」・・ 1953 (昭和28)初版・・確か前後編2冊あったと思うが、読み耽ったものだ・・・
「台湾の台南基地に新設された 台南航空隊
に配属され、
昭和16年12月8日の開戦時はフィリピンに駐留する米陸軍航空隊と戦い、戦線の南下に伴ってインドネシア方面を転戦、この方面の制圧後はラバウ、ラエに移動、ニューギニアやソロモンに展開する米豪軍と激しい戦いを繰り広げる等、

太平洋戦争中、主に戦闘機「 零戦
」(三菱航空(現重工)製作「零式艦上戦闘機」)で200回以上の空中戦に出撃し、敵機64機を撃墜したうえに、その間、戦死した部下を1人も出さなかったことで有名。最後の階級は中尉だったが、海軍での経歴は、旧海軍兵学校卒のエリート士官とは違う、いわゆる"たたきあげ"の日本の撃墜王の自伝の書。」

後「大空のサムライ」として、各国語に翻訳され、因みにイラク空軍でも、この作品をパイロットの必携書として義務付けていたという逸話もある.
ご興味ある方、詳しくは 「 JOG(174) 大空のサムライ~ 坂井三郎
」をお読み下さい。
今も昔も男の子の夢と言えば、空を飛ぶか海を往くか、宇宙飛行士になるかで・・・結局そのどれにも成れなくて大人になる訳だが・・・
ましてや、昭和20年代は、日本人が空を飛ぶ事は禁じられており、飛行機は全て米軍の星のマーク付きの軍用機しか見た事のない折、破れたとは言え、日本人にも、戦闘機乗りの優秀なパイロットがいた事は、誇りですらあった。
映画館でたまに戦記映画があり、 沖縄の特攻機
が墜落すると、溜息があがり、命中すると拍手が起きていた時代だった。
そんなに乗ってみたかった飛行機には、昭和31年、小倉・曽根飛行場に民間航路が開通し、当時 ダグラスDC3
の愛称で、映画「 カサブランカ
」の飛行場シーンに登場した あの双発 飛行機
の小倉・曽根飛行場発、第一号機に母親と乗る機会に恵まれたのも忘れられない・・・・(パイロットは米国人だったが・・)

詳しくは後日・・・・。
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話は変わるが、H氏、この 7月14日~19日 迄、帯広や札幌の友人からの誘いもあり、釧路から空路入り、主に道東地区を中心に旅行予定。・・
道中、特段の予定もなく、往復便及び友人が取ってくれた宿泊先以外は全て、いきあたりばったりと言ういい加減な旅で、まだ旅行準備も完全にできていない。従って、 20日過 ぎまで、PCも持たず書き込みもできないので、暫く休養します。
帰りましてから、又旅の思い出話も、写真付きで、する予定。
本場のラベンダーの匂いを嗅ぎ、蟹味噌のラーメン食べるのが一番の目的です
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