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戦後直ぐ、アメリカ文明が洪水の如く、敗戦国日本になだれ込んできた。
一億総懺悔
の元に、日本の従来の国是「 忠君愛国
」が間違った事として、対比的に「 民主主義国アメリカ
」がもてはやされるのは、時代の流れとしては当然の事だろう・・・
今、冷静に振り返れば、占領軍のマスコミ統制、情報提供、・・特に日本人再教育の3S政策なるものは見事なものだったと言えるが・・・
( 3S政策 とは占領軍が行った日本人教育のベースで第一のSは、 セックスの解放 、第二のSが スクリーンの活用、 第三が スポーツの奨励 と言われており、米国に対する日本人の復讐心を根絶やしにするために忠臣蔵などのあだ討ちモノは当面不許可(昭和27年講和条約成立の頃まで・・)とされていた・・或る意味我々H氏ら小国民を含め、日本人は完全にこのラインに乗って、 アメリカナイズされ、本来の日本人とは?を見失っていったきらいも否定しないが・・・ )
実際、くすんで見えた敗戦国の現状より、ニュース映画や、現実に見聞きする、アメリカ将兵やアメリカ風の生活の一挙手一投足全てがまばゆいばかりの理想に見えたのは事実・・・
今なら当たり前の部屋のセットは、床はフローリングされ、しゃれた応接セットにトースターや、冷蔵庫もあったと思うが電気洗濯機を初めて見たのを覚えている。
白い琺瑯引きの筒状の外観だったと思うが、内部の羽が回転する方式の水槽に、ローラー付きの絞り器がついており、家で洗濯板で、ゴシゴシ洗いしか見た事のなかったH氏は、びっくりしたのを覚えている。
冷蔵庫の意識が余り思い出さないのは、理屈が理解できてなかったのと、氷を買ってきて、冷やす方式の小さなモノが家にもあったので、その大型位にしか思わなかった為だろう。
その他掃除機もあったが、これも、音が当時はうるさくて、畳掃除なら、箒で充分と思ったからだろう・・・
当時、朝日新聞の4コママンガには「 ブロンディ」 が掲載され、やさしい主夫の「ダグウッド」と、ちょっとわがままな妻のブロンディの織り成す、アメリカ人の中流生活がコメディタッチで描かれていた。(調べてみると、49年(昭和24)から2年間、にチック・ヤング連載にて朝日新聞に掲載)

兎に角、アメリカの生活振りがかいま見えて、興味深かった・・確か簡単な英会話の綴りも書かれていた様に思う・・・

ポパイの恋人ベティさんも、兎に角日本人ばなれした美人で、当時は、どうして美人なのか良くわからなかった・・・「そういえば、中学の英語の若い女教師のあだながベティさんだったのを思い出した」
本でいえば「 リダースダイジェスト 」・・ちなみに解説では
リーダースダイジェスト
Reader's Digest アメリカの総合月刊誌。1922年創刊。ポケットに入れて持ち運びやすいコンパクトなサイズで、新刊書や雑誌記事の抜粋と要約、オリジナルの記事からなる。いつまでも読むに耐える、読んでもおもしろいものを選ぶのが編集上の基本方針だが、中西部の勤勉で保守的な人たち(ミドル・アメリカン)の価値観を代表する内容だともいわれる。国内の号当たり販売部数は1,700万部(1986。『TVガイド』に次ぎ第2位)世界160ケ国で16言語、40種類の海外版があり、それを入れると3.100万部で世界最大部数の雑誌といえる。
発行社のリーダーズ・ダイジェスト・アソシエーションは、同誌の外に、書籍、レコード、オーデイオ装置などをクラブ組織を通じて販売、年間売り上げは10億ドルを超える。日本語版は終戦直後の1946年(昭和21年)から発行されてきたが、1986年2月号をもって廃刊となった。<星川正秋>(平凡社、世界大百科事典)」・・とあります。
この本は長男の考えもあって、常に毎月、取って、知識に飢えた兄弟らで、廻し読みされていた。
読めないなりに、当時珍しいカラー印刷のページもあり、一種の絵解き風で、H氏の脳裏にどんどん吸収されていって、小さい折から、同級生に知ったかぶりの生意気な口を訊いていた 嫌な奴だったのだろう。
面白いのは、小倉にあった当時「衛生便器製造会社」と子供ながら馬鹿にしていた、「東洋陶器製造株式会社」が、当時から堂々と表紙裏頁に広告をだしており、今更「TOTO」となった今日、その先見性に敬意を表したいと思います。
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