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長い副題も変えてみたくなったが、うまく思いつかない、 それに、主に昭和20年代の事を思いつくまま書き連ねているが、時系列で並んだ年表も未だ探し出せていない。
こんな調子で、あっちこっちと話を飛ばして大丈夫か?と、少し不安にもなったが、昭和20年代(1945年~1955年)の話は2006年から見直せば、50年~60年前の事だし、 そう大した誤差範囲でもなかろう、と開き直り、取りあえず思いついた話を検索で調べつつ、進める事とする・・・
昭和20年代頃、 法隆寺 と 金閣寺 に 火災 が発生した記憶がある、
調べて見ると、 法隆寺 は 昭和24(1949)年1月26日 、奈良県斑鳩町の法隆寺金堂から出火し、国宝の十二面壁画の大半が焼損しました。とあった。 http://www.tfd.metro.tokyo.jp/libr/qa/qa_50.htm より
金閣寺 は 翌25年7月2日 の事だった。・・そんな話題を兄貴達が新聞を見て教え、小2のH氏が教室で皆に話していたら、そんな話題を逆に担任の女先生が驚いていた記憶がある・・ませた小2生だったのだろう・・
H氏の記憶にはないが、その前後も、昭和24年6月5日の福山城(松前城)天守閣火災、昭和28年5月27日の出雲大社火災、翌29年8月16日の京都小御所火災など、文化財火災 も多く、又文化財に限らず、昭和20年代はあちこちで大火災が発生した年代でした。
小倉の市役所も確か、漏電?で全焼した。疑惑も云われたが、判らない・・ 戦後、建物も老朽化しており、消火設備等に廻す予算等なく、人心もすさび、気の滅入る時代だった。
それでも、日本は、その辺りから気を取り直し、文化財保護委員会と国家消防本部は共同主唱のもと、 法隆寺金堂火災が発生した1月26日を「文化財防火デー」 とし、昭和30年に第1回「文化財防火デー」を実施し、以来、今日まで全国的に文化財防火運動を展開しています。
確か、金閣寺の火災の原因は徒弟僧の放火で・・それを題材に、 三島由紀夫 の代表作「金閣寺」を生みました。
法隆寺の火災 は 電気座布団の漏電 だったと記憶してますが、この火災とその後大企業となっていった東京通信工業(現SONY)と何か関係あった様な記憶があり、調べたが出てこない。
「井深が 東京通信工業 (現在のソニー)を設立した折は、日々の稼ぎにも窮したが、持ち前の技術力(当時から井深は天才技術者と言われていた)を元に、ラジオの修理、 電気座布団 ( ソニーで最初にヒットした製品 なのだ!)などの製作を手がけ、生計を立てていた。」とあり、何となく匂うが確証は、今や判らない
当時模写に当たっていた14人の画家達は作業の後に「 電気座布団は確かに消した 」と証言。結局、火災の原因はわからずじまいだった。
H氏の勘違いかも知れぬが・・あえて検索を繰り返すと、「 藤倉電線100年の歩み 」に、こんな一節も記載されていた。
「この間、昭和13年には、 法隆寺 に耐火電線の「無機絶縁電線」を納入している。当事、法隆寺では、壁画の模写が行われることになっており、漏電による火災を防ぐため、各種の耐熱電線のテストが行われたすえ、当社の製品が使用されることになったのである。
フランスで開発されたこの電線は、もともとルーブル美術館を漏電による火災から守るためのものだったから、同じ用途の法隆寺には適切な製品であった。わが国では12年から製造されていたが、13年に製造を開始した当社の製品が選ばれたのである。壁画の模写というのは時間のかかる仕事で、法隆寺金堂の場合も戦争を挟んで約10年間続けられた。
その間、事故は一つもなかったが、残念なことに、24年1月、町の電気工事店が外部から4種電線を引き込んで 電気座布団 を取り付けて工事をしたことから火災が発生し、白鳳時代の仏教美術を代表するこの壁画は大きな損失を受けた。」
翻って、昭和47年3月、発見後、現在迄、 被葬者論や壁画の系統論ばかりに終始している 間に、肝心の 高松塚壁画 の劣化を招いた 文化庁、取り巻きの、マスコミ も含め、そこから一体どんな前向きの答えをだして、くれると言うのでしょうかね!
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