PR
Calendar
Category
Comments
Keyword Search
Freepage List
夜の繁華街には、大勢、休暇の米兵が屯する、危険な街となった。・・ 松本清張
の小説 「黒地の絵
」通りだったろう・・

(ちなみに、 松本清張 氏は 1909年12月21日、福岡県企救郡板櫃村(現在の 北九州市小倉北区 )に、 H氏と同じ大字篠崎に生れ 、同じく 同地区の清水小学校 (旧板櫃尋常高等小学校)を大正13年に卒業された 大先輩に当たるのを 今更、フリー百科事典 『ウィキペディア(Wikipedia)』 で見つけびっくりしていますが・・・)
H氏の住む南門側は 篠崎
地区の裏門でもあり、住宅街だった為、さらに南の郊外の山地にある弾薬庫に交代勤務に往復する米兵は、勤務中ゆえ、統率も執れて、慣れればそう心配はなかったが、
小倉の街の中央を流れる 紫川
に架かる基地東正門前の 陸軍橋
を( 今はどう名前が変わったか知らないが・
・)、なにかの用事で、たそがれどきに通りかかった折の異様な光景は子供心に忘れられない・・・
日暮れと共に、三々五々、繁華街へ出ようと、米軍の兵隊が、解放気分で、 陸軍橋
を渡って来ると、待ち構えた、 娼婦の一群
が口々に叫び、又その護衛らしき風体の男どもがたむろし、客を運ぶ リンタク
も群れていて・・とにかく、騒然とした風景が繰り返す日々だった。
清水小学校1年の頃
、(昭和24年頃) 仲のよかった友達の家に遊びにいった事がある。 日豊本線
を挟んで、 小学校の直ぐ近くで、風呂屋をやっていた。
手伝いの窯焚きのおっちゃんの目を盗んで、 番台
にあがったり、客の居ない脱衣場で遊んでは、おっちゃんから叱られた・・(思うに、風呂屋の 番台
に上がったのは、長い人生、後にも先にもこの時だけだが・・・)
風呂屋の裏手が友達の住まいだった、父親は戦死していて、上品なお母さんと二人住まいと聞いていたが、その坪庭に、つぶらな瞳の可愛い 黒人の女の子
が遊んでいた。
広いお住まいの一部をオンリーに貸していたのだろう・・黒人の女の子のお母さんは買い物にでも行って留守だったのか、友達のお母さんがお守りがてら遊んでやっていた・・
その後、あの黒人の女の子の事は「 聞いてはイケナイ事
」と思って、学校でも、話題にしなかった。
あれから半世紀以上過ぎたが、あの女の子も、もう、よい母親になっている年齢の筈・・黒人の女の子のお母さんもその後、どんな人生を過ごしているのだろう・・
基地の街・小倉出身の ハーフの有名人
は結構いる。 歌手の RY
も現在も昔もスタイルで決めているし、渋い役をこなす俳優の MK
は1952年生まれだが、彼の通った小倉西高時代、彼の所属した野球部監督のH氏の同級生によれば、素直ながんばりやの少年だったらしい・・
清水小学校1年
の折の友人は、高校以降は別々の為、連絡は取れていないが、 零戦パイロット
だった父の跡を継いで、宮崎の航空大学に進み、 民間航空パイロット
になったと聞いている・・・
その3 <続>少年に背負われた子は・・・『… August 11, 2018
その2 少年に背負われた子は・・・『俺… February 18, 2018
その1. 少年に背負われた子は・・『俺だ… February 18, 2018