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戦前より、軍都であった関係でそこで働かされていた為か、H氏の住む町を少し下った紫川沿いの隣町には、所謂、 朝鮮から来た住民の住む町があった。
戦後の事とて、一時、 第三国人として、血気にはやった朝鮮の若者が、抗争に巻き込まれ、南小倉駅前で、惨殺され、その弔いが朝鮮式に行われ、太鼓が打ち鳴らされ、物珍しく付いて歩き、行列の参加者から「 見世物と違う!」とこっぴどく叱られた記憶がある。
概して、そこの住民はおとなしく、子供同士で対立する事もなく、大人同士も、それなりに、付き合っていた。
戦後の彼らの仕事は何であったか迄覚えていないが、ある家族は紫川沿いに、豚を飼い、夏場、紫川に泳ぎに行くのに傍を通るのも臭かったが、周りは第三国人が多く、余り問題にはならなかった。彼等の内、女性達は、川筋の岩場に数人で陣取り、水を掛けつつ、大声ではしゃぎながら、砧で叩く、所謂 朝鮮式の洗濯をしており、これも物珍しく眺めたものだった。
ある日、その町に 密造酒 ( どぶろく)の摘発手入れがあり、その部落を没収品を積むトラックとともに警察が取り囲んだ際、一時駄菓子屋をしていたH氏の母親が、その折、知り合った人に摘発寸前に、頼まれて、どぶろくの入った窯をこっそり預かってやった事もあった・・・なにせ、怪しげな メチルアルコール入り日本酒で目をやられる人も出る時代の事でした。
小学校の同級生にも、結構朝鮮の人がいて、孫君・金城君・朴君等とも良く遊んでいた。小学校には、 朝鮮語専門の イ・ヨンエ
に似た?きりっとした若い女先生も常駐しており、放課後、中三階の小さな教室で、朝鮮語を教えていた・・興味があって、終了後、黒板に書き残した文字を友人にも尋ねたが、彼等自身も半ば理解してなくて、結局判らずジマイだった。
彼等は当然にんにくを食べるので、口臭はきつく、隣に座るのも皆嫌がったが、誰かが座らねば落ち着かぬ為、H氏が隣に座る事も結構あった。
そんな思いをして見た洋画のストーリーは忘れられない・・が 題名が思い出せない・・
「雪中に、墜落した飛行機から唯ひたすら救助を待つ物語だったが、ブリザードの中探し物を取りに少し離れた場所へ行き、仲間の元へ帰れず、嵐が収まって見ると、入り口から直ぐの処で凍死していた、散々苦労し、最後に手廻しの無線が何とか通じたのか、救助飛行機に発見されるが、半数は死亡していた・・」 ジョンウエイン主演だったと思うが、検索しても出てこない・・。
それは兎も角、彼等朝鮮の友人は、その後、 家族らと一人二人と北朝鮮へ帰って行き、もはや連絡は取れない・・・・。
一緒にみた映画は何と云う映画だったか、会ってその頃の思い出話を是非してみたいものだが・・今や 無事かどうかもわからない・・
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