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日本の戦後の一大エポック、「 朝鮮動乱」
は、 1950年(昭和25年)
6月25日
朝鮮民主主義人民共和国
(北朝鮮)がソ連と中国の支援のもとに武力を使ってでも韓(朝鮮)半島を共産化しようとして北朝鮮軍が北緯38度線を越えて南下し 大韓民国
と武力衝突した。28日、には北朝鮮軍がソウルを占領した。
さらに南に進撃して釜山と済州島一帯を除く全地域を占領した。 7月7日、国連軍の創設が決まり、米軍を主力とする 国連軍が韓国側を支援して参戦。
9月15日に行われた 仁川<インチョン>上陸作戦
などで盛り返し、中国国境まで迫ったが、今度は 中国軍が介入し、戦局は38度線付近で膠着した。
朝鮮半島に近い、米兵の出兵の出先機関のある 基地の街、北九州・小倉
も当然騒然とした雰囲気となった。
昼・夜を問わず、双発の輸送機が北九州若松に隣接する芦屋の飛行場から、上空を旋回し、真夜中にでも、重騒音の重苦しい爆音が、響き、戦時を思い出して寝苦しい夜だった。
小倉篠崎の南部郊外にある、 山田弾薬庫
からは、米軍トラックに積み込まれた ナパーム弾
等の弾薬がひっきりなしに、無舗装の道路を揺れながら 我が家の軒先をかすめ戦場に送られていったがよく事故が起きなかったものだ・・。
米兵も心なしか緊張し、余り、町の子供らをからかう余裕もなかった。先にも書いたが、近くの子供が通りかかった黒人兵に「クロンボ!」と叫び、 怒った黒人兵が拳銃を抜いて追い駆け回したのも
、この頃の事だったろう・・・。
更にこの頃、次のような事件が発生していたが、新聞も警察も米軍に遠慮して表ざたにはせず、沈黙していたので、殆どの一般市民は知らないままでした。
★…「 完全武装
をしていた。彼らは 民家を襲った
。夏の宵のことで、戸締まりしていない家が多かったから侵入は容易である。 武装された集団の略奪と暴行
が、抵抗をうけずにおこなわれた」住民を恐怖に陥れた事件を松本清張は小説『 黒地の絵
』で描いています。 朝鮮出撃港
である福岡県小倉に 三個大隊の「黒人兵
」が搬送されてきました。 一九五〇年七月十一日にちょうど祇園祭で賑わう小倉
に武装したまま 集団脱走約百六十人
の米兵が 米軍鎮圧部隊との市街戦を繰り広げたり、
婦女暴行、強盗を行いました。こんな無法な事件を起こしながら米軍は、翌日には朝鮮に出動させました。
そんな話も人づて伝わったが、その内に、重工業の町北九州は活況を取り戻した。所謂「 特需景気」
である。
子供達の遊びもどこか違ってきた。誰と云うでもなく、磁石で道路の鉄くずを集める遊びがはやった。又直接的な遊びというか小遣い稼ぎに、当時「 アカ」
といって 銅製
のものを集めると、カネになる噂が子供達を駆り立てた。
・・時効という事で白状するが・・・H氏なども、隣の家との垣根が、当時、銅製の針金でくくられているのを発見し、ご丁寧にも、全部はずすと垣根が壊れては、ばれる為、間隔を開けて銅の針金をはずし、気の聞いた年上の子と、近くの町の古鉄屋に持ち込み、一回分の映画代位を稼いだ事がある。
町では、それ以外にも、水道の銅製の蛇口がはずされたりし、問題化した記憶があるが・・・ 特需景気
はそんな処にも影響を与えた。
見に行った映画は何だったか忘れたが、 ニュース映画は強烈だった
。仁川再上陸を果たすべく、 マッカーサー
が軍艦に例の ロイド眼鏡にコーンパイプ
をくゆらせて乗り込み、艦橋に陣取り、

又攻撃を受けたどちらかの軍艦が沈むまで、機関砲を打ちまくり、水面に 水煙を上げていた
。
この光景は小4の頃だったか、福岡の海老津に八幡の叔父さんが初めて海水浴に連れていってくれた時に 生で見たことがある。
当時、海老津近くに 米軍の射撃訓練場
があり、長いロープでフラップを引きずった飛行機が芦屋飛行場から飛んでくると、機関砲が唸り、見事ロープを切ると、それが
海面まではためきながら落ちて行き、さらにそれをめがけて、機関砲が火を噴き、水煙とともに、 弾痕の羅列を見せてくれた。
その頃の海水浴場は
、 そんな危険な場所と隣りあわせで、子供達は海と戯れていた訳でした・・
・
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