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「 自由学校
」
朝日新聞に1950年5月26日~12月11日迄連載された新聞小説に 獅子文六の「自由学校」があった。

これも当時の一種の社会現象で、たちまち評判になり、確か、 松竹と大映で映画が競作された覚えがある。
H氏、小2~3生の時分に封切りされた映画だから、誰に連れていってもらって見たのか覚えないが、当時、小倉の三萩野交差点の裏にあった「三萩野劇場」で見た覚えがある・・
そういえば、三萩野には、当時、母が、看護婦資格を生かして、「付き添い看護婦」をしていたので、その折の職業紹介所に連れられて行った記憶があるから・・おふくろと見たのかも・知れない・・。
当時から ませていた?積りはないが、印象に残る場面が二三ある。
気が強く、活発な妻・駒子は昼アンドンのようなノンビリ屋の夫を家から追いだしてしまう
小暮実千代演ずる、内職でミシンを足踏みする、奥さんの駒子から、「 出てゆきなさい!」と一喝された際、小暮実千代代が 家の玄関を指差す右手の大写し・・
やむなく、家出させられた夫役の” 小野文春”(・・ずぶの素人配役だったそうです)が、浮浪者の 大泉滉 演ずるルンペンから、道路上の”しけもく” を上手に長柄の針先に刺し、背中の籠に移し変え、「なっ!・・(判っただろう?)」と要領を教えてもらって納得する場面etc.・・


子供心に「 大人になると、男の人は色々大変だな~」とか「 美人の奥さんは怖いな~」とか、そういえば今でも通用する、” 当たらずとも遠からず・
・”な 印象を持ったものだ。
(注1・・ 大人にとって面白いストーリーをテレビ等でつい無用心に油断して、子供に見せていると、 純粋な?子供心に一生忘れられぬストイックな心傷を与えてしまう??・・という例でもありまっせ!?)
それを頭に入れながら、兎も角、webで調べてみると。
ストーリーは
「開巻、いきなり「 自由…自由が欲しいよ…」とうわごとのように言う夫五百助(いおすけ)のセリフから始まり、続いてそれを「 フンッ」と鼻でせせら笑うその妻、というオープニングに驚かされる。
ぐうたらなために妻に追い出された夫が、御茶ノ水の神田川沿いで、ホームレスとなって生活を始める。
戦前まで封建社会の中で威張ってきた夫が、戦後の民主主義の中で強くなった妻に束縛され、自由を求めるという皮肉な構図の中に、戦後の世相が皮肉たっぷりに描写されている。」
http://allnightpress.com/main/movie/146.htm より
■製作=松竹(大船撮影所)分は渋谷実監督で
出演 ................ 佐分利信 高峰三枝子淡島千景 佐田啓二 田村秋子 杉村春子 笠智衆 三津田健 中村伸郎 十朱久雄 龍岡晋 小沢栄 東野英治郎 高橋豊子 望月美恵子

(注3.、写真は「自由学校」松竹・・高峰美枝子・・こちらの松竹製作分を見た訳ではない)
■製作=大映分は吉村公三郎監督・
出演................ 木暮実千代/小野文春/藤田進/京マチ子/大泉滉/山村聡/徳川夢声/英百合子
webで(自由学校 獅子文六 小暮)で捜していると 小暮実千代の こんなwebもあった・
「1951年には獅子文六原作「 自由学校」(大映〉に出演、高峰三枝子の松竹版「自由学校」と競演、話題をまいた。この頃が 小暮実千代のピ-クと言ってよく、「成熟しきった女の豊満な肉体」、「終戦後最も目立つ女優の一人」と評された。1956年には溝口健二監督「赤線地帯」で失業者の夫を持つ売春婦を見事に演じた。また日大OBの映画「夜間中学」に出演した。
また舞台でも尾上松緑と共演。テレビでも、司会を務めたり、コマ-シャルに長期出演したりして活躍。自ら「小暮劇団」を率いて年三回地方公演を行い、社会福祉運動の資金集めに奔走した。
小暮実千代は終戦直後、有楽町のガ-ド下で靴磨きをしていた戦災孤児に、[寒いでしょう。さあ、これでなにかあたたかいものでもおたべなさい。くつはみがかなくていいのよ。からだにきおつけてね。]と言って百円札を二枚渡したことがあった。その少年が後になって、アメリカに渡り、苦学して大学を卒業し、高校の教師となった。この少年は後年小暮実千代と交流があり、余命いくばくもない小暮実千代に会うためにアメリカから、帰国して再会を果たす。
1957年には群馬県の「 鐘の鳴る丘少年の家」の後援会長になり、1987に法務大臣認定の保護司になった。1980年には日本中国留学生研修生援護協会常任理事になり、中国留学生を自宅に寄宿させたりした。こうした一連のボランテア活動はどこからきているのであろうか、出生当時から、恵まれた環境に育ち、映画界に入っても下積みの経験がないのにこのヒュ-マニズムは、中国での異常な体験と生来の性格があいまっての事であろう。
かっての映画界における「 良きライバル」高峰三枝子の息子が1977年覚醒剤容疑で検挙されたことがあった。四面楚歌に立たされた高峰三枝子親子に暖かい手を差し伸べ、保護司として高峰三枝子の息子を監督下に置き、立ち直らせたこともあった。この二人は1918年の同年生まれ、小暮実千代が1月、高峰三枝子が12月で、死去したのも同じく1990年で、小暮が6月、高峰が5月でともに72歳の生涯であった。
小暮実千代は、まだボランテイアという言葉も活動も一般化しないときから、地味なヒュ-マンな活動を女優業という多忙な仕事をしながら、死去するまで続けたことは称賛されていい。」 ” 女優 ボランテイアの草分け=小暮実千代
”より
(注4 小暮実千代の写真画像は探してみたが、UPできそうなモノは見つからない。)・・がこんなwebを見つけると、ネットサーフで捜しがいがあったな~と思う。
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