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釈迦楽

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January 13, 2006
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それは今、私が住んでいるマンションの前の管理人さんだった「Kさん」からの年賀状だったのですが、何でまたそんな方から年賀状をもらったのか、少し説明する必要があります。

今からちょうど10年ほど前のこと、私は現在住んでいるマンションに引っ越してきました。その時、このマンションの初代管理人だったのがKさんだったんです。当時Kさんは60歳位、私からしてみれば自分の父親くらいのお歳でしたけれど、とても元気な方で、管理人としての仕事をとても誇らしげに、きっちりとこなしていらっしゃいました。出来立ての新築マンション、そしてそこに越してきた新しい住人たち・・・すべてがフレッシュなスタートでしたから、Kさんも管理人としてやりがいがあったのでしょう。マンション内に何か異変はないか、玄関ホールや通路の電灯は球切れしていないか、自転車置き場の自転車が乱雑に置かれていないかなど、そういったことを見回るため、マンション内を小まめに巡回しているKさんの姿をよく見かけたものです。また共用部分の植栽や芝生などにも気を使われ、夏場など根気よく草むしりをされているところをしばしば見かけたものでした。

ところで、このマンションに入居した当時、私はまだ独身でしたから、今以上に頻繁に東京の実家に戻ることがあり、特に夏休みや春休みなど、1ヶ月近く家を空けることがよくありました。で、そんな時、私はいつもKさんに一声かけて、たとえば留守中に新聞が新聞受けに溜まらないようにしてもらったり、空き巣などに狙われないよう、ちょっと気をつけてもらったりしていたんですね。それだけに、長く家を空けた後など、私は管理人室にKさんを訪ね、直接御礼を言ったり、持参したお土産を渡したりしたものでした。Kさんはお酒がお好きだったので、アメリカ出張で一月ほど家を空けた帰りなど、バーボンをお土産に買ってきたりするとことのほか喜ばれ、後で出会った時など、ニコニコしながら「毎日、仕事が終わった後に楽しんでいるんですけど、もったいなくて少しずつしか飲まないんですよ」などと声をかけて下さったりしたものです。ま、そんなこんなで、おそらくこのマンションに住む他の住人の方以上に、私はKさんと親しかったのではないかと思います。

また私が大学で英語や英米文学を教えているということを知ってからは、マンションの敷地内で私とすれ違う時など、Kさんはふと私を呼び止めて、「うちの孫が、英語ができなくて困っているのですけど、どうしたもんでしょうかねえ」などと相談されることもありました。で、問われた私が馬鹿正直にお孫さんのことを詳しく尋ねると、そのお孫さんは進学校として有名な中学校に通っていらっしゃることが判明して、なーんだ、英語ができないなんて言って、実はお孫さんのことを自慢したいだけだったのか! なんてことが分かったり。ま、Kさんというのは、そんな愛すべき好々爺だったんです。

ところが、数年前くらいからでしょうか、あれほど元気一杯だったKさんが、なんだか急に老けたような気がしたことがありました。以前ほど頻繁に巡回されなくなり、管理人室でボンヤリしていらっしゃるのを見かけることが増えたんです。また、以前のKさんだったら、人が近づいてくる足音に敏感に反応してさっと振り向かれるので、Kさんの後ろ姿なんてそう長くは拝めなかったんですが、その頃、あ、Kさんが居るな、と思って彼の真後ろまで迫っても全然こちらを振り向こうとなさらないことが多くなった。仕方なく背中から「Kさん、こんにちは!」と声をかけると、びくっとして振り向かれ、「ああ、こんにちは!」と慌てて挨拶を返されるのですけど、そんなKさんを見て、「Kさんも歳を取ったのかな」などと、家内と話しあったことを覚えています。

そしてそんなことが続いた挙げ句、今から2年前のことですが、ついにKさんが管理人の職を退くことになりました。ああ、やっぱりな、と思いましたが、それまでずっと世話になってきた人ですから、私もなんだか寂しく思い、いよいよ辞められるという時には管理人室にお別れの挨拶をしに行きましたし、Kさんもまた明日で辞めるという日にわざわざ私の家まで来られて、互いに別れを惜しんだのでした。

で、その時、私は「年賀状出しますから」と言って、Kさんのご住所を教えていただいたんですね。Kさんは喜んで紙に書いて下さいましたが、多分、これは社交辞令なんだろうと思われていたのではないかと思います。いかに親しかったとは言え、大きなマンションの住人とその管理人が互いに年賀状を出し合うなんて、あまりなさそうな話ですし・・・。実際、その年の終わりに、私はKさんに対して年賀状を出すのを忘れてしまいました。

しかし昨年の末、あちこちに年賀状を書いていた時、私はふとKさんのことを思い出し、今年はKさんに年賀状を出してやろう、と思ったんです。ま、年賀状1通書くのに大して時間はかかりませんし、まさかKさんも本当に私から年賀状が行くとは思っていないでしょうから、きっとびっくりするぞ、と、そんな茶目っ気を出したんですね。そこで私は、「お変わりありませんか? Kさんがお辞めになってから、管理人室の前を通っても寂しいですよ」というようなことを年賀状に書いて送ったのです。

そして年が明けました。しかし、Kさんから年賀状のお返事はありませんでした。と言ってそのことを私はさほど気に病むこともなく、何のことはない、私のことなどもう忘れてしまわれたのだろう、と思った程度だったんです。

ところが昨日、冒頭に述べたように、私はKさんからの年賀状を受け取ったのでした。そして、それはとても悲しい年賀状だったんです。

Kさんからの年賀状は封筒に入って送られてきました。そしてその年賀状には、Kさんの奥様からのお手紙も添えられていたんです。そのお手紙によって、私は、Kさんが一昨年の11月から肺癌に冒され、現在は末期状態で入院されていることを知りました。またその手紙には、Kさんが私からの年賀状をとても喜ばれたこと、また何とか自分で返事を書こうとしたのだけれど、手が震えてしまって判読し難いものしか書けなかったこと、などが書かれていました。要するに、Kさんの書かれた年賀状をそのまま投函してもとても届かないだろうと危惧された奥様が、こうして手紙を添えて、封書にして送って下さったというわけなのです。

実際、Kさんが書かれたという年賀状を見ると、どうやら「謹賀新年 新年お目出度ご座居ます 本年も何卒宜敷お願いします」とお書きになったようなのですが、いかんせん力のない、判読しにくい文字なのできわめて読み難い。宛て名も同様です。

私はこの悲しいお便りと、ミミズの這ったような文字で書かれたKさんの年賀状を手に、しばし呆然としたのでした。確かにお歳を取られた観はあったものの、2年前にお別れした時にはどこかお体の具合が悪いという感じではなかったのに、今、Kさんはまともに年賀状も書けないほど弱られ、瀕死の床に就かれているというのですから・・・。

変な茶目っ気を出して、気まぐれにKさんに年賀状を出したばかりに、知らなくてもいい悲しい知らせを受け取ることになってしまって、まったく馬鹿なことをした・・・そんな思いが、私の頭の中をぐるぐる回っています。家内は、がっくりしている私に、Kさんは私から年賀状をもらって嬉しかったのでしょうから、いいことをしたじゃないですかと言ってくれるのですが、どうなんでしょうか・・・。ひょっとしたらKさんが書く最後の年賀状になるのかも知れないこの年賀状を、単にちょっとした知り合いに過ぎない私なんかが受け取る資格が果たしてあるのかしらと思うと、やはり、私の気持ちはどうにも晴れません。

奥様がはっきりと「末期の肺癌」とおっしゃる以上、この先、Kさんの体調が回復することは見込めないということなのでしょう。となれば、ここで軽々に「ご回復をお祈りします」などということは、むしろ不敬なことなのだろうと思います。ですから、かつて管理人のKさんに少なからずお世話になったマンションの住人の一人として、せめてKさんの末期の苦しみが、さほどのものでないことを、切にお祈りしたいと思います。





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Last updated  January 13, 2006 11:39:02 AM
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