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July 6, 2010
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カテゴリ: 教授の追悼記



 で、事情を聞いてみると、ダナム先生は今年60歳になられるはずで、そうなると日本で働いていた数年間の分の年金が付くらしいんですな。だから、その支払い方法をどうするか、聞かなければならない、と。まあ、そういうことらしい。

 で、そういう事情で私も久々にダナム先生の名前を聞いて、急に懐かしくなりまして。私とダナム先生は研究室が隣同士だったもので、何かと話す機会があったものですから。

 ダナム先生は「外国人教師」として英会話などの授業を担当されていたのですが、先生の授業は、当時としてはかなり実験的なものでありまして、例えば学生を幾つかのグループに分け、それぞれのグループにシナリオを書かせて一種の劇を作り、それをビデオで撮って発表しあう、というようなことをやらせたんですな。教科書を使って淡々と進める授業ではなく、学生をどんどん自主的に動かすような、そういう授業の仕方だった。ま、気質的にちょっと短気なところもあって、学生が自分の思い通りに動いてくれると機嫌がいいものの、そうでないとすぐに怒り出す、という側面もあったようですが、それでも学生たちからは随分慕われていたものです。

 また当時はうちの学科も小規模だったので、教員と学生が一緒に合宿旅行に行く、なんてことも多かったのですが、そういう時もダナム先生は我々と行動を共にされ、あちこちを旅してまわるのを楽しまれておりました。今でも思い出すのは、学生たちと一緒に三島由紀夫の『潮騒』の舞台ともなった三重県の神島を訪れた時のこと。島の無邪気な子供たちは異国からの訪問者に目を白黒させていましたっけ。先生は先天的に足がお悪かったのですが、そんなことはつゆほども気にしておられず、神島を歩き回った時も、私なんぞよりもよほど健脚だったことを覚えています。

 しかし、当時、うちの大学では外国人教員には任期があり、ダナム先生も確か3年間の任期を務めた後、アメリカに帰国されたのでした。その別れ際、先生は私に封筒を一つ手渡されたのですが、何かと思って後で開けてみると、どういうわけかギターのピックが一つ入っていて、封筒の裏に「Keep on rocking!」と書かれていた。ロック音楽が好きだった私に、先生は「ロックし続けろよ!」というメッセージをくれたのでありました。この言葉の中には、体制に順応した大人になんかなるなよ、という意味も含まれていたでありましょう。


 さて、事務の方からダナム先生のことを尋ねられた私は、そんな数々の懐かしいエピソードを思い出し、何とか先生の現住所を探し出して、たとえわずかなものであろうと年金を送り届けてやろうと、昔の卒業生に声をかけ、先生と未だ文通している者がいないかどうか、先生の消息を知っている者がいないかどうか、探したんですな。

 ところが。

 昨夜、卒業生の一人、K君から返事があり、私は彼から意外なことを聞かされたのでありました。それによると、ダナム先生は、既に亡くなっている、というのです。

 え・・・。ウソだろ・・・。そんな・・・。

 卒業後もダナム先生と連絡を取り合っていたというK君によれば、アメリカに帰られてからのダナム先生の人生は、あまり芳しいものではなかった、というのですな。先程も言いましたが、身体に不自由なところがあった先生は、アメリカでは教職にも、それ以外の定職にも就けず、たった一人の身内だったお姉さんのところに身を寄せて、日本に居た時に貯めた貯金を切り崩しながら生活をしていた、というのです。しかも、そうした肉親に頼った生活にも行き詰まり、しまいにはアメリカ中を転々と放浪しながら、荒んだ生活をされていたのだとか。

 しかも、そうした荒んだ生活の中で、精神的にも不安定な状態になってしまったのだそうで・・・。

 そんな先生のことを遠くから心配していたK君のもとに、先生のお姉さんから訃報がもたらされたのは、今から4、5年ほど前のこと。K君は当然、我々元同僚にもその連絡が行っているものと信じ、敢えて何も言わなかったんですな。

 いやあ。そうでしたか・・・。

 思えば、ダナム先生にとって、日本の大学で教鞭を執っていた3年ほどの間が、人生の中で一番充実していた時期だったのかな、と。またそうであったならば、私が先生に出会ったのは、まさにその時だったんですな。で、そんな先生との間に明るい、いい思い出しかなかった私は、その後の先生の人生の暗い影について、何も知らないで過ごしてしまった、と。

 私に「ロックし続けろ!」と言い残した先生。その先生が自らグラグラと止め処なく揺らいで、転落し続ける道を歩み続けられていたとは・・・。

 いま私は、形見となってしまったギターのピックを見つめながら、人生で一番良かった時の、あの人懐こいダナム先生の思い出と、そしてその後の荒んだ生活で心身ともに衰弱しきってしまった先生の姿を、一つに結びつけるのに苦労しているのであります。合掌。





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Last updated  July 6, 2010 12:13:54 PM
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